知らぬが仏 ”脅迫事件”
平成21年3月7日


◆宙を舞ったわたしの名刺

  輸出貨物は当時殆どが名古屋港から船積みされた。海運業界はもとより名古屋港の貨物取り扱い業者も貨物の争奪戦で火花が散っていた。扱いトン数で手数料も変わるし、コンスタントに貨物を確保できる業者は海運業者に対して優位にたつ事が出来る。当時輸出が軌道に乗りその量も増える事が確実視され、又支払い面で一度もトラブルを 起こしたことの無い当社は、よその業者の狙う事となったがお付き合いをしていた船積み専門のT課長さんの商社は実に丁寧に業務遂行されておられるので変更の気などサラサラ無かった。

 ところが某月某日名古屋港の、ある海運業者の某氏が国内販売会社のA常務を訪問して輸出貨物取り扱いをさせるよう申し込んで来た。その某氏が曰く因縁付きの倶梨伽羅紋紋の方で、おじけを振るったA常務はすぐ輸出営業部に連絡してきた。「某氏は社長にあわせろと申し込んできた。 その前に担当の者ににも会いたいと言っている。君が担当だろうからすぐ会ってくれ」との事。はてさて何でしょう?のこのこと。

国内販売会社の応接室に入っていったら、目つきの鋭い兄ちゃんがじろり
「お前が担当か、 なに? 平社員じゃ話にならねえ、社長を呼べ、社長だ」
「社長に連絡する前にご用件をお伺いします、なんでしょうか」
「生意気な若造め、 俺はこう言う者だ」 と名詞をだされたが、運よくその某氏の印刷された団体の本質を知らなかったので 別に驚く事もなくしれっとして 「はい 名詞頂きます、私の名詞です」と出したらいきなり「なめるなよ」と私の名詞は宙に舞った!

◆知らぬが仏

兄ちゃんは
「おい若造、いま手数料はトン当たりxx円が相場だ、これをxx円に値引きしてやるから輸出貨物を俺の会社に全部任せたら会社の利益はぐんとあがるぜ。来月からでも取引開始出来るように段取りしろ」
と迫ってきた。

この瞬間に頭の中にある事件の記憶が蘇った。 それは 業界相場より格段に安い相場をもち掛けて相手が取引を変更したら翌月から大幅な値上げを通告、それではたまらんと 元の業者に戻る段取りしたら、その業者に引き受けたらどうなるか保証をしないとの脅迫があって結局どうにもならずその高い値段で取引をせざるを得なくなった会社があった 。そういう話と今回のやり口が良く似ているなと直感。

「ずいぶんと安い価格の提案ですね、検討してからご返事します」と馬鹿丁寧な応対をしてお帰り願った。早速この内容を上司に報告し現在の取引先に連絡したらそこの社長さんが飛んできて「その名詞の会社の本社は神戸にある特殊な会社です」と裏稼業を教えてくれた。普通ならここで震え上がる所なんですが、のーてんきで楽天家は まだその恐ろしさを知らず 「私が断りますわ」と請け負って、翌日電話してお断りしたら電話口で大騒動、ここでは書けない表現の罵詈雑言のヘドロを浴びせられた。
更に国内販売のA常務にも、あの若造許さんとの脅迫があったらしく青くなって私の所に来て一体どうしたんだとの詰問、 「どうもこうもありません 筋が通らないからお断わりしました」と答えると 「君、相手が誰だかわかってやったのか、某氏は大変な人なんだよ」、「はい それでも受けるわけには行きませんので。 ハイ」

これで一件落着したかと思ったら このお兄様は「あの若造は今の取引先から賄賂貰っているからこんな有利な取引を断った、そんな若造は首にしろ」と方々に行ってしゃべりまくったそうだ。心配してくれた々の取引先の方から大丈夫かと案じて頂いたけれど実際ビタ一文賄賂らしきものも貰った覚えが無いので平然としていたし、会社の上司も捨ておけ、気にするなと言ってくれたので安心していた。そのうちに某氏も見込み無いと判断したのか言わなくなって自然消滅の形でこの件は消えていった。
 
 後日 某氏の所属する団体の怖さを知っている方々から 「よく一人で応対して断ったね」と冷やかしともとれるお褒めの言葉を頂いたが 本質は「知らぬが仏」か 「盲蛇におじず」の類であったからやれたんだと思う。今だったら会う前から震ってとてもあんな応対は出来なかっただろう・・・本当に「「無知ほど怖いものは無い」で相手のお兄様も 出した名刺の効果が無くがっくりしたんじゃないかと思いますね。

◆T課長さんの思い出

輸出営業部に転属になったものの肝心の輸出手続きや必要書類、それを何処に提出するのか、その実務についてはさっぱり知らなかった。実務に関するマニュアルなんてものは存在せず、先輩諸氏も自分の仕事で手一杯で、新米を教える雰囲気では無かった。でも有難い事にこんな窮地に陥った新米を
ちゃんと指導してくださる方がおられた。当時も今も変わらないと思うが 製品輸出に関する書類や実務一切を代行してくれる船積み専門の商社があり そこのT課長さんが 見るに見かねて手取り足取りで懇切丁寧に、実務を指導して頂いたお蔭で劣等生にも足手まといにもならずにすんだのです。このT課長さんは後年その商社の常務さんになられて業界で活躍され退職後も私達と会食やゴルフを一緒に楽しまれたが残念ながら2008年8月82歳で他界された。本当に惜しい方が亡くなられた。合掌。



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