ある日の日常


§1 それはいつも通りから

 それはある日のこと。誠は大神官やストレルバウたちと共に、ある地方に遺跡の
調査に来ていた。実際には連れてくるのはアフラとストレルバウくらいでもよかっ
たのだが、なんだかんだと言っている内に、このような大勢となってしまったのだ。
 遺跡のある場所の名前は“ジュセンキョウ”といった。

「ここが遺跡のある場所です。といっても、遺跡そのものは風化してしまって、も
う何も残ってはいませんけどね。まあ、せいぜい泉がいくつか残っている程度です。
これらの泉は先エルハザード文明の時代からあるそうですよ」
 現地で雇った案内人は、ほとんどただの水辺と化している遺跡を指さしながら言
った。
「へえー。そうなんですか」
 誠もあたりを見回す。確かにもうほとんど痕跡すら残っていない。ただ、特徴的
なのは泉は細かくしきられており、無数の池のようになっていることだ。
 これは今回ははずれかなと思いつつも、とりあえず、めぼしいものはないか探し
てみることにした。
「じゃあ、みんなで手分けして、何かないか探してみましょう」
「そうどすな」
 話しあって、誠とシェーラと菜々美、ストレルバウと藤沢、アフラとミーズのグ
ループで探索を行うことにした。

「それにしても、本当に何もない所やなあ…。こりゃ、掘ってみんことにはだめか
もしれんなあ…」
「掘ったって、何も出てこねえんじゃねえのか?」
 シェーラがそこらの石を足で小突きながら言う。誠は嘆息した。
「うーん…。そうやなあ…。でも、泉がたくさんあるから、底に何か沈んでいるか
もしれんで」
「んなら、潜ってみるか?」
「えっ、でも、水着持ってきてないわよ」
「ん、そうだなあ…」
「あー、だめですよ。ここの泉は潜ったりしてはいけません」
 唐突に案内人が口を挟む。彼は何やら意味深な顔をしていた。
「えっ、どうしてですか?」
「実は、ここの泉にはそれは恐ろしい言い伝えがあるのです。この言い伝えはこれ
まで長くの間守られ続けてきまして、その結果、これまで一人の犠牲者も出すこと
はありませんでした。もしあなた方がこの言い伝えを破ることがあれば、あなた方
の中にきっと犠牲者が出ることでしょう」
 案内人は大仰な身振り手振りを加えながら言う。しかし、肝心の言い伝えの内容
には全く触れていないため、シェーラはイライラした。
「で、その言い伝えというのは一体何なんだよ?」
「はい、それは恐ろしい言い伝えなのです」
「あー! だーかーらー、いったいどういう言い伝えなんだよ!?」
 シェーラの声に力がこもる。しかし、案内人は自分のペースを崩さず続けた。
「はい、言い伝えによると、それは今から昔、先エルハザード文明の時代。この場
所にはその当時からこれらの泉があったそうです。そして、悲劇の種はバラまかれ
たのです」
「てめえっ! さっさと話しやがれ!」
 シェーラがかろうじて自制しながら言う。案内人はそれを知ってか知らずか、さ
っきと全く同じ口調で続けた。
「……これらの泉にはそのひとつひとつに伝説があります。まずは、その一つにつ
いてお話ししましょう。例えば、その泉」
 と、誠のそばの泉を指さす。
「先エルハザードのその昔、この近くに一人の美しい娘が住んでおりました。そし
てある日、その娘は木の実を採るためにこのあたりにやって来ました。木の実を採
っている内に、娘は喉が渇いてきました。そしてです…。ああっ、そしてなのです
…」
 案内人はいよいよ大振りな演技を始め、完全に一人の世界に浸っている。
 シェーラは案内人のあまりのもったいぶりに、体をわななかせ、すでにぶちきれ
る寸前だ。
「娘は水を飲もうと、この泉へやってきました。ああっ、しかし…。しかしです。
泉のふちがぬかるんでいたのです。娘は足を滑らせて、泉へ落ち----」
「てんめええぇぇっ!」
 シェーラがとうとうキレて、案内人に殴りかかろうとする。
「あー、シェーラさん、落ち着いて!」
 シェーラを止めようと、誠があわてて彼女の腕を掴む。
「放せ、誠! こいつ一発殴ってやる!」
「いけませんってば!」
 誠の手を振りほどこうとするシェーラを、誠は何とか止めようとする。一方、シ
ェーラの方は誠の手を外そうと体をひねる。
 刹那----
「うわああぁっ!!」
 足元がぬかるんでいたのと、シェーラが無理な力をかけたのとで、誠が足を滑ら
せてしまった。
 ドッパーーン……!!
