放課後児童クラブ支援員研修用(2016年1月23日)

 

     ユネスコの生涯教育と放課後児童クラブ1

 昨年は放課後児童クラブの制度化が本格的となり、支援員の資格制度もスタートしました。私も新しい制度をしっかりと学び、現場と法的な根拠を関連つけながら、より良い方向性を探していきたいと思います。

 ユネスコの生涯教育の四つの柱は学び方を学ぶ・実用的なことを学ぶ・皆と一緒に生きることを学ぶ・自己実現をする(Learning to knowLearning to doLearning to live together    Learning to be)だそうです。放課後児童クラブや児童館・学校・地域でもこうした考えを大切にと思います。とくに皆と一緒に生きることを学ぶ= Learning to live togetherとの考えはとても必要と思います。

 エリクソンの発達課題では小学生期は勤勉性が獲得課題だと言われています。小学生中学生期に働く経験をしっかりとすることが必要と思います。ただし一つの活動の中には働き・学び・遊びが包含されていますので、遊びの要素を活動の中に取り入れることで生き生きとしたものに出来たらと思います。

  ユネスコの提案する生涯教育の四つの柱を具体的に放課後児童クラブの活動で考えてみます。まず、放課後児童クラブでどのような活動をするか、またその時の支援員の役割は何かを考えます。これはLearning to knowに該当します。しっかりと指針や基準を学ぶことが必要となります。これをもとに実際の活動として、カプラ・折り紙・工作などを働きと学びと遊びを包含して活動すればこれはLearning to doとなります。この時に障がい児や仲間と一緒に活動します。これはLearning to live togetherとなります。これらの活動の中で個々の子どもたちが自分らしさを獲得していくことはLearning to beとなるのではないかと私は思います。

 子どもたちと活動していると、子どもの未来を考えているわけではないことに気づきます。ヴィゴツキーのいう最近接領域を考えることが必要となります。最近接領域とは子どもの現状ではなくて子どもの次に段階を見つけてやることが必要との考えです。子どもの明後日ではなくて、子どもの明日を提案することです。今は出来ないけれど、ちょっとアシストしてあげればできそうになることを見つけることだと思います。子ども自身ではなかなか見つけられないので支援員や教員や親などはその役割を果たすことが必要となります。折り紙などでもたんに子どもに任せておくだけでは発展性がありません。そこで外割折りとかうち割折りなどのやり方も習得できるように子どもたちのレディネスを考えながら提案していくことが必要となります。

 支援員や教員は子どもの未来ではなくて明日を(今できるちょっと上を)見つける必要がありますから、常に研修をする必要性があります。支援員や教員や児童厚生員が学び続ける姿勢がなければ、子どもの発展性も見出すことは難しくなるでしょう。研修の必要性はここにもあると私は思います。いろいろな児童館や放課後児童クラブに出かけさせてもらっていますが、学ぶ気持ちが強いクラブや児童館や学校・保育園には学ぶ気持ちのある職員が多いものです。学ぶ気持ちのない職員が多いところでは子どもたちは何らかの問題行動を起こすようです。(もちろん学ぶ気持ちがある児童館や児童クラブでも子どもたちが問題行動を起こしますが)

子どもの指導と発達段階2

 子どもたちのすぐ次に来る発達段階を考慮して、提案をすることが最近接領域に該当することを見つけることのように思います。子どもの未来や明後日のことではなくて、ほんの数時間後もしくは明日出来そうなことを提案することが必要となります。その時の声かけを臨床心理学では『星の時間』と言っています。昨日ではなく明日でもなく『今この時にしかできない声かけ』があるというのです。最近接領域の問題は厳密に言えば明日ではなくて、もしかして明日出来そうなことなのかと思います。

 子どもの発達段階を考えると『三つ心・六つ躾・九つ言葉・十二文・十五理』との考えが必要と思います。三つまでは愛情深く・三つ〜六つはきちんとした躾・九つ〜十二はしっかりとして言葉使い・十二〜十五は客観的な文章が書ける・十五からはある程度世の中理屈がわかるとのことです。(この場合年は数えですから三つというのは保育園で言う3歳以下の未満児・六つは保育園児・九つは小学校低学年・十二は小学校高学年までとの考えです。中学生期は宇宙の理を理解して進路を考える必要性があります。)児童館や児童クラブの活動においても九つ言葉や十二文の段階であることを考えて活動をすることが必要であると思います。

 『三つ心・六つ躾・九つ言葉・十二文・十五理』に対応して大人の対応が『肌を離すな・手を離すな・眼を離すな・心を離すな』との手法が江戸期より日本では言われている。未満児までは肌を離さないことが必要である。保育園児には手を離さない。小学校低学年までは眼を離さない・小学校4年生以上は心を離さないようにすることが必要である。これは保育士や教諭・児童厚生員・支援員だけではなくて、すべての親が必要とされることであると私は思う。

 日本の江戸期からの子育てに対する教えは、ピアジェやエリクソンの子どもの発達段階の考え方と一致している。難しい外国の考え方を輸入しなくても日本には素晴らしい考えがあったのです。

 

    日本の子育ての考えとピアジェ・エリクソンの考えについて3

 子どもや人間の発達段階を考えるとピアジェとかエリクソンの考え方が児童健全育成の中ではよく扱われる。日本の子育ての考え方とピアジェやエリクソンの考え方は一致している。

