EVANGELION Another World #26A.
第弐拾六話
A part.

「今、契約の時」

[||]

 
 
「出てきたな、ネルフの秘密兵器…紅いやつ、弐号機一機だけか…どう思う?」
「最初の一撃の影響でしょう。しかし戦力の逐次投入とは愚策の極みですね」
「ま、ネルフの戦術オンチは有名な話だ」
 富士見一佐は双眼鏡を覗きながらつぶやいた。
 そこは第3新東京市を見下ろす二子山山頂に布陣された、国連軍重砲大隊指令部である。国連軍といっても、中身は自衛隊と沖縄の米海兵隊から臨時編成された混成部隊であった。しかし現在の混乱する情勢の中で、定数には満たない形だけとははいえ、大隊編成の装備をかき集められたのは奇跡に等しい。
「指令、第3中隊…海兵隊の連中が砲撃許可を求めています」
 富士見一佐に、副官の早川一尉が報告する。
「だめだ」
「しかし、これ以上は押さえておけません。彼らの母国を消した敵が目の前にいるのですから…」
「奴は斥候だ、ネルフの秘密兵器にくれてやれ。我々は後続の本体を叩く」
「はっ!」
 早川一尉は敬礼すると、小走りに出て行く。
「司令、観測結果の照合ができました」富士見一佐と早川一尉の話が終わるのを待っていた創元一尉が、情報端末のディスプレィの前から報告する。
「うむ」
「第21サーチが北米大陸跡で目標をロスト後、第3新東京市に出現したのはtプラス十六秒です」
「敵の攻撃は?」
「tプラス二十一秒」
「十六秒で地球を半周か…」富士見一佐は眉間にしわをよせてうめいた。「嘉手納の重爆撃大隊は?」
「旧東京湾、相模湾、小田原沖上空に展開を完了しています」
「ネルフの連中に気付かれてはいないな」
「その兆候はありません」
 富士見一佐は右手に持った指揮棒を左掌にばしんと打ち付けると、決断を下した。
「よし、われわれはブラボー、チャーリーの二個所の出現予測地点に全火力を集中させる。第21サーチが残りの目標をロストしたら射撃開始だ。目標はおそらく二十秒以内に出現するだろう。その出現の瞬間に着弾させる、バリヤーを展開させる余裕を与えてはならん」そこまで一気に話すと、通信兵に向き直る。「鷹巣山の第3中隊に連絡、出現予測地点デルタに全砲門を向けさせろ。射撃開始はこちらと同時だ」
 富士見一佐は本部の全員を見渡した。
「諸君、正面からの殴り合いしか知らないネルフの連中に、戦術というものを教育してやろうじゃないか!」
「「「はっ!」」」
 激を飛ばす富士見一佐に、本部の全員が一斉に最敬礼を返した。

 灰色の雲に閉ざされ、氷雪の舞う様子は、まるで世界の終わりが始まったようだった。
 しかし、アスカは何も恐れてはいなかった。
 アスカはシンクロした弐号機の中で、ひさしぶりに感じる全身の感覚を確かめていた。
「…よし、行けるわ!」
 弐号機の足元のリフトから、ネルフ型陽電子砲が現れる。アスカはそれを受け取ると、右肩に固定した。
 アスカは目前の真白な伍号機いや、使徒を見た。それはアスカの弐号機が現れたことも意に介さず、微動だにしなかった。
「先手必勝ぉ!」
 アスカはそう叫ぶと、陽電子砲を三連射した。打ち終わると同時にサイドに移動。しかし発射した陽電子は、すべて目標の手前ではじかれた。
「そんな!?」
 アスカの脳裏に第十四使徒とまみえた時の記憶がよみがえる。すばやく兵装ビルの影に弐号機の機体を隠して、ゆっくりと深呼吸する。
〈あせらないで、同じ失敗はしない…何か打つ手があるはずよ…〉

「どういうこと?! アスカのATフィールドは!!」
「弐号機のATフィールドは展開しています。シンクロ率は…現在八〇パーセントを超えています!」
 マヤは自分の前のディスプレィに現れた数字に、我が目を疑った。
「…やるじゃない、口だけじゃないわね。と、いうことは…」
「弐号機一機では中和できないほどに伍号機のATフィールドが強力なのでしょう。しかし、初号機と零号機を合わせれば…」
 その時、ミサトに進言する日向の声を遮って、青葉が声をあげた。
「第21サーチ、残り八体の使徒をロストしました!!」

