鳥の眼虫の眼仲間の眼スマホ版(平成28年9月21日)

鳥の眼・虫の眼・仲間の眼

児童健全育成指導士 田中 純一

子どもの活動を支援したり、子どもを理解しようとしたり、子どもを指導するなどの時にどのような位置にいて、どのように関与したら良いかを考えてみたい。私たちは、放課後児童クラブの支援員・児童館などの職員・学校の教員・保育園や幼稚園の保育士や教諭・子どもの活動の指導者・地域での子どもの見守りなどいろいろな立場で子どもたちに関わっている。それぞれの立場で違うであろうが、基本的な活動での立ち位置や視点を明らかにし、活動すればより有効な活動になるのではないかと思う。そこで鳥の眼・虫の眼・仲間の眼との観点で考えてみたいと思います。
 1、まずは安全管理上の立場から鳥の眼になる必要性がある。子どもたちが生命の危険にならないように、怪我をしたり、危害を加えられないようにすることが必要である。このためにはちょっと高い地平から子どもたちを見下ろして安全管理をする必要性がある。法律的に事理弁識能力や責任弁識能力が不十分な子どもを相手にすることは、民法上も監督義務や保護義務があるこが必要となるからでもある。これが鳥の眼である。
 2、子どもの発達段階を考えることも必要である。(三つ以下は肌を離さない・六つまでは手を離さない・九つまでは眼を離さない・十二以上は心を離さないとの教え)子どもの発達段階を考え、子どもを知るには、上目線=鳥の眼だけでは子どものことはわからない。そこで仲間の眼となって、同じ地平に立って活動してみることも必要である。子どもが座っているなら座るし、立っているなら立つことが必要である。また誰かが全体指導をしているならば、他の職員は子ども同様に座って話をしっかり聴く見本になることも必要である。
3、子どもを理解しようと思うならば、子どもの一段下になって、虫の眼の地平から見てみることが必要である。上からの視線や同じ視線では見えないこともたくさんあるのである。子どもの下からの視線から観ることで理解できることが多くある。理解するはunderstand=下側に立つである。

 

 鳥の眼・虫の眼・仲間の眼から立場を変えて観ることで子どもの理解が進むことになる。子どもはある意味ではまだ未分化であるともいえる。相手をする場合にはある意味ではいろいろな職業をこなすような面もある。
 4、鳥の眼というのは職業で言えば警察官や消防士のような位置にあるように思う。ちょっと高い地平から見ておくことが必要だし、ある時は緊急避難的に命令に従ってもらうことも必要である。避難訓練などのときは子どもの自主性とか創造性や意見を取り入れることが中心になってもらっては困るものだ。
5、仲間の眼というのは友達のような関係性もたまにはあるとのことだ。仲間関係的な要素もあることで子どもからの信頼関係が結ばれることも多いものである。
6、虫の眼やunderstandを考えると母親や看護師のような感じとなる。少し下から、やさしい心で見守ることも必要である。

 

 鳥の眼・虫の眼・仲間の眼で職員が動くときに、それぞれ立ち位置が違ってくるであろう。この立ち位置を複数の職員でやる場合はそれぞれうまく連携してやることが必要となる。また一人でやるならば上手くそれぞれの立ち位置を一人でこなすことが必要となると思います。
7、鳥の眼の立ち位置を考えてみると、文字通り立っているか、壇上などで全体に見渡せるところにいるかである。海水浴やプールなどで監視をする場合は高い台の上にいる必要がある。子どもたちと水の中に一緒にいるよりもしっかり監視する方が必要である。保護者などで子どもと遊ぶ先生が良い先生だと誤解していることもいる。水遊びなどではしっかりと監視する方が大変であり、しかも重要な仕事であることを自覚しておくことが必要である。
8、仲間の眼の立ち位置は活動している人と同じ目線である。考えなくてはいけないのはいつも仲間の眼の立ち位置にいるわけではない。常に安全管理の中で立ち位置を変えることの必要性を自覚しておくことが必要である。ドッジボールなどをしていても、ちょっとボールが強く当たったり、転倒したりしたときにはそのカバーをしなければならない。
9、虫の眼の立ち位置はunderstandして、子どもと同じ目線ではなく子どもよりもさらに低い目線に自分の位置を置くことである。幼児が乳児のように抱っこをせがむ場合に、抱っこをして欲しいのではなくて、大人に乳児の時のように目線を下にしてほしいことも多いのである。幼児をちょっと高いところにおいて、下から見てあげれば幼児も満足するのである。これは小学生低学年も同じである。たまには子どもが立ったままで、大人や職員が膝まずいて相手をすると子どもたちはとても満足するものである