日本    →三つ心   六つ躾   九つ言葉     十二文    十五理

ピアジェ  →感覚運動期 →前操作期  →具体的操作期        →形式的操作期

エリクソン 乳児期→幼児期→幼児後期  →児童期              →青年期

三つとは数え年なので満年齢では、概ね0歳から2歳までで、六つは3歳から5歳、九つは6歳から8歳、十二は九歳から一一歳となる。

子どもの発達段階をこのように考えてみると、子どもの活動において、次に何を提案しなければならないことが明らかになるであろう。

折り紙で倒立折り紙を作って遊ばせようとする。未満児はちょっと見て、グジャと壊して喜ぶことが多い。発達段階的にピアジェのいう感覚運動期で、エリクソンの乳児期ですから、子本的信頼を大切にして、壊しても叱る必要はないでしょう。三歳児を過ぎると、倒立折り紙が立つことに興味を示します。でもピアジェのいう前操作期ですので自分で最後まで作れるとは限りません。支援者や保護者が作ってあげたりのサポートが必要となります。エリクソンの自律性や積極性が芽生えてくる時期ですので、子どもの力でやろうとする意欲は評価してあげることが必要となります。また日本の六つ躾の段階ですから、むやみに壊すのは安易に許さないことも必要となります。小学校低学年になるとピアジェの具体的操作期ですから、子どもは自分で作ろうとします。多少うまくいかなくても子ども自身がやろうとすることをとくに大切にすることが必要となります。また児童期はエリクソンの勤勉性を培う時期です。たんに遊ばせるだけではなくて、準備や後片付けの必要性をしっかりと教えて、活動の中に働きと学びと遊びをうまく包含していくことが必要となります。児童期の発達課題である勤勉性を培う活動をしないと活動にメリハリがなくなり、自己中心的な子どもが増えて、道徳観が発達しない自己中心的で幼稚な子どもとなり、クラブ崩壊みたいなことが起きるものです。小学生高学年になると次第に倒立折り紙がなぜ倒立するのかの理論的な仕組みを考えるようになります。そして、別の手法で出来ないかとか、違う作り方を考え始めるものです。これはピアジェの形式的操作期へと移行するための時期であるのかもしれません。 

   私論ガードナーの多重知能理論と子どもの発達段階4

ガードナーの多重知能理論は人の知能が一つのものではなくて、複数の知能があり、それらが独立して関連しあいながら存在しているというものである。一般的に八つの知能があるとされている。言語的知能・論理数学的知能・身体運動的知能・空間的知能・音楽的知能・博物的知能・対人的知能・個人内知能の8つである。子どもの発達段階と八つの知能の発達について私論となるが、子どもとの経験を踏まえて展開してみたいと思う。

ピアジェの0歳から2歳までの感覚運動期においては身体運動機能を中心に対人的知能や音楽的知能・空間的知能が発展していくように思う。子どもたちは最初、何でも口に運んだり、壊したり、お母さんの子守歌や声かけなどを中心に発展していくように思う。子どもが自由に身体を動かし、きれいで安全な環境で、基本的な信頼のある関係性が大切となるであろう。

同時に少しずつ言葉が出てきて、2歳から2歳半にかけてことばの爆発との時期があり、次第に言語的知能を獲得していきます。未満児から3歳児以上になれば、対人的知能も発達してきます。またピアジェの前操作期になってきますし、エリクソンの自律性や積極性が出てくる頃ですので何でも自分の力でやりたがりますが、失敗も多いものです。危険でない限りにおいて、挑戦をして身体運動機能・言語的知能・対人的知能などを高めていくことが必要となるでしょう。

小学校低学年になるとことばを話す段階から、言葉を書いたり、抽象的概念がすこしずつ習得する新たな段階になるようです。言語的知能が発達が強くなります。高学年になるにしたがって、論理数学的知能が発達してきます。中学生期になれば自分とは何かなどの個人内知能が発達してくるようです。博物的知能はいろいろなものに興味を持って本質的なものに迫るような知能ですが、それぞれの発達段階の中でそれぞれが獲得していくような感じが私はしています。

ガードナーの多重知能理論を考えながら、未満児・園児・小学校低学年・小学校高学年・中高校生へ適切な対応が必要となるように私は思います。

季節季節を折り紙などを使って壁などを飾ることは大切な活動の一つです。未満児などには保育士が壁面装飾をし、季節を感じさせることが必要となるでしょう。3歳児以上となれば、園児が中心となって作品を作り、保育士はそれらの手伝いをすることが必要となります。小学生になれば、子どもたちが制作すればよいのであって、支援員等が制作することは発達段階的に必要はなくなります。子どもがいろいろな折り紙を折れるような技をきちんと教えることが必要となります。高学年になれば、そもそもの計画から子ども自身がやるような働きかけが必要となります。放課後児童クラブなどで壁面装飾などを支援員がやっていることを見かけることがありますが、これはどうかなと思うことがあります。もっと子どもの発達段階を考慮する必要性があります。

ダンスではみんなで踊る時でも、未満児は保育士が衣装を着けてあげて、音楽をかけて楽しく踊ることがあるでしょう。年少・年中児童の場合では舞台のそでで保育士が踊ってみせてあげることも必要です。年長児童になれば保育士がそでで踊らなくても子どもたちに任せたいものです。小学生になっても、支援員が本番で踊るのはいかがなものかと思います。また、小学校高学年になると選曲から振付まで子どもたち自身が行えるように働きかけることが必要となります。

