§第4章  フリスタリカの攻防


 午後の中ごろ。アフラとシェーラはフリスタリカに到着した。エランディアからほぼ半日での到着であり、アフラの方術なしには不可能な速さである。
 さすがにあたりは騒然としていた。都市の機能は停止してはいないものの、非常事態下にあることは明らかだった。
「これからどうする?」
 ロシュタリア王宮を見上げながら、シェーラ。誠を早く助けたいと逸る心はあるものの、努めて慎重である。
「このまますぐに王宮に入りこみまひょう。まだ日は高いどすし、早いとこ収拾すべきどす」
 場合によっては神官の軍隊を出すことも考慮しつつ、アフラは即答した。
 その返答にシェーラの顔がぱっと輝く。
「よし! じゃあすぐ行こうぜ!」
 シェーラはロシュタリア王宮へと向けていそいそと走り出した。

 ロシュタリア王宮の外堀。下水の排水設備がある。
「ここから中に入りまひょう」
「よし。この堀を越えるんだな」
「違います。下水道から入るんどす」
 下水が流れ出している穴を指差すアフラ。
「なにぃ! こんな所から行けるかよ!」
 シェーラは露骨に嫌な顔をする。
「堀を越えるなんてことしたら、見つかるに決まってるどす!」
「きっと下水道にだって侵入者防御の設備があるぜ」
「それでも堀を越えるよりは見つかりにくいはずどす」
「しかしなあ…」
 頭をかきながら渋い顔をするシェーラ。
「とにかく、戦うまでは安全な方法でいくんどす! 早くしないと見つかってしまいますえ」
 歩き始めるアフラ。
「おいちょっと待てよ! あたいも行くよ!」
 こうしてアフラとシェーラは下水道に入った。

 石造りの下水道の中はさすがに汚れていた。匂いもお世辞にもいいとは言えない。
「ひぇー。ひでえなあ。まったく…」
 シェーラは散々悪態をつきまくる。それとなくアフラに向けられたものだったが、アフラは澄ました顔でそれをかわした。
 下水道を抜けると、中庭の排水設備へ出た。二人は新鮮な空気をたらふく吸い、気分だけでも一新する。買ったばかりのマントなどは下水道の汚れのおかげですっかり汚れてしまった。
「このマント捨てよう」
「だめどす」
 突っけんどんに言い放つアフラ。
「なんでだよ!」
「ここで捨てたら、うちらが侵入していることがばれてしまうどす」
「なんだよ。それじゃあ…」
 シェーラはマントを放り投げると、炎の方術で焼いてしまった。後には小さなくすぶりだけが残る。
「これなら文句ねえだろ?」
 アフラに向かってにかっと笑うシェーラ。アフラはばつが悪そうな顔をした。
 アフラは自分のマントを黙ってシェーラに差し出す。
「へっへ。おめえもなかなか物分かりがいいじゃねえか」
 シェーラは笑いながらアフラのマントも焼いてやった。
「じゃあ、まずは状況を調べまひょう」
 意図的に話題を逸らすアフラ。
「そうだな」
 二人は見つからないようにあたりを徘徊する。王宮内へ入って初めて気がついたのだが、バグロムも含めて、ほとんど誰もいなかった。考えてみれば王宮が陥落したのは突然のことだったし、バグロムの兵力が王宮内へ入り込む余裕などほとんどなかっただろう。兵たちのほとんどはあのバグロムの親玉が蹴散らしてしまったのだ。
 大量のバグロムと戦うことを予測していた二人は拍子抜けし、バグロムの親玉を倒すことに専念することとした。
「きっとあの一番高い所にいると思うどす」
 王宮の中で最も背の高い塔を指差すアフラ。
「煙と何とかは高い所が好きってか?」
「見晴らしのいい所にいるだろうということどす」
 アフラはやや強い口調で補足した。
 シェーラはアフラにしがみつき、アフラは方術によって塔の最上部を目指す。空を飛ぶと、フリスタリカの様子がよく見えた。街は奇麗な状態であるものの、非常事態下であることが再度確認できる。子供の姿はないし、行商人などもいない。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 ファトラが勝手に抜け出したという報告を受け取ったものの、ニーナはさして驚かなかった。あの様子ならそうなってもおかしくはないし、もし彼女が本気でここを抜け出そうと思えば、それは不可能ではないだろう。この別荘の警備は王宮ほど厳重なものではない。
 ここはひとまず放っておくことにし、エランディアにバグロムが攻め込んだ時のための対策を練ることとした。まずは、別荘から王宮に帰ることだ。
 一応、ファトラがどうやって抜け出したのか確認しようと、彼女は執務室から出た。