「全砲門、撃てっ!」
 富士見一佐の命令で、二子山と鷹巣山に布陣した国連軍重砲大隊は砲撃を開始した。三個所の出現予測地点に火線が伸びる。
 そのとき、空間が揺れた。
 第3新東京市を中心に八体の使徒が出現する。同時にブラボー、チャーリー、デルタに出現した三体に砲弾が降りそそぐ。
「ブラボー、チャーリー、デルタに敵出現、直撃を確認!」
「射撃中止! 総員、対ショック、対閃光防御!」
 兵員が一斉に対ショック姿勢を取る。その完了を待たずして、N2地雷の閃光が第3新東京市をつつんだ。
 八体の使徒のうち、出現予測地点に現れたのは七体。その合計七個所のN2地雷が爆発したのだ。
「ブラボー、チャーリー、デルタの三体には効き目があったようです。しかしのこり四体は無傷!」
「重爆撃大隊、『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』はどうか!」
「全機、発射高度まで上昇を完了!」
「攻撃目標を変更、全弾をブラボー、チャーリー、デルタの三体に集中させる、準備できしだい発射せよ」富士見一佐は、通信兵に向かって命令した。
「しかし司令、それでは!」
 創元一尉はコンソールから司令に向き直り、思わずそう答える。
「高速で移動する目標にあの兵器は使用できない。足止めできる三体を確実にたたく」
「はっ! 失礼しましたっ!」
「『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』、全弾発射を確認しました!」通信兵が富士見一佐にむかって言った。
「よし、全砲門射撃再開せよ。あの三体を一歩も動かしてはならん!」

「状況は?」
「七号、八号、九号は国連軍が足止めに成功。残りはほぼ無傷です!」
「ATフィールドか…それにしても無傷とはね」
 日向の報告にミサトは苦々しく答えた。
「左翼の三体は国連軍に任せるわ。アスカに一番近い敵は?」
「右翼十一号、十二号です!」
「弐号機を誘導して。兵装ビルで使用可能な物は後方の敵を遮断、一秒でもいい、時間をかせいで。零号機と初号機は?」
「発進可能まで十五分かかります」
「五分でやりなさい。アスカにそれ以上負担をかけられないわ」そしてコンソールと格闘しているマヤに向き直る。「メルキオールは?」
「駄目です、どこから進入しているのか…」マヤが張り詰めた声で答えた。

「始まったな」
「…私には関係ありません。もう、私に残されたものは何も無いのですから」
 N2爆雷の振動に、天を‐そこにあるのは人工の天井だったが‐見上げる冬月に、うなだれて椅子に座ったリツコが答えた。
「君はそのつもりかもしれんが、それでは困る」
 冬月はそう言うと、リツコにセキュリティ・カードを差し出した。
 リツコは顔を上げると、冬月の真意を探すように、そのカードをじっと見つめる。
「…碇指令の命令ですか?」
「私の、独断だ」
 その答えにリツコは初めて冬月の顔を見る。その顔は、一気に十年も年をとったような疲れた顔をしていた。
「私は…碇を憎んでいるのかもしれん」冬月は静かにそう言った。「十三年前、私は選択を誤ったのだろう。その過ちがユイ君を…そして君の母を殺すことになったのかもしれん。…君まで、碇の犠牲になることはない」
 冬月の述懐を聞いたリツコは、ゆっくりと手を伸ばし、セキュリティ・カードを受け取った。そして冬月から視線を外すと話はじめた。
「母さんは…女として死にました。私はそんな母さんが嫌いでした。でも今は…母さんの気持ちが、少しだけ解るような気がします」
リツコはすっくと立ち上がった。
「発令所に行きます。私には、まだあそこですることが残っていますから」

