EVANGELION Another World #23B.
第弐拾参話
B part.

[ The Beginning and the End,or "Knockin' on Heaven's Door" ]

[||]

 
 
 芦ノ湖のほとりには、ジオフロントへと光を移送するための集光ビルが立ち並んでいた。
 その近くの橋の中央で、一人の青年が集光ビル群を眺めていた。年齢は二十代の半ばだろうか、掛けている眼鏡に水面から反射する光が写る。
 彼の後ろに青いアルピーヌ・ルノーA310が止まる。運転席の扉が開き、二十代後半の美女が降り立った。人目を避けるような二人の様子は、道ならぬ恋に落ちた二人の逢瀬に見えなくもない。しかし、この二人の目的はもっと実務的な、色気のない物だった。
「どう、彼のデータ、入手できた?」
「これがマギの解析データです。伊吹二尉から無断で借用しました」
 日向はそう言ってミサトに一つのファイルを渡す。
「すまないわね。泥棒みたいなことばかりやらせて」
 ミサトはそう答えるとそのファイルを読みはじめた。ほどなく彼女の顔に驚愕の色が浮かんだ。
「なに…これ、どういうこと」
 日向はそんなミサトの様子に同意するような表情で、橋の欄干に体重を預ける。
「技術部が公表できないわけですよ。理論上はありえないことですから」
「そうね、謎は深まるばかりか。エヴァとのシンクロ率を自由に設定できる、それも自分の意志で。リツコがラボから出てこないわけだわ」
 ミサトはファイルを閉じるとつぶやいた。
「…直接聞いてみるか」
「フィフスチルドレンに?」
「とりあえず、リツコに」
「こんなことは言いたくありませんが…」
 日向が言いにくそうに言う。
「注意してください。先日の『ロンギヌスの槍』の件といい、作戦部には知らされていないことが多すぎます。薮をつつくときは注意した方がよさそうです」
「わかっているわ」
 ミサトはそう答えた。しかし、彼女は正攻法以外の手段を知らなかった。

 そこはいくつかの常夜燈のともるだけの広い部屋だった。その明かりは部屋の隅々までを照らすには程遠く、周囲の壁は闇に溶けこんでいた。その部屋の中央には複数の巨大なディスプレィの並ぶ、巨大なマギシステムの端末が設置されたいた。リツコはその端末に向かっていた。ディスプレィの明かりがリツコの顔を薄暗い部屋の中に浮かび上がらせている。
 忙しく動いていたリツコの両手が突然止まる。
「立ち入り禁止の表示が見えなかったの?」
「こっちの用件も緊急なの」
 リツコの真後ろで、両手を組んで立つミサトが答える。その声を確認すると、リツコはふりかえることもなく、再び両手を動かしはじめる。
「マギの解析結果、見せてもらったわ。あの少年の、フィフスの少年の正体はなに?」
「そういうことは黙っておくものよ。どこから手に入れたのかは聞かないでおくわ」
「質問に答えて。これから何が起こるのか、作戦部長として知っておきたいの」
 リツコの両手が再び停止する。
「現時点では回答不能。五時間後に第一次のレポートを提出します」
「そう…じゃあ、リツコ、あなた個人の意見を聞かせて。彼は何者なのか、これから何が起こるのか」
 リツコは黙ったまま動かない。思索を練っているのか、それとも沈黙が回答なのか、ミサトには判別できなかった。
 しばらくの沈黙の後、リツコが口を開く。
「解らないわ。なにも」
 その答えを聞くと、ミサトは黙ってその場から立ち去った。