 嗚咽が十分に収まると、リースはそれまで丸めていた体をベッドの上で楽な姿勢にした。ファトラに無理なことをされたせいで体が痛む。
 さすがに出過ぎたことをしてしまったという認識はあった。ファトラに鎌を掛けたつもりだったが、失敗してしまったらしい。もう少しで主導権を握れると思ったのだが。
 リースにとってファトラは気の合う友人であり、また、母親やニーナと同じ特別な存在でもあった。ファトラは自分より多くのことを知っているし、力もある。独立心の強さなどもリースにとって魅力だった。そんな彼女に対して主導権を握ることができれば、自分もそれに仲間入りできるような気がしたのだが、やはり難しいらしい。
 服を破られてしまったため、どうするかリースは迷ったが、とりあえずはファトラが自分に掛けていった寝間着を着ることにした。
 寝間着はリースにはちょっとサイズが大きい。のろのろと着替え、部屋を出る。侍女に頼んで新しい服を出して貰わないといけない。さすがに気持ちが沈んでいるため、足取りは重い。
 そんなことを考えながら廊下を歩いていると、ふと前方にニーナの姿が現われた。彼女はこちらの様子が普通じゃないことを見て取ると、足早に向かってくる。
「どうしたの?」
 そんなことを言いながらも彼女はすでに事態が飲み込めているらしい。さして驚いたふうではない。むしろその方がありがたい。
 ニーナはリースの両肩に手を掛け、お互いの体を近づける。
「ねえや…」
「ん?」
 優しい声。優しい顔。心がなごむ。
「…服が破れたから、新しいのを……」
「すぐに用意してあげる」
「…………」
 いまいちニーナの顔を直視できない。それにニーナの対応は出来過ぎている。普通ならもっと詳しいことを訊きたがるはずなのだが…。
 急に母親に会いたくなり、リースはすぐに着替えることにした。