「前のことは見ればわかるわ!! 前のをやっつけるまで、後ろの敵だけなんとかしといて!」
 アスカは、誘導しようとした日向にそう言い返した。
 アスカは正面の二体のエヴァを見ていた。その体に、十一、十二号という表示がディスプレィに重なる。その二体は弐号機に向かって身を隠すわけでもなく、一直線に進んできた。
 正面のディスプレィにデータを呼び出し、兵器庫となっている兵装ビルの位置を確認する。
 十一号の正面に躍り出ると、自分のATフィールドを絞り込み、正面の敵のATフィールドのみを中和、その顔面に陽電子砲を打ち込む。続いて十二号、同じようにフィールドを中和し、陽電子砲の残弾すべてを叩き込んだ。
 十二号がその場に倒れるのを確認すると、アスカは陽電子砲を捨てた。そして一番近い兵装ビルで拳銃を二丁取り出し、両手に持つ。そのまま全速で正面の十一号に向って走る。
「あんたなんかぁ! だいっっっきらい!!」
 アスカはそう叫ぶと、最初のダメージから立ち直りかけた十一号の顔面に、飛び蹴りをくらわせた。正面からこの攻撃を受けた十一号はのけぞるように後ろに吹き飛ぶ。アスカはその勢いをゆるめること無く、そのまま倒れた相手の体を踏みつける。
 そして十一号が起き上がろうとするよりも速く、その顔面めがけ両手の拳銃を零距離で連射した。
 頭部を粉々に粉砕された十一号の動作が止まるのを確認すると、左手を横に振り、起き上がった十二号めがけて左手の銃を横撃ちに連射する。弾丸がきれるとそれを前方に投げ捨て、左の脇の下から、右手の拳銃の残弾をすべて叩き込む。
 十二号が一瞬動きを止めた隙に、アスカは弐号機のアンビリカルケーブルを切断、立ち並ぶ兵装ビルを飛び越し、十二号の背後へと跳躍する。その脇のビルからソニック・グレイブを引き出すと、振り向いた十二号の右肩に振り下ろす。十二号の肩の装甲と高周波振動するソニック・グレイブとが火花を散らせた。十二号の右手が弐号機の腕に、左手が首を締め上げる。
「こんっちくしょおぉ!」
 アスカは十二号の指が首に食い込む不気味な感触を味わいながらも、それを無視して両腕に力をこめた。高周波のブレードがすこしずつ装甲へと食い込んでゆく、と同時に十二号の指も弐号機の喉に食い込んでゆく。
 が、装甲の限界がきたのか、ブレードはそのまま左脇腹へと袈裟懸けに一気に走った。両断された十二号はその場に崩れ落ちる。
「まず…二体…」
 アスカはアンビリカルケーブルを再接続し、右手で指の跡の残る首筋を揉みほぐしながら荒い息で言った。

「ネルフの秘密兵器が十一号、十二号を撃破しました!」
 戦況全体をモニタリングしている創元一尉は、コンソールから富士見一佐に向き直って言った。
「あっと言う間だな…ネルフが天狗になるわけだ」
 富士見一佐は地図から視線を変えずに、そうつぶやいた。
「隊長!敵がバリヤーを展開しました!」
「なに!」
 便宜上七号、八号、九号と呼ばれていた三体の使徒は、ATフィールドを展開、八角形の赤い半透明の力場は、それまで自分達の体に降り注いでいた砲弾、ミサイルを完全に遮断する。
「『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』はどうなっている!!」
「はっ!まもなく最終誘導を終了、最終加速に入ります。目標への着弾まで四十八秒!」
 『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』、N2地雷と並ぶ、通常兵器としては最大の破壊力を誇る兵器である。ただ違うのは、N2地雷が反応兵器であるのに対し、『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』は、純粋な質量兵器である。ただ、その規模とエネルギーは桁外れであるが。
 その最大直径三メートル、全長三十メートル強のミサイルは、空軍のB‐70爆撃機の胴体下面に専用のアタッチメントで二発取り付けられる。その弾頭は直径六十センチ、長さ十二メートルのタングステンの槍である。この槍はミサイルの本体である二段式ロケットでマッハ6という超音速に加速され、目標に突き刺さる。その貫通力と運動エネルギーは、国連海軍の戦艦や正規空母すらも一発で撃沈することが可能だった。
 ただ、この高速ゆえに一段目ロケットを切り離した後、最終加速段階に入ってからの誘導はほとんど不可能である。固定されている基地や要塞攻略ならばともかく、使徒に対して使用するなど前代未聞であった。今回はそれを数でカバーしようという作戦である。三体の使徒に対する『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』は六十発。一でも使徒の核を貫けば、その活動を停止させることが可能なはずだ。
 突然、鷹巣山の第3中隊の砲列の一角が吹き飛んだ。砂塵と共に、肉塊となった兵士や原形を止めぬ野砲が宙に舞う。
 七号が最も近い鷹巣山の部隊に、細長く伸ばしたATフィールドで直接攻撃を仕掛けたのだ。
「第三中隊を後退させろ、重砲は放棄して構わん! 第一中隊は撤退を援護! 第二中隊は砲撃を八号と九号の足元に集中させろ! 『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』の着弾まで奴等を一歩も動かしてはならん!!」
「しかし、バリヤーがあっては…」と早川一尉。
「今の若い連中は知らんかもしれんが…」富士見一佐はにやりと笑う。「バリヤーってやつは、割れるんだよ」
 その言葉にあっけにとられる早川一尉を放っておいて、富士見一佐は通信員に指示する。
「そろそろネルフの連中も『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』に気付いたろう。一応連絡しておいてやれ」

