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第2章 嘘と本当
ルーンたちの一行はロシュタリアを出てから途中で一泊し、次の日の昼ごろよう やくエランディア王宮上空へと到着した。もうすでに飛行艇は降下を始めている。 「さ、誠様、着陸します。船から出たらよろしくお願いしますよ」 「はあ、分かりました」 誠扮する即席ファトラは緊張した面持ちで地上の様子を見た。飛行艇の発着場に は大勢の人間がおり、歓迎の準備が整のっているようだ。やがて飛行飛は地上へと 降下完了し、それと同時にラッパなど民族楽器の音が響き渡る。ルーンは誠を引き 連れてタラップから降りた。 「遠路はるばるようこそお来し頂きました。私はこの国の大臣を務めているカナン という者です。何とぞお見知りおきを」 カナンと名乗るその男はうやうやしくお辞儀する。 「実に丁寧なお出迎え、誠に恐れ入ります。この度はリース王女戴冠式にお招き頂 き誠に光栄に存じます」 「かたじけのうでざいます。ではさ、こちらへ」 「はい」 話している間、カナンは誠の顔をじろじろと見ていた。替え玉ではないのかと疑 っているらしい。誠は事前にどうすればファトラらしく見えるか考えてきた通りに 振る舞った。と言ってもただ突っ立っているだけではあったが…。 ルーンに誠、それに数人の従者がカナンに引き連れられて王宮の庭に出る。当然 従者の中には菜々美や藤沢もいた。目の前には王宮本館が荘厳なたたずまいで位置 しており、左右にはいくつかの別館や離れが並んでいる。今通っている道には装飾 タイルがはめ込まれていた。 「お疲れでございましょう。今日はゆっくり休まれて下さい。去年新築したばかり の別館がありますゆえ、そこへどうぞ。眺めも素晴らしく、快適でございますぞ」 「いえ、まだ日も高いですし、今日の内に次期女王陛下にお目通りしておきたいの ですが…」 「いえ、それには及びませぬ。こちらの都合もありますゆえ、別の日にして頂けま せぬか」 カナンは平静を装いながら、眉をゆるめた。 「はあ、そういうことでしたら仕方ありませんわね。ではお言葉に甘えさせて頂き ます」 「申し訳ございません」 ルーンたちは王宮別館へと案内された。今、誠はルーン、菜々美、藤沢と一諸に 個室にいる。 「とりあえず今日の所はこれで終わりですわね。誠様、ありがとうございました」 「いえ、いいんですよ」 「それにしてもファトラ姫ったら、まったく。なんで来ないんでしょうね」 「まあ、こうして誠がきちんと身代わりをやっているからいいんじゃないのか?」 「そういう問題じゃないでしょう!」 「まあ、それもそうだが…」 誠はカツラを取り、上着を脱いでソファーに深く座ってくつろいでいた。ルーン は向かいのソファーに座ってお茶を飲み、菜々美と藤沢は横のソファーでお茶を飲 みながらお茶菓子を摘んでいる。もっとも藤沢だけはお茶はそっち退けで酒を飲ん でいるが。 「誠様もいかがですか? おいしいですよ」 「はあ、じゃあ頂きます」 誠は自分の分のティーカップを指でつまむと、口の内に茶を流し込んだ。 「うっ…」 誠は思わず口許を手で押さえた。苦い味が口中に広がる。 「ああ、お砂糖を入れ忘れてますわよ。そそっかしいですわね」 「はあ…」 誠は砂糖の入れ物の蓋を開けると、中に入っているさじで砂糖を入れ始めた。 「ところで、どうしてここの王女様に今日会うことはできんのでしょうか」 「それなんですけど、私にもよく分かりません。きちんと予定通りに来たのに準備 ができていないなんて不自然ですわね」 「そうよね。せっかく来たのに、失礼しちゃうわ」 「まあ、来るのは俺たち意外にもたくさんいるんだ。多少予定が狂っても仕方ない だろう」 「これからはどういう予定なんですか?」 「あした、あさってと会合を行い、その次の日が戴冠式です。式には大神官の方々 も来られます」 「へーっ。じゃあまたシェーラ・シェーラさんたちに会えるんですね」 「そういうことですわね。大神官の方々は明日来る予定になっておりますから、内 緒で会われるといいでしょう」 「そうですね」 「ふーん、神官の人たちに会えるなんて、久しぶりね。あの人たちどうしているか しら…」 「ま、まあ俺はちょっと遠慮したい気もするがな…」 「せんせ、そんなこと言って、本当は嬉しいんじゃないんですか?」 「な、そんなことはないぞ」 藤沢は大げさに否定する。それを見て誠と菜々美は笑った。 「別に無理せんでもいいですよ」 誠は再びティーカップを口へ運ぶ。 「うっ…」 誠は少し眉をひそめる。甘すぎた。 (うーん。でもシェーラが来るとなると、誠ちゃんが心配ね…) それから後、誠とルーンは明日の予定について話し合った。早い話がどうやって 誠の正体がバレないようにするか打ち合わせをしたのだ。 その後はもう別に他にすることもないので、休憩ということにあいなり、誠はフ ァトラのマネの練習をしている。もうすでに日が暮れて夜になっていた。 