§第2章  遺跡に潜む怪奇


 次の日。
 宿屋の件はなんとかかたをつけて、誠たちは再び遺跡の探索をしていた。
「あー、もう本当に参ったわねえ…」
 ただひたすらぼやく菜々美。その後ろではシェーラが神妙な顔をしていた。二人は昼食の準備をしている。
「その…すまねえ……。あたいは誠が見つけた物を盗られたくなかったから…」
「……その気持ちは分かるけど、やりすぎよ。財布がすっかり軽くなっちゃったわ」
 菜々美の大きながま口はすっかり軽くなってしまっていた。宿屋の弁償のための費用を立て替えたためである。もちろん、遺跡探索の費用として後できっちりロシュタリアに請求するつもりだが。――ファトラも文句は言わなかったし。
 誠とアフラは遺跡の内部で探索を行っていた。菜々美とシェーラにしてみれば、誠と他の女が密室に二人きりという状況は歓迎できるものではなかった。しかし下手にしゃしゃり出ても誠の印象を悪くするだけだと思い、今は自重しているのだった。もっとも、チャンスがあればすぐに割り込むつもりだが。
 せめてもの救いは、アフラが誠に対して特別な関心を抱いてはいないということだった。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 ファトラとリースは昨晩の疲れから、日が高くなり始めた頃にもまだぐっすり眠っていた。崩れかけた宿屋で…。本当はリースの別荘で寝ようと思ったのだが、別荘まで行くだけの気力がなかったのである。ちなみにアレーレも一緒にくっついている。
 3人は薄着になって、一つの布団で寄り添うように眠っていた。布団は薄っぺらく、体が痛くなるが、今の状態ではあまり贅沢は言っていられない。
 と、何者がファトラの体を揺する。ファトラの頭の中で、意識がわずかに目を覚ました。
「うぅん……」
 それを払いのけるような動作をし、寝返りを打つファトラ。が、何者はファトラの体をさらに揺する。
「……ラ姫。ファトラ姫……」
 何やら声も聞こえてきた。
「…ぅん……誰じゃ…?」
 ファトラは目を開けることはせず、緩慢な口調で訊く。
「ファトラ姫。起きて下さい」
「うん?」
 聞き覚えのある声に、ファトラは目を開いた。20歳半ばくらいの髪の長い女が目の前にいる。ずばり、隣で寝ている少女の摂政、ニーナであった。彼女は何やら不機嫌な表情をしている。
「あー、こんな所で会うとは奇遇じゃのう…」
 横になったまま、ファトラはニーナにあいさつを交わす。
「奇遇じゃありません。リースちゃんがいつになっても帰ってこないもんだから、探しに来たんですよ」
「安心せい。リースはこの通り無事じゃ」
 ファトラは隣で寝ているエランディア女王を指差す。
「……こんな崩れかけたような宿屋に泊めて…」
「昨日さんざん遊びまくって疲れておったし、別荘に戻るだけの気力がなかったのじゃよ。この宿屋が崩れているのは夜中に騒ぎが会ったせいじゃ」
 ファトラは起き上がると、アレーレを起こして身仕度を始めた。疲れも酔いもすでに抜けている。
 ニーナは改めてファトラにあいさつすると、事情を説明した。リースの母親が別荘で待っている。早く帰らないと母親が心配すると。
「ふーん。そんなら連れて帰ればよかろう」
「もちろんですとも」
 ニーナはリースを起こし始める。しかしリースはなかなか起きない。昨日酒を大量に飲んだせいだろう。
 結局ファトラとアレーレも手伝って、3人がかりで起こすこととなった。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 誠とアフラは遺跡のかなり奥の方に来ていた。深さは地下数十メートルといった所だろう。もし崩落が起きれば、まず助からないと思われた。
「深い所どすなあ…」
 アフラは感心したような様子で周囲を眺める。この階層は遺跡の自重で歪んでいるらしく、壁や床にはゆるやかな起伏が見られる。
