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■ tomoyanのプロフィール (2002年5月) 2014/4/9更新    詳細トップ






 

Icon ハンドルネーム
tomoyan(ともだちになろうよの意味です)
Icon 職業
子どもの遊び場の職員でしたが、2011年3月31日定年退職して、平島公園を含めて、子どもたちとの活動をしています。
 平島児童遊園の児童厚生員・自治会会長・平島公園クラブ・国際こども福祉カレッジ非常勤講師・新潟市西区公園愛護連絡協議会会長などをやっています。 
Icon 役職/学年
山菜採り歴15年・子ども相手歴37年 
Icon 誕生日
1951年1月23日(ウサギ年ですが、旧暦トラ年です)
Icon 性別
男性 
Icon 出身地/出身校
山奥育ち・教育学部卒
2003年4月より放送大学大学院文化科学研究科臨床心理プログラムを修士科目生として受講中・退職後人間発達プログラム受講
Icon 住まい
公園近く・草取りやってます 
Icon 趣味
山菜採り・バックギャモン・カプラ・折り紙
Icon 特技
創作折り紙・動く簡単面白い工作・ドングリ集め 
Icon 好きなもの
納豆・山菜・ラーメン・温泉・そば
Icon 取得資格
運転免許(普通・普通二種・大型・小型自動二輪)
小学校教諭免許・児童健全育成指導士・防災士

Icon 好きな言葉
権力は腐敗する・暴力は麻痺する
 ユングの言葉です。権力を持つとその権力は腐敗を始めます。常に権力は他人のチェックを受けることを意識的に行うことが必要と思います。
 暴力を振るうことは次第に麻痺していきます。児童虐待などはその典型のような気がします。権力と暴力には常に警戒心が必要とのユングの警告が好きです。
三つ心・六つ躾・九つ言葉・十二文・十五理
活動は働き・学び・遊びが包含されている

Icon 最近の考え
子どもの視線の下からの大発見を
 子どもの目線まで下がろうではなくて、子どもの目線のさらに下からみてみようというものです。大人の考えからは考えられないおもしろいことが発見できることがあります。
 2008年6月追加 理解するunderstand
『働き』『学び』『遊び』のバランスを
 □ 『働き』『学び』『遊び』の思想
Icon 主張
子どもの遊び場環境作りを
 児童館・児童クラブ職員の仕事は第1に「子どもの遊び場環境作り」であるという考えと実践をすることです。職場と自宅前の平島公園及び専門学校で草取り・ゴミ拾い・花植えなどの環境整備を行っています。環境がきれいになると子どもたちは仲良く遊び始めます。犬のウンチがあるような環境では子どもたちは楽しく遊ぶことができません。コンクリートで囲まれた都会でもプランタで野菜や花植えをすれば子どもは元気になります。
 2008年6月追加 緑の芝生の中で子どもは成長する
   origamiは 動く簡単面白く 
       裏目紙目に 折り目正しく

