アマゾンに夢を託して

 平成17年度厚生労働省児童育成事業推進等対策事業を活用して、「アマゾンの植林事業に学ぶ」との講演会を行いました。とてもよい内容であったので、講演会のレジュメと当日(平成17年11月19日)のお話のまとめてみました。(記 田中純一)

 私はアマゾン在住、35年間の開拓百姓です。

 ブラジル・アマゾンというとここにいる子どもたちは毒蜘蛛・毒蠍・毒蛇・ピラニアとずいぶんと危険な虫や動物がいて、それで死亡する怖い場所と思っている人が多いと思います。確かにマラリア蚊はとても怖いもので、ブラジル移民の多くの人たちがこのマラリア蚊に刺されてマラリアにかかって死んでいます。マラリア蚊はきれいなところに住んでいます。しかし、川の側のたくさんの蚊はほとんど危険ではありません。また、日本では、タランチュランやサソリに刺されると死んでしまうように言われていますがそうではありません。タランチュラの繊毛が皮膚に刺さると痺れがあり、噛まれると3時間以上とても痛いのですが、死ぬようなことはありません。サソリも刺されると6時間位は激痛がありますが決して死ぬことはありません。何度も刺されているとだんだんに痛みも、痛い時間も少なくなってきます。そんなに怖いものではありません。
 ジャングルを歩いていてオオアナコンダに出くわしたことがあります。最初は大木が横たわっているかと思ったのですが、それが突然動き出し、この時は本当にびっくりしました。腰は抜け身動きが取れません、ただアナコンダと見詰め合っているだけです。しばらく見詰め合って、突然アナコンダの目が一瞬優しく輝いたとき、アナコンダはジャングルの奥へと消えていきました。こちらから危害を加えない限り襲ってくるというものではないのです。ピラニアも一緒でピラニアに襲われて死んだという話はありません。川を泳いでいてすぐ側ををピラニアが泳いでたとしても決して襲ってきたりはしません。ただ、身体のどこかに傷があり、血が流れていたりすれば別です。ピラニアは血の匂いに群がってくるのです。テレビなどでピラニアが群がっているのは、傷をつけ、血の流れた動物を川に投げ入れるので動物に群がり襲う映像が見られるのです。たいていはテレビ局のやらせであることが多いのです。
 今日はアマゾンのお話と日本の関係・アマゾンの植林事業のこと・日本の子どものことなどをお話したいと思います。

地球の財産、人類の宝としてアマゾンが注目され、21世紀にのこされた最後で最大の大自然から生産される酸素(空気)は地球の1/3をまかない「地球の肺」と呼ばれています。

この貴重な緑が年々破壊され、すでに全滅(日本の13倍の面積、700万ku)の16%が自力再生不能な荒廃地となり、今も,毎分29ha(町歩)の速度で乱伐され、半分の木材は遠い祖国日本で利用され、皆様の豊かで、便利で、快適な生活を支え平和で安全な社会を守っています。

当地在在日日系開拓者が中心となり、アマゾン森林保護植林協会(A.F.A)を設立し、10年前から植林による自然再生事業を行っています。またこの実情を知ってもらい、自然の大切さを理解していただき、食品、日用品等の天然資源を無駄なく有効に利用していただけたらと毎年訪日し、各地を廻り草の根講演、ボランティアを続けています。

 祖国日本は留守の間に大発展し、日本人の優秀な能力と才能が技術開発を進めすばらしく繁栄していましたが、完成された社会は、ごみ問題を生み、工業化の便利な生活は自己矛盾を生み公害汚染となり、快適な自由社会は精神力、忍耐力が失われ、青少年の犯罪増加が社会問題となっています。

 野生と共に大自然に生かされて生きてきた未熟な体験から、人間の原点を知り、自然の大切さを再確認し、自然と人間が共存共栄できる社会こそ心身ともに強い人間が育つことを学び、日本がこのまま末永く発展し続ける為には強い日本人を育て、強い日本にする事だと自然界から指導された数々の教訓を話し、訴え続けています。

 私は愛知県(岡崎)で生まれ、静岡県で育ちました。東京農業大学(農学拓殖学科)在学中外務省海協連日本学生海外移住連盟(67大学加盟)派遣の中南米調査団員として、1年間アマゾン研修を体験しました。戦後初の学生研修生として日系人から温かく迎えられ、広大な未開の大地は希望の大地と見え、夢の実現出来る実力の社会、そして明るい国民性に男のロマンを感じ卒業と同時に25歳で永住しました。

