日記風に写真や文字を入れていろいろ書いてみたいと思い、新しくワードで作ってみました。 詳細トップ  新着トップ  ホームトップ

         やんちゃフエスティバルに乳幼児といってきました
       
 小学生が運動会の準備のためにやんちゃフェスティバル2003は乳幼児が小学生の代わりに「ミニモミじゃんけんぴょん」を踊りました。ギリギリまで人が集まらなくて苦労しました。小学生ならば、一緒に行って一緒にある程度は行動できます。ところが上の写真の子どもは来年の新1年生と再来年の新1年生とその次の年の新1年生です。いつの間にか人ごみの中に入って行って,気づいてみるといなくなっています。前のステージが終わりいよいよ出番という時にやっと見つかったりしました。逆にステージに上がるときにいなくなった子どももいます。それでも最後のみんなで記念写真の時はそろいました。集合写真に子どもは10人です。一人は1歳で踊りませんでした。8人の子どもは踊りました。踊るときに逃亡していなくなった子どもはあと一人です。さあその子はどの子かな。

    
 保護者にも考えてみると午前9時集合は書いたのですが、子どもの踊りが10時26分・集合が10時15分というのは書いてなかったのです。乳幼児を扱うときは今度は集合時間と同時に踊りの開始時間と集合時間を明記しなくては。

         子どもを連れて歩くといろいろあります
      

 9月20日の土曜日に自然科学館へ50人の小学生を連れて行きました。いつもの通りいろいろなことがありました。でも無事に終わり自然科学館のバスを降りるときのことです。1年生の男の子どもの前に女の子が割り込んで下りようとしました。1年生の男の子は怒って女の子の首の後ろを思い切って引っ掻きました。女の子は泣きじゃくるし、定期バスのバス停なので早く下ろし終えなかればいけないしで大変でした。
 引っ掻くほうも引っ掻くほうだし、割り込む子どもも割り込む子どもです。小学生の低学年を相手にするということはいつもこんなものです。こんなもんだと思っていればなんとかできるものです。こんなものだと思っていないと子どもを障害児などと決め付けてしまったりします。子どもの行動パターンをunderstandすることが大切です。なおこうして引っ掻いたりしたときは私は厳しくその手を怒ります。強く強く握ったり、ときには『この手は悪い。あんたはいい子』といってパチンをすることもあります。これは時と場合で必要なことだと私は思います。もちろんその子どもと親との信頼関係が前提です。男の子はサルと一緒です。しっかりと叱りそしてまた叱りまた叱りたまには褒め、毎日スキンシップをしているとだんだん人間の子どもになって来るようです。



 1年生のミニ合宿。(写真と本文は直接の関係はありません)

             
 最近超ウルトラ元気な子ども(=アグレッシブな子ども)が減ってきた。そのかわり安易に注意欠陥症候群などと言われすぎているように思う。私はときたま超ウルトラ元気な子どもがいると「私の家に連れて行って合宿させるぞ」と言っている。半分冗談だが、たいていの子どもはそれで良い子になることが多い。でもぜひミニ合宿をしたいという子どももいるので親との個別の了解で仕事ではなくてミニ合宿をすることもたまに(3年に1回くらい)ある。でも小学校低学年の子どもは何をやらかすか分からないので私自身も5000万円の賠償責任保険に入っている。昨年までは3年で保険料が5000円くらいであったが、今年からは自動車の任意保険に家族賠償保険(被保険者の家族が賠償責任を負う場合の保険)が追加されて1年900円の追加料金で1億円まで補償される。アグレッシブな子どもをお持ちの方にはぜひおすすめである。
 さてミニ合宿の話である。1年生の男の子を2人をマンション(母が特養にいるので普通空いている)に連れて行った。「これから自宅まで行って車を置いてくるから家で待っていてね」と言って出かけてた。車を置いて自宅から着替えなどを持ってきたら、マンションの周りを走り回っている子どもがいる。夕方7時半でもう暗いのに誰かなあと思った。よく見たら連れてきた2人である。「どうしたんだ。待っていなさいといったでしょ」「だって心配になって」
 マンションの部屋に戻りホカホカ亭のカツ弁を二人は食べ、私は野菜炒め弁当とビールを飲んだ。2人のお母さんからもらった2リットルのアクエリアスや麦茶があったのだが、500ccのアクエリアスを2人で分けて飲み始める。一人は細長いコップもう一人はその倍の広さのコップで飲んでるのだが、高さを同じにして「こっちが多い」「いやこっちが多い」とケンカをしている。冷蔵庫の中にはまだたくさんあるのにね。二人は楽しくケンカをしながら楽しんでいるのである。
 フロに入ることになった。風呂場に服を脱がないでご飯を食べた場所でみんな脱ぎ、裸になって二人で部屋の中をおかっけこを始める。「はやくフロへ入りなさい」と叱られフロに入る。脱いだ服と下着は一日の汗で煮しめ状態。きっとこれはお母さんは一回水洗いしなければ洗濯機に入れられないだろうと思った。久しぶりに元気な子どもの証明を見た。
 フロからあがってくると二人で素っ裸で遊びまわる。15分くらい遊ばせておいてパジャマに着替えさせる。帰ってきたのが7時半過ぎだったのでこの頃はもう8時半頃になっていた。10時半まで絵を描いたりノートパソコンで写真のスライドショーで遊んだりしていた。
      
