ある日の日常


§2 ここから悲劇

 そんなこんなで、ロシュタリア王宮。
「わははははははははははっ!!」
 ファトラのばか笑いがあたりに響き渡る。
「そんな笑わんでもいいでしょうが」
「い、いやあ、これは失敬。し、しかし、これは…ぷっ、わははははははっ!!」
「そ、そうですよ。どうしても笑えちゃいます。うひゃははははははははっ!!」
 アレーレもお腹を抱えて笑っている。その隣ではルーンがくすくすと笑いを抑え
ていた。
「てんめー、笑うなーーっ!!」
 猫の姿になっているシェーラが半泣きになりながら、抗議の声をあげる。しかし
それはあっさりと無視された。その隣では女になっている誠が辛そうな顔をし、さ
らにその隣ではずんぐりとしたパンダの姿をしている藤沢がぼんやりしている。3
人ともアレーレに水をかけられたのだった。
「僕たちやってなりたくてなったわけじゃないんですから」
「そりゃそうじゃろうけどな。これを笑わずして、何を笑えという? うわははは
はははははっ!!」
「ひー、笑いすぎて、お腹が苦しいですぅー。うひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!!」
「てめえら笑うなーーーっ! うわあああーーーんっ!!」
 シェーラはとうとう泣き出してしまった。
「あー、シェーラさん、逃げてっちゃいましたよ」
 誠(女)がシェーラ(猫)の逃げていった方向を見ながら、心配げに言う。
「ま、そう気を落とすな誠。そなたの技術をもってすれば、このくらいのこと、す
ぐになんとかなるであろう?」
 誠の肩を軽く叩きつつ、ファトラが言う。
「まあ、水はすぐに解析するつもりですが…」
「うむ。まあ、わらわとしては、女のままでいてもらいたい気もするがのう。どれ、
ちょっとわらわの部屋にこんか? 酒でも飲ませてやろう」
「だ、だめよ、だめ! そんなこと絶対に許さないんだから!」
 菜々美が血相を変えて怒鳴る。ファトラはそれをつまらなそうに見た。
「そなたが好いているのは男の誠であるからして、女の誠はわらわが頂いてもいい
ではないか?」
「ちょ、ちょ、だだだだから、だめだったら!」
 菜々美は真っ赤になりながら言う。
「ふうん。ま、それはおいおい解決を目指すとしよう」
 そう言うと、ファトラはどこかへ去っていった。
「まったく。油断も隙もありゃしないんだから」
 ファトラが去っていった方を見ながら、菜々美が口をとがらせる。
「ああん、誠お姉様ぁ。アレーレを抱いて下さいましぃ」
 アレーレは誠(女)にしなだれかかっている。
「ちょっと、アレーレ!」
「いいじゃないですか。少しくらい」
「だめえっ! だめったら、だめえ!」
「んもう。いけずう」
 アレーレが口をとがらせる。
「まこっちゃん、私今お湯沸してくるから、待っててね」
 そう言うが早いか、菜々美はダッシュで厨房へ向かっていった。
「さあ、誠お姉様。今こそアレーレと熱い契りを交わしましょう」
「せやから、僕は男なんやってば!」
「いーえ。誠お姉様は女の方ですわ。その証拠に----ほらっ!」
「ああっ! や、やめてんか!」
 アレーレは誠の体をもぞもぞと撫でまわす。
「ほーら。ここなんかいいでしょう?」
 アレーレは小悪魔的な笑みを浮かべながら、子供には言えないようなことをする。
「あああ…。そ、そんなところを…。----って、やめんかい!」
 アレーレの手業に誠は頬を紅潮させ、トーンの高い声を出す。
 が、すぐに我に返り、アレーレを向こうへ押しやった。
「ね。誠お姉様は女の方でしょう?」
「そりゃあ、今は呪いのせいで女になっとるけど、本当は男なんや!」
 と、さっきの誠の悶えぶりを見ていたルーンと藤沢の表情が硬直していた。
「い、いや。その…これは…」
「誠様。気になさらないで下さい。それくらいのことは心得ていますから」
「いえ。そうじゃなくて」
「いえ。いいんです」
「はあ…」
 そうこうしている内に、菜々美がお湯を持って戻ってきた。ストレルバウも連れ
ている。
「まこっちゃん。お湯持ってきたわよ」
「ああ、おおきに。菜々美ちゃん」
「かけてあげるわね」
 そう言うと、菜々美は誠(女)と藤沢(パンダ)にお湯をかけてやる。
「ぶー。誠お姉様、男に戻っちゃわれるんですかぁ」
 しゅうううぅぅ…と煙があがると、誠と藤沢の姿が元に戻った。
「ぷはあ! やっぱりこっちの体の方がええなあ」
「お前はまだマシだろうが。俺なんかパンダだぞ。パンダ」
 藤沢が情けなさそうに言う。
「はあ、そうですね。シェーラさんはまだ喋ることができますし、喋ることができ
ない藤沢先生が一番悲惨ですね」
「あっ、シェーラにもお湯かけてあげなくちゃ。シェーラ、どこに行ったのかしら」
「さあ、分からへん」
「誠君。遺跡から持ち帰ったものの整理が済んだので、さっそく君たちのその体質
について研究を行おう。ま、そういうわけで、わしの研究室に来てはくれんかね?」
「あ、でも、シェーラさんにお湯かけてあげなくちゃ」
「シェーラにお湯かけるのは私がやっとくから、まこっちゃんはストレルバウ博士
と一緒に研究していてよ」
「ん、そう? じゃあ、そうするかな。じゃ、ストレルバウ博士、行きましょう」
「うむ」
「あーん、私も一緒に行きますぅ」
 研究室へ向かう誠とストレルバウに、アレーレもついてきた。うまくすれば、お
いしい目に逢えると思っているのだろう。