 自然の宝庫、生命の楽園と考えていた夢と希望の新天地は入植と同時に「緑の地獄」と化し、人跡未踏の大自然と戦う苦難の開拓生活が始まり、夢は現実の厳しさに破られました。

 入植地は町から360km離れた原始林の中、12名の青年が車も自転車も持たず、無一文で父から受け継いだ頭と母が作ってくれた身体が資本の裸身一つの入植でした。

 与えられた土地は開拓道路の悪路をはさみ巾2000m,奥行自由、実力次第でどこまでも自分土地となる夢のような話、狭い日本には農地が無く、自然が好きで農業を志に自分は大地主になった錯覚で開けばすべて自分の土地になる、大喜びは1日だけの極楽でした。

 原始林は50〜60mの大木が緑の天井となり、緑のトンネルが延々と続く緑の地獄で1日1本の大木を倒しても樹高30m、その上に緑の空が広がり、昼でも暗い太陽の見えない生活が3ヶ月も続きました。朝日で起き、夕日で寝る迄、斧だけが頼りの開拓は身体を酷使し、やっと原生林に穴が開きスポットライトのように射し込んだ太陽光線を見た時、その明るさと暖かさに感動し、裸で飛び廻り全身に光をあびて感激し、自然の神に感謝しました。

 道路から水を求め小川までけもの道を自力で開き、たった一人の生活は人間を見る事が出来ず、野生の動植物だけを相手に4ヶ月が過ぎると話す相手の居ないさみしさが頂点に達し,喜怒哀楽の感情を表せず、顔の表情を失い無口になって思考能力も無くなります。動いている猿・トカゲ・枝葉に語りかけハッと気付いて独り言の一人芝居を演じ、知っている限りの歌を大声で唄い、日本語の辞書を目で読まず一字一句声を出して読み、日本語を独り言でも喋っていれば正常に生活出来ると信じる異様さでした。

 望郷の念益々つのり、帰りたくても帰れない「特攻隊移住」は帰路の金を持たず、耐え忍び我慢をしながら黙々と働く毎日、自分自身と闘う開拓でした。

 当時のアマゾン移住は「ふんどし3本の移住」と言われ、下着3枚あれば開拓できると信じていました。たしかに赤道直下、1年中常夏の気候があり衣類はいらず、雨露をしのぐ椰子の葉の屋根さえあればハンモックの寝具だけで生活でき、原始林の中には豊かな自然食が豊富にありました。野生の動植物、川の魚、木の実、雑草まで口に入れ、にがくしびれる物は吐き出し、空腹でも生きていることが出来ました。

 この時人間は一人では生きられない事を知ると同時に、生命の尊さ、生きている喜び、食べられる幸せを教えられました。日本では想像も出来なかった人間の原点を知る体験でした。

 不充分な食生活でも自炊をし、連日斧を振る重労働に日本からの体力は6ヶ月しかもたず、さらに人恋しさに男泣きをする寂しさは、精神力さえ奪い、気力、体力が限界に達すると恐ろしい熱帯病の洗礼を受けるのです。

 入植前、戦前の古い移住者から二つの忠告をされました。

@  原始林に入ったら、きれいな清水を飲んだら駄目です。きれいな水はたまり水だから、必ずアメーバー赤痢の菌がある。流れている黄色の汚水を飲みなさい。日本からの習慣で汚水をの飲めず、入植当初からたまり水を飲んでいたのに病気にならず、気力、体力を失うと腹痛、血便、下痢が2週間も続き、10kgの体重を失いました。益々体力を失い心身共に疲れましたが、強い精神力、体力は病菌にも強く病は気からを知りました。
A「水を求めて小川の近くに掘立て小屋を立てる時、蚊の出来るだけ多い所に建てなさい。」と言われたのに蚊の多い所はヤブ蚊だけで少ない所にマラリア蚊が居る事を知らず,蚊の嫌いな私は、忠告を守らず恐ろしいマラリアにかかりました。マラリアには3日熱と4日熱があり、40度以上の高熱が3日間続き、1日39度以下に下がります。これで治ればマラリアですが、翌日再度40度以上の熱が出ると黒水秒の始まりです。認識不足の私は風邪と勘違い、寝ていれば治ると考えていました。一人の生活では何も食べず、看病人も居ず、42度の高熱にうなされ幻覚症状が表れます。体温より気温のほうが低い為、寒さにガタガタ震え、ちょうど吹雪の中で一人で寝ている状態です。しかも顔に当たる雪はみんな黒い雪です。黒い雪の正体はアフリカの難民の子どもたちが生きたミイラと化し、栄養失調で死ぬ時全身にハエがたかっていますが、日ごろ見た事も無い大きなハエが原始林のどこから飛来するのか、死臭を求めて顔にたかる感触が寒さで雪と間違い黒い雪を見るのです。意識も途絶え寒さだけが生きている証拠と判る6日目小便をして一瞬正気に戻り、全身鳥肌の立つ恐ろしい物をみます。うす黄色のはずの小水が黒々とコーヒー、醤油の色です。高熱で肝臓が溶け出ると現地人は言いますが、翌日さらに恐ろしい物を見ます。液体ではなくていけない小水がハチミツのような糸を引く粘液状となり、4〜5適たらりと出るだけで、これが3回出ると終わりです。私はハンモックを黒く汚し意識不明のまま、たまたま尋ねて来た青年に発見され、町まで3日間の野宿で運ばれ、無一文の為、日系成功者の援助で入院出来、九死に一生を得ることが出来ました。さらに闘病中、出会った日系女性と結婚する幸運もありました。