 ネルフ正面ゲート。
 レイはそこで自分を待っていたらしいカヲルと対面した。
「ファーストチルドレン・綾波レイ。話があるんだ」
 昨日と違い、笑みのない真剣な表情でカヲルが告げる。レイは沈黙でそれに答えた。
「僕と一緒に来ないか」
 カヲルの口から出た言葉はレイの予想を超えていた。
「…あなたが何を言っているのか、わからないわ」
「わかるはずさ、君の魂が知っている。僕にはわかるんだ。君は僕と同じだからね」
「私は私。あなたじゃないわ」
 カヲルはすこし驚いた面持ちでレイに問いかけた。
「…リリン達にくくられているのか、魂の声を聞けないほどに?」
「…私はこれまでの時間と、他の人たちとの触れ合いによって私になった。そして、それがこれからの私を造る。人との触れ合いと、時の流れが私の心を変えてゆくの。私は私、あなたじゃないわ。私の魂はあなたみたいなことは言わないもの」
「だから、ここにいるのかい?」
「…ここには私の役目がある。私のしなければいけないことがあるわ」
「そうか…でも、僕の邪魔はしないでくれ」
 カヲルの両目が妖しく光る。レイはとっさに身構えようとするが、そのままそこに崩れ落ちた。
 失われてゆく意識の中で最後までレイが覚えていたのは、自分と同じ色をしたカヲルの瞳だった。

「レイを病院に収容? どういうこと?」
 作戦室で日向から報告を受けたミサトが問い返す。
「正面ゲートで倒れているところを発見。そのまま付属病院に収容しました。検査の結果はまだですが、生命に別状はないようです」
 ミサトの問いに日向が答えた。
 何かが始まったのか、ミサトは状況の変化が始まったことに気付いた。しかし具体的な情報が何一つもたらされたわけではない。
 ミサトの心を言いようのない不安が襲った。

 リツコはミサトが去った後も同じことを考えていた。フィフスチルドレン、渚カヲルとはいったい何者なのか。
 膨大なエヴァの運用データを持つネルフ本部技術部。そしてその最高傑作、綾波レイ。しかし渚カヲルは綾波レイの能力を上回るばかりではなく、自分の意志でエヴァとのシンクロ率を自由に設定できる。
 それが彼を送り込んだ委員会の持つ技術なのか、それとも…。
 リツコの考えの先には一つの答えがあった。しかし彼女の思考はその答を避けるように、その周囲をぐるぐる回っていた。
 リツコはキーボードの上を踊る両手を止めると、右手にシャープペンシルを持つ。シャープペンシルの尻をあごに押し当てて考える。
 ふと、机の上に目が止まる。色とりどりの口紅のついた吸い殻でいっぱいの灰皿の横、白と黒の二体の小さな猫のマスコットが目に入る。 リツコはシャープペンシルを持ち直すと、その先で黒猫のマスコットをかたん、と倒す。
〈『デウス・エクス・マキナ』、停滞する物語を無理矢理進行させる機械仕掛けの神。渚カヲル、まさに彼のことね〉
 リツコは昔見たギリシア悲劇の舞台に出てきた神の名を思い出していた。

 カヲルはケージでアンビリカルブリッジから弐号機の顔を見上げていた。
『ここには、僕のすることが、しなきゃいけないことがある』
『ここには私の役目がある。私のしなければいけないことがあるわ』
 シンジとレイの発した言葉が、カヲルの心に深く突き刺さっていた。
〈自分の役目、しなくればいけないこと、結局それから逃れることはできないのか。…それが滅びを導くことになっても〉
「さあ、行くよ。おいで、アダムの分身、そして、リリンの下僕」
 カヲルは心を決めて弐号機に呼びかけた。
 そしてアンビリカルブリッジから、冷却液の満たされたプールへと歩を勧めた。周囲の空間が揺らいだかと思うと、カヲルの体は、重力を感じないかのように宙に浮かんでいた。
 それに呼応するかのように、エヴァ弐号機の四つの目が開かれ、鋭い光を宿した。

 弐号機の起動はすぐに発令所にモニタされた。
「エヴァ弐号機、起動しました!」
「そんなばかな! アスカは!」
 予期せぬ出来事に発令所は騒然となった。

 アスカは不吉な予感を感じて弐号機のケージへと走った。そこで彼女が見たものは、空中に浮かぶカヲルと、彼に従いセントラルドグマへと向う弐号機だった。
 カヲルはアスカに気付いたが、興味の無いようにすぐに視線を前方に戻した。
「私の弐号機をどうする気!」
 アスカがカヲルに叫ぶ。しかしカヲルはアスカを相手にしない。
「やめて、行かないでよ!」アスカが絶叫する。「あなたも私を置いて行ってしまうの! …ママと同じように…」
 アスカは弐号機に向って叫ぶ。しかし弐号機はアスカになにも答えない。
「いやだ! 私を置いていかないでっ!!」
 錯乱してケイジのキャットウオークから身を乗り出すアスカに、保安部の数名が駆けつける。
 両側から肩と腕を取り押さえられながらも、アスカは涙を浮かべ、身をよじって弐号機を追おうとして叫ぶ。
「お願い! 行かないで!」
 しかし、もうそこには弐号機の姿はなかった。