「あー、わらわはロシュタリア王国第二王女、ファトラである」 誠以外誰もいない部屋に無理に声のキーを上げた誠の声が響く。声は少し裏返っ ていた。 「……あーなんか不自然やな。それにだいいち、声が女声にならへん…」 誠は喉に手を当てたり腹に手を当てたりして声の調子を変えてみるが、どうもう まくいかない。 その時、突然ドアがノックされた。誠はびっくりして、半分解除していた女装を 直そうと慌て始める。 「ちょ、ちょっと待つのじゃ!」 「誠ちゃん、私よ。気にしなくていいわ」 ドアの向こうから聞こえてくるのは菜々美の声だった。 「な、なんだ菜々美ちゃんか。どうぞ。今開けるで」 誠は女装を直すのはやめて、ドアの鍵を開ける。すると菜々美がいつものタンク トップとキュロットという格好で入ってきた。普段は気にかけないのだが、夜に二 人っきりとなると、肌の露出がコケティッシュに感じられる。 「菜々美ちゃん、何の用や?」 「ベッドメイクをしてあげようと思ってね。というのは嘘で、本当は会いたかった だけ」 確かにベッドはすでに整えられていた。 「ふーん。まあ座りや」 「うん。ここでいい」 菜々美はベッドの上に座った。誠も隣に座る。 「誠ちゃん」 「何?」 「エルハザードに来てから、いろんなことがあったわね」 「うん。そうやね」 「ねえ…」 「何?」 「地球に帰ろうと思ってる?」 「な、何いうてんのや。帰りたいに決まっとるやないか」 「このエルハザードを捨ててでも?」 「それは…」 誠の顔にはみるみるうちに困惑が漂ってくる。菜々美はそれを見て微笑んだ。 「誠ちゃん嘘つけないものね。エルハザードにも楽しいことはたくさんあるわ。ひ ょっとしたら地球より楽しいかもしれない。それを捨てる勇気はある?」 誠は深呼吸をした。 「そんなもんある訳ないやんか。菜々美ちゃんやってそうやろ?」 「そうね。その通りだわ。じゃあイフリータはどうするつもり?」 「イフリータか…。できることなら助けてあげたいな」 「具体的には?」 「神の目を使って迎えに行くんや。きっと地球にいるはずやから、その時には菜々 美ちゃんや藤沢先生も帰れるで。それにうまくいけばエルハザードと地球で自由に 行き来ができるようになるかもしれん」 誠は嬉しそうにプランを話す。菜々美はそれを見て、胸が切なくなるのだった。 「イフリータのことはどう思ってるの?」 「そうやなあ…。守ってあげたい人かな?」 「そう…。それって好きってこと?」 「ん、どうやろうな…。分からへんわ」 それを聞いて菜々美の顔が少々明るくなる。 「じゃあ誠ちゃんは他に好きな人がいるの?」 「そうやなあ…。おらんかな」 「じゃあもし私が誠ちゃんのことが好きって言ったら、誠ちゃんどうする?」 「い、いきなり何を言うてんのや」 「ちゃんと答えてよ」 菜々美はやや強い語気で喋る。誠は少し驚いた。 「そりゃ…。嬉しいかな…」 「そう。でもファトラ姫ったらいい気なもんよね。誠ちゃんにこんなこと押しつけ て自分はサボってるんだもん。誠ちゃんももっと言ってやったら?」 菜々美は強引に話題をすり替える。丸い肩が軽く震えていた。 「う、うん。考えとくよ」 誠は急のことに慌てるが、そつなく返事をする。菜々美は立ち上がった。 「じゃあ私帰るわ」 「うん。おやすみ」 「おやすみ」 菜々美は部屋から出て行った。後には誠だけが取り残される。 「菜々美ちゃん結局何しに来たんやろな…」 それから誠は再びファトラのマネの練習を始めた。 いくらかの時間が過ぎる。もうすでに夜中になっている。 「………」 誠は生理的欲求を覚えた。 「ちょっとトイレ…。あっ、でもファトラ姫の格好じゃないとまずいか…」 誠はカツラを被り、身なりを整えると、部屋を出た。 「確かこっちやったな」 誠は昼間教えられた通りに通路を歩いていく。ここからトイレまではだいぶ距離 があった。 (それにしても何で僕がこないなことせなあかんのやろ…。僕は男なんやど。女や ないんや。せやのになんで女装せなあかんのや) 誠は自問自答しながら歩いて行く。 「あれ?」 考え事をしながら歩いたせいか、それとも記憶が正しくなかったのか、どらやら 違う道を歩いているようだ。 「あー、困ったなあ…。いや、困ったもんじゃ」 ファトラのマネを怠ることなく、誠はあたりを見回した。 (うーん、どこにあるのか分からへんな。お付きの人に聞けばいいんやろうけど、 今時分、迷惑やろうし…。うー、あかん。それに漏りそうや) お人好しな誠はそんなことを考えながら、中庭の方へと歩きだした。もう真夜中 近くになっており、庭は真っ暗だ。あたりにはいろいろな植物が植えられ、水のせ せらぎの音がする。わずかな月明かりを頼りに誠は物影へと入っていった。 「ここならいいやろう」 誠は服の帯を外すと立ちションし始めた。そのまましばらく時間が経過する。 「ふー。うーん、やっぱり僕は男やなあ。女やったら絶対にこんなことできんで」 男にしかできない立ちションという行為によって自分が男であることを再確認し、 久しぶりに充実している誠だった。