南果ひとみ
「おっ、おでかけか、お隣さん」
同じように出かけようとしている隣人と、廊下で鉢合わせた。朝というには遅い11時過ぎ。火村はとっくに大学である。
「…………」
無言でじろり。
「何もそんな迷惑そうな顔することねーだろうが」
ぷいっとそっぽむいて意思表示。しかし、はっきりいってこれは逆効果でしかなかった。新しい隣人……小鳥遊の目にアリスのその反応はひどく新鮮に映ったので。
「拗ねているのも、かわいいけどな」
ニヤリと小鳥遊は笑う。
アリスとしては気が進まなかったが、仕方なく同じエレベーターに乗り込む。どうやら、ソースの臭いはだいぶ消えたようだった。
「で、こんな平日のまっ昼間に家にいるなんて、おまえさん、サラリーマンじゃないだろ」
「別にええやろ、俺が何だって。そういうあんたかて同じやんか」
「俺はこれでも大学の先生だ」
心なしか胸をはって小鳥遊が告げる。
「えーーっっっ」
アリスは思わず声をあげた。
「何だ、その驚きようは。これでも法学部の助教授だぞ」
別に気を悪くした風もなく小鳥遊は言う。おそらくこの手の反応には慣れきっているのだろう。
(……そういや、引越し屋のにーちゃんがそんなこと言ってたっけ)
この相手が相手だったんですっかり失念していた。だいたい、目の前のこの男は、アリス思い描くところの大学の先生像とはまるでかけ離れている。
(まあ、火村だってあれで大学の先生って言えば先生なんやから、大学の先生ってのはえらくキャパの広い職業ってことやな)
「……良かったわ、俺、あんたの生徒にならんで」
「おい」
がっしりとした身体つき。ちぢれた髪はややドレッド気味。無精ひげを生やし、ほとんどサングラスに近いような色のついた眼鏡をかけている。その上、本日は茶色の地にストライプのはいったスーツに鮮やかなブルーのワイシャツ、ネクタイは黄色……という、一歩間違えるとお笑い芸人のステージ衣裳になってしまいそうなコーディネイトを着こなし、腕にはアリスでさえ知っている金のロレックス。どう見てもまっとうな仕事についているように見えない。
(……はっきりいってヤのつく職業の人って言われた方が絶対に納得いくわ)
もしくはどこぞの売れない芸能人か。
「そうだ。あんた商店街で買い物する?」
「……するけど」
「じゃ、これ、やるわ」
夕陽丘商店街で今やっているセールの福引券だった。
「金は受け取ってもらえなかったからな。まあ、お礼の気持ちっつーことで」
クリーニング代分きっちりとしか受け取らなかったアリスのことを少し気にかけていたらしい。
「どうも」
今度はアリスも素直に受け取った。
「こういうもんなら、受け取るんだな」
「別に問題ないやん。それに、ようは感謝の気持ちが大事なんやで。金やモノじゃないんや」
「はいはい。感謝してますって」
「口先だけやないか。感謝の気持ちが全然こもっとらん」
「いや、ちゃんと感謝してますって」
「どうだか」
冷ややかな眼差しをむける。
「まったく、うたぐり深いなあ、自分。ほら」
ひょいっと顎を上向かされて、きょとんとしていたら、そのまま唇に温かいものが触れた。
「うわああああっっっ」
それが相手の唇なのだと気がつくより先に、思わず力いっぱい突き飛ばした。アリスの力いっぱいなどたかがしれているので相手にはまったくこたえていないようだったが、ちょうどエレベーターが1階に到着したので、とりあえず、二人きりの密室から逃げ出す。
「おっ、初々しい反応。いいねえ」
「な、な、何さらすんや、このどアホっ」
ごしごしと腕で唇をこすった。
「感謝の気持ちを態度で示してみただけだが……おい、俺はバイ菌かよ」
そのニヤニヤ笑いは、絶対にからかっている証拠だった。
「……バイ菌のがまだマシやっ。金輪際、俺はあんたの感謝はいらん。絶対に俺には態度でしめすなっ」
思わずそう怒鳴るアリスを責める人間は、まあいまい。
「それは残念至極。俺としてはもっとたーっぷりと示したかったんだが……。でも、あんたもなかなか意外性の男だな」
「は?」
「昨夜は随分と激しかっただろ。彼女、まだ部屋か?」
「彼女?」
アリスは怪訝そうな表情をする。
「ここのバスルーム、意外に響くぜ」
ニヤリと口元に愉しげな笑みを刻むと、小鳥遊はひらひらっと手を振って駐車場の方に歩いて行った。
「バスルーム……」
その言葉の意味するところに気がつき、アリスはさっと顔を赤らめ、続いてさあっと血の気がひいた。小鳥遊は誤解しているようだったが、いいようにされて声をあげていたのはアリス自身だった。それを考えると身の置き所がないくらい恥かしかったし、それを聞かれたかと思うと青褪めてしまうアリスの気持ちを誰も否定はできないだろう。
(ひ〜む〜ら〜)
あっさりと洗ってもらうことに同意したアリスも迂闊だったが、ともあれ、心の中で恨みを込めてつぶやく名は一つである。
(……でも……)
ふと気がついて、アリスは表情を曇らせた。
別に世間に顔向けできないとか、後ろ暗いとか、そんなことを思ったりはしないし、隠すつもりもなかったが、そうとばかりは言っていられないということに今更のように気がついた。
どう考えてもこの関係が公になった時に、よりリスクを背負うのは間違いなくアリスよりも火村の方だった。
そんなことにすら気がつかぬほどにただ夢中だった己が腹立たしかった。火村はとうにそのことに気付いていたに違いないのに。
(……どうすればええんやろう)
アリスは暗澹たる気持ちにとらわれ、唇を噛んだ。to be continued
何だかだんだんと、火村先生苦難の21世紀へGo! Go! Go!---って感じですね。いや、決して私、喜んでいるわけではございませんが…(^_^;)ヾ 小鳥遊氏は知れば知るほど、何か拍手したくなっちゃうタイプ。ちょっとみどりば、プッシュプッシュ♪ この世界の神様である南果さんの愛も獲得しちゃってる彼は、これからも役得なシーン多し---かも。だって今回だって、さりげにアリスのキス奪っちゃってるし…。えーいっ、このっ幸せ者ッ!! ところで自主規制中のあのシーンは、頭の中から零れる前に裏あたりで如何ですか? ←悪魔な囁き(ΦwΦ)Ψ |
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