EVANGELION Another World #26B.
第弐拾六話
B part.

[ What Is This Thing Called Love? ]

[||]

 
 
「敵八号機、完黙しました!」
 出撃した零号機をモニタしていた日向が報告した。
「上出来! MAGIはどう? いける?」
「松本のシステムとのリンクは正常です。ギリギリですが、三機のバックアップは可能です」
 沈黙したままのリツコに代わり、マヤが答えた。
「いける…か。よし、国連軍を撤退させて!」
「了解」
 ミサトの指示に青葉が国連軍への回線を開く。

「…以上です」
「わかった」
 二子山陣地で残存兵力をまとめていた富士見一佐は、ネルフからの撤退勧告を伝えられた。
「どう思う?」
「すでに我々には使徒に対して有効な戦力は残っておりません。我々の役目は終わったと考えます」
「そうだな…ここらが潮時だ。再編成中の第一、第二中隊を強羅絶対防衛線まで後退させろ。我々もそこで合流する」
「はっ!」
「まて、もう一つ」
 踵を返した早川一尉を呼び止める。
「ネルフに返信、『死ぬな』」
「え?」
「『死ぬな』それだけでいい。それでわかる」

「…返信、以上です」
 ミサトは青葉から国連軍の返答を受け取った。
「ふん、洒落のわかる指揮官みたいね。国連軍なんかにしとくのはもったいないわ」
 じっと腕を組んで正面のメインスクリーンを見据えていたミサトは、誰にともなくそう答えた。
「アスカの弐号機は!?」
「敵六号機、拾参号機と依然交戦中、苦戦しています」
「シンジ君とレイを誘導、アスカの援護を」

 アスカは前後から襲い掛かる敵に対して積極的に攻撃を続けていた。格闘戦は先を読むチェスのようなものだ。攻撃はその場かぎりのものではなく、それがかわされたとしても敵をより不利な状況へと追い込まなければならない。瓦礫の山となった兵装ビルをうまく利用し、後方の敵を牽制しながら一手ごとに前方の敵を追いつめる。
 敵はこれまでで最も手強い、しかしアスカも絶好調だった。
 昨日まで弐号機は、彼女の生きる目的であり、彼女の全てだった。誰にも負けない、世界で一番のパイロット。それがアスカに与えられた役目であり、彼女の生きてゆく動機だった。
 しかし今は違う。
 アスカはもっとシンジと話がしたかった。病室へ毎日来てくれた彼、指輪をくれた彼、自分に手を差し伸べてくれた彼。自分がエヴァに乗れなくなっても、シンジの自分に対する態度は何も変わらなかった。
 いつも扉の向こうにはシンジがいた。今度は自分が扉を開ける番だ。そのために、生きて帰らねばならない。自分の前に立ちふさがる敵を全て倒して。
 今のアスカには、エヴァはそのための手段にすぎなかった。
〈いける!〉
 あと数手で拾参号を追いつめることができる。アスカは後方の六号の位置を絶えず確認しつつ拾参号に肉薄する。
 その時、視界が揺れた。ATフィールド! アスカは自分の左側に殺気を感じる。そこには残った左腕を振り上げる九号機の姿があった。アスカの背に冷たいものが走る。
〈避けられない!〉
 最も危険なのは敵の指と、そこから伸びる位相空間だ。アスカは左にステップして敵の懐へと入り込み、その攻撃をやり過ごそうとする。しかし九号は、その手に弐号機を捕らえられないと解っても、攻撃をやめなかった。左腕をそのまま振り抜き、内側に入り込んだ二号機に上腕を叩き付ける。
「ぐっ!」
 目の眩むような衝撃がアスカを襲った。崩れ落ちようとする体をなんとか立て直す。しかし、そこに後方の六号機が襲いかかった。死角から襲う攻撃を感だけで察知し、体をひねってかわそうとする。敵の叩き付ける位相空間の線が、弐号機のアンビリカルケーブルを切断した。

