§第3章  ファトラご乱心


 遺跡の中には誠もバグロムもいなかったという報告を受け取り、ファトラはやっかいごとが本格的になってきたと実感せずにはいられなかった。
「ファトラ様、どうしましょうか?」
「うむ。とにかく、誠の身柄を確保するのが先決じゃな。このままでは姉上に申し訳が立たん」
 ファトラとアレーレは自分たちの飛行艇に乗って休んでいた。
「あんたはルーン王女様に申し訳が立つか立たないかで、誠ちゃんを助けるっての!?」
 突然、菜々美が食ってかかる。
「そうじゃ」
 ファトラは感情もなく言い放った。
「このっ……!」
「よしなはい、菜々美はん」
 激昂しそうになる菜々美をアフラが止める。
 目の中に反抗の色をたたえている菜々美を尻目に、ファトラは茶をすすった。

 ファトラたち一行は、ニーナの計らいでリースたちの別荘が使えることとなった。
「へぇー。行方不明。それは大変ですね」
 小柄なリースには大きすぎるくらいの椅子にちょこんと座り、彼女はファトラの話を聞いていた。
 口では大変だと言いつつも、その表情にはちっとも同情の色がない。他人事だからなのか知らないが、それにしたってもう少し親身になってもいいとファトラは思った。――気の毒だと言うくらいなら。
「わらわだって幻影族に捕まっていたことがあったからな。1ヵ月くらい助けなくても大丈夫じゃろう。それほど急ぐことはない」
「それは相手があなたを必要としていたから、殺さなかったんでしょう?」
「……わらわがどうなっていたのか、知ってるのか…」
「ねえやに聞きましたから……。――いろいろ聞きましたよ」
 いささか悪意的な笑みを作るリース。
 “いろいろ”というのがどのくらいの範囲のことを指すのか、ファトラは気になったが、訊いても仕方がない。
「バグロムの親玉というのは誠のことが嫌いらしい。しかし、さらったということは、すぐに殺す意思はないということじゃ。もし殺すつもりなら、とっくに遺跡の中に誠の死体が転がっておる」
「殺さなくても、拷問くらいはするかもしれませんよ」
「拷問くらいなら大丈夫じゃ。わらわだって人体実験された」
「じゃあゆっくり探せばいいんですね」
 笑うリース。
「まあそんな所かな……。――ああ、そういえば…」
 不意に、ファトラは思い出した。
「どうしましたか?」
「ここにはそなたの母親もいるのであろう? 挨拶はしておかなくてもよいか?」
「母様は人と会うのがあんまり好きな人じゃないんで、しなくてもいいと思いますよ」
「そうか…?」
 リースが客観的なことを言うのは珍しい。
 リースの母親、ルルシャ。以前会ったことがあるが、非常に気まずい関係になってしまった。それに何より、あの雰囲気がどうにも苦手だ。挨拶しなくていいと言われて、内心ほっとしたファトラだった。王族が人見知りするなんて、それでやっていけるのかという気はしたが。

 ニーナが客を連れてきたらしい。――違う。客ではない。行き場のない人間を置いてやっているのだ。しかし、そんなことはどうでもいい。問題は――その中の一人と娘が仲がいいということだ。あまりいい気がしない。その人間とは因縁浅からぬものがある。因縁の深い人間というのは、これまでの経験上、あまり好きではない。
「心配しなくていいって」
 不意の声が思考を中断させる。我に返れば、そこはやや薄暗い部屋。自分の体はベッドの上にある。座っている――若い、女の体。リースのような年ごろの子供を持つにはあまりにも若い。
 ルルシャは額にかかった銀髪を手で払うと、やや不機嫌な顔でニーナを見た。彼女は茶の準備をしている。
「なぜ連れてきたの?」
 やや語気を強めて訊く。
「ただここにいるだけでも暇でしょ? それに、貸しができるじゃない」
 優しさのない笑み。彼女はトレイを持つと、こちらにやってきた。トレイをベッドの脇のテーブルに載せ、自分は隣の椅子に座る。
 ルルシャはトレイからカップをとった。ぬるめの茶はさして感覚を刺激することもなく、胃に落ちていく。
「何を、考えているの?」
