鳴海璃生
「へぇ、火村先生でも知らんことがあるんや」
鬼の首を取ったような心地よさで、私は火村に私の雑学データベースから膨大な知識の一端を披露してやることにした。
「坂口安吾が小説の中で、桜の樹の下には屍体が埋まってるって書いてんのや。その養分を吸って育つから、こんなにも桜は美しいって…」
えっへんと胸を張った私に、火村の唖然とした視線が突き刺さる。
「---何やねん、その顔は?」
呆れた様子も露わに私を見つめていた火村が、態とらしく大きな溜め息を吐いた。
「アリス、そりゃ梶井基次郎だ」
「へっ?」
間抜けた表情を晒した私に、火村はやれやれとばかりに頭を左右に振った。
「坂口安吾が『桜の森の満開の下』って作品を書いているから結構間違える奴がいるんだが、その屍体云々のくだりを書いたのは梶井基次郎だ」
最後の言葉は、嫌味なぐらいにゆっくりと口にする。---ゲゲッ、しまった。また詰めの甘さを暴露してしまった。思ったことがそのまま顔に出たらしい私の様子に、火村がニヤニヤもと質の悪い笑みを作った。
「浪速のエラリー・クイーンには余り関係のないデータかもしれんが、ちょうどいい機会だからデータを修正して更新しとけよ」
口惜しいッ! あったまにきた。徹底的に馬鹿にされたじゃないか。なのに---、それが判っているのにひと言も言い返せない自分が、めちゃくちゃ情けない。認めたくはないが、確かに火村の指摘した通りの理由で、私は間違って覚えていたんだ。
片手に豆餅を持ったまま、恨みがましい視線を目の前の犯罪学者に注ぐ。その私に向かって、火村が口許に刻んだ質の悪い笑みを深くした。ここまで人のことを馬鹿にしくさったくせに、まだ何か言うつもりか、こいつは。
「それからな、アリス。お前が妙な気を起こす前に言っておくが、この辺りの桜の下には屍体なんて埋まってやしないんだから、掘り返そうなんて思うんじゃねぇぞ」
「んなこといちいち言われんでも、判っとるわい。ガキじゃあるまいし、今さらするかいっ、そんなこと」
「ほぉ…」
火村が獲物を狙う猫のように、すっと双眸を細くした。---嫌な予感。もしかしてもしかしなくても、私はまた何か不味いことを口にしてしまったんだろうか。
「今さら、ね。---ということは、好奇心旺盛な有栖川有栖先生は梶井の小説---おっと、アリス説に拠れば坂口安吾だったな---に倣って、桜の樹の下を掘り起こした経験がおありなわけだ」
耳がいいというか、勘がいいというか、人の言葉尻を捕らえることにかけては、きっと火村の右に出る者はいないかもしれない。おまけにこいつ、言葉の端々に嫌味までしーっかりと交えやがった。
言葉に詰まってしまった私を、ニヤニヤと嗤いながら火村が凝視する。嫌味を言われたのはめちゃ腹が立つが、ここはじっと我慢だ。
何とか話題を逸らしたい私は、心の中でぐっと拳を握りしめた。---が、私が白状するまで微塵も手を緩めるつもりのない火村は、私の健気な努力を土足でもって踏みにじる。
---誰がしつこいやて。それは俺やなくて、絶対お前やないか。
空中に向かって息を吐き、私は観念したようにゆっくりと口を開いた。
「…やった‥」
聴く前から応えが判っていたくせに、火村はぼそりと呟いた私の言葉に大袈裟に驚いてみせた。---本当にやることなすこと、いちいち癪に障る奴だ。
「さすがアリスだな。もっともアリスの場合、梶井基次郎というよりは花咲かじいさんの犬って気もするが。---で、どうだった? 大判小判でも掘り当てたか?」
どういう意味だ、それは? ---それにしてもこいつ、マジで心の底から馬鹿にしているな、私のことを。
「でも…、でもな、火村」
このまま馬鹿にされっぱなしというのも口惜しいので、私は汚名挽回とばかりに、とっておきの秘密を話してやることにした。---フフン、聴いて驚け。
