![]()
第1章 ファトラの憂鬱
「あれっ? 誠さん、何してるんですか?」 「ああ、ちょっと改造してみようと思ってな」 誠は飛行艇の化粧板を外して内部を何やらいじっている。それを偶然通りがかっ たアレーレが見つけたのだった。 「一体どんな改造をしてるんですか?」 「いやな。事故を起こしても乗っている人が怪我をせんように工夫してるんや」 「へー。じゃあ、安全になるんですね」 「まあ、そういうことやな…」 誠はアレーレの方は見ずに返答した。アレーレは興味深そうに誠の手元を覗き込 む。その時アレーレは器材の一つに手をかけた。 「あっ、それに触らんといて!」 「す、すみません」 アレーレはとっさに手を放す。誠はそれを見届けると、再び作業を開始した。そ の後もアレーレは誠にいろいろ話しかけたが、当の誠はうわの空だ。 「もう。誠さんたら、こういうことしてる時は他に頭が回らないんですね」 「ん、ごめん」 誠は依然としてアレーレの方に気をさいていない。 「じゃあ、私はこれで失礼しますね」 「うん」 アレーレは少し不満気な顔をすると、誠を無視して去っていった。 結局誠はその日の夜まで作業をしていたのだった。 夜、図書室。 誠は資料を探しにこの部屋を訪れた。 「えーと、構造資料はないもんかいな…」 誠は1階の本棚を順番に探している。 「これも…違う…。これも……違うなあ…」 誠の入用としている資料はなかなか見つからないようだ。誠は本に向けている視 線を離すと、上の階に目をやった。 「あっちを探してみるか…」 誠は吹き抜けの階段を登って2階側に来た。 「こっちにはあるかな…」 再び資料を探し始める。その時、誠は部屋に自分以外に人がいることを悟った。 「ん、誰じゃ?」 「ああ、ファトラ姫じゃないですか」 「こんなところで何をしておる?」 「資料を探してるんです。ファトラ姫こそ何してるんです?」 ファトラはちょうど誠から死角になる場所にいた。本の閲覧用の椅子に座って、 ランプで手元を照らしながら何やら作業をしている。 「これか? わらわの乳母に膝掛けを作ってやろうと思ってな。これがもう年でも うろくしておってな。夜は冷えるのだそうじゃ」 「はあー。そうなんですか?」 確かに机の上には裁縫道具が置かれているし、ファトラの手には針と布が握られ ている。誠はファトラの言動に違和感を憶えた。 「今笑ったな。わらわが裁縫をするのがそんなに珍しいか?」 ファトラは目許を少しつりあげて誠を見た。 「え、いえ。そんなことはないですよ」 誠はファトラの鋭さにどきりとした。当のファトラはいっこうに気にしない様子 で作業を続けている。誠はしばらく無言でその様子を見ていた。ファトラの手は正 確に布を縫っていく。 突然ファトラは立ち上がった。 「さあ、できたぞ。どうだ、誠。見事な物じゃろう?」 ファトラは出来上がったばかりの膝掛けを誠に見せた。繊細な刺しゅうが施され ている。気の細かい人間の手による物だ。誠は本当にこれがファトラの作った物な のか不思議に思った。 「へえ。凄いですね」 「ふふん。見直したか?」 「はい」 ファトラは膝掛けを眺め回している。普段とは違ういとおしげな表情だ。 (この人にもこういう所があるんやな。人は見かけによらんとはこのことや) 「ではわらわはこれでさらばじゃ」 ファトラは裁縫道具を片付け始めた。 「ああ、お休みなさい」 「それはまだじゃな。わらわを待っている女どもの所へ行かねば」 ファトラは誠の方を振り返った。普段と同じ自信に満ちた表情だ。 「は、ははっ。そうなんですか。じゃあさようなら」 「うむ。さらばじゃ」 ファトラは部屋から出ていった。誠以外誰もいなくなった部屋で誠はファトラを 見直すかどうか一人悩むのだった。 次の日、誠は朝から王宮内をぶらぶらとしていた。別に何か用がある訳ではない。 単に歩き回っているだけだ。昨日の作業はすでに完了している。多少なりとも暇だ った。 「今の世の中、時間を持て余すということほど贅沢なこともないんやろなぁ…」 そんな訳で、誠は至上の贅沢を楽しみつつ、王宮内を歩いているのだった。 「ん…?」 ふと気がつくと、テラスでルーンとファトラが何かを話しているのが目に入った。 誠は挨拶をしようとそちらの方へ歩いて行く。 「わらわは嫌でございますよ」 「ああ、ファトラ。そう言わずに。これは大切な行事なのですよ」 「そんな面倒臭いこと嫌でございますよ。