アマゾン日系移民開拓70年の歴史の中に3回マラリア大流行を経験し、一家全滅や親、兄弟、子どもを失う非残な開拓史が残っていますが、ほとんど黒水病による犠牲者です。この恐ろしいマラリアが私にとって縁結びの神となったのは皮肉な事ですが、実際は野生動物が友となり、人間を見る機会の無い男が女性、しかも日系の女性と出会えば素材の注文等を出せるわけでなく、きれいで素晴らしい娘に見えたのも不思議ではなく、人間は与えられた環境にのみ反応し、判断できる動物だと学びました。甘い新婚生活も無く、一人で町に出て二入で再度原始林に戻りました。最低のどん底生活でしたが、話す相手がいるだけでも人間らしい甘い生活を実感出来、とても幸せなひと時でした。ところがこれがさらなる地獄の入り口でした。

         
   写真1 大人15人・子ども65人の参加      写真2 アマゾンの話をする長坂さん

 アマゾン日本開拓史の中には、夫が子をとりあげ友人同士でお産を手伝い、村落全体が家族の雰囲気があるのは、生命誕生に立ち合うのが人間の義務になっているのからかもしれません。二人で行って三人で帰った翌日から炊事をする女房、三日目からは開拓に出ていました。雨季と乾季しかないアマゾンには6月〜9月に伐採、10月〜12月が山焼き、1月〜3月抜根と植付け、1日遅れると雨が降り1年間遅れることもあり、毎日が勝負です。

 最初の日、赤子を開拓の現場に連れて行きましたが、2時間で全身が赤い斑点ではれ、泣き、蚊、ダニ、ブヨ、蟻、害虫、毒虫の洗礼を受けていました。屋根だけの家でも、ここが一番安全だからと柱の間に吊るしたハンモックに寝かせ、天井の無い横木から哺乳瓶をゴムヒモで吊るし口にくわえさせて開拓に出る毎日でした。食事に戻ると静かな原始林の中、赤子の泣き叫ぶ声だけが遠くから聞こえ、たれ流しの下半身、猿のおしりより赤くただれて、触るのもためらうほどのひどさ、親として情けなく、意思表示のできない子ども。野生動物と同じ泣き声だけがいつまでも耳に残り、誰か一人でも居てくれたら、このハンモックをゆすってくれる人が居てくれたらと、我が子がスヤスヤ寝ることだけを考えていました。この時日本に古くから伝わる大家族制の同居家族がいかにすばらしいかを初めて理解できました。嫁姑問題、後継者問題等悩みはあっても、すべて相手が居るから生じる問題です。自然の中で代々受け継がれた伝統や制度、風習は必要にせまられて生まれたもの、時代の流れや文明の進歩で忘れられても、やはりすばらしいものだと痛感しました。

 今の日本は、核家族となり、個人の自由、人権だけが尊重され、親子、兄弟の絆や隣組周囲との交流もうすくなり、自分ひとりの生活を守るだけの利己主義社会となっていますが、自然保護、環境保全をいくら唱えても人にやさしい人情社会にならなければ、家族制度の崩壊につながると心配です。自然の中で生きているのが人間だからです。