「こんな所でも酸素があるということは、この遺跡が完全に機能停止したというわけではないということのようですね」
「そのようどすな。でも、早く出たいもんどす」
「こんな所で落盤が起きたりしたら、イチコロですもんね」
 笑いながら言う誠。
「不吉なこと言わんでおくれやす。さっさと調べまひょ」
 嫌な想像に、アフラは眉根を寄せる。
「そうですね」
 二人は壁などを調べながら、廊下をさらに奥の方に進んだ。
「あ、ひらけた所が見えてきましたよ」
 歩く先に大きな空間があることが見てとれる。
「しっ。誠はん。誰かいまっせ」
 アフラは大神官として研ぎ澄まされてきた感覚で、何者かの存在を感じ取った。彼女は誠を制し、その何者かに神経を集中させる。
「え、そんな…? こんな所に?」
「空気の流れで分かります。何でかは分からんけど、誰かいる。うちも信じられまへんけど…」
 アフラは慎重に歩を進める。誠もその後に続いた。
 一歩一歩確実に歩を進める。
 歩くごとに感覚が強くなってくることに、アフラは何者かがいるという確信を深めていった。
 ついに広間らしき場所についた。
 すると――
「ふはははははっ、水原誠!! 今日という今日こそは貴様に引導をくれてやるぞ!!」
 唐突に、遺跡一杯に大声が鳴り響いた。アフラと誠は思わず耳を塞ぐ。
「陣内! 陣内やないか!」
「そうだ。私だ。久しぶりだな!」
 広間の最奥で、陣内は両腕を腰に当てて高笑いしている。彼は何やら奇妙な鎧のようなものをつけていた。その隣にはカツオもいる。
「お前、昨日僕らん所に盗みに入ったやろ!」
「ああ、入ったとも! 素晴らしい物を頂いたぞ! 見ろ、これだ!」
 陣内は着ている鎧を誇らしげに見せる。
「それは僕らが見つけたんやで! 返すんや!」
「ほほう。返して欲しくば、力ずくで取ってみせるんだな。いくぞ!!」
 言うが早いか、陣内は誠に向かってくる。それは猛烈なスピードだった。アフラは誠の腕を引っ張り、陣内の攻撃をかわさせる。
 空振りした陣内は惰性でいくらか進んだあと止まり、こちらを振り向いた。
「ふ。その女のおかげで命拾いしたな誠」
「その遺物の力どすな!」
 陣内に向かって叫ぶアフラ。
「その通りだ。実にいい物を手に入れたよ!」
「誠はん。隠れていなはれ」
 アフラは陣内に向かって身構えた。誠は素直にアフラの言葉に従い、物陰に隠れる。
「よかろう。ちょうどこの鎧の性能を試したかった所なのだ」
 陣内もアフラに向かって身構える。
 そして次の瞬間、陣内の鎧の胸の部分から熱線が放たれた。アフラはそれを間一髪でかわす。的を外した熱線は壁にあたり、遺跡全体をゆるがせるほどの爆発を起こした。その威力に、アフラと誠は目を見張る。イフリータに比べれば大したことないが、それでも大変な破壊力だ。
「そらそら! まだいくぞお!」
 陣内は高速で移動しながらさらに撃ってくる。さすがのアフラもこうも連続で攻撃を仕掛けられてきては躱すのが精一杯で、反撃の糸口が掴めない。アフラの風の方術はこのような屋内ではその能力を十分に発揮できなかった。風の方術の力を十分に出し切るには、広い空間が必要なのだ。
「誠はん! いったん外に出ますえ!」
「えっ!?」
 アフラはいきなり誠を抱えると、方術を使って宙に浮いた。そして元来た通路を一目散に滑るように飛んでいく。
「待て! 逃がさんぞ!」
 陣内もすぐにそれを追った。

 本来、飛行の方術は屋内では使わない。壁や天井に衝突する危険があるからだ。しかし今はそんなことは言っていられなかった。
 ただでさえ狭く、障害物が邪魔をしている通路をかなりの速度で飛行する。時折壁や天井と接触するものの、さっきの陣内の移動速度を考えると速度をゆるめるわけにはいかなかった。
