§第1章 無頓着な少女
エランディア領土内にあるという遺跡の探索許可はほどなくして下りた。これを受けて誠たちはさっそく遺跡に向かうことにした。
「すぐに行くとはせっかちじゃのう」
飛行艇の格納庫。ファトラは飛行艇にもたれかかって呆れていた。
「早く見たいですからね。それにしても、ファトラ姫までついてくるなんて思いませんでしたよ」
誠は探索のための器材を飛行艇に積み込んでいる所だ。
「姉上の頼みじゃ。そなたたちの面倒を見るようにと」
ファトラのその言葉に誠は面食らった。
「べっ、別に面倒見られなきゃならないなんてことはないですよ」
「他国の遺跡の探索だから、出土品の扱いとかがややこしい。できるだけこちらに有利にするのがわらわの仕事じゃ」
腕組みして、もっともらしく言うファトラ。
「はぁー、そうなんですか」
「そうとも」
「そんじゃあできるだけこっちに有利にして下さいね」
「ま、まあな」
誠の返答があまりにもあっさりしているので、肩透かしをくらってしまったファトラだった。
「それにしても、なんで菜々美やシェーラまでついてくるのじゃ? あいつらこそ来ても意味がないと思うが…」
あちらでは菜々美とシェーラが何かしている。お泊りセットをせっせと準備しているようだった。その脇では荷物に腰を降ろしているアフラが彼女ら二人に冷たい視線を送っている。ちなみに、アフラも誠の手伝いでついてくる。
「菜々美ちゃんやシェーラさん、行くって言い張ってるんですよ。僕もなんでかは知りませんけど…」
「ふーん…。そなたはそれが何でだか分からんか」
「えー、分かりません。遺跡に興味があるんじゃないでしょうか」
「遺跡に興味ねえ…」
冷めた目で誠を見るファトラ。
そこへアレーレがやってきた。
「ファトラ様、ファトラ様と私の荷物は積み込み終わりました」
「うむ。誠、出発はいつごろになる?」
「えーと、あと30分くらいですね」
「そうか。ではわらわは姉上にあいさつしてこよう。アレーレ、ついて参れ」
「はいっ!」
ファトラはアレーレを連れてルーンの元へ向かった。
「では誠様、行ってらっしゃいませ」
「はい。行ってきます」
ルーンはわざわざ誠たちを見送りに、発着所まで来ていた。
「姉上。わざわざ見送りなどして下さらなくてもいいですのに」
「私は行かれませんし、見送りだけでもしますわ。ファトラ、誠様たちをよろしくお願いします」
「お任せ下さい」
「なんだかファトラ姫が私たちの保護者みたいね…」
菜々美がぼやきの声を入れる。
「まあそんなようなもんじゃ」
「保護者ねえ…」
「保護者ではなくて、同行です。菜々美様、何か困ったことがあったらファトラに言ってやって下さいね」
「それはもう、しっかり使わせて貰います」
にやつきながら言う菜々美。
「商売の手伝いはしてやらんぞ」
「期待してないわよ!」
「じゃあもう出発します。ルーン王女様、行ってきますね」
誠はルーンにお辞儀する。
「はい。行ってらっしゃい」
「姉上、行って参ります」
「はい」
誠たちは飛行艇に乗り込んだ。
そして飛行艇は軽いエンジン音を響かせつつゆるゆると上昇し、目的地へと向けて針路を取る。
ルーンは甲板の上で手を振る誠たちに答えて手を振り、飛行艇が見えなくなるまで見送った。
飛行艇。
操縦者であるアレーレは手慣れた手つきで船を操縦し、飛行艇は滑るように進んでいた。
「そういえば、藤沢たちはおらんのだな」
すっかりくつろいだ様子で、ファトラ。
「ええ。藤沢先生とミーズさんは一緒に登山に出かけてるの」
「ふーん」
誠とアフラは探索の計画を練っている。シェーラと菜々美はすることがなく、暇そうだった。もっとも、それはファトラも同じである。
「ふう…。まあ向こうにつけばおもしろいことの一つもあるじゃろう」
さっさと昼寝することに決めてしまうファトラであった。