 どんなにガンコな父親でも、口うるさいおふくろでもいい、誰か一人でも居てくれたらと考えても現実はどうにもならない人手不足、何か良い方法はないかと毎晩女房と話し合いました。人間、本当に困るとすばらしいアイデアが生まれます。人が居なくても赤子のハンモックが揺れる方法とは・・。ハンモックに犬の鎖をしばりつけ、犬が動けばハンモックが揺れるとんでもないアイデア、しかも犬の巾に棚を作り、犬が前後にしか動けなくする工夫でハンモックは一定のリズムで揺れるようになりました。子守役は犬の担当となり、次々誕生した3人も息子は、犬が育ててくれました。一日中、犬と遊ぶ子ども達、四ッ足ではい廻り、言葉もはっきりせず心配でしたが年と共に二本足で立って歩くようになり、学校に通い、日本語も話し、成人して家に帰り、全員が家業を継いでいます。子ども時代野生児で育ち、心身共に強く、犬に感謝しています。

 長男6才、次男4才の時、貧乏どん底生活の我が家に初めて春が訪れました。開拓耕作地約4ha(町歩)肥料も買えない経営で落ち葉を集めて堆肥を作り、スイカを栽培しました。これが大変よく出来、市場値も高く自分で建てた掘建小屋の2/3をスイカの山が独占し、人間が遠慮して生活する大豊作。初めての単作大型栽培が大当りと夜は夢を語り、これが売れたら女房は「裸、ハダシで遊ぶ子ども達に服を買い靴をはかせ、3ヶ月分の食糧品を買い貯えたい。」と笑顔、私は、肥料、農薬を買い、さらに開拓、大農場がほしいと計画していました。

 出荷車を頼み、明日出荷と決めた日の夕方、畑から帰るといつもなら空き缶の車、棒切れの馬で遊んでいる子ども達が手に山刀の農具を持ち遠くから大声で呼んでいました。何事かと子どもに手を引かれ家に入ってびっくり、スイカの山は山刀の穴だらけでした。悪気の無い子ども、無邪気に「面白いよ、これでブスッとやるとスイカがパリッと言って赤い血を出すんだ!!お父さんもやってごらん」とニコニコ顔で催促するありさま。天国から地獄に突き落とされ、頭に血が昇った私は思わず右手を振り上げ子どもをたたこうとしました。とその時、一度も反抗したことの無い女房、私と子どもの間に入り、両手を広げて仁王立ち、「たたいたら駄目!!誰が悪いか考えてごらん、私達の貧乏が悪いんです。オモチャを与えていれば、こんな事はせず、親の一人が付いてたら最初の1個で注意できたはず」と泣きながら子ども達を抱きしめていました。手は上げたもののどうする事も出来ず、悪い事は教えてあげなければと、意味も判らず泣いている子どもの頭をなぜながら「スイカだって生きている。命があるんだから遊びで食物を傷つけ無駄にしては駄目だよ」と力なく諭しても駄目なのは、明日からの生活です。偽物のスイカでも「金にしなければ」と車に積み子どもに留守番させ、女房とベレン市(河口にあるアマゾン最大都市、現在人口160万人)の青空市場に行きました。傷物でなければ丸ごと出荷し、今頃寝ていられるものをと愚痴を言いつつ、夜中からスイカの切り売りをしました。完熟スイカは甘く、赤くきれいな特級品、四つ切り、八つ切りで買いやすい手頃な値段、しかも言葉の充分でない日本人の若夫婦が生活の為、売りたい一心で大声で客を呼ぶ珍しさでアマゾン初のスイカの切り売りは大繁盛、午後3時にはすべて売れました。疲れと喜びで恥ずかしさもなく石畳に座り、セメントの空袋に入れた小銭の売上を数えてみました。何と!!丸ごと出荷する倍の金が入っていました!!この時、子どもの無邪気ないたずらは親に何かを訴え、教えている事を知り、たたかなくて良かったと反省しました。子どものいたずらから生産直売の有利さが判り、切り売りの新商売、以後10年続けるきっかけとなりました。

 数々の感動と失敗をくり返し、自然から教えられる開拓教室は心身共に強い子どもに育ち、何事も自分が体験し実力で生きる力を与えてくれました。電気の無い生活20年、子ども6才になると火を扱わせ、カマドで朝のコーヒーを沸かし、7才釜で飯を炊き、9才から馬に乗せ、11才で耕運機を運転、13才トラクター、15才でブルトーザーに車と子どもの仕事が農場の発展を表しています。