「アスカ! 今行く!」
 シンジは二号機の位置を確認すると、脇のリフトのプログソードを掴んで走り出した。零号機もそれに続く。
 シンジは周囲をまったく気にせず、一直線に弐号機へと向う。
「碇君! 落ち着いて、焦っては駄目!」
 突然、初号機の進路に敵の腕が弧を描く。シンジは体勢を崩しながらも、なんとかそれを避ける。
「碇君!」
 レイはその叫び声を自分が発したことに驚いていた。感情的な自分の心に戸惑いを感じる。
〈どうしたの、私…〉
 レイはライフルを構えた。そして初号機のすぐ近くに姿を見せた敵、壱拾号機めがけて残弾のすべてを叩き込む。そのうちの一発が命中、拾号は弾かれたように跳ね飛ばされる。しかし戦闘能力までを奪うことまではできない。シンジはその隙に初号機を立ち直らせ、プログソードをシースから引き抜く。
「そこを、退けぇっ!!」
 シンジの叫びと共に、初号機が大きく振りかぶったプログソードを壱拾号機に振り下ろす。壱拾号機はATフィールドを左腕に集中させ、プログソードを受け止める。半透明の紅い八角形の盾とプログソードが豪快な火花を散らす。
「だあああああああああっ!!!!!」
 レイはシンジの雄叫びを零号機の中で聞いていた。
〈何のための叫びだろう…この、私の心を侵食するものは何…〉
 空になった弾倉を落とし、予備弾倉をセット。ボルトを引いて初弾をチャンバーに送り込む。
〈私の魂が叫んでいる。『彼を守りなさい』って。…命令されたからじゃ、ないわ〉
 レイはなんとか形を残している兵装ビルを射点に、壱拾号機に対する精密射撃を試みる。
〈私、どうしたの。この気持ち、初めての気持ち…〉
 初号機のプログソードを左手で受け止めながら、右手を大きく振りかざす壱拾号機に三点制射。命中! 壱拾号機はその衝撃に姿勢を崩し、初号機への攻撃は空振りした。
 シンジはバランスを崩した壱拾号の胸部を全力で蹴飛ばした。壱拾号は背後のビルを薙倒しながらふき飛んでゆく。
 瓦礫の山の中で身を起こそうとする壱拾号機に、零号機が制圧射撃を加える。ライフルをフルーオートで連射、着弾を受けた壱拾号機の周囲のビルが豆腐のように崩れ落ち、周囲に瓦礫と砂塵を撒き散らせた。
 ふとレイは、自分の後ろになにかがいるのに気付いた。反射的に振り返る。そこには片腕の九号機が左腕を振り上げていた。反射的に攻撃の死角になる敵の右側へと体をかわす。
「キャッ!」
 九号機の攻撃をレイは完全には避けることができなかった。その指から伸びる位相空間に、ライフルの銃身と右肩のウエポンラックを切り落とされ、バランスを崩してその場に崩れ落ちた。

「どういうこと! さっきまで弐号機と交戦していたはずよ!」
 戦況をモニタしていたミサトが叫ぶ。
「弐号機と交戦したときと同じです! こちらが九号をロストした直後に次の地点に出現しています。おそらく北米大陸跡からここへ出現したのと同じ機能ではないかと思われますが…」
「動作可能な兵装ビルは!?」
「現在信号が届いているものは全体の十四パーセント、しかし完動は八%以下です。残りはその場で誘爆の可能性もあります」
「完動のもの以外はブービートラップにするわ、近くに敵が来たら自爆させて。完動のもので弐号機と零号機の援護を」
「無理です! 葛城三佐!」日向が椅子を回してミサトの方を振り向いた。「弐号機、零号機共に敵との位置が近すぎます!」
 ミサトは正面のスクリーンを見つめながら、親指を噛む。
〈結局、私にはなにも出来ない…シンジ君…〉

