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児童クラブ・児童館の安全管理

有明児童センター  センター長

児童健全育成指導士 田中 純一

法的な根拠

709条〔不法行為の要件と効果〕

 故意又は過失に因りて他人の権利を侵害したる者は之に因りて生じたる損害を賠償する責に任ず

710条〔非財産的損害の賠償〕

 他人の身体、自由又は名誉を害したる場合と財産権を害したる場合とを問はず前条の規定に依りて損害賠償の責に任ずる者は財産以外の損害に対しても其賠償を為すことを要す

711条〔生命侵害に対する慰謝料〕

 他人の生命を害したる者は被害者の父母、配偶者及び子に対しては其財産権を害せられざりし場合に於ても損害の賠償を為すことを要す

712条〔未成年者の責任能力〕

 未成年者が他人に損害を加へたる場合に於て其行為の責任を弁識するに足るべき知能を具へざりしときは其行為に付き賠償の責に任ぜず

713条〔弁識する能力を欠く者の責任能力〕

 精神上の障害に因り自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態に在る間に他人に損害を加へたる者は賠償の責に任ぜず但故意又は過失に因りて一時其状態を招きたるときは此限に在らず

714条〔責任無能力者の監督者の責任〕

 前2条の規定に依り無能力者に責任なき場合に於て之を監督すべき法定の義務ある者は其無能力者が第三者に加へたる損害を賠償する責に任ず但監督義務者が其義務を怠らざりしときは此限に在らず

 監督義務者に代はりて無能力者を監督する者も亦前項の責に任ず

715条〔使用者の責任〕

 或事業の為めに他人を使用する者は被用者が其事業の執行に付き第三者に加へたる損害を賠償する責に任ず但使用者が被用者の選任及び其事業の監督に付き相当の注意を為したるとき又は相当の注意を為すも損害が生ずべかりしときは此限に在らず

 使用者に代はりて事業を監督する者も亦前項の責に任ず

 前2項の規定は使用者又は監督者より被用者に対する求償権の行使を妨げず

 

  国家賠償法

1 条

@国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる

A前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があったときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する

 

 

2 条

@道路、河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があったために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる

A前項の場合において、他に損害の原因について責に任ずべき者があるときは、国又は公共団体は、これに対して求償権を有する

 

刑法

業務上過失致死傷

刑法211条

@業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁固又は五十万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする

A自動車を運転して前項前段の罪を犯した者は、傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる

 

時間の推移から見てみると

 

 日々の安全点検と補修

建物及び遊具の瑕疵に関わる事故は賠償責任が問われることが多い。必ず日々の安全点検と遊具等の保守管理が大切である。危険だと思ったらすぐに補修する。ダメなときは補修完了まで使用禁止や使用制限を図ることが必要である。ハインリッヒの法則を知っておくことが必要である。小さな事故のときに事故原因をきちんと見つけ、大きな事故につながらないようにすることが大切である。

 

 

事前注意義務

安全に活動するにはどのような点に注意が必要かをあらかじめ説明しておくことが必要である。この場合相手の年齢を考えて適切な説明であることが必要である。

 

活動中における注意義務

危険な行為や危険や状況が出てきたらきちんと注意をし、危険を回避する方法を注意することが必要である。危険な状況を把握できる位置に職員はいることが必要である。ゲームや遊びにおいてはちょっとストップ・きちんとアドバイス・さっと再開(チョキンサの原則と私は言っている)することが必要である。

 

事後処置義務

かりに事故が起きた場合は適切な処置をすることが必要である。基本は親権者の同意のもとに適切な医療機関に搬送することである。親権者と連絡がとれないで緊急性を要する場合は一番適切な医療機関に搬送することが原則である。そのためには内科・外科・整形外科・形成外科・脳外科・眼科・耳鼻科・歯科・総合病院・救急病院などの医療機関をあらかじめ調べて連絡をとれる体制を作って置くことが必要である。

事故や病気の場合は一人で判断をしないでできるだけ複数で判断することが必要である。

 

安全教育

保育園の年中児〜小学生3年生くらいまでの子どもはとても活動的な時期であり、群れ遊びを好む時代である。そのことは同時に活動範囲が広がり、危険な状況も多くなるものである。自分の生命は自分で守るという基本的な安全教育を日々のゲーム運動遊びなどで積極的に教える必要性がある。遊具の使用方法・遊びのルールの徹底などを教える必要がある。昨今の少子化のなかで他人を傷つけても平気で傷つけられるのは極端に嫌う子どもも増加している。グループワーク的手法をこうじて子どもの仲間作りを図りながら、子どもたちの安全教育を図ると共に防衛体力等も高めていくことが必要である。

 