 ストレルバウと誠とアレーレは研究室へと向かって歩いていく。
 研究室の前に着き、ストレルバウが部屋の扉を開けた。
「さ、入りたまえ」
「おじゃまします」
「おじゃましますぅ」
 誠たちは中へ入っていく。と、部屋の中にはすでに先客がいた。
「おう、誠。やっときたか」
「ああ、ファトラ様ーっ!」
「おお、アレーレではないか。そなたもいたのか」
「ファ、ファトラ姫…?」
 誠は目を白黒させて、ファトラを見る。
「うむ。ファトラ姫は研究の見学をしたいそうでな。構わんだろう、誠君?」
「そりゃまあ、構いませんけど…」
「なに。別に邪魔になるようなことはせんから、安心しろ」
 ファトラは不敵な笑みを浮かべながら言う。
「はあ、そうですか…」
 別に見学すること自体は問題ではないし、ストレルバウがいる限り、おかしなこ
とにはならないだろうが、誠には一抹の不安があった。
「さ、ではさっそく研究にとりかかろう」
「はい」
「では、まず現象の確認をしよう。誠君、水を被ってみせてくれ」
「あ、はい。じゃあ、そうします」
 そういうわけで、誠は水を被ってみせた。
 いつものように白煙があがり、煙が晴れると、そこには女になった誠がいる。
「うーむ…。不思議じゃのう…」
 ストレルバウは気難しげな顔をする。
「ですね。僕もこんなのは初めてです」
 女になった誠の容姿は髪型が違うこと以外はファトラに酷似していたが、背は若
干低く、声はどちらかというとファトラよりやや高く、乙女といった風合いである。
特にちょっとおどおどとした雰囲気が嗜虐をそそった。
「何度見ても凄いな。現象も凄いが、女になった容姿は実に素晴らしい」
 ファトラが感心したように言う。
「ですね。あー、早く試してみたいですぅ」
 誠の何を試してみたいのかは謎だが、アレーレはうきうきしながら言った。
 ストレルバウは何やらこの時を待っていたかのような様子で、作業台の上に置い
てある衣装箱を開ける。
「では、次はこれだ。これに着替えてみせてくれ。これを着てみれば、何か分かる
かもしれん」
「はあ、これですか……って、これ、一体何なんですか!?」
 誠は衣装箱の中身を見て仰天した。
 しかし、ストレルバウは落ち着いた様子で、箱の中から一着の服を取り出す。
「これはずばり、検査着じゃよ。サイズもぴったりじゃ」
 その検査着なるものは、やたらと派手な装飾が施されていて、皮膚を覆う面積が
やたらと狭い女物の服だった。服としては、露出度が高すぎで保温性が低く、実用
にはあまり向かないだろう。少なくともこの格好で街は歩けない。
 ストレルバウは好色そうな顔をしながら、誠(女)を見る。
「なんだか違うような気がするんですが…」
 誠は思いっきり疑わしげな目をしながら言った。
「違うようなことなどない! これはずばり検査着じゃ! さあ、誠君、着てみせ
てくれ!」
「え、でも…!」
「着てみせてくれ!」
 ストレルバウは目を血走らせながら言う。
「そうじゃぞ。誠。元の体に戻りたくはないのか? 戻りたいのであれば、ストレ
ルバウの言う通りにしたほうがよいとわらわは思うのじゃが…」
 ファトラが誠を諭す。しかし、その顔は笑っていた。
「そうですよ、誠様。早く着てみせて下さい」
 と、アレーレ。こちらはうきうきしている。
(み、みんなでグルになっている…)
 ついに誠はなぜファトラがここにいたのか理由を悟った。おそらくはストレルバ
ウが呼んだのか、ストレルバウの計画を聞きつけたのだろう。ファトラには着せ変
えの趣味はないことから、ファトラが立案したものではないと思われる。それは検
査着なるものの趣味からしても、明らかだった。こんな派手なのはファトラの趣味
ではない。どちらかというと、中年が好みそうなデザインだ。
「さあ、誠君! 研究に協力してくれ!!」
「は、はあ…。でも…」
「誠君!」
 ストレルバウは大声で叫ぶ。
「はあ…分かりました…」
 相手がストレルバウではさすがに逆らえない。誠はやむなく検査着なるものを着
ることにした。
「ええと、じゃあ、向こうで着替えてきますから…」
 誠は衣装箱を持つと、本棚の陰に入ろうとする。
「誠君!」
 それをストレルバウが大声で制した。
「な…なんですか、一体?」
「男同士じゃあないか。ここで着替えたって構わんじゃろう? ここで着替えたまえ」
「えっ!? そ、その…」
「君は女ではなく男だろう。わしも男じゃ! だったら、隠すことなんてないじゃ
あないか!」
「し、しかしですね…」
 ストレルバウの魂胆はあまりにも見え見えである。女になった誠の肌を拝みたい
のだ。しかし、いくら呪いのせいでなっている体だといっても、見られるのは嫌な
ことだ。
「君は自分が女だとでもいうのか!? なんという情けない! 君はたかが呪いご
ときに屈伏するとでもいうのかね!?」
「今の僕は心は男ですけど、体は女なんですよ。博士に見せるのは恥ずかしいです」
「な、なあにを言っているのだね誠君。男ならぱぁーっとやりたまえ、ぱぁーっと
! さあ、遠慮はいらん! ぱぁーっとやりたまえ!」
「で、でも…」
 困惑しながら、誠はあたりを見回す。すると彼が脱ぐのを今か今かと待ち構えて
いるファトラとアレーレの姿が目に入った。
「あ、そ、そうだ! だって、ファトラ王女やアレーレがいるじゃないですか! 
女の人の前で脱ぐのは恥ずかしいですよ!」
「心配するな誠。そなたも言った通り、今のそなたは体は女になっているからして、
今のそなたとわらわたちは女同士じゃ。何を恥ずかしがることがある? ここで着
替えればいいではないか」
「そうですよ。別に誠お姉様の裸が見たくて言っているんじゃありません」
「あっ、バカ!」
 うっかり本音を喋ってしまったアレーレの口をファトラが大急ぎで塞ぐ。
「もがっ! うぐぅっ!」
「ま、まあ、そういうわけじゃ誠。心置きなくここで着替えるがよい」
 ファトラは作り笑いを浮かべながら言う。
「ファトラ姫もああ言っておられることだし、誠君、ここで着替えたまえ」
「いいい嫌です! 僕あっちで着替えてきます!」
「あ、誠君!」
 誠はストレルバウの制止も聞かず、本棚の向こうに走っていってしまった。
「ちっ。おしいのう…」
 ストレルバウが舌打ちする。
「もう少しの所じゃったな」
「残念ですねえ」
「まあ、これからもチャンスはありますし、今度こそは成功させましょう」
「うむ。そうじゃな」