 アフラとシェーラは塔の最上部のフロアに降り立った。
 瞬間、耳をつんざくような高笑いが起きる。二人は思わず耳を塞いだ。
「ふひゃはははははははっ!! よくぞ来た我が城へ! よくぞたった二人で来た! その勇気だけは誉めてやろう! しかし、勇気というよりは無謀というものだな! ひゃひゃひゃひゃひゃっ!」
「てめえ! 誠を返しやがれ!」
 相手の姿は見えない。シェーラは必死に相手を探しながら叫んだ。
「シェーラ、敵の挑発に乗ってはだめどす!」
「分かってらい!」
 壁に反響しているせいで、どこから高笑いが聞こえてくるのかはっきりしない。
「――そこどす!」
 急激な風切り音。
 アフラは目星をつけた場所へと向けて、真空の刃を叩き込む。
 石造りの壁がすっぱり切断され、崩れた。
「…………」
 重い沈黙があたりを包む。大量のほこりが舞う。
 やがてほこりが晴れてきた。
「いねえじゃねえか!」
「確かにここにいる気配がしたどす!」
 思わず口論になりそうになる。
 刹那、後方から声がした。
「ああ。いい勘だ」
「っ!?」
 アフラとシェーラはほぼ同時に飛びのく。
 後方にいたのは、頭髪をきっちりと七三分けにした、ヘビのような目つきの男だった。不可思議な装飾の鎧を身にまとい、そのせいで余計面妖に見える。
「このド畜生が!!」
 シェーラが叫び、火炎を送り込む。男が炎に包まれる。至近距離での炎のため、シェーラの方も肌がちりちりした。
「ああ、いい炎だ。私の軍隊に欲しいくらいだ」
「も、燃えない!?」
 顔に狼狽の色を浮かべるシェーラ。炎は高そうな絨毯を燃やしただけで、陣内は燃えていなかった。
 シェーラが舌打ちしながら飛びのき、それまでシェーラがいた場所を陣内の熱線が貫く。
 アフラが再度強烈なかまいたちを放つ。正確に陣内を狙ったはずのそれは彼の直前で軌跡を変え、壁を切断しただけだった。
「これは…方術が効かない…!?」
 自分に向かって放たれた熱線を紙一重でかわす。自らの特殊能力が効かないことにアフラは狼狽を隠せなかった。
 ぞっとする胸の内を必死に抑え、アフラはさらに陣内から離れた。
 続いてシェーラが陣内に体当たりをくわえる。
「ぐわっ!」
 床に投げ出される陣内。痛みに体を丸くしている。
「今だっ!」
 シェーラは叫ぶと、陣内の背中に右掌を押しつけた。額や服などに取りつけられた発火石がまばゆい光を放ち、エネルギーが右手に集約される。
 右手ごと陣内と一緒に炎に包まれた。陣内の体が炎で見えなくなる。
「このまま灰も残らないくらいに燃やしてやるぜ!」
 シェーラの勝ち誇ったような声。しかし眉間にはしわが寄り、額から油汗をだらだら垂らしている。
「ぐぐう。ナメたマネを…」
「なっ! そんなバカな!」
 炎の中から声が聞こえた。驚愕するシェーラ。苦しそうな声だが、はっきりと聞き取れる。
 術を中断するか迷ったが、これ以上続けても無駄と判断し、シェーラは陣内の体から右手を離し、飛びのいた。右手に付けていたグローブが焼け落ちる。見ると、右手の皮膚全体がうっすらと火傷していた。
「シェーラ、いったん体勢を立て直すんどす!」
「仕方ねえ!」
 右手を庇いながら、シェーラはアフラの体に抱きつく。アフラは方術で浮き上がると、塔の外に出る。陣内はもうすでに立ち上がろうとしていた。
「逃がさん! おいカツオ!」
「ゲギョ!」
 それまで隠れていたカツオが陣内の前に現われる。
 陣内が床に四つんばいになり、カツオがその上に乗る。そしてカツオが手に持ったリモコンを操作すると、陣内の体はすうっと浮かび上がった。
「よし! あいつらを追うのだ!」
「ギョギョ!」
 陣内とカツオはアフラとシェーラの後を追った。

