EVANGELION Another World #24B.
第弐拾四話
B part.

[ CODE OF THE LIFEMAKER ]

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 シンジが眠りについたころ、ミサトは自室の机で組んだ腕に顔を埋めていた。机の端には、留守番電話と奇妙にねじれた渦を巻いた針金のオブジェ、そして空になったコーヒー缶が林立していた。
 ミサトの視界の端に留守番電話のメッセージランプの点滅が写る。なにかを求めるように、ためらいがちに留守電の点滅するボタンに手を伸ばす。しかし指先がボタンに触れると思い直したように指を浮かせる。
「鳴らない、電話か…」
 腕を伸ばしたまま頭を動かす。頭が腕から離れ、頬がじかに机にあたる。視線は、点滅するメッセージランプから隣のオブジェに移る。細い針金が複雑な幾何学模様を描き、不思議な雰囲気を形作っていた。そしてそのオブジェの頂上にある小さな二重螺旋の上に一つのカプセルが乗っていた。さまよっていたミサトの視線はそのカプセルに止まる。
 視線をそらそうととしても、ミサトの目はその加持の残したカプセルから離れようとはしない。しかたなく両手を使って上体を起こす。その時、胸のペンダントが机とぶつかり固い音をたてる。父親の形見の、飾り気のない銀の十字架。ミサトは右手で鎖をつまむと十字架を目の前にぶら下げる。
 フィフスチルドレン、ターミナルドグマにとらわれている使徒、そして、十五年前の南極の光の巨人。
「そうね、いまさら立ち止まれないわよね…お父さん」
 ミサトは目の前にぶら下げたペンダントにつぶやいた。ペンダントを胸に戻すと、右手でカプセルをつまんだ。
 今度はためらわなかった。

 次の日の早朝、ミサトはふすまを叩く音と、自分を呼ぶ声に目をさました。
「ミサトさん…起きてますか?」
 ミサトは布団の中から手を伸ばし、目覚し時計を手に取る。
「ん…シンちゃん…まだ六時よぉ…」
「ええ、僕、先に行きます。朝ご飯、用意しときましたから」
「先にって…まだ六時だってばさ」
「わかってますよ」シンジは答えた。
「ちょっと用事がありますから。それじゃ、いってきます」
「はぁい、いってらっさい」
 ミサトは再び布団に潜り込んだ。再び眠りの中に落ちてゆく途中で一つのことに気付く。
〈アスカの所かしら…でもそれならそう言うわよね…〉
 布団を跳ね飛ばし、ミサトはとび起きた。
「ま、思い過ごしならそれでもいいか」
 そういいながら机の端末の周囲にあるカードとディスクを手早くまとめる。ルノーのキーを片手に部屋を飛び出そうとしたとき、自分が寝間着姿のままなことに気付く。
「さっすがにこの格好じゃね…」
 ミサトはそう言って着替え始めた。

 アスカは病室で早々に目を覚ませていた。元々夜更かしの習性は無い上、病院の早い消灯時間を始めとする規則正しい生活のおかげで、たった数日の入院ですっかり朝型の生活サイクルになっていた。
 病院内での行動はとくに制限されてはいなかったが、彼女には何もすることがなかったし、なにをする気にもなれなかった。
 アスカは目を覚ませてから、ずっとベッドから上半身を起こしたままの姿勢で、ぼんやりと窓の外を見ていた。
 空はどんよりと曇り、小雨が窓を濡らせている。窓から差し込む光は、空の鉛色に支配されて病室を無彩色に染め上げていた。その中で、サイドテーブルの上の花瓶に生けられた花だけが色彩を放っていた。
 無彩色の世界の中でアスカの視線は自然に花に向けられていた。赤、青、黄、緑。なにも考えずに、視界に広がる色彩を受け入れる。
 アスカはいつのまにか一人の人のことを考えている自分に気付いた。彼女はこれまで自分の行動を悔やんだことはなかった。しかし今は、いつのまにか昨日の自分の行動を後悔していた。初めて自分の心を支配する感情に、彼女はどうすればいいのかわからないでいた。もちろん彼女は反省するということは知っていた。しかし今はなにを反省すべきかが解らなかった。
 病室のドアをノックする音が響いた。
「アスカ? 入るよ」
 ドアの外のシンジの声にアスカは驚いた。そして彼女はシンジにどんな顔をして会えばよいのか解らなかった。
 反射的に、アスカは寝たふりをすることに決めた。
 病室の自動ドアを開けるエアーの音が響くと、室内に足音が響く。
 足音がベッドの横で止まる。
「アスカ…寝てるの?」
 シンジの手が、アスカのほつれて顔にかかっている髪をそっと整える。その手の感触が、今のアスカには妙に心地よかった。
 ふとシンジの手の感触が消えると、アスカの瞼の裏がふっと暗くなる。アスカは自分の顔を大きな影が覆っていることを意識する。
 しかし、閉じたままの視界はすぐに明るさを取り戻す。
 見えない両手が自分に布団をかけてくれるのがわかる。その両手の気配が消えると足音が遠ざかり、扉の開く音がした。
 扉の閉まる音を確認すると、アスカは閉じていた瞼を開く。
 そこには、もう誰もいなかった。
「いくじなし…」
 アスカはそうつぶやくと、くちびるにそっと人差し指を押し当てた。