次の日の昼前には国境を越えてエランディアに入り、そして夕方には目的地である遺跡近くの町についた。それほど大きな町ではないが、なかなか活気にあふれている。
「はぁー、やっと着きましたぁ」
ずっと飛行艇を操縦しっぱなしだったアレーレは、到着するなり甲板にぐでんと横になってしまった。今、飛行艇は宿屋の近くに停めてある。
「疲れましたぁ。菜々美お姉様、おぶってくれませんかぁ?」
「そういうことはファトラ姫に言いなさいよ」
「わらわは手続きをしにこの国の王宮に行かねばならんからだめじゃ」
「それ本当?」
「本当だとも。遺跡探索を開始することを伝えておかねばならん」
菜々美に向かって書類を見せるファトラ。
「そう…。仕方ないわねえ…」
菜々美はしゃがむと、アレーレに背を向ける。
「わぁい(ハァト)」
アレーレは嬉しそうに菜々美の背中にくっついた。
「ではわらわは書類を出してくる。そなたたちは今日は休んで、明日の朝遺跡に来てくれ。その時に許可証を渡す」
「ファトラ様。私は?」
アレーレが心配そうな声を出す。
「そなたは休んでおれ」
「はあ。ありがとうございます」
「うむ。ではな」
「行ってらっしゃいませ」
ファトラは一人で町の喧騒の中に消えていった。
「ファトラ姫、大丈夫かなあ」
心配そうな誠。
「大丈夫よ。ファトラ姫なら絶対に大丈夫だわ」
力の限り断言する菜々美であった。
「うふふ。菜々美お姉様、夜も一緒に寝ましょうね」
「アレーレ…。私の耳噛むのやめないと落っことすわよ」
「軽く咥えただけですよ」
夜。
「ちぇー。なんで誠様と一緒に寝なきゃならないんですかぁ?」
アレーレはぶつぶつと愚痴をこぼしている。
「仕方ないやろ。菜々美ちゃんとシェーラさんがそうしろって言うんやから」
必死にアレーレをなだめる誠。
アレーレは誠と一緒に寝ることとなっていた。ちなみに、菜々美とシェーラとアフラは別の部屋で一緒に寝ている。
「んもう。菜々美お姉様もシェーラお姉様もアフラお姉様も恥ずかしがり屋なんだから。――でも、ひょっとして……」
「なんやの?」
うんざりした様子で訊く誠。と、突然アレーレはすっくと立ち上がった。
「ああっ! ひょっとして菜々美お姉様たちは私の知らない所でいいことをしているんではっ!? ああーーっ! そんなことがぁっ!」
両手を頬に当て、絶叫するアレーレ。
「ちょ、ちょっとアレーレ!?」
アレーレは全速力で部屋を出ようとする。が、すでに扉は菜々美たちによって細工されており、開くことはなかった。
次の日の朝。
誠たちは予定通り遺跡に到着した。小高い山などがある森の一角の開けた場所だ。
「ここがそうどすか」
アフラは地図を見て、場所に誤りがないことを確認する。
あたりはただの丘のようにしか見えず、先エルハザード文明の遺跡について詳しい者でないとそうとは分からない。
「ええ。手つかずの遺跡です」
「手つかずの遺跡なんて珍しいどすな」
「そうですね。結構みんな研究してるみたいですもんね」
先エルハザード文明の遺物の中には有用なものも多数含まれているため、各国とも遺跡を熱心に研究していた。
「しかし、他国の遺跡の探索許可がよく下りたもんどすな」
「ええ。エランディアに場所を教える替わりにロシュタリアが調査権をとったんですよ」
「なるほど。そういうわけどすか」
しばらくすると、ファトラが歩きでやってきた。
「よう。許可を取ってきてやったぞ」
「ありがとうございます、ファトラ姫」
ファトラは誠に正式な許可証を渡す。
「さてと。とりあえずわらわの仕事はこれで終わりじゃな」
「まあそうですね」
「じゃあさっそく探索を始めまひょ」
アフラが誠を急かす。
「そうですね。じゃあ僕たちは遺跡を探索していますんで、ファトラ姫は自由にしていて下さい」
「言われなくても自由にしておるわ」
「は、はあ…」
こうして誠たちは遺跡の探査に取り掛かった。