「着替え終わりました…」
 しばらくすると、検査着なるものに着替え終えた誠がファトラたちの前に姿を現
した。彼はかなり恥ずかしそうな表情と絶望的な雰囲気をしている。
 彼の格好はどんなものかというと、会員制の特殊な店の踊り子のような格好だっ
た。胸を隠している布はぎりぎりの所までしかないし、装飾はあらゆる意味でけば
けばしく、布はぱっつんぱっつんになっていた。
 もっともそれをきちんと着てしまうあたり、彼の人の良さが出ていた。
(はあー、もしこんな格好を菜々美ちゃんに見られたら、なんて言われるやろうな
あ…)
 誠は絶望のため息を一つついた。
「少しサイズが小さいと違います?」
「いや。そんなことはない。これでいいのじゃ」
「うーむ。誠。実によく似合っておるぞ」
「ほんと。あー、早くしてみたいですわあ」
「変なこと言わんで下さいよ」
「で、この検査着で何を検査するんですか?」
 誠は投げやりな感じで訊く。
「まずは写真を撮ろう」
 と言って、ストレルバウは大仰な写真機を取り出す。写真機とはいっても、現在
でいうかなり旧式なものだ。フィルムはガラスに感光剤を塗って作ってあるのだが、
感度が低く、撮影するためには被写体は1分間じっとしていなくてはならない。レ
ンズの精度も低く、被写体は多少歪んで撮影される。できる写真はもちろん白黒だ。
しかし、それでもエルハザードでは最新技術だった。
「ずいぶんと大がかりな装置ですね。それとできれば写真は撮って欲しくないんで
すけど、無駄でしょうから、抵抗するのはやめておきます」
 誠は悟りを開いたかのような表情で言った。
「では撮影するために外に移動しよう」
「えっ!? この格好で外に出るんですか!?」
「なに。別にバルコニーに出るだけじゃ。屋内では写りが悪いのでな」
「はあ…」
 というわけで、誠たちはバルコニーに出た。
「そこでポーズをとってくれ」
「はい」
 もはや誠はヤケクソになって、ストレルバウに言われるままに妖しげなポーズを
とらされた。
「では撮影するぞ。わしがいいと言うまでその格好でじっとしていてくれ。大体一
分くらいじゃ」
「分かりました」
「ではいくぞ」
 ストレルバウはカメラのシャッターを開く。
 まあそういうわけで、誠は妖しげな写真を撮られ、その後もいろいろと妖しげな
服に着替えさせられては、写真を撮られた。
(いやいやいや。今までファトラ姫に着せてみたい衣装がいろいろとあったのだが、
さすがに王女に着せるわけにはいかんかったからな。誠君。まあそういうわけで、
君に着てもらったのだよ。許してくれたまえ。この写真は宝物にするからな)
 ストレルバウの心の中での謝罪は誠に届くことは永遠になかった。

 そして再び研究室。誠は普段着に着替えている。
「変身して男になってみせてくれんかね」
「分かりました」
 そういうわけで、誠はお湯を被ってみせた。
 白煙があがり、男になった誠がいる。
「よく分からんな。もう一度やってみせてくれ」
「はい」
 誠(男)は水を被る。
「もう一度じゃ」
「はい」
 誠(女)は湯を被る。
「うーむ…。わけが分からんのう…」
「ですね」
 ようやくまともな研究になって、誠(男)はほっとしながら言った。
「やはり、変身する時の白煙がじゃまじゃな。何とかしてこれをとっぱらえないも
のかのう」
「強い風を吹かせながらなら、できると思いますけど…」
「なるほど。強い風か。それでは、すぐにアフラ殿をお呼びしよう」
 というわけで、アフラが来た。
「強い風を起こすんでおますな」
「うむ。煙がすぐに吹き飛んでしまうくらいのやつだ」
「分かりました」
 アフラは方術を使って風を起こす。
 すぐにあたりは髪がたなびくくらいの風でうめ尽くされた。ファトラやアレーレ
は髪型が崩れるのを気にしながらも、誠の様子をじっと見ている。
「さ、誠君。やってくれ」
「分かりました」
 誠が水を被る。白煙があがるが、風によってすぐに吹き飛ばされる。
 これによって、変身の様子を直に観察することができた。
「うーむ。煙は取り除くことができたが、服を着ているせいで、体の変化の様子が
よく分からんなあ…。----誠君。ここは一つ、脱いでみせてはくれんかね」
「えええええっ!? まさか脱げと!?」
「その通りじゃ。やってくれたまえ誠君」
「まさかとは思いますが、全部脱げなんて言わないでしょうね?」
 誠(女)は疑わしげな目をして訊く。
「いや、全部脱いでくれたまえ。念のために言っておくが、決してやましい気持ち
などない。これは君を元の体に戻してやりたいという一身でやっているがゆえなの
じゃ。そういうわけで、さ、脱いでくれ」
 ストレルバウは真顔で言う。しかしその口元が笑っていた。
「いくら博士の頼みでも、それだけは嫌です! この呪いは僕が研究しますから、
博士は手伝ってくれなくていいです!」
「何を言うのだね誠君! 君にはイフリータを迎えにいくという、大事な研究があ
るじゃないか! だからわしも手伝ってやると言っておろうが!」
「結構です!」
「いーや、だめじゃ! さっさと脱ぎたまえ、誠君!」
「嫌です!」
「誠。ストレルバウはそなたのためを思って言っておるのだぞ。ここはストレルバ
ウの好意に素直に応じるのが筋というものではないか?」
「そうですよ。誠お姉様。早く脱いで下さい」
「嫌です! だめです! 拒否します!」
 誠は断固として拒否し続ける。
「何を言うか! こうなれば、無理矢理にでも脱がせてくれようぞ! ファトラ姫
とアレーレも手伝って下され!」
「あい分かった!」
 ファトラは勢いをつけて椅子から立ち上がる。
「お任せ下さい!」
 アレーレもそれに続いた。
「ひえええぇぇっ! やめてくださあい!」
 誠(女)は暴徒と化したストレルバウたちによって取り押さえられる。
「誠君。素直に従わなかった君が悪いのだよ」
「誠。わらわたちはそなたのためを思ってやっているのじゃぞ」
「うむ。その通りだとも。この涙を見たまえ!」
「そりゃ涙じゃなくて、よだれでしょうが!」
 清純な乙女の純潔は今まさに暴徒の手によって引き裂かれようとしていた。と、
「むっ。きっ、消えた! どこへ!?」
 ストレルバウたちの目の前から突然誠の姿が消えた。
「上じゃ!」
 ファトラが天井を指差して声をあげる。
「ええっ!?」
 そこにはアフラにつかまえられて、宙に浮いている誠の姿があった。彼らはちょ
うど今、天窓から外へ出て行く所だ。
「おおっ! どこへ行くのだ誠君! 戻ってきたまえ!」
 が、ストレルバウの叫びは無視して、誠たちの姿は見えなくなる。
「むうう…。おしいのう…。アフラ殿をそのままにしておいたのが失敗じゃった」
 ストレルバウは本当に悔しそうに歯ぎしりする。
「とりあえず、この計画は失敗じゃな」
 ファトラはそう残念でもないといった様子で言った。
「ですねえ…」