 アフラとシェーラは王宮の中庭に着地した。
「ちっ。手をやられちまったぜ」
 火傷した右手を見ながら憎々しげにつぶやくシェーラ。
「後先考えずに無茶なことをするからどす。さ、連中が追ってきまっせ」
「ああ。分かってるよ」
「ここは個別の攻撃ではなく、協力して攻撃するんどす」
「ああ」
 相手がどう出るか分からないため、極めて緊張した状態となる。そこら中に視界を向け、ほんのわずかな動きも見逃さないつもりだ。
 そして――相手が現われたのは意外にも空からだった。
「あいつら空から来てるぜ!」
「飛行能力があるなんて予想外どす!」
「とにかくやるんだ! いくぞ!」
「はいな!]
 二人はやや距離をおいて並んで立ち、飛行中の陣内に向かって構える。陣内の位置を正確に目測し、力を集中した。
「「今だ!!」」
 叫ぶのと同時、それまで溜めていた力を解放する。
 風の力と炎の力が同時に解放され、それは奔流となり、渦となり、陣内目がけて突き刺さる。炎の竜巻は陣内を飲み込んだ。
「やったぜ! 今度こそ燃えちまえ!!」
 竜巻の中から陣内の悲鳴が小さく聞こえる。炎の竜巻は猛烈な風と熱波を撒き散らし、中庭で踊り狂った。敷石が舞い上がり、立ち木が燃える。
「このまま術を続けるのは無理どす!」
 アフラの悲鳴。
「我慢しろ!」
 そう言っているシェーラの顔にも苦渋の表情が浮かんでいる。
「うちらまで危険どす! それにこれ以上やると術が暴走します!」
「それがどうしたってんだ!!」
「自滅する気どすか!?」
「我慢しろ!」
「もう……無理どすぅ!」
 アフラは一方的に術を中断した。それまで炎の竜巻であったものは炎の奔流へと変化する。
「てめえ! 何でやめやがるんだよ!」
「シェーラ、あんさんもやめないと術が暴走します!」
「うるさい! ……うっ、うわあっ!」
 突然、炎の形が大きく変わり、それはシェーラの制御を断ち切った。炎は魔人の姿を型取り、辺りかまわず燃やし始める。
「逃げるんどす!」
「くそおっ!」
 シェーラは何とか魔人を制御しようと、自ら炎の中へ飛び込んでいった。
「シェーラっ!」
 見ると、陣内は炎の中から脱出している。アフラは舌打ちした。シェーラは放っておき、方術で空へ大きく上昇する。あっという間に陣内や炎の魔人の姿が小さくなった。すぐに陣内が追ってくると判断し、構えを取る。
 地上では陣内がようやく立ち上がった所だ。
 彼は炎の魔人を容易になぎ払ってしまった。やはり方術による攻撃は効果がないらしい。炎の魔人の後からは倒れているシェーラが出てきた。
 アフラはどうするか迷った。方術が効かないのなら自分たちにできる攻撃はほとんどない。しばらくすると陣内はこちらの姿を見つけ上昇してきた。
 アフラは急下降した。陣内のすぐ脇をかすめ、再び地上に降り立つ。シェーラは気を失っているだけで、死んではいないようだった。
 アフラは建物の中に駆け込んだ。建物の中では本当は使いたくないのだが、方術によって廊下を飛行する。見当をつけることなくやみくもに飛び、対策を考えた。しばらくすると、後方に何かがついてきていることが感覚的に知れた。耳に響く高笑いまで聞こえてくる。このままではすぐに追いつかれてしまう。
 通路上にあった、花が生けてある壷の一つを手に取った。陣内がいると思われる方向に向かって投げる。さすがに狙いがいい加減なだけあって、これは命中しなかった。しかしこれを繰り返せば時間稼ぎくらいにはなるだろう。
 不意に、広間に出た。反転上昇し、天窓の一つに飛びつく。すぐに陣内が同じ扉から出てきた。
 陣内がこちらの姿を探す一瞬の隙を突き、アフラは脚力と方術の両方の力でもって彼の背中に全力の蹴りを打ち込んだ。
「ぐぎゃあっ!!」
 鈍い音がし、陣内の体が大きくエビ反る。そのまま床に陣内の腹を打ちつけてやった。
 派手な音がし、その後は沈黙が訪れる。陣内の体は動かなくなった。気絶しているらしい。動きそうなふしはない。ようやく一段落ついたと思い、アフラは深呼吸した。
「あれだけの力で強打すれば、鎧の上からだって気絶くらいはするはず…」
 自分に言い聞かせるようにつぶやく。あの力を見せられた後では、倒したということがにわかには信じられなかった。
「防げるのは方術による攻撃だけのようどすな。通常の攻撃に対する防御力は普通よりちょっと上という所…。蹴りなら十分なダメージを与えられる…」
 アフラは陣内の鎧を脱がすことを試みた。が、鎧にはどこにも留め金らしきものはないし、よく見るとそもそもこの鎧は全ての部分が一体でできており、外すことができない構造になっていることに気がついた。一体どうやって着たのか分からないが、先エルハザード文明による代物である以上、おかしなしくみがあっても不思議ではない。
「問題は、こいつが気がついた時にどうするかどすな。鎧を脱がせられない以上、また力を使うに決まっているどす…」
 我ながら卑劣な手段ではあると思ったが、気絶している所に念の為にさらに数発蹴りを入れた。もし陣内が目を覚ませば、どんなに拘束した所で無駄に決まっているのだ。
 アフラはどうするか迷った。しかし、いい結論など出るはずがない。誠がシンクロすれば鎧を外せるかもしれないが、今誠がどこにいるか分からない。陣内が目を覚ますまでに結論を出さなければならないし、時間はない。
 アフラは陣内の足を持ち、建物の外に引きずって運び出した。中庭の池の前までくると、陣内の体に瓦礫の重しをつけて池に放り込む。放り込む時はやや躊躇したものの、思いとどまるほどではなかった。
 どぶん――と音がして、陣内の体はたやすく沈んでいった。
「…………」
 しばらくぶくぶくと泡がたち、やがてそれも消え、ついには水面の波紋もなくなる。
「これで大丈夫でっしゃろ」
 いくら先エルハザード文明の鎧とはいえ、水中のことまでは考えていないだろうというのがアフラの考えだった。