 2歳半から遊べる創作折り紙をやっています。origamiは日本の伝統文化です。origamiを通して折り目正しい生活のできる子ども・大人にと私自身が思っています。
 2016年はスマホサイトで創作折り紙を見やすいようにしました。
Icon 遊びの手法1
ツーパワー・スリーパワーで遊ぼう
 少子化時代の子どもたちが仲良く遊べるための手法をいろいろ考えています。ツーパワー・スリーパワーでの遊びは使えます。一人でやる遊びを二人組み・3人組でやります。でも1人と一緒で一回しかできません。七並べをスリーパワー3人組み4グループ12人でやるというものです。遊びのルールの相互伝達にもなります。
Icon 手法2
 ワン・ツーでやろうちょきんさの原則
 子どもたちに遊びのルールやきまりを教えるときには一つか二つにしておくのが良いという考えです。ワンは一つ・ツーは二つスリーはスライスする(たくさんの意味)からでているのだそうです。子どものわかるワン・ツーで説明はやめるのが大事です。
 ワン・ツーと説明したらすぐにゲームを始め、トラブルが生じたら「ちょっとストップ・きちんとアドバイス・っと再開」します。これで遊びのルールが貯金されて子どもたちの遊びの輪が広がります。 
Icon 手法3
 遊びは伝え合うもの
 遊びは一方的に指導するものではなくて、互いに伝え合うものです。同時に伝え合いの中で常に変容していくものです。子どものニーズ・社会の変容の中で遊びはどんどん伝え・変容させていくことが 
Icon 技法4
 躾は大切
 学校臨床心理学から学んだことです。カウンセリングというと受容・共感が大切と考えられがちですが、現代的状況では躾ということを考えに入れないわけにはいかないというのです。欧米と違って日本人は一般的に神を信じていません。個人主義や個性の尊重は科学的と考えられがちですが、その根本には神の前での平等・いつも神が見ておられますよとの考えがある。神を信じていない日本人にとっての個人主義等はたんなるエゴイズム=自己中心主義にしかならない。 人は仲間としてしか生きれない動物であることを考えると躾の現代的意味を再考する必要があると私もおもっています。
  2006年6月1日追加
Icon大切なもの
 一番大事なのは生命
 なんといっても一番大事なのは生命です。人間にはやってよいこと悪いこと・言ってよいこと悪いこと・やってよい場所悪い場所があります。他人の生命を傷つけたり・身体と心に後遺症を残すような行為や言動は許してはいけないと考えています。
 最近他人を傷つける子どもや大人の人権が主張されて、傷つけられている子どもの人権はどうなっているのかと思うことがあります。
 他人の生命を傷つけたり・身体と心に後遺症を残すような行為・言動をしっかり叱ることの必要性を強く感じています。
 石原都知事が言っていられるのですが、子どもにはしっかり怒られる権利があると思います。 
Icon凝っているもの  ホームページと木の実
 ホームページを充実させるのが今楽しみになっています。ホームページを通じて友達の輪を広げていきたいと思っています。
 木の実も好きになりました。マテバシイ・スダジイ・ナラガシワなどのドングリ・食べられる江戸イチゴ・桑のみ・甘柿・タワラグミ・ヒメリンゴ・花梨などもいいですね。モミジバフウもおもしろい木の実です。山菜採り・木の実探検・きのこ採り・温泉めぐりの春夏秋冬です。
Icon最近学習したこと 2008年6月に追加をしました。

 一つは乳幼児は社会的参照の能力が優れています。新奇な事態になった時に自分で解決できる能力がない分だけ愛着対象の様子を見て物事を判断します。またあかちゃんには凄い力があります。その意味であかちゃんから学ぶことがたくさんあります。

 二つめは人間は2次的道具を作ることができるということです。これは放送大学の文化人類学で学んだことです。迂回的な思考や努力をすることはとても大切です。その意味では個性や創造性の原点は我慢とあきらめであるとも言えるでしょう。

 三つ目は人間の脳はほとんどオートマチックに動くようにセットされています。ですからいろいろなことを学ぶことは自動回路で動けるように訓練することです。また間違った学習をして自動的に手や足が悪いことをするのなら、行動療法的に修正していくことが必要でしょう。

 四つ目は感情的に叱っていけないというのは間違いです。自分の子もしくは自分の関係者ですから叱りたいと思います。ですから感情を込めて叱ることはとても大切です。でもその感情をコントロールすことが大切です。

 五つ目は気分一効果の考えです。子どもの時間は大人の3倍密度が濃いように思います。ですから気分はコロコロコロリンと変わります。子どもを相手にするときは気分一効果を使うと便利です。気分一効果とは「悲しい」と「嬉しい」の気持ちは同居できないことです。子どもが元気が無い時に楽しいことポジティブなこと笑いがでるようなことを提供しましょう。ネガティブな子どもの話を真剣に聴くなどとの考えはマイナス効果になることが多いものです。人生は「ダメなものはダメ」と割り切って元気に前向きに考えていく方が良いと私は思います。


 六つ目は体性感覚を使うことです。いわゆる五感といった特殊感覚のみに依拠しないで運動感覚・筋肉感覚・痛覚・圧覚・冷感覚・熱感覚・触覚などに代表される体性感覚を上手く利用すれば、障碍をもった子どもでもそうでない子どもでも上手く楽しく運動や学習や遊びを伝えていくことができます。わらべ歌のように歌って踊って身体全部を動かしていくことが大切と私は思います。

 七つ目は子どもの発する言葉と子どもの本音は違うことを知っておくことです。子どもはうまく表現することができないので、本音を理解することは難しいものです。understand(下側に立ったり)したり、ノンバーバルコミュニケーションの力をつけることが必要です。
 例えば幼児が「お母さん抱っこ。抱っこ」と言うのはお母さんに自分の視線の下に来てというのが本音で必ずしも抱っこをせよと言うこととは違うのです。だから近くによって膝を折って抱きしめてやれば満足します。大人にとっても発せられた言葉の事実と現実と真実は一致するものではないことも大切なことと思います。
 「嫌い」との表現には大好き・好き・普通・嫌い・大嫌いの意味があることもあるのです。