 本部のゲートを入ったところで、レイは自分を呼ぶ声に気付いた。声の方を振り替えると、彼女を待っていたらしいシンジが立っていた。
「少し、いいかな」
「何?」
 レイは歩きながら答えた。シンジがその後ろへ続く。
「…綾波はいつからここにいるの?」
「どうしてそんなことを聞くの?」
「僕は…ここへ来てからはエヴァに乗るだけで、ここのことをよく知らないんだ。綾波は僕より以前からここにいるから、詳しいかと思って」
「私なんかより、赤木博士の方が詳しいわ」
 レイは歩きながらそっけなく答える。
「うん…それはそうだろうけど…」
 廊下が終わり、レイは長い下りのエスカレータに足を踏み入れる。二段あいだをおいてシンジが続く。
「何が、知りたいの?」レイはそう言うと、肩越しにシンジを見る。
「セントラルドグマ最下層、そこには何があるのかが知りたいんだ」
 シンジはレイの瞳をまっすぐに見て、はっきりと言った。レイははっとしてシンジを見つめる。なにか言いたげに口を開くが、シンジの決意に満ちた瞳に気圧されるように視線を外す。口を閉じて自分の足元に視線を落とす。
 沈黙の中、軽いモーター音と共に、二人の周囲の景色が上へむかって流れる。
「ごめん…変なことを聞いて」
 シンジが沈黙に耐え兼ねて言った。
「知ってるわ」
「なにが…あるの?」
「…お墓。…神様の、お墓」
 レイはシンジと視線をあわせないように、前を向いたまま答える。
「神様のお墓って…」
 シンジはレイの答えを理解することができずに、聞き返す。
「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え 夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく 声は聞こえなくても その響きは全地に その言葉は世界の果てに向う」
 レイは宙を見つめ、歌うように語る。シンジはだまってレイを見つめる。
 エスカレータが下に到着する。レイはエスカレータを降りて数歩進んだところで立ち止まる。シンジもその一歩後ろで足を止める。
 二人の間に、沈黙が降りる。
「…ごめんなさい。言えないの…」
 レイはうつむいて、それだけを答える。
「いいよ、ありがとう」
 シンジはレイにそう言うと、レイを残したまま歩きはじめる。
「碇君」
 レイはシンジの背中にむかって呼びかける。シンジは立ち止まって振返った。
「行くの?」
 レイの質問に、シンジは黙ってうなずく。
「そう…」行ってはだめ、レイはそう言葉を続けようとした。しかし、発せられた言葉は違う言葉だった。
「気をつけて」
「…ありがとう」
 シンジは微笑んで礼を言うと、きびすを返して歩いていった。

 レイはうつむいて長い間その場にたたずんでいた。ターミナルドグマ最深部、そこはネルフにとって最大級の機密のあるところであり、その機密に近づくことのできるのは総司令、複司令、赤木博士、綾波レイ、そして一握りの赤木博士直属の技術部の人間だけである。作戦部長であるミサトでさえ、そしてもちろんパイロットにすぎないシンジが立ち入ることのできる場所ではなかった。
 レイはその機密の最大の当事者だった。ターミナルドグマの機密はそのままレイのすべてだった。それに触れようとするシンジをなぜ止めなかったのか、レイは自分の心が理解できないでいた。
〈彼は地下へと向かう。私以外の私へと向かう。他人に知られてはいけないはずなのに、他人に知ってほしくないはずなのに、なぜ止めないの…。違う…私、自分に嘘をついてる。知ってほしいんだわ、私のことを…〉
 レイは顔をあげ、シンジの歩いていった廊下を見た。しかし、もうそこにはだれもいなかった。