 派手な音を立てて、誠が泉へ落ちる。
「ああーっ!! 泉へ落ちてしまったあぁ!!」
「まこっちゃんっ!」
「誠おっ! うわあっ!」
 誠を助けようとしたシェーラも、足を滑らせて別の泉へ落ちてしまう。
「ああーっ!! また泉へ落ちてしまったああっ!!」
「シェ、シェーラ!」
 菜々美と案内人の絶叫があたりにむなしく響き渡る。
 泉は結構深いらしく、二人の姿は泉の外からではおぼろげなシルエットでしか見
えない。しかも、シェーラの方は特にそのシルエットが小さくなっていった。
 菜々美は自分も泉に入って、誠を助けようかと思ったが、すぐに誠の姿が水面に
浮かんできたので、ほっとした。
 誠の手が泉のふちにかかる。
「まこっちゃん!」
 菜々美は誠を引っぱり上げようと、その手を取ろうとするが、それより早く誠の
顔が水面を突き破ってきた。
「ぶはあっ!」
「まこっちやん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫や、菜々美ちゃん あ、あれ…」
「まこっちゃん?」
 誠の声は何というか、普段よりかなり高かった。ほとんど女性の声に近い----と
いうより、女声そのものだ。
 地面にはいあがってみたが、声以外にも変な所があるのに気づいた。何だか胸が
重いし、菜々美の背が高くなったような気がする。
「な…なんということ…。やっぱりあの伝説は本当だったのか…」
 案内人が絶望的な声音で言う。
「いっ、一体どないなったんですか?」
 かなり取り乱しながら、誠が訊く。
「実はその泉はその昔、娘が落ち、溺れ死んだという悲劇的伝説があるのです。そ
してそれ以来、その泉は人が溺れると、男は女になってしまうのです。ああ、何と
いう悲劇でしょう。せっかく私が忠告してあげようとしていたのに…」
 場が一瞬氷りつく。
 誠は恐る恐る自分の服の胸元を引っ張ると、中を覗き込んでみた。そこには男に
あらざるべきたおやかな曲線をしたものがある。
「こっ、これは…。----あっ、菜々美ちゃん!?」
 菜々美が強引に誠の胸元を覗き込む。恥じらいに頬を染める誠はおいといて、菜
々美の表情が豹変した。
 次の瞬間、菜々美は案内人に掴みかかっていた。
「ちょっと! 何でそんな大事なこと早く言わないのよ!? まこっちゃん、ホン
トに女になっちゃってるじゃない!」
「はっ、そう言われましても、前置きは重要かと思いまして…。それに、話を最後
まで聞かなかったあなたたちが悪いんですよ」
「肝心なことさっさと言わなかったあんたが悪いんでしょうが!」
 菜々美は案内人の体を揺さぶって、まくしたてる。
「あー、菜々美ちゃん、抑さえて。あっ、ところで、シェーラさんは?」
 誠の言葉を聞いて、菜々美は急に我に返ったような顔をした。
「はっ! そうだった! シェ、シェーラ!」
 案内人を放り出して、菜々美はシェーラの落ちた泉の方へ向き直る。
 泉からはあぶくがたってるだけで、シェーラの姿はなかった。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 はい上がろうともがいても、手足は何も捉えることができない。視界の方はとい
うと、水が濁っているのかして、一面乳白色だった。
 ふと、誠が助けてくれるのではないかという思いが頭の中をよぎる。しかし、そ
れは突然襲ってきた浮遊感によって、掻き消されてしまった。
 全ての感覚がなくなり、吐き気のようなものだけが残る。平衡感覚がなくなり、
頭がくらくらする。ひょっとしてこのまま死ぬんじゃないかと思い、絶望感と闘い
始めていると、唐突に感覚が戻り始めた。ただし、今までと違う感覚が。
 全ての感覚が開け、視野も今までと違って、見渡せるようになった。泉からはい
