§第5章  希望する人


 ファトラとアレーレがリースたちの別荘を飛び出した日の日暮れごろ。二人は国境を越えて、ロシュタリアに入っていた。手近な都市でロシュタリアの情報網に接触してみたが、ルーンに関する情報は入手できなかった。
 やむを得ず、ファトラはロシュタリア王宮に入ってみることにした。
「ファトラ様、危険ですよ。せめて応援を集めてからの方が…」
「そんなこと言っておれん。それに、この分だと応援を集めるだけ無駄じゃな。人数が少ない方が見つかりにくくてよい」
「はあ…。しかし、王宮にはすでにアフラお姉様とシェーラお姉様が行ってますよ」
「あの二人か…。もしあの二人が事を上手く運んでいたならそれに越したことはないし、だめならだめでそのように立ち回るだけじゃな」
 ファトラは淡々と喋る。
「それはそうですが…」
 アレーレは始終浮かない顔をしていた。今回のファトラの行動はいささか軽率なものであるように思っていた。いくらファトラが武芸に秀でているからと言っても所詮一人の人間の力など限られているし、単独での行動は危険すぎる。かと言って、ファトラを止められない自分がもどかしくもあった。ファトラがルーンに対して極めて精神依存していることは知っていたが、実際にそれを見せつけられるとどうしていいか分からなくなる。