 

鳥の眼・虫の眼・仲間の眼の立ち位置は同時に活動の中に包含されている『働く・学ぶ・遊ぶ』の場面に対応している。
10、働くは人のために動くとの国字で、『傍を楽にする』との和語が語源であるようだ。職員が環境整備のために一生懸命草取りをしていれば、これは虫の眼であるだろう。私の尊敬する校長先生はいつも暇なときはランニング姿で小学校の草取りをされていた。校長先生曰く『緊急時に活動できるのが校長職。授業も持っていないから、暇なときは草取りが一番。そして草をとっている人への態度でその人の人となりがわかる』と話して話してくれました。
11、学ぶは和語のまねぶが語源だそうです。つまりまねをすることです。真似をするのですから、しっかりと教えてくれる人へunderstandすることが必要です。(教える人は鳥の眼とのことです)子どもから学ぶときはこちらが下側に立つ必要性があります。子どもが遊び方のルールを学ぶときはしっかりと子どもを下側に立たせることが必要です。このメリハリがないとクラブ崩壊状況になっていきます。
12、遊ぶときはある意味では同等ですから、仲間の眼になります。放課後児童クラブや児童館職員は評価する必要性がないので、教員等から比べると良い面があります。いろいろな活動をしていて、上手く褒めてあげることが出来るからです。仲間の眼になって、ときは大いに成果を褒めてあげましょう。

平成20年9月に天皇皇后両陛下の行幸啓がありました。有明児童センターの子どもたちの活動を見てくださいました。両陛下とも子どもたちの中にすぐに入って行って、ひざを折って、低い姿勢で話しかけておられました。子どもたちは低い姿勢からの声かけなので、気持ちはおなじのようでした。サッカーのキックボードに興じている子どもに『楽しいですか?』と皇后陛下が声をかけられたら『今、忙しいからちょっと待って?』との返事でしたが、子どもは直感的にわかるのだなあと思いました。

 

子どもたちとの活動はいろいろな目線・立ち位置・立場を上手く駆使していくことが必要であると私は思っています。放課後児童クラブ支援員の仕事でどのような立ち位置になるかを考えてみたいと思います。
13、環境整備等 安全管理や子どもたちが安全で衛生的に暮らせるための仕事をする時および子どもを理解しようとするときはunderstand=下側に立つ=虫の眼ではないかと思います。引力があるから物は上から下に落ちますし、ゴミなども下にたまります。上をよく監視してみて、落下可能性のものはないか、下にくぎなどの危険物や床などがはがれていないか、ゴミなどが落ちていないか、雑草がはびこっていないかを見てみることは虫の眼なのだろうと思います。
14、子どもの指導  指導する場合は鳥の眼でしょう。教壇に立つというように、上からきちんと子どもを管理することも必要です。また、おやつなどの提供の場合も一般的に子どもは座卓等に座って食べ、おやつは床ではなくて座卓よりちょっと上においてあることが一般的です。遊びを指導したり、学習習慣を身につけさせたりする場合もどちらかというと鳥の眼のパターンになります。
15、遊びの中でのこと  時には子どもと一緒に遊びながら、子どもの発想から学ぶこともあります。カプラや工作などで支援員も子どもも一緒に相手をすることが私はよくあります。支援員自身が子ども目線で(=仲間目線で)楽しむことも時に必要なこともなります。

 

鳥の眼・虫の眼・仲間の眼の割合がどの程度であるかは、そのクラブの環境状況に依存します。極端にクラブが荒れていたり、危険な行為をする子どもがいたりすれば、子どもの安全管理が最優先しますので、鳥の眼でしかと監視することが必要となります。しかし鳥の眼で監視するだけでは問題がどこから生じているかを理解することが出来ません。鳥の眼で基本的に見ている時間が多いとしても、仲間の眼・虫の眼で見ることも必要です。クラブ自体が安定していて、仲間関係が良好であり、創造的な活動が出来ている場合であれば、仲間の眼や虫の眼であることの割合が高くなります。ただし、まだ子どもですので、その日の体調の問題もあるし、クラブ外でのトラブル等もあるので、鳥の眼であることも必要となります。実習生が来たときには6時間の中で3時間は環境整備や作業をやること、2時間は子どもをきちんと観察すること、1時間だけ子どもと遊んでも良いと私は話をしています。4時間なら2時間の作業・1時間の観察・1時間の遊び相手です。割合として子どもと仲間目線になることは4分の1くらいだと私は感じています。指導や観察の鳥の眼は4分の1、作業や子ども理解の虫の眼が2分の1です。これが私の大体の目安かなと思っています。

 