わらわは行きとうありません」 「でも…」 「ルーン王女様、ファトラ姫、おはようございます」 「ああ、おはようございます。誠様」 「おお、誠ではないか」 「何の話をしているんですか?」 「実は、今度エランディアの新しい王の戴冠式が行われるのです。それで私たちも 出席するよう招かれているんですけど、ファトラが行きたがらないのです」 ルーンは困ったような顔をして誠を見た。 「はあ、そうなんですか…」 「あんなつまらん物、誰も行きたがる訳ありませんよ」 「しかし、あなたも一国の王女なのですし、相手国の戴冠式に出席しない訳には…。 誠様、誠様もファトラに行くように言って下さいませんか?」 「はあ、その…。ファトラ姫、行ってあげてくれませんか?」 誠は困惑しながらも、ファトラに話しかけた。普段ならこの時点でファトラが了 解しないであろうことは目に見えている。しかし誠は昨日のことが頭にあったので、 多少の希望を持っていた。 「嫌じゃ」 ファトラは誠を一瞥すると、そっぽを向いた。誠は希望が崩れていくのを感じる。 「そんなこと言わずに。ルーン王女だって困ってるじゃないですか。それにあんた もちゃんとした王女なんですから、行ってあげて下さいよ」 誠は何とかファ卜ラを説得しようと食い下がる。しかしファトラは憮然として応 じそうにない。 「そなたはあれがどんなにつまらんものか知らんから、そんなことが言えるのじゃ。 そんなに言うなら、そなたが行けばよかろう」 「えっ!? 僕がですか?」 ファトラの突然の提案に誠は仰天した。それについでファトラの顔が明るくなる。 「おお、そうじゃ! そなた、以前のように女装してわらわの代わりに行ってくる がよい!」 「そんな、ムチャクチャですよ!」 「何がムチャクチャなものか。そなたの女装ならばれることはない。自信を持て!」 「そういう問題じゃないでしょう。何で僕が行かないかんのですか!?」 「そうですよ。あなたが行かなくてどうするのです」 ルーンはますます困惑した様子でファトラをたしなめた。 「は、しかし、戴冠式など別にわらわが行こうが誠が行こうがさほど問題ではあり ますまい」 「十分問題です。予定では会合なども組まれているのですよ」 「大丈夫です。誠ならきちんとこなしてくれますよ」 「でも…」 「ちょ、ちょっと。僕やるとは言ってませんよ」 誠は話が勝手に進んで行くのを静止するべく、話に割って入った。 「誠」 「はい」 ファトラは急にまじめな顔になって誠を見る。 「しっかりやってくるのじゃぞ」 「そんなあ! あんまりですよー!」 誠は絶叫した。 (ま、また…。また女装させられるんか…。また菜々美ちゃんに変態て言われてし まうやないか…) その後も誠は何とか難を逃れようと抵抗したが、抵抗むなしくファトラによって 押さえ込まれてしまった。 「決まりじゃ。誠よ、わらわの代理、しっかり務めるのじゃぞ!」 「はぁーい…」 誠はもうどうにでもなれという感じで返事をした。 「なに。ちょっと顔を出しておりさえすればいいのじゃ。心配せんでいい」 「だったら、あんたがやればいいでしょう」 「嫌じゃ」 ファトラのその身も蓋もない拒絶の前に、誠は己れの運命を呪った。 「すみません。誠様。できる限りこちらでバックアップ致しますから…」 「はい。すみません…」 「では頼んだぞ。わらわに恥をかかせんようにな」 「はあ…」 「すみません。誠様。しょうのない妹で…」 「いえ。いいんです…」 こうして誠は再び女装することとなった。 (なんで…。なんで女のマネなんかせなあかんのやろうか…。また菜々美ちゃんに 変態て言われてまうやないか…) 誠はうなだれた。 それからいくらかの日が過ぎ、エランディアへの出発の日となった。誠は宮女た ちに手伝われて女装させられている。毎度のごとく、女物の服を着、カツラを被り、 化粧をさせられている。さらには付け爪なんて物も装着され、胸が上げ底になって おり、以前の女装よりもよりハイグレードな物となっていた。 「これでよろしゅうございます」 「はあ、すみません」 誠は鏡に写る自分の姿を見た。そこにはファトラが元気なさそうに写っている。 誠はため息をした。 「はあー、なんでこないなことせなあかんのやろう…。気乗りせんなあ…」 その時、部屋の入り口が開いた。 「おお、なかなかうまく化けたではないか。見事なものじゃ」 「誠様、本当にすみません。でもとっても似合ってらっしゃいますよ」 ルーンは胸の前で手を組んで誠に話しかける。 「はあ…。