桜前線迷走中 <11>

鳴海璃生 




 病院の不正医療と豚の骨---。しかも火村と京都府警の柳井警部の元上司が関わっているとなれば、プラスアルファで殺人事件が加わること間違いなしだ。
 不正医療と豚の骨と殺人事件---。一見何の関係もなさそうなこの三つには、実は深い関わりがあって…。
 ---そうやッ!
 突然閃いた考えに、私は心の中でポンと手を打ち鳴らした。
 一見何の繋がりもなさそうなこの三つは、ある意味一種のミステリーであり、捜査の混乱を招くに違いない。きっと犯人もそれが狙いだったのだろう。だがそんなもの、推理小説家でありながらホラービデオにも造詣の深い私、有栖川有栖には何の障害にもならない。完全犯罪を目論だ犯人にとっての不運は、私のような人物がいることを見抜けなかったことだ。
 今回に限っては火村よりも先に、私には事件の全貌が見えた。私の手により、14年と数ヶ月目にして初めて真実は陽の下に現れるのだ。
 ---この事件は、臨床犯罪学者の出番は無しやな。
 胸の内で高笑いをする。10数年前に私が偶然にも豚の骨を掘り当てたあの場所まで行き、その場所で鮮やかにミステリーを解く己の姿が脳裏に浮かぶ。
 そう…、事件の真相は見えた。
 きっとその病院で不正医療により亡くなった患者を隠ための何か---医者ではなく推理作家なのでその辺は良く判らないが、とにかく何か、だ---の処置をしたところ、何故か被害者が夜な夜なゾンビとして蘇るようになってしまったのだ。そしてその呪いのゾンビ達の来襲を防ぐための呪術的な措置として、桜の樹の下に豚の骨が埋められたに違いない。
 何故豚の骨かというところまでは、さすがの雑学データベース、博学多識を誇る私にも判らない。だが葬式に列席した後に塩を撒くとか、吸血鬼にはにんにく・十字架とか、狼男は満月を見ると変身するとか、きっとそういう意味合いで、ゾンビには桜の樹と豚の骨が効くのかもしれない。
 う〜ん、完璧じゃないか。これで、不正医療と豚の骨と殺人事件の三つに説明がつく。やっぱり偶にはホラービデオも見ておくもんだ。
「おい、アリス」
 ひとり悦には入っている私の額を、火村が長い指でピンと弾いた。その微かな刺激に、意識が現実へと引き戻される。夢から覚めた時のように二度三度と頭を軽く振って、私は目の前にある男前の顔に視線を移した。
「お前が聴きたがっているから話してやってるのに、何トリップしてるんだよ」
 表情よりも不機嫌な声音に、私はニヤリと笑みを作った。火村の高い鼻梁の先に人差し指をたて、ゆっくりとそれを左右に振る。
「残念やったな、火村。俺には事件の真相が見えたで」
「ほぉ…。俺の話をいいかげに聞き流しただけで、有栖川先生には事件の真相が判ったってのか」
 嫌味な口調にも、私は悠然と笑ってみせた。いわゆる勝利者の余裕ってやつだ。
「何とでも言え。君かて俺の推理を聴いたら、納得せざるを得ないで」
 話してみろよ、とでも言うように、火村が横柄な仕種で顎をしゃくった。
「そう、不正医療と豚の骨。一見何の関係もなさそうなこの二つには、ある一つの殺人事件が絡んでいるんや」
 私の言葉に、火村がゆっくりと双眸を眇めた。それを見つめながら、私は先刻考えついたみごとな推理を臨床犯罪学者に披露してやった。
「どや、完璧やろ。まっ、いくらオカルティズムに造詣の深い火村先生といえども、ホラーにまでは通じてなかったわけや。それが、今回の君の敗因やな」
 そう言葉を締めくくった途端、火村が疲れたと言わんばかりのでかい溜め息を吐き出した。
「おい、アリス。お前、頭起きてるか?」
「起きとるに決まってるやろ。何言うてんねん」
「だったら、長年の俺の友情とご親切様に感謝するんだな。取り敢えず、今の話は三流のジョークとして聞き流してやるよ」
「何が三流のジョークやねん。俺は目一杯本気やで」
「本気でゾンビだなんて言ってんなら、俺はてめぇとは縁を切るぞ。まだ殺した被害者の幽霊に悩まされて、とか何とか言った方が信憑性があるぜ」
