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 集団浅慮に気をつけよう 2006年6月18日 詳細トップ 


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集団浅慮について

           
      
 集団浅慮という考え方がある。これは放送大学大学院の社会心理学特論で学んだものである。
 集団浅慮は凝集性の高い集団が組織の持つ構造的欠陥から極めて優秀な人材であるにも関わらず(優秀でない場合もあるが)間違った判断をしてしまうことがあるとの理論である。
 集団浅慮の先行条件としてまず凝集性が高いこと・集団のリーダーに公平性がないこと・集団がリーダー以上の解決策がないと考えられていることなどがあげられている。
 集団浅慮の兆候としては自分の集団は間違うことはないという無謬性を持っていること。集団に閉鎖的傾向があること。他成員との異質性をさけ、反論者に圧力をかける傾向があることがあげられている。
 このような集団浅慮の傾向が強まり、意思決定された場合は誤った決定をすることが多いというのである。これを防ぐためにはリーダーは最初から一定の傾向や期待を述べない・成員を批判的に評価したり、反対論を擁護する役割を作る。単一なグル−プにしないで、サブグループを作る。他分野の集団や集団外の人とも論議をする。また外部の専門家からの挑戦を求める。論議の対象に関する様々な情報・特に警告については情報を十分検証する。最初の合意を再考する第ニの機会を持つ。などのことがあげられている。

 集団浅慮について学んだ時に、実は私の経験の中にこのような集団浅慮に追い込まれることが多いことに気づいた。
 公園でのフリーマーケットを実施する会議において公園への自動車の乗り入れを許可すべきかすべきでないかの決定・夏祭りの開始時間を何時にするかの決定・冬まつりでのフリーマーケットの搬入時間の決定などにおいて、ほぼ集団浅慮状況に追い込まれた。特定の人が「きれいな公園に車を乗り入れさせない」「他都市では午後2時に夏祭りをやったのだからここでできないわけが無い」「フリーマーケットの人のわがままを許さない」等の実現不可能であるにもかかわらず、「リーダー」の強引さと他の意見を聞かないこと・現場を見にいかないこと・必要な情報を集めようとしないこと・密室での論議に終始することで誤った決定がなされたように思う。

 日本における諸々の会議はすでに集団浅慮に陥る傾向を最初から持っているのではなかろうか。諮問委員会などがその典型で、ある意味ではすでに決められていることを後追い承認するだけの機関になってしまっていることも多い。だから後追いのための理論を考えるためになお誤った決定になる。また特定の専門家なるものが集められるために広い意見を聞くことができない。会議を会議室だけでやろうとして現場を見ない傾向が強い。文書等が重視され、映像や現実の状況をリアルに把握する資料が出ることが少ない。
 そこで私は最初から集団浅慮に陥らないように常に警戒の気持ちが持つことが必要であると考える。もっと違った考えは無いか。違った観点の見方はないか。違った立場の人ならばどう考えるか。実際の現場をみにいってみたらどうなるか。もっと違った手法がある可能性はないか。まったく異質なものを取り入れたらどうなるかなどということを常に考えて実行することが必要でないかと思うのである。
 また一見、損のように見えてもいろいろな用具や手法を使うことである。例えば公園の草取りにおいては芝刈り機・草払い機・小鎌・大鎌・草抜き器・除草剤・火炎放射器・手で抜くなどなどいろいろな機械や器具を活用してみることである。諸々の手法を使うということはいろいろな人が活躍する機会を活用するということである。失敗を恐れないでそれぞれの人が自分の手法でチャレンジして互いに情報交換をするといったパターンを作ることが必要と思う。ちょうどミツバチがいろいろな方向に飛んでいって花を見つけ相互伝達で蜜を集めるように、人間も集団浅慮に陥らないために互いに協力し合って異質なものを受け入れ、異質なものに学ぶことを念頭におくことが大切と思う。 
           
 


 

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