上がろうと岸へ向かって手を延す。が、なぜか届かなかった。この距離なら届くは
ずなのに。
 結局、体の浮力で水面まであがってきた。

 誠と菜々美と案内人とで、しばらくシェーラの落ちた水面を見ていると、何か浮
かんできた。案内人の話では、この泉にも呪いがかかっているということで、潜る
ことはできなかったのだ。
「い、一体この泉にはどういう呪いがかかっているんですか?」
 ファトラやアレーレが見たら、舌なめずりしそうな可憐な乙女になり下がった誠
が案内人に訊く。
「えーと、たしかこの泉はねえ…。まあ、あの人が何になったか見れば分かるでし
ょう」
「そんな無責任な…」
 まもなくして、元はシェーラだったものが姿を現した。それは----猫だった。
 赤毛で、長毛の猫が泉の水面で必死にもがいている。
「あー、どうやらこの泉は猫が溺れた泉のようですね」
「シェ、シェーラさん!」
 気楽な案内人はほうっておいて、誠はシェーラの方に手を延す。腕が水に浸かる
程度なら大丈夫だろう。
 ほどなくして、猫は誠の手によって引きあげられた。
「大丈夫ですか、シェーラさん?」
「あ、あたいは一体…」
 どうやら、シェーラは猫になっても話すことはできるようだ。
「それが実は----」
 誠はシェーラに事情を話し始めた。
「----というわけなんです」
「なっ、なにいいぃぃーーっ!! 元に戻る方法はねえのかよ!?」
「ありますよ。湯をかければ元の姿に戻ります」
 案内人が気楽に言う。
「じゃ、じゃあすぐに湯を…」
「でも、水がかかるとまた変身した姿に戻っちゃうんですよね」
 場が凍る。場が凍る。
「----えっ、ええと、私、水筒にお茶持ってるから、かけてあげるわね」
 菜々美が水筒の茶をシェーラ(猫)と誠(女)にかけてやった。
 しゅううぅぅと煙があがって、誠とシェーラの姿が元に戻る。
「てめえよくもっ!」
 半泣きになり、激昂したシェーラが案内人に掴み掛る。
「あっ、ちょっと、シェーラさん!」
 誠がシェーラを後ろから羽交い締めにする。
「放せ、誠! こいつ殴ってやる! おめえは女になっちまって、悔しくないのか
よ!?」
「だめですよ!」
「ええい、うるさい! 誠、放せ! こいつを殴るんでい!」

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 実は誠たちがこの遺跡へ来るよりも前、陣内は誠が遺跡探索に出かけているとい
う情報を聞きつけて、誠たちと同じ遺跡に来ていた。
「むむむ。ここか。どうやら誠たちが来るよりも早く来てしまったようだな。我が
バグロム情報網の優秀さはたいしたものだな。それにしても、なんだ、ここは?」
 バグロムたちは誠たちの行き先は教えてくれたが、この遺跡が何かまでは教えて
くれない。従って、陣内は無数にある泉の正体までは知らなかった。
「貯水池のようなものだろうか…。それとも何かを養殖しているのだろうか…」
 陣内は泉の一つを覗く。
 刹那----。泉のふちがぬかるんでいた。
「うわあっ!」
 足を滑らせた陣内は、泉に落ちてしまった。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


「それにしてもまあ、泉ばっかしでんな」
「何でこんなにたくさんの泉があるのかしらね」
「ひょっとしたら、何か呪術的な意味でもあるんでおますかいなあ」
 アフラとミーズは泉のある場所から少し離れて、あたりを探索している。
 しばらく歩いていると、腹が減ってきた。
「お腹がすいたわねえ…」
「集合までにはまだだいぶ時間がありますなあ…」
 アフラは太陽の角度を見ながら言う。
「こっちで勝手に何か食べてましょうか」
「そうどすな」
 そういうわけで、アフラとミーズは弁当を食べ始めた。
「菜々美はんの作る弁当はおいしいおすな」