もっとも女装してファトラの格好をしたまま立 ちションした訳だから、かなり壮絶な光景でもある。誠は服を元に戻し、帯を締め 直すと、せせらぎで手を洗って自分の部屋へと戻った。 「あー、もう寝よう」 誠は服を脱ぐと、夜着に着替える。発光植物の明かりにフードをかけ、光が出な いようにすると、怠惰な動作でべッドに横になった。 「早く帰りたいもんやな…」 それだけ言うと、誠はうとうとと眠りだした。 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 「やっ…、やっと着きましたよ、ファトラ様…」 「うむ。よくやった」 ファトラとアレーレはほとんど真夜中近くなったころ、ようやくエランディア王 宮に到着した。王宮前の路地の目立たない場所に飛行艇を停止させる。空には星が 溢れ、冷たい風が頬を撫でる。 「す、すっかり遅くなっちゃいましたね」 「うむ。まあよい。誠の様子を見に行こう」 「ええーっ! 今からですかぁ!?」 アレーレは絶叫に近い悲鳴をあげた。アレーレは長時間の飛行艇の操縦でへとへ とに疲れているのだった。 「そうじゃ。別に疲れているのなら来んでもいいぞ」 ファトラは飛行艇から降りると、あたりを見回し始めた。 「ああっ、待って下さい。私も行きます」 アレーレは急いでファトラを追い始めた。 「ん…。重い…。寝苦しい…。なんや…。なんなんや…?」 妙に寝苦しい。寝返りをうとうとするが、体が重く、動かない。まるで自分の上 に何かがのしかかっているようだ。 「誠…」 「ん?」 聞き憶えのある声に誠は目を聞ける。目の前にはファトラの顔があった。いつの 間にか発光植物にかけてあったフードは取り去られ、部屋の中は薄明かりに包まれ ている。弱い光だがあたりの状態は十分に知ることができる。 「ファッ、ファトラ姫!?」 「久しぶりじゃのう。誠よ」 誠は体を起こそうとするが、それができない。ファトラは誠の上に覆いかぶさる ようにして、のしかかっているのだ。柔らかい女の肢体の感触に誠はびくびくする。 「な、なんであんたがここにいるんですか?」 誠は頭だけ持ち上げて尋ねた。 「いやな。そなたの様子を見たくてこうして訪ねてきたのじゃ。どうやらきっちり 役目を果たしているようじゃな。感心感心」 ファトラは顎を両腕に載せ、にっこりと微笑みながら答える。 「あの、すみませんけど、どいてくれます?」 誠がそう言うと、ファトラは急に眼差しを色っぽくした。 「んー、誠ぉ、夜具の上に男と女。することは一つじゃ」 ファトラは誠に向かって腕を延ばすと、誠の頬をそっと撫でてやる。誠はぎょっ とするが、上にのしかかられているため、動くことができない。 「あっ、でもファトラ姫は女の人が好きなのでは? 僕は男ですよ」 誠は頬を撫でているファトラの手をつかんだ。しかし場の雰囲気か、邪険にはね のける気にはならない。ファトラは妖艶な笑みを浮かべ、体を腕で支えて前の方へ 引き出し、ちょうど誠の顔を真上から覗き込む格好になった。ファトラの長く黒い 髪の毛の先が誠の顔にかかる。 「誰がそんなことを言った? わらわはかわいいものはみんな好きじゃぞ。それが 男でも女でも…。ただ、男でかわいいのはなかなかおらんだけじゃ」 ファトラは自嘲気味に喋る。 「はあ、そうだったんですか…。(ますます妖しいやないか…)」 「そなたは美しい。わらわが抱いてやろう」 ファトラは腕を曲げ、顔を降下させると、舌を出して誠の頬を嘗めた。 「うっ…」 舌の生暖かく柔らかい感触に誠は体を硬くする。熱い吐息が耳にかかり、香水の 香りが鼻腔をくすぐる。頭を少し振ってそれに抵抗した。 「ちょ、ちょっと僕…」 「心配するな。誰にも言やせん。ちょっと二人で楽しもうというだけじゃ」 ファトラは体を後ろへ下げると、再びのしかかり、今度は指を誠の胸のあたりに はわせ始める。 「ん、嫌か? 据え膳だぞ、据え膳。食わんでどうする? そなたのこれで…わら わを犯してみんか?」 「あぁ…!」 ファトラは誠の男の部分に指先でわずかに触れた。誠は驚くが、すぐに手が離れ たので何もしない。しかしさっきからファトラの太ももが自分の股間に割り込んで いることに気がついた。誠は自分の状態をファトラに悟られているのではないかと 冷や冷やする。 「でも…、僕ぅ…、気が乗らへんな…。いや、別にファトラ姫が魅力的でないとか、 そういうことじゃなくて、遊びでそういうことするのは…」 誠は言葉を選びつつ、慎重に喋る。 「純粋じゃな。しかしあまり純粋じゃと辛いぞ。いつか自分が汚れたと思った時、 それが分かるじゃろう」 「はぁ…。でも僕は…」 ファトラの指先が薄い布地を伝っていく。時おり爪の弾かれる音がする。 「今はそうやって体を交えることを神聖なことだと思っておるかもしれんが、実際 に体験してみれば分かる。何だ、こんな物かと。わらわと試してみるか? それと も…」 ファトラの指が誠の胸の上で踊る。その動きが止まった。ファトラは誠の顔を覗 き込む。指先を誠のあごにつけた。 