§18  屈折した愛と、もっと屈折した愛


「ああぁ……。あああぁぁ……。ああああぁぁ………」
 ファトラの部屋。
 ファトラはベッドに寝転び、うんうん唸っていた。傍らには酒が注がれたままの
盃と酒瓶が置いてある。
「ファトラ様。発声練習ですか?」
「違う」
「では妊娠なされたのですか?」
「違う」
 ごろんと寝返りを打つファトラ。
「では生理痛ですね?」
「違う」
「では便秘ですか?」
「違う」
「では性処理など…」
 ベットに登り、服の帯を緩めようとするアレーレの手を掴んで止める。
「わらわはハートブレイクなのじゃ。ほっといてくれ」
 ファトラはアレーレの手をめんどくさそうに返した。
「気に入らない奴がいるなら、首を取ってきてさしあげますよ」
「そうじゃない。そうじゃないが…」
「どうなされたのですか?」
「……アレーレ。姉上が今何をなされているか見てきてくれ」
「かしこまりました」
 アレーレはてててと部屋を出ていった。

 しばらくすると、アレーレは部屋に帰ってきた。
「ファトラ様。ルーン王女様はガレス様と談笑なさっております」
「……そうか……」
 ファトラは落胆したような表情をすると、布団に顔をうずめた。
「どうなされたんですかファトラ様? ここのところ元気がありませんよ。ここは
一つ街になど出てみませんか?」
「いや。アレーレには関係ないことだ。ほっといてくれ」
「はあ…」
 アレーレはそのまま引き下がった。

 日没。
「ファトラ。今宵の月は奇麗ですわね」
「はい。暦によれば、今宵は月がもっとも美しく見える晩ですね」
「そうですか」
 酒の盃片手にルーンは優雅にバルコニーに立っている。
 ファトラは彼女に寄り添うようにしてその脇に立っていた。
「ファトラ」
「何でございますか?」
「なんだか元気がありませんわよ。どうしたのですか?」
「いえ。どうということありません」
「ならいいのですが…。
 ファトラ。あなたは私の大切な妹なのですからね。何か困ったことがあったりし
た時はきちんと私に相談するのですよ」
 酒の盃をテーブルに置くと、ルーンはファトラをふわりと抱いた。
「分かっております…姉上」
 ルーンに抱擁されているにも関らず、ファトラの瞳はどこか寂しげだった。

 ファトラは自分の部屋に戻ってきた。
「あ、ファトラ様。お帰りなさいませ。床の準備は整っておりますよ」
「…………」
 ファトラはぶすっとした様子で、椅子にどっかと腰掛けた。
「どうなされたんですかファトラ様? やっぱり様子が変ですよ」
「姉上から…」
 力無く話し始めるファトラ。
「ルーン王女様がどうかなされたんですか?」
「姉上からガレスのつけてる香水の匂いがした…」
「ああ。昼間談笑なされてた時に移ったんでしょうね」
「…許せん。あれだけ匂いが移っていたのだから、ガレスの奴、姉上と体が触れ合
うぐらい近づいたのじゃろう」
「服が触れ合った時に匂いが移ったんですね」
「………許せん。聞けばガレスの奴、姉上と結婚するなどと言うではないか。わら
わはそんなことは断固として認めんぞ! 誰があんな奴にわらわの大切な姉上をく
れてやるものか!」
 今までの様子とは打って変わって、興奮し始めるファトラ。
「はあ。しかし王家の血をひく者がルーン王女様とファトラ様しかいない以上、婿
を貰わなければロシュタリア王家の血筋は途絶えてしまいます」
「むー。要するに子種が必要なのだろう。そんなものはなんとでもなる。
 わらわの姉上はわらわだけのものじゃ。たとえ天地がひっくり返ろうと、他人に
などやらん!」
 そこまで聞いて、アレーレはファトラが何を考えてるのか理解した。
「ああ! ファトラ様はルーン王女様を独占したいんですね!」
「……独占…いや…まあ……その……そんな大それたことは…」
 もごもごと口ごもるファトラだが、すぐにまた捲くし立て始めた。
「わらわは姉上が他人の手で汚されるなど真っ平御免じゃ! そんなことならわら
わが汚れてやる! ガレスの奴を抹殺してくれるわ!」
「えっ!? でも相手は一国の王子ですよ。そんなことをしたら戦争になります」
「暗殺してしまえばいい。公には賊に襲われたことにし、姉上にも黙っておくのじ
ゃ。暗殺はわらわが直にやるぞ」
「はあ…そりゃ不可能ではないと思いますけど…」
「よし。ではすぐやろう。ガレスがどこにいるか調べるのじゃ」
「はい。分かりました」

