「アリス……」
「君は俺には絶対にいろんなこと言わへん。……だいたい、どう考えたって俺よりも君のほうがずっとリスクを背負うのや」
それはもう比べ物にならぬほどに。
「それは、リスクなんかじゃない」
「だけど、現実問題として差別されるのは確かだ。あれだけオープンなアメリカでさえ差別は根強いんや。この保守的な国で差別がないなんて君かて言わないやろ」
「アリス、そんなことは俺には問題じゃない」
火村はアリスの瞳をまっすぐと見返した。
「わかっとる。単に覚悟がなかったんは俺の方や。だから、何としてでもここに来たかったんや」
「は?」
その論理の飛躍に火村はついていけなかった。
自分とつきあうことの覚悟がなぜクリスマスにディズニーランドなのか?
「……だってクリスマスのディズニーランドなんてカップルばかりやろ。家族連れもおるかもしれへんけど、まあ恋人同士のクリスマスデートの定番コースや。そんなところにおったら絶対に俺ら目立つ思うたのや」
仕事でもない30男の二人づれが目立たない筈がない。
「目立つと何かあるのか?」
「いろいろ言われとったやろ。気がついてなかったとは言わせんで」
火村がアリスが気づかねばいいと思っていたことはどうやら無駄だったらしい。
「……ああ」
「君はさりげな〜く、そういうのから俺を遠ざけとったけどな」
「おまえが傷つくようなことを耳に入れたくなかったんだ……」
「俺には自分に気を遣うな言うといて、気を遣ってるのは君のほうやないか」
拗ねたような表情でアリスは口を尖らせる。
「…………」
「……なあ火村、君は俺を何やと思ってるのや?」
「『恋人』だろう」
それは即答だった。火村にとっては、単にそれだけではなくさまざまな意味が付加されるものの、あてはまる単語は他にない。
「俺にとってもそうや。単に『恋人』って言うよりも俺にはもっといろいろあるのやけど他に適当な言葉がないからな」
言葉は不自由やとアリスは口元に苦い笑いを浮かべて続ける。
「君もそう思ってくれてるんやったら、俺を庇うな」
「…………」
言うべき言葉をもたぬ自分に、火村は内心歯噛みする。
「そりゃあ俺はそんな強うないから、いろいろ言われて凹むこともあるやろうし、それでドツボにハマることもあるかもしれん。でもな、君がそれから俺を遠ざけるのは間違いや。だってそうやろ。俺は自分で君とおることを選んだのや」
「アリス……」
ただ、その名を呼び続けるだけ。まるで呪文のように。
「強制されたんやない。これは俺の選択や。だから、二人でおることのリスクは二人で分けるべきや……」
アリスはまっすぐと火村の瞳をのぞきこむ。
火村もまたそのアリスの瞳を見返した。
「あのな……自惚れてるのかもしれんのやけど、君が女性とおったりして誤解したりすることもないとは言わんのやけど、結局のところ俺は君の気持ちを疑ったことなんてあらへんのや」
「……何でだ?」
「だって、君は俺には絶対に嘘つかんもん。言わんことはたくさんあるけどな」
「それは……」
「そのことの意味を俺は知っているつもりや」
アリスはきっぱりと言い切る。
「だから、俺は自分の気持ちを試したんや。こんなカップルばっかのとこで、しかもクリスマスで……。誰に見られていても、誰に何を言われても、君といて平気でいられる強い気持ちが自分にあるのかを確かめたかったんや」
「……それで……?」
どうだったのだと問いたいのに、語尾がかすれた。
「どうも俺は根が深刻には考えられへん体質なのかもしれんのやけど、何か、わりあい平気やったわ。そりゃあ気にせえへんと言ったら嘘になるよ。だけどな、それくらいはもう慣れっこや」
アリスは肩をすくめる。
「は?」
「学生時代からいっつも言われつづけてることとたいした差はあらへん」
「学生時代からって……何だ?」
火村は首を傾げる。
「俺、君といつもおったから、よくやっかまれたんや」
「やっかまれるって……」