誠とアフラは遺跡への入り口を見つけると、中へ入っていく。勝手知ったる何とやらで、二人はあたかもそこが自分の住まいであるかの如く手際よく内部を調査していく。菜々美とシェーラはといえば、自分たちに分かることはごく少ないし、手伝えることはといえば、力仕事くらいだった。
結局、菜々美は昼の用意をすることにした。シェーラもそれについてくる。
「何よ。あんたは別に手伝ってくれなくてもいいわよ」
菜々美は飛行艇から簡易調理器具を降ろし、組み立てを始めている。彼女はシェーラを冷たい目で見やる。
「いいじゃねえか別に。あたいだってすることねえんだから」
「誠ちゃんたちの手伝いは? あんた力仕事なら向いてるでしょ?」
「あたいは…その……。誠たちの邪魔になっちゃ悪いと思って…」
歯切れの悪いシェーラ。彼女は少しでも誠の役に立とうと力仕事を申し出たのだが、誠があまりいい顔をしなかったのでやむなく引き上げてきたのだった。
「ふーん。で、あんた料理はできるの?」
「その…できねえ……」
エメラルドグリーンの瞳を陰らせるシェーラ。
「何を手伝うの?」
菜々美は冷たい声を放つ。シェーラはうんうん唸っていたが、やがて手伝えることを見つけた。
「……おう! 火なら出せるぜ! バーベキューができるぞ!」
シェーラは自慢のランプを発動させると、炎を噴射してみせる。
「うーん…。じゃあバーベキューやるから、町へ行って材料を買ってきてちょうだい」
「おう! 行ってくるぜ!」
かけ声一番、シェーラは猛然とダッシュして町へ向かってしまった。
「あの速さならお昼には間に合うわね。さてと。私も準備しよっと」
菜々美は昼食の準備を始めた。
シェーラはあっという間に町につき、肉を買い込んでいた。
「あと酒だな。酒がいるぜ」
酒屋を目指すシェーラ。
そしてそれを見ている人影があった。
「あれは大神官の一人、シェーラ・シェーラだな。あやつがここにいるということは、おそらくは水原誠もここにいるだろう。やはり情報は正しかったわけだ」
七三分けで目つきが異様にギラギラしたその男は満足げにうなずく。
「よし。あいつを引っ捕らえて、人質にするぞ」
そう言うと、その男は暗がりに姿を消した。
シェーラは酒を買い終えて、帰路を急いでいた。あたりは野原で、誰もいない。
と、そこへ――
「ふははははははぁっ!!」
突如として2体の影が現れる。一つは人間の形をした人影。もう一つは人間ではない、異形の形をした影。
「な、なんだてめえらはっ!?」
シェーラは二つの影へ向かって誰何(スイカ)の声を浴びせる。
「炎の大神官、シェーラ・シェーラ! 貴様を引っ捕らえるから覚悟しろ!」
「おもしれえ! やれるもんならやってみやがれ!」
シェーラは荷物を下ろすと、ファイティングポーズをとる。発火石からは炎が吹き出した。
「ゆくぞ!」
「おう!」
数分後、あたりは焼け野原になり、黒こげの陣内とカツオが打ち捨てられていた。
太陽がその角度を徐々にあげてゆき、あと少しで一番高くなるという頃。
菜々美の料理はあと少しで完成という所まできていた。
「うーん、いい匂い。あとはシェーラがバーベキューの材料買ってくるのを待つだけね」
その瞬間。
「あのー、すみません」
突然背後から声をかけられた。
「なっ、なに!? なんなの!?」
びっくりして、慌てる菜々美。うっかり包丁を取り落としそうになった。
後ろを振り向くと、そこにはやや小柄で華奢な少女が立っていた。薄く微笑んでいながらどことなく冷たい感じがする、そんな少女。年の頃は菜々美より少し下といった所か。こんな森の中に現れるには不似合いな衣装をしており、どちらかというとお嬢様といった雰囲気だと菜々美は思った。
「あんた誰?」
「私ですか?」
「ここには私とあんたしかいないじゃない」
誠とアフラは遺跡の中だし、ファトラとアレーレは近くの湖で水浴びをしている。
「そうですね。――私はリースといいます」