「三方向より高速移動物体が接近中!」
 日向は広域レーダーの警告音に、その接近してくる物体に気付いた。
「今度は何!?」
「展開している国連軍より連絡!使徒に対し、『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』を使用、三十秒後に着弾の予定!」青葉がそう叫んだ。
「なんですって! アスカに連絡! 衝撃波が来るわ! 遮蔽物の影に隠れさせて!」
 ミサトは叫んだ。国連軍がなにか企んでいるかもという予想はしていた。しかしこれだけの無茶をするとは予想外のことだった。
 マッハ六で着弾する六十発の質量兵器。国連軍も無傷で済むわけがない。

 アスカは、海の方の空に一面の靄がかかっていることに気付いた。そしてそれは刻一刻と大きくなってゆく。
「なに…あれ?」
 その時、司令部から連絡が入った。それを聞いたアスカは急いで兵装ビルの影へと弐号機の体を隠す。ATフィールドのある限り、衝撃波程度で直接のダメージを受けるとは考えられないが、進んで危険に身をさらすこともない。
「さっきのが…まさか…」アスカは着弾までの時間と、他の使徒の位置を確認しながらつぶやく。
 その通りだった。
 海の上を極超音速で突き進む『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』は、その発生する衝撃波で周囲の大気を圧縮し、弾頭から大きな傘のように水蒸気の膜を引きながら、第3新東京市めがけて加速を続けていた。

「『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』、着弾まで十五秒!」
「砲撃中止! 各員衝撃波に備えろ!」
 富士見一佐のその指令に、全員が塹壕へと待避する。
 その飛行経路の下にあるすべての物を衝撃波で粉砕し、それはやってきた。
 ブラボー、チャーリー、デルタの三個所に、合計六十本のタングステンの槍が突進する。
 水晶を打ち鳴らすような、堅い、澄んだ音が連続して響き渡った。
 使徒のATフィールドは最初の数発を受け止めた。しかし次の瞬間、『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』はATフィールドを切り裂いて使徒とその周囲の大地に次々と突き刺さった。
 大地がえぐれ、山の頂が轟音を伴い、使徒を巻き込んで崩れ落ちる。そして次の瞬間、超音速で飛来した弾頭より遅れていた衝撃波が、第3新東京市全体を襲った。
 それは音というものではなく、目に見えない巨大な槌で全身を一撃されたような衝撃だった。街の全てのガラスは粉砕され、進路の直下の兵装ビルは次々と倒壊し、形あるもの全てがその破壊の洗礼を浴びた。
 空を覆う暗雲は、その衝撃波にすべて吹き飛ばされ、蒼い空がその姿を現した。それはサードインパクトがもたらせた悪夢を、一つでも粉砕しようとする意志のようだった。
 その暴風が収まった後、第3新東京市の様子は一変していた。『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』の飛行コースには深い溝が掘られ、その他の場所も原形を止めない場所の方が多かった。『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』が着弾した三個所の山は、すでに山ではなくなっていた。濛々たる砂埃に覆われ、瓦礫の山と化したそこには、三体の使徒が罪人のようにタングステンの槍によって貼り付けになっていた。三体共腕や足のいくつかはちぎれとび、無残な姿をさらしていた。
 そのうちの一体は、胸の核を二本の『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』に貫かれ、完全に活動を停止していた。
「七号、完黙! 撃破した模様です! 八号、九号はまだ確認できません」
「そうか…損害をまとめろ。第三中隊は?」富士見一佐は早川一尉に尋ねた。
「先に後退した一部を除き、ほぼ壊滅かと…」
「そうか…高価な代償だったな」
 国連軍の被害はひどいものだった。着弾点に最も近い第三中隊には、すでに戦力と呼べるものは存在しなかった。あの衝撃波ですべての砲はふきとんでしまっていた。周囲には塹壕へと逃げ遅れた兵員だったものが散乱していた。第一、第二中隊も、野砲の過半数を失っていた。
 その代償として、七号は完全に動作を停止していた。八号は両腕と左足が消し飛び、肩に一本の槍が突き刺さり、胸部装甲も失っていた。しかし九号は最も損傷が軽く、右腕を失っただけだった。
「負傷者の救助に全力をあげろ。その上で残存兵力をここに集結させる。急げ」
 富士見一佐は、絞り出すような声で、そう命令した。