保育園児を相手にすることと、小学生を相手にすることには質的な違いがあります。小学生は言語的知能や論理数学的知能が高まってきて、自己を客観視する能力が出てきます。この能力や知能を発達させるためには、子ども自身が子どもの力でやるきる活動が大切となります。保育士の壁面装飾よりは小学生の壁面装飾が見た目が悪かったとしても、そういう発達段階であることをわきまえる必要性が支援員にはあります。また保育士にもこのことは分かってほしいと思います。

 

   児童館や放課後児童クラブにおける子どもの発達段階の見極めについて5

子どもの発達段階を見極めることはとくに検査などをしなくてもわかることがあります。きちんと子どもの様子を子どもの中で活動しながら見るとわかるものです。この場合に上視線ではなくて下からきちんと観察することが大切です。ナイチンゲールも看護において大切なのはきちんとした観察であると言っています。子どもは充分に言葉を使いこなせないことが多いから、言葉で話を聞くよりも下から観察(≒understannd≒下側から観る≒理解する)が必要となります。またアクションリサーチの手法がうまくいくことがあります。

折り紙活動は子どもの発達段階を理解するのに役立ちます。チラシなどを使って大きめの風船折り紙を作ります。未満児はちょっと見て、グジャっとつぶして喜びます。年少児になれば、保育士やお母さんなどとついて遊びます。年中児や年長児となると子ども同士で遊べるようになります。小学生になれば、子ども自身が風船折り紙を作ろうとします。支援員の働きかけをうまくやれば(やる必要性があります)準備や後片付けなども喜んでやるようになります、小学校2年生くらいから習った風船の折り方以外の面白い折り紙風船を作ろうとします。(作ろうとする意欲を高める必要性が支援員にはあります)

満3歳を過ぎているのに紙風船をすぐにつぶしてしまうようでは、少し発達に遅れがあると考えられます。この遅れが環境による遅れなのか、病気や障害によるものかを考える必要性があると思います。小学生になっても風船折り紙を自分で作ろうとしないようであれば、これもまた若干の発達の遅れがあると思います。自分には出来ないとの思い込みによる自信のなさによることもあります。しっかりと折れないなどの障害等による遅れなのかもしれません。集中力がなく、すぐに飽きてしまうAD等の問題があるのかもしれません。3年生から4年生にかけてはある程度の勤勉性やみんなのために一生懸命働くことが必要となります。でもいつも自己中心的で自分のことしか考えない子どももいます。働くは人のために動くが語源です。(はたを楽にするの意)勤勉性や働く意欲のない子どもは他人との人間関係を結ぶことが難しいアスペルガー症候群的な傾向があるのかもしれません。またADHD(アテンション・デフェシィティ・ハイパーアクテビティ・デスオーダー)傾向があり、他のことに興味が行き過ぎたり、仲間とうまく人間関係がいかないのかもしれません。折り紙活動を通して、現場での子どもの発達段階をある程度理解して、活動をすることが必要となります。

カプラ活動では未満児には少し難しい活動です。カプラを積んだりする活動はある程度の集中力と巧緻性が要求されるからです。未満児は年中児や年長児が作った作品を見て楽しむことくらいとなります。(ちょうど壁面装飾を保育士がやるように)年少児は私の経験では30分程度の活動は出来ると思います。年中児は上手くやれば45分、年長児は60分くらいの活動が出来ます。もちろん上手く楽しめれば90分の活動をすることもできます。(児童館関係者は興味を持っている子どもが参加するので出来ることが容易なこともある。放課後児童クラブや保育園における一斉指導では長時間の指導は難しいものです)小学生になると90分のカプラ活動は容易となります。カプラは作って楽しく、壊してまた楽しいので、ちょうど海の波打ち際の遊びのようにあっという間に時間が経つようです。

カプラ活動において年中年長児になっても他人の作品を壊すしか遊べない子どももいます。発達段階的に遅れがあると思われます。また小学生になって悪意で他人の作品を壊す子どもがいます。これもなんらかの問題を抱えているでしょう。カプラで面白いのはADHD傾向の把握ができることです。ADHDのADはアテンション・デフェシィティです。アテンションは注意喚起の意味です。デフェシィティは超過の意味です。(ADHDは注意欠陥多動性症候群ではなくて注意過敏多動性症候群と訳すべきであっただろうと私は思います)カプラでカプラジェンガなどを作っていると、内部にカプラのピースが落ちることが多々あります。このピースをADHD傾向の子どもには我慢がならないのです。(大人でも気になりすぎるのはADHD傾向があるといえます)このピースを取り除こうとして自分の作品や他人の作品を壊してしまいます。注意されても自分なりに意味ある行動なので説諭しても反発してきます。最初からきちんとカプラジェンガの内側にピースが落ちてもとってはいけないと教えておけばよいことです。こう言っておいても手が出てしまうのはかなりADHD傾向が強いと言えるでしょう。カプラ活動を通して次第に我慢する力を養うことが大事だと思います。

児童館職員や放課後児童支援員・教諭・保育士などはある程度の障害に対する知識も必要です。同年齢程度のことが出来ないことが肉体的障害等によるものなのか、精神的な問題によるものなのか、環境的要因によるものか、発達段階的に無理なのかを見極めることはとても大切だと思います。子どもの話を聞いてあげることではなくて、子どもの行動パターンをしっかりと観察し、記録していくことで理解を深めることが必要です。