 シンジは吹き飛んだ壱拾号機に止めを刺そうとした時にその悲鳴を聞いた。
「綾波!」
 シンジの注意が零号機の方に向いたその一瞬の隙に、壱拾号機の右腕が伸び、初号機に襲い掛かった。シンジはなんとかプログソードで弾き返すが、止めを差す好機を完全に失っていた。
 レイは目前の敵の胸に切り落とされたライフルの銃身を押し当てる。上から襲い掛かる敵にフルオート射撃。九号機は着弾の衝撃で後方へと吹き飛ぶ。空になった弾倉を交換、そのままの姿勢で、ぼろぼろになった九号機の胸部装甲の中心めがけて、残弾のすべてを叩き込む。敵の胸部装甲が弾けるように消えてゆき、最後の一弾がその奥に秘められたコアを貫いた。
 使徒は一度壊れたピエロのように全身を痙攣させると、強烈な光と熱をまき散らして爆発した。その衝撃は、なんとか形をたもっていた周囲のビルを次々に倒壊させてゆく。
「綾波! 大丈夫!?」
 レイは衝撃でもうろうとする意識の中で、シンジの言葉が自分の記憶を呼び起こすのを感じた。
『笑えばいいと思うよ…』
 ヤシマ作戦の後、彼が自分に向けた言葉。
〈碇君は、私に笑顔を教えてくれた。彼が、私に心をくれた…〉
 零号機はゆっくりと立ち上がる。ATフィールドのおかげで爆発による損傷はほとんど無い。レイは出現以来一歩も動いていない、純白の伍号機を見つめる。
〈あれが、私を呼ぶモノ。契約の時、その時の為に私はいた…〉
 銃身が焼けて使えなくなったライフルを手放す。左肩からプログナイフを取り出し、格闘戦の用意。
〈私の役目、私の生きてきた理由、待ち望んでいたはずのこの時。でも、今は…〉
 遠くに壱拾号機と交戦する初号機が、そして苦戦を続ける弐号機が見える。
 レイはブログナイフを握り直すと、走りだした。

 アスカは、目前の敵が再び二機に戻ったことに気付いた。九号機の奇襲を受けた弐号機は防戦一方になったものの、致命的な損傷は受けていなかった。
〈後手にまわってる…時間も無い…なんとか好機を見つけないと!〉
 先刻までの優位と違い、アスカは後手にまわっていた。敵の攻撃は激しいが、けしてこらえきれないものではなかった。しかし、一旦後手にまわった以上、なにかのきっかけで敗北の坂道を一気に転がり落ちる可能性はたえず存在している。それに内蔵電源で稼動できる時間は限られていた。
 敵は明らかに学習していた。今相手にしている二機と、始めに撃破した二機との差は歴然としていた。
 廃虚と化した第三新東京市に閃光と爆風が満ちる。零号機に倒された九号機の断末魔。
〈シンジ? いえ、ファーストね〉
 アスカは爆心地から離れた位置の初号機を確認して安心した。
 敵は、この一瞬の弐号機の隙を見逃さなかった。
 拾参号機が身を屈め、地面すれすれで弐号機に突撃する。その地を這うような攻撃に、アスカは一瞬拾参号機を見失う。
「ぐっ!!」
 アスカの右半身に強烈な痛みが襲う。弐号機の右腕から胸部装甲にざっくりと切れ目が走る。同時に六号機が後ろから動きの止まった二号機の左腕をひねりあげた。そのまま関節を極めると、一気に肘を砕いた。
「…!!!」
 アスカはその全身を貫くような痛みに、悲鳴をあげることもできなかった。

「まずい! シンジ君は!」
 ミサトは弐号機が捕まったのを見て叫ぶ。
「駄目です! 依然零号機と共に壱拾号機と交戦中!」
「二機がかりでも突破できないの?」
「今残っている三機の動きは尋常じゃありません! さっきまでとは、まるで別物です!」
「伍号機ね…最後の使徒は」
 日向の報告に、リツコが誰にともなく言った。ミサトは怪訝そうな顔でリツコを見る。
「どういうこと…」
「敵は伍号機よ、あとはすべて伍号機のあやつり人形。一度に八機を操るのと、三機を操るのでは、どちらが楽かしら?」
「講義している場合じゃないわ! 使用可能な全砲門を開いて! 敵六号機と拾参号機の足元を狙って! 直接の打撃を与えられなくても足元の地面を崩せば…」
「敵伍号機! 動きます!!」
「なんですって!」

 拾参号機は弐号機の右腕をつかみ、弐号機の動きを封じ込めようとする。
〈動きを止めたら殺られる!〉
 神経接続を解除する暇もない、アスカは弐号機の両腕を爆発ボルトで切断、歯を食いしばってその激痛に耐え、二体の敵から自由を取り戻す。
 上半身を前に倒しながら半歩進む。敵は状況を完全に把握していない。
「…よくも!」
 アスカは目尻に涙を浮かべ、後ろを振り返り、敵を睨み付ける。そして弐号機はその場で半回転、六号機の首筋に回し蹴りをくらわせた。
 六号機は弐号機の左腕をつかんだまま吹き飛ぶ。しかし弐号機もバランスを崩し、その場にうつぶせに倒れてしまう。
 そこに拾参号機が両腕を一気に振り下ろす。弐号機の両足がずたずたに切り裂かれた。そのままぼろ雑巾のように弐号機を蹴り飛ばす。
「がっ…」
 アスカは声にならない悲鳴をあげ、吐血した。目の前に広がる紅い霧は、電荷されたLCLと反応し、光を放って消えていく。
 視界から光が消えてゆく。アスカは、もう動くことができなかった。