 湿気たような空気は呼吸するには息苦しいし、衝突による痛みは方術の制御の邪魔になる。耳には陣内と思われる足音が響いていた。距離はそう遠くない。
「アフラさん! どうするんですか!?」
「いったん外に出て、体勢を立て直します! この中ではこっちの方が不利どす!」
 方術の制御に細心の注意を払い、アフラは遺跡の出口を目指す。
 不意に、足首を掴まれた。ぎょっとして後ろを見ようとするが、それよりも早く躰が大きく波打つ。足を折られないようにするのが精一杯で、誠や方術の制御に構っていられる余裕はなかった。
 誠を適当に放り出し、方術の制御も絶って、受け身の体勢を取る。
 派手に壁に叩きつけられ、意識が明滅した。痛みで呼吸ができなくなり、知覚が大きく鈍る。
「ふひゃはははははっ!! どうだ、恐れ入ったか!!」
 アフラのダメージがかなり大きいのを確認して、陣内は満足げに笑う。
 誠は頭を強打したらしく、廊下のまん中で半分失神していた。
 床の上で、アフラはうつ伏せに横たわりながら顔だけ陣内の方へ向ける。
「ぅ、うちらをどないするつもりどすか?」
「お前には用はない。用があるのはそっちの水原誠の方だ」
 誠を指差す陣内。
 と、物音を聞きつけて、シェーラと菜々美がやってきた。
「てめえ! また出やがったな!」
 シェーラはアフラがやられているのを見て驚いたが、相手が陣内と知ってすぐに彼と向かい合った。アフラと誠をやられた怒りで彼女の髪は逆立つばかりとなり、火炎石が真っ赤な光と炎を放つ。
「ふ。昨夜は不覚をとったが、今日は負けんぞ!」
「なにをーっ!」
 叫び声と同時にシェーラは大がかりな方術を放つ。膨大な量の炎が陣内を襲い、彼を包み込んだ。
「やったぜ! 黒こげだ!」
 ガッツポーズをとるシェーラ。
 が、炎が収まった時、陣内はまだそこに立っていた。
「なっ!? そんな…馬鹿な……」
 シェーラは息を呑み、信じられないといった様子で陣内を見る。彼は煤だらけになってはいるものの、大したダメージは受けていないようだった。
「やってくれたな。ではお返しだ!」
 陣内は膨大な熱線を放った。シェーラはそれを何とかよける。が、よけた先には驚くべきスピードで陣内が先回りしていた。
 シェーラは体をねじって何とか体勢を立て直そうとするが、間に合わない。陣内は彼女のみぞおちに強烈な一撃を入れた。
 声――というより、空気が肺から無理矢理押し出されるような音を立て、シェーラは床にくずおれる。
「ふははははっ! どうやら私の勝ちのようだな」
 アフラに続いてシェーラも倒し、陣内は満足げに笑った。
 シェーラは床の上で体を丸くし、必死に傷みに耐えている。消え入りそうになる意識を繋ぎ止めておくだけで精一杯だった。
「さて…と」
 陣内は誠の方に向き直る。誠はすでに意識を回復していた。
「な、なによ。誠ちゃんに何するつもり?」
 誠を介抱していた菜々美は気丈に陣内を睨みつける。
 陣内は誠の方に近づいてきた。アフラは地面に座りこむようにして、陣内の様子をうかがっている。
「水原誠…。お前を倒す日をどれほど夢見たことか…」
 陣内は誠の腕を取ろうとする。菜々美はそれに抵抗したが、あっさり撥ね除けられてしまった。
「やめてよ! 誠ちゃんに何すんのよ! 放しなさいよ!」
 菜々美は陣内の頭や体をぽかぽか殴るが、陣内は一向に気にしない。
「陣内…。お前は何しにここに来たんや?」
「無論、お前を倒すため。私はお前を倒すためにここにいる。お前に私への敗北を認めさせ、私はお前を越えるのだ」
 目をぎらぎらさせながら喋る陣内。
「…………」
 誠は陣内の腕を取った。瞬間、二人は異様な感覚に包まれる。
「んっ!? んおおおぉぉっ!!」
 鎧を着けた時とはまた異なる不思議な感覚に、陣内は思わず体をのけぞらせた。誠は自分のシンクロ能力を使って、陣内の着ている鎧にシンクロしたのだ。
「みんな、早く逃げるんや!」