 驚いたのは夏休みに入ってすぐのドミノ遊びのときに自分がどこで何をしていたとか、海水浴で何をしたとかどこにいたとか鮮明に覚えていることであった。二人の頭の中にはきちんと写真のようにインプットされているのである。スライドショーを見ながらそのときの自分を周りの様子がわかっているのである。
 10時半になり「寝なさい」で布団にいく。3分後には轟沈。もう寝てしまった。子どもってすごいね。元気な子どものすばらしさに感激した。2時に一回おしっこに起こし、後はぐっすりであった。寝顔はチョー可愛い。子どもの寝顔は天使である。

 朝6時半に起床。後片付けをして、朝飯をセブンイレブンに買いにいった。本人たちの希望でサンドイッチにする。マンションの空気を入れ替えするので玄関の鉄の扉を開けていく。二人には「サンドイッチ買ってくるから部屋の中で遊んでいなさい」と言って出かける。セブンイレブンから帰ってくると二人はマンションの外にいる。「どうした?」「寂しかったから出てきた」「まあいい。朝飯を食べよう。朝飯を食べたら平島公園で遊ぼう」無事に朝になり、ゆっくり朝飯を食べる。
 
 マンションを出て公園に出発しようとする。玄関の扉を閉めようとするが閉まらない。鉄のドアの蝶番がひん曲がっている。風通しを良くするために閉まらないように四画の木を置いておいたのだが、二人が部屋を出るときにマンションのドアを閉めなくてはいけないと思って思い切って強く押したという。それで鉄の蝶番がひん曲がったのである。子どもの力は偉大である。公園に連れて行き「この公園の中で遊んでいなさい。絶対にこの公園の外に出ないこと。出るときは公園の前の私の自宅に来ること」と教え、知り合いの大工さんをすぐに呼んで見てもらった。なんとか蝶番がなおり、ドアはちゃんと閉まるようになった。
 私がマンションをなおしている間にも自宅の中を二人で探索しようとし、「テレビでも見て待っていなさい」と叱られていたという。こうして無事に一日ミニ合宿は終わり、土曜日の児童センターに戻ることになった。めでたし。めでたし。

 人間の男の子どもと女の子どもとサルの子どもをunderstandしてみると、サルの子どもと男の子どもがほぼ一緒で、女の子は別の位置にいることに気づく。もちろん概ねで、違う男の子も女の子もいるが。
 サルの子どもに近い男の子を見ると(どこへ行っても部屋の中をうろうろする・棒があれば振り回す・物があれば投げる・じゅうたんをむしる・穴があれば掘る・立っているのはひっくり返す・砂や土をふりまく)女の子しか育ててこなかったお母さんや学校の先生は注意欠陥症候群ではと思ってしまう。大丈夫です。彼らはサルに近い男の子で女の子とは違うのです。男の子どもの多くはサルの子どもと同じ体験をして、やってよいことと悪いことを学習するものなのです。ある意味では正常な発展です。ただ今の文明社会での制約をきちんと教え(叱りながら)人格の完成を目指せば良いと思うのです。


 