 ごっこ遊びは大切
 相手の気持ちになって考えるにはごっこ遊びが大切です。ごっこ遊びの中で相手の気持ちを考えることができるようになれば切れやすく、自己中心的で暴力的な行為や言動は減少するものです。人間の中には暴力性が内在していますので、ごっこ遊びやスポーツの中でそうした暴力性を昇華していくことも大切と思います。
Icon最近学習したこと2
2008年6月に追加です。

 物事が正しいかどうかを立証するには演繹法・帰納法などがありますが、仮説設定立証法(アブダクション)との立証法もあります。臨床の現場ではこのアブダクションを上手く使う必要があります。問題行動等のある子どもをいろいろ分析するだけではなくて、例えば注目されたいための奇抜な行動を仮説を立てたなら最初に注目をしてやる。それで上手くいかないなら別の興味を覚えるものを与える。また強く叱る。褒めてみる。無視してみる。などいろいろな手法を愛情を持ってやってみると見えてくるというもので。
 いろいろ検査をして検査をして自閉症などと診断されてもその間にも子どもは変容し続けていますから。

 注意の瞬き
 「何かに注意を向ける」というのは、本来大量になる感覚器からの情報を、対応可能な量にまで絞り込むこと、と考えるとわかりやすい。そうすることで、重要な情報(少なくとも、一見「重要」とみなせる情報)への対応に自らの持つ「資源」を集中し、他の情報を無視することができるようになる。というのが能の本に掲載されていた。
 注意の瞬きはほんの0.5秒くらいのことであるが、その間にその物に注意を向けることで対応を考えるというものだ。ADHD傾向の子どもは注意の瞬きが過ぎるとも考えられる。すべての音やモノや行動に注意がいってしまう。だから一つのことに集中できない。注意欠陥ではなくて注意がいろいろなところへ行き過ぎると考えることもできるのではないかと私は思う。

 エポケーする
 エポケーはギリシャ語が語源で思考停止との考えです。物事がよくわからない時はとりあえずエポケーして、やるべきことをやっておこうとの考えです。
 無意味な議論や分析ばかりに時間を費やしていると肝心のやるべき時を失うことがあるとの意味です。含蓄の深い言葉と私は思います。

Icon最近学習したこと3 2010年9月に追加です。
 
 正当防衛権代理行使義務
 子どもを躾ける時に体罰が必要かどうかについては議論があることです。私は基本的な愛情を前提にして、時と場合によって痛い目を子どもも体験することが必要であると考えています。
 まず基本的に考えなければならないことは不当な暴力や理不尽なことが世の中にあるかないかです。観念的に不当な暴力や理不尽なことはあってはいけないと思うのは勝手ですが、残念ながら世の中には不当な暴力や理不尽なことは存在しています。そうである以上対抗策として自衛したり、正当防衛権が行使されたり、警察や軍隊が必要となるでしょう。自衛・正当防衛・警察・軍隊をすべて否定することはできないでしょう。
 同様に子どもの世界や教育の現場・健全育成の現場でも実際に不当な暴力は存在しています。この存在を抑止することは必要です。この考えから、時と場合において体罰等は行使されることもありうると私は考えています。正当防衛権の代理行使義務があると思うのです。つまり不当な暴力によって幼い子ども等正当防衛権を行使できない人たちを相手にしている場合に教員とか保育士とか児童厚生員は正当防衛権の代理行使義務があると思うのです。正当防衛権代理行使義務を怠って、不当な暴力を蔓延らせることを許してはいけないと私は考えています。

 社会的参照能力
 放送大学院の臨床心理学の発達心理学で社会的参照能力のことを学びました。
 社会的参照能力とは乳幼児等自分の判断で安全かどうかを見極められない子どもはアタッチメント(愛着行動)の対象であるお母さん等の顔の様子から自分の行動を考えるというものです。
 具体的にはアクリル板等でお母さんと乳児の間に視覚的断崖を作っておいた場合に、あかちゃんはお母さんの顔を見て、視覚的断崖であるアクリル板を渡るか渡らないかを決めるというものです。
 私が乳児を抱っこした場合に、乳児は必ずお母さんの顔を見ます。そして、お母さんがニコニコしていれば、この人は安心と判断します。お母さんが「泣かないで大丈夫」などと思っていると「この人は危ないよ」と逆のサインになって泣くことになります。神経質は親に神経質な子どもが育つのではなくて、神経質な反応が泣き虫で心配性の子どもを育てているのです。ですからお母さんは「泣く子は育つ」と考えて新奇な事態に子どもが泣いていてもニコニコしていれば良いのです。
 人間は本質的に新奇な体験をたくさん積むことによって成長するものですから、神経質になって、先回りをして、子どもが泣かないようにばかりやってあげていると、不登校・不登園になる子どもが多いように思います。子どもは小さい時から群れの中に入り、多様な経験をしていくことが大切と思います。