 誠は菜々美たちに向かって叫ぶ。
「え? え?」
 菜々美はどうしていいのか分からず、うろたえている。
「誠はんはどうするんどすか?」
 アフラは素早く立ち上がると、方術を使って浮き上がる。
「いいから早く!」
「分かりました!」
 アフラは菜々美とシェーラを両腕に抱くと、遺跡の出口に向かって飛び出した。
 アフラたちの姿が見えなくなった頃、陣内はようやく正気に還った。
「くそぉ、何をするか水原誠!」
「ぎゃあっ!」
 陣内は誠を張り倒す。
「まあいい。とりあえずお前が手に入ったのだからな。あいつらは生かしておいてもいいだろう。ふひゃっ、ふひゃはははははははっ!!」
 陣内の高笑いは遺跡中に響き渡った。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 ファトラとアレーレはニーナの飛行艇に便乗していた。リースは甲板に敷かれた絨毯で丸くなって寝ている。結局、あれからリースを起こして身仕度させることはできたのだが、飛行艇に乗せた段階でまた眠ってしまったのだった。
 飛行艇はリースたちの別荘に向かっている。ファトラとアレーレは遺跡のある場所の近くまで乗せていってもらうつもりだった。
「よかったら遺跡の所まで乗せていってあげますよ?」
「いや。それには及ばん」
 リースの柔らかそうな頬肉を突つきながら、ファトラは言う。リースは起きそうな気配はなかった。結局、一夜を共にすることはできなかったが、またそのうち機会があるだろう。いささか残念ではあるが…。
「……リースちゃんを抱きたいんですか?」
 ファトラの気持ちを察してか否か、ニーナは唐突に切り出した。
「え?」
 ファトラは一瞬訳が分からず、聞き返してしまった。
「リースちゃんと寝たいんですかって訊いてるんですよ」
 笑いながら喋るニーナ。こげ茶の長い髪が風に揺れている。
「……わらわをからかっているのか?」
「そんなことないですよ。ただ単に、したいかどうか訊いてるんですよ」
 警戒心のこもったファトラの表情とは裏腹に、ニーナは笑顔を崩さない。
「……わらわの趣味を知ってるのじゃろ?」
「美しい娘に目がないそうで…。――リースちゃんは美しい娘ですか?」
「抱けというのなら抱いてやるが、その後どうなっても知らんぞ」
 リースの母親はその容貌と権謀術数によって王妃までのし上がっただけあって、その娘であるリースも甚だ美少女だった。あと数年もすれば大した麗人になるだろう。ファトラにとっても大変興味ある所だ。
 ファトラはリースの青緑の髪を一房つまむと、口に咥えた。そのまま彼女の髪を弄ぶ。
「警戒しなくていいんですよ」
 ニーナはまだ笑っている。その笑いはリースが時々見せるような、優しさを感じさせない笑顔だった。
 ふと気がつくと、飛行艇は遺跡へ向かっていた。もっとも、ファトラは別荘の場所は知らないので、コースを逸れているのかは分からないが…。
「送っていってあげますよ」
「…………」
 ニーナは人の気持ちを読むのが上手い――とファトラは思った。こちらが疑問を口にする前に、先手を制して喋ってくる。しかしなんだか子供扱いされているような気もした。
 不意に、ファトラはニーナの態度がファトラに対してもリースに対しても同じなことに気づいた。ファトラにとってリースは子供だったが、ニーナにとってはファトラも子供なのだろう。自分は子供ではないということをニーナに認めさせたいという欲求が働いたが、それは抑えた。

 まもなく遺跡に到着するという頃、前方に何か見えてきた。人だった。ただし、宙に浮いていたが――。目をこらしてよく見てみると、それはアフラが菜々美とシェーラを抱いて飛んでいるのだった。
 あれは何かとニーナが尋ねるのでファトラは答えてやり、飛行艇を止めてくれるよう頼んだ。