 リツコは自分の研究室で端末のディスプレィをぼんやりと眺めていた。その画面には、ゲンドウとリツコの母であるナオコ、そして高校生だったリツコの三人が並んだ写真が表示されていた。
 気まぐれに、その中の自分の顔を画面の中央に拡大する。若かったころの自分がディスプレィの中からリツコを見つめる。その視線に耐え兼ねて、リツコはディスプレイの電源を落とす。ブラックアウトした画面に周囲の景色が写りこむ。そこに写っていたのは、仕事に疲れ、年をとった女の姿だった。
 リツコはその顔を見ていられなくなって、ついと視線をはずす。
〈私は…いったいここで何をしているのかしら…〉
 デスクの上の電話の呼び出し音が鳴った。リツコの腕は反射的に受話器を取り上げる。
 電話は諜報部からだった。
『赤木博士、サードチルドレンが人工進化研究所区域に進入します』
「シンジ君が?」
『現在はコード47で監視中。対象には気付かれていません。しかしまもなく立ち入り禁止区域です。こちらで拘束しますが、一応連絡をと…』
 リツコは電話の相手の話を黙って聞いていた。彼女の心にいろいろな思いが交錯する。
 碇シンジ。あの人の息子、そしてあの女の息子。リツコの心の奥にひそむ、どす黒い思いが一つにまとまってゆく。
「拘束は不要よ」リツコは答えた。「私が行きます。彼に不信感を持たせるのは得策ではないわ、彼も私の話なら聞いてくれるでしょう。私が接触するまではフォローを続けて。接触してからは監視は不要よ、通常のシフトにもどって」
『…了解しました』
 受話器の向こうから不服そうな返事を伝えて、電話は終わった。

 シンジはターミナルドグマの入り口に立っていた。関係者以外立ち入り禁止の区域であることは知っていたが、ここまで誰にも会わずに来ることができた。もちろん諜報部の慎重なフォローがあったからこそのことだったのだが、シンジはそのことに気付きはしなかった。
 LCLプラントと書かれた扉には他と同じような、小さなテンキーとカードスロットが備えられた電子ロックがあった。シンジは自分のカードを取り出すと、その表面にある自分の写真と、その横に書かれたNERVの文字をじっと見つめる。そしてカードを電子ロックのスロットに通す。しかしロックはエラーを示す赤ランプを点灯させるだけだった。
 シンジはけげんそうな顔をして、何度もカードをスロットに通す。しかし扉は開く気配を見せなかった。
「無駄よ。あなたのカードではその扉は開かないわ」
 突然後ろから声をかけられ、シンジは驚いて振り向いた。そこには白衣を着たリツコが腕を組んで立っていた。
「リツコさん…」
「ここは立ち入り禁止区域よ。知っているでしょう?」
 すみません、反射的に口からでそうになる謝罪の言葉をシンジは必死に飲み込んだ。ここでその言葉を言ってしまっては、その後はリツコに手を引かれてここを立ち去ることしかできなくなる。
 シンジは右手をゆっくりと握り、そしてひらく。呼吸にあわせて数回その動作を繰り返す。そして力いっぱい拳をにぎるとまっすぐにリツコを見て、口をひらく。
「リツコさん、この奥には何があるんですか」
 リツコは初めて見る毅然としたシンジの態度にあっけにとられる。
「私も興味があるわ」
 そういいながら横の通路から銃を構えたミサトがあらわれる。
「赤木博士のパスなら、その扉は開くはずよね」
 銃口をリツコに向けて言う。
「ミサトさん…」
「ミサト…どうしてここが…」リツコは驚いてそう問うが、すぐに納得がいったというように、うつむいて小さな笑みを浮かべる。
「加持君ね…。彼の残したデータがあれば、それだけでも中には入れるはずなのに…すぐに短絡的な方法に頼るのは関心しないわね」
 リツコは突きつけられた銃口を見ながら、ミサトに言う。
 シンジは銃を突きつけるミサトと、突きつけられたリツコを交互に見る。
「ミサトさん…どうしてここに…」
「シンジ君と同じ。自分の目でたしかめたいの」ミサトはまっすぐリツコを見据えたままで言った。
「リツコさん、ここには…この奥にはいったい何があるんですか!」
 シンジは言葉を吐き出すようにしてリツコに問う。リツコはまっすぐミサトを見たまま、ゆっくりと答える。
「いいわ、見せてあげる。もともとそのつもりだったしね。人数が増えたのは予定外だけど。それでいいわね、葛城作戦部長?」
「私は…真実が知りたいだけよ。もう、手段を選んではいられないわ」
 リツコはミサトのかまえる銃口を無視するように扉へと向かった。電子キーのスロットにカードを通すと、短い電子音と緑のランプがそれに答え、扉がゆっくりと開く。
 リツコはゆっくりとその中に足を踏み入れた。

