母港・西浦に帰港

出発から2年、ようやく世界一周達成
艇名のかすれ具合が旅の長さを物語る

写真提供:中日新聞社



1992年5月31日、午後4時、ついに母港・愛知県蒲郡市「名鉄西浦マリーナ」に帰ってきた。
「世界一周」達成である。
出発してから1年と361日、2年には4日足りなかった。

当初の予定では、女房の誕生日でもある6月4日に「2年ちょうど」で帰るつもりであったが、日本近海の黒潮の流れは速い。
予定より随分早く着いてしまったのである。

日本沿海を帆走中、無線でやり取りしていると、「歓迎会の準備がまだ出来ていないから、あんまり早く帰ってくるな。」と仲間が言う。
予定より早い帰港で、多くの人々に迷惑をかけてしまったようである。




写真提供:読売新聞社・中日新聞社


ハーバーには多くの方々が出迎えに来てくれた。
ヨット仲間、かつての仕事仲間、飲み友達、税関職員、そして多くの報道関係者。
本当にありがたいことである。

「世界一周の感想は?」と聞かれて、まず最初に口から出たのは「地球は小さいが、世界は広かった。」という言葉だった。
矛盾する言葉であるが、素直な感想だったと思う。


最後に一言。
ヨットによる世界一周は冒険でも快挙でもない。
外洋、特に本船航路を外れた太平洋・大西洋・インド洋などを航海する場合は、暗礁などの心配が無く、よほど安全である。
その上、ヨットは風、波、嵐などに対して非常にタフな乗物である。
ちゃんと外洋向きに作られたヨットであれば、その安全性は大型タンカー並かもしれない。
伊勢湾内の暗礁、漁網、本船航路などの方がよほど怖い。


多くのヨットマン、ヨットウーマンが太平洋横断、世界一周などの夢を持っていることと思う。
それが実現できないのは、資金、時間などの問題であろう。
私の場合は、たまたま、それに恵まれた。
また、それらを作るべく努力もした。

資金を作り、時間を作り、周到な準備をすれば、苦労はあるだろうが世界一周はできる。
準備の中で特に大事なことは「シェークダウン」である。
私の場合は、小笠原諸島・父島(母港から500マイル)に3回出かけ、船と自分の弱い部分を徹底的に洗い出した。
じっくり時間をかけ、充分な準備をすれば、航海は半分以上終わったようなものである。

長距離航海を通して得られるものは計り知れない。
多くのヨット乗りの方々が、それぞれの「夢」の実現に向かってチャレンジして欲しいと思う。



世界一周記に戻る
GO TO HOMEPAGE