 飛行艇が止まると、アフラたちもその近くに下りる。ファトラは飛行艇から降りると、アフラたちから事情を聞いた。
「そうか……誠が…。で、どうするのじゃ?」
「分かりまへん。とりあえず、助けにいかんとあかんでっしゃろ」
「そりゃそうじゃが……」
 困った顔をするファトラ。
 と、菜々美が突然大声を張り上げた。
「なんでよ! なんで誠ちゃんを置いてきたの!? 酷いじゃない!」
 アフラにつかみ掛かる菜々美。
「あの状況では、ああせんことにはみんなやられてました」
 対するアフラは冷静に答える。
 シェーラは渋い顔をして、黙っている。
「誠ちゃん……。誠ちゃん……」
 べそをかき始める菜々美。
「で、助けにいくとして、そなたたちでなんとかなるのか? なんなら軍隊を使ってもいいが…」
 ファトラにしてみれば、ルーンに遺跡探索を無事に済ませるよう頼まれている以上、めんどうなことはさっさと片づけてしまいたかった。バグロムの親玉にはどうせまた逃げられてしまうだろうし、それなら人海戦術でさっさと追っ払った方がいい。
「そんなの、あたいたちだけで十分でい!」
 シェーラが大声で叫ぶ。
「とりあえず、うちらだけで十分どす」
 さっきやられてしまったのは不意を突かれたからだとアフラは思った。まともに戦えば、勝てる自信はある。
「そうか」
 ロシュタリアの軍隊を使うとなればエランディア側とかけあう必要があるし、アフラたちで勝手に処理してくれるのならそれに越したことはなかった。
「では、処置はそなたたちに任せる。何かあったらまた連絡してくれ」
「分かりました」
 そう言うと、アフラたちは戦闘の準備のため宿屋に向かった。
「どうしたのですか?」
 不意に、ニーナが尋ねる。いつの間にか彼女は飛行艇を降りており、ファトラと一緒にアフラたちを見送っていた。
「聞いた通りじゃ。とりあえず、処置はあやつらに任せる」
 ニーナの表情を確認しながらファトラは喋る。ニーナは長身のため、ファトラが彼女を見ようと思ったら見上げる必要があった。彼女は普段と別に変わらない表情で、さしてあわてている様子ではない。
「大神官のようですが、彼女らだけで大丈夫なのですか? いくら彼女らが強いといっても、戦いが殺し合いになれば、殺しの技術を持っていない人間には不利だと思いますが…」
 大神官が強いといってもそれは武芸においてであり、管理された戦いの中でのものだ。もしこれが本当の殺し合いだったら、暗殺者の方が強いと言える。
「さあな。もしだめなら軍隊を使うさ。だいたい、ここはエランディアなんだから、わらわがあれこれ言うのはお門違いというものだろう? バグロムが出現したのはわらわたちのせいではない」
「こちらで一個師団手配致しましょう。遺跡の調査は中止してもらいます」
「……任せる」
 相手はエランディア女王の摂政。こちらはロシュタリア第2王女。そしてここはエランディアだ。どちらの権限の方が強いかは考えるまでもないことだった。

「ふははははははははっ!! やったぞ! ついにやった!! ついに水原誠を我が手中に収めたぞ! ふひゃはははははははぁっ!!」
 遺跡の中では仮設の玉座に座っている陣内が気が触れたかのごとき高笑いを繰り返していた。
 その隣では誠が神妙な顔をしている。その首には首輪が付けられ、そこからは鎖が伸びていた。その端は陣内が握っている。
「どうだ水原誠! どちらが上なのかようやく証明されたな! やはりお前が各下で、私が各上なのだ! ぎゃあっはっはっはっはっはっ!!」
 鎖をぐいぐい引っ張る陣内。誠は無言で抵抗を示す。
「なんだ水原誠? くやしいのか水原誠? お前にはその格好がお似合いだ! ひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
 誠はさっきまで着ていた作業着を脱がされ、女物の服を着せられていた。
「陣内…」
「ん、なんだ?」
