南果ひとみ
「今日は、ほんま食いすぎたわ」
ご飯が少なかったので正月の残りの餅を焼いたのだが、調子に乗って3つも食べたアリスだった。しかも豚汁のおかわりも2杯。そして、食いすぎたと言っているそばから買物の時に買い込んできた新製品のシャーベットに手を伸ばしているのだから始末に負えない。デザートは別腹というのはアリスの口癖だが、本当にどこに入っているのかと不思議になるくらいよく食べる。時々、こいつの胃はブラックホールかと火村は真剣に疑っていた。
「そんだけ食っていれば、あたりまえだろう」
憎まれ口をたたきつつ、その満足そうな表情に目を細める。見ている人間にもそのしあわせな気持ちが伝染するようなそんな表情だった。
(こいつを釣るには、食い物に限るな……)
食欲は人間の三大欲求の一つだが、アリスの場合こればかりが一段突出している気がする。
「君にはずっとうまいもの食わせてもらっていたけど、でもやっぱりこうやって一緒の食卓でゆっくり話しながら食べるのは格別やもの。ついつい箸がすすんでしまうのや……」
「にしたって食いすぎだぜ……」
「ええもん。後は寝るだけや。今日からはゆっくり眠れるし……」
アリスは見るからにしあわせそうに笑う。
ゆっくり眠らせるつもりなど火村にはなかったが、まあここで事を荒立てる必要はあるまい。
「あ、片付けも俺がやるから火村は先に風呂入ってええよ」
「じゃ、遠慮なく」
先にアリスが風呂に入ると火村が出てくる頃には既に夢の国だろうから、そうでなくては困るのだった。
(ま、アリスがそう言い出すのは予想通りだけどな)
ここ数日間、世話されっぱなしのアリスがそれを心苦しく思っていないはずはない。
事は着々と火村の思い通りに進んでいた。
「おい、髪くらいちゃんと拭け。風邪ひくぞ」
「大丈夫や。デロンギがあるからな」
このイタリア製のオイルヒーターをアリスはいたく気に入っていて、寝室とリビングに1台ずつ設置してある。すぐには暖かくならないが、じんわりと空気が芯から暖かくなるのがいいのだと言う。寒がりのアリスは部屋にいる時は大概つけっぱなしだ。
「貸せ」
読みかけの本を閉じてソファからおきあがると、アリスからバスタオルをとりあげた。アリスはおとなしく下を向く。
「まるっきり子供だな……」
薄茶色の髪を拭いてやりながら、小さな溜め息をついた。
「子供の世話なんて、君、せえへんやないか」
「当たり前だ。俺が世話するのはおまえだけだ」
火村はきっぱりと言い切る。
「……喜んでええんか、悲しむべきなんか、わからん台詞やな」
アリスは口元に薄い笑みを浮かべる。
「とりあえず、喜んでおけよ。永久専属コックだぜ」
火村も軽く口元を歪める。
「それはええな」
アリスは真顔でうなづいた。
それがひどくアリスらしくって、おかしかった。
「何がそんなにおかしいのや……」
「いや、おまえを釣るのは本当に食い物だと思ってさ……」
「そんな俺が食欲の権化みたいなこと言いなや」
「……違うのか?」
「君の性欲とは違うのや」
拗ねたような口調は、とても30を過ぎた男のものではない。
「……ふうん」
ニヤリ。
「ひ、火村?」
「おまえの食欲は満たされたんだ。今度はオレの性欲を満たしてもらおうか」
アリスはその頬に力ない笑みを浮かべる。何だかうまくハメられたような気がした。
薄暗い室内。最少に絞られたサイドランプだけが唯一の光源だった。
伸ばした指先が、頬に触れる。ただ触れただけで指先が痺れたかのような錯覚を覚えた。滑らかな頬のラインを確認するように指先でなぞる。ここ数日の不摂生のせいか幾分シャープになったようだった。
交わした視線、それから、どちらともなく口付ける。ついばむような軽い口付けにくすぐったそうにアリスが目を細めた。
「あんな……」
「ん?」
額をつけたまま、至近距離で瞳を見交わす。
「何で、キスは違うのやろう?」
囁くような声音でアリスがつぶやく。
「何がだよ」
「異なる皮膚と皮膚が触れ合う。それだけなら手をつなぐのだって同じやないか。でも、唇が触れ合うのは何や特別な感じがする」
まるで神聖な何かのように。
「…………」
「だって君、俺が誰かと手をつないでも別に何とも思わんかもしれんけど、キスしとったら妬くやろう……?」
火村の沈黙を否定ととったのかアリスが問い掛ける。
「当たり前だ」
手をつないでいても妬くかもしれないとまでは口にはしない。時と場合によるものの、事がアリスに関する限り自分が寛容でも寛大でもないことは自覚しているが、わざわざそれを教える必要はない。
「ほら、やっぱりキスは特別や」
耳元で囁くようにアリスは言う。
火村は返事をする代わりにもう一度、その唇に口づけた。
口づけを交わす。唇という器官を媒介に互いの熱が一瞬だけ触れ合う……離れ難いと思うその一瞬に、痛みにも似た甘い余韻が身体の中を滑り落ちてゆく。
唇を重ねる。ただ、それだけの行為から何が生まれるのか知らない。だが、それだけで己の中に浸透してゆくものがあることを火村は知っている。唇に、その頬に、目元に何度も口づけるたびに己の内が潤っていくのがわかる。
長い長い口づけ……深く奥底まで探るように。舌を絡め、その吐息のすべてを奪い尽くす。頭の芯が白く痺れるようになるまで貪って、ゆっくり唇を離した。
「……窒息……させる気なんか……」
息をついて、軽い上目遣いで見上げてくる瞳には挑むような光。
「さあね………」
まるで飢えていたみたいだと思い、実際に飢えていたのだと気がついて苦笑を漏らした。
(アリス欠乏症か……)
なまじ手を伸ばせば届く距離にいたりするからそうとは気がつかなかったが、実際問題としてほとんど触れていないのだから飢えるのも無理はない。
(俺も大概辛抱よくなったもんだぜ……)
思わず自分の忍耐力に感心する。
「君とキスするのは好きやけど、何だか喰われる気がするわ………」
アリスはくすりと笑みを漏らした。
「……気がするんじゃなくて、事実だろ」
言い放つ火村にアリスはうっすらと笑った。
「……でも、喰うのは君だけやないで……」
その笑みに背筋がぞくりと震えた。
真っ直ぐと見返す瞳の奥に、紛れもない欲望を見出す。
自分も同じ瞳をしていることを半ば確信しながら、火村は誘われるようにもう一度口づけた。
to be continued
お待たせしましたッ!! 南果さんの『NIGHT &
DAY』その3です。 いよいよ夜の生活(笑)なのねぇ〜、うっきゃぁ〜〜ッ(≧▽≦) なのに、南果さんてば『朝チュン』宣言なんてかますんですよぉ。←暴露してやるモン ええいッ、私らのこの膨らみ捲った期待をどうしてくれるの(>o<) ---と、思った皆様。さぁ、南果さんに「そりゃないでしょ」メールをPlease。 私なんてさ、私なんてさ、せっかく背景もフォントの色もピンクにしたっていうのに…(i^i) それにここで朝チュンなのを私が許しても、火村は絶対に許さないと思うゾ。 |
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