             ◇  ◆  ◇  ◆  ◇

「ふふ。ガレスのやつ、こんな警備の手薄な所にいたとはな。これなら好都合じゃ」
 とある宿泊施設にガレスはいた。
 ファトラとアレーレは闇に紛れて施設の庭にいる。
「ねえファトラ様。本当にやるんですか? 別に婚約を破談にしてしまえば済むこ
とではないですか。ファトラ様、ルーン王女様に一度泣き付いてみたらどうです?」
「ふっ…。そのようなこと当の昔にやっておるわ」
「……丸め込まれちゃったんですね」
「姉上は国のことを考え、敢えて苦汁を舐めておられるのだ。しかし、わらわはそ
んなことは許せない。
 とにかくあのガレスという男は気に入らん。おかしなことにならない内に暗殺し
てしまおう」
「まあいいですけどね。
 あっ、今庭に出てきたあの人、ガレス様じゃないですか?」
 人影を見つけ、アレーレは指差しながら喋る。
「ガレスに様などつけるな。
 自分から出てきてくれたとはますます好都合じゃ。行くぞ」
「はい」
 ファトラとアレーレは人影に向かって接近を始めた。

 人影はとある立ち木の傍で立ち止まった。そこで夜空を眺め始める。
 刹那----近くの茂みががさりと揺れた。
「ガレス、覚悟ぉ!」
 茂みの中の人影がこちらへ向かって踊りかかる。
「おや。ファトラ姫ではありませんか。これはこれはご機嫌麗しゅうございます」
 暗闇の中にもかかわらず、人影の攻撃はあっさりとかわされた。
「ふざけるな! 貴様などに姉上はやらんぞお!
 だああっ!!」
 再び襲いかかる人影。
 ガレスは薄く笑うと、力を発動させた。
 次の瞬間、ファトラは刀を取り落とし、地面に倒れた。
「あっ! あああっ! くそっ! 何をした!? 目が見えんぞ!」
 ファトラは何とか起き上がるも、やみくもに腕を振り回すだけだ。
「ファトラ姫。ちょうど良い所へお来し下さいました。我等が城へご案内して差し
上げましょう」
 ガレスはひょいと手を伸ばすと、ファトラの片腕を捕まえる。
「は、離せ! 離せ!」
 ファトラは力の限り暴れる。が、手は離れない。
「ファトラ様を離して下さい!」
 アレーレも茂みから飛び出した。が、ガレスが一瞥をくれただけでアレーレは地
面にどさりと倒れ込み、動かなくなる。
「あ、アレーレ? アレーレ!?」
「かわいらしい小姓さんはお眠りになられてしまいました」
「くっ、わらわをどうするつもりじゃ!?」
「ちょうどあなたかルーン王女が欲しかった所なのですよ。大丈夫。命まで取りは
しません」
 ガレスはファトラを軽々と抱き上げた。
「離せ! 離せぇ!」
「おとなしくして下さいませんと、あなたを壊してしまいますよ」
「いやっ! やめろっ! 離せえっ!」
 気丈に抵抗するファトラだが、やがてその声音には脅えが混じってきた。
「ふふ。そんなに怖がることはありません。それに、あなたが言うことを聞いて下
されば、ルーン王女には手出ししませんよ」
「うぅ…。やめろ。いやだ。離せ。ああ、姉上…。姉上、助けて!」
 ぞっとするような恐怖に身を震わせ、なりふり構わず喚くファトラ。
「あなたのお姉様は助けに来てくれますかなぁ…」
 気絶しているアレーレを残し、ガレスの影はファトラの影を取り込んだまま消え
ていった。

             ◇  ◆  ◇  ◆  ◇

「ええっ!? ファトラがさらわれた!?」
 驚きのあまり、ルーンは2,3歩後ずさった。
「はい。さらわれてしまいました。その……すみません…。私にはどうすることも
できませんでした。…すみません…。すみません……。申し訳ありません……」
 アレーレは床に土下座して謝っている。
「ファトラ……。いつか無茶をするんじゃないかと思っていましたが、このような
ことになるとは……」
「かくなる上はいかなる処罰も受ける覚悟にございます。それはもう、処刑して頂
いても結構にございます」
 面を上げようとしないアレーレに、ルーンは優しく手を差し伸べた。
「アレーレ。そう自分を責めることはありません。あの子が無茶をしようとしたら、
止められる人は誰もいないでしょうから…」
「うう……すみません……」
 えぐえぐと泣きながら、アレーレはルーンの手にすがった。