「『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』、合計六十発が着弾しました。七号完黙、八号大破、九号小破です!」
「通常兵器で使徒を…」
 日向の報告にミサトは呆然とスクリーンを見つめる。
「下手な鉄砲も、数を打てば当たるわ。スマートなやり方じゃないわね」
 その数日ぶりに聞く声に、発令所の全員が振り返る。
「リツコ!」「赤木博士!」「先輩!!」
「ごめんなさい、遅くなったわね」
 一斉にあがった呼びかけに、リツコはそう答えた。
「博士、いままでいったい…」
「先輩!!」
 青葉の声を遮って、涙声のマヤが立ち上がる。張り詰めていた緊張が一気に溶けたのだろう。
「私、もうどうしたらいいのか…」
 リツコは指令席のゲンドウに振り返った。ゲンドウはリツコの視線を無表情に受け止めるだけで、なにも言わなかった。リツコも、何も言わなかった。
「メルキオールのプロセスをコアダンプして」
 リツコはマヤの後ろに立つと、そう指示した。ディスプレイに流れるデータを見つめながらマヤに指示を飛ばす。
「松本との回線はどれだけ確保できるかしら?」
「一二八テラの回線が三本、バックアップ用の六四テラの回線が一本確保できます」と青葉。
 リツコはデータの流れるディスプレィから視線をそらさずにそれを聞いた。
「止めて!…三番から八番のバンクをディスプレイに、二次元表記でいいわ」
 ディスプレィにメモリバンクの内容が色とりどりのグラフィックとして現れる。それを操作したマヤにも、それはただの不規則な模様にしか見えなかったが、リツコにはそれが意味のある配列として捉えられていた。
「なるほどね。マヤ、まだ解らない?」
「…すみません、解りません」
「無様ね。侵入経路は見つからないのではないわ。最初から侵入経路は存在しないのよ」
 それだけ言うと、リツコはゲンドウに向き直って言った。
「指令、メルキオールの物理的破棄を提案します」
「リツコ!」「先輩!」「博士!」発令所から一斉に驚愕の声があがる。
「メルキオールをハックしている敵は外部から進入してきたのではありません。メルキオールと共生を選択した第十一使徒の一部でしょう。それがなにかのきっかけで本来の活動を再開したと考えられます」
「他に方法はないのか」冬月が質問する。
「時間がありません。メルキオールの欠損分は松本のシステムに分散処理させます。ピークパワーは落ちますが、現状よりはずいぶんマシなはずです。五分以内に実行可能な案は、これだけです」
 リツコは一気にそれだけ言うとゲンドウを正面から見つめる。
「…いいだろう。やりたまえ、赤木博士」それまで一言も発しなかったゲンドウが答えた。
 リツコはマヤに向き直ると手を出して言った。
「マヤ、キーを」
「先輩…本当に…」
 マヤはコンソールの下のキーを抜くとリツコに差し出して言った。リツコはなにも答えずにそれを受け取ると、メルキオールの横の床にあるメンテナンスハッチを開けた。マヤはリツコの後を追おうとする。
「来ないで。これは、私の仕事だわ…」
 リツコはそう言うと、一人でメンテナンスハッチの中のはしごを降りていった。
 五メートルほどの高さを降りると、そこは床の一部を除いて機械に覆われている部屋だった。マギシステムの基幹部である。その中に三本の巨大な柱が立っていた。バルタザール、メルキオール、カスパーである。
 リツコは床にある小さなパネルを開いた。そこに現れた鍵穴にマスターキーを差込むと、そのパネルの向こう側の床が二つに割れ、三つの円形のパネルと信号銃が現れた。
 リツコは「メルキオール」と書かれたパネルを開いた。その中にはすり鉢状の点火口があった。そして信号銃を手にすると、カートリッジを一つだけ薬室に込める。彼女は自分の手の信号銃を、点火口を、そして自分の横にセラミックの外壁で覆われたメルキオールを見た。
 信号銃を持つ右手に力を込める。
「さよなら、母さん…」
 リツコは点火口に向ってトリガーを引いた。空間に無煙火薬の硝煙のにおいが漂う。
 点火口から繋がった導火パイプを走る炎は、メルキオールの中枢部に仕掛けられたテルミット焼夷弾を点火させた。
 セラミック壁で覆われたメルキオールの中枢部は数千度の炎に洗われ、その全ての機能を瞬時に停止する。
 リツコはその場に立ち尽くしていた。その頬に、セラミック壁を隔ててメルキオールを溶かす熱を感じていた。

