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子どもと事故 ..ともやん [URL]  広島県のことである。8月20日に小学生が学校で学童クラブの清掃の時間中に仕切り戸にぶつかった。その結果、胸にガラスが刺さり死亡するという事故がおきた。 厚生労働省の課長通知も出て、県の児童家庭課より、今年の安全管理はその点も配慮してやって欲しいとの連絡が入った。  早速広島の友達に電話で連絡をして、事故の様子の新聞のコピーを送ってもらった。基本的には仕切り戸の問題もあるけれど、ハード面の問題よりソフト面の問題が大きなウェートをすめるのではないかと思う。  広島の友達も最近彼女が保育園を辞めてから事故が続いているとの話。きちんと日常活動の中で安全指導と子どもの管理がしっかりしていなくなり始めたとの感じがするとんことだった。  死亡事故が起きるとマスコミを含めた目の前に見える事故原因をすぐに探したがる。直に見えるような事故要素は常に取り除いておかなければいけない。しかしそれ以上に潜在的な危険性と子どもの基本的な躾を見直すことがとても大切になる。危険は日常性の中にあり、それゆえに日常的な子どもの躾と職員の安全管理に対する意識と活動こそが大切なのであると私は考えている。 ..210-20-252-53.rev.home.ne.jp..2004/08/29(日) 08:47 No.116
2004年08月29日 17時48分14秒


子どもは思った以上の能力がある
 tomoyanの「遊びを考える」PARTTに書いたのですが、こっちのほうに持ってくることにしました。 こどもは思ったよりPAARTU ..ともやん  子どもは思った以上に能力があるというのが私の感じ方だ。  下記の自閉症の1年生の女の子どもをじっくりと体育遊戯室・集会室・児童クラブ室での活動を観察した。3時に学校から帰ってくると体育遊戯室で直径50センチほどの大きなボールを投げて落として遊んでいた。その後にトランポリンをやり、児童クラブ室でおままごとセットで遊んだ。また集会室で暗幕の影に隠れたり、体育遊戯室で50センチのボールの上に玉乗りをし始めた。運動能力はとても優れていることが分かった。  4時におやつを食べた。他の子どもがローラースケートをやりたいという。運動能力が高そうなので彼女も一緒にローラースケート場に連れて行こうと考えた。 「一緒にローラースケート場に行く?」と聞くと行きそうな行動をするので、靴を持たせてローラースケート場に連れて行った。  最初は他の子どもが遊ぶのを見て走り回っていた。そこでローラースケート靴を履かせてみたが、靴が重たいので嫌そうだった。5分でやめた。インローラーなら軽いからどうかなと考えた。  インローラーの靴を履かせてヘルメットをかぶらせた。手すりまで連れていくと、自分で手すりにつかまった。そのうちに自分で歩くから私に介助の手を話せというような行動をした。手を離してやると、自分で手すりにつかまり、その後に両手を離してインローラーを滑ろうとする。2から3歩すべると倒れる。すると私のほうにハイハイをしてきて起こしてくれとせがむ。そこで起こして手すりまで連れて行くとまた手を離せと合図をする。また自分で滑り始める。  転んでは私を呼び、立っては離せ合図をし、ローラースケート場を10分くらいで一周した。とてもよい笑顔で一周した。  子どもは大人が思っている以上に能力がある。 ..210-20-252-53.home.ne.jp..2004/04/21(水) 18:12 No.95 子どもは思った以上の能力がある ..ともやん  自閉症の児童が児童クラブに入会した。話が出来ない・話を理解できない・多動との連絡であった。私は基本的には薬等の服用を除けば児童台帳等でどんな子どもかを見ないことにしている。自閉症・多動などと見てしまうとそのことにどうしても拘束されてしまうからだ。  先週の3日間の集団下校の第1日は学校の介助員が手をつないで連れてきた。2日目は私が連れてきた。3日目もセンターの職員が連れてきた。昨日は集団下校が終わったので、手をつながないで、彼女の後ろから3メートルくらい離れて私がついていった。  100メートルくらい歩いたところで他の1年生と横断歩道を渡ろうとしたので「あなたはまっすぐだよ」と声をかけたら、真っ直ぐに歩いてい行った。もう100メートルあるいたら、センターの職員が待っていた。でも目で合図をして声かけをしないようにした。そしたら、また他の子どもと真っ直ぐ行こうとした。それで「あなたはここよ」と声かけをしたらセンターの中に入っていった。  放課後お迎えに来たお母さんにこの話をしたら「ちゃんと話を理解出来るのでしょうか?」と聞かれて。「言葉だけで行動しているのですから理解できていることでしょ。」といった。子どもはみんな大人が思っている以上の能力を持っている。障害児だからといって、必要以上の介助は必要ない。本来的に介助とは自立を助けるための援助である。最近は手の出しすぎと感じるこの頃である。そのために真の子どもの能力をみることができないのではなかろうか。 ..210-20-252-53.home.ne.jp..2004/04/13(火) 06:29 No.94