「アスカを弐号機のケイジで確保、錯乱状態です。救護部隊を向わせています」
 日向がミサトに報告する。
 マヤが弐号機の状況をモニタする。
「弐号機は無人、エントリープラグは挿入されていません!」
「だれもいない? フィフスの少年ではないの? …アスカの様態は?」
 ミサトが日向に尋ねる。
「鎮静剤で眠らせています。外傷はありません。付属病院に収容しますが」
「現状はそれでいいわ。レイに引き続き、アスカも戦線離脱か…シンジ君は?」
「初号機での緊急発進コードに対応中。五分でエントリー可能です」とマヤ。
「ファーストチルドレン、所在を確認しました。三〇三病室です」
 スクリーンにベッドに横たわるレイが映される。
〈なにかが起こることは解っていたはずなのに!〉
 ミサトは現状に苛立つ。
「フィフスチルドレンは?」
 リツコがそう言いながら発令所に現れた。
「所在は確認できません」マヤが答える。
「セントラルドグマにATフィールドの発生を確認!」
「弐号機?」とミサト。
「いえ、…パターン青、間違いありません! 使徒です!!」
「なんですって!」
「フィフスチルドレンよ」リツコが静かに呟く。
「使徒? あの少年が?」ミサトはリツコへとふり向く。「リツコ! 知っていたの!」
「…まさか、現在の状況からの判断よ」
 リツコはそう答えた。しかし彼女には解っていた。現在の状況が自分の予想の先にあったものだということを。
「目標は第四層を通過! 映像、入ります」
 青葉が映像を正面スクリーンへとまわす。カメラは上方より降りてくる弐号機の姿と、その前に浮かぶ少年の姿を写していた。しかし、すぐに画面が揺らぐとスクリーンはノイズに覆われる。
「カメラが破壊されました」
「だめです! リニアの電源が切れません!」
「目標は第五層を通過!」
 発令所に悲鳴と怒号に満ちた報告が交錯する。
 冬月がマイクを握った。
「セントラルドグマの全隔壁を緊急閉鎖、少しでもいい、時間をかせげ」
 セントラルドグマ周辺の全施設に緊急警報が走り、照明が赤い非常灯に切り替わる。
『マルボルジ全層、緊急閉鎖。総員待避、総員待避』
 緊急アナウンスが響く通路に、次々と隔壁が降りる。
 セントラルドグマでも、全部で二十四枚ある装甲隔壁が次々に閉鎖されてゆく。
「まさか、ゼーレが直接送り込んでくるとはな」
「…第拾参使徒の件で気付くべきだったな」
 ゲンドウが冬月に答えた。
「エヴァ参号機の件か」
「ああ、あれは事故ではない、ゼーレにとっては予定通りの展開だったのだろう。ゼーレは使徒をある程度コントロールする手段を手に入れたのかもしれん」
「だとすると…」
「ネルフの存在が邪魔になったのだろう。レイと初号機を不要と判断するかもしれん」
「まずいな」
「ああ…だが今は使徒を止めることが先だ」
「ファーストとサードチルドレンに接触したのも、なにか目的があってのことかな」
「…今となっては、そう考えるのが自然だな」
「しかし、使徒はなぜ弐号機を…」
 冬月の疑問にゲンドウは答えなかった。
「装甲隔壁は、エヴァ弐号機によって破壊されています!」
「サードチルドレン、エヴァ初号機にエントリーしました」
 状況が逐一報告される。
「現時刻をもって初号機の凍結を解除する。いかなる方法をもってしても、目標のターミナルドグマへの進入を阻止しろ」
 ゲンドウは普段より少しだけ固い声で命令した。