ウィリアムズ症候群(ウィリアムズ(Williams)症候群は、特徴的な妖精様顔貌、精神発達の遅れ、大動脈弁上狭窄および末梢性肺動脈狭窄を主徴とする心血管病変、乳児期の高カルシウム血症などを有する隣接遺伝子症候群。症状の進行を認める疾患であり、加齢によりとくに精神神経面の問題、高血圧が顕著になる。これらの症状に対し、生涯的に医療的、社会的介入が必要である。)との障害があります。ちょっと大きな声を聞くだけでとても優しい子どもなので涙が出てきてしまいます。そうした障害があることを知っておけば泣かれても対処の仕方があるものです。アスペルガー症候群(知的能力は低くないが特定のことにしか興味を持たないで人間関係が苦手)の子どもなどもそうした特性があると知っておいて、対応をすることが必要です。高機能自閉症はアスペルガー症候群と関連性が深いようですが、駅前の赤信号はとまれとわかっても、公園前の赤信号を認識しないで飛び出すことがあります。家から児童館に来るまでのすべての赤信号が止まれであることを連れて歩いて認識する必要のあることもあります。

 

   子どもたちへの活動と私自身のこと6

 1月2日のNHKの番組で100分de平和論との番組がありました。日本大学の水野和夫さんがブローデルの「地中海」の本を取り上げ、資本主義の本質は利益の拡大を目指すと言っておられました。伊集院光さんも人間の欲は深く役者になったころ『月10万円欲しいと思っていたが、月に30万円になっても満足するわけではなかった。他の人がたくさんもらっていると自分ももっとと思ってしまう』との趣旨の話をしていました。『よりゆっくり より近く より寛容に』との気持ちを資本主義の『より速く より遠く より合理的に』との考えに対峙させることも必要との提案がされていた。また、お金以外の価値観を持つことが必要と法政大学の田中優子さんが井原西鶴の「日本永代蔵」の話から展開し、『信頼を作りそれを持続させること』の必要性を話しておられた。

 子どもたちとの活動を考えると投下資本に見合う形での成果も求めなければならない。そうしないと何もしないで給与だけもらう輩も出るからである。しかし同時に『よりゆっくり より近く より寛容に』の精神や『信頼を作りそれを持続させること』の精神は大切であると思った。日本人はたんに利益を求めて働くのではない。人のために動くことで傍を楽にして、結果として給与がもらえることもあるし、ボランティア活動のように利益にならないこともある。こうしたことを子どもたちとの活動を通して、深めていきたいものである。 

   子どものアイデンティティと獲得課題7

 エリクソンは発達段階に応じた獲得課題があると提案している。概ね0歳から1歳は乳児期で基本的な信頼を獲得することが必要とされる。1歳3歳は幼児期で自律性である。3歳6歳は幼児後期で積極性が獲得課題となる。そして6歳から11歳の児童期は勤勉性が獲得課題となっている。

年齢

時期

導かれる要素

心理的課題

主な関係性

存在しうる質問

0?1

乳児期

希望

基本的信頼 vs. 不信

母親

世界を信じることは出来るか?

授乳

1?3

幼児前期

意思

自律性 vs. 恥、疑惑

両親

私は私でよいのか?

トイレトレーニング、更衣の自律

3?6

幼児後期

目的

積極性 vs. 罪悪感

家族

動き、移動し、行為を行ってよいか?

探検、道具の使用、芸術表現

6?11

児童期

有能感

勤勉性 vs. 劣等感

地域、学校

人々とものの存在する世界で自己成就できるか?

学校、スポーツ

 私は小学校教員をしていて、その後児童センターに勤務し、放課後児童クラブを主に担当していた。(午前中は就園前の乳幼児の集い・保育園児のローラースケート指導・小学校高学年のクラブや中学生の活動や地域のお父さんやお母さんとの活動もやっていましたが)小学生を担当していて、保育園での理念的な考え方が放課後児童クラブに悪影響も与えていると感じた。一つは単純な受容共感の考え方である。子どもたちの言われるがままに受容共感し、子どもたちのネガティブな感情を助長している傾向があるように感じることもあった。学童保育との考えもその一つである。保育とは保護育成であり、6歳未満まではまだ保育士や家族や母親が十分に保護育成しておかなければならない時期である。しかし6歳を過ぎるころから子どもたちは地域や学校や友達が大切になる時期であり、保護育成ではなくて健全育成が必要な段階である。

 発達課題としても、勤勉性があげられていて、しっかりと勉強したり、働いたりして有能感を獲得することが発達課題としてあげられている。幼児までの段階では自分自身で食べ物などは獲得することが一般的に困難であるので、母親や保護者家族・保育士の与えたものを食べることが基本である。小学生になると、お弁当などもコンビニで自らが調達できるようになる。いつもコーラーとから揚げと甘い菓子パンが昼食になってしまうこともある。家族や支援員の関与が必要となる。たんに子どもの意見を尊重するわけにはいかない。

 働く経験がない時代では子ども自身の夢が『金が欲しい』みたいなものになっていることもある。小さい時に勤勉性を培う経験を意図的に活動に取り入れる必要性がある。子ども自身のニーズのみに依拠して、自由時間を多くしてマンガを読み、寝転がっていることが主張されても困ったことになる。また自分で後片付けをしないで、職員や親や保護者などの大人にさせている子どもも出てくる。自分のためそしてみんなのために後片付けや準備をすることを活動の中に入れることは必要である。