 次の日、二人はフリスタリカにまでやって来た。
 王宮が奪還されたような様子はない。しばらくあたりを探索して、すぐにアフラとシェーラが失敗したらしいということが知れた。
「ファトラ様、まずいですよ。あの二人が失敗したんですから、私たちだって危ないです」
「わらわたちは姉上を探しに来ただけで、王宮を取り返しに来たのではない。バグロムの親玉と渡り合う気はないし、王宮の中を探索するだけじゃ」
「はあ…。そうですか……」
「何だか気が進まん顔をしておるのう。そなたはここに残るか?」
 ファトラはルーンのことの方に気を取られているため、アレーレのことには無関心でいた。アレーレがこうも弱気なのはそうあることではなかったが。
「いえ、私も行きます!」
「そうか?」
 こうして二人はロシュタリア王宮に忍び込んだ。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 ロシュタリア王宮の謁見の間。玉座には陣内が鎮座し、その前では女装させられた誠と、手傷を負ったアフラとシェーラが拘束されていた。陣内は得意満面の様子で3人を眺めている。
「さてと。ひと段落ついた所で、貴様の裁判でも始めるかな。ちょうど証人もいることだしな」
「裁判って、僕なにか悪いことしたか?」
「ええい、この期に及んでなんとふてぶてしい! したと言ったらしたのだ! 貴様の罪は重い! この私が裁いてくれる!」
「てめえ! こんなことして許されると思ってんのか!?」
 シェーラが陣内に向かってかみつく。
「うるさい! 許されないのは誠の方だ! 証人は許された時にだけ喋るのだ!」
「しゃらくせえ! 誰がてめえの言うことなんか聞けるかよ!」
 シェーラはふらふらと立ち上がり、怪我をした左足を引きずるようにしながら陣内に向き合った。
「黙れ黙れ! 黙らんとこの王宮の最上階から叩き落とすぞ!」
「おう! やってもらおうじゃねえか!」
 首に繋がれた鎖を目一杯引っ張り、唾を飛ばしながら叫ぶシェーラ。
「まあまあシェーラさん、落ち着いて」
「誠ぉ、おめえはこんなやつにいいようにされて、悔しくないのかよ!?」
「今はどうにもならないじゃないですか」
「誠はん、冷静どすなぁ…。見た所、身の危険が一番多そうなのは誠はんのようやのに」
 アフラが感心したように言う。彼女は鎖に繋がれているのがいかにも不服そうだった。
「お前たち、喋っていいのは私が許可した時だけだ!」
 陣内が地団駄踏みながら言う。
「で、陣内は僕が何をしたと言うんや?」
「ふ。知れたこと」
 ようやく話を聞いてもらえそうになって、陣内は嬉しそうな顔をした。
「水原誠。貴様は私の作戦をことごとく妨害し、そのことごとくを失敗に終わらせた。この罪は重い」
「作戦って何のことや? 妨害って?」
「しらを切るつもりか。まあよい。じきにそんな余裕もなくなる。――まず!!」
 陣内は大仰な身振りで腕を振り上げた。
「貴様は私のエルハザードにおける同盟諸国への攻略作戦を妨害し、これを失敗に終わらせた。この罪を認めるかっ!?」
「それは侵略してきたお前たちが悪いんやろが!」
「ええい愚か者! この裁判は我らがバグロム帝国の裁判なのだ! 従って、バグロム帝国の意向にそぐわぬことこそが罪なのだ。分かったか!」
「バグロム帝国の意向じゃなくて、お前の意向やろうが」
「その通り。私こそがバグロム帝国であり、バグロム帝国とは私なのだ。私に逆らうことはバグロム帝国にさからうことと知れい!」
 陣内は得意満面の様子でまくしたてる。
「とにかく、僕はそんな罪認めへん」
「ふ。よかろう。そうでなくてはおもしろくない。――カツオ!」
「ゲギョッ」
 陣内の呼び声に答えて、カツオが陣内と誠たちの間に入ってきた。カツオは誠たちの前に向き直る。その様子を見て、誠は陣内が何を考えているのか察した。
「拷問されたって、認められんもんは認められんで!」
 誠は厳しい表情で叫ぶ。
「その決意、どこまで徹せるかな?」
 表情だけで笑う陣内。
 陣内がやれと合図すると、カツオはアフラを高々と抱えあげた。
「う、うちをどないするつもりどすかぁ!?」
 縛られているために身動きできないアフラは空中で体をよじる。
「陣内! アフラさんになんてことするんや! 僕の裁判やないか!」
「ふはははははっ!! 貴様の性格など先刻お見通しよ! さあっ、罪を認めるかっ!? なんなら、認めなくてもよいのだぞ!」
「なんて卑怯な奴なんや!」
「ま、誠はん! こないな奴の馬鹿な茶番に乗る必要はないどすえ!」
「アフラ、耐えるんだ!」
 シェーラがアフラに声援を送る。
「さあっ! どうする誠!」
「くうう…。僕は……」
 誠は顔に苦渋の色を浮かべる。
「ええい! はっきりとせん奴だ! カツオ、やれい!」
「ギョギョッ!」
 カツオはアフラを石造りの床に向かって放り投げた。
「いだあっ!!」
 にぶい音がして、アフラが地面に叩きつけられる。
「な、なんてことをするんやぁ!」
 誠が絶叫する。
「心配するな誠。あたいの怪我に比べれば、大したことないぜ。アフラはこの程度じゃびくともしねえ」
「シェーラ、勝手なことばかり言わんでおくれやす!!」
 アフラが涙目で抗議する。
「さあ水原誠。これで少しは決心がついたかな?」
「くううぅぅ…。じ、陣内…」
「まだ決心がつかんというのならさらに……」
 陣内はカツオに目くばせする。
「わ、分かった。分かった陣内。分かった。僕が悪かった」
 絞り出すような声で誠。
「あほかお前は!!」
 陣内は誠を足蹴にした。
「な、何をするんや! 僕が悪かったって言ってるやろうが!」
「認めてしまったら、いたぶれんじゃないか! 私がいいと言うまで、認めることは許さん!」
「理不尽やで!!」
 大声で叫ぶ誠。
「このド畜生が! てめえはやっぱりあたいが叩き殺してやる!!」
「ぎゃん!」
 シェーラは大声で叫ぶと、近くにいた陣内の足をうまいことひっかけて陣内を転ばせた。
 陣内は情けない声をあげて倒れる。
 シェーラは倒れた陣内の上に馬乗りになると、両手首に繋がれていた鎖を陣内の首に巻きつけぐいぐい締め上げ始めた。
「ぐわああぁぁっ!!」
 陣内は取り乱してしまい、まともな手を打つことができない。それでもかすれ声でカツオの名を呼ぶことはできた。
 カツオは再度アフラを持ち上げ、シェーラに誇示するようにする。が、シェーラはまったく意に介さない。それを見て取ると、カツオはアフラをシェーラに投げつけた。
「ぐわっ!」
 投げつけられたアフラの体はシェーラと陣内をまとめて弾き、3人はもみくちゃになって床に投げ出される。
「ええい! なんと獰猛(ドウモウ)な女だ! 怪我をしていても、まだこれだけのガッツがあるとは!」
 陣内はいそいそとシェーラから離れると、額の汗をハンカチで拭う。
「アフラ! なんてことするんだよ! もう少しでこいつを絞め殺せたのに!!」
「うちの意思じゃありまへん!!」
「アフラさんシェーラさん、大丈夫ですか!?」
「えいうるさい! みんな牢に入っておれ!!」
「てめえ! とっととあたいに殺されろってんだ!!」
「うるさいうるさい!! お前の始末は後で考える!!」
 こうしてシェーラとアフラは地下牢へ放り込まれた。