 我が家に初めて電気が通った日、3時頃の明るいうちから家族で食卓を囲み、暗くなるのを待ち、やっと薄暗くなった時「お父さん、お願いします」の声でソケットのスイッチをカチッと入れ、裸電球1個が輝いた時、全員が立ち上がり感動しその明るさに感謝し拍手しながら飛び廻る子どもの姿を今もはっきりと覚えています。何も無い最低生活は小さな出来事でも大きな感動と喜びを与えてくれました。朝日で働き夕日で帰る開拓生活は夜しか子どもを見れず、完全放任の自然教育、ヨチヨチ歩きの子どもが包丁、ハサミ、刃物を使い手足を傷つけ自分の血を見て痛さを感じ、刃物の恐ろしさ怖さをしり、兄弟喧嘩でなぐり、なぐられ人の痛みも判り、土をなめて大地の味を知り、雑菌に強くなり、食物は充分無くても残さず食べて感謝する事を学びました。不自由、不足だらけの生活でも野生児に育った子ども達、声は大きく健康で自立できる強い人間に育ってくれ、自然のありがたさを再認識した人生でした。

 祖国日本は今、少子化時代で長寿社会、二人が結婚するのに平均子ども数1.3人、結婚しない男女を加えると2人の大人に一人の子どもしか生まれない家庭環境、反面、熟年、老人は寿命がのび長寿世界一となったものの、一人の子どもを3〜4人の大人が昼夜監視する管理社会です。初めて刃物を持てば危ないからと取り上げられ、切り傷も作らず自分の血を見る事もなく痛さも判らず、刃物を持つ事さえ禁止され、使い方も恐ろしさ怖さもを知らず、喧嘩したくても兄弟は居ず、家庭の宝として大事に甘やかされ、豊物、飽食の生活は消費が美徳となり、食物を残してもあたりまえで分け与える意味さえ理解できず、すべて自分の思うがままの軟弱児が多く、外で遊ばず大声も出さず、汗をかかず、立たず歩かず、読んで書く時代は去り見て聞く時代となり、一人で機具と遊ぶTVゲームに熱中し、死んだ人間がすぐ生き返る事を不思議とも思わぬ画面中心の命の軽さ、熱があればすぐ薬、化学薬品の世話になり、腹痛なら病院と体力も抵抗力もない肥満体、苦しくても我慢する事はせず、忍耐、訓練精神力は死語となり3K(きつい、きけん、きたない)を嫌い、アルバイトのフリーターで生活できる社会。両親から怒られず、先生からたたかれず、警察さえ怖くないのに一人では何も出来ず、集団で皆でやれば怖くない弱い者いじめ。差別は駄目と言いながら学問の有無、成績だけはしっかり残り人を判断する手段となり、個性、人間性は問われず、学力優秀が即いい子おりこうさんになる平均優等生社会、常識、規則、金にしばられ、前例主義の和の社会、金なければ人間ではなく、貯蓄が生きがいで不況不況と騒いでいるのに食卓のメニュー変わらず、問題が起きれば学校、役所、政府の責任で保身と自己満足をる日本人、一体祖国はどうなるのでしょうか。地図を見れば大海にキュウリを浮かべた小国日本。戦後の焼土と化した無の時代から、復興を目指し、地下資源も天然資源も少ない貧乏国が無限に広がる情報資源を利用し、日本人の優秀な能力、才能が人的資源として技術開発、工業化を進め発展し、わずか55年の間に勤勉な努力と忍耐で今の社会を築きました。このすばらしい日本がこのまま豊で、便利で快適な生活を保ち、平和で安全な社会を続ける為には、やはり強い日本人が必要であり貴重な人材資源が国を支えます。

 地球上の貧富の差は人口増加率にも影響し赤道から南半球の後進地域の開発途上国で爆発的人口増加が見込まれ、食糧難が心配される反面、先進国の老開発国では人口減少の傾向です。貧困に苦しむ所で人口は増加し、豊な所で少子化が進むのはなぜでしょうか。私自身の体験と農場従業員の生活を見ていて思い当たることがあります。それは電気です。電気の無い生活は男の社会で、男の仕事が家庭を守り生活を支えます。しかし、人間の欲望は便利さ快適さを求め、電気の発明で人間社会が変わります。

 どうしても日本の少子化が止まらず、人材資源の減少が国の衰退となる場合、全国の電力会社と相談し、週2回の停電設定、又、9時以降の停電政策を実施すれば、必ず人口増加となり強い日本人が強い日本をよみがえらせ、祖国にほんの将来は安泰です。