 今年の8月はけっこう忙しかった。多分今までの中で一番忙しかった夏休みであると思う。要因は一つは長崎の幼児虐殺事件であり、東京の小学生監禁事件である。このことで日本が安心していてはいけない社会であることが衆知された。実は前からそれほど安全ではなかったのだが、隠す日本の社会の体質が見えなくしていただけなのである。社会は子どものとってそんなに安全ではない。それを自覚した上で子どもが安心して遊べる環境作りをしなくてはいけないと思う。しかしそれは容易なことではない。何よりも子ども自身が不安材料である。すぐに蹴る子ども・切れる子ども・喚く子ども・他人の権利を踏みにじっても自分のことだけを主張する子どもそして親・子どもと親がたくさんになればなるほどトラブルは生じる。しかしトラブルの中でしか子どもも親も成長しない。今年の夏休みの活動の裏話をちょっと書いてみたい。

                             
 プールで泳ぐ
            


 今年の夏休みはプールから始まった。子どもはプールや海水浴は大好きだ。しかし水遊びには危険が伴う。まずいつもと違う場所に連れて行くのが大変である。群れ遊びを好む小学校低学年児童は同時に無意識で他人を押したり、蹴ったりする。興味のあるものにすぐに心を奪われてしまう。けれど集団行動で速やかに移動するすることとこの時代の子どもの特徴は矛盾するのである。だから「小学校のプールへ行ったら楽しく遊ぶのだから行き帰りは速やかな行動をとれ」と言うのだが、歩いたいる最中にちょっとぶつかったといっては他人を強く押したりする。車道に出そうになったりするので押した手を厳しく身体で分かるように教える必要がある。「O君を押したこの手は悪い。君は良い子だが。手に分かったか聞きなさい・」と教える。サルの子どもと人間の男の子どもは一緒である。悪いことをやって叱られ、また悪いことをやって叱られ成長していく。女の子どもは男の子どもが叱られるのを観て学習する。
 プールに着くとプールサイドを走る・プールに飛び込む・ビート板で叩き合う・笛がなってもあがらない子どもが出てくる。叱って叱ってそれども笑顔で遊ぶのが子どもである。
 プールには60人くらいを職員2人とボランティア5人くらいで出かける。ボランティアは保護者である。共働きのクラブの保護者だから年休をとってきてくれる人も多い。プールで自分の子どもや他人の子どもがどのように遊ぶか仲良くケンカをするかを見ることはとても有意義なことでもあるので、みんな積極的に協力してくれる。保護者の自ら積極的に年休をとっても協力してくれるような体制を作ることは児童館・児童クラブの職員の大切な仕事であると考えている。
 プールが終わって子どもは疲れて静かになってくれることはない。彼らのエネルギーは尽きない。だからその後も仕事はいつもと同じである。彼らが疲れるのは夜になってからである。夏休み児童センターに来るようになると夜ぐっすりと寝るようになると保護者の話が聞こえると嬉しい。


                           
海水浴
             

 
プールで基本的な指導をした後はいよいよ海水浴である。松林を越えて20分ほど歩いたところに海がある。漁業水域で他の人が泳いでいない・漁業関係者となかよくなっているのでうまく利用している。黄色の浮きを二つ砂を入れたバケツを重りにして浮きと浮きを結ぶ線の向こうに行かないように指導してやっている。60人を職員2人とボランティア5〜7人くらいで連れて行く。正直に言ったこちらも命がけでもある。最近の子どもの変容で小学校・保育園・児童クラブで海水浴を行っているところは新潟市でもあまり聞かない。大自然の中では子どもは野放図になる。泳ぐ場所に行く前に波が来ると触ろうとするし、砂を投げて他人の顔にぶつける。波と風に揺られて区域外にでる。こちらのエネルギーも大変なものです。もちろん泳ぐ前には海の様子を見に行かねばならない。また深みがないかを調べたり、寒くなった子どもの健康観察やくらげにやられた時の治療・捨てられた釣り針が足に刺さる子どもなどいろいろである。看護婦さんのボランティアもいてくれるので頼みになる。
 大変な思いでやるけれど、海の中で楽しそうな子どもの笑顔を見ると頑張って海水浴を続けようと思う。
 海水浴というとダウン症や自閉症傾向の子どもあるいは知的障害のある子どもにはとくに海水浴は有効である。波のザブーン・ザブーンの繰り返しが子どもにはとても安定をするための力があるようだ。