◇  ◆  ◇  ◆  ◇


 母親に抱かれて、リースはだいぶ気分を良くしていた。こうしていると気が落ちつく。
 リースの母親はリースくらいの年の娘を持っているにしては極端に若い。初めの内、リースはそのことを別に不思議とは思わなかったが、他の例を見るにつれて不思議に思うようになった。もっとも、そんなことはどうでもいい。大切なことは、今抱かれている女性が母親だということだ。それは間違いのないことだ。
 母親――ルルシャの手はひんやりとしていて、頬に触れられると心地よい。つやつやした銀髪を垂らし、薄い蒼色をした瞳はぼんやりとした色を湛えている。彼女の目はいつもぼんやりとしていた。ひょっとして見えていないのではないかと疑ったこともあるが、そういうことはないらしい。彼女の手はちゃんと自分の頬に触れてくれるし、とても大切にしてくれる。
 彼女はほとんど一日中ベッドの上にいた。別に足腰が弱いわけでも歩けないわけでもなく、することがないのである。たまにニーナに頼まれて、のろのろと事務作業をしていることがあった。
 リースは母親の部屋に入り、いつものようにベッドの上にいた母親に抱きついていた。そうすれば、母親は抱き返してくれる。それが暗黙の了解だった。
「母様、私たちの家族というのはねえや以外にはいないの?」
 もうすでに過去何度も尋ねたような質問である。ふと、ファトラのことが気になって質問した。
「…………」
 過去にこの質問をした時と同じように、ルルシャは何も答えなかった。彼女の瞳は相変わらずぼんやりと眠っているかのようで、少し視線を動かしただけだ。――別に、答えを期待していたわけではなかったが。ルルシャやニーナが自分に対して何かを隠しているという印象はあった。しかし、何を隠しているのか知りたいとは思わないし、知った所で何か変わるわけでもないだろう。
「私はエランディアの女王になったわけだけど、この先どうすればいい?」
 母親やニーナが自分に何らかの危害を加えようとしたことは過去ほとんどなかったと言っていい。夜中にベッドでビスケットを食べようが、ペットにしている爬虫類で侍女たちを怖がらせようが、彼女たちは自重を促すだけだった。彼女たちは自分を尊重してくれるし、そんな彼女たちをこちらも尊重することが道理だと思った。過去1回だけ、女王になる話が持ち上がった時に逃げようとしたが、それは例外と言っていい。あれはいくらなんでもいきなりすぎたし、強圧的だった。母親たちは気でも触れてしまったのかと思ったくらいだ。
「どうすればいいかは、ニーナが決めるでしょ?」
「だったら、ねえやが女王になればよかったじゃない?」
 ニーナは名目上はルルシャのメッセンジャーだったが、今ではリースの摂政に納まっている。
「自分で決めることができるようになったら、自分で決めて」
「…………」
 いまいち不可解な答えのような気がする。ファトラみたいに第2王女の立場だったら、気楽でよかったのに。本来ならばエランディアだって王子がいたので、その王子が王となるはずだったのだ。なぜかその王子は前王の死後、何者かに殺されてしまったが。
 リースはルルシャの体を少し力を入れて押した。ルルシャの体は軽い音をたててシーツの上に倒れる。ルルシャの方が力を抜いてくれたのである。
「母様…」
 ルルシャの額に自分の額を重ねる。彼女は特に表情を変えることもなく、リースを受け入れる。それが当然というように。不意に、さっきファトラにしようとしたことが脳裏によぎった。ファトラは自分を受け入れてくれなかった……ように思う。あれくらいなら大丈夫かと思ったが。