 と、その時。茂みの中から一匹の小さな黒豚が現れた。野生の豚だろう。
 瞬間、アフラたちと目が合う。
「…………」
「…………」
 黒豚は何か慈悲を乞うような目をしている。
 アフラは怪訝な目つきをしている。そしてポツリと言った。
「----うまそうどすな」
 次の瞬間、黒豚は全力で茂みに隠れようとした。----隠れようとしたが、アフラ
に捕まってしまった。
「ぷぎっ! ぷぎっ! ぷぎっ!」
「ミーズの姉はん、この豚うまそうや思いまへん?」
 ミーズに向かって小さな黒豚を掲げながら、アフラは言う。子豚は逃れようと必
死に暴れているが、無駄な努力だ。
「あんたタンパク質が足りないわね」
 ミーズは半眼になりながら言う。神官というのはその職業上、動物性のタンパク
というのはあまり口に入らなかった。
「食べまへんか?」
「食べるわよ」
 そういうわけで、アフラとミーズは子豚をひもで木に吊るすと、その下に鍋を置
き、湯を沸かした。
「そろそろいい湯加減でおますな」
「じゃあ、豚を入れましょう」
「そうどすな」
「ぴーっ! ぴーっ!」
 アフラは子豚の方に向き直ると、構えを取る。子豚の方は何とか逃れようと必死
だが、ひもから逃れるような術はない。万が一逃れたとしても、またすぐに捕まっ
てしまうだろう。
 アフラの目つきが普段のものから、獲物を狙う鋭いものへと変わる。
「----てやぁっ!」
 アフラのかまいたちが黒豚を襲う。が、間一髪、子豚はすんでの所でこれを避け
た。外れたかまいたちは子豚を吊るしているひもを断ち切る。
 ボチャン!
 当然のごとく、黒豚は鍋の中に落ちた。そして次の瞬間----
「うあっちいーーーっ!!!」
 鍋の中からいきなり全裸の男が姿を現した。
「ききき、貴様ら、人間を食おうなどとは何という悪趣味なやつらだ! しかも、
煮えたぎった鍋にこの私を落とすとは、まったくもって信じられん! 貴様ら、そ
れでも人間か!?」
 全裸の男----陣内は股間を隠すこともせず、アフラたちに抗議する。一方、アフ
ラたちの方は目を白黒させていた。
「……う、うちが何かを斬り損ねるなんてことがあるとは…」
 アフラは豚をうまく斬れなかったことにショックを受けている。
「い、一体どうなってるの!? さっきまで豚だったのに、人間になるなんて…」
 ミーズは豚が人間になったことにショックを受けている。
「え、ええい、とにかくここは一時退却!」
 陣内は股間を手で隠しながら、逃げていった。
「あ、アフラ、あの豚逃げちゃったわよ!」
「うちが斬り損ねるなんて…。それにしても、あれはなんだったんどっしゃろ…」
「さあ。幻覚かしらね」
「うちには豚が人間になったように見えたんどすが…」
「私もそう見えたわ」
「そうどすか…」
「私たち、ちょっと疲れてるのかしらね」
「そうどすなあ…あれ、これなんどすか?」
 アフラの足元にはボロ布のようなものが落ちていた。

 それからアフラたちは誠たちと合流した。すでに藤沢たちもいる。ついでに彼ら
の足元には、ボロ雑巾のようになった案内人がぷすぷすと煙をあげながら転がって
いた。
「うちらの方は特に成果なしですわ。あんたらはどうどした?」
「僕らの方も特に成果なしです。ただ、それが…その…」
 誠は何やら言いにくそうにしている。シェーラの方はというと、目線をそらして
うつむいている。
「何どすか? 何か見つけたんどすか?」
「いえ、その。それが…」
「はっきり言いなはれ!」
「あ、私が説明してあげる」
 菜々美はアフラやストレルバウたちに事の次第を説明してやった。
「な、なんどすか!? 変身する泉!?」
「うーむ。これは実に興味深い」
 当然のごとく、アフラやストレルバウたちは驚愕する。
「はあ、まあそうなんです」