 沈黙と共に三人を乗せたエレベータは、ゆっくりと降下を始めた。
「リツコさん、使徒っていったい何なんですか」
 沈黙に耐え兼ねたようにシンジが尋ねる。その問いをうけてリツコは静かに答える。
「人類よ」
「ばかなこといわないでよ、やつらが私達と同じわけないじゃないの」とミサト。
「そう、私達と同じではないわ…私達が人類ではないのよ。進化の終局に至った使徒、それが渚カヲル、無原罪の魂を持つ真の人類」
「言葉遊びにすぎないわ! 何の根拠もない!!」
 淡々と語るリツコに対して、ミサトが怒鳴りかえす。しかしリツコはまったく動じない。
「なにも知らないからよ、あなたが。…私達は祝福されえた生命体ではないわ。始まりの原罪を背負った、呪われた生命。…チルドレンを除いてね」
 リツコはそう言ってシンジを見る。
「どういう意味よ」とミサト。
「シンジ君達は、エヴァとシンクロできるでしょ」
「それに、どういう意味があるんですか」
「未来を…選ぶことができるわ…」
 リツコは、物憂げにそう答えた。

 その部屋には「人工進化研究所第三分室」と書かれていた。天井や壁面は打ちっぱなしのコンクリートで覆われ、部屋の周囲には医療器械らしきものが無造作に放置されていた。部屋の真中にはベッドと衝立てが置かれ、その横には小型の冷蔵庫が置かれている。その冷蔵庫の上には、一つのビーカーと色とりどりの薬のカプセルが乱雑に放置されていた。
 この殺風景な部屋を、シンジは以前にも見たことがあった。
「まるで綾波の部屋だ…」
「綾波レイの部屋よ」
 シンジのなにげない一言にリツコが答える。
「ここが?」
「そうよ。彼女の生まれ育ったところ。レイの深層心理を構成する光と水は、ここのイメージが強く残っているのね」
「赤木博士、科学的な考察は結構だけど…」
 ミサトが口を挟む。
「私はこれを見に来たわけじゃないのよ」
「わかっているわ、ミサト」

 そこは広大な空間だった。シンジ達三人がいるキャットウオークの薄明かりはすぐ先までしか届かず、視界のほとんどを闇が染めていた。
 リツコが手の中で小さなリモコンを操作すると、いくつかの照明が灯り視界が広がる。
 そこには巨大な人型の骨格が横たわっていた。その頭部は、零号機に酷似していたが、顔には昆虫の複眼のようなちいさな五つの目が並んでいた。
「エヴァ…?」
「最初のね」とリツコ。
 シンジはリツコを見る。リツコはまっすぐと床に横たわる人型を見つめている。
「失敗作よ。十年前に破棄されたわ」
 シンジはその人型に視線を戻す。上半身は人間の物と酷似していたが、下半身は小さく、申し訳程度の骨盤があるのみだった。その周囲にも、同じ頭部を持つ異形の骨格が十数体並んでいた。どれもが五体満足の姿ではなく、どこかに欠損をもつ姿だった。
 そのすべてが照明の届くかぎりの床一面に規則正しく並べられていた。明かりの届かない暗闇に眠っている数をいれるといったいどれだけの数のエヴァが眠っているのかわからなかった。
「エヴァの墓場…」
 シンジは戦慄してそうつぶやく。
「ただのごみ捨て場よ。でも昔はここが唯一の実験場だったわ」
 リツコはそう言いながらシンジを見る。
「ここは…あなたのお母さんが消えたところでもあるのよ…覚えているかしら? あなたも見ていたはずよ、碇ユイの、消える瞬間を…」
「リツコ!!」
 薄笑いを浮かべてシンジに告げるリツコを、銃を構え直したミサトが制止する。
 シンジはその言葉を唖然として受け止めていた。