 ファトラとアレーレはロシュタリア王宮への侵入に成功していた。普段城を抜けだす手腕を鍛えているだけあって、忍び込むのも容易である。普段使っている抜け道から簡単に侵入できた。
「ロシュタリアの王宮を制圧したと聞いたから、さぞかし凄い状態になっているのかと思ったが、全然違ったな」
 ファトラはどこかしら拍子抜けしたような表情で喋る。
「ですね」
「一体どうして陥落したのか…。ロンズの奴は何をやっておったのじゃ」
 王宮の中はもぬけのからとなっていた。あちこち探したが、ルーンがいそうな気配はない。
「ファトラ様、どうやらルーン王女様はいらっしゃらないみたいですね」
「そのようじゃ。どこかに隠れているというわけでもなさそうだし、捕らえられてもいないようだし、となると一体どこにいるのだろう…?」
「やはり無事に逃げおおせたようですね」
 ファトラに配慮して、アレーレはもっとも楽観的な憶測を述べる。その間にも、ファトラの表情を伺うことを忘れなかった。
「そうだといいが…」
 ファトラの表情は依然として硬い。
「ところで、アフラお姉様とシェーラお姉様はどうなったんでしょうか?」
 アレーレは意図的に話題を逸らした。
「ああ。そういえば姿を見かけないな。方術が使われたような跡があるし、ここに来たのは確かなようだが…」
「どうやら失敗したことは確かなようですね。となると、逃げたか、捕まっているか、殺されているかだと思いますけど」
「この分だと、分からんぞ。神隠しだなんて言っても通用してしまいそうな雰囲気じゃ」
「神隠しだなんて、ご冗談を」

 結局、地下牢にて、拘束されているアフラとシェーラを発見した。
「来るんじゃないかとは思うとりましたが、まさか本当に来なはるとは…」
 予想外のような顔をするアフラ。
「なんじゃその言葉は。変な物言いをしおってからに」
 ファトラは口の端をつり上げる。
「おうファトラ! あたいたちをここから出してくれよ!」
 シェーラは左足首に布を巻き、足を引きずるようにしていた。何かケガをしているのだと知れる。
「その前に聞きたいことがある。姉上を知らんか?」
「ルーン王女に関しては、うちらは何の情報も持ってまへん。この王宮はうちらが来た時からもぬけの殻どした」
「そうか。ではバグロムの親玉はどうした?」
「まだこの王宮にいると思うどす。ルーン王女が捕まっている様子はありまへん」
「分かった。では、ここにはもう用はないな。アレーレ、二人を出してやれ」
「分かりました」
 アレーレは牢からアフラとシェーラを出してやった。
「ありがとよ。じゃあいくぜ」
 不安定な歩き方ながらも、勝ち気な表情のシェーラ。
「行くってどこへ?」
「バグロムの親玉の所に決まってるじゃねえか。今度こそ叩き殺してやる」
「その足では無理どす。それにランプだってないじゃおへんか」
「あいつをタコ殴りにするくらいの気力は残ってらい!」
「無理どす」
 熱くなるシェーラに対して、アフラは冷静な口調で喋る。ただでさえケガをしているというのに、その上ランプを取りあげられているとくれば勝ち目はない。
「じゃあどうするってんだよ!」
「いったん逃げて、それから体勢を整えることどすな」
「それじゃあ誠はどうするんだよ!?」
 誠の名前を聞き、アフラの眉がぴくりと動く。
「では、わらわたちはもう行くぞ」
「ファトラ姫はどないするんどすか?」
「わらわたちは姉上を探す。ここにはいないと分かったんでな」
「うちも手伝うどす」
「なんでそなたが手伝うのじゃ?」
 冷めた目でアフラを見るファトラ。
「今の段階ではそれが一番いいと思うからどす」
 自分たちでは陣内を倒すことは困難と判断し、アフラはさしあたってロシュタリアの安定を図るべきだと判断した。
「ほほう」
 ファトラはアフラの目の色を見て、感嘆とも侮蔑ともとれる声を発した。
「おい待てよアフラ。誠はどうなるんだよ!」
「今はそれは後回しどす」
「てめえ! それでも人間か!?」
「…………」
 アフラはしぶい表情をするだけで答えない。シェーラはアフラの胸元を掴みあげた。
「わらわたちはもう行くぞ。あまり長居していて見つかってしまっては元も子もないんでな。ついてきたければついてこい」
 ファトラはアフラとシェーラは放っておき、アレーレを連れて歩きだした。