「人間のメスは嫌いか?」 「それは…ないですよ」 「本当に?」 ファトラの瞳が悪戯っぽく輝く。ファトラにとって体を交えるということは遊び であり、他人とのコミュニケーション手段でしかなかった。それだけではない。フ ァトラにかかればどんなことだって遊びだ。愛、憎悪、狂気、権威への冒涜、破壊 的な行為…全てが遊びとなる。それはどんな苦汁や運命でさえ遊びにしてしまうほ どの物だった。当然、タブーなどという物は持ち合せていない。 (この人は僕が住んでいるのとは違う世界の人なんや…) 誠はいまさらながらも気づいた。ファトラの存在は自分には想像できない物なの だ。全てのことを遊びで済ましてしまうなどということは到底誠にできる芸当では ない。誠は目の前の相手が自分にとって未知の物であることに畏怖した。 「本当にメスの方が好きか?」 「そ、そりゃ僕だって…好きですよ」 ファトラは誠の答えに満足したのか、手をひっこめた。 「ではわらわと試してみよう」 「それは…できません」 「なぜじゃ?」 ファトラはただちに質問する。 「で、ですから遊びでそういうことするのは…」 誠はファトラから目をそらした。 「そうか…。ひょっとして…怖いんじゃないのか…?」 ファトラの指は再び誠の胸の上をなぞり始める。 「何がですか?」 誠は再びファトラを見る。 「神聖だと思っている物の正体を見たくないんじゃろ。正体を知ってしまったら… 怖いものな」 ファトラの顔が笑みに歪んだ。誠はファトラの言葉にぎくりとする。 「…………」 「気を悪くしたか? 自分が汚れたくないから拒絶するんじゃろう。それともわら わを汚したくないとか?」 ファトラは悪魔のごとく微笑む。誠はそれを見て強硬な態度に出た。 「……あんまり誘惑すると僕だってあなたの身の安全を保証できませんよ」 「結構。構わんぞ。自分の考えが正しいか試してみろ。そなたの言う通り神聖なこ とならした後に罪悪感が残るだろうし、わらわの言うことが正しければ自分がバカ バカしくなるじゃろうな…」 「…………」 誠は自分の胸の上で弧を描いているファトラの腕を捕まえると、自分の方へ引き 寄せる。同時に体を起こそうと、ファトラの体を自分の上から押し退けようとした。 ファトラはしてやったりという感じで自分からどいてやる。誠は体を起こすと、今 度はファトラの肩に手をかけて、ベッドの上に寝かせた。そしてその上に覆い被さ る。ちょうどさっきとは逆の状態だ。誠はやや息を荒げているが、ファトラは余裕 の表情だ。誠はなんとかファトラを威嚇しようと、ファトラの腕を押さえてファト ラが逃げられないようにする。しかしファトラは子悪魔のように薄く笑ったまま、 余裕の表情だ。結果、誠は余計焦ることになった。 「さあ、そなたが正しいかどうか試してみろ」 ファトラの声が誠の耳に催眠術のように響く。誠は一瞬躊躇したが、ファトラの 顔に自分の顔を近づけた。 朝。よく晴れており、風が涼しい。 「うーん…、朝か…」 誠は目を覚ました。 「おはよう。誠」 「ああ、おはようございます、ファトラ姫」 「うむ。いい朝じゃ」 誠はべッドから起きだした。ファトラはすでに身支度を済ませている。 「あれ? 何でアレーレが…」 誠はソファーでアレーレが寝ているのに気がついた。 「ああ、アレーレなら夜からずっと寝ておったぞ。知らんかったのか?」 「全然知りませんでした」 アレーレは夜ファトラと一諸に部屋に忍び込んで、そのまま力尽きて寝てしまっ たのだった。今はもう泥のように熟睡している。 「さて、今日はどうしようかのう…」 「あ、ちょっと。ファトラ姫、僕と代わって下さいよ」 「わらわの身代わりをするのには飽きたか?」 ファトラは手ぐしで髪を整えながら誠を見る。 「飽きたも何も、ファトラ姫が嫌がるから代わりに僕がやっているんでしょうが。 とにかく代わって下さいよ」 「わらわの気が向いたらな。それより予定だと今日は会合があるはずじゃろ。準備 せんでいいのか?」 「代わってくれないんですか?」 誠はしぶとく尋ねる。ファトラは何を言っているんだというような顔をした。 「だから気が向いたら代わってやると言っておる。わらわはちょっと散歩に出よう。 アレーレは預けておくぞ。それとわらわが来ていることは姉上には内諸にしておく ように」 ファトラは突然立ち上がと、ドアの方へ歩いていく。 「あっ、ちょっと!」 ファトラは誠が制止するのも聞かずに部屋から出ていった。誠はまだ身支度がで きていないため、部屋を出て追うことができない。 「仕方ない。また女装するのか…。あ、でもアレーレはどうしよう…」 侍女は部屋の中へ入ってくる。従って本来いないはずのアレーレの姿を見られる ことはまずかった。アレーレは当分目を覚ましそうにはない。 「しゃあないなぁ…」 誠はアレーレをソファーから抱き上げると、ベッドに寝かす。そして頭までシー ツを掛けた。 「なんとかばれんようにせんとな…」 誠はファトラが交代してくれることは半ば諦めながら、侍女が来るのを待った。 