「ハエたたきが当たらない」その理由が判明
ITmediaニュース - 0901
マイケル・ディキンソン教授
 米カリフォルニア工科大学で昆虫の飛行生態について20年間にわたり研究しているマイケル・ディキンソン教授は、ある記者から受けた質問が強く印象に残っていた。その質問とは、「ハエたたきはなぜあんなに難しいのか?」というものだった。
 ディキンソン教授はようやくその答えをみつけたという。同大学がこのほど明らかにした。
 ハエは、飛び去るずっと前の時点で、迫りくる脅威の位置を判断し、回避するための方法を計算する。そして、逃げるのに最適な場所に脚を置き、脅威とは反対の方向にジャンプして逃げ去る。
 これらの行動はハエが脅威を発見してからわずか100ミリ秒の間に起きる。
 ハエは360度の視野角を持ち、自分の背後も見ることができる。向かってくる脅威の角度によって、自分が回避するための方向を決め、中脚、後脚の位置を変えるのだ。また、脅威を発見したときの自分の各部位の位置も知覚し、それを適切な場所に移動させる方法も計算する。
 ディキンソン教授らの研究により、ハエをたたくのに適切な方法も判明した。「ハエの現在の場所をたたいてもダメ。ハエが逃げるべきと判断した方向の、ちょっと先の方を狙うべき」と同教授はアドバイスしている。

 

 ネットサーフィンをしていたら上記の記事を見つけた。子どもも一緒だなと思った。子どものやってしまってからの事故をとやかく言っても「覆水盆に帰らず」で後始末に苦慮するだけだ。
 子どもの活動の速さは大人の活動の速さの3倍速くらいはあると私は感じている。普通速モードやゆっくりモード(=2分の1速モード)の大人

が3倍速モードの子どもに勝てるわけがない。3倍速モードで動けば疲れ果ててしまう。同時に通常速モードで動いても事故は防げないのでこれまた疲れてします。ですから子ども相手の仕事はとても大変なのです。
 「ハエの現在の場所をたたいてもダメ。ハエが逃げるべきと判断した方向の、ちょっと先の方を狙うべき」とのハエ理論を活用するならば3倍速モードで動き回る子どもに対して、子どもの行動パターンを理解して子どもの現在を見るのではなくその後のパターンを予測した対処をするべきであろう。

 大人が一番に子どもにイラつくのは子ども同士のケンカである。トムとジェリーのように子どもは「仲良くケンカ」をして成長するものだ。しかしながら遊びはケンカの一種だから遊びからついついエスカレートしてきついケンカになる。遊んだいたらケンカになる可能性を予測する。そしてエスカレートし始めて顔が真っ赤になりそうな直前で違った方向に話題を変えたり、二人を引き離したりの手法をこうじることが必要となるのである。
 同様に高いところに登り、石を投げ、走り回り、穴を掘るのは男の子の本能だから、それを予測して先手を打っておくことが必要である。


 

 私は最近年をとってしまったのですが、ローラースケートを滑るのは下手な子どもの3倍速モードです。ですから子どもとローラースケートをしていても子どもが止まっているように見えることもあります。写真の日は天気が良かったのでシャッター速度が速くなり子どもが止まっているように見えています。そんなことも写真から感じました。

 

understandbird's-eye view(理解と俯瞰)について

子どもを理解するための基本を私は文字通りunderstand=下側に立つことだと考えている。子どもを上から見下ろして「この子どもはいったい何を考えているのだろうか?」などとやってみても子ども心とはわからないものである。アリのことが理解したかったらファーブルのようにアリの背の高さまで下りてみてunderstandしてみることが必要であると私は思う。

 子どもの目線のさらにその下から見てみると子どもがどのようなことに反応しているのかもわかってくる。例えばADHDAttention Deficit / Hyperactivity Disorder)は注意(Attention)が欠陥(Deficit)していて多動であると言われているが私が子どもから学んだ(understand)観点から言えば、注意欠陥ではなくて注意過敏である。普通の人は授業中に遠くでサイレンの音が聞えても反応しないが、ADHD傾向の子どもは過敏に反応してします。結果的に現在やっていることに集中ができない。そして過敏に反応して歩き回るので注意が欠陥して多動であると思われるのである。しかしながら基本は注意過敏に問題があるのである。注意過敏にならないように行動療法的に新奇な事態に周りを見て社会的参照の能力をつけることが大切となるであろう。ですからADHDではなくてAttention  hypersensitivity(注意過敏)=AHHDとすべきであろうと思う。欧米のことにすべて従うこともないであろうというのが私のunderstandからの概念である。

 考えると言う概念を分析してみると原因等を探るためにいろいろ思考することが一つあるであろう。原因を探るためにはその要因をしっかりと現場に立ってしっかりと観察することが大切になるであろう。そのためにはunderstandはとても大切となるであろう。

 

 考えるにはまったく違った要因がないかを探すことも必要である。このときは専門馬鹿にならないで世の中全体から俯瞰することが必要だと私は思う。俯瞰するとは英語でbird's-eye viewと言われている。つまり鳥の目からの景色を見ることだ。

 山の中で迷ってしまうと自分がどこにいるかわからなくなってしまう。そういう時に自分の位置を確認するためにbird's-eye viewができたらどんなに楽だろうかと思うことがある。しかしながら鳥類でない人間はbird's-eye viewはできないのである。手法的に俯瞰する能力が大切と言いながら、実際には空を飛べない人間はbird's-eye viewはできないのである。その矛盾が人間を悩ませる。