 気だるい体に力を込め、視線で彼女を刺す。
「リースちゃんの遊び相手を連れてきたんじゃない」
 単刀直入な解答。しかし、何か含みがある。
「本当は?」
「ルルシャ、一緒に遊んだら?」
「私は――」
 不意に、ニーナがこちらのベッドに座る。彼女はルルシャの手からカップを取り上げるとテーブルに置いた。そして、ルルシャに寄り添う。
 ルルシャの手はしばらく宙をさまようが、やがてシーツの上に落ちた。
「何を心配してるの?」
 耳元でささやく。茶を一口すすった。その声はどこか、楽しくてしょうがないという雰囲気だ。
「リースちゃんが悪い子にならないかってこと」
 とげとげしい口調。
「だったらあんたがちゃんと面倒みてなさい」
 ルルシャの肩に手を置き、微笑んでみせるニーナ。
「面倒はみてる」
 ルルシャはニーナの手からカップを奪うと、一口に飲み干した。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 夜。夜の気があたりに充満し、空間を闇が支配する。あたりに民家も何もない別荘は、静けさに包まれていた。
 アフラたちは食事を摂った後、居間にいた。
 シェーラと菜々美は塞ぎこんだ様子でいる。食事もろくに食べていない。アフラは仏頂面でいた。アレーレは場の雰囲気についていけず、おろおろしいる。
 こんなことならファトラといっしょにいればよかった――とアレーレは思った。ファトラはリースと会っていたため、気を遣って離れたのだ。ファトラが公務を行う時は、侍女として最大限の注意を払わなければならない。今は公務ではないにせよ、他国の王族と一つ屋根の下にいるのだ。下手なことはできない。とにかく、早くファトラが戻ってきてくれるよう願うしかなかった。
 さすがに間がもたなくなって、アレーレは菜々美に近寄った。
「菜々美お姉様。そんなに気を落とさないで下さい。誠様はきっとご無事ですよ」
 極力気を遣い、言葉を選びながらアレーレは菜々美に話しかける。
「…………」
 菜々美からは返事がない。茶色の瞳が涙で潤んでいる。
「菜々美お姉様。私だって、ファトラ様が幻影族に誘拐されたことがあるんです。気をしっかり持って下さい」
 その言葉に、菜々美が反応する。
「誠様は必ず取り返せますよ」
 アレーレはだめ押しで言葉を重ねる。
「…………ねえ……」
 たっぷり間を取ったのち、ようやく菜々美が口をきいた。
「なんですか?」
 会話が成立して、アレーレの顔がぱっと明るくなる。
「アレーレは……ファトラ姫がいなくて平気だったの…?」
「平気なわけないじゃないですか」
 あっさりと答える。その方が菜々美の受けがいいと思ったから。
「つらい…」
 独り言なのか、喋っているのか、分からない声音。
「つらいです」
「好きなの…?」
「ファトラ様は私の大切な人です」
 菜々美の手を取る。
「どうして…?」
「どうしてって、理由なんかありませんよ」
「あんなに気が多いのに?」
「……ファトラ様のご寵愛を受けた人たちは、みんな大切な仲間です。嫉妬したりなんか、しませんよ」
「達観してるわね」
「慣れてるだけです」
「私はそんな風にはなりたくない」
「誠様を独り占めしますか」
「…………」
 菜々美との会話はそこで打ち切りとなった。

 ロシュタリア王宮の夜は、静まりかえった夜ではない。見張りの兵士が歩き回っているし、王宮の一部の機能は動いている。発光植物の明かりがあたりをぼんやりと照らし、その中に人の息づかいがある。
 そんな中、普通とは違う影が一つ混じっていた。
「ふふふ……今の私の能力をもってすれば、このくらいたやすい。途中の工程をすっ飛ばして、本丸を落としてくれるわ」
 陣内はカツオと共に、ロシュタリア王宮へ忍び込んでいた。
「ゆくぞカツオ!」
 陣内は一歩を踏み出す。
「ゲギョ!」
 陣内の着ている鎧のリモコンを持ったカツオは、陣内の後に続く。
 陣内はロシュタリア王宮の中でも最も背の高い塔を指差した。
「まずはあそこだ! あそこへ行く! カツオ、飛行スイッチだ!」
「ギョギョ!」