「アスカ!!」
 シンジは弐号機が倒れるのを見て叫んだ。しかし目前の壱拾号機はその両腕を鞭のように長く伸ばし、初号機と零号機を翻弄していた。
「ちくしょう、そこを退けよ!!」
 そう叫んで突貫するものの、ただ一機とは思えない敵の反応に弾き返される。
「アスカ!!」

 アスカは自分を呼ぶ声に意識を取り戻した。しかし、腕も脚も動かすことはできなかった。
 正面には、いつのまにか白いエヴァンゲリオンが立っていた。
 伍号機が弐号機の頭部をつかんで持ち上げる。両手両足を失い、力無くぶら下がる弐号機。アスカには、自分の頭に五本の指が食い込んでゆくのがわかった。
「悔しいな…ここまでか…」
 力を振り絞り、ほとんど動かない右腕で、シンジにもらった指輪を力いっぱい掴む。手の掌に指輪の食い込む感触が心地よかった。
「ごめんね…」
 アスカはそうつぶやくと、ゆっくりと目を閉じた。

「プラグ射出! 急いで!!」
「だめです、現状では神経接続の解除に九十二秒!」
 マヤの答えにミサトは怒鳴りかえす。
「そんな、間に合わないわ! かまわないから射出して!」
「危険です!」
「このままじゃ確実に死ぬわ! 早く!」
「はい!」
 マヤはそう答えるとコンソールに向かう。しかしすぐに悲鳴のような報告を返す。
「駄目です…信号が届きません!!」
「アスカ!!」

 アスカは夢を見ていた。
 シンジと初めて出会ったオーヴァー・ザ・レインボウ、日本に来るまでいたドイツのウィルヘルムスハーヴェン・ネルフ第3支部、ファーストチルドレン・綾波レイ、母の葬儀、ミサトのマンションでのユニゾンの特訓、人形に話しかける狂った母、シンジのチェロの演奏に拍手する自分、エヴァンゲリオン弐号機のパイロットに選ばれた日、シンジとの初めてのキス、そして弐号機の試験に臨む、母の最後の言葉。
〈アスカ、生きなさい〉
 アスカはその声にはっと目を開く。
「ママ!?」
 次の瞬間、オートイジェクションが作動、アスカを載せたエントリープラグは、弐号機から空へと射出された。
 同時に伍号機の振りかざしたロンギヌスの槍が、弐号機の胸を貫いた。槍は徐々に弐号機と一体化してゆく。伍号機は、槍を通じて弐号機との融合を始めた。

 シンジは伍号機にぶら下げられる弐号機が、槍に貫かれるのを見た。
「アスカ!!」
 シンジは弐号機に向って走ろうとする。しかし壱拾号機の
攻撃を正面から受けて吹き飛ばされた。
『シンジ君、落ち着いて! エントリープラグの射出は確認したわ。アスカは無事よ』
 錯乱しかかっているシンジにミサトが伝えた。
「でも!」
『すでに回収部隊が出動したわ。撤退中の国連軍もエントリープラグの着地を確認してる、あとは任せなさい!』
 シンジは震える手でインダクションレバーを握り締める。ミサトの言う通りだ、今自分が行ってもなにもできない。しかしそれが解っていてもシンジはアスカの所へ行きたかった。自分の心に沸き上がる感情と、アスカを助けられなかった自分への怒りがシンジを包む。
『碇君…』
 レイが静かに呼びかける。その声を聞いたシンジは我に返り、大きく息を吐き出す。落ち着け、今は目の前の敵を倒すことが先だ。シンジはインダクションレバーから手をはなし、一度拳を握り締める。そして再びレバーに手を戻した。
 気が付くと壱拾号機はすでにいなかった。後退し、拾参号機、六号機と合流している。
その後ろで伍号機は弐号機を取り込んでいた。二機の体の接触面が癒合し、弐号機の体が拾参号機に吸収されてゆく。その二機の接触面が鈍い光を発しはじめる。その光は徐々に広がり、弐号機を完全に吸収するころ、その光は伍号機の全身を覆っていた。
 初号機も零号機もその伍号機の変化に呆然とたたずんでいた。
 伍号機の頭上に光るリングが現れる。そして伍号機は咆哮した。聞く者全ての魂を揺さぶるような音、聞く者の全てが無意識に畏怖に駆られる声だった。
 頭上にリングを持つ光の巨人。すでにそれはエヴァンゲリオン伍号機の姿を止めてはいなかった。
 使徒、神の使いにふさわしい姿だった。
 呆然とその姿を見守るシンジとは違い、レイには何が起こっているのか、そしてこれから何が起こるのか、その全てが解っていた。
〈あれが、私の魂を呼ぶモノ、私の望みをかなえるもの…でも…〉
 レイは傍らにいる初号機に目を移す。自分の心の中に、これまで感じた事の無い思いがあることを、彼女ははっきりと認識していた。