 勤勉性を獲得できなかった子どもは有能感が獲得できない。小学生になっても自分は出来ないのに何でも出来ると主張する子どももいる。結果的に仲間から浮いた存在となる。また、勝つために手段を選ばず、ルールを無視して自分が勝つことだけのために活動するずるい子どもも出てくる。集団の中で悪い意味でボス的な存在となり、集団崩壊の現象が出てくることもある。

   よい環境で自然と育つ・よい関係でみんなと育つ8

 人間の発達を分類するといろいろに分類されている。エリク・エリクソンは三つの構成要素があるという。@成長(Growth)この反対が老化。ただし、老化=衰退ではない。A成熟(Maturation 性交渉によって生殖可能になる事。B学習(Learning)経験により獲得した知識、理解により、自分の行動、態度を微調整していく事が出来る事。放送大学院の人間発達論では発達には生物学的側面・心理学的側面・社会学的側面があり、生物学的側面の発達が成長で・心理学的側面でも成長が成熟、社会学的側面が社会的発達とされている。ピアジェは成熟的要因と環境的要因で発達すると言っている。成長や成熟・発達との概念がそれぞれの考え方で違うので難しい問題がある。

 私は子どもの発達を考えるときに環境等をきちんと良い環境にしておけば、うまく育っていく要素を自然と育つと考えた。しかし子どもは環境だけでは育たない。良い関係性を創るために意図的な働きかけも必要である。これをみんなと育つと考えてみた。

エミールを書いたルソーなどは環境的要因で子どもは自然と育つから、環境設定だけをしっかりとやることが必要だと提案しているように思う。いわゆる自由保育を主体とすべきだとの考え方人もこうした考えであると思う。逆に課題を設定し、意図的な指導で子どもは育つと強く考えている人たちもいる。形式的陶冶が大切とか、形からきちんと入ることが必要であるとの考え方の人もたくさんいる。

私は子どもの発達の要素には自然と育つ要素とみんなと育つ要素があると思う。自然と育つ要素では基本的にきれいな環境と衣食住をきちんと確保してあげることが必要である。子どもたちが安全安心で遊べるように遊び場環境・学び環境・住居環境をより良いものにすることは大切である。ゴミ拾い・木の剪定・雑草を抜く・花を植える・緑を増やすなどの活動をみんなでやる必要性がある。

道徳観とか勤勉性とかを培うためにはたんに自然と育つに任せるわけにはいかない。意図的な設定をして、より良い人間関係を形成しながら実施しないと上手く育つことにはならない。

例えば、公園緑化活動をきれいにやると、少なくとも自然環境による悪影響はなくなり、子どもたちは活動しやすくなる。しかし、自己中心でルールを守らなくて、危険な行為や乱暴な言動・犬のふんなどを捨てていく人が存在しないわけではない。そこでみんなと育つとの考え方から、危険な行為や乱暴な言動・花を抜いたり、穴を掘ったりの行為は注意が必要となる。公園の安全な環境を準備することと遊び方を指導することは二つとも必要なことである。また、公園緑化活動そのものに地域の子どもたちを参加させて『始める前に美しく』との実践と考え方を普及させる必要性がある。

放課後児童クラブの活動においても自然と育つこととみんなと育つこととを上手く組み合わせて活動することが必要となると私は考えている。

おやつを間食として提供することは放課後児童クラブで必要であろう。適切な時間に安全で子どものためになるものを提供することは必要だ。賞味期限が切れたり、子どもが欲しがるからといって子どもの身体にあまりよくないものばかり提供することには問題がある。同時におやつの提供は自然と育つための環境つくりが主なねらいであるから、『一緒にいただきます』とか『おやつで子どもを支配する』(言うことをきかいとおやつを食べさせませんなどの言動)問題となるであろう。ただお誕生会などはみんなと育つことが目的であるから、みんなと一緒にいただきますをするまで我慢をさせることは必要であると思う。

学習タイムは放課後児童クラブで必要となると私は考えている。6時前後まで放課後児童クラブにいる子どもは宿題等を家庭でやることが困難な時もあるからです。(7時に家に帰り、7時半に夕食、お風呂に入ったら寝てしまう低学年の子どももいるからです)学習タイムは環境設定ですから、宿題等をやりますが、終わった子どもは他の子どもの邪魔にならないように静か一人遊びをすることになります。

学校の授業が遅く、クラブへ来る時間が遅い場合は、おやつや休養などが主体となり、それほどみんなでの活動は少なくなります。けれど学校休業中や下校時間が早い場合は意図的にみんなと育つための活動も必要となります。集団生活ですから、安全のための避難訓練等もあります。こうした活動には全ての子どもが参加することが必要となります。避難訓練等も参加できないようであれば、クラブでの受け入れが困難な子どもということになり、別の児童福祉施設等を紹介する必要性がある場合もあります。またクラブ内をみんなで清掃するとか、外で落ち葉ひろいをするなどの勤労的体験もできるだけ参加させることが必要と思います。

ゲーム運動大会・工作・散歩・季節の行事・映写会・お誕生会などもみんなと育つ経験をするために必要な活動であると思います。子どもの発達段階を考えて適時計画を入れることが必要です。