ぜんぜん慰めになってないんですけど…」 「誠よ、しっかりやってくるのじゃぞ。帰ってきたら褒美をやろう」 「はあ…。いりません」 「残念なことを言うやつじゃな」 ファトラは全然残念そうではない顔で言った。 「では、そろそろ参りましょう。表に飛行艇を待たせてあります」 「はい…」 「誠、それに姉上、行ってらっしゃいませ」 「ファトラ、あなたはエランディアへ行っていることになっているのですから、人 前に出てはなりませんよ」 ルーンは心配そうにファトラを見た。 「は、分かっております。心配せんで下さい」 「だといいのですが…」 その時、ロンズが部屋に入って来た。 「姫様、そろそろお時間です」 「はい。分かりました。では誠様、参りましょう」 「はい…」 誠とルーンはロンズと一緒に部屋を出ていった。 「行ってらっしゃいませ」 ファトラは手を挙げて軽く振りながら二人を見送った。 ルーンたちは飛行艇の発着場へと向かって歩いていく。誠はどうにも着慣れない 女物の服を気にかけながら、どうすればファトラらしく振る舞えるか考えていた。 「すみません、誠様。またこんなことをして頂くことになってしまって、大変申し 訳なく思っております」 ルーンはすまなさそうに誠を見た。思えばルーンはずっとすまなさそうな顔をし ている。 「いえ、とんでもない。いいんですよ」 誠は精一杯の笑顔を作ってルーンに答えた。 「はあ、すみません。…あ、あれは…」 「えっ。なんですか?」 ルーンは何か見つけたようだ。誠もそっちを向いてみる。 「ああ、ルーン王女様にファトラ姫じゃないですか。どこかに行かれるんですか?」 「な、菜々美ちゃん…」 誠は思わず顔を隠した。しかしそれとは知らない菜々美は二人に近寄っていく。 「ファトラ姫、なんで顔隠してるんですか?」 「菜々美様、実は…」 「ああー、ちょっと!」 「えっ? どうされたのですか?」 誠はすんでの所でルーンを制した。菜々美は一体何が何なのかよく分からず、目 を白黒させている。 「どうしたんですか? ちょっと変ですよ」 「いえ、その…。それは…」 菜々美はファトラの様子が変なのに気がつくと、ファトラに詰め寄った。誠は菜 々美と顔を会わせないようにそっぽを向いている。 「………ひょっとしてあんた誠ちゃんじゃ…」 (ギクッ…) 誠は一瞬体をこわばらせた。 「な、なにを言っておるのじゃ。わらわはファトラじゃぞ!」 誠はファトラの口調をまねて喋った。しかしどうにも声だけは変わらない。 「あーっ! やっぱり誠ちゃんじゃない! また女装なんかしてるの!?」 「ち、違う! 誠ではない!」 「何言ってんの。あんたは誠ちゃんじゃないのよ!」 菜々美は誠の腕を掴んで自分の方を向かせた。実は誠は菜々美や藤沢には戴冠式 に行くことを話していない。女装している所を見られたくないからだ。当初の計画 では内緒で行くつもりだった。 「あー、菜々美ちゃん、これには深い訳が…」 「深い訳ってどういう訳よ!?」 「そ、それはな…」 「菜々美様、訳は私から申し上げますわ」 「えっ、ルーン王女様が?」 ルーンは手早く事のいきさつを話した。 「ふーん。また身代わりにねえ…。でも何でファトラ姫が行かないわけ? 職務怠 慢じゃないの?」 「はい。確かにそうすれば良いのですが、あいにくファトラは一度言いだしたら聞 かないもので…」 ルーンはまたもすまなさそうな顔をした。 「まあそういう訳なんや、菜々美ちゃん。僕しばらく留守になるさかいな」 誠はぎこちなく笑顔を作りながら菜々美に話した。 「ちょっと待ってよ。誠ちゃんが行くなら私も行くわ!」 「えっ!? それはちょっと…」 菜々美の突然の要望に誠は仰天した。一番恐れていたパターンだ。 「構いませんよ。それなら従者としてついてきて下さい」 「えっ、でも…」 「やったあ! じゃあ私さっそく準備してきますね。ああ、それと藤沢先生もいい ですか?」 「ええ。構いませんよ。では準備して飛行艇の発着場へ来て下さい」 「えっ、そんな」 「はい。分っかりましたぁ!」 菜々美は走ってどこかへ去ってしまった。 「い、いいんですか、菜々美ちゃんたちを連れてって?」 「別に問題はありませんわ。さ、行きましょう」 「でも…」 「誠様も構いませんでしょう?」 「はっ、はあ…」 誠の返事を確認すると、ルーンは再び歩き始めた。誠は力なくそれについていく。 (はあ…。やっぱり最後にはこうなってしまうんやな…) 報われない誠であった。 