「ファトラ様。これからどうするんですか?」
「そうじゃな。さしあたっては、姉上以外でもいいから、適当な人間と連絡を取ることじゃな。あまりにも情報が不足しておる。それに、国家の機能があまり長期間麻痺するのもよくない」
「そうですね。では、この付近の都市を周ってみますか」
「うむ」
 報告を受けていたほど街は危険でもなく、この分ならルーンは一時的に連絡を絶って行方をくらましているだけだとファトラは思った。いずれにせよ、早く会って無事を確認したいことに変わりはないが。
 二人は王宮を出て、飛行艇が留めてある場所へと向かう。
「ちょ、ちょっと待っておくれやす」
 突然、何者かによって呼び止められた。聞き覚えのある声にふりかえると、そこにはアフラがいる。
「うちも連れってって欲しいどす」
 アフラは一人だった。
「ランプを付けていないようじゃが、そなたを連れていくメリットがあるのか?」
 ファトラのその言葉に、アフラはうっと呻く。
「ランプがなくても戦えますし、他の神官たちに顔が利きますえ」
「……よかろう。好きにするがいい」
 ファトラは投げやりに答えると、飛行艇に乗り込む。それに続き、アフラも乗り込んだ。
 アレーレは操縦席に座ると、飛行艇を発進させた。付近の都市の1つへと進路を取る。
「ところで、シェーラお姉様はどうなさったんですか?」
 するすると景色が流れていく中、思い出したようにアレーレは尋ねた。今まで訊くタイミングを逃していたのである。
「シェーラはもう一度バグロムの親玉と対戦すると言って聞かなかったもんで、別れました」
「そ、そうですか…」
 答えの予測はだいたいついていたものの、実際に答えられると返答に困ってしまうアレーレであった。アフラは、シェーラが勝つことはできないものの、もう一度牢に入れられるだけだと踏んでいた。

 地下牢でアフラと別れたシェーラは、単身再び陣内との対決を試みていた。陣内の鎧は方術は効かないが、物理攻撃は効くことをアフラから聞いていたため、シェーラは自慢の腕っぷしで何とかなると思っていた。

 自分への警備が甘いことをいいことにリースたちの別荘を抜けだした菜々美だったが、フリスタリカへの交通が麻痺状態になっていたため、フリスタリカへ向かうことは困難な状態となっていた。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 王宮へ戻ったリースは、いつも通りの終わりなき日常に身を委ねていた。一応、彼女はエランディアという国の女王であるわけだが、この国は実際には複数の貴族の合議制で動いているため、彼女にはルーンやファトラのような大きな負荷がかかることはない。それに、難しいことはほとんど彼女の摂政であるニーナがこなしてしまうため、リース本人にかかる負荷というのは知れた物であった。
 リースの今の所の懸案は、同年代の遊び相手だった。なかなか都合の良い遊び相手がいないのである。
「ねえや。王宮には私の遊び相手になるような子はいないの?」
 その質問に、ニーナは片眉をかしげる。もう何度も聞いたような質問である。
「……いないことはないけど、派閥の問題とかがあるし、なかなかね…」
「派閥って?」
「リースちゃんの遊び相手となると貴族の娘とかになるだろうけど、政治上の都合でなかなか打ち解けられないの。ルルシャと遊びなさいな」
 書類に目を通しつつ、やや事務的な口調でニーナは答える。
「母様は遊んでくれないから…。母様やねえやが私くらいの時は何をしていたの?」
「……いろいろとあった……」
 さっきとは打って変わって意味深な声音のニーナ。
「いろいろって?」
 リースはテーブルの向こうにいるニーナに向かって軽く身を乗り出す。
「リースちゃんはまだ若いから…。そのうち教えてあげる」
「なんで? 私くらいの年の時にしていたことなら、今の私が知ってもいいじゃない?」
「うん……そのうちね。遊び相手のことは考えておいてあげる」
「?」
 ニーナが話を逸らすために遊び相手のことを持ち出したということは、リースにも分かった。ルルシャやニーナの昔について、自分は何も知らないことを思い出す。自分は彼女たちがどういう経緯でここにいるのか知らない。彼女たちの血縁や親戚関係がどうなっているのかも知らない。ただ、彼女たちの周りには他にも女性がいることだけは知っている。きっと同じ境遇の女性だったのだろう。でも、それがどんな境遇なのかは知らなかった。
「……ねえ?」
 再度、リースはニーナに声をかける。
「なに?」
「ファトラ姫がいるじゃない?」
「……欲しいの?」
「無理でしょ?」
 おかしな受け答え。
「ロシュタリアが潰れてしまえば、こっちで引き取れるかもね。でも、きっと事後処理が物凄いことになって、うやむやになるでしょ」
「うやむやねえ…」
「…?」
 今度はニーナが不思議がる番だった。

