新明解のページ - 使用パソコン履歴

このページには、私が使用してきたパソコンについていろいろ書いてあります。

中学時代

中学三年生の時、家電フェアで、日立のベーシックマスターレベル2を見かけたのが、 パソコンとの最初の出会いだと思う。これでパソコンに興味を持つようにはなったけど、 買ってもらえるほど、当時のパソコンは安くなかった(苦笑)。

高校時代 (ポケコンとレベル3)

高校では美術部に在籍(後に部長になる)。 部活では女の子ばかり描いていた(笑)。 絵画も好きだったが、パソコンにも興味があり、デパートで、 パソコンより、ずっと安い、ポケットコンピューター シャープPC-1210を見つけ、郵便局でアルバイトをして、購入。 プログラミングのおもしろさにのめり込み、徹夜でゲームプログラム などを書いたりした。

高校三年になり、突如、父が、ベーシックマスターレベル3マークIIを 買ってきた。なんか、パソコンの勉強のためというものだったが、実際、 父はほとんど使用することもなく、私が夏休み中、使いまくった(笑)。 グラフィック機能が弱く、他の機種がうらやましかったかもしれない(笑)。

これで、大学受験がやばくなった可能性もあるが、とりあえず、浪人せずに 入学できたので、ま、いっか(笑)。

大学時代 (MSXとMSX2)

山形大学に入学。1年だけは、山形市にある小白川キャンパスに通った。 入学祝いということで、日立のMSXマシン H1を買ってもらった (工藤夕紀がCMやってた手提げパソコン)。 大学では絵画部に入部した。絵も描いたが、パソコンにもはまった。 絵画部メンバーにパソコンに興味のある人が何人かいたことの影響も大きい。 文化祭では、絵画展の傍ら、パソコン(H1)を使って、来客者のバイオリズムを 出力させたりして、盛況だった。 一方、絵画部の友人の影響もあって、この頃から、コンピューピューター ミュージックにもはまりだした。もともとシンセサイザーミュージックには 興味があって、そのうえ、この当時、ちょうど、MSXで、YAMAHAの FMシンセサイザーユニットを使用すれば、かなり本格的なコンピューター ミュージックが楽しめるようになっていたのだった。

2年の時、工学部米沢キャンパスに移った後は、ここには絵画部がなかったので、 マイクロコンピューター研究会に入会。最終的には会長になる。 この頃から、クラシック音楽(おもにバッハやヴィヴァルディ)や、 ナムコなどのゲームミュージックをパソコンで鳴らすなどのことに はまる。なんか、作曲もしたらしい(笑)。 そうしているうちにパソコンの性能に不満を持つようになり、ソニーの MSX2HB-F500を購入する。 その頃、高速なベーシックコンパイラべーしっ君を使って、3DCGにも 挑戦することになったが、球と平面しか扱えないため、すぐに 飽きてしまっている。 この頃、しばしば、NEC 88ユーザーにいじめられたので(笑)、 その後も、NECのマシンを全く買っていない。

YAMAHA C1時代

大学卒業後、某ソフトウェア会社に入社。それとほぼ同時に、 YAMAHAのラップトップパソコン C1を購入。もちろん、パソコンミュージック をやるために買ったのだ。 実際、大学時代と同様、クラッシック音楽の打ち込みなどしてたのだが、 そのうち行き詰まっていくのだった。

一方、このパソコンがPC-AT互換機であったことが、 私のその後のパソコン選択に大きな影響を与えた。 当時、DOS/Vはなかったし、 このパソコンはAXマシンでもなかったので、日本語は全く扱えなかったため、 海外のPC-AT互換機用のソフトを買いあさった。神奈川へ転勤になり、 秋葉原に頻繁に行けるようになったのも幸いした。 そんな中、MS-Windows(当時のバージョンは2.1だったと思う)と出会い、 完全にとりこになってしまう(新明解は実は、Macよりも、Amigaよりも、先に Windowsに出会った珍しい人なのである。笑)。

Amiga時代

この頃、TBSで放送していたえび天などの影響で、自主制作映像に感心を持ち、 自ら、コンピューターアニメーション制作をしたいと思うようになってきていた。 しかし、C1やMSX2ではそれはとても困難だと思われた(中にはMSXでアニメーション を制作した人もいるのだが)。

名古屋に戻り、パソコンを置く場所にも困らなくなったので 新しいパソコンを探すことになっただが、友人の誘いで、 「ロッキン」という楽器店へ行ったことが、 私のパソコン生活を根本から変えることになった。 そこには、アニメーション制作に強いAmigaがあったのである。 この際、Macや、PC互換機なども購入候補にあがったのだが、 デラックスペイントという強力なアニメーション制作ツールが存在するAmigaに最も魅力を感じて、 結局、Amiga2000を買うことにしたのだった。