「嘘でしょ…ミサトさん」
『目標はセントラルドグマを現在降下中。嘘じゃないわ』
 呆然とした顔でシンジはミサトの声を聞いていた。
 初号機のエントリープラグの中でシンジを待っていたのは、第拾六使徒・渚カヲルの追撃命令だった。
「ウソだ! ウソだ! ウソだ! カヲル君が使徒だったなんて、そんなのウソだっ!」
『事実よ、受けとめなさい。出撃、いいわね?』
〈カヲル君が使徒…そんな、馬鹿な!〉
 初号機の第一ロックボルトが外され、アンビリカルブリッジが移動、本体の拘束具が次々に解除されてゆく。
『外部電源接続完了。エヴァ初号機、発進準備よろし!』
〈く!!〉
 シンジは歯を食いしばり、前方を睨み付ける。発令所に対する発進報告も行わぬまま、弐号機の通過した道をたどり、セントラルドグマへと向う。
〈裏切ったな…僕の気持ちを裏切ったな、父さんと同じで僕の気持ちを裏切ったんだ!〉
 シンジはセントラルドグマの奥の深淵を見つめ、インダクションレバーに拳を叩き付ける。そして初号機のATフィールドを展開、降下を開始する。
「カヲル君…信じて…信じていたのに!」
 シンジは叫ぶ、まだ見えぬカヲルにむかって。

「エヴァ初号機、ルート2を降下、目標を追撃中!」
 マヤの報告の声が発令所に響く。
「しかし、使徒はなぜ弐号機を…。もしや、弐号機との融合を果すつもりなのか?」
 冬月が疑問を発する。
「あるいは破滅を導くためか、だ。老人達の思惑がどうであれ、それが成功しているとは思えん」
「最悪だな」
「ああ」
 リツコがなにか言いたげに司令席を見上げていた。しかしゲンドウはリツコを無視し、微動だにしなかった。
「初号機、第四層通過! 目標と接触します!」

 シンジはインダクションレバーを両手で握り締め、身を乗り出してセントラルドグマの下方を凝視する。
「みえた!」
 セントラルドグマの先に見える小さな光が徐々に大きくなり、具体的な形を持ちはじめる。自分に先行して降下してゆく二つの物体、それが排除すべき目標だった。
 カヲルも降下してくる初号機に気付き、初号機を見上げる。
「待っていたよ。シンジ君」
「カヲル君!」
 カヲルに向おうとする初号機に弐号機が立ちふさがる。弐号機の繰り出す拳を初号機が受け止める。
 二機のエヴァは正面からお互いをねじ伏せようとするように両手を組む。カヲルはその二機を冷たいまなざしで見ていた。
「アスカ! ごめんよ!」
 シンジは初号機の肩のラックを開くと、中から格納されていたプログナイフが現れる。と、同時に弐号機の肩からもプログナイフが現れる。
 素早く右手を弐号機から振りほどき、プログナイフを肩のソケットから抜き放つ。自分とまったく同じ動作を繰り広げる弐号機を見ながら、シンジはプログナイフを弐号機へと繰り出した。そのブレードは弐号機のプログナイフに受け止められ、盛大な火花を散らす。
「エヴァシリーズ、アダムより生まれし、人間にとって忌むべき存在。それを利用してまで生き延びようとするリリン、僕にはわからないよ…」
 格闘する二機を見ながらカヲルは冷たくつぶやく。
 鏡に写った自分と格闘するような感覚に包まれながらシンジは二度、三度とナイフを繰り出す。
「カヲル君、やめてよ、どうしてだよ!」
 叫ぶシンジに向ってカヲルは冷ややかに答える。
「エヴァは僕と同じ身体でできている。僕もアダムより生れしものだからね。魂さえ無ければ同化できるさ。この弐号機の魂は今、自ら閉じこもっているから」
 力のバランスが崩れ、初号機のナイフがはじかれる。初号機のプログナイフがカヲルへと迫る。しかしそれはカヲルの体の寸前で八角形の力場にその刃先をはばまれた。シンジの目が驚愕に見開かれた。
「ATフィールド…」
「そう、リリン達はそう呼んでるね。何人にも犯されざる聖なる領域。心の光。リリンも解っているんだろ? ATフィールドは誰もが持っている心の壁だということを」
「カヲル君! 君が何を言っているのかわからないよ!」
 動きを止めた初号機の左肩に、弐号機がプログナイフを突き立てる。
「くっ! …ぁああああ!」
 左肩の激痛に叫びながら、シンジは弐号機の喉にプログナイフを突き刺した。