 その頃、誠はアフラによって中庭に降ろされていた。
「いやあ、助かりましたよアフラさん」
 誠はアフラに礼を言う。
「いいんですよって。博士たちの魂胆は見え見えでしたからな。ま、博士には後で
よく頭を冷やしてもらいまひょ。ほんに博士の趣味にも困ったもんでおますな」
 アフラは優しげな表情で言う。
「そうですね」
 誠は苦笑した。
「まあ、ほとぼりが冷めるまでしばらくここにいまひょ」
「はい」
 そういうわけで、誠とアフラはしばらくの間、中庭で一緒にいた。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 その頃。シェーラ(猫)は泣きながら中庭に来ていた。
「うう…。こんな…こんな姿になっちまうなんて、あたいは一体どうすれば…」
 赤毛で長毛の猫は庭石の上に座って、鳴き声とも、泣き声ともつかないものをあ
げていた。こんな所でこんな姿でこんなことをやっていたら、宮女か衛兵に追っ払
われそうではあったが。と、
 何やら変な鳴き声が聞こえてきた。何か動物の鳴き声のようだが、耳障りなやか
ましい音だ。自分の声かとも思ったが、違う。
「なんだ…?」
 本能的に危険のようなものを察知し、シェーラは泣くのをやめ、音のした方を見
やる。
 しばらくすると、見覚えのある生物が姿を現した。
「ん、ウーラじゃないか。変な声あげやがって」
 シェーラはウーラに向かって毒つく。なまじ自分が猫になっている怒りから、ウ
ーラを見るとますます怒りが湧いてきた。
 ウーラはシェーラ(猫)をじっと見つめている。
 しばらくしたが、ウーラはまだシェーラを見つめていた。そしてまた一つ鳴いた。
例の耳障りなやかましい鳴き声だ。
「てめえ、あたいに喧嘩売ってんのか? 何とか言いやがれよおい!」
 シェーラがウーラに罵声を浴びせる。が、ウーラはまた鳴いただけだ。
「てめえ……。----ん、ひょっとしてまさか…」
 ウーラのおかしな様子に、シェーラはようやく事情が飲み込めてきた。それはお
ぞましい、あまりにもおぞましい内容だった。さすがのシェーラも肝を冷やす。額
を冷や汗が一つ流れた。
 ウーラは猫。そして自分も今は猫。そして今の季節は…。
 シェーラはやや青くなりながらウーラに訊く。
「てめえ……まさか…まさか……ひょっとして……発情期……」
「お前も、俺と、同じ、猫。そのくらい、当たり前」
 ウーラはシェーラの乗っている庭石に飛び乗ってきた。
「いやあああぁぁっっ!!」
 シェーラは絶叫をあげて庭石から飛び降りる。
「て、てめえっ! あたいをどうするつもりでい!? 変なことしたらただじゃお
かねえぞ!」
「変なことって、なんだ?」
「そ、そりゃああれだよ」
「あれって?」
「あ、あれって言えば、あれだよ。その…子供を作ることだよ!」
 猫相手に自分は何をしているのだろうと思いながらも、シェーラはややどもりな
がら返答する。
「作らないのか?」
「作らねえよ! あたいは人間だぞ!」
「違う。お前、猫」
「だーかーら、あたいはシェーラ・シェーラだよ! 今は猫になってるけど、本当
は人間なんだ!」
「違う。シェーラ、人間。お前、猫。子供、作ろう」
「えーい、違うんだよ! あたいは人間だあ! 猫の子供なんて産んでたまるかよ
お!」
 シェーラは力の限りわめく。しかし相手は人間の言葉が理解できるとはいえ、所
詮は猫。人間ほど物分かりはよくない。
 再び耳障りな声で鳴いたウーラは庭石から飛び降りると、シェーラに擦り寄ろう
とする。が、シェーラはすんでの所でこれをかわした。
「餌でも、持って、こようか?」
「ネコのエサなんていらねーよ! あっちへ行け! しっしっ!」
 シェーラは前足でウーラを追っ払う動作をする。これが人間の姿をしている時で
あれば、思いっきり蹴っ飛ばしてやる所だ。
「……ウブなやつ」
「かあぁーーーっ!」
 シェーラはブチ切れる寸前になったが、ブチ切れようにも猫の姿ではそれができ
ない。彼女はもうウーラはほっておいて、逃げ出した。
 しかし、ウーラはシェーラを追って走りだす。
「ついてくるな!」
 シェーラが絶叫する。しかしウーラは答えない。
 こうして猫と猫の追っかけっこが始まったのだった。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 ミーズは藤沢がパンダになったショックで寝込んでいた。
「大丈夫ですか、ミーズさん?」
 藤沢が心配げに訊く。
「え、ええ。大丈夫ですわ。このくらい…」
 それに対して、ミーズは笑顔で答えた。
「まあ、そう気を落とさんで下さい。じきに誠が元に戻る方法を見つけるでしょう
から」
「はい。そうですわね、藤沢様」
「ええ。そうですよ」
 藤沢はにっこりと微笑んでみせる。
 それを見て、ミーズはベッドから上半身を起こした。深刻な表情をしている。
「藤沢様…」
「何ですか?」
「藤沢様、もし藤沢様がこのまま永遠にパンダであっても、ミーズは藤沢様を愛し
続けますわ!」
「ふ、不吉なことを言わんで下さいよ…」
 藤沢は冷や汗を垂らしながら言う。
「いいえ。例えいかなることがあろうとも、ミーズは藤沢様を愛し続けます。例え
藤沢様がパンダであっても、私は藤沢様のために毎日新鮮な笹を採ってきてさし上
げますわ」
 ミーズは目を閉じ、胸の前で手を組み合わせ、祈りのポーズをとりながら宣言す
る。
「いや、だからそんなことにはならないと…」
「ええ。それはもちろんですわ。私の藤沢様への愛は一生涯変わることはありませ
ん。ですからご安心ください、藤沢様」
 ミーズは目をうるうるさせながら言う。どうやら完全に自分の世界に浸りきって
いるらしい。
「はあ…」
 さすがにここまで言い切られてしまうと、何とも揶揄することのできない藤沢で
あった。
(ふ…藤沢様…。ここで抱いて頂けると嬉しいんですが……)
 心の中ではそんなことを考えているミーズであった。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 シェーラ(猫)はさっきからずっと走っていた。後ろにはずっとウーラがつけて
きている。
「くそう…。なんてしつこい奴なんだ…」
 今の状態でウーラと戦っても、勝つことは難しいだろう。自分はこの体に慣れて
いない。今だって、ウーラに追い付かれない速度で走っているのが嘘のようだ。そ
れともウーラは走るだけ走らせて、疲れさせようとしているのかもしれない。
 どちらにせよ、今のシェーラは肉食獣に追いかけられている小動物のような心境
だった。
(早く…。早く湯を被るか、誰かの所にいかないと…)
 湯を被るといっても、湯なんてある所にしかないので、事情が飲み込めている人
間の所に転がり込むのが一番いいだろうが、今どこにいるのか分からなかった。
 と、目の前にアレーレが現れた。アレーレなら事情を知っている。
「おう、アレーレ! 助けてくれ!」
 シェーラはアレーレの足元で止まった。
「ああ、シェーラお姉様。どうされたんですか?」
「ウーラに追われてるんだ。かくまってくれよ!」
「ああはい。何が何だかよく分かりませんけど、分かりました」
 アレーレはシェーラ(猫)を抱き上げると、そそくさと退散する。