「ふーん。で、何の用?」
別に彼女の名前に興味はない。菜々美は早急に用件を訊いた。
「はい。ファトラという人がこちらにいると伺ったのですが…」
「ああ。ファトラ姫なら向こうの湖で水浴びしてるわよ」
湖の方を指差す菜々美。
「そうですか。ありがとうございます」
子供っぽい微笑みを浮かべる少女。
と、ちょうどそこへファトラとアレーレが戻ってきた。
「ああ、ファトラ姫」
少女はファトラの元へと駆け寄る。
「あっ、リース! 来てしまったのか!」
リースを見て、ファトラはびっくりした。
「だって来たかったんですもん」
リースはファトラに寄り添おうとする。ファトラは困ったような顔をしていた。アレーレは好色そうな目でリースを見ている。
「ねえファトラ姫。その子あんたの愛人?」
ファトラに訊く菜々美。
「違う」
「…………」
虚を突かれたような表情をする菜々美。
今度は少女の方に問う。
「あんた、年いくつ?」
「15です」
さらにファトラに問う。
「ファトラ姫は年いくつ?」
「17じゃ」
「ちなみに私は15です」
と、これはアレーレ。
そして菜々美は二人を見比べる。一方は青緑の髪に薄紫の瞳。もう一方は濡れ羽色の髪に茶色の瞳。
菜々美はしばらく考え込んだのち、結論を出した。ファトラから距離を取り、信じられないといった表情をする。
「2歳の時にもう子供を産むなんて……」
それを聞いて、ファトラはずっこけそうになった。
「違うわ! リース、説明してやれ」
「はい。――私はエランディア現女王、リース・ミュウハ・エランディアです」
「え? ええーーーっ!!?? あんたがこの国の女王!?」
「まあそういうことになってます」
愛想笑いを浮かべるリース。
「はえーー」
惚けたような表情を見せる菜々美。とてもそうは見えないと言うのだけはやめておいた。
「ところで、なんでそなたはここにいるのじゃ?」
ファトラがリースに尋ねる。リースには昨日エランディア王宮で会っていた。その時にはリースは用があったので短い時間しか話せなかったが。
「昨日遺跡のこと話してくれたでしょ。それで見たいと思いまして…」
「一人で?」
「近くの別荘から一人で来たんですよ。別荘には母様もいます」
「ほほう」
「遺跡見せて下さいよ。視察申請もありますよ」
エランディア現女王はファトラに書類を渡す。書類はいかにもお手軽に作られたというようなものだったが、立派に効力を発揮するものだった。おそらくは書類の書き方に詳しい人間が適当に作ったのだろう。
「ふーん。ま、別にこんなものなくても見るのは構わんぞ」
「そうですか」
そっけなく答えるリース。
菜々美はファトラとリースを観察していた。どちらも統治者らしくないが、どちらも統治者だ。ふと、ルーンの言葉を思い出した。
――困ったことがあったらファトラが解決する。
今まさに、目の前で困ったことが起きていた。一国の女王なんて人間にこんなに気軽に来られては、こっちは気が気でないではないか。
ここはもうファトラに頼るしかないなと思う菜々美であった。
それからすぐ誠たちが戻ってきて、昼食となった。
酒を買ってきたシェーラに対して菜々美は怒ったが、誠が仲裁した。誠はエランディア女王の突然の来訪に驚いたが、ファトラが事情を説明し事なきを得た。アフラは冷めた目をしているだけで何も言わない。シェーラは菜々美と同感であった。
酒はシェーラとファトラによってほとんど平らげられた。
昼食後、再び遺跡の探索が開始された。ファトラはリースに遺跡の中を見せてやった。ファトラも先エルハザード文明のことには詳しい方なので、素人に説明するくらいは訳はない。
遺跡の中は一応は建築物の体裁を保ってはいるものの、内装は剥がれ、地下水が流れ出していた。そしてそこかしこに朽ち果てた遺物が転がっている。
リースは遺跡の出自などよりも、どんな遺物が残っているかの方に興味があったらしい。