 アフラがシェーラの元まで来ると、シェーラはまだ気絶したままだった。
「シェーラ。シェーラ」
 シェーラの頬を軽く叩いてやるアフラ。
「…ん…うぅん……」
 初めの内、シェーラは首をふらふらと動かすだけだったが、やがて目を覚ました。
「はっ! 奴は! 奴はどうなった!?」
 飛び上がり、構えを取りつつあたりを見回すシェーラ。
「バグロムの親玉なら、うちが倒しましたえ」
「なにぃ! てめえが倒しただとぉ!?」
 アフラに掴み掛かるシェーラ。彼女は憤まんやるかたない様子で、目を血走らせている。
「あんさんは気絶していたやないどすか」
 アフラはシェーラの手を外そうとするものの、予想外の腕力に全く外せなかった。
「ちくしょう!」
 シェーラは半ば突き飛ばすようにアフラから手を離す。
「あんさんは怒りのあまり我を忘れていたんどすよ」
 冷静に判断すれば勝てていたと付け加えようと思ったものの、すんでの所で踏みとどまった。シェーラを逆上させるだけだ。
「そ、そうだ! 誠は! 誠はどこにいるんだ!?」
 突然走り出すシェーラ。
「そうどした。誠はんを探さんと」
 アフラもその後を追った。

 ロシュタリア王宮は広い。とてもじゃないが、むやみやたらに走り回って、そのどこかにいるであろう人間を探し出せるような広さではなかった。
 二人は手分けして誠を探すこととした。
「ちくしょう! 一体どこにいるんでい!」
 肩で息をしながら叫ぶシェーラ。もうすでにかなりの距離を走っている。
 目の前に大きな扉が見えてきた。複雑な装飾が施されたその扉は、謁見の間の扉だ。シェーラはその前まで来ると、彼女の背の数倍はある巨大な扉を力一杯引っ張った。
 ゆっくりと、音もなく扉が開く。人一人がかろうじて入れるだけのすき間ができると、シェーラはそこへ体をねじ込んだ。
「誠!」
「シェーラさん!」
 上座の脇に、誠の姿があった。妙な格好をさせられて、鎖を首に付けられている。シェーラは誠の元に駆け寄った。
「誠! 無事だったか!?」
「はい! 無事です!」
 シェーラの顔に歓喜の色が宿る。誠も歓喜の表情をしている。
「今外してやるからな!」
 シェーラは誠に付けられている鎖の端が柱の一本に固定されているのを見て取ると、力一杯鎖を引っ張った。無論、その程度で外れる訳がない。炎の方術で焼き切ることにした。
 誠に離れているように言うと、シェーラは炎のランプを起動する。熱エネルギーを一点に集中し、鎖を溶断することを試みた。見る見る内に鎖は真っ赤に赤熱し、変形していく。
「よし! 切れたぞ!」
 軟らかくなった鎖を引きちぎり、誠は解放された。
「ありがとう、シェーラさん!」
 誠は感激した様子でシェーラの手を取る。
「なあに。いいってことよ」
 得意満面のシェーラ。――が、急に神妙な顔になった。
「ま、誠…」
「何ですか?」
「誠…そのな……。あたいな……。その…誠のこと――」
 顔が赤らみ、口調がしどろもどろになる。
「どうしたんですか?」
「あたいな……」
 うつむき、足をもじもじさせる。
 突然、誠の表情がこわばった。ひょっとして気分を悪くされたのか――と畏怖した瞬間、左足首に激痛が走る。
「ぎゃあっ!!」
 大きな悲鳴をあげ、身も蓋もなく転倒した。左足首を両手で握る。ひどく痛い。感覚的に、肉がただれているのだと知れた。
「くそぉ…! 熱線だなっ!」
「陣内! 何てことするんや!!」
 誠の声がする。見やると、ずぶぬれになっている陣内がいた。
「て、てめえ! 生きてやがったのか!」
 痛みをこらえつつやっとの思いで立ち上がると、シェーラは陣内へ向けて構えをとった。誠の方に気が向いていて、陣内の気配に気づかなかったことを内心後悔する。
「ふん。そんな足でどうやって戦うというのだ。立っているのがやっとではないか」
 淡々とした口調で喋る陣内。
「うるせえ!!」
 シェーラはその場で炎を放つ。陣内はそれを避けることもせず、そのまま受けた。全くダメージを受けない。
「シェーラさん、無理やで!」
「誠は黙ってろ」
 再度攻撃の体勢に入るシェーラ。
「無駄なあがきを…」
 陣内は厳かに言い放った。