 ファトラたちの飛行艇はフリスタリカ近郊の都市を周っていた。1つ目は外れ。今は2つ目に向かっている所である。
「ファトラ姫。聞きたいことがあります」
「うん?」
 流れる景色の中。アフラは不意にファトラに声をかけた。
「なんでロシュタリアに入ったんどすか。危険だったはずどす」
「だが、実際にはさほど危険ではなかった。だったらいいではないか」
「しかし……! ルーン王女が行方不明になった以上、もしファトラ姫になにかあれば、ロシュタリアは大変なことになります。今回の行動は配慮がなさ過ぎやと思います」
 心苦しそうに口走るアフラ。
「わらわになにかあれば…?」
「死ぬ可能性だってあったはずどす」
「…………何が言いたい?」
 たっぷり間を置いてから、ファトラは訊いた。
「だから、来るべきじゃなかったと言いたいんどす! 軽率すぎるどすえ! 王族としての自覚が……!」
 そこまで言った所で、ファトラがアフラを止めた。
「言わんでいい。分かっておる。承知の上じゃ。しかしな、王がなくとも民は生きていける。そうは思わんか?」
「……うちら神官の間だったら、考えられないことどす」
「そんなことは知らん。現に、そなただってここに来ておるではないか」
「これは仕方なくどす」
「だったら、わらわだって仕方なくじゃ。細かいことを詮索するな」
「…………」
 ファトラにぴしゃりと言われ、アフラは始終浮かない顔をしていた。

 2つ目の都市。そこにはストレルバウの研究所の分室があった。
「ここからはロシュタリアの領域じゃ。そなたは入るな」
 研究所前の玄関で、ファトラは不意に言い放った。
「うちどすか?」
「他に誰がいる? そなたはロシュタリアの人間ではない」
 突然のファトラの言葉に、アフラがきょとんとした顔をする。
「わ…分かったどす。じゃあうちはこの近くにいる神官に何かないか訊いてくるどす」
 いささか釈然としない顔をしながらも、アフラはぶらぶらと歩いていった。確かに、今の段階でもやや介入しすぎの状態であるため、これ以上介入の度合を増やすのは良くない。本当ならバグロムの親玉を倒して、それで終わらせるつもりだったのだが…。
 研究所分室では、業務が停止したロシュタリア王宮に代わって、臨時に一部の業務の代行を行っていた。
「業務をロシュタリア王宮に集中させるというのは便利じゃが、こういう時には弱いのう…」
 まさに戦場のような状態で書類と格闘している事務員を尻目に、ファトラはそんなことを口にする。
「非常時のための代行が設定してあるとはいえ、効率悪いですね。そもそも、王宮が業務停止すること自体ほとんど想定外ですし」
 やや説明口調のアレーレ。ここにはおつかいで来ることもしばしばあるが、普段からは考えられないような状態になっている。もっとも、今はロシュタリア全体が考えられないような状態だが。
「いっそのこと、常時分散させておくか?」
「ロシュタリア全体で行われる業務は膨大な量ですから、平常時から分散させておくのは無理ですよ」
「まあ、これは姉上に報告しておくこととしよう」
「そうですね」
 研究所の応接間に入ると、しばらくの間を置いてから研究所の室長が現われた。ストレルバウには劣るものの、たっぷりとした顎髭を生やしたむさ苦しい中年男だ。
「ファトラ殿下! ご無事でしたか!」
 彼はファトラに抱きつかんばかりに感激する。ファトラの方は身の危険を察して、彼から退いた。
「細かいことは抜きじゃ。姉上について何か知っていることがあれば聞きたい」
「はっ。ルーン殿下につきましては、このような書状を承っております」
「貸せっ!」
 ファトラはひったくるようにして室長から書状を受け取った。
「いやあ。ロシュタリア王宮が陥落したと聞いた時は本当にびっくりしました。しかし、こうして私どもが臨時に業務を代行しておりますゆえ、ご安心を。もっとも、代行しているのは本来は研究を本職としている人間でありますゆえ、効率がいささか悪いですが…」
 室長の話にはまったく耳を貸さず、ファトラは食い入るようにして書状を読んでいた。
 書状はロシュタリアの暗号文で書かれていた。これを読めるのは一部の人間だけだ。ファトラはアナグラムされた文字を頭の中で正しい順序に置き換え、その意味を察した。
「邪魔したな! アレーレ、行くぞ!」
「はいっ!」
 ファトラはすかさず踵を返すと、駆け足で部屋から出ていった。アレーレは室長に簡単な挨拶をすると、すぐにファトラを追った。
 二人は研究所を出ると、飛行艇に飛び乗る。
「ファトラ様、どちらへ?」
「エランディアへ引き返せ!」
「分かりました。あ、でもアフラお姉様がまだ乗っておられません」
「えい! めんどくさい! アレーレ、わらわに操縦させろ!」
「あ、ちょっと!」
 ファトラはアレーレを操縦席からどかすと、自分が操縦席に座った。それとほとんど同時に飛行艇が走り始める。
「ファトラ様、どうなさるおつもりで?」
「アフラの行き先くらい、見当がつく!」