 『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』の着弾と、その衝撃波はジオフロント内部にいてもはっきりと感じられた。
 シンジはその爆発の振動に、初号機のエントリープラグの中から思わず上を見上げた。
〈始まったのか…アスカ、大丈夫かな〉
 シンジは視線を正面に戻す。青いエヴァンゲリオン、零号機が視界に飛び込む。綾波レイ、彼女はそのエントリープラグの中にいる。
 『ワタシハ、フタリメダカラ』
 シンジの脳裏に、図書室での綾波との会話がフラッシュバックする。
 私は、人間じゃない。
 彼女は自分にそう告げたのだ。
 彼女はなぜそれを自分に告げたのだろう。
『私には、他に何もないもの…』
 彼女との初めての作戦の時、彼女は自分にそう言った。
 あの光景を人に見られたくはなかっただろう。自分がターミナルドグマへと行くことを知っていた彼女は、その時いったい何を思っただろう。
 自分は、ターミナルドグマのあの光景を見た日から、綾波を避け続けてきた。しかしその幾日かの間、彼女は何を思っていただろう。
 そして、自分に真実を告げたのだ。彼女の心に、どんな思いがあったのかは解らない。しかしそれはとても勇気のいることだったに違いない。
 あの時、自分はどんな顔で彼女を見ていただろう。彼女はそれを見て、とても悲しそうな顔をしていた。
 …結局、自分のしたことは、綾波を苦しめただけなのかもしれない。
 シンジは零号機との直接通話のスイッチを入れた。
「綾波、聞こえる?」
『…戦闘中の個人通話、厳禁よ』
「知ってるよ。でも、話の途中で招集がかかったから…」
『そう』
「綾波は…知ってたんだ。あの、ターミナルドグマのこと…」
『私は、六年前まであそこにいたもの』
「二人めって…一人めは?」
『知らない。六年より前のことは、なにも』
 シンジの問いに、レイは、事実を事実として伝えるように、無表情な声で答える。
「でも、君が僕の知ってる綾波なんだ…僕が初めてここへ来た日に会ったのは、君だろ? それなら君が何人めの綾波レイだとしても、僕には関係ない。僕が知っている綾波レイは、君だけなんだから」
 シンジは一気にそれだけ言うと、息をついた。レイは、何も答えない。
「ごめん…こんな時にこんな話…。でも、伝えたかったんだ。ただ、それだけなんだ。…これが終わったら、また話をしよう。アスカとも一緒にさ、いろいろ話すことはあるはずなんだ、僕たちは…仲間なんだから」
 シンジは言葉を切った。通信回線に静寂が満ちる。
「…ありがとう、碇君」
 レイはか細い声で、そう答えた。
〈でも、その日は来ないの、永遠に…〉
 伝えられない思いもまた、大きかった。
『シンジ君、レイ、発進準備いい? マギシステムが立ち上がり次第、発進よ!』
 突然通常回線からミサトの声が響いた。二人の会話は、そこで中断された。