その際、CPUパワー不足を補うために、 ちょっと贅沢なCPUアクセラレータ(68030 50MHz)を購入したのだが、 せっかく、高速CPUがあるんだからと、 軽い気持ちで3D CGソフトImagineも購入した。 当時、Imagineは3万円ぐらいの安さだったのだ。 もちろん、本来は2D CGアニメーションを制作することが主目的だったのだが、 しかし、決定的な画力不足から、それは一向に進まなかった。 コンピューターミュージックもAmigaでやりつづけたかったのだが、 これも使用ソフトと相性があわなかったことや、そもそも譜面を読むことや 演奏することもろくにできなかったことから、これも頓挫した。 そんな中、軽い気持ちで使っていたImagineに、どんどんはまっていくことに なったのである。

特にアニメーション機能には驚かされた。周囲にあまりユーザーがいなかったこともあり、 ほとんど独学で、難解な英語マニュアルと戦いながら、 機能を覚えていったのだが、Imagineは私が考えていた以上の可能性を秘めていたのである。 そのうち、Imaginもver 2.0になり、さらにアニメーション制作機能が充実していく中、 制作した習作をロッキンに持ち込んで観てもらうということが日常化していき、 ついには、アニメーション作品「少女キャレット」が完成したのである。

Windows時代(その1 - Windows95マシン)

ところで、このAmigaも日本語処理能力がてんでだめだった。そんなわけで、 私はそれを補うべく、東芝のダイナブック初代機を中古で購入していた (これを購入したのは、YAMAHA C1が東芝のT3100というラップトップ機の 互換機であったことにもよる)。 それを使用し、パソコン通信等をはじめたのである。 パソコン通信にもずいぶんのめりこむようになり、ダイナブックの性能に 不満を感じていた私は、もう1台パソコンを買うことを考えるように なったのだが、そのときは、もう、PC互換機しか考えてなかった。 というのも、そもそも、仕事でもWindowsのソフト開発をしており、 その操作環境にすっかり慣れていたのだ。 こうして、CanonのPC互換機INOVA 4233SXを購入した。当初は486SX CPUを 入れた非力なマシンだったが、パソコン通信とかには十分なマシンだった。

でも、それを買った頃は、まだまだ、3D CGをやるにはOSのWindows 3.1はあまりに不安定で、 ソフトもあまり充実してなかったので、CG制作において、これをAmiga後継マシンに することを必ずしも考えてはいなかった(でも、将来はやはり主流になるのでは、 と考えていた)。 しかし、Amigaの絶対的な性能不足により、少女キャレットの次の作品が 完成できなかったことが(その残骸がギャラリーのページにある優紀美(少女キミー) である。)CG制作の環境をAmiga中心から、PC互換機に移行することを決断させることになる。 ちょうど、ImagineもPC互換機用のものが出ていたのである。

しかし、このImagineはDOS版だった。とりあえず、CPUをDX2 50MHZ(40MHz DX2を 50MHzで使っていた。笑)、そして、DX4 100MHzとスピードアップしていったが、 どうも、このDOS版のImagineはしっくり来なかった。 Windows環境から使えなかったことも理由の1つだった。 とはいうものの、速度はAmiga版よりもはるかに向上していたので、モデリングなどは 細々と続けていた。そして、すでにキャレット制作から約2年半の月日が経過していた。

Windows時代(その2 - WindowsNTマシン)

そんな中、ようやく、ImagineがWindowsに移植されたのだった。 移植されたWindows版Imagineの操作感は、私の感覚に非常に合っていた。 そもそも、仕事でもパソコン通信でも毎日使っていたWindowsの操作系には、 Amigaよりもずっと慣れていたのだ。 そんなわけで、DX4100MHzというそこそこのマシン性能のおかげもあり、 DoGA CGAコンテストの締め切りには、間に合わないと思われていた作品 「案山子」が完成したのだった。

そういうわけで、すっかりWindows版 Imagineに惚れ込んだ私は、このソフトのために さらにマシン性能を向上させることを決めたのだった。 Pentium ProのCPU、OSはWindows NTを搭載した新しいPC互換機を購入。 さすがにPentium Proは高速で、動作も安定しているので、モデリング作業もさらに快調に進むようになって、なんとか締め切りまでに 「萌え燃えシスターズ」が完成した。

このマシンは箱を変えずに、2000年11月にリプレイスされた。

Windows時代(その3 - NT DualCPUマシンとWindows95ノート)

なんか、内緒なんだけど(おいおい)、その後、IBM PC 365というPentium Proマシンが増えた。それもなんか、LANでつながっている。 これで3D CG制作のレンダリング時間を短縮するらしい。ううむ。

その後、そのマシンは、PentiumProの中古が安くなったため、Dual CPU化した。

なお、ノートパソコンも持っている。キャラベルのTopper。これにはWindows95が入っている。 でも、CPUはDX4 100MHzと頼りないスペックではあるが、 文章制作にはこれでも十分。寝そべって脚本書くときとか、自宅でないところで 作品制作するときに使っている。性能にはあまり不満はないものの、 重いし、バッテリー切れが早すぎるのがちと辛い。

Windows時代(その4 - WindowsCEマシン)