道徳的な発展は意図的に実施することが必要であると思います。道徳観の発達として、欲求希求思考・道徳的互恵快楽主義・他者への同調良い子思考・法と秩序の維持・社会契約法律の尊重と個人の権理思考・普遍的権理思考へと発展していくと言われています。道徳観の発展はみんなと行動を共にすることで良い経験をたくさんして、学んでいくことが必要です。勤勉性を培うとともに道徳観が上手く発展していくように支援員や大人は働きかけていくことが必要です。

   子どもの発達と感覚の発達9

人間の感覚はよく五感といわれます。五感とは視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚のことです。現代生理学の分類では、人間のすべての感覚は@特殊感覚(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・平衡感覚)A体性感覚(触覚・圧覚・冷覚・痛覚・筋肉感覚・運動感覚)B内臓感覚(臓器感覚・内臓痛覚)という三つに分けられている。と言われています。私もこの分類が良いと思います。

視覚・聴覚・嗅覚・味覚・平衡感覚などの特殊感覚と内臓感覚はよい環境条件を与えられれば、基本的な発達をしていくようです。(いつも騒音の中で育たられれば環境的要因で聴覚障害が起きるかもしれませんし、スモッグや大気汚染で眼が傷むこともあるでしょう。)

体性感覚は基本的に良い環境だけではなくて、良い体験をみんなとやって育つ要因もあると思います。水泳で考えてみましょう。正常な発達をした子どもでもある程度経験をしなければ、泳ぐことは出来ません。他の子どもが泳ぐのをみたり、ある程度泳ぎ方の基本をマスターして(泳ぐときの呼吸法など)いくことが泳げることにつながります。道徳的発達においても『他の人に対する思いやり』なども他人の存在があって、発達するものです。一人っ子で周囲に子どもがいなければ、思いやり等の感情は発達がしにくくなります。

保育園までは保護育成が基本です。安全安心で良い環境を作ることが親や保育士の基本的な仕事であることは間違いないと思います。小学生期になれば同時により良い経験をみんなでやることで育つ要素もウェートが大きくなります。環境的な要因だけではなくて、能動的な働きかけも大切となります。子どものニーズに依拠するだけではなくて、意図的な働きかけとして学習への誘い・働く経験への誘い・身体に良い食育への誘い・みんなと一緒に活動することへの誘いなどが必要となります。体性感覚(触覚・圧覚・冷覚・痛覚・筋肉感覚・運動感覚)を駆使して、その他の特殊感覚などをコントロールする手法を見つけるためのより良い経験を深めていくことが必要と思います。

はさみ・カッター・金槌・のこぎり・かまなどの道具の使い方の基本を守ってしっかりと学ぶことも必要です。上手くいろいろなことが出来るためには道具をきちんと使うことが出来るようになることが大切だからです。運動の練習やダンスの練習など、小学生期はある程度我慢をして基本的な技をマスターしていくことが必要です。それが勤勉性の一つであると思います。基本をきちんとマスターするためには繰り返し繰り返し練習することが必要となります。この時に速くする遅くする・身振りを大きくする小さくする・声を大きくする小さくするなどの変化の手法を使って飽きないようにさせることが教える側の役目かもしれません。うまい指導者は子どもを飽きさせないでその気にさせることが必要です。 

 子どもと支援員の関係性など10

私はいろいろな職業を経験した。アルバイトで朝鮮料理屋のボーイ・運送屋の運転手・サウナの垢こすり・中国物産屋・支援学校講師・小学校講師・児童センター児童厚生員・専門学校講師などである。それぞれの場所でいろいろな仕事の中での関係性に出会った。運送屋の運転手は運行管理者の命令に従い動くことが必要であった。朝鮮料理屋のボーイも長かったが、フロアは任せられていたが、厨房との連携が必要であった。中国物産屋は自分で考えて売れそうな市町村を回りながら行動が必要だった。支援学校では基本的にチームティチングだったので、音楽や体育など中心となる先生の指揮に従った。また自分で理科や国語と算数の授業を支援学校で5人程度の子どもをあいてに一人で教えた。その後上司の先生と組んで12人を2人で授業をすることになった。ここで上司の先生にサポートをしてもらいながら、授業をやることが出来た。小学校の場合は自分のクラスだったので、自分一人でやることが多かった。けれど専門的な指導が出来る他の先生や教頭先生・校長先生に授業をしてもらって、私自身が47人目の生徒として子どもたちと一緒に学んだ。児童厚生員を31年間やったが、放課後児童クラブが主に担当だったので2人から3人での仕事が多く、主に全体を動かしながら、自分も動くとのことが多かった。

放課後児童クラブの仕事も一人で一人を指導する時、一人で数人を相手にするとき、一人で多人数を相手にするときなどいろいろある。また支援員の数も一人ではなくて三人もしくは五人くらいで多数・少人数・一人を相手にするなどいろいろである。

 

子ども一人

子ども数人

子ども二〇人

子ども五〇人超

支援員一人

基本的に個別指導

比較的ゆとりのある時

危険が内容に見守り

安全管理のみ

支援員三人

とくに危険な行為がある時

たまには個別対応

支援員で中心になる人が集団指導

集団指導と見守り

支援員五人

 

 