 うっと、言葉に詰まる。そりゃ確かにゾンビよりは幽霊の方が、より真実味はあるだろう。がしかし、現実は小説よりも奇なりと言うではないか。もしかしてもしかしたら、この広い世の中には一個や二個のゾンビぐらい生息しているかもしれない。絶対いないとは、誰にも断言できないはずだ。
「ここは京都やで。鬼哭の都なんやで。遥か昔には鬼がいたくらいなんやから、ゾンビかていてるかもしれんやないか」
 双眸を細くした火村が、ここぞとばかりに冷たい視線を投げつける。
「有り難いことにな、俺は10数年ここに住んでいるが、そういう類のものには一度としてお目に掛かったことがねぇんだよ。だいたいアリス、それの一体どこが推理なんだ? 不正医療と豚の骨と殺人事件を適当に組み合わせた戯れ言じゃねぇかよ。ああ、そうか。もしかして有栖川先生は、絶不調のスランプなのか」
 失礼な奴だ。ちゃっちゃか締め切りをクリアして、優雅な日々を過ごしているこの私には、スランプも絶不調も蜃気楼の彼方の遠い幻みたいなもんだ。
「戯れ言じゃないわッ。これやったら不正医療も豚の骨も、それに京都府警が関わっているわけも説明つくやないか」
「つかねぇよ。じゃあ訊くがな、その戯れ言のどこに京都府警が関係してくるんだよ? ゾンビ退治なんて言いやがったら、てめぇとは二度と口きかねぇぞ」
「ちゃうわ。君、本当に判ってへんのやな。ゾンビを退治するんは、霊幻導師様かゴーストバスターズの仕事や。あとはまぁ、一般市民の勇気と度胸、やな…。京都府警が関わるのは、だから殺人事件のとこや」
 どこまで本気なのか見極めるように火村は目を細め、真剣に言い募る私に向かって再度溜め息を吐いた。
「…判った。この際ゾンビは忘れて、ついでに百万歩ぐらい譲って、殺人事件と京都府警が関係しているとしてやる。その場合、殺人事件の犯人は誰だ? いや、その前に一体誰が殺されたんだ。まさか不正医療で死んだ奴、なんてお粗末なことは言わないよな。それにもう一つ。何故今さら俺達は豚の骨を掘り返しに行く? ---ご自慢の明瞭な推理で応えてみろよ。ああ、そうだ。アリス---」
 口許を歪め、火村はシニカルな笑みを作った。
「もし万一---まぁ、絶対にありえないがな---、その豚の骨がお前の言うようにゾンビ除けだとしたら、だ。それを俺達が掘り返したら、またゾンビが蘇るんじゃないのか? もしそうなったら、どうすんだよ。お前の言う霊幻導師とかゴーストバスターズにでもゾンビ退治を依頼するのか。この際言っとくがな、一般市民の勇気と度胸なんかあてにならねぇぞ」
「いや、だからそれは…やな…」
 口の中で徐々に言葉が消えていく。その私の様子を面白そうに見つめながら、火村はからかいを滲ませた口調で言葉を続ける。
「だいたいそいつらの連絡先なんて、誰が知ってるんだよ。お前が知ってるのか? 言っておくがな、博学多識な有栖川先生がご存じじゃなきゃ、誰も知らないぜ、そんなもん。その場合、暴れまくるゾンビは一体どうすりゃいいんだろうな。お前が一人でやっつけるのか?」
 ちくしょう! この野郎、完璧に面白がっているな。
 言いよどんだ私を楽しそうに見つめ、火村が喉の奥で笑った。テーブルの上の箱から新しいキャメルを取り出し、口にくわえる。流れるような仕種で火をつけ、火村は天井に向かってゆったりと紫煙を吐きだした。
「---アリス。お前、昨日の夜ホラービデオ見ただろう」
 図星だ。昨日---いや、もう今朝だったが---眠ろうと思っても眠れなかった私は、ゾンビが街中を徘徊するホラービデオを心ゆくまで堪能したのだ。
 応えに窮する私に視線を注ぎ、火村は軽く肩を竦めた。
「…やっぱりな。道理ですっ惚けたことを言い始めたと思ったぜ」
 煙草をくゆらす火村を上目遣いに見つめながら、私はめちゃくちゃ気まずかった。そりゃ確かにゾンビだの霊幻導師だのゴーストバスターズだのは、これ以上はないってなぐらいに非現実的なものだ。そんなことは、私にだって判っている。だが昨日のビデオの内容を思い出すと、もしかしてそういうことがあっても不思議じゃないかな、なんて気がしたんだ。
 ちくしょう、それっくらい昨日見たビデオは出来が良かったんだ。