「さ、どうぞお乗り下さい」 「はい。すみません」 誠はしずしずと王族用の飛行艇に乗り込んだ。 「やっほう。おっ待たせえ! 準備できたわよ!」 突然景気のいい声が響いた。菜々美だ。藤沢も連れている。誠はもう二人を見る 元気もなくて、椅子に深く腰掛けると、目を閉じた。 「おう。なんだ。なんで俺までついて行かなきゃならないんだよ」 「先生は保護者代理なんだから、当然じゃない!」 「しかしなあ…。そもそも誠が行くこと自体が…」 「あー、もう。で、ルーン様。私たちはどうすればいいんですか?」 「はい。ロンズにあなたがたの乗り場所を用意させておきました。そこにお乗り下 さい。これ、ロンズ、案内してさしあげて」 「は。では菜々美様に藤沢様、こちらへどうぞ」 「はあ、すみません」 「じゃあ、誠ちゃん。着いたらね」 菜々美と藤沢はロンズに案内されて別の飛行艇へと乗り込んだ。 「では出発しますわよ」 「はあ…。(お先真っ暗だ…)」 「では行ってらっしゃいませ。お気をつけて。王女様の留守の間は、このロンズめ にお任せ下さい」 「頼みましたよ。では出発して下さい」 「はっ」 ルーンの指示によって飛行艇は飛び立った。それに伴って残り全ての飛行艇が宙 へと浮かんで行く。ロンズはそれを地上から見送る。こうしてルーン及びその一行 はエランディアへと出発したのだった。 「はあ…。ファトラはとうとう来ませんでしたね…」 その頃、ファトラはアレーレと一緒に自室のテラスから飛行艇が飛び立って行く 様子を眺めていた。 「行ってしまったようじゃの」 「はあ、でも行かなくて本当にいいんですか?」 「構わん。誠ならうまくやってくれるじゃろう」 「まあ、大丈夫でしょうけどね…」 「うむ。それよりも明日の準備はできておるか?」 ファトラはそれまで飛行艇に向けていた視線をアレーレに移した。 「ああ、はい。手配しておきました」 「そうか…」 ファトラは再び視線を元に戻した。このテラスは高い位置にある。別にここから なら姿を見られることもなかった。涼しい風が頬を撫で、髪をかきあげる。 「のう、アレーレ」 「何ですか、ファトラ様?」 「わらわはなぜ王女なのかのう…」 「それは産まれた時から決まっていたことなのでは?」 「そうじゃ。欲しい物は全て与えられ、何の不自由もなく育ってきた。何のためだ か分かるか?」 「はあ、分かりません」 「自分の力を他人、すなわち民のために使うためじゃ。つまり、自分のための力は 全て他人が与えてくれるのじゃよ」 ファトラは手摺りの下の鉢植えをつま先で小突きながら言った。 「ああ、つまり交換条件ですね」 「……まあそんなようなものじゃ。わらわはな、もっと自分の足で自分のために歩 いてみたい。他人のために歩くなどもう飽きた。普通の人間ならごく当たり前にし ていることがわらわの夢なのじゃ。情けないものじゃろう…」 ファトラの言葉には自嘲が混じっている。アレーレは言葉の意味がよく分からな いようだ。 「ふーん。大変なんですね。でもファトラ様は勝手にお城を抜け出したりしてるじ ゃないですか」 「……まあそれは確かなんじゃが、どうにも満たされん。なぜだかはよく分からん が……」 「それはファトラ様の勝手なのでは?」 「そなたにはちと難しすぎたか?」 「えっ。ひっどーい。私だってそのくらい分かりますよ!」 アレーレはファトラの言葉に対して抗議した。しかしファトラはやや表情を崩し てアレーレを見るだけだ。 「まあよい。そなたもいつか分かる時が来る。ここは冷えるな」 ファトラはそれだけ言うと足早に部屋の中へ戻っていった。 「ああん、待って下さいよぉ!」 アレーレもファトラを追って部屋へ入った。 次の日、ファトラはアレーレに操縦させた飛行艇でお忍びで乳母の家を尋ねた。 乳母は足を悪くしてすでに隠居しているのだった。 「そら、ばあや、誕生日のお祝いじゃ」 ファトラは自作の膝掛けを乳母に贈った。 「ああ、もったいのうございます。それにしても大きくなられて。ばあやは嬉しゅ うございます」 「構うな。そなたには世話になったからの。ところで足じゃが…」 ファトラは乳母の足をさすってやった。 「まだ痛むのか?」 乳母はファトラの問い掛けに優しい笑みを浮かべる。 「大丈夫でございますよ。気になさらないで下さい」 乳母はファトラの頬をやさしく撫でてやった。 「すまぬな…」 ファトラは乳母の膝から手を離した。 「さ、お祝いをしよう。