 カツオはリモコンを適当に操作する。
 と、陣内の体が突如として飛び上がった。
「うひゃあっ!」
 間抜けな声をあげる陣内。飛び上がったはいいものの直後に急降下し、頭で地面を掘ってしまった。
「えいマヌケめ! 私の超優秀な頭脳にヒビでも入ったらどうするのだ!」
 必死に頭をさすりながら怒鳴る陣内。
「ゲショ」
「まったく…。私がリモコンを操作できればいいのだが、それもだめだし」
 鎧を着ている本人がリモコンを操作することはどうやらできないようだった。そこで仕方なく、陣内はリモコンの操作をカツオにやらせているのだ。
「よし。もう一度だ。今度はしくじるなよ」
「ギャギョ!」
 カツオは慎重にリモコンを操作する。すると陣内の体はすうっと宙に浮き上がった。そしてカツオが陣内の体に馬乗りになり、一人と一匹は塔を目指す。
「まったく…。なんで私がお前なんぞを運んでやらなければならんのだ」

 不意に、ロシュタリア王宮内で大爆発が起こった。そして同時に高笑いも。
「ふひゃはははははははぁっ!! このロシュタリア王宮はこの陣内克彦さまが陥落させてくれるわ! 皆の者、この私にひざまずけぃ!」
 爆発地点に衛兵がなだれのごとく押し寄せる。
「来おったな! お前らなど何百人束になってもこの私には敵わん! さっさと降伏するのだ! そうすれば身の安全は保障しよう」
 陣内は貫禄たっぷりに言う。しかしその言葉に耳を傾けた者は誰もいなかった。
「おのれ面妖な! たたっ切ってくれる!」
 ロンズは抜刀すると、陣内へと向かって切りかかる。
「はん! 愚か者め!」
 軽い音。
 金属音をたてて、へし折られた刃が床へ転がる。
 陣内は腕を振り払っただけでロンズの刀をへし折ってしまった。
「ぬおぉっ! 信じられん!」
「ふはははははっ! 愚か者には死あるのみ!」
 再び爆発。
 爆心地である王宮廊下は粉々に消し飛んだ。

 朝。
 ファトラの場合、あちこち遊び歩いたりするため、そこそこ環境がよければぐっすり休むことができる。来た初日から建物内を歩き回ったり、他人にちょっかいを出したりということもできないので、彼女は大人しく休んでいた。
 ファトラとアフラとシェーラには一人ずつ部屋が割り振られたが、菜々美とアレーレだけは従者用の部屋で一緒となっていた。ニーナの感覚でいくとそうなるらしい。
 朝の弱いファトラは、貸してもらった寝間着に着替え、豪奢なベッドで惰眠をむさぼっていた。
 不意に、何者かによって体を揺すられる。しかも強引に。ファトラの意識は嫌がおうにも覚醒した。
「ファトラ様! ファトラ様!」
「ううん……なんじゃ。アレーレではないか。そんなに慌ててどうした?」
 普段、アレーレがファトラを起こす時は、もっと優しく起こす。こんなふうに強引に起こされるなどということは、よほど急の用がある時以外はない。アレーレはかなり取り乱した様子だった。
「ファトラ様、大変です! ロシュタリア王宮がバグロムたちに急襲されたそうです!」
「なにっ!?」
 その言葉に、眠気が一気に消し飛ぶ。
「姉上は――姉上はどうなった!?」
「はい……その……」
 急に言葉の歯切れが悪くなり、アレーレはファトラから目を逸らす。その様子に、ファトラは底知れぬ不安を覚えた。
「どうした! 早く言え!」
「はい……。ルーン王女様は……いえ……王宮が陥落してしまい、その後行方不明だそうです」
「っ!!」
 その言葉に、ファトラは息を呑み、言葉を失った。目の前が真っ暗になる。
 そして――次の瞬間にはベッドから飛び出していた。
「姉上っ!!」
「ファトラ様!」
 寝間着姿のまま部屋から飛び出そうとするファトラを、アレーレはすんでの所で引き止めた。
「ええい、放さんか!」
「ファトラ様、ルーン王女様を自分で探しにいくつもりなんでしょう!?」
 アレーレはファトラの腕に必死にしがみつく。
「当然じゃ!」
「無理です! 今、ロシュタリア王宮周辺はバグロムが大勢いて近づけません。ファトラ様一人で行っても、捕まってしまいます!」