 これは、遅れた原始社会の話しではありません。ニューヨーク市の大停電の前例が証明しており、わずか一日の停電でその歳の出産率が上昇しています。

 まだ間に合う方は是非頑張って日本を救って下さい。

 戦後の日本は不況、失業による経済低迷期を体験し、貧乏人の子沢山の中、長男優先の次三男対策もあり沢山の日本人が海外移住し新天地で第二の人生開拓を試みました。初めての異国の大地で言葉も解らず、知人も居ず厳しい自然条件の中、苦難の道を歩きながらも定着し、日本人なら確実で大丈夫と言う信用を得たのです。

 当時アマゾンでも例外ではなく日系人が活躍しています。その歴史が物語っています。

 今までアマゾンには世界の64ヶ国から移住者が入植していますが英国人は特産物ゴムの種子を持ち出し、当時の英領植民地東南アジアで栽培ゴムを始めた為、18世紀世界最大の景気だったアマゾン天然ゴムを衰退させました。又北米の自動車会社フォード社やタイヤの大企業、グッドイヤー、ピレーリ社が19世紀初頭、莫大な資本と技術を投入しゴム園を造成したのですがすべて失敗し、本国に逃げ帰っています。そんな頃日本からの移民が始りました。1930年第1回移民が入植しています。白人から東洋の山猿、イエローモンキーと馬鹿にされた日本人は小さな身体で幾多の辛酸をなめ、苦労を重ね、病気と闘いながらも定着したのです。これは日本人が知らなかった日本人の特性体質と精神力があったからです。

 白人の身体は大きく、スマートで人間として偉大で立派に見えますが、あの白い身体は赤道直下の酷暑、熱風、高温、多湿の中では耐えられず、特に目の色が緑青色の人達は強烈な直射日光に適応できずサングラスが必要で長時間屋外に居られません。

 私達日本人は黄色人種でこの黄色い身体は、どんな熱帯の熱さにも、寒帯の寒さにも耐える順応性と強さがあります。目の色が黒い日本人は赤道直下でサングラス無しで生活出来ます。しかも日本人には耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ大和魂があり、どんな苦難の道をも切り開く精神力があります。日本人として生まれただけで活躍の舞台は地球上どこにでもあり、世界中どこに行っても生活出来る体質と心を持っているのです。

 アマゾンに移住した日本人は恐ろしい熱帯病と戦いながら、金も機械も持たず、身体と精神力を頼りに勤勉で真面目な努力を重ね、アマゾンを世界に紹介する二つの特産物を作りました。それが胡椒(こしょう)とジュート麻です。

 胡椒(こしょう)はアマゾンになかった植物を臼井牧之介氏(映画監督 大島渚氏夫人 女優小山明子さんの父)が1933年移民監督官として移民船で来伯途中、シンガポールから持ち込み、生き残ったわずか2本が元となり今では世界の二大産地と言われるアマゾン胡椒王国となっています。又、ジュート麻は日本人が移民する迄ブラジルの特産物、コーヒーを輸出する袋はすべてインドから輸入していたのを高等拓殖訓練所(今の国士舘大学)出身の尾山良太氏が苦節10年失敗を重ねながら栽培を続け、たった1本の突然変異主を見つけ、12粒の種子が源となり、ブラジルコーヒーはすべてアマゾン産、ジュート麻の袋で輸出される偉業を成し遂げました。ブラジル政府はこの業績をたたえ、日本人名「尾山種」の品種特許登録で今も保護しています。

 白人は特産物、アマゾン天然ゴムを衰退させ、大企業でさえ豊かな緑の大地を荒廃させ逃げ帰ったのに、日本人だけが定着し二大特産物を生み出し世界にアマゾンを紹介してくれたと地球上で一番対日感情の良い所がアマゾンだと言われ、今も2500家族15000人の日系人が頑張っています。

 そして今、アマゾンが世界から注目されています。

 地球と呼ばれている星は19世紀、自然中心の世界があり、人間は自然に生かされて生きていました。20世紀、人類が大発展し産業革命により技術開発が進み、豊かで便利で快適な世の中となりましたが、反面、衣食住に利用される自然は破壊され、文明の発展は公害汚染とゴミ問題を発生させ、工業化による自己矛盾が各地で見られる昨今です。