支援員で中心になる人が集団指導

支援員で中心になる人が集団指導

これらの関係性を表でまとめると図のようになる。これはある程度の目安である。

登録児童60名(内支援学級児童2名・ADHD傾向4名)のクラブで平均出席率80%で通常48名の出席するとする。職員は関係者7名で、通常は5人の勤務とし、支援員が正規職員2名・臨時2名・障害児加配1名、その他土曜代外職員等で2名だとする。このクラブにおいて具体的な支援や指導のあり方を検討してみよう。

まずは正規職員2名が放課後児童クラブの基準及び指針にのっとって運営主体等と相談して基本計画を立てる。この基本計画にのっとり、関係支援員でクラブの運営方針を確認することになる。この確認に基づき、事業を実施することになる。具体的な動きを考えてみよう。

とくに安全面で危険を及ぼす行為等がある場合は支援員の1名はその子どもの個別的指導が必要となる。すると後の4名の職員で残りの47名の子どもを把握することになる。また極端な危険な行為をする子どもがいる場合は2人ないしは3人で管理の必要があり、3人もしくは2人で他の47人をみることのなる。危険な行為だけではなく、事故や事件が起きた時は1名は保護者および関係する機関への連絡・2名が事故対応となる。こうした事態に対する訓練をしておくことが必要となる。

とくに問題がなく48名を5人の支援員が安全に見守る場合は、適時集団指導と個別指導が連携を持ちながら、実施されることになる。学校から子どもが返ってきた場合には、子どもの健康観察・連絡帳等連絡のチェックをする支援員・カバン等をロッカーに片づけさせる支援員・宿題を見てあげる職員・早帰りのおやつを渡す職員・保護者や学校からの電話連絡等に応対する職員などが適時連携をとる必要性がある。(事故や危険行為などがあれば体制は速やかに変更となるが)

ほぼ下校が終わり、自由に学習をしたり、くつろいだり、遊んだりの時間となれば、ケースによって子どもの活動の相手をしたり、学習支援をしたり、見守ったりが必要となる。けれど全体として見守る仕事をする人がいるし、たとえ遊びの相手をするにしても壁を背にして全体を視ることが出来る位置に職員はいる必要性がある。

おやつ等の時間となれば、おやつを配る職員や子どもを並ばせる、机をきれいにするなどの活動をするとともに保護者等への連絡や早帰りの子どものチェックなども必要となる。またトイレの管理や遊んだ場所の片づけなどの声かけも必要である。おやつを食べ終わって一人静か遊びをしたり、まだ食べ終わらない子どももいたり、遅く帰ってきた子どもへの対応も必要である。

通常4時15分ころから5時半くらいまでは集団で活動する場合もある。児童期においては、みんなとより良い経験で育つことが必要である。集団での活動(活動には働き・学び・遊びが包含されている)を通して子どもは発達するからである。ボール遊びをする場合では、全体を動かす支援員1名・それをサポートするものが2名といった感じになり、2名の支援員はクラブの全体をうまく管理するようなイメージとなる。

放課後児童クラブの支援員の仕事は、一日の中で、1名で1名の児童を相手にする場合・複数で1名の児童を相手にする場合・1名で複数の児童を相手にする場合・複数で多数の児童を相手にする場合・複数でほぼ全体を視る場合がある。また自分が中心になってやる場合、他の人が中心になって実施しサポートする場合などいろいろである。こうした仕事の特殊性を意識的にすることが必要であると思われる。 

  複数の支援員で仕事をするときの留意点11

私は子どもの相手をする時に『自分の子どもならどうする』との考えを持っていた。しかし、アイコンタクトがきちんととれない状態であまりにも思い込んでやってしまうのも問題が起きることに最近やっときづいた。菜根譚によると自分の子どもや身内はやはりそれなりの関係性があるから、家族が過ちを犯したときはむやみに怒鳴ったり叱ったりしても上手くいかないとあります。同時に社会の中で過ちを犯した人にむやみにやさしくすると上手くいかないとの記述もあります。放課後児童クラブも一つの社会であるのでルール違反には一丸となってダメだとの姿勢を示すことが必要であると思います。叱られた子どものケアは他の人がむやみにすると上手くいかないことが多々あるように私は現場の実践から感じています。社会的ルールはきちんと明確に守られる必要性があります。

反応閾値の違いとの考えがあります。一つのことに反応するかは反応閾値が高いほど刺激が強くないと反応しないことになります。複数の支援員で仕事をする場合にそれぞれの反応閾値が違うことを理解することが必要です。同時に一定程度の共通点がどこかも探る必要性があります。子どもがおやつのお菓子を床に落として『3秒ルール』などと言いながら食べたとします。トイレに行って吐き出させる必要性はないかと私は思います。けれどわざと床に落として遊んだらきちんと注意をします。おにぎりが少し転がっても食べるでしょうが、グラタンが床に落ちたら捨てるように言うと思います。いろいろな場面や場所や時間によっても違います。TPOを使い分けて、潔癖症にならず、不潔でもなく、清潔の範囲の反応閾値の共通理解がある程度必要です。けれど支援員も含めて、子どももいろいろな面で反応閾値の違いのあることを自覚しておくことは必要であると思います。

複数での支援や指導は相互関係となります。自分の立ち位置・他の支援員の立ち位置・子どもの立ち位置を考える必要性があります。ある支援員が子どもに『座ってはなしを聞いてね』と提案しているときに、他の支援員同士が互いにおしゃべりをしているようでは、全体として上手い指導が出来ないように思います。他の支援員も子どもと同じように座って話を聞く必要性が小学校低学年を指導する場合には必要であると思います。またゲーム活動などをやっているときは死角が出来ないような位置関係にいることが必要となります。