 アレーレはシェーラを自分の部屋に連れてきた。
「どうぞ。汚い所ですが」
 アレーレはシェーラを床に下ろしてやる。
「おう、すまねえな。ありがとよ。ついでといっちゃあ何なんだが、湯をかけてく
んないかな?」
「お湯ですか。ええと、じゃあ今沸かしますね」
 アレーレはやかんに水差しから水を入れると、小型の携帯用コンロで湯を沸かす。
「しばらく待っていて下さいね」
「おう。ありがとうよ。礼を言うぜ」
 シェーラは安心しきって、のんびりとしている。
「そんな、お礼だなんて。お礼はシェーラお姉様との熱い一晩で結構ですわ」
 シェーラは猫になっており、抱きつくことができないので、アレーレはシェーラ
の体に頬をすりつける。
「な、やめろよ! 礼は言うけど、そんなのはだめだ!」
「んもう。いけずう」
 アレーレは口をとがらせる。
「じゃあ、キスするくらいはいいですか?」
「キスぅ!? だめだめ!」
「じゃあ、一回だけ抱かせて下さい」
「抱くって、どの程度?」
「まあ、おおむねあちこち触る程度です」
「……だめだ」
「んーと、じゃあですねえ…」
 こうしてアレーレとシェーラの間での値切りあいはしばらく続き、結局シェーラ
がアレーレに食事をおごるという所で落ち着いた。
「じゃあ、お湯が沸きましたから、かけてあげますね」
「おう、すまねえな。だけど礼はメシをおごるだけだからな」
「はい」
 アレーレは煮えたぎる熱湯をシェーラ(猫)にかけてやった。
「うあっぢいいいぃぃーーーーーーっっ!!!!」
 人間に戻ったはいいものの、湯のあまりの熱さにシェーラは床を転げまわりなが
ら断末魔の叫びをあげる。
「ああー、ちょっと熱かったみたいですね」
 アレーレは冷や汗を垂らしながらそれを見守る。長い間値切り合戦をやっていた
せいで湯はかなり熱くなっていたらしい。
「ひいいいぃぃ!! み、水ぅーーーっ!!」
 シェーラはアレーレの部屋から飛び出していった。
「あー、ここにも水あったのに…」
 アレーレの手には水差しが握られていた。

「水ーーーっ!」
 シェーラは王宮中庭の池にダイビングした。大きな音があがり、水しぶきがたつ。
 しばらくすると、水浸しになった赤毛の猫が池からあがってくる。言わずもがな、
シェーラである。
「ふぅー、助かったあ…」
 とは言ったものの、湯をかけられた背中のあたりの皮膚がひりひりする。間違い
なくやけどしていた。
「チクショウめ、アレーレの奴…。体に傷でもついたらどうしてくれるんだ」
 これでまた猫に戻ってしまった。ということはウーラに追われるということだ。
 シェーラはあたりを見回すと、ウーラがいないことを確認した。早く元の姿に戻
らないといけない。とりあえずもう一度アレーレの所に行ってみようかと思った。
 と、シェーラは体を硬直させた。
 例の耳障りな鳴き声がまた聞こえてきたのだ。
「う、うわああぁぁっ!!」
 シェーラはまた走り出した。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 誠(女)はアフラと別れて、通路を歩いていた。水を研究したいのは山々だが、
今の状態では自分の貞操を守る方が先である。神の目の研究もしたいし、途方に暮
れている誠であった。
「はぁー、困ったなあ…。とりあえずストレルバウ博士がまともになってくれんこ
とには研究できへんもんなあ…」
 さっきの一件でも、ファトラたちの主導権を握っているのはストレルバウのよう
であった。彼がまともに研究する気を起こしてくれないことには、研究なんてでき
たものではないが、おそらくは彼は誠が元に戻ることを妨害するであろう。
「はぁーー、困ったなあ…。何で女になる泉になんか落ちたんやろ…。もっと別の
泉ならよかったのに……」
 誠はとぼとぼと廊下を歩いていった。つくづく救われない男であった。
「こうしている間にも、ストレルバウ博士やファトラ姫に狙われているんだろうな
あ…。お湯を被っても、水を被ればまた女になってまうし…」
 彼としては、ファトラに狙われるより、ストレルバウに狙われる方が嫌だった。
いくら誠でも、中年のジジイに狙われるより、若い女性に狙われた方が狙われがい
があるというものだ。しかしどう考えても、誠を狙ってくるのはストレルバウの方
だ。ファトラは誠以外にも狙う相手がいるが、ストレルバウの場合は誠しかいない。
いくらストレルバウでも、研究の名目でシェーラを脱がすことはしないだろう。そ
れはいくらなんでも後が怖い。
 と、
「誠様」
「ああ、ルーン王女様じゃありませんか」
「どうなさったのですか、誠様? ずいぶんと元気がないようですが」
「ああ、別に大丈夫ですよ」
 誠は空元気を飛ばしてみせた。
「ストレルバウ博士と一緒に水の解析をなさっていたのではなかったのですか?」
「いえ、ちょっと事情ができまして…」
「そうですか。ところで、女の方の体になっていますね。服が余っていますよ」
 確かに誠の服はだぶだぶになっている。ベルトはきつくしておかないとズボンが
脱げてしまうのだが、あまりきつくすると男に戻った時今度は腹がきつくなるので、
このへんの調整が難しかった。手などは服の裾がやや覆っている。少なくとも動き
やすい格好ではなかった。
「はあ、そうですけど、お湯を被れば元に戻りますから…」
 誠は決まり悪そうに言う。
「そうですか。でも水はすぐ調達できますけど、お湯を調達するのは大変ではあり
ませんか?」
「そうですね。水だと雨とかで偶然かかることもありますし、手を洗っただけでも
なっちゃいますけど、お湯だと被ろうと思わないと被れませんからね」
「では、女性になっている間困らないように、服をさしあげましょうか?」
「はあ…」
 誠は困った顔をした。確かに水を被る方が簡単なので、女になっている方が便利
なのだ。しかし気分がよくない。だが男になっていた所で簡単に女になってしまう。
結局、どちらになっていても同じなのだ。それなら便利な方がよい。菜々美に変態
と言われようが、もはや知ったこっちゃなかった。機能性の方が重要だ。
「どうなされますか?」
「じゃあ、頂きます」
「では、こちらへ来て下さい」
「はい」
 というわけで、誠(女)はルーンに連れられていった。