 今世紀21世紀は自然を見直し、人と自然が共存共栄できる、理想社会の建設を考え自然保護、環境保全を地球規模で努力しなければ、この星は破滅してしまいます。

 自然の宝庫、 動植物の楽園、 生命の王国と言われているアマゾンは地球上の陸地面積5%、熱帯地域の35%を有し、総面積で700万ku、日本の13倍、南米大陸の1/4、ブラジル国の半分の面積です。常夏の恵まれた気候により、植物優先の地帯とも言われ熱帯雨林は世界の65%を保有し、山の無い大盆地が緑の海となり、緑の地獄とも呼ばれ、地球の財産、人類の宝として原生林が延々と続き、この大自然から生産される空気は地球上の1/3をまかない「地球の肺」として注目されています。

 しかし近年、この貴重な自然が文明の進歩と人間の欲望により、開発と言う名の下に乱伐され、すでに全体の16%は自力再生不可能な荒廃地となって砂漠化が進み、今も毎分29ha(町歩)の速度で破壊が続けられています。世論が地球環境問題に注目し始めた頃、我々農業者の開拓がその元凶と非難されました。しかし日本から戦後の移民が入植し、日本が誇る世界一の農業技術(単位面積当り収量世界一)と狭い農地を難題にも有効に永久利用する土地利用法を持ち込み、現地で行われていた移動式慣行焼畑農法をやめさせ、定着式立体混植農法を指導した為、今農業者による自然破壊はわずか2%です。

 破壊の98%は先進諸国の文明を維持する生活資材のための乱伐です。しかもその内の50%が祖国日本で利用され、皆様の豊かで便利で快適な生活を支え、安全で平和な祖国を守っているのです。一般の方々はこの実情をご存じないと思いますが簡単で身近な例があるので紹介します。

 戦後の日本は復興が急速に進み、世界を代表する豊かな国となり、飽食、物が豊かな社会となりました。消費は美徳となり、使い捨ての時代を迎え経済力を使い世界最大の天然資源消費国になっています。世界で消費される木材の1/3が日本で使われ、輸出入量は50%が日本で利用されています。(98年環境白書)

 牛乳パック1つ見ても、昔牛乳はビンで配達されていましたが、軽く便利なパック容器が開発されました。今日の全国消費量900万枚です。パルプにして135t、これを作るのにアマゾンの立木、直径20cm、高さ18mの木が6000本必要になります。(日本環境サービス社調査)面積にして2ha(町歩)に相当し、この面積から生産される空気は88人が1年間生活出来る空気であり、この木材を利用すれば33坪の家が38軒立てられる木です。日本の皆様が何も考えず、 健康の為に飲む牛乳で毎日熱帯雨林が6000本乱伐され、年間32120人分の空気を失い、中の見えない容器は食中毒の多発する原因にもなっています。日本は昔から紙と木の文化を伝承し、生活の中に紙、木、パルプで出来ている物が無数にあります。これはすべて自然界からの贈物でその恩恵を受け社会が成り立っているのです。自然は私達に住む大地と建物を提供し、太陽、水、母なる大地は命の源、空気と食物を与えてくれます。 生きている動植物の命を食べ、いただくから必ず「いただきます」と言い、両手を合わせて祈るのです。祈る感謝の言葉が「のりと」となりこの「のりと」に音符をつけ、音楽が生まれ、唄となって民謡が誕生し、笛、太鼓の楽器を鳴らし感謝の心を身体で表現して、踊りが生まれたと思います。日本全国各地で四季折々に開催されるお祭りは、自然界へのお礼と感謝を込め、豊作・大漁を願い、唄って踊る懐かしい風景ですが食事の「いただきます」から出発していると考えると面白くなります。自然は有限で乱伐、乱費すれば無くなってしまいます。生活の中で無理、無駄、無乱(ムラ)を無くし、天然資源を有効に使い、自然を大切に地球にやさしい心を持ってほしいと思います。さらに自然は人間の心をも正常にしてくれる偉大な力のある、貴重な体験をさせてもらいました。私は今迄67名の研修生を預かりましたが、他に8名の問題児とも一緒に生活しました。(1〜6ヶ月)麻薬常習者、警察の御世話になった強盗万引きの青年、登校拒否、家庭内暴力の少年、引きこもり、無気力な若者、親の手に負えず学校に見放され、周囲から相手にしてもらえず、落ちこぼれとして社会から離縁された子ども達です。この青少年たちに共通しているのは、何も目的が無く、働かず、自由な生活で甘やかされ、時間の制約も無く、親も先生も、警察さえ怖くなく、何も恐ろしいものが無い、一人天下の個人主義、協調性の薄い利己主義です。家庭環境の影響か、親、兄弟も相手にしてくれず、反抗し自分の城(部屋)で君主となり、学校も先生も注意だけで深入りせず、仲間も居ず、勤勉に熱中する子ども達から疎外され、寂しさからいじめで自己満足、注目を集める問題を起こしても話せば解ると両親、先生がなだめる社会、善悪は理解していても、その場の判断が出来ず、痛さも恐れも怖さも知らず、一時の感情できれたらブレーキがきかず、どこまでやったらどうなる制限も、団体生活も出来ぬ若者達、一体誰が悪いのでしょうか。青少年個人の責任と攻める前に進みすぎた社会を見直すべきではないでしょうか。