「それで、誠はんとシェーラは何に変身するようになったんどすか?」
「いや、その…。それが…」
 誠はとても言いにくそうだ。シェーラに至っては顔を赤くしている。
 菜々美はアフラの耳に顔を近づけると、そっとささやいてやった。
 次の瞬間、アフラの顔がひきつる。
「そ、それは…。災難どすな…」
 冷や汗をかきつつ、アフラは言った。
「菜々美殿。わしにも教えてはくれんかの?」
「あ、はい」
 菜々美はストレルバウにも教えてやる。
 次の瞬間、ストレルバウの顔はにやけた。
 こんな調子で、ミーズはぷっと吹き出し、藤沢は信じられないという顔をした。
「ところで、湯をかけることで一時的に元に戻るんじゃのうて、完全に元の体質
に戻る方法はないんどすか?」
「はあ、それが、案内の人の話では、その方法は見つかっていないそうです」
 と、誠は地面に転がっている人型の消し炭を指差す。死んではいない。
 アフラは案内人を見て、気の毒そうな顔をした。
「しかしまあ、誠君。方法がなければ自分たちで見つければいいじゃないか。そう
気を落としなさるな」
 ストレルバウは誠の肩を叩きながら行ってやった。
「はあ。そう言ってくれると助かります」
「シェーラ、気の毒やけど、挫けなさるな」
 アフラは苦笑しながら、シェーラの肩を叩く。
「ええい! うるさあい!」
 と、その時。聞き覚えのある高笑いがあたりに響き渡った。
「ふひゃはははははははははははっっっ!!! 水原誠ーーーっ!! 貴様やはり
ここにいたか!」
「な、なんや!? 陣内!? その格好は…」
「ええい、うるさあい!」
 陣内の格好は全裸で、股間の部分にイチジクの葉をツタで縛りつけているという
ものだった。彼は高台で腕を腰につけて、仁王立ちになっている。そして彼の周り
には親衛隊のバグロムがわんさといた。
「やだっ! お兄ちゃんのヘンタイ!」
「ええ、うるさい! 私がこのような格好をせざるを得なくなった原因は、そもそ
も貴様にあるのだぞ! このような泉にこの私を誘導して、罠にはめようとは、言
語道断! この私を豚にしたこと、とくと後悔させてくれるわ! 生きて帰りたく
ば、この呪いを解除するのだ!」
「いやなあ、陣内。それが僕たちにも解除することはできへんのや」
 誠は苦笑しながら言う。
「な、なにいいーーーっ!!?? それは本当かっ!?」
 陣内は仰天して、目を見張った。
「本当や」
「むむむむむーーー…。ええい、と、とにかく、私の服を返すのだ! 貴様らが持
っているはずだぞ!」
「そんなもん、持っとらへんで」
「いや。持っている。そこの女に訊いてみろ!」
 陣内はアフラを指差した。
「え、うちどすか?」
「そうだ! おまえが私を食おうとしたんだろうが!」
 それを聞いて、アフラはぎょっとした。
「うー、うちが食べようとしたのは豚どす。人間じゃありまへん」
 アフラはしどろもどろになりながらも答える。
「そうよ。あれは確かに豚だったわ。…たぶん」
「それが私だったのだあ! 分かったか!? 分かったら、さっさと服を出せ!」
「別にうちのせいじゃおまへん。それに、どちらにせよ、あんさんの服なんて知り
まへん。----あ、そういえば…」
「思い出したか!?」
「鍋のそばにボロ布のようなものがおちてましたな。ひょっとしてあれが…」
「ボロ布ではない! しかし、それが私の服だ! どこへやった!?」
「汚なかったんで、そこへそのままにしておきました」
「な、なにをーーーっ!」
 陣内は驚きの声をあげる。それを聞いて、菜々美は合点がいったという顔をした。
「あ、そっか。お兄ちゃん、服一つしか持ってないもんだから、ずうっとそれを着
てんのね。だから、服ボロボロになっちゃったんだ」
 菜々美はにやにやしながら言う。
「ぬううぅぅーー…。う、うるさい! あれは私が征服者になるための制服なのだ!
