名古屋に「桜通り」という大通りがあります。片側4車線の。名駅から東に伸びる広い通りです。
でも何故「桜通り」と名前が付いたのか、ずっと知りませんでした。だって桜が咲いてる所を観た事なかったから(笑)ではついでに、渋谷のスペイン坂は何でだろう?って。
一昔前、嘉門達夫が丹波哲郎をパロった「タンバでルンバ」って歌がありましたよね。
「死後の世界はいいトコ♪あの世はパラダイス♪」って歌です。
今の時代、すっかり現実的な意味で、人の「死」が身近になってしまって、こんな歌を歌ってたら不謹慎極まりない世の中になってしまいましたね。個人的には嘉門達夫の事務所の社長、元スペクトラムのリーダー・新田一郎は、僕にとって永遠のヒーローなのですが。
4年連続で1年の自殺者が3万人を超え、誰もが明日はわが身と考える世の中。現実を戦う事に疲れ果てた挙句にそれを選ぶ人の気持ちを、弱虫の一言片付ける事が出来なくなってしまった現代。
誰が悪いのか、何がいけなかったのか、誰にも応えられない不透明な時代。ようやく明るい光が見え隠れしてはいます。
余り言いたくない事ではありますが、自分に近い関係で自ら死を選んだ人がいました。棺の中の亡骸は本当に眠っているかの様な顔色の良さで、病気で死んだり、天寿を全うした人の死に顔に比べると、それはもう「何故?」の世界でした。悲しさというより、「あれは何だったんだよ」と思わせました。可愛がってくれた事、そして慕った事・・・本人の存在が「無」と化しただけでなく、僕自身の心の支えの一部が、崩れて無くなってしまったのですから。
僕自身が「生きよう」と思わせている理由の一つに、自分にこそ子供は居ませんが、夜鳴きに悩まされた頃から可愛がっていた甥や姪が心に住んでいます。「**ちゃんは頭も良いし、**ちゃんは要領が良さそう、だけど**はちょっと俺みたいに人生苦労しそうかなぁ(汗)」って。そんな子供達に教えられる一番の事って、生きる事。生き続ける事なんですよね。どんなにカッコ悪くても、生きているという事が、彼らが僕を慕ってくれる事に繋がるんだって・・それが自分が今生き行く心の支えになっています。
今日、桜通りを仕事で通っている時、初めて桜が咲いているのを観ました。桜というと一般的に「ソメイヨシノ」という先入観がありますから、それが散ってしまうと、「桜の季節も終わり」って思い込んでしまうんですよね。違う種類で、より色の濃い花でした。散り際の鮮やかさも又ソメイヨシノの見所の一つでもありますが、僕達は「散り方」なんて考えずに、綺麗な大きな花を咲かせようなんて思わなくてもいいから、人それぞれの咲き方を続けようじゃありませんか。
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