 その広いホールには透明なクリスタルの板が林立していた。その中には朽ち果ててぼろぼろになった羊皮紙らしい布や、粘土版が封入されていた。
「これは…」
「文字…ですか?」
 シンジがクリスタルを覗き込んで質問する。
「そうよ、先史時代の文字。私達は古代文字と呼んでいるわ」
「これは…もしかして…」
 左手でクリスタルの表面をなぞるようにして、食い入るように羊皮紙の文字を見ていたミサトに、リツコが答える。
「そう、これが『死海文書』よ」
「『死海文書』?」
 シンジはリツコに振り返り、その言葉を口にする。
「そう。一九四七年から 一九五六年にかけて、死海北西にあるクムランという場所で発見された先史時代の書物。ただしそれはこれまでの人類が知ることのなかった文字で書かれていた。文字だけじゃないわ、文章の構文そのものが我々人間には理解不能な構造で成り立っていた。これを最初に解読したのが情報工学の天才、島津圭助博士。博士の開発した超連想コンピュータを使ってね。博士は母の指導教官であり、超連想コンピュータはMAGIシステムのベースにもなったわ。他に比肩する者のない天才だったそうよ」
 リツコは話しながら林立するクリスタルの間を歩いていった。数歩遅れてシンジとミサトが続く。
「死海文書、それを見ただれもが、知られざる神話が発掘されただけだと思ったわ…セカンドインパクトが現実の物となるまではね。死海文書、それは人間の起源と真の人類についての物語。日本人のあなた達にはピンと来ないかもしれないわね。あのセカンドインパクトで一番衝撃を受けたのは神を信じる人達…ゼーレの老人達よ。彼らにとっては信仰の対象でしなかった神。それが実在し、我々人類に審判の鉄槌を下した。真相はわからないわ。しかしゼーレの老人達はそう信じたのよ。今こそ審判の時、我々は神によって救われることのない者であると。我々が神に見捨てられ、滅ぼされる定めにある者であることを」
 リツコが立ち止まると、その後ろでシンジとミサトも立ち止まる。
 リツコは白衣のポケットに両手を入れたまま体ごと振り返り、不気味な薄笑いを貼り付けた顔で語る。
「我々人間こそが天より落とされた者。使徒、彼らはエデンを追われた罪人。その使徒を罪人としたのが我々なのよ。その罪から我々は天よりこの牢獄へと追放されたわ」
「おとぎ話だわ、なんの証拠もない!」
 ミサトが言い返す。しかしリツコは表情を変えないまま、右手で横にあるクリスタルの一枚に手をかけて答える。
「これが証拠よ。この死海文書には人の持つ原罪の全てが遺伝子地図として記録されているの。その地図は実際の我々の遺伝子と百パーセント一致したわ。そしてエデンを追放された人類、我々が使徒と呼ぶ存在のことも全てね。そしてその記述は今日までことごとく的中してきた」
「人類補完計画って…」
「そう、人類とは我々のことではないわ。使徒、彼らを補完するのが目的。彼らをエデンへと帰還させること。そして、我々が天へと帰還すること。それが、人類補完計画」
「使徒を倒す、それが私たちの役目だわ!」
 ミサトは銃を持った右手を振り下ろして叫んだ。
「進化は逆境から生まれるわ。そのためのエヴァンゲリオンとネルフ。…渚カヲル、彼は今までの頂点だったわ。我々と同じ階位にまで補完された使徒、その彼の次に出現する者、それが、SEELEの目的…」
「そのためのネルフ…そのためのエヴァ…そんなことの為に…」
 シンジが呆然とつぶやく。
 リツコはふと二人から視線を外し、疲れたような表情でうつむく。しかしそれも一瞬のことで、ついてくるようにと身振りで示すと歩きはじめた。