 アフラは研究所の近くにある神殿にいた。神殿といっても、これは街の住民を相手にして、神官の特殊技能で商売をしているのに近いような所であったが。
 アフラはそこにいた神官たちに話を聞いていた。しかし、神官の情報網には特に情報は入っていなかった。
「大神官の中でも名高いアフラ・マーン様に来ていただけるなんて、光栄の限りでございます」
 神殿にいた神官たちは突然の大神官の来訪に心底感激していた。自分よりも年上の神官にちやほやされると、アフラもさすがに照れくさい気分になる。
「ちょっと今日は急ぎなんどすよ。じゃあ、うちはこれで失礼するどす」
「またいつでもいらして下さい」
 アフラが応接間から出ようとしたその刹那、不意に建物が揺れた。
「な、なんどすかっ!?」
 玄関へ向かってダッシュするアフラ。
 玄関に出ると、そこではロシュタリアの紋の入った飛行艇が側面を門柱に食い込ませていた。
「あーっ! なんちゅうことを!」
「えい! 早く乗れ! 置いてくぞ!」
 飛行艇の操縦席ではロシュタリア第2王女ががなり声をあげている。その様子を見て、ルーンの居場所が分かったのだろうということが知れた。一方、神殿の神官たちは開いた口が塞がらないといった顔をしている。
「す、すみまへんなあ。修繕費はロシュタリアに請求しておいておくれやす。ほなさいなら!」
「あ、アフラ様!」
 アフラは挨拶もそこそこに、飛行艇に飛び乗った。それと同時に、飛行艇は発進する。後には、突然のことに呆然とした神官たちだけが残された。

 飛行艇は街中では速すぎる速度で滑っていく。
「危ないどすなあ! もっと安全に操縦しておくれやす」
「さっきのはちゃんと弁償してやるわ」
 抗議するアフラに顔を向けることもなく、ファトラはしれっと言ってのける。
「うちが言ってるのはそんなことじゃないどす! 無茶が過ぎると言っているんどす!」
「いままでわらわは数え切れないくらい無茶をしてきたが、それでもちゃんと生きておるぞ」
「一国の王女のセリフとは思えまへん」
 そこで初めて、ファトラはアフラにちらりと顔を向けた。飛行艇を操縦しているせいで、面と向かいあえないが。
「こだわるのう…。そなたが大神官だからか?」
「どういう意味どす?」
 意味深なファトラの言葉に、アフラは怪訝な顔をする。
「……まあ、わらわは最初から王女だったし……自力で大神官になったそなたとは違うよな…。忘れてくれ」
 ファトラは思い直したようなそぶりを見せると、自嘲気味に口走った。
「うちを馬鹿にする気どすか?」
 どすの利いた声で喋るアフラ。
「……そうじゃない。ただ、王族というのはそなたが思っているようなものではない…。わらわが奔放すぎるのは認めるが、いざという時に身内の元にもいけないような身分でいたくはない…」
「…………」
 それきり、アフラは喋らなかった。



説明へ戻ります