「お前が僕にこういうことをして、それで気が晴れるんならそれでもええ。でも、アフラさんやシェーラさんに酷いことするのはやめてくれへんか?」
 無理矢理着せられた割にはきっちり着こなしている誠が陣内に嘆願する。
 陣内はそれを聞いて憤った。
「きっさまぁ! 言わせておけば言いたいこと言いおって!! 私は、お前の、苦痛に歪む顔が見たいのだ!! さあ、もっと悔しそうな顔をしろ! 悲しそうな顔をしろ! 苦痛に音を上げろ!!」
 陣内は玉座から立ち上がると、誠に掴み掛かった。
「陣内……」
「私はなあ……お前の…お前のことを……!! お前のことをどれほど思っていたことか…!! お前のことをどれほど長い間思っていたことか…!! 水原誠、お前のことを!!」
「じ、陣内?」
 陣内は異様に興奮していた。誠は虚を突かれたような顔をして、陣内を見つめる。
「水原誠!! 水原誠!!」
 陣内は目をギラギラさせながら、お互いの顔を触れ合う寸前まで近づけていた。その表情は嫌がおうにも誠の恐怖を高める。
 堪え切れなくなった誠は陣内の腕を無理矢理振りほどくと、背中を向けて逃げ出そうとした。
「逃がすか!!」
 陣内は誠の足をいともたやすく捕まえる。誠は勢い余って前方に転倒した。
「陣内、何する気や!?」
「ええい! うるさい!! 貴様には私に異見する権利などないのだ!! 貴様は私にいいようにされることしか許されないのだ!! 私はお前のことをずうっと思い続けていたのだ!!」
 誠の尻を鷲づかみにする陣内。その痛みに誠は悲鳴を上げる。
「痛い! 放してんか!」
「放さん! でええぃ!」
「やあああぁぁっ!!」
 誠は手足をばたつかせて暴れるが、陣内には全く通用しなかった。誠は女装しているため、はた目には陣内が女性に乱暴しているように見える。
「ええい、まだまだぁ!」
 陣内は誠をあお向けにすると、誠の肩を両手で床に押しつける。
「やめて! やめてんか!」
「うひゃはははははっ!! これだ! これこそが私の求めていた物だ!! うひょひょひょひょひょひょひょ!!」
 もはや陣内の目は完全にいってしまい、正気をたもっている雰囲気ではなくなっていた。誠の悲鳴はやや上ずったようなものになり、少しか細くなっている。目は涙目になり、顔は羞恥に紅潮していた。
 と、誠の掌が陣内の額にふれた。
「あっ!?」
 ――次の瞬間、二人の間に奇妙な感覚が発生する。
 誠の目の前が発光して見えなくなり、視界が開けた時にはそこは別の世界になっていた。
 幼い少年が見えた。見覚えはないが、それが昔の誠であるということが感覚的に知れる。同時に、その少年への強烈な憎悪が感じられた。
(……これは――陣内の記憶なんか…? 何でこんなもんが……)
 誠の像は次から次へと変化していく。しかし、憎悪だけは変化がなかった。
(なんて……なんてすさみきった心なんや…。陣内の心はこんなにもすさんでいたんか…)
 陣内の鎧を介して、誠は陣内の心を覗くことができた。陣内の心は誠への激しい憎悪や果てしない征服欲ではちきれんばかりだ。
(酷い……。僕は陣内の心に今まで気づいてやれんかったんか……)
 陣内の心に同情する誠。
 ――唐突に、シンクロが中断した。意識が無理矢理 実世界へ引き戻され、目の前には陣内の焦燥した顔があった。
「おお……。…おのれい……。私の…私の心を覗きおったなあ…!!」
 陣内の顔がさっき以上に憎悪に歪み、膨大な殺気が誠へ叩きつけられる。
 しかし、誠の心は陣内への憐憫で一杯だった。
「陣内…。お前……」
「ええい! 許せん! 許せん許せん!! こうなったらいたぶっていたぶって、いたぶりまくってくれる!!」
 再び誠に掴み掛かる陣内。しかし、誠はあえて抵抗することはなかった。
(陣内…。今陣内のことを分かってやれるのは僕だけなんや…。僕は耐えなあかんのや…!!)