「姉上がバグロムに捕まっておるやもしれんのに、こんな所でのうのうとしてられるか!」
 最悪、もうすでにこの世にいない可能性すらあるが、その可能性だけは思考から排除しておいた。
「ルーン王女様の捜索は行われています! 王宮が陥落しても、ロシュタリアが崩壊したわけではありません!」
「ええい! とにかくわらわはロシュタリアに戻るのじゃあ!」
「ファトラ様ぁぁっ!!」
 ファトラはアレーレを無理矢理引きずりながら部屋を出ようとする。
 と、部屋の外には待ちかねていたかのようにニーナがいた。すました顔をして。
「ファトラ王女。今、あなたがフリスタリカに行くのは危険ですよ」
 部屋の中での会話をニーナは立ち聞きしていたらしい。
「百も承知じゃ!」
 ニーナに殺気をふりかけるファトラ。
「危ないと分かっているのに行かせるなんてことはできませんねぇ…」
 ファトラの殺気をもろともせず、小首をかしげるニーナ。どことなく、やれやれといった様子だ。
「そなたにそんなことをする権限はないな」
 はやる心を抑え、努めて平静を保ちつつファトラは言う。しかしその言葉の端々にはニーナに対するいらだちが込められていた。
「……行かせて、もしあなたに何かがあれば、最悪、ロシュタリアは消えてしまうかもしれない。そうすれば、そこにはバグロムの国ができる。ロシュタリアの隣国である我がエランディアにとっては、それは非常に都合が悪い」
 淡々と――感情のない喋り。
「わらわがまともな状態になっていないと、困るということか?」
「そうです。国家元首の妹なら、もう少し分をわきまえることです」
「…………」
 ファトラの心の中で、さまざまな思いが錯綜する。ニーナをたたき殺してでも、ロシュタリアに行きたいという気持ちはある。しかし、もしルーンだったら、行ってはならないと言うことだろう。
 ファトラは歯ぎしりした。アレーレは彼女を必死に取り押さえようとしている。
 実姉であるルーンが行方不明。大切な姉が行方不明。姉のためなら命だって投げ出せるくらいの覚悟がある。今すぐロシュタリアに向かわなかったら、後悔することになるかもしれない。
 ファトラは決心した。
「わらわは行く!!」
「ファトラ様ぁぁっ!!」
 アレーレの絶叫。
 ファトラはアレーレを力任せに振り払うと、駆け出そうとする。
 ――が、すんでの所でニーナに腕を掴まれた。
「えい、放せ!」
「放しません」
「ファトラ様ぁ! ご乱心なさらないで下さぁい!」
 ついで、アレーレも再びファトラに飛びつく。
「わらわは姉上を助けにいく! 止めるな!」
「止めます! 危険すぎます!」
「とにかく、あなた一人だけをフリスタリカにやるわけにはいきません。自殺行為です」
「危険かどうかなど関係ない! 姉上ぇ!」
 ほとんど半狂乱になって実姉の名を叫ぶファトラ。
「ファトラ姫。誠様がバグロムに捕まった時は平気な顔をしていたのに、姉だとなんでそんなに取り乱すのですか?」
「それは………」
 一瞬、口ごもるファトラ。が、すぐに思い直した。
「それは、わらわの姉上だからじゃあ!」
 断言するファトラ。
 ニーナはファトラの様子に、半ば呆れていた。さっきの言はいじわるで言ったものだが、ファトラはあまり統治者向けの性格ではない。とにかく、いったん落ち着かせる必要があると思った。
「まあいったん気を落ち着けて。お茶でも……――っ!!」
 一瞬の間。気がつけばニーナはファトラに投げ飛ばされていた。
 ファトラは寝間着姿のまま駆け出した。
「まったくもう…」
 腰をさすりつつ、ニーナは舌打ちした。

 ほどなく、ファトラは衛兵などによって取り押さえられた。ニーナはこういうことにかけては百戦錬磨のことだけあって、対応が早い。
 ファトラはさっきの自分が寝ていた部屋に連れ戻されていた。
「ルーン王女はこちらでも探してさしあげます。悪いようにはしませんから、しばらく頭を冷やして下さい」
「…………」
 ファトラはさっきの寝間着姿のまま、ベッドに突っ伏している。所々に争った形跡があった。アレーレはその脇で心配そうにファトラを見つめている。