 アスカは『雷神の槌[トゥール・ハンマー]』によってすっかり姿を変えた第3新東京市を見渡した。鷹巣山付近の地形はすっかりその姿を変え、第3新東京市も瓦礫の山となっていた。
 ただ一点、出現以来微動だにしない、ロンギヌスの槍を持つ純白のエヴァを中心とする、円形の領域だけが無傷だった。
「ATフィールドか…」
 そうつぶやいたアスカは突然殺気を感じ、後ろにのけぞった。寸前まで弐号機の頭があった空間を、左右から二本の腕が交錯する。
 いつのまにか後方から接近してきた六号と拾参号である。
 アスカは二つバク転を切り、その敵から距離を取ろうとする。そして落としたソニック・グレイブを拾おうとするが、二体の敵はその隙を与えずに、瞬時に距離を詰めてくる。アスカはソニック・グレイブをあきらめ、突進してきた六号を横へかわすと、肩からプログナイフを取り出す。
 後ろからの六号の攻撃を魔法のような反射神経でかわすと、正面の拾参号に肉薄する。拾参号の喉に向けてプログナイフを突き出すが、拾参号は動物じみた動きでそれをかわし、その腕を弐号機に伸ばす。アスカは身をかがめてそれを避けた。しかし、その腕が触れていないにもかかわらず、左肩のウエポンラックが、ごっそりと切り落とされる。
「なによ! これ!?」
 前後から繰り返される攻撃を避けながら、アスカは果敢に攻撃を繰り返す。
 アスカは敵の指先から、奇妙な線が伸びていることに気付いた。
「位相空間…ATフィールドなの!」
 アスカはスクリーンに表示されるデータに驚愕した。
『アスカ! 無理せずに下がって! もうすぐシンジ君とレイが出撃できるわ!』
「まだ…まだいけるわ!」
 ミサトの命令に、アスカは答える。
『熱くならないで! 後退しなさい!』
「でも! 私がこいつを倒せば…」
 アスカはそう言いながら、攻撃を続ける。
〈その分シンジへの危険が減るのよ!〉
 アスカは心の中でそう叫んだ。

「常時二機一組で攻撃か…」
「遮蔽物の多いここでは適切な戦術と言えるでしょう。あと一撃必殺を狙った円形陣が、戦力の集中投入を阻害したこともあります。…我々の作戦も無駄ではありませんでした」
 そう答えた早川一尉に、富士見一佐は重い声で言う。
「しかし、はらった犠牲も大きい」
「たとえ我々軍人が百人戦死したとしても、それで民間人が一人でも助かるのならば、それは意義のある犠牲です」
 早川一尉は冷静に答えた。
「そうか…そうだな。民間人に銃を向けなければならない時代は、もうごめんだからな」
 富士見一佐は十五年前の地獄を思い出した。それは、楽しい思い出ではなかった。
「八号、九号、活動を再開します!」
 警戒を続けていた観測員からの連絡が入る。
 八号は片足でその場に立ち上がった。ATフィールドで体を支えているのだろう。その姿は位相空間に覆われ、かすかに霞んで見えた。
 八号がその体を二子山の国連軍に向けた。突然二子山の山腹に轟音と共に砂煙があがる。
「こちらに気付いたか…現在使用可能な砲は?」
「155ミリ砲六門、120ミリ砲二門です」
「よし、兵を撤退させろ。士官、下士官は残れ。ネルフの美人指揮官に最後の奉公だ」
 周囲の士官は黙って敬礼を返す。富士見一佐は冗談めかして言っていたが、全員何のために戦うのかは心得ていた。それは決してネルフなどの為ではなかった。
 三門の155ミリ砲が砲撃を開始した。しかしそれはATフィールドにはばまれ、まったくダメージを与えることはできなかった。
 八号の攻撃は、一撃ごとに正確さを増してきていた。直撃は時間の問題だった。その時、国連軍は完全に作戦能力を失うだろう。
「ここまでだな」
「そうですね。しかし、最後の戦いが人間相手ではなくて幸いでした」
 次の一撃で全ては終わる。富士見一佐と早川一尉は同時にそう思った。
 八号のコアにむけて一本の閃光が走った。それは着弾と同時にコアを粉砕し、八号はその場に崩れ落ちる。
 富士見一佐は何が起こったのか解らなかった。観測員からの報告がとどく。
「射点にネルフの秘密兵器! 青いやつです!」
 そこにはたった今ジオフロントから発進した零号機が、銃口から硝煙のたなびくロングレンジライフルを構えて立っていた。そして隣のリフトから初号機が姿を現す。
「間に合ってくれたか…」
「真打は最後に登場するそうですね」
 富士見一佐と早川一尉は、そういって安堵の息を漏らした。

 残る敵は五体。戦いは、終わらない。



[||]

[index|NEON GENESIS EVANGELION|EVANGELION Another World.]

Copyright(c)1996-2000 Takahiro Hayashi
Last Updated: Sunday, 09-Sep-2007 18:42:48 JST