 プライドとは(大阪大学鷲田総長さんの話より)
 「プライドとは自尊心と訳され、一般的には他人よりも優れているものをもっていることのように考えられるが、プライドとは他人に大事にしてもらえる自分がいると感じた時に持つことできるのでは」
との話をされていた。よくプライドが高い人と言われる人がいるが、そうした人は自分が他人より一歩上の存在であると主張したがる人に多いものだ。その点で自尊心や優越感が高そうだが、その中身は劣等感の裏返しでしかないのではないかとも思える。
 人間は独りでは生きることができない。ですから他者との関係性において、自分を感じることが必要となるのかもしれない。そうすると他者から感謝されたり、他者から大事にされていると感じることが自分自身にプライドが持てる根拠になるのかもしれない。
 ここでもう一つ考えてみた。私の場合に花緑の環境を作ろうといつも草取りをしている。それを見ている人たちの中で、「この人は身分の低い人だから、このような作業をさせられている」と感じている人がいることを感じる。そして「おじさん。頑張っているね」などと上目線の声かけをしてくれる。これはプライドを傷つけられることになるであろうか。
 でも私はちょっと違うのではないかと思うのです。草取りをしている場合にシバやクローバーなどの草達が「イネ科の背丈の高い雑草に私達はやられてしまう。助けて」と話しているのである。
 人間はたしかに人間同士の関係性で生きている。同時に人間以外の自然との関係性でも生きている。草木や動物・昆虫などとのふれあいで共生ができるならば、それ自身もプライドが持てる根拠になるのではないだろうか。

 2011年8月29日追加
 ヴィゴツキーの学習から形式陶冶と実質陶冶の基本的な理解ができた。ヴィゴツキーよれば、子どもの今に依拠するのではなくて、子どもの明日と明後日を考えて子どもの成長を支援すべきである。これを発達の最近接領域という。この最近接領域を感じるためには常に最新の学習が必要である。つまり指導者も常に試されている。また最近接領域を提供するカリキュラムは形式陶冶であったも意味がある。つまり形から入ってもよい。しかしながら、子どもの最近接領域を提供できない形式陶冶は無意味である。同時に実質陶冶言いながら、今日の子どもに依拠するならば永遠に本質的な子どもの発展を考えることはできないであろう。

 2016年12月17日追加
 11月に防災士の資格取得をした。自助・共助・公助のことを学び、『自分の生命は自分で守る。自分の地域は自分で守る』との一番当たり前のことを再度確認できてよかった。また祭りや花火・スポーツなどの行事の中に防災活動を内包させて、「脅かしの防災訓練」や「知識の防災活動」から基本的な『姿勢としての防災活動』を日常的に行う工夫と手法を考えていきたいと思う。
 時代がどんどん変わっていっている。人々はパソコンからの情報ではなくてスマホから情報を得るようになっている。そこでスマホサイトを作った。
 最近は満3歳になると保育園や幼稚園に行くようです。2歳半の子どもが遊べる『動く・簡単・面白い』折り紙でしかも3秒間に劇的な変化をするものが必要です。そこで倒立折り紙やロケットなどを作りました。
 猫の記憶の保持時間は3秒ほどだそうです。3秒前のことは忘れてしまっているのだそうです。どうも2歳の子どもも一緒のようです。倒立折り紙を見せても最初と最後が似ているので楽しくないようでした。倒立折り紙を横にして、押してあげると立つという劇的な変化にしてみました。すると2歳半でも喜んで遊びます。(2歳以下は折り紙ではなくて人間の眼に集中するようで遊んでくれません。)未満児が遊べる劇的な変化のある折り紙(3秒で全く違ったものになる)をこれからも創作していきたいと思います。
 防災のことを考えています。災害は想定外のことが起きるので災害です。同時に災害を想定して対処することも大切です。想定するけれど想定外との矛盾があります。これを解消するための手法を見つけようと思っています。
 防災訓練ではなくて内包された防災(遊びの中に防災を取り入れる)ことが一つの手法だと感じています。遊びは予測がつかないから楽しい面があります。運営する側も遊びだと予測がつかないけれど大まかな原則を決めて想定外のことも考えながら、やっていくのが良いのかなあと思っています。
 取り合えすは2017年2月3日(金)に冬花火と自家発電と豆まきを平島公園でやってみます。


 
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