Cassiopeia A-60も使用。これで、Windows 95/NT/CEユーザーか(笑)。 旅行の際に持ち歩き、メールを読んだり、Web掲示板に書き込みをすることなどに利用。 通勤にも持ち歩いているが、最近は列車の中では眠っていることが多く、 普段はそれほどは活躍していない(苦笑)。同人誌執筆とかで締め切りが近くなると活躍する(笑)。 水害の際には停電の中、ニッケル水素電池を使用し、安否を友人達に知らせるなど、活躍した。

Windows時代(その5 - Windows2000マシン)

メイン機を購入後、3年が経過。いろいろパーツを交換し使ってきたが、 原因不明のシステムダウンとかが頻発するようになってきたし、 世の中を見渡すと、DVを使用した動画編集も、比較的安価になってきた…ということで、 久々に山田氏の力を借りて、メインマシンの部品を大幅交換した。交換したのは、

SCSIカード、LANカード、電源、箱、キーボードは流用(笑)。 そして、新規に、DV Raptorを購入した。OSもWindows2000を新規インストール。 これで、今まで、Windowsで制作した動画データは、Amigaへ持っていって、PARを使って動画再生をしていたのが、すべて、PC上で作業可能になった。

悪名高いWindows2000もスタンドアロンでCG制作に使用する限りは、非常に安定動作しており、 性能の高さにも満足。

Windows時代 (その6 - Windows XP-Homeマシン)

Windows2000システムは、マザーボード等交換後約3年経過したが、 ハードディスクを入れ替えるなどして(システムごと全部移行)、 今も安定動作。結局、あまり重大なトラブルに遭遇することもなく、 使い続けることが出来ている。

一方で、サブマシンとして、キューブ型のPCを入手。 ファンが少々やかましい、オンボードVGAが3D描画などでかなりしょぼい。 USBが1.1…などの欠点はあるが、価格のわりにはなかなかの性能。 筐体が小さいのが素晴らしい。

さっそく、画面をクラシックにカスタマイズして使用開始。

Windows時代 (その7 - Windows XP-Proマシン)

4年ぶりにメインマシンのリプレイスを行った。 CPUはPentium4 3GHz、メモリも1G搭載、 ハイパースレッディングにも対応している一方で、 ベースにはASUSのVintageという安価なベアボーンを使用。 1G搭載なのにデュアルチャネルが使えないなど、 実にバランスの悪いシステムになっている(笑)。 ま、とりあえず、3DCGレンダリングが高速ならいいということで。 ちなみにImagineのレンダリング時間は、 旧メインマシン(Pentium3 800MHz)の1/3以下になった。なんだかんだ言っても、 さすがに早い。

しばらくして、ビデオカード購入を検討。その理由は、オンボードのビデオでは、 particleIllusionがあまりに遅すぎるため。 ハードウェアOpenGLモードを有効にするとむしろ遅くなる(苦笑)。

結果的に、GeForceFX 5200系のなんだか中途半端なスペックビデオカードを購入。 でも、そこそこの性能に満足する。

一方、中古のノートPCも購入。ThinkPad T22。購入理由は英語キーボード搭載だったから。 OSはWindows Xp Home。PentiumIII 900MHzというやや中途半端なスペックながら、DVDもそつなく再生し、 新しいバッテリーも購入して、活躍中。

Windows時代 (その8 - XP-Proマシンの強化)

ある日、Carrara4という3DCGソフトと出会う。体験版を使用すると数時間でその操作性になじんでしまう。 HTやネットワークレンダリングにも対応し、現状マシンの性能を生かせるソフトであったため、 3DCGの制作環境をImagineからCarrara4へ移行することを決意し、購入。 そして、心新たに作品制作に取り組んでいる最中にPCが突然故障。 BIOS画面も出なくなった。C-MOSクリアを試しても何の変化もなし。 電源、CPUファン等の動作には特に異常が見られないことから、マザーボードのハードウェア的な故障と判断。 結果的に、ASUS Vintageのマザーボード(P4S800-MX)の寿命は1年にも満たなかった。

無償修理可能な状況だが、他のパーツに問題がなく、VintageのマイクロATXケースも気に入っているし、 一刻も早く、環境を回復したいため、結局、マザーボードを交換することで解決することにする。

新マザーボードは、またまた懲りずにASUS製を選択。P4P800-VM。マザーボード以外をすべて流用し(ハードディスクさえも流用)、 そのままデュアルチャネル動作のマシンに生まれ変わる。

さらに、中古の液晶ディスプレーを追加。デュアルディスプレー環境にして、 気持ちを新たに3DCG作品の制作を再開。

Windows時代 (その9 - Core2Duo機マシンへ以降)

3DCG制作環境には、Carrara5に、Poser6とMimic3が加わる。 莫大なマシンパワーが必要になってしまい、PC環境の抜本的更新を決意。 Core2Duo E6600、ケースもAntec社製ATXミドルタワーケースを新規購入。 キーボードもマウスも置き換える。

マザーボードはASUS P5B-Delexe、CPUクーラーはリテールから、12センチファンを搭載したものに置き換え。多少のO.C.も可能な環境に。

但し、OSはWindowsXp


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