楽しくな」 その日の夕方、ファトラとアレーレは帰途についた。空は燃えるように赤く、風 はひたすら野を駆け巡っていく。ファトラはぼうっと空の様子を見ていた。 「人の命はかくも短いものよのう…」 「はっ、なんですか?」 アレーレはファトラの方を向いた。 「いや、何でもない。それより今日のことは誰にも言うでないぞ」 「分かってますよ。ところでこのまままっすぐ帰ればいいんですか?」 アレーレの問い掛けにファトラは椅子から背を起こした。 「そうじゃな…。どうせこのまま城に帰っても小言を言われるだけじゃからなあ…」 「はあ…。でも誠様がファトラ様の身代わりをやっているから大丈夫じゃないんで すか?」 アレーレのその言葉を聞いてファトラはまた新しいことを思いついた。 「おお、そうじゃ! 今からエランディアに行って誠の様子を見てこよう!」 ファトラのその言葉にアレーレは仰天した。 「ええーっ!! 今からですかあ!?」 「そうじゃ。アレーレ、エランディアまでの道筋は分かるか?」 「そりゃ分かりますけど…」 エランディアは隣国といえど、行こうと思ったらなかなか骨だ。さすがのアレー レも行きたくなさそうな表情をしている。 「決まりじゃ。エランディアへ行くぞ。進路を変更せい」 「う、本気ですか?」 「本気じゃ」 「はあ…」 ファトラの身も蓋も無い返答にアレーレは従がうしかなかった。 次の日の昼ごろ。ファトラとアレーレはちょうどさっきエランディアの国境を越 えた所だ。昨日の夜は適当な宿屋で泊まった。あたりは田舎の風景をしており、ち ょうど作物の取り込みの時期らしく、麦畑は金色に輝やいている。ほのかな太陽が 心地好い。 「この分なら今日の日没くらいにまでは着きますね」 「そうか。姉上たちは昨日のタ方ごろに着いておるのじゃろ」 「はい。ルーン様たちと同じ道を通っていると思います」 「うむ。ところでずっと長いこと操縦していたので疲れたじゃろう? わらわが操 縦を代わろうか?」 ファトラは操縦席の後ろからアレーレに尋ねた。その途端、アレーレはびっくり して後ろを向く。 「けっ、結構です。私が操縦しますから」 「そうか? すまぬな」 ファトラは自分の席に戻った。アレーレはほっと胸を撫で下ろす。ファトラの操 縦はとても荒っぽく、アレーレは絶対にファトラの操縦する飛行艇には乗りたくな かったのだ。 「ファトラ様は到着するまで休んでいて下さいね」 「ではそなたはいつ休むのじゃ?」 「わ、私のことは気にしないで下さい」 「そうか。すまぬな」 「はい。どういたしまして」 アレーレはほっと胸をなでおろした。 それから再び2〜3時間がすぎた。太陽はやや傾き、風の流れも変わってきたこ ろ。 「あっ、あれは…」 「どうした?」 「何かこっちに近づいてきます」 アレーレは前方を指さした。ファトラもそちらを見る。 「飛行艇のようじゃな。それも何隻か複数じゃ」 「何か物凄いスピードで近づいてきますね」 地上を滑るように走る相手側の飛行艇は速度のためか砂煙をたてている。飛行艇 はさらに近づき、ついに形がはっきり認別できるまでになった。相手はこちらに気 づいているのかいないのか、まっすぐ突進してくる。 「ぶっ、ぶつかりそうです!!」 「かわせ!」 「はい!」 アレーレは急激なカーブをかけた。ファトラたちの飛行艇は大きく進路をずれ、 ややスピンしながら道から跳ね出される。 「うわあああぁ!!」 「きゃああぁ!!」 飛行艇は大きく傾き、ファトラとアレーレは座席から投げ出される。そうして飛 行艇はようやく停止した。そしてちょうどその時、相手の飛行艇は猛スピードで道 路を通過していく。三隻だ。ファトラはしたたかに打った腰をさすりながらも、そ の様子を見ていた。 「ううむ…。おのれ。わらわをこのような目に遭わせるとは何という無礼な! ア レーレ、あいつらを追って天誅を下してやるぞ!」 「は、はあい…」 アレーレは目を回しながらもなんとか答えた。 「何をしておる。わらわが操縦するぞ!」 「ええっ!? わ、私がやりますよ!」 「構うな。さ、代われ」 「ああっ。ちょっと!」 ファトラは操縦席からアレーレをどかすと、自分が操縦席に座った。続けてコン ソールを操作すると、船は方向転換して再び進み始める。 「ああんっ。ファ、ファトラ様、本当に大丈夫なんですか?」 「心配するな。どうやらあいつらは先頭の飛行艇を追っているようじゃな。先頭の やつだけは攻撃された跡があった」 「細かい所まで見てますね」 「ふふ。