 誠を探して、アフラは地下牢に来ていた。エランディアで探索していた遺跡ほどではないが、暗く重苦しい雰囲気があたりを包んでいる。王宮にこんな施設があるなんて、不似合いなようにアフラは思った。もっともアフラは神官だし、職業柄そんなふうに感じてしまうのかもしれないが。冷たい鉄格子の中には、最後に開けられたのがいつか分からないほどに錆ついているものもあった。
 誠の名を呼びながら石畳の廊下を進む。そんな広い場所ではないので、すぐに探し終わるはずだ。
 不意に、自分以外の足音がすることに気づいた。相手が何者か分からないため、まずは身を隠すことにする。壁際からそっと向こうを伺うようにした。
 向こうの通路から影が伸びてくる。
 突然、影のある場所で急激にエネルギーが高まるのが感じられた。方術のエネルギーとはやや違うそれは、明らかに陣内のものだった。
 心の中で悲鳴をあげつつ、アフラは反射的に飛びのいた。次の瞬間、熱波が通路の空気を急激に圧縮しながら襲いかかってくる。膨大な熱量に、通路の石が溶けてガラス質状になる。
 熱波の直撃は避けられたもののあまりの高熱に焼かれそうになって、やむを得ずアフラは地下牢の出口がある方へと飛び出した。1つしかない出口は、さっきの影が立っていた場所の先にある。白煙が充満している中、無理に突っ切るつもりだった。
 影の場所を通過しようとした瞬間、みぞおちに強烈な衝撃が走った。躰が二つ折りになり、拳か蹴りを入れられたのだと気づいた瞬間には彼女の体は力なく床に投げ出される。息が苦しく、立ち上がれない。方術を使おうにも、痛みで集中できない。
 白煙で視界が遮られている中、あの耳ざわりな高笑いが聞こえてきた。
「バグロムの親玉、生きておったんどすか!」
 やっとのことで声を絞りだす。
「ああ。生きていたとも。あの程度で死んでたまるか」
「あんさんの鎧は、方術は防げても、通常攻撃は防げないんじゃないんどすか?」
「知らん。この鎧の力を使わんでも、自力ではい上がったわ」
「く…。バグロムの頑丈さを甘く見ていたどす……」
 こんなことならもっと徹底的に痛めつけてから沈めるべきだったとアフラは思った。
「私の勝ちだ。お前を拘束する」
 勝利を確信してか、陣内の声はひどく落ちついている。
「シェ、シェーラは……」
「あいつならもう倒したわ」
「そうどすか…」
 ようやく開けてきた視界の中、陣内が平然としているのを確認すると、アフラはそっと目を閉じた。負けたというのに、心はひどく冷静だった。
 結局、アフラとシェーラはランプを外された揚げ句、拘束されることとなった。

 リースたちは休みの期間を終えて、別荘から王宮へ帰ることとなった。
 出発する前に、ニーナは別荘の中を見て回る。特に変わった所はない。変わったことといえば、ロシュタリアの一件について対策が必要になったということくらいだ。防衛を考えなければならない。まあそれは、エランディアの貴族連盟が決めることではあるのだが。
 ふと、ファトラたちと一緒だった茶色い髪の少女のことを思い出した。そういえば姿が見えない。
 きっとファトラと一緒に抜け出したのだろうと思い、ニーナは見回りを終えた。


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