 ニーナはファトラの姿を一瞥すると、部屋から出ていった。
 ファトラとつきあいの長いアレーレであったが、こういった事態に出くわしたことは滅多にないため、さすがにどうすればよいのか分からなかった。少なくとも、ファトラのプライドの高さからいえば、下手に声をかけるのは得策ではないと思った。今のファトラはまるで家出少女のように見える。本当のファトラの姿がそこに見えたような気がアレーレにはした。
 ファトラは情けない気持ちでいっぱいだった。普段奔放に振る舞っていながら、いざとなると姉一人助けることができない。下手に権威などあるせいで、いざとなるとそれが裏目に出る。身軽でありたいがために奔放に振る舞うのだが、所詮は紐付きなのだ。もし、自分が自分一人だけのものなら、すぐにでも姉を助けに行かれるのに。

 シェーラとアフラはフリスタリカにバグロムが出たという報告を受けて、フリスタリカに向かう準備をしていた。
「よし。準備できたぞ。すぐ行こうぜ」
「ずいぶんとやる気満々どすなあ…」
「そうか? とにかく、行こうぜ!」
 ひょっとしたら誠がいるかもしれないと思い、シェーラは少しでも早くフリスタリカに向かいたい衝動にかられていた。アフラも、事態解決の手がかりが掴めて、気分が明るくなっている。
 ロシュタリア王宮陥落という事態はかなり予想外だったし、非常に深刻な事態だが、とにかく事態解決の糸口が見えてきたのは確かだ。
「ちょっと。私も行かせてよ!」
 菜々美がアフラたちに懇願する。
「無理どす。フリスタリカがどんな状況になっているか分からないし、危険どす」
「平気よ。それくらい」
「……それに、うち二人も乗せて、フリスタリカまで飛ぶなんてことできまへんし…」
 目を逸らしながら言うアフラ。
「……ああ、そう……」
 菜々美は思い切り落胆した様子で、アフラたちに背を向ける。
「菜々美はん、あんたの誠はんを心配する気持ちは分かります。でも、今は無理どす。ここで待ってておくれやす」
「いいわよっ! もう!」
 そう言うと、菜々美はどこかへ行ってしまった。
「菜々美はん…」
 菜々美を引き止めようといったんは腕を伸ばしたアフラだったが、すぐに引っ込めてしまった。
 アフラとシェーラはニーナにロシュタリアに向かうことを告げると、アフラの飛行の方術でフリスタリカに向かった。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 菜々美はどこへ向かうでもなく、めくらめっぽうに建物内を走り回った。
 不意に、どこかのバルコニーに飛び出す。
 そこには、ファトラとアレーレがいた。なぜだか知らないが、もう日も高くなりつつあるというのにファトラは寝間着姿だ。
 彼女はバルコニーのチェアに力なくだらんと座り、その目にも精気がない。その脇で、彼女の小姓であるアレーレがせっせと彼女の髪をブラッシングしたり、茶を出したりしていた。
「あ、菜々美お姉様。おはようございます」
 アレーレは菜々美の存在に気がつくと、挨拶した。
 菜々美は何をするか迷ったが、とりあえずチェアの一つに座った。
「菜々美お姉様、お茶飲まれますか?」
「…………」
 アレーレの質問に、ごく軽く頷く菜々美。アレーレも菜々美の心情を察してか、何も言わずに菜々美の前に茶を差し出した。
 ファトラの面倒をみているだけでも辛いのに、菜々美の面倒までみなければならなくなり、アレーレはかなり困惑した表情でいる。
 ファトラの視線は力なく宙を彷徨っていたが、やがて菜々美へと向けられた。それに菜々美が気づく。
「なによ」
「…………」
 ファトラの目は焦点があっているのかいないのか分からず、何を考えているのかも窺い知ることはできない。
「ルーン王女様が行方不明になったわね」
「…………」
 その言葉に、ファトラの視線が菜々美から外れる。
「そなたには関係のないことじゃ」
 茶のカップに視線を注ぎながら、小さな声。
「そう…。あんたはいっつもそうだもんね」
「いつも…」
 ファトラの目が細くなる。