                        ツーパワー・スリーパワーのオニム大会
             

 オニム大会も200人ほどで行われた。チームもツーパワー・スリーパワーでやることにより、みんなで負ければ怖くない・仲間作りの輪が広がる・障害児も仲間に入れることができるなどのプラス要因もあるのですが、ツーパワー・スリーパワーにすることのトラブルも多いものです。
 誰と仲間になるかでまずもめます。また自己中心でわがままな子どもはなかなか仲間作りができません。同様に若干の障碍のある子どももなかなか仲間になれません。そこら辺をうまく援助するのが私たちの仕事です。ツーパワー・スリーパワーで仲間を作った後は自分の仲間が間違って途中で黄色の玉を落としてしまうと負けになります・「お前が黄色を落としたから負けたじゃないか」などの不満やケンカがあります。相手チームの玉が入らないように意地悪なことを言ったり(=「外れろ。外れろ」などの大声をあげる)します。またルールを巡るトラブルもたくさんあります。小ゲンカも絶えません。手を変え,品を変えて注意をし、みんなが仲良く遊べるようにしますが、けっこう大変です。
 ちょっとストップきちんとアドバイスさっと再開(チョキンサの原則)を使ってルールを何度も確認したり、みんなでオニムの台を見て回ったりしてやりました。
 行事の前の準備も大変です。物置の中に入れておいたオニムを12台出してきたり、オニム大会の景品の準備・オニム倶楽部との打ち合わせ・デジカメの準備などがあります。大会終了後には表彰式の準備や映写会の準備があります。表彰式では一番みんなに負けてあげて勝利に貢献したチームも表彰しました。なんで表彰されたか不思議そうでしたが、とても嬉しそうでした。勝利チームがあるということはその裏に負けてくれたチームがあることが必要となります。大会がうまくいったということは負けてくれた人がいるということを大切にすることが必要と私は考えています。こんなやり方だと大会が終わった後のトラブルも少なくなるものです。

 いろいろな行事やゲーム大会等がありますが、たんに行事をこなすことを目的にしてはいけないというのが私の考えです。行事や大会を通して、結果として子どもたちの遊びの和と輪が広がることが大切です。オニム大会の後に子ども同士で日常遊びの中にオニムが定着し、子どもたちの親和的関係が深まり、豊かな人間関係が築かれるようにサポートしていくことが大事です。遊びは子ども達同士の豊かな人間関係を作るための一つの手段であることが大事です。常にグループワーク的手法をうまく活用することが大切と思います。

  子どもの表現遊び(じゃんけんピョン)         (アイーン体操)
 
 
 子どもの表現遊びの指導は難しい。とくに面倒なのが恥ずかしがることと恥ずかしいので逆にちゃんと踊る人を小馬鹿にする態度をとる男の子が出てくることである。私はこうした子どもを徹底的に叱る。叱り過ぎと他人に思われるほど叱る。そうしないと楽しく大胆に踊る子どもがいじめられるからである。子どもも人間も本当は思い切って自己表現したいという欲求を強く持っている。それが素直に出てくれば良いのだが、なかなかそうはならない。裏返しとして思い切った自己表現をする子どもにやっかみ半分でいじめや「かっこつけて」などの言葉を出すことになる。だからそんな態度は許さない。
 逆に私を含めてそうであるけれどリズムにのれない子ども・表現が一生懸命だけれど下手な子どももいる。一部うまい子どもの中で下手な子どもを「へたくそ」「あなたがいないとうまくいくのに」等の辛らつなことを言う子どももいる。こうした態度も絶対に許さない。子どもの表現遊びは子ども自身のためにあるのであり、大人のためにあるものではない。上記の踊りのときも前日の練習でわざとにやけてちゃんと踊らない子どもを徹底的に叱った。当日は一回も練習をしたことのない子どもも50人中10人以上いたが一緒に踊った。そのため前に踊っている子どもは比較的うまい子どもたちで、後ろの子どもは前で踊る子どもを真似をして踊っている。「某国」のマスプレーのようにそろっていないけれど、それが子どもの表現遊びのよさだと思っている。
 子どもの表現遊びで留意しなくてはいけないことは、当日の演技がうまくできるかできないかではないということである。練習自体が楽しくて練習自体に意義があることだ。練習自体が楽しいかどうかを測る尺度を私は練習後に音楽をかけてなお自主練習をしようとする子どもが2割くらいいることだと思う。40人で練習をして、練習後に10人以上はやろうとする子どもがいるような楽しい練習をしたいと思っている。