しばらく経つと、ドアがノックされた。 「おはようございます。身支度のお手伝いに参りました」 「ああ、はい。どうぞ」 誠はドアを開ける。すると数人の侍女が入ってきた。 「さ、身支度を致しましょう」 「はい。お願いします」 侍女たちは手際よく作業を進めていく。作業の対象が男であっても、もはや手慣 れたものだ。 突然ベッドが揺れ、シーツの形が変わる。アレーレが寝返りをうったのだ。侍女 の一人がそれに気づいた。 「どなたかいらっしゃるんですか?」 「い、いえ。これはなんでもないんですよ」 誠は必死に繕う。しかしその時アレーレが目を覚ましてしまった。 「…ん…うん…。ああ、誠様、おはようござ…んぁ…何するんです?」 誠はアレーレに頭からシーツを慌てて掛ける。アレーレは何が何だか訳が分から なくて、とりあえず抵抗を試みてきた。誠はアレーレにそっと耳打ちする。 「じっとしていて。今見つかるとやばいんだよ」 「は、はあ…」 アレーレはそれを聞くと、再びベッドの中に潜り込む。誠はそれを確認すると、 ぎこちなく振り向いた。侍女たちは誠を懐疑の目で見ている。 「は、はは。これはなんでもないんや。気にせんといて」 誠はベッドの前で両腕を広げて弁明する。 「……気にしません。身支度を続けましょう」 「お、おおきに」 誠は安堵の表情で侍女たちの方へ戻り、再び作業が開始される。どうやら侍女た ちはアレーレのことを誠が呼んだ娼婦か何かだと思ったらしい。こう思われること も誠にとっては問題だったが、今はこれ以上の弁明は無理だ。 「さ、できました。会食室へいらして下さい」 侍女たちは道具を片付けると、部屋から出ていった。誠はほっと胸を撫でおろす。 「アレーレ、もういいよ」 「一体なんなんですか。ファトラ様はどこへ行かれたんです?」 アレーレはシーツから顔を出すと、不満顔で立て続けに質問する。 「ああ、その…。ファトラ姫は自分がここへ来てることを知られたくないんだ。そ れと今は散歩に出てるよ」 「はあ。じゃあ私はファトラ様を探してきます。すみません、誠様」 「ああ。いいんだよ。見つからないようにね」 アレーレは部屋から出て行った。誠はそれを見送ると、ルーンたちのいる会食室 へと向かった。 誠は昨日の記憶を頼りに会食室へ向かう。その途中、会食室のちょうど前の廊下 でルーンと菜々美と藤沢に会った。 「ファトラ、ちょっとこちらへ」 「あ、はい」 ルーンは誠を連れて誰もいないテラスの方へ来た。菜々美と藤沢もついてくる。 「おはようございます、誠様」 「おはよう、誠ちゃん」 「おはよう。誠」 「ああ、おはようございます」 「これから先は公の場です。あなたはファトラとして振る舞って下さい。お願いし ますよ」 「はい。分かりました」 「大変ね。誠ちゃん」 菜々美は愛想よくねぎらいの言葉をかける。 「まあ、俺たちは何もできないが、がんばれよ。それにしても大したもんだなあ。 その格好…」 誠のその格好はもうすでに女装というより変装に近い物となっていた。これを本 物と見分けることは声以外では不可能だろう。 「は、ははっ…。がんばります」 誠はファトラに口止めされているため、彼女が来ていることは黙っておいた。 「では、朝食にしましょう。菜々美様と藤沢様は別室でどうぞ」 「はーい。じゃあ藤沢先生、行きましょ」 「ああ、そうしよう」 「じゃあね。誠ちゃん」 「ああ。バイバイ」 菜々美と藤沢は去って行った。 「さ、誠様」 「はい」 誠とルーンは会食室へ入った。誠はファトラを装っている。警備の兵ではあるが、 エランディアの人間がいるからだ。それに誠の正体を知っているのはロシュタリア の側の人間でも、ルーンと身支度をするための侍女くらいのものだった。 誠とルーンは席につき、朝食をとる。 「と、ところで姉上、今日の予定はなんでしょうか?」 誠は必死にファトラのマネをしている。ルーンはそれを見て、必死に笑いを押さ えているようでもある。 「今日は各国の首脳たちと会合を行います。議題は貿易の円滑化についてです」 「はあ、分かりました」 誠はルーンを見て顔を赤らめた。 朝食が終わり、誠とルーンは王宮本館の大部屋に入る。そこには既に各国の重鎮 たちがそれぞれの席に座り、談笑していた。誠はその雰囲気にぐっと体を固くする。 二人とも席につくと、ルーンは誠にそっと耳打ちした。 「あなたは私に付いているだけで結構です。どうしても必要な時だけ喋って下さい」 「……分かりました」 ルーンは誠の返事を確認すると、背筋を延ばして前を向く。誠も同じように背筋 を延ばして前を向いた。その光景はまさにルーンとファトラそのものであり、誠の 正体を疑うものは誰一人いない。誠の女装技術は飛躍的な進歩を遂げていた。 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ファトラは誠の部屋から出た後、誠たちのいる別館から出て離れの廊下を歩いて いた。別に見つかってもファトラなのだから問題ない。 「誠のやつは律義だのう。まあよい。