「干渉されるのが嫌いなんでしょ。いいわよ。それで。誠ちゃんだって、私が探すんだから」
「……そなたは自分で探すことができるか…」
 菜々美に誠を探す力はない。しかし、それでも自分で探すことができるということがファトラには羨ましかった。ファトラにできるのは探すように命令することだけだ。本当ならば何を差し置いてでもルーンを探しにいきたいのに。
「私にだって探すことくらいできるわ!」
 菜々美は自分に誠を探すことができないと言われたように思い、激昂した。菜々美は誠を探しにいくことができず、ただでさえ気が立っていたのに、ますます興奮してしまう。
「…………」
 再び菜々美に目を向けるファトラ。
「あんたはなんでルーン王女様を探しにいかないのよ」
「やめろ」
 初めて、ファトラが意思のこもった言葉を放った。
「なによ! ――あ……」
 そこで、ファトラの目に涙がたまっているのが菜々美に見えた。唇を噛み、必死に感情に抗っているファトラ。
 菜々美はいたたまれなくなり、ファトラから目をそらす。
 再びファトラを見た時には、その体裁はアレーレが奇麗に戻してしまっていた。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 アフラとシェーラは、アフラの飛行の方術により、フリスタリカ近くの街にまでやってきた。このあたりはかなり慌ただしい状態になっていた。この街も危険と見て逃げようとする民間人もいれば、軍隊が結集している様子も見ることができる。
「ここまではバグロムも攻めてきていないようどすな」
 あたりを見回しながら、アフラ。
「ああ。そのようだな」
 二人は職業柄、場の雰囲気を察知することには慣れている。今現在、ある程度の安全は確保されていると見て、二人は一時落ち着くこととした。
 正直言って、二人の格好は結構目立つ。仕方がないので二人はフード付きのマントを購入し、それで身を包んだ。これで見かけ上は旅人だ。手近な店で腹ごしらえをし、あとは目立たないよう徒歩でフリスタリカに向かうことにした。飛行艇の定期便が停止してしまっていたのである。
「おい。あめえの飛行の方術ならすぐだろうが。こんなこと、かったるい」
「仕方ないどす。目立つような真似はできまへん」
「しかしなあ…」
 アフラたち以外にフリスタリカに向かっているのは、軍人らしき人間や、冒険者風の人間ばかりだった。普通の民間人は皆フリスタリカからこちらに向かっている。マントを使って目立たないようにしているとはいえ、やや浮いていることは否めなかった。しかし、飛んでいくこととどちらが目立つかと訊かれれば、歩いていく方が目立たないのは確実だ。

「ふひゃあっはははははははははっ!! ついにフリスタリカ王宮を陥落させたぞ!! もはや私に不可能はないのだ! ああ楽しい! こんなにも楽しいことがこの世にあろうとは!! ひぃーーっっひっひっひっひっひっ!!」
 フリスタリカ王宮の謁見の間。陣内は玉座に座り、気が触れたかのごとき高笑いを繰り返していた。
「どうだ誠! 見たか私の力! 私の力に比べれば、もはやお前の力など取るに足らん! 巨象と蟻の力くらべのようなものだ!」
「陣内! お前、お前はなんてことをするんや!」
 誠は陣内に精一杯抗議する。
「ええいうるさい! 貴様は敗者なのだ! 敗者が勝者に口答えすることなど許されないのだ!!」
 遺跡の洞窟の中と同じように、誠は女装させられた状態で首輪をはめられていた。陣内は首輪に付けられた鎖をぐいぐいひっぱったり、足で小突き回したりする。
「陣内! お前には人の心というもんがないんか!?」
「あああるとも! 貴様に虐げられてきた積年の恨み、私は今の今までずっと耐え続けてきたのだ!!」
 陣内は誠の頭を土足で踏みつける。
「陣内!」
 それにもめげず、誠は陣内の名を必死に呼び続けた。
「しかし…。惜しむらくは、このロシュタリアの国家元首である、ルーン・ヴェーナス王女を取り逃がしたことだな。くそ。カツオたちの奴め、肝心の所で詰めが甘い…」