             ◇  ◆  ◇  ◆  ◇

「ああ……。わらわは一体どうなるんじゃろうか…。ああ…。きっと薬で脳を犯さ
れた挙げ句、躰も犯されて、挙げ句には殺されるんじゃろうなあ……」
 薄暗い牢の中でファトラは独り暗い想像に耽っていた。
「姉上…。ああ…でも姉上…。姉上がこうなっていたかもということを思えば、心
も楽になりまする…」
 延々と嘆息を繰り返している内、ファトラは幻影族の兵士によって牢から連れ出
された。
 どこかの洞窟らしき場所。そこが彼らの本拠地だった。すこぶる殺風景だが、彼
らは別に気にもしていないようである。
 そしてファトラの前にはガレスとその小姓らしき少年の姿があった。
「わらわをどうするつもりかな? 薬を打って情報を吐かせるかな? 犯すかな?
 それとも殺すかな? まわりの実験装置など見ると、人体実験などするかな? 
痛いのは勘弁してくれよ。わらわはデリケートなんじゃ」
「察しがよろしいですなファトラ姫。そういうことならさっさと試料になってもら
いますか」
「…………」
 台の上の装置へ向かって歩かされていくファトラ。
 と、その刹那----
 突如として床が大きく揺れた。
「な、なんだ! 何事だ!?」
「大変です! ロシュタリアの……ぎゃあっ!!」
 兵士の声はそこで途絶えた。何者かが攻撃したのだ。
「む! 何やつ!?」
 どうと倒れた兵士の向こうにいる影に向かって、ガレスは誰何の声を浴びせる。
「そこまでですわ、ガレス様! ファトラは返して頂きますわよ!」
 凛とした声が影から発せられた。
「なななななっ!? あ、あなたはぁぁっ!!??」
 影の正体を見て、ガレスはぐうの音も出ないほどに驚愕する。
「----ルーン王女様あぁぁっ!!」
「あっ、姉上!! どうしてここに来られたのですか!?」
「妹を返してもらいに来たのですわ。さあファトラ。一緒に帰りましょう」
 ルーンはファトラに向かって手を伸ばす。
「あああぁぁ姉上……」
 驚愕のような、安堵のような表情をしながら、ファトラは涙ぐんでいた。
「い、一国の女王ともあろう御方がこのような危険を犯すなどとは、一体あなたの
国はどうなっているのですか!?」
「いけませんわガレス様。ファトラは……ファトラは私の大切なお人形なのですも
の。いくらガレス様でも、貸してあげませんことよ」
「あああぁぁ姉上?」
 ルーンの言葉にどう反応すればよいのか戸惑っているファトラ。
 ガレスはようやく余裕を取り戻した。
「ふ……ふふふ…。ふははははははははっ! と、とにかく姉妹そろって我が城へ
来て頂けるとは光栄の至りですな。
 ルーン王女。あなたも我が物となるのです」
「そうはいきませんわ」
 ルーンはガレスへ向けて大仰なライフルのようなものを向ける。
「ほほう。そんなもので私が倒せると?」
「ほほほ。これは我がロシュタリアに伝わる先エルハザード文明の兵器の一つです
わ。打ってさし上げましょう」
 その言葉に、ガレスの顔は色を失った。
「なっ!! ちょ、ちょっと待て!」
「えいっ!」
「うわああぁぁっ!!」
 兵器から発せられた目映いばかりの光が網膜を焼き、轟音とともにそれは収束し
た。
 兵器の有効射程内には何も残っていなかった。
「ガ、ガレス様ぁ!」
 ナハトは半狂乱でガレスの姿を探すが、後の祭りである。
「さあファトラ。帰りましょう」
「は、はあ……」
 頬を引きつらせながらも、ファトラはルーンに連れられて帰っていった。
 こうしてルーンは無事ファトラを助けたのだった。
「姉上…。いざとなると凄いですな……」
「ルーン王女様、素敵ですぅ」


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