チームティーチングと鳥の眼・虫の眼・仲間の眼での観点を考えてみたいと思います。放課後児童クラブでは複数のチームティーチングで実施することが多いものです。誰かが全体指導をしていて、鳥の眼で活動しているなら、他の職員は仲間の眼や虫の眼になって子どもたちと同じように座り、子どもの見本になる必要性があります。また作業などで子どもと一緒になって草取りをやる場合は仲間の眼や虫の眼でやっているにしても、安全管理上、一人以上は全体を鳥の眼で俯瞰して全体把握をする必要性があります。

例えば、カプラのワークショップでは私が基本を教えているときは、全職員が子どもと同じように内履きを脱いで座ってもらいます。カプラを作り始めたら、私は全体を見渡して褒めています。同時にお迎えやお客様が来たり、電話があったりしたら、担当職員にその対処をしてもらっています。またレディネスが充分でなくて、カプラ活動に参加できないようであれば、その子どもの見守りをしてもらう職員も必要となります。しかしあくまでも見守りであって、遊び相手にならないように頼んでいます。その子どもはまだカプラ活動が出来ないけれど、見ていて学んでいることも多いからです。この見て学ぶ(=まねぶ)ことはとても大切なことです。

一つの活動を多数でやる時は多数の職員が有機的な関連をもちながら、協力して鳥の眼であったり、仲間の眼であったり、虫の眼であったりすることが必要となります。

 

鳥の眼・虫の眼・仲間の眼のバランスが崩れると

 仲間の眼として人の眼としなかったのには訳があります。人にはいろいろな人がいます。子どもたちを愛情深く見てくれる人ばかりではないからです。子どもを相手にする仕事では基本的に愛情深く子どもを理解してくれる人間であることが必要です。たんに人の眼ではなくて仲間の眼としたのはそういう意味です。

 また、鳥の眼・虫の眼・仲間の眼は程よいバランスが必要であると私は考えています。このバランスとして前記のように鳥の眼4分の1(子どもの指導など)虫の眼4分の2(作業や子どもの観察など)・仲間の眼4分の1(子どもとの活動を一緒にやる)と標準的な提案をしました。しかし、実際の場面では状況環境依存的です。人数も多く、荒れているクラブであれば鳥の眼での時間と環境整備や作業に多くの時間が費やされます。土曜日などで来所人数が少なければ、ゆっくりと子どもを観察したり、活動の仲間になる時間が多くなります。ただバランスが崩れるとおかしなことになります。

 一般的には放課後児童クラブや児童館では子どもたちと一緒に楽しく活動する仲間の眼の視点がもてはやされます。支援員や職員などの名前もあだ名で良いなどの主張もあります。仲間の眼だけでは安全管理や作業時間が軽視されます。子どもたちとくに上級生や常連さんのわがままが通るようになり、規律やルールがなくなります。事務室などにも勝手に子どもたちが入ってくることもあります。仲間の眼が大事との極端な主張は間違いであると思います。

 鳥の眼だけで大人の目線で管理ばかりしているクラブでは違った問題が起きます。対象が低学年だけならまだ従っているのですが、3年生以上の高学年がつるんで反抗的な勢力になっていきます。支援員はやっきになって指導しようとするのですが、『暴れれば勝つ』とか『仲間同士で結束すれば勝つ』・『嘘を言って騙せば得だ』等のことも学習してきますので上手くいかないことが多くなります。子どもの発達段階を見極めるためには鳥の眼だけではなくて、子どもたちの活動の中に入ったり、トラブルになって子どもの視線のさらにその下の視線になり子どもを理解して(understandして)支援員の活動の仕方を変えていく必要性があります。

 一対一で実施されてカウンセリング等の考え方の人たちは虫の眼だけが必要との主張をされる人もいます。放課後児童クラブ等では多数の子どもを相手にしています。虫の眼の視点はあまり多数を視ることができません。全体が見渡せないので、全体として荒れたクラブになることもあります。すべてを受容共感することは現実的ではないからです。

 以上のように一つの視点だけに偏ってしまうと問題が起きてしまします。また、問題は実はいつもあって、問題を抱えた中でより良い方向を探っていくのがクラブ運営の基本であるともいえます。問題が悪い方向への悪循環にならないようにすることが大事であると思います。子ども同士のトラブル・子どもと支援員とのトラブル・支援員と保護者とのトラブル・支援員同士のトラブルは常に存在しています。ただトラブルが固定化して、悪い方向にならないように協力して解決していくことが大切だと私は思います。そのために鳥の眼・虫の眼・仲間の眼といった視点を変えた見方を考えておくことが必要であると思います。



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