その後、アフラが説明したそうな顔をしていたので、アフラに説明を頼んだ。
「この遺跡は過去の大戦においては砦として使用されたようどす。かなり大きな砦だったようどすが、地上部分は大戦時に破壊されてしまったらしく、今は地下部分しか残っておりまへん。今まで発見されなかったのは地上部分がほとんど目に触れなかったからどすな。――この遺跡は砦として使用されていたこともあって、武器と見られる物がたくさん出土しとります。もっとも、ほとんどの物は壊れていて使えまへんけどな。中には凄い物もあるみたいどす」
楽しそうな様子で説明するアフラ。リースとファトラは行儀よく説明を聞いていた。アレーレは菜々美とシェーラにちょっかいを出しにいっている。
「凄い物ってどんな物ですか?」
「うーん…、単に強力な兵器とかじゃなくて、おかしな兵器どすな」
「おかしな兵器ってどんな?」
「うーん……、その、使い方が普通じゃないんどすよ。うちらもまだ今日ここに来たばかりなんで、詳しいことはまだ分かりまへん」
「そうですか」
「そうどす」
さすがに説明のしようがなくなって、冷や汗混じりのアフラだった。
日が暮れた頃、本日の探索は終了ということになり、続きは明日ということになった。
誠たちは宿屋へ帰り、明日に備える。
ファトラはリースを連れて、夜の歓楽街に繰り出すことにした。遺跡近くの町では大した娯楽がないので、乗り合いのクルーザーを使って大きな街へ行く。そこで芝居を見たり、食事をしたりして遊びまくった。今まで経験したことのないことばかりで戸惑うことも多かったリースだが、すぐ慣れて、多少ぎこちなくもファトラと一緒に娯楽を楽しんだ。
今、ファトラはリースに酒の飲み方を教えてやっていた。
金持ち相手の高級な飲み屋。しかし、一国の女王と王女が同じテーブルを挟んで座っているとは誰も世にも思わないだろう。
「少しずつ飲んで、体の調子がどう変わるか確かめる。そうすればそのうち自分にちょうどいい量が分かってくる」
リースの目の前に置かれた杯に酒を注いでやるファトラ。
「そうですか」
リースは杯を両手で持つと、興味深げに一口すする。
「……あんまりおいしくないですね」
片眉を傾げ、期待外れだという表情をするリース。
「慣れればうまくなる。それは庶民ではそうは飲めん酒じゃぞ」
そう言いつつ、ファトラも一杯やる。
「――そういえば、なんで遺跡の視察になんかきたのじゃ? 別にそう楽しいものとは思えんが…」
「それですか。――遺跡の視察は口実で、実際には休暇に来てるんですよ。だから母様は別荘にいるんです。通常決められているお休みだけじゃ少なすぎますからね」
「ふーん。視察を口実に休暇ねえ…」
「あなたなんかしょっちゅう遊び回ってるそうじゃないですか。こっちにまで評判が聞こえてきますよ」
「うっ…。あれは半分くらいは確かに遊びだが、秘密裏に動いている場合もあるのじゃよ」
目を逸らし、もごもごと口ごもるファトラ。
「隠密活動ってやつですか?」
「そうだとも」
「人を殺したりとか?」
テーブルから身を乗り出して、ファトラに顔を近づけるリース。薄紫の瞳が好奇の色に輝いていた。
「……ノーコメントじゃ」
さすがに相手が隣国の女王では、あまりやすやすと質問に受け答えするわけにもいかなかった。
「そうですか」
肩を落として、椅子に腰かけ直すリース。
「そなたはこの国の女王になったのであろう? なにかこう、女王の威厳というものはないのか?」
やり返すべく、やや強い口調で言うファトラ。しかしそれを聞いてリースはくすくすと笑った。
「なんじゃ。何がおかしい?」
「ご存じないんですか? この国には確かに国を治める王族がいますけど、そんなたいしたことないんですよ。――そりゃまあ、たいしたことないと言えば嘘になりますけどね。私の仕事なんて国民向けのパフォーマンスくらいだから、これでいいんですよ。子供らしく愛らしく、スピーチはねえやたちが作ったのを読んでいれば、それが一番いいんですよ」
