As Close as possible 2
  ONE DAY (2)

南果ひとみ 




「う〜、まだソースの匂いがしよる……」
 アリスは自分の腕や肩に鼻を近づけてみる。どこからとはっきりわかるわけではないのだが、自分の身体からソースの匂いがしているのは明らかだった。
 着ていたスーツとワイシャツは速攻でいつものクリーニング屋へ。クリーニング屋へ行くために着ていたトレーナーはそのまま洗濯機へ。自分もそのまま風呂に直行したにもかかわらず、どういうわけかソースの匂いはしみついてしまったらしい。
(二回もシャンプーしたのに、匂うってのはどういうわけや……)
 むぅっと口をとがらせる。火村がいれば、とても三十男には見えないぜとの感想をもらすであろうこと間違い無しの表情だった。
「うわ、もうこんな時間か……」
 ふと気がつけば、既にニュースステーションが始まっている。何だかんだやっているうちにどうやら夕食を食べ損ねたらしいことに気がついたら、腹の虫がぐーと鳴いた。心なしか弱々しい音である。
(……あかん、餓死しそうや)
 ここのところ、原稿にかまけていて買い物に行っていなかった為、家には食料がほとんどない。あるのはせいぜい、一昨日買ったばかりの玉子と牛乳くらい。こんな災難にあわなければ、スーツを脱いだ後、久しぶりにスーパーまで買い物に行くつもりだったのである。
(新人推理作家、自室で餓死。発見は1週間後、都会の死角か……なんて死亡記事が出たら嫌やな……)
 腹が減っているとロクなことを考えないという、火村言うところのアリスの法則の通り、アリスはぼんやりとくだらない妄想に意識を飛ばした。
(でも、新聞に初めて載るんが死亡記事やなんて、最悪やな。せめて、まともな作家としてのインタビュー記事くらい載ってからやないとみっともないわ……)
(あ、もしかして、変死ってことになると司法解剖とかされるんやろか……昨日食べた賞味期限切れの饅頭とか出てきたら嫌やな……あ、餓死やったら、そんなもん出るはずないか……)
 次々とくだらない妄想が浮かぶあたり、腐っても作家というところか。
 ガチャリ。
 玄関で鍵の開く音がして、はっと現実に立ち返る。一瞬、アリスは動きを止めたが、自分以外で、ここの鍵を持っているのは一人だけ。聞きなれた足音に、すぐに緊張をとく。
「アリス?あがるぞ」
 ちょうどいいタイミングで、アリスの食生活に関して一家言をもつ助教授がやってきた。時間はちょうど夜食タイム。助教授の手には自分の分も含めた差し入れのコンビニの袋。もちろん、コンビニ弁当やカップラーメンをそのまま食べさせたりする手抜きをこの助教授はしない。
「ひむら〜っ」
 アリスは情けない声で火村の名を呼んだ。救いの神だった。背後に後光が射して見えるとはこのことである。
「何だ、また、メシ抜きだったのか?」
「……うん」
「なら、二人前だな」
 ネクタイをゆるめながら、火村は怪訝そうな表情をした。
「何や?」
 アリスは首をかしげる。
 部屋はわりあい綺麗にしているし、洗濯物も溜めていない。火村に小言を言われるようなことは何もないはずだった。
「なあ、アリス」
「ん?」
「気のせいかもしれないが、何かソース臭いんだが……」
 しかし火村がどんなに部屋の中を見回してもソースの匂いの元になるようなものは何もない。
「……俺」
「あん?」
「だから、その匂いの元は俺やと言うてる」
 アリスは仏頂面で告げる。
「……?」
 それ以上口にするのも面倒だったので、ぐいと火村のネクタイをつかんで引き寄せた。バランスを崩してぶつかりそうになった火村は、シャンプーのフローラル系のにおいに混じったソースの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。そして、やや三白眼気味な目線で見上げるアリスに納得したというように軽くうなづいてみせる。
「……何したんだ?」
「エレベーターで、新しく引っ越してきた隣の住人の痴話喧嘩に巻き込まれて、そこの角の店のお好み、頭からかぶった。風呂入ってシャンプー2回もしたのに匂いがとれないのや」
 なるほどややご機嫌斜めなのはそれかと火村は納得する。
「随分迷惑な痴話喧嘩だな」
「まったくや。おろしたてのスーツは即クリーニング行きやし……タイミングを逃して夕食は喰いっぱぐれるし……とんだ災難や」
「そりゃあ確かに。後で洗ってやるから、とりあえずメシにしよう。うどん買ってきた」
 火村はコンビニの袋を少し高くあげて見せた。
「うどん?玉子が買ったばかりなんや、玉子落とそう、玉子」
 語尾にハートマークでもつきそうな口調で言いながら、アリスはいそいそとキッチンに向かう。
「幾つ落とすんだ」
 もちろん作るのは火村。あなた食べる人、私作る人というヤツである。
「二個。半熟にしてな」
 にこっとアリスは笑う。
 はっきり言って、もうすぐ三十路の声を聞こうという男とは思えないかわいらしさである。
「了解」
 火村は薄く苦笑をもらす。
 食べ物につられて機嫌が直るところがアリスのアリスたるゆえんだった。



to be continued



『ONE DAY』のその2です。早いでしょ♪ 早いでしょv(*^_^*)v 南果さん、ありがとーーーッ!!!
みどりば、アリスをこよなぁ〜く愛している人間ですが、火村の料理の腕だけはいっつもイイなぁ…って思います。
ホント、あの料理の腕だけは、そばにほしいです。今回もお腹空かせているアリスの元にタイミング良く風のように遣って
きて、玉子入りのおうどん作ってくれるんだもん。私も、思わず玉子綴じうどんを食べたくなりましたよ(^¬^)
ところで私、すっごーく気になったんですが、火村が「あとで洗ってやるよ」と言った対象物は、もちろんアリスのことだよね!? 何げに読んじゃったけど、これってとんでもねぇー台詞じゃない!?

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