 発令所は沈黙に包まれていた。弐号機を取り込んだ光の巨人、その姿に誰もが言葉を失った。
 ミサトは膝の震えを止めることができなかった。彼女の脳裏に十五年前の悪夢が蘇る。父の最後の記憶と共にあるもの、南極でセカンドインパクトを引き起こした光の巨人。それと同じモノが今目の前にいる。
「使用可能な全砲門を開いて! エヴァの兵装で使用可能な物をリフトへ、初号機と零号機に装備させて! 準備できしだい砲撃開始!!」
「はい!」
「その必要は無い」
 それまで沈黙していたゲンドウが、ミサトの命令を取り消す。冬月とリツコを除く発令所全体から、唖然とした視線がゲンドウに集まる。
「初号機を下がらせろ、これ以上の迎撃は不要だ。葛城三佐、ご苦労だった。君の総ての任務を当時刻を以って解除する」
 発令所に沈黙の帳が降りる。ミサトはただ呆然とゲンドウを見上げていた。リツコはそんなミサトに、哀れみとも思える視線を投げる。
 突然、青葉と日向の目の前のコンソールが、それぞれ異常を発した。
「ターミナルドグマに異常発生! そんな…アダムが消失しています!」
「伍号機直下に高エネルギー反応と空間微動! 実体化します!」
 青葉と日向の絶叫を聞きながら、ゲンドウは不適な笑みを浮かべた。
「いよいよだな」
「ああ、全てが、今始まるのだ」
 光の巨人の前には、ターミナルドグマでアダムと呼ばれていたものがいた。
 使徒が腕を上げると、アダムもそれに呼応するように腕を上げた。使徒とアダムの腕が絡められ、アダムは瞬く間に使徒へと吸収されてゆく。
 咆哮が使徒から発せられる。長く続けられるそれは、まるで歌を歌っているようだった。
 使徒の背から六枚の巨大な翼が広げられた。
 ひときわ高い絶叫と共に、衝撃の白刃が使徒を中心に発せられた。その衝撃は、廃墟と化した第3新東京市に同心円状に広がってゆく。
 発令所はその光景に固まっていた。
 その中で、ゲンドウは静かに声を発した。
「レイ…さあ、始めよう。今日、この日のためにお前はいたのだ」
『はい…』

 零号機はプログナイフを手放した。ナイフが地面に落ちる音で、シンジは我にかえった。
 零号機は伍号機、いや、第拾七使徒へゆっくりと歩き出した。
「綾波…?」
 シンジは恐る恐る呼びかけた。しかし、返事はなかった。
「綾波! どうしたんだよ、返事をしてよ!!」
 シンジは歩み続ける零号機へと必死に呼びかける。しかし、二機の間にある沈黙の壁はゆるぎもしなかった。
『初号機、聞こえるか。後退しろ』
 発令所からゲンドウが初号機へと直接指示を送る。この異例のことにシンジは自分の知らないことが始まっていることを直感した。
「父さん…何をするんだ! 綾波に何をさせる気なんだ!」
 返事は無かった。