「エヴァ両機、最下層に到達!」
「目標、ターミナルドグマまであと二〇」
 初号機の出撃で幾分混乱は収まったとはいえ、状況が好転したわけではない。発令所でには今にも切れそうなほどに張り詰めた空気が満ちていた。
 ミサトは日向に近づくとそっとささやいた。
「初号機の信号が消えて、もういちど変化があった時は…」
「わかってます。そのときはここを自爆させます。サードインパクトをおこされるよりマシですからね」
「すまないわね」
「…いいですよ。あなたと一緒なら」
 作戦部長の口から出たとは思えない言葉に、日向は自分の思いを伝えた。
「…ありがとう」
 後ろに立つミサトの表情は、日向にはわからなかった。

 傷付け合う二機のエヴァを前にカヲルは悲しそうに呟く。
「人の定め、か。人の希望は悲しみに綴られているな…僕の定めと同じに」
 カヲルは静かに目を伏せる。カヲルを中心に空間が歪んでゆく。

 突如発令所を強い衝撃が襲った。
「どういうこと!」
 転ばないよう、両手で日向の椅子につかまったままのミサトが叫ぶ。
「これまでにない、強力なATフィールドです!」
「光波、電磁波、粒子も遮断しています! 何もモニタできません!」
 困惑した報告が届く。
「まさに結界か…」
「目標、およびエヴァ二号機、初号機ともにロスト! パイロットとの連絡も取れません!」
 マヤの悲鳴にも似た声が発令所に響く。
〈シンジ君…頼むわよ…〉
 ミサトは自分達の無力を改めて認識した。

 二機のエヴァとカヲルはセントラルドグマ最下層に到達した。そこでは一面が真っ白な塩に覆われ、塩の柱の林立する異様な光景が広がっていた。
 弐号機を振りほどき、シンジは周囲を見渡す。その光景は写真でみたセカンドインパクト後の南極の姿を思い出させた。
〈カヲル君は!〉
 すぐにカヲルは見つかった。彼は悲しそうに初号機を見上げると、まっすぐそこから離れていった。
「カヲル君…待って!」
 シンジはカヲルを追おうとした。しかし倒れていた弐号機に足をつかまれる。
「はなせ! はなせよ、この!」
 シンジは弐号機を振りほどこうとする。しかし弐号機は素早く起き上がると初号機に組み付く。
「カヲル君!」
 弐号機に対峙しながらシンジはカヲルの名を呼ぶ。しかしカヲルは振り返らなかった。
 巨大な壁が彼の行く手を阻む。しかしカヲルは傍に取り付けられた電磁ロックを一瞥するだけで解除する。
 巨大な扉が徐々に開いてゆく。その奥にはLCLの湖が広がり、第一使徒アダムと呼ばれる者の姿があった。

「最終安全装置、解除されます!」
「…ヘヴンズ・ドアが、開いていきます」
〈ついにたどり着いたのね、…使徒が〉
 呟くような日向の報告を受け、ミサトは終末を予感する。
「…日向くん」
 日向はミサトの呼びかけに、口を一文字に結び、ゆっくりとうなずく。
 その時、再び強い衝撃が発令所を襲った。
「状況は!」
「ATフィールドです!」
「ターミナルドグマの結界周辺に、先と同等のATフィールドが発生! 結界のなかに進入してゆきます!!」
「まさか、新たな使徒?」
 状況の急変にミサトは戸惑う。
「だめです、確認できません」
 ミサトは助けを求めるようにリツコを見た。しかし、リツコはそんなミサトに気付かなかった。
〈シンジ君…〉
 ミサトは無意識のうちに胸のペンダントを握り締めていた。