 大自然しかないアマゾンでこんな青少年が住めるのかと疑うでしょうが、どの子も最初は日本と同じ生活をしようと努力します。そこでまず時間で生活する習慣を教えます。単純労働で汗を流し、疲れと空腹感を持たせ、粗末な食卓でも空腹が調味料となり、定時食事のうまさを知ります。我が子と一緒に寝食を共にさせ、異なる環境、簡単には帰れない辺境地、言葉も解らぬ不安を解消させ、どんな小さな事でも叱らずほめてやります。物事は考え方1つでどちらにもなります。ブラジルの風習に子どもが成長しても母親が抱きしめる習慣があります。女房が我が子と同様に起床時と就寝前抱きしめてやります。最初嫌がっていた子ども達、慣れてくるととてもいい顔になり、母の胸に抱かれた記憶がよみがえり、甘える感情がプラスに転じやさしい心になります。金や物を与え可愛がるより、文句を言い叱りつけるより、この一回の抱擁が何よりも価値のある事を母親は知るべきです。これを喜び、悲しみ、苦しみの度に行えば胸の内を話してくれます。生活に慣れ、朝夕の挨拶を大声で交わし、仏壇に感謝の合掌が出来るとあとは心の問題です。

 私の土地に原始林同様の再生林が残っています。30m〜50mの大木が緑のトンネルとなり延々と続くジャングルです。この中に子どもを連れて行きます。奥に進むと迷ったら大変と汗をかき必死でついて来ます。30分も歩けば方向感覚は無くなり東西南北も解らず、自然の偉大さを知ります。私は太陽の明るさから方向が判り、同じ所を廻っているのですが本人は大変です。そこで私が隠れます。と青年急に真剣な表情になり、私を探し廻り、大声で名前を呼び始めます。それでも出て行かないと、日本の延長でバカヤローを連発し知る限りの悪態でまだ虚勢を張り自己主張します。静かな原生林、自分の声をこだまに聞くだけと判ると、だんだん悲しい顔になり、16〜18才の青少年がこんなになるかと思う程の大声で泣き始めます。この時、私が入植時味わった恐怖感を一瞬で体験し、出れなかったらどうしよう、死んでしまうのではないかと生まれて初めて死を考えるのです。しかも日本では怖い物が何も無かった青少年がどうする事も出来ず、自分の力の弱さ、小ささを知り、偉大な自然の前では手も足も出ない、動く事さえ出来ぬ弱い人間だと学ぶのです。大声で泣き叫び恥も外見も無く助けを求め約30分、私と別れた所に戻り、座り込み顔の表情が変わって来ます。何とか生きようと決意するのです。この時背後から名前を呼んでやります。泣きながら振り向いた青年、一段と声が大きくなり走り寄り、すごい勢いで抱きついて来ます。この時の表情は喜びを満面に浮かべ、空港で引き受けた時の陰険な目つきは消え、素直でやさしい普通の子どもの表情に戻っています。どんな問題児の不良青少年でも心の底には人のやさしさ素直さを持っており,この日を境に親にも話さなかった悩み、悪業の数々を告白してくれ、明るく真面目な人間になっています。ちょっととしたきっかけ、環境に左右され、道を誤った青少年達、前例主義の日本では一度の失敗を修復する事が難しく、社会から嫌われ追放されていますが、この子等には勇気、実行力が普通以上にあり、一度更生するとすばらしい人間となります。お預かりした青少年達、全員立派な社会人となり、強い人間になってくれた事が今の私の心の支えであり、活力剤となっています。私が治したのではなく自然が治してくれた、とても貴重な体験でした。植林活動が一段落し、広大な荒廃地が緑の大地に再生される時、次の計画として人が自然から学ぶ自然学校、心をも治療する心身の開拓村を建設しようと考えています。自然が命を与えてくれ、自然に生かされて生きている人類、自然界から学び教えられる事が多く、自然が人作り、人間を成長させてくれるのです。

 

2005年11月19日

アマゾニア森林保護植林協会

会長     長坂  優

 

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