 舌打ちする陣内。
「こないなことしていても、すぐに破綻するで! さっさとやめるんや!」
「ルーン王女には捜索隊を出しておかねばな。あと、同盟諸国がどういう動きをするかも気になる。これも密偵を放っておかねば」
「陣内! なんでお前はそうなんや! お前は昔からユニークな奴やったが、ここまでじゃなかったはずやで!」
「あと、神官の方も抑えねば。神の目がどうなっているか気になる」
「陣内! お前は僕たちにどういう不満があるんや! 何がお前をこんなふうにするんや!?」
「フリスタリカ王宮を陥落させたとはいえ、ロシュタリアという国がなくなったわけではない。早く次の手を打たねば、またいつぞやのようにやられてしまう…」
「ああ、陣内! 僕が憎いんならそれでええ! でも、こないなことだけはせんでくれ!」
「ええいうるさい!! 黙らんか!」
「ぎゅあっ!」
 陣内は誠を蹴り飛ばした。誠は床に強かに肩を打ちつける。
 陣内は鎖を引っ張って誠を引き戻すと、頭を鷲づかみにする。唾が誠の顔にかかるほど顔を近づけ、陣内は叫ぶ。
「どうだ、悔しかろう水原誠。憎かろうこの私が。敗者の屈辱を存分に味わうがいい。ふは、ふひゃはははははははっ!!」
 陣内の高笑いは王宮中に響き渡った。

 ファトラが部屋に戻ると、見慣れた少女がベッドで寝ているのが目に入った。リースだ。なぜこんな所で寝ているのかは知らないが、無防備にベッドの上に横たわり、すやすやと軽い寝息を立てている。
 別にどうということもない。ファトラはそれを無視すると、ベッドに腰かけた。とてつもなく怠惰な感情が心だけでなく体全体を覆っているような気がして、何をする気も起きない。
 すると、その拍子にリースが目を覚ます。
「……ああ、戻ったんですか。戻ったのなら起こして下さいよ」
 横になったまま、リースはファトラに微笑みかけた。優しさのない笑みで。
「…今戻った所じゃ」
 最低限の返事だけして、ファトラは口をつぐむ。
 そんなファトラのやるせなさは露知らず、リースはゆったりとした動作でベッドから下りるとファトラの目の前に立った。そしてファトラの顔を興味深げに覗きこむ。
 ファトラは顔を逸らす。しかし、少女の薄紫の瞳はファトラの微妙な表情を見逃してはいない。
「あなたに会おうと思ってここに来たんですけど、いなかったんです。来るのを待ってたんですが、眠ってしまいました」
「…………」
 話のとっかかりを掴むべく、喋るリース。が、ファトラは答えようとはしない。
 顔を逸らすだけでは足りなくなって、ファトラは立ち上がった。数歩歩き、窓の外の景色が見える所まで行く。しかし、ファトラはうつむいているため、景色は見えない。
 リースはファトラの後についていった。ファトラのすぐそばまで来ると、目を細めながら自分の腰をファトラの腰に擦り付ける。
 なんだかその仕草がやけに艶めかしく、ファトラはどうするか戸惑った。とりあえず、そのままにしておく。ファトラが抵抗しないのを悟ると、リースはさらに腰をこすりつけた。
「お姉さんが行方不明になったんですって?」
 どことなく甘い感じのリースの声。ファトラは身を固くした。なんだか、面白がって言っているようにも聞こえる。気のせいかもしれないが。
 このことをリースが知っているのは別に不思議なことではない。
「国がなくなっちゃうかもしれないなんて、大変ですね。――ねえ。あなたも私の母様の子供になりません? そうすれば、平和に暮らせますよ」
 心が痛くて、ファトラはリースを離そうとした。リースの体を軽く手で押すと、簡単に離れる。ファトラはベッドの方に戻った。リースは今度もファトラについて来たが、今度はファトラの正面に立った。
「そんなに哀しいんですか?」
 どちらかといえば、興味本位な瞳。
「…………」
 心を荒らされているような気がして、ファトラは顔を逸らす。リースが早く行ってしまわないかと心の中で願っていた。普段ならこういう時は、無理矢理にでも出ていかせるのだが。