 暗い部屋だった。
 この円形の部屋の中央にはガラスの円筒が立っていた。内部は金色の液体に満たされ、その上端には節のついたパイプが上に伸び、無数のパイプが絡み付いていた。その姿は巨大な脳髄を思わせた。
 シンジにはそのパイプの中の金色の液体に見覚えがあった。
「LCL…」
「そう、そしてダミープラグシステムの中枢よ」
 ダミーシステムという言葉を聞いたシンジが、びくんと体をふるわせる。
「これが…ダミープラグの元だというの」ミサトも周囲を見渡す。
 浮き足立つ二人にリツコは薄笑いを浮かべながら告げる。
「真実を見せてあげるわ」
 そう言って、手の中の端末を操作した。
 周囲の壁から金色の光がもれる。そこは水槽になっており、内部にはLCLが満たされていた。そして、そこには無数の同じ顔をした裸の少女が漂っていた。
 シンジはその顔を知っていた。
「綾波…レイ…」
 おもわずその名を呼ぶ。すると水槽の少女は一斉にシンジへと顔を上げた。
「!」
「まさか…エヴァのダミープラグは…」
「そうダミープラグの中枢、その生産工場よ。ここにあるのはダミープラグの、そして綾波レイと呼ばれるもののための、ただのパーツにすぎないわ」
「これが…」
 驚愕する二人をよそにリツコは語り始めた。
「SEELEは死海文書の記述に従い、南極で神様を手に入れた。それが十五年前の葛城調査隊。ミサトは疑問に思わなかったかしら、子供のあなたがなぜ調査隊に同伴させられたのか。十四才の少女だったあなたが」
「そんな…」
 ミサトの右腕は無意識のうちに、銃を持ったままゆっくりと下がってゆく。
「しかし調子に乗った人間達は神様から鉄槌を下された。せっかく発見した神様も消えてしまったわ。でも今度は神様を自分達で復活させようとしたの。それがアダム。そしてアダムから神様に似せて人間を作った。それがエヴァ」
「人間…人間なんですか…」
「そうよ。姿は違っても、エヴァには人の魂が宿らせてあるもの。初めから魂の入っていたのはレイ一人だけだけなの。あの子にしか魂は生まれなかったのよ。ガフの部屋は空っぽだったの。彼女は使徒出現に備えた試作品。アダムと人間の双方の因子を持つ存在、魂を持ちながら、人間の持つすべての原罪と制約を持たない者。…消えてしまった、碇ユイと、アダムから造られた者…」
「リツコ!」
 ミサトが銃を構え、話続けるリツコを厳しい口調で制止する。
「母さんから…」
 シンジは、空虚な笑みを浮かべて漂う少女を見つめながらつぶやく。
「…これが私達の科学の正体よ。解読した古文書に、拾った神様、サルベージしたもの…私達自信が生み出したものなんて一つも無いわ。ここに浮かぶレイと同じ。私達の作り出した物には魂がない。…ただの入れ物なのよ」
 リツコは端末を持つ右手に力をこめる。
「…だから壊すの。憎いから…」
 リツコが右手を小さく動かす。小さな電子音と共に、周囲の水槽の内部が赤く変色してゆき、漂っていた少女達の姿がばらばらに崩れてゆく。
 シンジは呆然と、崩れ落ちる少女達を見つめていた。
「あんた、何やってんのか解ってるの!」
「ええ、解っているわ。破壊よ、人じゃないもの、魂を持たない、人の形をしたモノなのよ」
 リツコは、銃を突きつけたミサトに肩を落として答える。その声は震えていた。
「…でも、そんなものにすら私は負けた…勝てなかったのよ! あの人のことを考えるだけでどんな陵辱にだって耐えられたわ。私の体なんてどうでもいいのよ…所詮は魂の道具にすぎないわ。でも…でも、あの人…あの人は…わかっていたの…馬鹿なのよ、私は、私達…母子そろって大馬鹿者だわ!」
 独白するリツコの背中を、シンジとミサトは黙って見つめていた。
「…私を殺したいのならそうして…いえ、そうしてくれると嬉しい…」
 その言葉にミサトは構えていた銃を下ろした。
「自分だけ舞台から降りられるとは思わないで。…なんて…馬鹿なひと…」
 ミサトの言葉を聞いたリツコは、その場に崩れ、号泣する。
〈エヴァに取り付かれた人の悲劇…馬鹿なのは、私も同じか…〉
 ミサトは自分に向かってつぶやいた。

 自分の求めていた真実を前に、シンジはどうすることもできなかった。
「人類補完計画、ネルフの目的、これが…父さんの仕事なのか…」
 シンジは呆然と立ちつくすしかなかった。


予告

アメリカとドイツで建造されていた9機のエヴァが、突如暴走を開始する。
9体のエヴァが繰り出す超振動攻撃に蒸発する北米大陸。
人類は、その圧倒的な力に恐怖する。

次回

「終わる、世界」


[||]

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Copyright(c)1996-2000 Takahiro Hayashi
Last Updated: Sunday, 09-Sep-2007 18:42:47 JST