 そして----。
「誠様、似合いますよ」
 ルーンはにっこりと微笑みながら言った。誠に被せたカツラの髪型を整えながら。
「はあ……」
 誠は半ば凍り付いた笑顔で答えた。彼の目の前には鏡が置いてある。
 鏡の中にはお伽話に出てくるようなメルヘンチックな格好をした華奢な乙女がい
た。良家のお嬢様といった風貌のその少女の表情は心持ち青ざめている。その世に
も乙女チックな少女はそのまま人形として飾っておけるような代物だった。
 ストレルバウにさせられた格好は世にも妖しげなものだったが、今度はメルヘン
の世界である。
「この格好は一体…」
「とてもよく似合っていますよ」
「いえ、ですから何でこんな服なんですか?」
「だって、誠様、ファトラにそっくりなんですもの…」
 ルーンは顔をやや赤らませながら答える。
「だから何なんですか?」
「私、ファトラにこんな格好をさせてみたいなと前々から思っていましたの。です
けど、ファトラったら嫌がって着てみせてくれないんですのよ」
(そりゃ嫌がるわな)
 ファトラがこの格好を嫌がるのはもっともだと誠は思ったが、声には出さなかっ
た。
「で、仕方ないから僕に着せたんですか」
「はい…。いけませんでしたか…? 誠様が女装された時は男の方にこんなものを
着せるのはどうかと思ったんですが、今は女の方になっていますし、いいかと思っ
たんですが…」
 ルーンは困ったような顔をしながら言う。誠としても、ルーンに面と向かって物
事を断るというのはなかなか気がひけるものがあった。
「あのー、僕研究しなくちゃいけませんし、できればもうちょっと地味なやつがい
いんですけど…」
「地味なのですか。分かりました。ちょっとお待ちください」
 しばしの間。
「さあ、これなんかいかがですか?」
 ルーンはにっこりと微笑みながら誠を鏡の方へ向ける。
「はあ……」
 誠は深々と嘆息した。鏡の中にいる少女も同じように嘆息する。
 少女の格好はさっきよりも幾分地味になっていたが、それでも乙女チックでメル
ヘンチックだった。
 こんな格好で外を歩いたら、まあ、おそらくは彼女が誠だと気づく者はいないだ
ろう。だが、あまりにも目立ちすぎる。人さらいにさらってくれと言っているよう
なものだ。それにもし菜々美やシェーラに見つかりでもしたら、今度こそ正真正銘
変態の烙印を押されてしまう。
「そのー、もっと別なやつを…」
「別のですね。分かりました」

