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■働かないアリにも意義がある  詳細トップ (2013年2月22日)

 働かないアリに意義がある 1 (メディアファクトリー新書 長谷川英祐)より

児童健全育成指導士 田中 純一

 働きハチとか働きアリというけれどそんなに働いていないとの話を聞いたことがあった。それでこの本を買ってきた。面白いところを抜書きしておこうと思う。私流の概略です。・お馬鹿さんがいた方が成功する。
 アリはフェロモンを出して、餌があった場所をみんなに教える。この時にお馬鹿なアリがいて、道に迷うことがある。すると最初の道よりも近道が発見されることがあり、結果的に、ある程度お馬鹿なアリがいる集団のほうが、利口なアリばかりの集団より餌をたくさん集めることが出来るというものです。利口なアリ(=きちんと前のアリのフェロモンを追いかけることの出来るアリ)ばかりだと、最初のアリの遠回りの道をどうしてもたどるから、遠回りばかりが続けられることになるというのです。
・兵隊アリは戦わない
 オオズアリの仲間で巨大な頭と顎を持つ人間が兵隊アリと名づけたアリがいるようです。この兵隊アリの役目は大きな餌を食いちぎって、小さな働きアリが運べるようにすることだというのです。他のアリなどが餌の横取りに来るとさっさと逃げていなくなる。戦うのは小さな働きアリとのことだそうです。
 写真の大きなアリが兵隊アリ・小さなのが働きアリです。
 
http://alinko.gozaru.jp/id0404b.htm(出典アリ飼いのためのアリ知識ノート)

 働かないアリに意義がある 2 場面的には7割は働いていない
 働きアリの7割くらいは場面的に働いていない
 種として生き残るためには、餌を探すことが必要である。でも餌が常にあるとは限らないので、地上にいて餌を探したりしている働きアリは働いているが、餌が見つかった時に運びにいくために休んでいるアリさんもたくさんいる。また不測の事態が起きた時の対応のために控えている働きアリもいる。いつもみんなが働いていたら、種として生き残ることは出来なくなるようだ。ハチも一緒で働きバチも働いていないハチが多い。ハチの巣が壊されたりするとみんなで集中して働いて素早く巣を直すとのことだ。 
 考えてみれば、一人の人間でもアリでもハチでも24時間働くことが出来るわけでもなく、やはり休むことがとても大切である。休んでいる時は無防備だから、他の誰かが助けてくれることが必要となる。働くことと働かないことのバランスが大切かなあと思った。 私の母は産婦人科の看護婦をしていました。出産は夜のことが多く、夕方でかけて、朝帰りはしょっちゅうでした。よくお母さんは子どもに愛情弁当を作ってあげることが大切などと主張される方がいます。私は皮肉も込めて
「大賛成です。ぜひそうしましょう。その代わりにみんな病院に入院するのはやめにしましょう。医師も看護師も夜勤はとてもたいへんです。夜勤をして、朝、子どもに弁当を作れみたいなことは私は言えませんから」みたいなことを言っています。
 多様な考え方をする必要があるし、そのためには多様な状況をきちんと見る必要性があると思います。働きアリと働かないアリについてそんな風に思いました。

 働かないアリに意義がある 3  なぜ上司がいなくても上手く回るのか
 女王アリとかいいますが、女王が命令してみんなが動くといったパターンでアリは動いてはいない。あるアリが餌を発見すると、アリ同士の相互伝達やフェロモンでの場所を教えあって、必要な仕事を必要な要員を動員してやってしまうというのがアリ達のやり方のようです。子どもがいたずらをしてアリの巣の入り口に泥を塗れば、その泥を排除するための要員が出てきて、素早く片付け、その仕事は終わりになるというのです。
 人間での諸活動の多くもそんなもんで片付くことも多々あります。上司がいないほうが上手くいくことが多いものです。
 私の自治会では毎月第1・3日曜日に平島公園の草取り活動をしています。普通こうした活動では、みんなが集合→自治会長挨拶→係分担の発表→作業→集合→挨拶→解散となります。私たちは役員が作業道具の用意→来た人から作業開始→後から来た人はそれぞれ分散して手伝い→作業終了→お茶会をして終了といったパターンでやっています。それぞれが草取り・花の世話・木の剪定・トイレ清掃・石拾いなど必要なことをやっています。ときに人手が必要な所から『こっちを手伝って。』などの声がかかればそれぞれ比較的に手が空いている人が手伝いにいきます。支持命令系統の作業よりもこの方が上手くいくことが多いものです。
 アリがとくに上司がいないのに出来ることを人間が真似を出来ないわけがないのではないかと思います。
 写真は働きアリが卵の世話をしている様子です。これはとても大切な仕事で、なめてあげないと雑菌にやられて卵が死滅することがあるとのことです。

  働かないアリに意義がある 4 鈍いアリさんのこと
 ちょっと汚くてもきれいにしないと嫌だという人は、清潔に対する反応閾値が低いとのことになる。ちょっとした汚れも気になるということだ。逆に反応閾値が高い人は、かなり汚れてからでないときれいにしようとは思わないとのことだ。この場合、低い・高いとの表現は良い悪いとの意味はない。
 アリにも反応閾値の違いがあるという。これは父方の遺伝子を受け継いでいるらしい。『餌があったよ』との刺激(フェロモンかな?)に対して、すぐに反応して働きだすアリもいるし、刺激が強くないと働かないアリもいるというのである。この場合の働かないというのは怠けてるとの意味ではなくて、反応閾値が高いから、刺激に対する反応が鈍いとの意味である。お馬鹿なアリさんもいれば、鈍いアリもいるとのことだ。みんなが反応閾値が低いとどうなるかのシュミレーションでは一時的に生産性が上がるが、全体としてみんな疲れてしまうので、種として生き延びる可能性が低くなるというのである。火災報知機であまりにも反応が良すぎるのも善し悪しと一緒である。火災報知機でも煙感知器・熱感知器などいろいろな種類があるように、反応閾値の違いがあったほうが、よりベターとなる。
 一部人間のように、自分は働かないで、他人を働かせて、自分だけは優雅な生活をするとのパターンはアリにはない。反応閾値が違っても、それぞれその個性を生かして生きているのがアリさんのようだ。いろいろな反応閾値があるから、アリさんの中にもほとんど働かないアリもいるらしい。でも、種としての生存から考えるとそのアリも存在意義があるということになる。同様に人間にも障碍などで必ずしも生産性が高くない人もいる。でも存在意義がある。働くを本来の人のために動くと考えると、生産性だけでは物事は捉えられないから、生産性が高くなくても存在意義はみんなあると思う。