後で代わってやるとするか」 別にどこに行くという訳でもなくファトラは歩いていく。やがて本館近くの中庭 に出た。あたりには季節の草花が植えられ、立木は手入れが行き届いている。ほの かな花の香りが鼻腔をくすぐり、風が葉を振らす音が耳に響く。 「ん…。あれは…」 ファトラは中庭の中に設置してある椅子とテーブルのセットに誰か座っているの に気がついた。ちょうどそこだけ石畳状の床になっており、セットの周りにはテー ブルを覆うように天蓋のような屋根が取り付けられている。そしてその下が影にな っていた。そこに誰かいるのだ。遠目からだがおおよその容姿は見当がつく。それ はいつか見た少女だった。 ファトラは小走りにそちらの方へ近づいて行く。少女は青緑の長い髪を幅広の藍 色のリボンで束ね、細かい装飾の施された普段着風の服を着ていた。服装からか、 前見た時の印象より幼い感じがする。ファトラよりやや年下といったところか。 「これ、そなた」 「えっ!? あなたは…」 少女は驚いてファトラの方を向く。その少女はファトラの思った通り、昨日飛行 艇で逃げていた少女だった。 「やはりそなたじゃったか。こんな所で何をしておるのじゃ?」 「わ、私は…その…」 少女はどぎまぎしながらファトラを見ている。 「……まあよい。わらわはファトラじゃ。そなたの名は?」 「リ、リースと申します」 「なに、そなたここの王女か?」 ファトラは突然のことに驚く。リースというのはこのエランディアの王女の名前 だった。今度行われる戴冠式で女王になる予定だ。少女は少し考えてから再び口を 開く。 「ち、違います…。ここの侍女です…。な、名前は偶然の一致ですよ…」 リースはあからさまに動揺している。 「ふうん。で、その侍女がどうして飛行艇で逃げたり、こんな所で一人で茶を飲ん でいたりするのじゃ? いまいち侍女には見えんが…」 ファトラは怪訝な表情でリースを見る。普通侍女が休憩を取る時は複数で取って いるはずなので、一人だけというのは不自然だった。 「そ、それよりあなたは誰なんですか?」 「わらわか…。……わらわはロシュタリアから来た王族の一行の従者といったとこ ろじゃな」 誠が身代わりをしているため、ファトラは自分の正体を明かすのを避けた。 「そ、そうですか…。それは御苦労なことです…」 「さ、訳を話してもらおうか。わらわだって一応は関係者なのだからな」 「はい…。あ、お茶を飲みませんか? おいしいですよ」 冷や汗を出しつつ、少女は新しいティーカップとポットを取り出しながら答えた。 御機嫌取りのつもりらしい。ファトラはイライラした。 「話をそらすな。そなた昨日飛行艇で逃げておったじゃろう。理由を話さんか!」 「……実は…命を狙われているんです。さ、お茶です。どうぞ」 リースはファトラと目を合わせないようにしながら言った。 「…………」 リースはティーカップにお茶を注ぐとテーブルの向かい側に置く。ついで自分の カップにも注いだ。ファトラは相変わらず怪訝な顔をしながらも椅子に腰掛け、リ ースと向い合う形になる。椅子はなかなか高級な物だ。 「何で侍女が命を狙われたりする。本当のことを話すのじゃ」 ファトラはリースから砂糖を受け取ると、カップに入れながら話す。 「その…。いろいろと訳があるんです。聞かないで下さい…」 「訳ねえ…」 ファトラはリースがお茶を飲むのを確認してから自分もお茶を飲む。エランディ ア名産のリベッジティーだ。主に貴族などが飲むもので、一般ではなじみが薄い。 「まあ別にそなたがどうなろうとわらわの知ったことじゃないが、納得がいかんな。 もし本当に命を狙われているなら、何でこんな所にいる?」 「……誰か私を助けてくれる人を探しているんです。その…よろしかったら私を助 けてくれませんか?」 「何を唐突に…。だいいち、初対面のわらわより、他にもっと頼れる人間はおらん のか? それにそなたの話は不自然じゃぞ。正体を明かすのじゃ」 「ですから、私はここの侍女で、訳あって命を狙われているんです。頼れる人もい ません。どうか助けて下さいませんか?」 ファトラはさっきからリースの様子を観察していた。リースは頻繁に唇を舐めた り、指先が痺れたりしている。それにゆるやかな物腰やわりと目立つ格好のため、 彼女が侍女であるということを信じることはできなかった。 「とてもじゃないが侍女とは思えん。わらわをハメようとでもしてるのか?」 「と、とんでもない! その……。私の正体を信じる信じないはあなたの勝手です けれど、命を狙われているのは本当なんです。信じて下さい」 ファトラは内心リースが侍女ではなく、この国の王女であることに感付いていた。 もっとも状態からしてどう見てもそうではあるのだが…。正体を隠すということは お忍びの時にはよくやることなので、珍しくもない。現にファトラだって正体を隠 している。 (よくは分からんが、どうやら何かの遊びのようじゃな。わらわも小さい時やった が、悪戯が過ぎるのも考えものじゃな。それにだいいち、年をもう少し考えたらど うなんじゃ…。