「これなんかどうです? 似合いますよ」
「他のお願いします」

「美人に見えますよ」
「違うのないんですか?」

「これはいかが?」
「他のありません?」

「素敵ですよ」
「違うのお願いします」

「かわいらしいですよ」
「他のないんですか?」

「これは?」
「違うのありません?」

 かれこれ10着は着たのではないかというころ、誠はいいかげん疲れが回ってき
ていた。しかしルーンの方は嫌なそぶり一つ見せず、にこにこと微笑んでいる。
 これまでの状況から推測するに、どう考えてもルーンは誠を使って着せかえを楽
しんでいるとしか思えなかったが、ここまで来た以上、服を借りること自体を断る
ということもなかなかできなかった。
「これはなかなかいいんではないかと思うんですが?」
「あのー、飾りのない、もっと普段着らしいのないんですか?」
「はあ、普段着らしいのですか…。ちょっとありませんね…」
「はぁ……」
 おそらくはこれらの服は全てルーンのコレクションで、だから普段着らしいのが
ないのだろう。誠はそう思った。
 と、
 突然入り口のドアが叩かれた。
「はい。どなたですか?」
 ルーンが応対する。
「ファトラと菜々美です」
「ああ、お入りなさい」
 ルーンはあっさりと入室を許可した。女官の一人が扉を開く。
「げっ!」
 誠(女)は仰天した。今の自分の姿をファトラや菜々美に見られたら、何を言わ
れるか分かったもんじゃない。
「そのー、シェーラの姿が見えないんで、知らないかと思ったんですけど…」
 誠は身を隠す場所はないかとあたりを見回すが、身を隠せそうな場所はどこにも
ない。そうこうしている内にも菜々美とファトラは部屋の中に入ってきた。
 そして誠を見た瞬間、二人の表情が硬直する。
「げっ! いやだ! まこっちゃん、何やってんの!?」
「誠、何じゃその格好は…?」
 菜々美は驚愕し、ファトラはえらく冷静に指摘する。
 誠はダッシュのポーズをとったまま、硬直していた。
「い、いやな、その…。ルーン王女様が服貸してくれるっていうもんだから、借り
てたんや」
「借りてたって、そんな服借りなくたっていいでしょうが!」
「い、いや、それがな…」
 誠はおろおろしながら弁明する。
「ああー! もう! まこっちゃん、もう身も心も正真正銘ど変態に成り下がっち
ゃったわけね! 私、悲しい!」
 菜々美は激昂して、まくしたてる。ルーンは何がなんだか分からないという様子
で、二人のやりとりをじっと見つめていた。
 一方、ファトラはルーンと誠を見比べている。そして分かったという顔をした。
 ファトラは誠の肩に手をおくと、同情のポーズをとる。
「誠、姉上に着せかえ人形にされておったな?」
「あ、そ、そう。そうなんですよ」
 もはやこの場を納めることができそうなのはファトラくらいしかいない。誠はフ
ァトラに懇願するような視線を向けた。
「うむ。よく分かった。わらわも嫌というほどさせられたからな」
 どうやらファトラは本当に誠に同情しているらしい。
 ファトラは菜々美の方に向き直った。
「事情は後で説明してやるから、誠を責めるのはやめてやれ。行くぞ。では、姉上。
失礼いたしました」
「ああ、はい」
「ちょ、ちょっと! 事情って何よ!? ああっ、ちょっと、もう!」
 菜々美はファトラに引きずられるようにして、部屋から出ていった。
「はあー、助かった…」
 誠は安堵の吐息を漏らす。ファトラが事情を分かってくれたのは幸いだった。ど
うやらファトラも以前に相当やられたらしい。普段はファトラにやられてばかりい
る誠であったが、今回は少しファトラに同情した。
「一体ファトラたちは何しに来たんでしょうね」
「さあ…。----あ、そのー、すみませんけど、僕菜々美ちゃんに頼んで服用意して
もらうさかい、もう結構ですわ。すみません」
 誠は恐縮しながら言った。
「はあ。ですが服はまだたくさんありますよ」
「いえ。いいです。すみません」
 誠(女)は手早く服を脱ぐと、自分の普段着に着替えた。ルーンの目の前で着替
えたわけだが、彼女の視線はいやらしくないので、別に平気である。
「じゃあ、すみません!」
「はあ、じゃあお気をつけて」
 誠はそそくさと退散した。後にはルーンと数人の女官だけが残る。
「はぁ……。残念ね。着て見せて欲しい服はまだあったのに…」
 ルーンは誰にともなくつぶやいた。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 中庭----といってもロシュタリア王宮の中庭は高々度にあるのだが----のとある
一角。そこでファトラは菜々美に誠の事情を説明してやっていた。
「----というわけじゃ」
「ふうん。ルーン王女様の趣味ねえ…。まあ、王女様らしいと言えば、王女様らし
いけど…」
「まあ、わらわも昔は----と言うか今でもたまに散々つきあわされるからな。誠も
その口じゃろう」
 嫌な記憶を思い出し、苦い表情をしながらファトラは言う。
「ふーん」
 菜々美は感心したような顔つきをした。さっき誠が着ていたような服をファトラ
が着せられている図というのは、想像するになかなか笑えるものがある。
 ひょっとしてファトラがこんな性格になったのはそのせいなのではないかと思い
ながら、菜々美は空を見上げた。エルハザードの空は地球のそれとあまり変わりな
い。しかし空気がずっときれいなので、星はとてもよく見えた。
「ああ、菜々美ちゃん。ここにおったんか」
 不意に声がかかる。
「ああ、まこっちゃん。さっきのことはファトラ姫から聞いたわ。大変ね、まこっ
ちゃんも」
「いや、分かってくれりゃいいんだよ」
 誠(女)ははにかみながら言う。
「さ、まこっちゃんも座って。お茶いれてあげるわ」
「あ、うん」
 そういうわけで、誠はファトラと菜々美と一緒に茶を飲みながら、他愛もない会
話を楽しんだ。
 そしてしばらくたったころ。
「のう、誠」
 ファトラがおもむろに切り出す。
「何ですか、ファトラ姫?」
「さっきから訊こうと思っておったんじゃが、そなたは女になっている時は本当に
女なのか?」
「僕もよく分かりませんけど、そうみたいですよ」
「ふうん。ではやはり生理もくるのか?」
「ぶっ!」
 誠は飲みかけていた茶をカップの中に吹き出した。
「あー、大丈夫、まこっちゃん?」
 菜々美はハンカチで誠(女)の顔を拭ってやる。
「わぁー。まこっちゃんの肌って、女の子みたい。(ハアト)」
 誠の頬に触れた菜々美がミーハーな声をあげる。女なのだから、当然である。
「あ、あのなあ…。いきなり何てこと訊くんですか」
 誠は半眼になって訊き返す。どうやら菜々美も同じような疑問を持っていたらし
く、誠の解答を待っているようだ。
「あー、そのへんのことはまだ分かりませんね」
 誠は額に手を当てながら答える。なんだかめまいがしてきた。しかし、言われて
みると、これは凄く重要な問題である。
「ほう。そうか。では妊娠するのかのう?」
「それも分かりません…」
「まこっちゃん、顔色が悪いわよ」
「いや。大丈夫や」
「ふーん。では体の手当の仕方とかで、何か分からないことがあったら訊くがよい。
教えてやろう」
「はあ、ありがとうございます」
 本来なら、何か反論する所だが、反論の糸口を掴めない誠であった。
 テーブルの向こうでは、ファトラと菜々美が何やらひそひそ話している。話の内
容は断片的にしか聞こえてこないが、どうやら雌雄同体がうんぬんとか言っている
らしい。
(僕は雌雄同体じゃないんやけどなあ……)
 背中にこそばゆいものを覚えた誠は、ここから離れたくなってきた。