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


「ファトラ様、うまくいけばリース様をものにできそうですね」
 アレーレはさも楽しそうに言う。
「……ものにできるのは嬉しいが、ニーナの態度は好かんなあ…」
 ファトラはあまり気が進まない。ニーナは一枚上手のような顔をしているし、下手をすればはめられそうな気がする。
「ニーナ様はリース様にそういう体験をさせたがっているように見えましたけど?」
「アレーレもそう見えるか」
「はい。頂いちゃえばいいじゃないですか」
 アレーレは屈託なく言う。さすがに相手が一国の女王となると自分におこぼれが回ってくることは難しいが、アレーレはそれでも構わなかった。
「まあ、リースがのってくるんだったらな」
 リースがそういうことに興味があって、誘いにのってくるのならしてもいいかとファトラは思った。

 夕方ごろ、アフラたちはようやく宿屋に戻ることができた。
「今日はもう遅いし、無理どすな。バグロムの親玉と戦うのは明日にした方が懸命どす」
 戦いのための準備をしながら、アフラが冷静に言う。
「なんでよ! なんですぐ助けに行かないの!?」
「今から助けに行ったら、日が暮れてから戦うことになります。相手の能力がまだはっきりしていない以上、危険を冒すわけにはいきまへん」
「だけど…」
 アフラに食い下がる菜々美。シェーラはアフラの言うことに賛成なのか、黙っているだけだった。
 結局、菜々美は釈然としない気持ちのまま夜を迎えることとなった。

 眠れない夜、菜々美は天空にそびえる神の目を眺めていた。神の目は星明かりによって鈍く光り、その巨体を誇示するかのように浮かんでいる。冷たい風が頬を撫でた。
 神の目はエルハザードであればどこからでも見ることができた。それだけ大きく、そして高い所にあるのだろう。ひょっとしたら地球でいう月くらいの距離にあるのかもしれないと菜々美は思った。
 誠のことが頭に浮かぶ。本当なら自分独りだけででも助けに行きたい。しかし、それだけの力が自分にはないということはよく分かっていた。戦闘能力を持っている人たちに任せるしかないのだ。
 シェーラがすぐに戦いに行こうと言い出さなかったのは不思議だった。シェーラは直情径行だから、無理にでも独りででも行ってしまうと思ったのに。――そうしないのはシェーラの戦いの勘がそうさせているのかと思った。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 次の日の朝早く、アフラたちは遺跡に来た。すると、そこにはすでに大勢の兵士がいた。
「なんなんだよこいつらは!」
「エランディアの兵士どすな」
 アフラは昨日ファトラと話した時のことを思い出していた。飛行艇にはエランディアの官僚が乗っていた。おそらくそのつてで兵士が手配されたのだろう。
 不意に、兵士たちの中からファトラとアレーレが現われた。
「これはどうなっているんどすか?」
 アフラがファトラに問う。
「ああ。バグロムが現われたということで、エランディアが手配したのじゃよ。ここはエランディアであるからして、わらわはそのことについてあれこれいう権利はない。しかし、まだ踏み込んではおらんぞ。そなたたちを待っておったんじゃ」
 淡々と喋るファトラ。どちらかというと事務的にこなしているようにアフラには感じられた。公のことが苦手らしいし、事務的になってしまうのだろう。
「そうどすか…」
「連絡はわらわがしておく。そなたたちは準備ができしだい行ってくるがいい」
「すぐ行きます」
「分かった」
 こうして、アフラとシェーラは遺跡の中に入った。
 遺跡の中の様子は昨日と変わらなかった。半ば朽ち果てているのは相変わらずだし、地下水の漏れ出しやカビ臭さも同じだった。特に細工されている様子はない。二人は慎重に奥に進んでいく。足音だけがやたらと大きく響き、意味もなく緊張を煽る。しかし何も出てくる様子はなかった。
 階をいくつか下り、昨日陣内と遭遇した階層までやってきた。人がいる気配はない。二人は広間の方へと向かった。
 広間が視界に入るようになった。すると、広間に何やら落ちているのが見える。
「あれは――」
「あっ、シェーラ!」
 それに気づいたシェーラが早足でそれに向かう。アフラが止める暇もなかった。
 アフラは周囲の様子に注意しつつ、シェーラを追う。
「これは……」
 シェーラは落ちていたものを拾い、観察している。それは服だった。昨日誠が着ていた服だ。シェーラの顔がみるみるうちに悲しみに染まっていく。
「誠ぉ!」
 シェーラは服を抱きしめた。かすかに嗚咽が漏れる。
 アフラはやるせない気持ちで一杯だった。この分だと、もうこの遺跡には陣内も誠もいないのだろう。無理してでも昨日のうちに戦っていた方がよかったかもしれない――そんな考えが頭の中をよぎる。しかし相手の能力を考えれば、無理をするのは自殺行為に思われた。
「シェーラ。そんなに気に病むことないどす。きっと遺跡の中が居心地が悪いんで、どこかに移ったんどすよ」
「じゃあなんで服だけ落ちてんだよ!」
「……さあ…」
 シェーラから目をそらすアフラ。
「ちっくしょおぉっ!」
 シェーラは事態に堪え切れず、髪を振り乱ながら大声で叫んだ。
 それからも遺跡の中を捜し回ったが、結局誰ともめぐり会えなかった。


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