 リースはこちらの心のタイミングを図ったかのように、ファトラの懐に入ってきた。ファトラは無抵抗に、後ろにあったベッドに座る。ファトラが座ったおかげで、ファトラよりだいぶ小柄なリースでも、頭の位置がファトラより高くなった。ベッドに膝を掛け、さらに体ごとファトラに近接する。
 少女は人形で遊ぶかのようにファトラの髪を弄んだりした。緊張のためか指が震えている。やがて両手でファトラの頬を挟み、彼女の顔を正面へ向かせた。
「ねえ…。哀しいってどんな感じなんです?」
 ファトラの表情を観察するようにしながら話すリース。
 声からでなくとも、今度は明らかに興味本位であることが知れた。この娘は相手の心の痛みを理解していないのだ。以前、死ぬ所だった母親を助けてやったというのに。
 ファトラは片手でリースの顔を押しのけようとする。リースはその手を逸らす。
 リースは自分の唇をファトラの唇に触れさせようとした。
「やめろ!」
「ひっ!」
 すんでの所で、突然ファトラが叫んだ。リースは声というよりは息を吸い込むような音を立て、動作を止める。
 ファトラはリースの腕を掴むと、ベッドから離れようとしていた彼女の体を無理矢理ベッドの上に引き上げ、シーツの上に投げ出した。この人間は自分の心に土足で踏み込んだのだ。ファトラにとってはもっとも屈辱的なことだ。こんな娘に自分の何が分かるというのだ。ろくに自我ももたないこの娘に。
 ファトラの行動に殺気を感じたリースは逃げようとする。しかし、ファトラは彼女の衣服を掴むと力任せに引き裂いた。リースの悲鳴があがる。
「お前はやっぱりルルシャやニーナの子供なんだ! 感覚が普通じゃない! あいつらと同類の人間なんだ!」
「なんのことです!?」
「お前は普通じゃないんだ!」
 体力や腕力ではリースよりファトラの方がずっと上だ。リースは抵抗のしようがない。ファトラはリースの服を肌が隠せなくなる程度に破った。激しく動いたせいもあり、動悸が激しい。リースは畏怖を感じながらも、ファトラの顔色をうかがっている。下手な動きを見せるとファトラの気を損なうと思ってか、肌を隠そうとも逃げようともしない。が、それがかえってファトラの気を煽る。リースを酷い目に遭わせてやろうと思っているのに、まだ不十分なようだ。
「くそっ!」
 ファトラはリースの体をうつ伏せにすると、彼女の頭を片手で押さえつけつつ、彼女の体に覆い被さった。ぐいぐい体重をかけて、リースの体を圧迫する。しばらく続けると、これにはさすがにリースも泣き声をあげた。
 今度はリースを起こして、無理矢理唇を奪う。以前にやった時よりもずっと強い口づけ。口の中に血の味が広がる。ファトラはリースの血をしゃぶった。

 泣き出したリースは放っておき、ファトラはようやく寝間着から着替えた。脱いだ寝間着はリースにかけておき、部屋を出る。
 しばらく歩くと、アレーレと出くわした。彼女は食事を載せたトレイを持っている。ファトラのために持ってきたのだろう。
「あ、ファトラ様、どうなさったんです?」
 着替えたとはいえ、髪などが乱れているのを見て、アレーレは不思議そうな表情をする。とりあえず、着替えて外を歩くというのはいい傾向だと思ったようだ。
「ここを出るぞ」
 短く早口で言うファトラ。
「え? なんです?」
「ここを出る。フリスタリカへ行く」
「そんな!」
 思わずトレイを取り落としそうになるアレーレ。
「うるさい! そなたが行かないというのなら、わらわ一人でも行く!」
「そんなぁ…」
 アレーレの表情が見る見る内に曇っていく。
「どのみち、もうここにはおれん。人質をとってでもここを出る」
「……ファトラ様、何かされたんですか?」
「ちょっとな。そなたはついてくるか?」
「私はいつでもファトラ様と一緒です。でも、今フリスタリカへ行くのは…」
 ファトラは無言でアレーレを置いて歩きだした。
「あ、待って下さい! 私も連れてって下さい!」
 アレーレはトレイをそこに放置すると、ファトラの後を追った。


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