問題はいつも現場にあります。現場主義の観点から、現場に役立つことをきちんと実践することが必要と思います。支援員が複数いれば複数の価値感があります。自分の価値観をどうしても最優先してしまいがちです。自分の価値観や教育観・子育てに関する理想論などがありますが、そうした価値観を少し横においておいて、現実的対処と現実的に効果のあることから実践する必要性が私はあると思います。たとえば世の中には根っからの悪人はいないと思っていても、今、金銭等の紛失が現実としてあれば、それに対処の現実的手法を考える必要性があります。クラブ内に安全安心カメラを設置するとか、支援員全体が可能性のある子どもに対して監視を強めるとか、そもそもお金等を持参させないなどの手法が必要となります。ある価値観に縛られてしまうと現実が見えなくなって、問題となることも多いように思います。多様な価値観を認め合った上で現実的対処の手法を探る姿勢が必要となると思います。障害児や問題行動時の受け入れにあたっても誰でも受け入れるべきだとの考えやその反対の考えもあります。いろいろな手法があるわけですから、まずは放課後児童クラブの施設のねらいに合致する場合は受け入れるし、無理な場合は他の児童福祉施設や他の援助方法を探ることも必要となります。盗癖の場合であれば、児童相談所等と相談して盗癖に対する対処が優先されることになるでしょう。また特別支援学校の方がその子どもの利益になる場合であれば、その方向性を探ることも必要となります。関係機関との連携が必要となります。平成22年度の新潟県の「地方教育費調査」によると小学校の1人当たりの年間経費は1,221,411円です。特別支援学校の児童一人あたりの年間経費は8,211,818円で約7倍です。高校までの12年間で考えれば普通学校が1600万円程度ですが、特別支援学校では1億円を突破することになります。適切な教育を受ける権利としての支援学校の制度があることも知っておく必要性があります。

 

   放課後児童クラブの良さ12

放課後児童クラブの良い点といろいろな問題点があると思う。出来るだけ発想を変えて良い方向にするのが大事であると思う。

世界的にも教育改革が言われて、イギリスなどでは教員が授業をやることに特化出来るようにと教職関係の事務員や職員を増やしている。こうした方向性が日本の教育制度の中に導入されていくことが考えられる。しかし、放課後児童クラブ職員が草取りをしてトイレ清掃をして、事務処理と子どもの安全管理と子どもの活動をサポートするという放課後児童健全育成事業全般に関わることをやるのはそんなに特化しないでいくであろうと私は思う。これをネガティブなことと考えないことが必要であると思う。日本の文化では清掃から学習そして遊びは一貫した活動であると私は思う。支援員のまず第一の仕事は子どもが安全安心して活動できる環境整備であることには間違いがない。それぞれの支援員の反応閾値が違ったとしても、子どもの安全安心で生活しやすい環境設定に一生懸命働くことは最低限、必要なことである。子どもに読み聞かせをさせたいから、トイレ清掃等をしたくない、もしくはいやいやするのは支援員として不適格であると思う。放課後児童クラブでは遊びと生活を通しての児童健全育成の実施が目指されている。私はそれを少し広げてすべての活動の中に働きと学びと遊びが包含されているから、程よいバランスとメリハリをつけて支援員全体で子どもたちと活動することが必要であると思っている。放課後児童クラブの場合、学校のように校長・教頭・主任・教諭・講師・事務員・用務員・ボランティア・委託業者というように仕事が今後とも細分化していくことはないと思う。このことをポジティブに考えて、活動することが必要であると私は思う。放課後児童クラブや児童館の職員は総合職ではないかと思う。

放課後児童クラブでは学校のように必ずこれをやらなければならないというものがあるわけではない。また、地域のボランティアの人材なども活用しようと思えば可能である。最低限の安全安心できれいな環境つくりをしなければならない。同時に子どもとの活動においては、けん玉・ダンス・折り紙・合唱・カプラ・カードゲーム・俳句・合奏・体操・ボール遊び・オニム・スキー・サッカー・野遊び・水泳・創作劇・季節行事・DVD鑑賞・季節行事・友愛訪問など様々な活動が出来る。この特性を生かさないことはない。自分たちのクラブの置かれた環境を考えて、どのような活動が可能なのかを検討することが必要であろう。支援員の特技を生かし、地域の特性を生かした活動が出来る点で放課後児童健全育成事業は素晴らしい面があると私は思う。

フィンランドの教育の中で『教員はその仕事に対してリサーチの基づく態度を取り入れなければならない。このことは、学習によって自らの仕事に対する分析的でオープンマインドなアプローチを取り、最新の研究から得られるエヴィデンスや、自らの批判的かつ専門的な観察や経験など様々な情報に基づき教育の発展のための結論を導き出すことを意味する』(放送大学院海外の教育改革P126)との記述がある。私流に考えると一期一会を大切にして学ぶ姿勢を取り続けることではないかと思う。放課後児童クラブは常にあたらしい子どもとの出会いがあり、しかも数学年の子どもを一度に相手に出来るという意味ではとても有意義なところであるとも考えられる。また、放課後児童クラブや児童館の設置者は適時、職員の異動を実施して、固定的な概念に陥らなくて多種多様な経験をするように働きかけることが必要であろう。