 ---どうせ俺は何にでもすぐ影響されてしまう、考え無しのお間抜け野郎や。悪かったなッ。
 私の恨めしげな視線をビシバシ感じているくせに、火村は一向に表情を変えなかった。いつも通りのクールなポーカーフェイスで、美味そうに煙草をくゆらせる。が、長年の付き合いのおかげで、変わらない表情を晒しながらも、目の前の火村がこの状況を目一杯楽しんでいるということが、私には嫌になるくらいに良く判ってしまった。
 やがてそれにも飽きたのか、それとも満足いくまで楽しんだのか、火村は灰皿で短くなった煙草をもみ消し、徐に立ち上がった。
「行くぜ」
「どこに?」
 間の抜けた返事を返した私に、火村は外人のような仕種で肩を竦めた。
「お前のご友人様を迎えに、だよ。そろそろ時間だろうが」
 慌てて私は腕時計に視線を落とした。時計の針は、午後2時15分を指し示している。昨日の電話で話した荒木との約束の時間は、午後2時半。ここから川原町にある京大医学部付属病院までの距離を考えれば、出掛けるには確かにちょうどいいくらいの時間だ。
 取り敢えず先刻の話題から解放して貰えることに安堵し、一つ大きく伸びをして、私はゆっくりと立ち上がった。その私に向かって、火村がニヤリと質の良くない笑みを口許に刻む。
「それに、これ以上有栖川先生が妙な譫言を口走らない内に、さっさと片を付けないといけねぇしな」
「な、何が譫言や。さっきからおとなしゅう聴いてれば、戯れ言とか譫言とか。暴言も甚だしいでッ、君」
「戯れ言、譫言が気に入らねぇんなら、寝言だな」
「だーかーらっ、起きてるって言うとるやろッ!」
 声を荒げた私を、火村が正面からじっと凝視した。口許に浮かぶ、火村に似合いのチェシャ猫嗤い。---こういう時の火村は、絶対に碌でもないことを考えているんだ。
 目の前にある男前の顔から逃れるように、私は思わず身体を引いた。
「な、何やねん。何か言いたいことでもあるんか?」
 もう十分からかったんだからいいだろう、と思いながら、喉の奥から声を絞り出す。
「アリス。正気を疑われたくないんなら、ゾンビの話は俺の前だけにしておけよ」
「当たり前や。君以外にはよう言わんわ、そんなこと…」
 私だって、ちゃんと話す相手は選んでいるんだ。火村以外の人間にゾンビが何たらなんて話、死んでもするもんかい。
 怒鳴るように返した私の言葉に、火村は満足そうな笑みを作った。ポンポンと二、三度軽く私の頭を叩き、子供を誉めるようにくしゃくしゃと髪を撫でる。
 ---一体なんやねん、この手は。
 怪訝そうに見つめる私の視界の中で、火村がニヤリと笑った。
「いい子だな、アリス。ホラービデオが怖くて眠れなかったんなら、あんな持って回った譫言で遠回しにじゃなく、はっきりとそう言えよ。俺は優しいからな、いつだって一緒に寝てやるぜ。それにお前がどれだけ寝言を吐こうと、俺は一向に気にしないしな。---まっ、今夜はアリスの気持ちを汲み取って抱いていてやるから、安心して寝言でも譫言でも、何でも好きに言えよ」
「なっ…」
 瞬間、私は返す言葉を失った。呆気にとられたようにポヤンと、目の前の犯罪学者の男前の顔を見つめる。
 何言ってんだ、こいつ。寝言を言ってんのは、お前の方じゃないか。だいたい、いつ、誰が、どこで、ホラービデオが怖いなんて言った。私がいつ、怖くて眠れないから一緒に寝てくれ、なんて頼んだんだ。---遠回しどころか、針の先ほどにもそんなことを思ったことないわっ。
 未だにしつこく私の頭の上に置かれている手を振り払い、私はじっとりと火村を睨みつけた。
「どアホ。誰がそんなこと言っとるっていうんやっ」
「照れるなよ。ほら、アリス。さっさとこの事件を片づけて、二人で楽しい夜を迎えようぜ」
「煩いわいっ! この件が片づいたら、俺はさっさと大阪に戻るからな。楽しい夜を迎えたきゃ、君ひとりで勝手に迎えろっ! んなもん、俺は知らん」
 私の怒鳴り声を背に受けながら、火村はそれを気にした様子もなく楽しげな笑いを残して、悠々と自室をあとにした。


to be continued




NovelsContents