さあ、飛ばすぞ!!」 「ああーっ!! ちょっとーっ!!」 ファトラはさらにスピードをあげた。景色の流れる速さもぐんと速くなる。それ と同時にエンジンから悲鳴のような音が聞こえてきた。 「ああっ。ファトラ様、エンジンが限界です。少しスピードを落として下さい!」 アレーレは必死に座席に掴まりながら叫んだ。 「大丈夫じゃ。もう少しで追い付く!」 「そんなあ!」 ファトラの言葉通り飛行艇は相手方のすぐ後ろまで接近していた。刹那、相手の 飛行艇が何かを落とす。 「ん? なんじゃあ?」 それは地面をバウンドしながらファトラたちの方へ近づいてくる。次の瞬間、そ れは豪音をたてて破裂した。爆風で船先が持ち上がり、爆煙が視界を塞ぐ。 「うおうっ!」 「きゃああぁ!」 もう少しの所で飛行艇が転覆しそうになるが、ファトラはすんでの所でこれを阻 止した。 「おのれ、何という危険な。許せん!!」 「ああん、ファトラ様、あの人たちひょっとしてとてもヤバイ人たちなのでは?」 「そんなことどうでもいいわ! あいつら普通の連中じゃないぞ。このような危険 な連中はわらわが成敗してくれる!」 ファトラは体勢を建て直すと、再び追い始めた。相手の飛行艇からは再び爆弾が 投下される。ファトラは豪快にこれをかわした。同時にアレーレの悲鳴と甲板を転 がる音がする。さらに爆発音がこれに加わった。ファトラたちの飛行艇は爆煙を突 き破り、相手の飛行艇へ肉薄する。 「くっらえい!」 ファトラは飛行艇の船先を相手の船尾にぶつけた。さらに側面を激突させる。フ ァトラたちの飛行艇も大きく傾いたが、制動した。相手の飛行艇はバランスを崩し て道から撥ね出され、そのまま転覆する。豪音と共に砂塵が舞い上がった。 「ふははははははっ!! どうじゃ! ざまあみろ!」 「ああっ、これはすでに犯罪なのでは!?」 「いや、相手が先に攻撃してきたから大丈夫じゃ」 ファトラはアレーレの言葉は無視して残り二隻になった飛行艇をさらに追って行 く。再び爆弾が投下されてくるが、これを何なくかわし、ぴったりと追い付く。 「とわあっ!」 ファトラは再び飛行艇をぶつけた。重量をかけて相手を道から撥ね出させる。相 手の飛行艇はスピンしながら視界から消えた。 「やったぞ! 思い知ったか!」 ファトラは消えた飛行艇に向かって中指を立てた。 「ああっ…。いいんでしょうか…」 「なに。構うか。別にわらわたちがやったという証拠があるわけでもない。それに 相手の方が犯罪者じゃ。裁判になっても十分勝てる」 「そりゃそうですしょうけど…」 「さ、あと一隻じゃ。追い付いて停止させ、訳を聞き出してやろう」 「はあ、安全運転でお願いしますね」 依然として猛烈な速度で突進する飛行艇はかなり不安定な状態になっている。一 歩間達えば大事故だ。ファトラたちの飛行艇はついに先頭の飛行艇の脇についた。 「よおし、先頭に着いたぞ! ではさっそく…」 「無理矢理停止させると危ないですよぉ!」 ファトラは操縦席から立ちあがると、相手の飛行艇の方を向いた。非常に危険な マネだ。 「おいこら、そなたたち、いきなりわらわたちの船につっこんでくるとは一体何を 考えておるのじゃ!? ちょっと顔を貸せ!」 「ああっ、それはヤクザ屋さんのセリフでは!?」 ファトラは相手方に向かって叫ぶ。しかし全く相手にされていないようだ。 「おのれ、バカにしおって。こうなれば乗り移ってくれる。アレーレ、操縦を代わ れ!」 「はいぃ!」 アレーレはすぐさまファトラと操縦を代わった。その顔には安堵の表惰が浮かん でいる。 「アレーレ、もっと船を近づけろ!」 「はいぃ!」 アレーレは飛行艇を相手と接触するくらいにまで接近させた。時おり側面がぶつ かる音がする。 「ようし、いいぞ。このままの調子じゃ。では行くぞ!」 ファトラは相手の飛行艇の手摺りに手をかけると、一気に飛び移った。そのまま 操縦席に近づいていく。今気づいたのだが、この飛行艇には操縦者以外誰も乗って いないようだ。 「こらっ! そなたさっきわらわの飛行艇に突っ込んできたじゃろう。一体どうい う操縦の仕方をしておるのじゃ!? おい! こら! 聞いておるのか?」 ファトラは操縦席にいる人間の頭をはたいた。すると操縦者はようやくファトラ の存在に気づいたらしく、びっくりしてファトラの方を向く。 「んっ? そなたは…」 男物の服を着、フードを被っていたので分からなかったが、操縦しているのはフ ァトラと同じくらい年齢の女の子だった。