微笑んでいるのに優しい印象を与えない。リースはそんな表情で喋る。
「ふん」
ファトラにとってはあまり気分のいい解答ではなかった。
誠たちが泊まっている宿屋。
もうみんな寝静まって、今日の疲れをほぐしていた。
と、そこへ二つの影。またしても、一つは人間の形をした人影。もう一つは人間ではない、異形の形をした影。
「ふふふ。水原誠たちはここに泊まっているのだな。水原誠に遺跡を探索させ、私はその成果を頂く。まさに完璧な作戦だ」
ほっかむりをしたした陣内は、同じくほっかむりをしたカツオと共に宿屋へ侵入する。
それと同じくして、もう一つの人影が宿屋の外壁に貼りついていた。
「ふうむ…。水原誠が寝ている部屋はここかな…?」
宿屋の2階。陣内は適当な目星をつけると、扉を慎重に開ける。
月明かりに照らされて、室内の様子がうっすらと見えた。中では何人かが寝ているようだ。それに、なにやらごたごたとした荷物が置かれている。
「あれか? よし!」
足音を忍ばせ、室内へ侵入する。目指すは先エルハザード文明の遺物。誠が見つけ出したであろうそれを頂くのだ。
と、窓から別の人影が入ってきた。
「むむう! 誰か私の先を越そうとしている者がいるな。そうはさせん!」
荷物へ向かってダッシュをかける陣内。
相手の人影は荷物へ向かうことはせず、寝ている人間の布団に潜り込もうとした。
次の瞬間――
「きゃあああぁぁっ!! なにすんどすかぁ!!」
「ああん、アフラお姉様ぁ!」
部屋中に女の金切り声が響き渡り、全員が目を覚ます。
「アレーレ、何するんどすかぁ!?」
「アレーレは独り寝の夜が寂しいのですぅ。同衾させて下さいましぃ」
アレーレはアフラの胸に顔を埋め、鼻にかかった声をあげる。
「そないなことはファトラ姫としなはれ!」
「ファトラ様はリース女王と一緒に遊びに行かれてるからいないんですぅ」
アフラは力の限りアレーレを引き剥がそうとする。対するアレーレも全力でアフラにしがみつく。
と、菜々美が陣内がいることに気づいた。
「あー、お兄ちゃん! なんでここにいるの!」
陣内はちょうど荷物に手をかけている所だった。
「むむう、まずい!」
やむを得ず、手に持っていた一つだけを持って逃げようとする陣内。
「あ、ちょっと! それ返しなさいよ!」
「ふははははっ!! これは貰っていくぞ!」
陣内は素晴らしい逃げ足の速さで部屋を脱出する。
菜々美は陣内を追おうとしたが、布団に足を取られて悲鳴と共に転んだ。
「あたいに任せろ!」
シェーラは方術のランプを引っ掴むと、夜着のまま部屋を飛び出す。その直後、1階から爆音が聞こえてきた。建物全体がびりびりと震え、空気の振動が耳をつんざく。
菜々美やアフラたちは悲鳴を上げた。
「あっ! リース、そなた全部飲んでしまいおったな!」
酒瓶を振ってみると、中身は空になっていた。リースはファトラが渡した酒をいつの間にか全部飲み干してしまっていたのだ。
リースは目をとろんとさせて、顔を紅潮させている。吐く息は酒くさかった。
「しまったー…。うっかり目を離してたらこんなことに…」
掌を顔に当て、苦悩するファトラ。一方、リースの方は気持ちよさそうな顔をして、ファトラに色目を使う。
「ふふ…。これ飲むとなんかいい気持ちになりますね…」
妖婦のような妖艶な笑みでファトラに笑いかけるリース。
「いい気持ちになるのは構わんが、飲み過ぎじゃ。悪酔いするぞ」
ファトラは酒瓶の角でリースを軽くこづく。
「飲ませたのはあなたじゃないですかぁ」
「誰も全部飲めとは言っておらん。まったくもう…。今夜はもうこれで帰るぞ」
ファトラは椅子から立ち上がると、リースの腕を掴んで彼女も立ち上がらせようとする。
「えー、もっと遊びましょうよお」