 そこで俯瞰する=bird's-eye viewを身につけるにはどうしたら良いのだろうか。すると小さな変化・変容の中に大きな変化・変容を見つけることが必要となるであろう。つまり我々は空を飛べないけれど山の中においてどっちが東でどっちが西かを判断する手法を持っている。例えば木の枝のつき方や花の咲き方などの微妙な変化・変容で空を飛べないけれど上から俯瞰することができるのである。

 

 このように考えてみると俯瞰するbird's-eye viewとはかなりの過敏な神経を持つことが必要となるのである。

 

 物事は逆転する。注意過敏多動症候群は今の社会の中では評価されない。しかしながら、AHDHでない人はある意味では世の中を俯瞰することもできないであろう。この矛盾の中で私たちは生きているのではなかろうか。

  Understandbird's-eye viewは矛盾しながら存在していてそれが考えるとの意味ではないかと私は思う。

 

 これに対する平井克秀さんのコメント

俯瞰するためには、多角的な視点と多面的な情報、そして集めた情報を俯瞰図にするための道具が必要になりますね。
俯瞰図あるいは鳥瞰図というのは私にとってはなつかしい言葉です。昔CAD(コンピュータを使って設計する道具)やCG(コンピュータを使って画像処理をする)ソフトを作っていたからです。

もうひとつ、山登りを思い出します。5万分の一の地図を専門店で買って、そこに描かれた等高線をみて、山の形、ここは尾根が長く続いている、この谷は切れ込みが深い、急峻な峠をこえて下るとまたのぼり、標高差は500メートルくらいかな、ここまでくると高原の緩やかな起伏になるな・・・などと思い描くのが楽しかったものです。

地図をみながら考えていると、山の形が見えてきます。山のある位置に立ったときに東西南北の方向がどのように見えるのかも思い描くことができます。山に登ったときのように下界を俯瞰することが、ある程度はできるものです。そういう見方の訓練も必要なのでしょうね。

Hypersensitivity
は大切ですね。感受性が強い、ものごとの変化を見落とさない、五感がフル回転している、さらに第六感が鋭く、ある種の超能力がある・・・といったいろんな解釈ができそうです。

 

 最近、私は子ども達に考えないで行動するようにすすめている。一般的にしっかりと考えて行動することがよいように思われがちであるが「下手な考え休むに似たり」といった諺もあるように必ずしも考えることがベストやベターな選択であるとは限らないことが多いからである。

 ADHD等注意欠陥や多動な子どもを見ていると圧倒的に男の子の確率が高い。男の子と女の子の違いを観察していると女の子は行動をする前に必ず他人の行動を見てから活動することが多い。これに対して男の子は先手必勝とばかりとにかく行動が先に来る。

 学校から帰って来る時に犬の子のように一番を争うのは男の子だし、問題が出される前に「ハイハイ」と手を上げて「わかりません」と答えるのも男の子が多い。

 女の子は周りの様子を観察してから行動するという社会的参照の能力に優れている。女の子が社会的参照能力に優れているのは哺乳動物として未熟児のようなあかちゃんとのコミュニケーションを図るために脳にある程度本能的にインプットされているものがあるのではないかと私は仮説を立てている。

 哺乳動物でありながら乳を与えることのできない男は(オスは)せめて先んじて餌をとるために社会的参照の能力よりは活動的な能力を身につけたのではなかろうかとも私は思う。

 多動や注意が集中できない(注意に過敏)ことは社会的参照の能力が足りない男の子に多くなるであろう。だとするならば、社会的参照の能力を培うことが必要となるであろう。そのためにはまずは下手な考えをしないでとにかく周りの人がどのように行動しているかを見てその真似をすることが大切になるであろう。下手なことを考えたり、なぜかを思う前に大多数の人の行動を見てそれと同じことをする能力を培うことである。これはある意味では無意識で真似をすることであり、意識的に考えることではないのである。そこで私は考えないで行動することを提案している。

 考えないで行動するというのはエポケーするとの意味でもある。ある行動が正しいか間違っているかを議論するときりがなくなることがある。ちょうどイスラエルとパレスチナの戦争のようになってします。とりあえず停戦にもっていくというのも一つのエポケーの手法である。また韓国では日本の犬食いのような食べ方が文化的に正しいらしい。韓国で大きなおわんを手に持って食べるわけにはいかない。ちょっとおかしいと思っても郷に入ったら郷に従えというのも一つの手法である。とくに文化的な点においてはそれぞれの文化を認めるためには議論しあうことではないであろう。

 エポケーして取り合えず多数派にしたがって行動することは必要である。その代わりに時間的に余裕がある時に様々な試行錯誤の取り組みをしておいてきちんと主張するときは主張することも大切であろう。ところがそうしたいろいろな経験や試行錯誤がないままに言葉だけが独り歩きしているのが今の時代ではなかろうかと私は思う。


 考えないで行動することがまずできるようになることが必要である。

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