座っているのでよく分からないが、背丈 はファトラよりやや低く、華奢な感じがする。青緑の髮を風になびかせ、薄紫の瞳 には恐怖の色を浮かべてファトラの顔をじっと見ていた。 「なんじゃ。どこかのスパイか何かと思ったが、どうやら違うようじゃな。そなた は何者じゃ? 人買いからでも逃げておるのか?」 「…………」 少女なただ無言でファトラの顔を見ているばかりだ。 「なんじゃ。黙っていては分からんではないか。場合によってはそなたもただでは すまさんぞ」 「…………」 しかしあいかわらず少女は黙ったままだ。ファトラはいらいらしてきた。 「ええい。何とか言わんか!」 「た…」 「た?」 「助けて下さい!」 少女はようやく喋り始めた。それと同時にファトラに抱きつく。 「なんじゃ。助けて欲しいのか。だったらそう言わんか」 ファトラは多少イライラしながらも少女を抱きしめてやった。何と言ってもその 少女はなかなかの美少女だったのだから。 「そうか。悪いのはあいつらじゃったか。安心せい。あの連中はわらわが天誅を下 してやったわ!」 ファトラは胸を張って見せる。少女は緊張の糸が切れたらしく、そのまま気絶し てしまった。 「ん、仕方ないな。とりあえず船を止めるか…」 ファトラはコンソールに手を延ばすと船を停止させた。それを見てアレーレも船 を停止させる。アレーレの船はファトラと少女の乗っている船よりやや進んでから 停止した。アレーレが船から降りてファトラの側へ走ってくる。 「やりましたね、ファトラ様!」 「ふ、まあな」 「あれ、そのお姉様はどなたですか?」 「ああ、この船に乗っておったのじゃ。どうやらさっきの連中から逃げていたらし い。看病してやろう。確かわらわたちの船に水があったじゃろ?」 ファトラは少女のフードを外すと、顔にかからないように髪を掻き上げてやった。 「ああ、はい。ありますよ」 「ではこの娘を向こうへ移そう」 ファトラは少女を抱き上げると、船を降り、自分たちの船へと移動した。 「よっと」 ファトラは後部座席に少女を横に寝かせてやった。 「はい。お水です」 「よし。飲ませてみよう」 ファトラは少女の背中を起こし、アレーレから水の入った器を受け取ると、少女 の口に流し込むことを試みた。しかし意識のない人間に水を飲ませるなどというこ とは困難なことだ。 「ん…、だめじゃな。うまくいかん。とりあえず起きるまで待とう」 「そうですね」 ファトラは再び少女を寝かせると、自分で器の水を飲んだ。その時… 「あれ? また何か近づいてくるみたいですよ」 何かのエンジン音を聞きつけたアレーレがさっきまで飛行艇で走ってきた方向を 指差した。 「なんじゃ。新手か?」 「いえ。さっきの飛行艇ですよ」 「なるほど。とどめを刺すべきだったかな?」 冗談なのか、本気なのか、ファトラは立ち上がるとアレーレが指差した方向を見 る。逆光で見にくいが、確かにアレーレの言った通り飛行艇が一隻向かってきてい た。 「どうしたものかのう…。こっちには武器がない。さっきみたいにぶつける方法で いくしかないか…。いや、追われる側からでは難しいか…。困ったもんじゃ。あの 爆弾をもろにくらったらひとたまりもないじゃろうし…」 ファトラは悩んでいる。 「ここは逃げた方がよろしいのでは?」 「何を言うか。逃げるなどこのファトラのプライドが許さん。ここは戦略的撤退と いこう。わらわが操縦するぞ」 「はあ…」 ファトラは操縦席に座ると、再び飛行艇を発進させた。相手の飛行艇はファトラ たちがさっきいた所にしばらく遅れて到着すると停止する。何人かが少女の乗って いた飛行艇を調べているらしい。少女が乗っていないことが分かると、再びファト ラたちを追い始めた。 「まったく。これではエランディアに行くのが遅れるではないか」 ファトラは愚痴をこぼしながらも飛行艇のスピードをあげていく。しかし相手の 飛行艇は徐々に間を詰めてきた。 「ううむ。おかしい。なぜわらわたちの方が遅いのだ。さっきは速かったのに…」 ファトラは何とかスピードをあげようと、コンソールをいじくっている。アレー レはエンジンの様子を見てみた。 「ああ、ちょっとエンジンに無理をかけすぎましたね。かなり痛んでます」 「なんじゃと? それでは追い付かれてしまうではないか!」 「ですね。どうしましょう…」 そう言っている間にも相手の飛行艇はさらに間を詰めてきた。 「ああ、追い付かれますぅ!」 