そういいつつもすんなりとファトラに従うリース。ただし、足取りは完全に千鳥足になっていた。転びそうになった所をファトラに助けられ、そのままくてんとファトラにしなだれかかる。
仕方なく、ファトラはリースをおぶってやることにした。リースに背中を向けてしゃがみ、彼女の腕を自分の首に巻きつけようとする。しかしリースはなぜかそれを嫌がる。
「こら。大人しくせんか」
「私 人におんぶして欲しくないです。母様にされるのがいいな…」
「あー、もう!」
地団駄踏むファトラ。
「ごちゃごちゃ言ってると置いていってしまうぞ。わらわは気が短いんじゃ」
「それはちょっとまずいですねえ…」
リースはファトラのイライラなど物ともしない。
ファトラがリースを無理矢理連れ帰ることに決めたちょうどその時――
「おや。リース女王にファトラ姫ではございませんか」
唐突に背後から声がかかる。温厚で、耳に心地よくすらある男の声。
振り向くと、そこには男がいた。年は30歳前後だろう。すました顔に鋭い目つきをしている。
「ああ、マーチス殿。ここで会うのは初めてですね」
リースはファトラの背中から顔を出し、男にあいさつする。
「ご機嫌麗しゅうリース女王。このような場所で会おうとはお珍しい。ファトラ姫、久しぶりにお会いしますな」
「ああ…。久しぶりじゃな。そなた、エランディア繊維ギルドのギルド長になったそうじゃないか」
リースをかばうようにし、油断なく喋るファトラ。エランディア繊維ギルドはエランディアにおける最重要産業である、糸や布地の生産を全て牛耳っており、官憲にも匹敵する大変大きな地位を持っていた。
「よくご存じでいらっしゃいます。先代めが何者かによって謀殺され、私めがギルド長になった次第にございます」
「知っておる。災難であったな」
「お気遣い頂き恐縮にございます。――よろしければ、一杯おごらせては頂けないでしょうか?」
言葉遣いはあくまで丁寧で人当たりもよいが、その雰囲気は百戦錬磨の強者というふうだ。ファトラにしても、相手にとって不足はない。国家間の政(マツリゴト)においてはこれくらいの相手を捌けないようではやっていけない。
「それにはおよばん。わらわたちはもうこれから帰る所じゃ」
「それではお送り致しましょう」
「結構。自分たちで帰れる」
「女性だけで夜中に外出されるのは危険にございます。特にそれが美しい御方であるならばなおさらのことにございます」
「いらんと言っておろう」
その時、ファトラにかばわれていたリースは、ファトラを押しのけて頼りない足取りでマーチスの前に出た。
ファトラはリースが何かまずいことをやらかさないかとひやひやする。
「マーチス殿。余計な心配は無用ですよ」
公のときによく見せる、甘い目つきと冷たい口許で喋るリース。口調はしっかりとしている。
「左様にございますか」
「ええ。では私たちはこれで。――さようなら、マーチス殿」
リースはファトラに体を支えてもらう。
「はい。ではご機嫌よう」
「さらばじゃ」
ファトラとリースは飲み屋を後にした。
あと2〜3時間で夜が明けるという頃、ファトラはリースを背中におぶりながらやっとの思いで宿屋のある町に到着した。リースはすやすやと軽い寝息を立てて、ファトラに全体重を預けている。リースは飲み屋を出た次の瞬間、おやすみなさいと言って眠ってしまったのだった。
「あー、重い。重くてしょうがない。こんなことなら連れ出すんじゃなかった」
月明かりの中をぐちぐちと不平を垂れながら歩くファトラ。ファトラも体力には自信のある方だったが、一晩中遊んだ後、人一人をおぶって歩くなんてことをすれば、いくらなんでも限界が見える。
酒のせいでいまいち思考力が鈍っている頭で、ファトラはさっきのことを考えていた。繊維工業はエランディアの主要産業であり、エランディアはほとんどこれで食っている。しかし生産は全て繊維ギルドが管理しており、その地位はとてつもない。官憲はこれを抑えるために繊維工業を官業化しようとしているが、それは不可能な状態だ。そこでエランディアの貴族たちは貴族連盟を作ってこれに対抗していた。王家も貴族連盟に属している。すなわち、リースにとっての最大の政敵がさっきのマーチスなのだ。