まあつきあうだけつきあうか…。別に問題ないじゃろう…。しかし となるとリースもわらわの正体を知っている可能性が…。まあいいか…) 「ふーむ…。ま、どうせ暇だし、いいじゃろう。つきあってやろう。で、わらわに 助けて欲しい訳じゃな?」 「はい。その通りです!」 リースの顔がぱっと明るくなった。ファトラはもう緊張を解いて、お茶とお茶菓 子を楽しんでいる。お互いに正体を知りつつ、正体を隠しているので、違う国の王 族同士でも打ち解けることができる。ある意味、とても便利なことだった。 「はは。ではわらわが助けてやろう。どうすればいい?」 ファトラは半ば冗談混じりに質問する。遊びであることに気づくのが遅れたのを ごまかしていたりもする。 「私を連れて、城を出て下さいませんか?」 リースは本気か、冗談か、大胆なことを言う。 (しかしとなると昨日のあれはなんじゃったのじゃろうか…。あれも何かの遊びだ ったのじゃろうか…。遊び好きな姫君じゃのう…) いまいちふに落ちないが、ファトラはそれで済ませることにした。 「なるほど。それで何で命を狙われておるのじゃ?」 ファトラはリースが何と答えるか興味を持って、さっきした質問を再びしてみる。 「はい。実は悪い宰相に命を狙われているのです。その宰相は初め王位を継ぐはず だった私の兄を暗殺し、代わりに王位を継ぐことになった私も暗殺し、自分が王位 を取ろうとしているのです」 「…………」 ファトラはリースがあまりにも豪快なことを言うので、度胆を抜かれた。さすが のファトラもここまで凄い嘘はついたことがない。額の冷や汗を手の甲で拭った。 (い、いや。さっきは答えなかったところを見ると、リースはわらわが正体になか なか気づかなかったことをおちょくっておるのでは……) ファトラはなんとかペースを自分の方へ戻すべく思索を練る。 「ようし! ならば一緒に駆け落ちしよう。マルータの詩にあるように、晴れの日 はお互いを祝福し、雨の日はお互いに暖めあい、風の日は台地と共に歌おう」 相手が王族ということで詩を絡めてみた。 「曇りの日は自らの光であたりを照らし、雷の日は実りを祝いましょう」 リースは見事に呂律を合わせてくる。詩の内容も正解だ。 (ううむ。なかなかやるな。しかしこの程度のことは王族なら一般教養じゃ…) 「この命が砕けるその瞬間まで愛を語り、自らを産み出し、自らを育もう」 「死をも超越し、愛のゆりかごを揺らしましょう。私の愛の全て。私の全知全能を かけて…」 さらに高度なメノールの詩だったのだが、リースは見事追従してきた。 (まだまだこの程度じゃないぞ…) ファトラは次の詩を決定し、詩の一部のくだりを適当に喋ってみせる。リースは すらすらと続きを暗唱した。 (では次じゃ!) ファトラは対抗心を燃やし、次から次へと知識を披露する。そして詩の数が二桁 目に達した頃…。 「私の命、私の全て、究極の自由の地平を求めて今旅立たん」 「……え、えーと…」 リースは続きを暗唱しようと頑張っている。しかしなかなか口が動いてこない。 「…うーん。すみません。分かりません」 「ん、残念。ラノームの詩じゃ」 ファトラはお茶を一口飲んだ。 (ふ…。勝った。勝ったぞ) ファトラは内心優越感に酔う。ルーンとはいつも負けているからだ。 「で、えーと、何の話をしていたんじゃったっけ…」 「はい。私を連れて逃げる話です」 「ああ。そうそう。そうじゃった。わらわが見事そなたを連れ出してやろう」 ファトラは手を胸に当てながら喋る。リースはそれを聞いて顔を明るくする。 「まあ。嬉しいですわ」 ファトラはご機嫌の様子である。リースは何を思ったか木陰に走って行った。 「ん。何じゃ。どうした?」 「よかったね、ガブリエル」 どうやら木陰に何かいるようだ。リースはそれを抱き上げようとしている。 「何かぺットでも飼っているのか…。ところでそなた、若い娘を愛でる趣味はある か?」 ファトラはリースの方を覗き込みながら喋る。リースは自分のペットを抱えてフ ァトラの方に戻って来た。その刹那…。 「うっ、うわああぁ! な、何じゃそれは!?」 ファトラはリースの抱えている物を指差して仰天する。 「何って、私のペットのガブリエルですよ。かわいいでしょう」 「し、しかしそれは…」 「どうかしたんですか?」 リースの抱えている物は体長70センチ以上あるコモドオオトカゲだった。リー スにはちょっと重いらしく、ややふらふらしながらリースはファトラに近づいて来 る。ファトラは爬虫類が苦手だった。 「や、やめんか! ちょっとそれを近付けんでくれ!」 「ああ。あなたこの子は苦手ですか? 大丈夫ですよ。とってもかわいいんですか ら。さ、ガブリエル、ご挨拶して」 リースはガブリエルを地面に下ろす。ガブリエルはのたのたとゆっくりした足取 りでファトラの方へ近付いてくる。 「ひ、ひああぁぁっ!」 ファトラは情けない悲鳴をあげながら椅子から飛び出す。椅子はそのひょうしに ひっくり返った。さらに逃げて、天蓋の柱の陰に隠れる。 