 シェーラ(猫)は走っていた。力の限り走っていた。やけどの手当をしなければ
ならなかったが、そんなことをしている余裕はない。
「うわああぁぁーーーっ! 助けてくれえーー!」
 シェーラはほとんど半泣きの状態で走っていた。
「嫌だ! 嫌だ! 絶対に嫌だ! 誰が猫の子供なんて産むかよ!」
 このままでは貞操が危ない。猫の子供を孕むなんて、絶対に嫌だ。それならファ
トラやアレーレあたりに襲われた方がまだマシだ。
「誰か! 誰かいねえのか!?」
 と、展望台で茶を飲んでいる誠たちの姿が目に入った。
 シェーラは迷うことなく、そこへ突進する。そして----
 ガシャーーン!!
「うあっちちち!! あ、シェーラさんじゃないですか」
「ちょっとシェーラ! 何てことすんのよ!?」
 茶を浴びて、シェーラと誠は元の姿に戻っている。シェーラが飛び込んできたせ
いで、茶器のいくつかは割れていた。
「ま、誠ぉー…」
 シェーラは何やら感極まったような顔をしている。目には涙が浮んでいた。
「どうしたんですか、シェーラさん? なんかちょっと変ですよ」
「誠ぉ…。うわああぁーーんっ!」
 泣きながらシェーラはいきなり誠に抱きついた。
「ちょっとシェーラ! まこっちゃんに何すんのよ!? 離れなさい!」
「いきなり人前で見せてくれるものじゃな」
「シェ、シェーラさん!? どうしたんですか?」
 シェーラは誠の体にすがりつき、彼の胸に顔をうずめて、ギャラリーの目を全く
気にすることなく泣いている。
 誠はこの状態を一体どうすればよいのか分からず、ファトラや菜々美の顔を順番
に見回すが、どちらも手を貸してくれそうにはなかった。菜々美は苦々しげに歯ぎ
しりしている。無理にシェーラを引っぺがせば、誠の印象が悪くなると思っている
のだろう。
 その時、誠の目にウーラの姿が止まった。ウーラは目を白黒させている。
「ああ、ウーラ。何があったか知れへんか?」
「…………」
「あっ、ウーラ!」
 ウーラは誠の質問に答えることなく、どこかへ去っていった。
「どうなっとるんや……。----シェーラさん、一体何があったんですか?」
 誠はやむなくシェーラに尋ねる。実の所を言うと、涙で服が濡れるので、離れて
欲しかった。
「……ひっく……ひっく……」
 シェーラは嗚咽を漏らして泣きじゃくるだけで、何も答えない。
「そういえば、ウーラは発情期じゃったな…」
 突然、ファトラが思い出したように言う。誠と菜々美の顔が引きつった。
「シェーラのやつ、避妊薬は飲んでいたのじゃろうか…」
 さすがのファトラも額に冷や汗が浮かんでいる。
「シェ、シェーラさん。一体何があったんです?」
「…うっく……うっく……」
 シェーラは答えない。誠はますます不安になった。
「わらわはちょっと席を外すぞ」
「あ。わ、私も……」
「ああっ!? ちょ、ちょっと!」
 誠の制止も聞かず、ファトラと菜々美はそそくさと去っていった。誠の腕の中で
はシェーラがいまだに嗚咽を漏らしている。
 誠は仕方なくシェーラの髪を撫でてやると、彼女が落ち着くまでそのままの体勢
で彼女を抱いていたのだった。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 そして2〜3日が経過した。
 この間、誠の身に起きたことはというと、そうたいしたことはなかった。まあ、
せいぜいストレルバウに妖しげな実験につきあわされたり、ファトラやアレーレに
襲われそうになったり(これは菜々美やシェーラが誠の番をすることで回避された)、
あるいはルーンの着せかえにつきあわされたりといった程度だ。
 シェーラの方はというと、ウーラに追い回されることはなくなったものの、妊娠
していないということを知ったファトラにからかわれたり、誠にずっと抱いてもら
っていたということで、彼と顔が合わせづらくなったり、菜々美との仲がぎこちな
くなったりということがあった。
 そしてまあ、菜々美とファトラがひそひそ話で話していたようなことが起きたり
もした。

 それはある日の午後。誠(女)は菜々美に借りた女物の服を着て、水の解析をし
ていた。ストレルバウの邪魔が入るため、あちこち場所を替えながらの作業である。
「----ちょっとトイレ」
 誠は本を机に置くと、部屋の外に出る。トイレに行くためもあるが、菜々美にお
湯をもらうためである。
 日常生活は女の体であってもよかったが、トイレに行く時だけは男の体で行くこ
とにしていた。そしてタチションすることにより、自分が男であることを確認する
のだ。
 今、誠にとってトイレに行くということは自分を見つめるための時間であったの
だ。それはまさに野望に満ちた至福の時間であった。
「おーい、菜々美ちゃん。菜々美ちゃん?」
 が、今回は菜々美の姿が見つからない。彼女は自分の切り盛りしている店に出か
けていることがほとんどであったが、誠が変態体質になってからは店を休んでいた。
「あー、困ったなあ…。菜々美ちゃんがおらんとお湯が手に入らへんで」
 誠は困った顔をして言う。本来であるならば、侍女にでも頼めば何とかしてくれ
る所だが、誠はこの手のことはいつも菜々美に頼っていたので、そういう頭は持ち
合わせていなかった。
「仕方ない。女の体でするかあ…」
 仕方なく、誠は女の体のままトイレに向かった。悲劇はそこから始まったのだっ
た。
 トイレの描写は危険につき省くとして、女の体に慣れていない誠がなんとかトイ
レを終え、部屋に戻ろうと廊下を歩いている時。
「あ、菜々美ちゃんやないか。どこ行ってたの?」
「ん、ちょっと掃除の手伝いをね。どうかしたの?」
「いやあ、お湯をもらおうと思ったんやけど、菜々美ちゃんおれせんもんやからな」
「ああ。そうなんだ。ごめんね----って、まこちゃん、その体でトイレに行ったの?」
 なぜか菜々美の顔が引きつりまくり、青くなっている。彼女の視線はある一点を
見つめていた。
「ん、そうやけど…?」
 誠も菜々美が見ている場所を見る。それは誠の股間のあたりだった。濡れていた。
「いやだまこっちゃん!! トイレで拭かなかったわね!?」
 菜々美が絶叫じみた声をあげる。
「えええっ!?」
 誠が驚愕の声をあげる。
「まこちゃん、あのね。ええーと……その、だから…」
 言ってるそばから菜々美は赤くなる。
「拭くって…?」
「ああーと……。ファ、ファトラ姫に訊くといいわ。とにかくまこっちゃん、服着
替えなさい」
「あ、う、うん」
 そういうわけで、誠は菜々美に服を着替えさせられた。

 そしてその後。
 誠(男)はファトラに会いに来た。
 ファトラは椅子に座ってくつろいでおり、アレーレはファトラの指に舌を這わせ
ている。
「あ、ファトラ姫。ちょっと訊きたいことがあるんやけど…」
「なんじゃ? わらわに構って欲しくば、女の体でおるがよい」
「……いいです…」
 誠はとぼとぼとそこを去ろうとする。
「あ、よかったら私が聞いてあげますよ」
「ええんやよ」
 菜々美に言われたことをファトラに訊くことは結局できなかった。


   第3章へ



説明へ戻ります