今のリースにとってはマーチスは荷が重いようにファトラには思えた。もっともリースには摂政がいるから大丈夫なのだろうが…。それに、酒に酔っているとはいえ自分から相手の前に進み出るとはなかなか見所があるようにファトラには思えた。
「……大物になるかもな」
自分と同じ道を進む少女に、ファトラは親近感を感じていた。彼女となら悩みを共有できるような気がした。
ようやく宿屋の手前にまでこれた。
「おや。なんじゃこれは?」
一瞬場所を間違えたかと思ったが、そこは紛れもなく誠たちが泊まっている宿だった。ただし、原形がいささか崩れてはいるが。
あちこちの壁に穴が開き、半分崩れかかっていた。見ると、外で宿屋の支配人と菜々美が大声でやりあっている。そしてシェーラが気まずそうな顔でそれを見守っていた。しかもみんな夜着のままだ。
「あ、ファトラ様! お帰りなさいませ!」
こちらに気づいたアレーレが駆け足で寄ってくる。
「うむ。これはどうしたのじゃ?」
「はい。バグロムの親玉が盗みに入りまして、それをシェーラお姉様が追っ払ったら、宿屋が壊れたんです」
「要するにシェーラが壊したのか」
「その通りです」
「ふーん。ま、わらわの知ったこっちゃないが…。――それよりも、こやつをおぶるのを代わってくれ」
「え、はい」
いまだ熟睡しているリースをアレーレは受け取る。ファトラはおぶるのを手伝ってやった。もっとも、アレーレがリースをおぶると身長が足りないせいでリースの足を地面に引きずってしまった。
陣内はシェーラの炎によって焦がされながらも、前線基地までなんとか逃げ延びた。
「ふう……。やっと落ち着いたわ」
彼の目の前には誠の所から奪ってきた戦利品がある。陣内はそれを満足げな笑みで見つめていた。
リュックが一つ。中には先エルハザードの遺物が詰まっている。
「くっくっくっ。これだけしか持ってこれんかったが、まあいい。さっそく中身を確かめるぞ」
カツオが汲んだ茶を片手に、陣内はリュックを開ける。
「むむう。中身に間違いはないな」
とりあえず、中身がただのゴミだったとかいう最悪のオチだけは回避された。陣内は中身をちゃぶ台の上に乗せていく。
「何か使えそうな物はないか…。うーん、これなんかまだ使えそうだな」
鎧のようなものがあった。一組揃っているようだ。
陣内は試しにそれを着てみた。
「むむーん…。なんだか強くなったような気がするぞ」
壁の方に向き直る陣内。
「――でやあっ!!」
陣内はかけ声とともに壁に正拳を放った。
「……く…くく……くくぅ……。いだああぁぁーーいっ!! 痛い! 痛い!」
拳を押さえながら床を転げ回る陣内。壁には傷一つついてなかった。
「ぬおおぉぉっ! 不良品ではないか! 水原誠の奴め、不良品を掴ませおって! 許せん!!」
陣内は理不尽な怒りに顔を真っ赤にする。
と、カツオがリュックの中に最後に残っていた遺物を取り出した。箱型で、何やらスイッチや計器のような物がたくさんついている。
「なんだカツオ。お前にそれの使い方が分かるのか?」
「ゲギョッ」
カツオはその中でも最も目につくボタンを押してみた。
と――
「む。む? むおおぉぉっ!?」
陣内は突如として不思議な感覚に包まれた。
「むおっ!? むおっ!? おおおぉぉっ!?」
気がつくと、鎧が鈍い光を放っている。
「力が! 体全体に力が溢れてくる!! おおおぉぉっ!!」
あまりに強烈な感覚に、拮抗しきれなくなる陣内。思わず腕を振り回し、それが偶然壁に当たった。
――次の瞬間、壁は一瞬にして粉砕された。
結局、陣内は基地が全て崩壊するまで暴れたのだった。
次の章へ