「君と仲良くしたい人間はたくさんおったんやで……君は鼻にもかけんかったけど……別に女だけやのうて男もな」
君、意外に鈍感やから気がつかへんかったやろ。とアリスは笑う。
「そんなわけ……」
「それがあるんやな……君、ひそかに『高嶺の花』言われてたんやで」
「何だ、その『高嶺の花』ってのは……」
「言葉通りの意味や」
ふふふんとアリスは笑う。
何ともやりきれなくなって、火村は胸ポケットに手を伸ばした。一本ひっぱりだして火をつけ、一息ついてやっと自分がかなり動揺していたらしいことに気がついた。
(……かなわない)
完敗だった。アリスには絶対にかなわないだろうと思った。しかし、それは嫌な気持ちではなく……むしろ、嬉しいような気がした。どんな風に言えばいいのかよくわからなかったが。
「……アリス……」
「何や?」
閉園時間まで残りわずか。家路を急ぐ人波を眺めていたアリスが振り向く。
「……いいのか?」
その眼差しに、アリスは何でもないことのように笑ってみせる。
「ええも何も、自分で選んだことや言うたやろ」
「アリス……」
「何度でも言うたるよ。俺は他の誰でもなく、君を選んだのや。だからそれが原因でこの先何があったとしても、俺は俺の気持ちをまっとうするよ」
「…………」
「えらそうなこと言うてるけど、迷ったり、躊躇ったりもするやろうし、これからだっていろいろあるやろけどな……」
でも、俺が決めたんや。とアリスは言った。
その言葉を、火村はゆっくりと反芻する。そして、それを己の内の最も奥深くに刻み込んだ。
「さて、そろそろホテルに行こうか。レストランはダメやけど、バーならまだ大丈夫やで」
(まだ食うつもりか……?)
まさかな。と火村はその考えを打ち消した。少なくとも人間の胃袋には限界があるはずだった。
「……そうだな」
「土産も買わんとな。おかんやろ、それから自分のと火村の研究室に置くのと、あ、それから、嫌やけど隣のあの男にも買わんといけないやろな……」
「……俺の研究室に置く?」
何を?と聞き返したかったが、アリスは既に目の前をさっさか歩き出している。
「おい、アリス……」
「あ、そうだ。火村、クリスマスツリーのところで写真とろうな」
「写真?」
「俺の決意写真や。見るたびに思い出すようにな」
そう宣言されれば、火村にはかけるべき言葉はなかった。
「……火村、早くせんと店が閉まってしまうわ」
やや離れたところからアリスが、立ち尽くしていた火村を呼ぶ。
溜め息を一つ。
火村には、何となくこれからの自分達が見えたような気がした。
(だが………)
だが、それも悪くない。
自然と笑みがこぼれる。
「……アリス」
早足で追いついて、アリスの腕を掴む。
「ん?」
振り向いたアリスの唇から、触れるか触れないかの軽いキスを一つ盗む。
「火村ーっ、こんな所で何するのや、君はーーーっ」
真っ赤になって怒鳴るアリス。
「……ほら、土産を買うんだろ。早くしないと閉まっちまうぞ」
前を歩きながら、怒っているアリスをさし招いた。
「うーーーーっ」
(本当にあれで30歳になろうって男かよ……)
神など信じない。
この世にそんなものいやしない。
そんなものいらない。
(だが……)
押さえ切れぬ笑みがもれる。
かけがえのないたった一つの……そして火村の根底に根差すもの。
火村は己の絶対を見つけた。
この聖なる夜に……。
「時と場所をえらべやっ」
追いついたアリスが耳元で怒鳴る。
ちょうどたどりついたクリスマスツリーの下、火村はアリスに向き直った。
「メリークリスマスだ、アリス」
にやりと火村は笑う。
「……確かに、メリークリスマスやな」
アリスもつられて笑った。
「で、アリス、時と場所を選ぶから、続きはホテルでゆっくりしような」
「ひむらーーっっ」
アリスの絶叫が、光の溢れる夜のワールドバザールに響き渡った。
火村がくっくっと喉の奥で笑う。
どこからか、オルゴールの『きよしこの夜』が聞こえていた。