 ……それなら別にいい。後で拾ってこよう」
「悲惨よねー。服が一着しかないなんて。私たち、人の住んでいる所に飛ばされて
ほんとによかったわよねー」
「ええい、うるさい! その話はもういい! それでは、この豚になる呪いを解除
するのだ!」
「だからそれは解除できへんと…」
 誠は苦笑しながら言う。
「なにをー、水原誠! 貴様嘘をついているだろう!」
「嘘やないって」
「ぅおのれい! こうなれば力ずくで吐かせてやる! いけえ、バグロム共!」
 陣内の指揮に従って、大量のバグロムが飛び掛かってくる。
「な、なにするんや、陣内!?」
「誠はん、応戦するんどす!」
「せやこと言ったって!」
「ふはははははっ!! さあ、さっさと喋ってしまった方が身のためだぞ!」
「せやから、僕たちも知らんのや! ----うわあ!」
 誠に向かって一匹のバグロムが飛び掛かってきた。
「誠ぉ!」
 それを藤沢がはね飛ばす。と、
「うわあっ!」
 別の方向から飛び掛かってきたバグロムによって、藤沢は泉に落ちてしまった。
「藤沢先生!」
「うひゃはははははっ! さあどうする誠!? さあさあ、どうする!?」
「くそうー。陣内…」
「んもう、お兄ちゃんったら! うーんと…。お茶もう冷めちゃってるわね」
 菜々美は水筒の茶が冷えていることを確認すると、
「えいっ!」
 とかけ声をかけて、それを陣内にかけた。
「ぶひっ! ぶひっ!」
 次の瞬間、陣内は小さな黒豚になっていた。かなり動揺している。
「わーっ! かっわいい!」
「陣内…」
「ぶひっ! ぶひっ! ぶひひっ!」
 黒豚は血相を変えて、何やら叫んでいる。しかし彼は豚であるので、何を言って
いるのかは分からない。だがそれはバグロムたちにとっては理解可能なものらしか
った。
 バグロムの中の一匹が元は陣内であった子豚を抱えると、逃げるようにしてそこ
から去っていく。それに伴い、他のバグロムたちも全て退散してしまった。
「おー、やっと退散しはりましたな」
「せんせ! 藤沢先生!」
 誠は藤沢が落ちた泉のふちで藤沢の名を呼び続けている。
「あちゃー。これで藤沢先生も変身するようになっちゃうわね」
 菜々美が困ったような顔をしながら言う。
 しばらくすると、泉から藤沢があがってきた。ただしその姿はパンダだったが…。
「ふ、ふ、藤沢様ーーーっっ!!」
 その姿を見て、ミーズが金切り声をあげる。
「な、なんという変わり果てたお姿に……」
「あ、ミーズの姉はん!」
「うーん……」
 そのままミーズは失神してしまった。
 かくして、誠は女になり、シェーラは猫になり、藤沢はパンダになり、誠たちは
フリスタリカに帰還したのだった。元に戻る方法を研究するために水のサンプルを
採取して。
 そして誠やシェーラや藤沢はこれから身に降り掛かってくる地獄を知る由もなか
った。

 帰りの道中。藤沢もお湯をかけられて、元の姿に戻っている。ミーズは藤沢に背
負われていた。
「ふ…。えっく…。えっく…」
 菜々美がなにやらべそをかいている。
「どうしたんや、菜々美ちゃん?」
 誠が心配げに訊く。
「だって…。だってまこっちゃんが前女装していた時は変態だと思ったけど、今度
はこんな正真正銘、手加減なしの究極ど変態になっちゃうなんて…。私…私耐えら
れない…」
「な、菜々美ちゃん…。誰が変態やって?」
「だって、水をかけると女になっちゃうんでしょ!? 立派など変態じゃない! 
あぁー、まこっちゃんが変態になっちゃうなんてー!」
「あのな、菜々美ちゃん!」
「菜々美、てめえ、誠が女になるのがど変態なら、あたいや藤沢はどうなるんだよ
!?」
「そんなことはいいのよ! ああ、まこっちゃん…。変態になりさがったまこっち
ゃん…。私は一体どうすればいいの…!?」
「てんめえーっ!」
「あー、抑えて、シェーラさん!」
「ああ、藤沢様…ミーズは悲しゅうございます…」
「ああ、はいはい。ゆっくり休んで下さいね」


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