 カヲルは新たなATフィールドの発生源を見上げた。
 そこには、レイがいた。
〈見送ってくれるのかい?〉
 カヲルは視線で問い掛ける。しかしレイの冷たい、見下ろす視線はなにも語らない。カヲルはそれ以上とりあわず、目前の物体に視線を移す。
 壁に固定されているアダムに近づくと、その眼前に浮かび上がる。
「自らの役目…そしてアダム、我らの母たる存在。アダムより生まれしものはアダムに帰らねばならないのか…人を滅ぼしてまで…」
 アダムの眼前でカヲルは悲しそうに呟く。アダムの顔を見つめるカヲル。突然その赤い瞳に驚愕の光が舞う。
「違う! これは…リリス!」
 背後で巨大な物体が倒れる音が響いた。カヲルが振り返ると、そこにはLCLに沈む弐号機と、結界の中に足を踏み入れる初号機の姿があった。
 初号機の光る両目をカヲルはまっすぐに見つめる。ふとカヲルの脳裏に昨日の光景がよみがえる。公園でシンジと出会ったこと、一緒に風呂へ入ったこと、同じ部屋で語り合ったこと。そしてシンジの両目の光を。
「…そうか、そういうことか、リリン!」
 カヲルは全てを納得したように微笑む。
 そんな彼を初号機は鷲づかみにする。
「カヲル君…どうして?!」
 初号機の手の中のカヲルに向って、シンジの悲痛な問いが響く。
「僕が生き続けることが僕の運命であり、僕の役目だからだよ。結果、人が滅びてもね。だが、このまま死ぬこともできる。生と死は等価値なんだ、僕にとってはね。自らの死、それが唯一僕に与えられた絶対的な自由なんだ」
「何を…カヲル君、君が何を言ってるのかわからないよ…カヲル君」
 シンジはカヲルの言葉に戸惑う。
〈僕の聞きたいのはそんなことじゃないんだ。僕を…なぜ僕を裏切ったんだ〉
 シンジはそう問い掛けたかった。しかし口を開いたのはカヲルの方だった。
「遺言だよ」とカヲルは微笑む。「さあ、僕を消してくれ。そうしなければ君達が消えることになる。滅びの時を免れ、未来を選択できる生命体は一つしか選ばれないんだ。そして、君は死すべき存在ではない」
 カヲルはそう言って頭上を見上げた。そこではレイが二人を見つめていた。
〈シンジ君を助けに来たのか〉
 カヲルはレイに微笑んだ。しかし、レイは微動だにしない。
「君達にこそ未来が必要だ。ありがとう、君に会えてうれしかったよ」
 カヲルは静かに目を閉じる。この世に別れを告げるかのごとく、そしてこの世の全てからの問いかけを拒絶するかのごとく。
 シンジはその大理石の彫像のようなカヲルに問い掛けることができなかった。
 数秒が無限の時間に思われた。シンジは逡巡するものの、その手を握り締めた。
 ひとつの小さな水音が、ターミナルドグマの全体に響き渡った。

 夕焼けが、血の色に見えた。
 シンジとミサトは姥子にある公園に来ていた。眼下には第三新東京市の兵装ビル群が夕日の中に林立していた。シンジには、その赤い姿が、血にまみれ、鎖に繋がれた自分の姿の思えた。
「出会わなければよかったんだ」シンジは呟いた。「…そうすれば、彼を好きになったりしなかったし、こんな辛い思いもしなくてすんだんだ」
「それは違うわ」
 シンジの後ろに立つミサトは、シンジに向って答えた。
「人は他人と出会って、傷ついて、成長していくのよ。そのことから逃げてはいけないわ」
「…それがその人を殺すことになっても?」
 シンジが目を伏せてミサトに問いかける。
「…そうよ。私はシンジ君が生きていてくれて嬉しいわ。私の家族は、もうあなた達しかいないもの」
 ミサトは後ろからそっとシンジを抱きしめる。
「帰りましょう。私達の家へ」
 シンジはゆっくりとうなずいた。
 彼の両目には涙が光っていた。


予告

シンジはカヲルを殺した自分の行為に、彼の語った言葉に苦悩する。
そしてシンジは、自らの意志でネルフの真実を求める。
ターミナルドグマ最下層、シンジはそこで何を見るのか。

次回

「人類補完計画」


[||]

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Copyright(c)1996-2000 Takahiro Hayashi
Last Updated: Sunday, 09-Sep-2007 18:42:46 JST