「……逃げきることは不可能か…」 「ああ、攻撃してきますぅ!!」 「なにいっ!?」 後方にぴったりとくっついてきている飛行艇から突然何やら打ち出された。ファ トラは前方を見ているため何がどうなっているのかよく分からないが、とりあえず 蛇行してかわそうとする。 「かわしきれませぇん!!」 アレーレが言い終わる前に、船の後方で何やら爆発した。船尾が大きく振動し、 船が傾く。蛇行していたがため、余計大きく傾いた。 「うわああぁぁっ!!」 「きゃああぁっ!!」 ファトラたちの飛行艇は制御を失い、スピンターンしながら道から撥ね出された。 強烈な衝撃が船を襲い、その刹那、コンソールの上部から何かがガスの抜ける音と 共に弾ける。それから船は立ち木にぶつかって停止した。 「あいたたたた…。ううむ、なんということじゃ。あいつら許せん!」 「ああ…。とっても痛いです…」 アレーレは目に涙を浮かべている。 「あん? なんじゃこれは? 風船のような物がコンソールについておる」 ファトラはこの風船のような物に顔をぶつけたのだった。ファトラはそれをつつ いてみる。 「それですか? それはこの前誠様が取り付けたんですよ。なんでも安全になると かで…」 「ふうん…」 それはエアバッグだった。そうこうしている間に相手の飛行艇がファトラたちの 飛行艇の隣に停止する。ファトラとアレーレは身を固くした。 「降りろ!」 武装した数人の男が船から降りてきた。ファトラとアレーレは仕方なく手を上に 挙げながらゆっくりと飛行艇を降りる。そうして銃をつきつけられたまま、飛行艇 の側面に手をつけさせられた。 「そなたたち、何者じゃ? 一体何のつもりじゃ?」 「…………」 ファトラは後ろを向いて、尋ねた。しかし男たちは答えない。別の男が飛行艇の 中に入った。 「無礼な。わらわは乗っていいとは言っておらんぞ」 「見つかりました」 一人の男がさっきファトラたちが拾った少女を腕に抱かえて降りてきた。少女は 未だに昏睡している。怪我はないようだ。 「うむ。では連れていけ」 「はっ」 「そなたたちはその娘を追っておったのか。そなたたちの正体は何じゃ?」 「…………」 やはり男たちは答えない。やがてもう一隻残りの飛行艇が到着すると、娘を乗せ て出発した。ファトラはそれをにがにがしげな表情で見ている。 「おまえたちにも来てもらおう」 男の一人がファトラの腕を掴んだ。 「無礼な! わらわに触れるでない!」 「うおっ!」 ファトラは男の腕を掴むと、背負い投げにした。ファトラより頭一つ大きい男の 体が軽々と持ち上がり、地面に打ちつけられる。ファトラは男の銃を取り、アレー レに手渡す。 「アレーレ!」 「はい!」 ファトラは続け様に次の男を投げ飛ばした。アレーレも銃を逆に持って男の脳天 に直撃させる。 「ぐわあっ!」 ファトラとアレーレは二人で数人の男を次々になぎ倒し、自分たちの飛行艇に飛 び移った。すぐさまエンジン始動し、発進する。その時相手の飛行艇にわざとぶつ けて相手を転覆させた。そのまま道に戻り、加速していく。男たちは飛行艇を元に 戻そうと頑張っているが、かなり時間がかかりそうだ。 「ふはははは! ざまあみろ!」 「ファトラ様、早く逃げましょうよ!」 「うむ。撤退じゃ。やつらの飛行艇を転覆させてやったからすぐには追ってこれま い」 ファトラはエランディア王宮へ向かって進路を取った。 「何とか逃げきれるといいんですけど…」 アレーレは後部座席から心配そうに後ろを見ている。 「追ってくる気配はない。諦めたのじゃろう」 「じゃあ私が操縦を代わりますよ」 「ん、すまぬな」 ファトラとアレーレは操縦を代わった。ファトラは激しい運動をして疲れたらし く、座席に深く座る。 あれから1時間ほどが過ぎた。追手は来ない。 「どうやら完全に逃げおおせたようじゃな。してやったりじゃ」 「はあ、よかった…。でもあのお姉様と男の人たちは何だったんでしょうね」 ファトラはいつもの余裕の表情で後ろを向く。アレーレもファトラの方を向いた。 「うむ。分からん。しかしあの美少女を手に入れられんかったのはおしかったな。 うまくいけば助けた手柄で一晩くらい楽しませてくれたかもしれんのに…」 ファトラは残念そうに呟いた。 「そうですね。でもあのせいでだいぶ遅れちゃいましたよ。到着するのは夜になり そうです」 「仕方あるまい。とにかく急げ」 「はあ…。分かりました」 アレーレはため息を一つすると再び前を向いた。