「ああ、リース、そのガブリエルというのをちょっとひっこめてはくれぬか?」 ファトラは柱の陰から顔だけ出してリースに懇願した。 「はあ、駄目ですか?」 「だ、駄目じゃ。じゃからそれをそっちへやってくれ」 ファトラはガブリエルを生理的に受けつけることができないらしい。今も片手を はたはたさせて追い払おうとしている。 「仕方がないですね。じゃあガブリエル、こっちへ来なさい」 リースはガブリエルに近寄ると、再び抱きあげた。そのままテーブルの方へ歩い て行き、椅子に腰掛けるとガブリエルを膝の上に抱き抱える。ファトラはそれを確 認するとようやく柱の影から出てきた。 「そなたは何ともないのか?」 「何がですか?」 「じゃから、その動物のことじゃ!」 ファトラはガブリエルを指差しながら言う。リースはきょとんとした様子でファ トラとガブリエルを見較べた。 「全然平気ですよ。かわいいじゃないですか」 「そなたの感覚はよく分からんなあ…」 ファトラは依然としてガブリエルを警戒しながらも、さっきひっくり返した椅子 を起こして腰掛ける。 「で、いつどうやって城を出るかなんですけど…」 リースはガブリエルを撫でながら、ファトラの方を見て話す。 「ん、ああ。さっきの続きか。で、どうするのじゃ?」 「はあ、どうしましょう…」 「うーむ。それでは夜になってから民間人の格好をして抜け出すとするか…。適当 な飛行艇で逃げて、エランディアの領土から出てしまえば完璧じゃ。なんならロシ ュタリアに亡命でもするか?」 ファトラは即興でプランを考えて話す。リースの嘘に対抗するつもりだった。 「まあ、素晴らしいアイディアですわ!」 リースは両手を叩いて賛同した。 「随分と淡泊なやつじゃ…」 ファトラは呆れる。その時…。 「曲者!」 やや離れた所から声が響く。ファトラとリースはそちらの方を向いた。数人の警 備の兵が近づいて来ている。 「なんじゃ。物騒な」 「い、一体どうしたんでしょうね…」 ファトラは怪訝な顔をする。リースはかなり動揺しているようだ。警備の兵は走 ってさらに近づいてくる。そしてテーブルを包囲した。そのことにファトラとリー スは戸惑う。 「なんです? どうしたのですか?」 「無礼な。そなたたちわらわをロシュタリア王国第2王女ファトラと知っての所存 か!?」 ファトラは立ち上がり、兵たちを威嚇する。しかし兵たちは全く動じようとはし ない。リースは立ち上がると、脅えた様子で後ずさる。 (なんじゃ…。こいつら何を考えておるのじゃ…) 「きゃっ!!」 兵の一人がリースを庇うようにして抱き上げると、後ろへ引っ込めた。リースは そのままどこかへ連れていかれる。そんな中、ガブリエルだけは余裕の様子で床を はっている。 「ご無事ですか、王女?」 「えっ? 一体なんなのですか?」 「これ、リースをどこへ連れて行く? 訳を話さんか」 ファトラのその言葉は無視して、兵たちはさらにファトラの包囲の輪を狭めてい く。さすがのファトラも額に冷や汗が流れてきた。数歩後ずさる。 (暗殺か? 今までのは芝居じゃったか。この兵たちを倒せたとしても、他の兵が いる以上、攻撃するのは得策ではないか…) その時、兵の一人が口を開いた。 「お前が偽物だということは分かっている。さっさとお縄を頂戴しろ!」 「えっ、あなた偽物だったんですか!?」 意味が分かっているのかいないのか、リースは中途半端な驚き方をする。ファト ラは兵の言葉にびっくりして、怒涛の勢いで反論した。 「何い? なんでわらわが偽物なのじゃ。証拠はあるのか?」 「本物のファトラ姫は会合に出席しておられるわ! それが何よりの証拠だ!」 「なっ! …くっ…。それは……うかつ…。なんということ……」 さすがのファトラもこれには反論できない。会合に出ている方が偽物であること を明かせばいいのだが、国やルーンの名誉に傷がつくことは避けたかった。 「さあ、大人しくお縄を頂戴しろ」 「や、やむをえん…」 「そんなあ…私悲しいです…」 兵に連れられているため、リースの声は徐々に小さくなっていった。ファトラは がっくりとうなだれながら、再び椅子に座る。兵はロープを取り出すと、ファトラ を後ろ手に縛り始めた。 「あいたたたたっ!! もっと優しく縛らんか! 肌に傷でもついたらどうしてく れる!」 「賊の分際で文句を言うな! 暗殺でも企んでいたのだろう! お前など即刻処刑 されるわ!」 「な、何いっ!? それはまずい!」 「ええい、うるさい!」 兵はファトラを縛り上げると、しょっぴいていく。おそらく行先は牢だろう。 (なんということじゃ…。誠の正体を明かすべきか…。できればそれは避けたいの じゃが、命には代えられんし…。困ったのう…) ファトラは珍しくかなり悩んでいた。無論、命は惜しい。しかし誠の正体を明か せばスキャンダルになってしまう。それに身代わりがいると便利なので、これがで きなくなることも避けたかった。 (何とかして処刑される前に方策を練らねばな…) ファトラは牢への石畳を踏みながら、頭を悩ませた。