「いったい…何を始める気ですか!」
 ミサトは押し殺した声でゲンドウに向けて質問する。しかし帰ってきたのは沈黙だけだった。
「人類補完計画」
 その声にミサトは振り返る。仮面のような薄ら笑いをその顔にはりつけたリツコに。
 リツコは、白衣のポケットに両手を入れたまま、ゲンドウを振り返る。ゲンドウと視線が合う。しかしゲンドウは何も言わなかった。
 リツコはスクリーンをまっすぐに見つめて話しはじめた。
「〈われわれと共にいる神は、われわれを見捨てる神〉、死海文書を解読した島田博士の言葉よ。ならば、我々は我々の力となる神を、自分たちの手で作り上げるしかないんだわ。神は感情を持たない…私達には計り知れない基準で善悪を決定し、祝福を与え、または滅びを行う。セカンドインパクトのようにね。神は純粋な力でしかないわ」
 話続けるリツコに視線が集まる。ミサトは気付かれぬように背後の日向に合図を送る。
 日向は小さくうなずくと、初号機への音声回線を開放した。
「感情、人の心と呼ばれる物は奇跡の産物よ。私達でもすこしバランスを崩せば、簡単に心を、感情を失ってしまうわ。彼らは心を持たない。そして、心を求めてここへ、アダムを目指してやってくるの。心を得れば完全な、真の人類となる…それが、使徒。しかし、アダムの心も完全では無いわ。その欠けた部分、彼らが求める心の中心、あの力をコントロールするための、私達最後の切り札。それが綾波レイ」
「そのために、レイを見殺しにしようというの! まるで生け贄じゃない!!」
「…そうよ、あなたも知っているはずよ。彼女は人間じゃないもの、使徒から、アダムから生まれたモノだもの。アダムから欠けた心と、私達人類の完璧な因子を持った存在よ…」
 リツコの言葉に、日向と青葉が息をのむ。
「レイの心を得た最後の使徒、その力は、私達のものよ。使徒に、彼らが失った心を与え、代償に私達はこの世界を根底から変えることのできる力を得る」
 ミサトは薄笑いをはりつけたままのリツコに恐怖する。それはミサトが知っているどのリツコとも違っていた。まるで壊れた人形のような、無感情な笑い顔。
「その力を使って、いったい何をしようってのよ!」
 ミサトは心の奥から湧き出してくる恐怖と戦いながら、なおもリツコに問う。そうしていないとその場に崩れ落ちてしまいそうだった。
「世界の改変、新世紀の到来、帰るのよ、我々の失われた権利を取り戻してね」
 リツコは一旦言葉を切る。だれも言葉を挟まない。その沈黙を味わうと、リツコは再び話始める。
「加持君の畑には行ったかしら? 植物はいいわね、水と光を受けて伸びる命。それにくらべて、収奪者である私たちの命は死と腐臭に満ちている…他の生命を殺戮し、取り込まなければ一瞬たりとも生きてゆけない、呪われた生命…」
「いきなり…何を…」
「使徒に心を補完し、真の人類を創造するのよ、そして私たちははるか昔に失った権利を取り戻してあるべきところへ還るの。この殺戮と腐臭に満ちた世界から、この魂の牢獄から解き放たれて!」
「いったい…どこへ…」
「神の、玉座のもとへ」
 リツコのまなざしは冷静だった。狂っている、その冷静さをミサトはそう判断した。しかしそれを認めることはできなかった。ミサトはゲンドウへと振り返る。しかしゲンドウはスクリーンを凝視したまま、微動だにしない。
〈みんな、狂ってる!〉
 しかし、現在起こっていることは、まぎれもない現実だった。
『父さん…本当なの………………父さん、答えてよっ!!』
「シンジ…聞いていたのか…」
『そのためにトウジを傷つけ、今度は綾波まで殺そうというの!』
「…死ぬのではない。すべてを始まりへと戻すだけだ。レイが、神と人の橋渡しをする。神の国、約束の地への扉を開けるために」
 ゲンドウは感情のこもらない声で答えた。
 その間にも零号機は歩み続ける。第拾七使徒の前に残った三機のエヴァが、零号機に道を譲るように両側へと分かれる。
『こんなことのために僕はエヴァに乗ったんじゃない…こんなことのためにアスカは苦しんだんじゃない…こんなことのために僕はカヲル君を殺したんじゃない…』
「この、不完全な世界に何の意味があると言うのだ。この、ユイのいない世界に」
 ゲンドウは誰にともなく言った。同時にリツコの右手が白衣のポケットから引き抜かれた。

 ミサトにはその光景が信じられなかった。
 発令所に、一発の銃声が鳴り響いた。



予告

失うものは永遠、
求めるものは未来、
彼女はシンジに、最後の選択を求める。

次回

「たったひとつの、冴えたやりかた」


[||]

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Copyright(c)1997-2000 Takahiro Hayashi
Last Updated: Sunday, 09-Sep-2007 18:42:48 JST