「大判小判は出てこんかったけどな、ほんまに骨は出てきたんやで」
「何だ、昔埋めた骨でも見つけたのか?」
だから、俺は犬やないって。---マンガやアニメに良く描かれる骨の形を想像して、私は思わず頭を振った。
「違うッ! ええか、耳の穴かっぽじいて、よぉーく聴けよ」
一端言葉を区切り、勿体ぶったように私はコホンと一つ咳払いをした。
「出てきたのは、何と歯のついた骨やったんや」
「そりゃまた豪勢な」
腹の立つことに、火村は私の話をぜんぜん真剣に聴いている風ではなかった。それどころか右から左に聞き流し、頭の片隅にでも残しておくつもりはないらしい。---つまり、自分は聴く気がないが、喋るなら勝手に喋れってことだ。
---フン、そんな悠長な顔してられるのも、今の内だけやで。見とれよ、火村。
心の中でほくそ笑み、私は殊更にゆっくりと言葉を続けた。いくら火村だってこれを聴けば、絶対に私の話を真面目に聴く気になるってもんだ。---もう勝ったも同然やな。
「言うとくけどな、歯いうても犬とか猫やないんやで。どっからどう見ても人間の歯やったんや」
それまで豆餅を食べながら右から左に私の話を素通りさせていた火村が、右手に持っていたコーヒーカップをシートの上に置いた。そして、ゆっくりと視線を上げる。漸く真面目に聴く気になったんだなと、私は心の中で勝利のVサインを作った。
「アリス…」
「何や? 質問ならいつでも受け付けるで。臨床犯罪学者様にとっては、桜を愛でるよりも遙かにうってつけの話題やろうからな」
「お気遣い有り難いことだな。それじゃぁ感謝の気持ちを込めて、その続きは俺が推理してやるよ」
「へぇ…。こんなとこで火村センセの推理が聴けるやなんて、めっちゃラッキーやな。ぜひお願いしたいわ」
いくら火村だとて判るもんかと高を括り、私はニッコリと微笑んだ。
「…そうだな。普通なら人間の骨じゃないかと疑った時点で土を掘るのを止め、警察に連絡でもするんだろう。だが、そこは好奇心旺盛な有栖川先生。普通とはひと味違ったわけだ。目敏く犯罪の臭いでも嗅ぎつけて、多分そのまま掘り進んだんだろうな」
言葉の端々にむかつくものはあるが、私は寛大な心をフルに発揮して、それを黙認した。今度こそ火村の鼻をあかしてやれると思うと、小憎らしい彼の嫌味も些末事でしかない。まだまだ強気の私は、勝利の瞬間を確信して視線で話の続きを促した。
「原始人も斯くやという恰好で座り込み、せっせと掘り進んで出て来たのは---」
「---出てきたのは…?」
私はゴクリ、と息を詰めた。火村がゆっくりと人差し指で唇を撫でた。犯罪捜査の現場でしばしば目にするその仕種を見た途端、ひしひしと嫌な予感が押し寄せてきた。
---まさか、いくら火村でも判らへんよな。
心の中で念じるようにそうは思うものの、最初の意気込み程にその思いは強くない。空気の抜けた風船が萎むみたいに、徐々に私の意気込みも萎んでいく。
数瞬の間、何事かを考え込むように唇を撫でていた火村が、私の方へと視線を移し、ゆっくりと双眸を眇めた。
「---思うに、出てきたのは、豚の骨…ってとこかな」
「嘘やろっ。何で判るんや!」
反射的にそう叫んだきり、あとの言葉が続かない。今まで火村の鮮やかな推理の数々を、散々この目にしてきた。しかしまさか、いくら何でも私の話のおちがピッタシカンカンで当たるとは、夢にも思わなかったのだ。
「ふぅ〜ん、当たったのか。…まっ、人間の歯じゃないってのは、お前の言葉で判ったんだがな」
紙コップに残ったコーヒーを飲み干し、火村は文楽人形のように両眉を上げた。---言われた私の方は、まさに寝耳に水、だ。目玉が零れ落ちるんじゃないか、と自分でも心配になるぐらい思いっきり双眸を見開いて、まじまじと目の前の犯罪学者を凝視した。
「えっ? 俺、何か言ったか?」
掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った私に揶揄るような眼差しを注ぎ、火村は大袈裟に肩を竦めてみせる。
「…ったく。マジでお前みたいな奴ばかりだったら、犯罪捜査も楽なもんだよな。犯人検挙率もぐんと上がって、警察からのお呼びも少なくなって、俺の出番はまるで無しってとこだな」
そう言いながら、態とらしく溜め息までついてみせる。めちゃくちゃ馬鹿にされたような気がして腹の底からむかむかするが、今はそんなことに構っちゃいられなかった。それより何より、どうして火村が私の話のおちを見事に推理したのかが、気になって気になって仕方がないからだ。
「お前の言い分は、よぉ判った。俺みたいな奴ばっかやなくて、ほんま良かったな。これで、君のフィールドワークも無事続行されるってわけや。いやぁ、めでたいめでたい。---で、それよか何で判ったんか、はよ話せ」
適当に相槌をうち、火村に詰め寄る。胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いの私に、火村は緩く頭を振った。
「本当に気付いてねぇのか、アリス。お前が自分の口で言ったんだぜ」
「俺が…?」
人差し指で鼻先を差し、鸚鵡返しに問い返した言葉に、火村はゆっくりと頷いた。が、そう言われて記憶の隅っこをひっくり返してみても、私にはこれといって思い当たることはない。
だいたいいくら私の詰めが毎回毎回甘いとはいえ、謎掛けをしている真っ最中に、答を出す手助けをするような、そんな不用意な言葉を漏らすわけがないではないか。もしかして鎌を掛けているんだろうかと、疑わしげな視線も露わにじっと火村を凝視した。
「やれやれ…。マジで気付いてねぇのか。お前、最初に何て言った? 思い出してみろよ。こう言ったんだぜ。『どっからどう見ても人間の歯やったんや』って」
記憶をスローモーションでリプレイする。言われてみれば、一番最初にそういう風なことを言ったような気がする。でも、それが一体なんだっていうんだ。どこをどうひっくり返してみても、不味いことはひとっ言も口にしていないぞ。
「言葉を操る作家のくせして、情けねぇな。いいか、それは突き詰めれば人間の歯じゃなかったってことだろうが」
作家云々は別にしても、言われてみれば確かにそうかもしれない。私の言った言葉の中には、そういうニュアンスが間違いなく含まれている。さすがは火村だ、と思ったが、素直にそうと感嘆するのは、私の負けず嫌いの性格が許さなかった。
「そりゃ、確かにそういうニュアンスは含まれているかもしれん。けど、それだけで人間の歯やなかったってのは、断言できへんのやないか」
「なるほど…。負けず嫌いの有栖川先生は、この程度のことでは納得できないってわけだ」
嫌な奴。---全てを見抜かれている罰の悪さに、私はますます意地になってくる。こうなったら何が何でも、滅茶苦茶な理由をこじつけてでも、絶対に納得なんてせぇへんからな。
「それじゃあ、アリスが絶対に納得できることを言ってやるよ」
まだ他にもあるんかいと思ったが、私はおとなしく臨床犯罪学者様のロジックな説明を拝聴することにした。---どうせ火村お得意の口八丁手八丁、舌先三寸、二枚舌のこじつけに違いない。私が有無を言えぬほどに納得できる理由を説明できるのなら、きっちり話して貰おうじゃないか。
「聴いたら、畜生って思いたくなるぐらい簡単なことだぜ」
煩い。今だってもう十分こん畜生、って思っとるわい。余計な能書きはいいから、とっとと話せってんだ。
「もしアリスが掘り当てたのが人間の骨だったとしたら、それは警察の記録に残るんじゃねぇか?」
ニヤニヤ嗤いで綴られた言葉に、愕然とする。---しまった、それがあった。to be continued
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