父方の長兄が亡くなられた為、通夜、葬儀と出席してきました。87歳の大往生でした。それなりの兆候はあったのですが、亡くなる1週間前迄は軽トラックを運転してて、様子見に訪れた親族に「相変わらずの大声」で話かけていたそうで、亡くなる前日にも尋ねた方と話をしていたとの事。亡くなった日の朝。朝食を済ませた後の異常に気がついて救急車を呼んだ頃には、既に息を引き取っていたとの事。誰にも迷惑をかける事の無い、静かな最後でした。
最近、有名な芸能人が亡くなられた時に記憶に残る言葉が「ゆっくりして下さいね。」
やすきよ漫才の横山やすし氏の葬儀の際も、相方のきよし氏は「ゆっくりせぇや!」先日のいかりや長介さんが亡くなられた時も「注さんと飲み過ぎんなよ」(加藤茶氏)。時代を精一杯駆け抜けた方が亡くなられた時のお別れの言葉は、どちらかと言うと「これでやっとのんびり出来るね」という、安堵の気持ちすら漂っている気がします。
○○急便時代、山間部を集荷していたあるある日、お通夜のお宅の前を通ると、とてもお通夜とは思えない「どんちゃん騒ぎ」の歓声が聞こえて驚いた事がありました。後日聞いてみると、亡くなられた仏様は80歳を超えており、この辺りの地域では、70を越えた方の場合は天寿を全うしたという事で、通夜が酒盛りの席になるんだそうで。自分の家の場合もそうですが、どんなに短気で怒りっぽい男でも、60も後半過ぎれば結構人間丸くなりって話易くなりますから(笑)残された者にとっても十分「家族」として過ごせた満足感が残るんでしょうね。
不思議と僕の親族は女が多く、行われた葬儀に出席した従兄弟一同の中で、男、それも兄弟がいるのは僕と兄貴だけという状態でした。「状態」って言うのは・・・30ン年振りに会う様な親戚も居て幼児期の記憶にも殆ど無い人たちばかりだから(笑)仏様となった父方の長兄のお孫さんも女の子ばかりな為、戦中は軍隊に入って出征もしたおじいちゃんにとっては、男の兄弟の我々は特に目や言葉をかけて貰っていました。ずっと畑仕事に精を出してくれたお陰で、年の瀬に親父が貰ってくるお米で、春まで米を買う必要が無かったという事も。両親共に早く父親を無くした為、祖父に甘えた記憶の無い僕にとっては、親父より20年近く年上だったこともあって、「おじいちゃん」と呼べる唯一の存在でした。
話は変わりますが、火葬、採骨まで済ませ、アパートに戻ってきた時の僕。不謹慎ではありますが、不思議な安堵感に包まれてました。一体何故なんだ? 一番「こうだろう」と思えた理由は、この週末、パソコンを殆ど触ってなかったからじゃないのかという事。これを書く為にPCの電源を入れた途端に聞こえ出した耳障りな動作音に、それまでの心のゆとりはたちどころに消え、何時もの、休日なのに完全に緊張感が失せない時間へと戻された僕。同席した従兄弟達も恐らくは、通夜や式の間だけは、〜さん家の娘さん、という子供の頃に戻り、自宅に戻ると再び親としての責任を負う現実へと戻されているんでしょうね。
「俺の目の黒いうちに結婚せい!」言い付けは遂に守れなかったけど、もし僕が結婚する様な事があったなら、仏前にご報告に行きたいと思っています。
この世からは居なくなってしまったけど、何時までも心の中に居る、そんな気持ちを初めて胸に抱いたお別れでした。
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