  働かないアリに意義がある 5 反応閾値の違いについて
 鈍いアリさんと感覚の鋭いアリさんがいるのだそうですが、これを反応閾値との関係でもう少し考えてみたいと思います。あるアリは餌を見つけるのに反応閾値が低い(=刺激に敏感である)としても、卵の世話には敏感でないかもしれない。兵隊アリ(と人間が言っているだけで、実際は大きな餌を噛み砕くのが、お仕事で戦うことはない)さんは大きな餌に反応閾値が低く、大きい餌を見ると噛み砕く。働きアリさんは大きな餌よりも砕かれた餌に反応閾値が低い。また別のアリや昆虫等が餌を横取りに来ると反応が敏感で戦うことになる。つまり反応閾値を考えると全ての事柄について、どれも反応閾値が低いわけでも高いわけでもない。だから上司がいなくても上手く回って種を維持していると考えることが出来るのではないかと私は思います。
 人間を考えてみるとガードナーによれば人間の知能は多重でそれぞれ独立していると言っています。多重知能理論との考えです。多重知能の内容は言語的知能・論理数学的知能・身体運動的知能・空間的知能・音楽的知能・博物的知能・対人的知能・個人内知能です。ある人は言語的知能に優れ、ある人は音楽、ある人は数学でよいと私は思うのです。このようにそれぞれの反応閾値がそれぞれ違って面白い世の中になるのではないかと私は思っています。ある場面においては鈍い人が、ある場面では鋭いことがよくあるものです。眼のよい人は視覚に頼ることが多いので、聴覚はそんなでもない。でも視力の落ちる人は聴覚が発達する。一人の人間でも目を閉じて耳を澄ませばいろいろな音が聞こえてきます。
 働かないアリに意義があるとはそんなことのように思います。

わたしと小鳥とすずと (金子みすず詩集より)

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
 とべる小鳥はわたしのように、
      地面(じべた)をはやくは走れない。

 わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
 あの鳴るすずはわたしのように
  たくさんのうたは知らないよ。

 すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

 小さなアリもみんなで個性を生かして頑張ってやっているのですから、人間がやれないわけがない。

働かないアリに意義がある 6 アリと人間  反応閾値のこと
 
きれいい好きとは汚いことに速やかに反応するとのことである。アリさんのも人間にもきれい好きとそれほどきれい好きでない人がいるであろう。ただここで人間のほうが困るのがある。きれい好きのアリはどこでもきれいにしたくなる。きれい好きの人間の一部の人にはじぶんの周りがきれいであればよくて、他人の場所を汚くするのに気にとめない人がいる。
 昨日は木曜日でゴミを捨てる日でなかったので、私がゴミステーションに鍵をかけておきました。そしたら、ゴミステーションの横にプラスチックも生ゴミもスポーツ新聞も一緒にして、捨てていった人がいました。自治会の役員の仲間と中を確認しました。特定できる物があったので、役員で分別とゴミを捨てる日を守るようにお願いに行きました。びっくりしたのは、家の中はとてもきれいなのです。つまりきれい好きだから、ゴミは家においておきたくなくて放置するのです。アリさんにはそんなアリはいないと思います。
 日本人は地域を大切にする民族です。日本人の良さを取り戻すために、みんなのことを考え、環境を大切にする反応閾値を敏感にしたいと思います。学校教育でも清掃をみんなでやることはとても大切なことだと思います。トイレ清掃なども教育的観点から復活させることがあっても良いと思います。非常勤講師をしている専門学校では校舎の周りの草取りをやるようになりました。経費節減のためだけではなくて、自分の暮らす場所をきれいにするとの教育的な要素が大切と思います。
 写真は私のふるさとの下田村(現三条市)の山奥のブナ林です。このブナ林のような環境を平島公園でも作り上げたいと私は考えています。

働かないアリに意義がある 7 他人の働きにただ乗りするアリ
 働きアリとあまり働かないアリがいるのは反応閾値の違いで、それが上手く作用して、種を維持するとのことが基本にあります。でもアリの中にも他人の働きにただ乗りするアリがいるようです。人間と似ていますね。アミメアリの仲間は女王アリがいなくて、働きアリが卵をそれぞれ産んでいるとのことです。その中に自分は働かないで他人の働きで生きているアリがいるそうです。そうするとただ乗りするアリだけが増えてしまいます。ただ乗り=フリーライダー(チーター=だます者とかいうのだそうですが)だけのアリが増えるとそのコロニー(アリ社会)は誰も働かないので滅びてしまうのだそうです。
 日本の社会も『おれおれ詐欺』とかお金を転がして儲けるとか、自分は汗水出して働かないで、ただ乗りをする風潮が強くなってきたように思います。『働く』は『人のために動く』との気持ちをもう一度大切にして、日本を良い国にしたいものです。
 写真は一生懸命働いているアミメアリさんたちです。