2004年04月21日 18時14分19秒

回転遊具の事故
またまた、悲しい事故 - まみおば (女性) -2004-03-31 11:23:27 (ホームページ) 削除 ご無沙汰しています。体調はよろしいですか?私は、日ごろのかなり怠慢がたたって?今、花粉症か風邪か分からない状態で、思考力0更新中です(苦笑)今更ですが、↓村上の御雛様…とっても素敵ですね。 さて、今、ビルの自動回転ドアの安全性が問題視されているにあたり、またか・・・という思いで悶々としています。設置側、開発者側の問題も大きそうですが・・・利用者も含めて、根本的な配慮・サポート=人的環境が忘れられている現代世相への警鐘かとも。 -------------------------------------------------------------------------------- 回転ドアの事故について - ともやん (男性) -2004-04-01 18:57:29 削除  事故がおきると一方的に加害者が悪いことになることが多いように思います。もちろん今回の事故はセンサーを反応しないように操作をしていたとのことで、業者側の責任が大ですし、それに間違いはないと思います。けれど何でもかんでもアグレッシブに走り回る子どもも最近は多くいます。自分の生命を自分で守るということも大切です。  回転ドアの問題と子どもをすぐに集団の中で走り回らせて平気な親の責任とを別の角度から考えることも大切と思います。 -------------------------------------------------------------------------------- 私も考えました。 - Lita (女性) -2004-04-02 23:48:30 (ホームページ) 削除  よかった。同じように思っている方がいらして。 自分のHPでも話題にしようかと、ちょっと思ったのですが、なかなか難しい問題だなと思って書けずにいました。  確かに、欠陥があったことに対しては業者・設置者ともに対処しなければならないと思います。しかし、果たして今回のことは善と悪に完全に分けられるのかということには?なのです。 もともと、こういったドアは人が駆け込んでくることは想定して設置されているとは思えません。ここはそういった場所ではないはずだからです。それに、今回は駆け込み防止の簡易式ポールの脇をすり抜けて走りこんだようですし。  私の職場の正面玄関も自動ドアになっていますが、毎日子供たちがぶつかる「ゴン」という音が響きます。大抵はドアが完全に開く前に狭いところを通り抜けようとしたり、反対にしまりかけているところに駆け込んだりという扱い方によるものです。私たち職員が気がつけば声をかけるようにはしていますが、四六時中ドアを見張っているわけにはいかないのです。  報道でも、もう少しそうした部分にも目を向けてほしいと思います。 -------------------------------------------------------------------------------- またまた事故 - ともやん (男性) -2004-04-03 07:28:16 削除  今度は回転遊具に指を挟んだとのこと。すぐに処置がとれないで二人目も。  自己責任の原則を基本とすることは一番大切と思います。同時に日常的に遊具の点検を行うシステムも必要ですね。遊具を使う子どもがいつもと違ったら近くの大人に「ボルトがとれてるよ」等の連絡をするように躾けることも必要と思いました。  私は職場と近くの公園を毎日遊具点検をするようにしています。でも私が直接使うわけでないので、やはり使う子どもが「おじさんここおかしいよ」とか「トランポリンのゴムが切れたよ」とか指摘してくれるのが一番です。  もう一つは最近の子どもは何でも壊してばかりで、ちょっとネジが外れそうだとわざととってどこかに捨てることも多くあります。公的なみんなの遊具や設備を壊すことに痛みをおぼえない子どもとそれを叱らない保護者も多いように思います。花壇に子どもが入って遊んでいても平気な親が増えています。子どもに注意をすると「花壇に入っていけないとの張り紙がないですよ」という保護者がいます。こんな保護者もいるを前提で話をしなくてはと思うこの頃です。 -------------------------------------------------------------------------------- 自己責任の原則で遊ぶ - ともやん (男性) -2004-04-04 09:57:00 削除  毎月第1・3日曜日の朝7時から8時半まで自治会とボランティアで公園の草取りや遊具の点検・ごみ拾いなどのボランティア活動を10名から60名くらいでやっています。今日も朝から10人ほどで草取りをしました。  自治会長はバスケットゴールの下に敷いてあるじゅうたんが外れていたので打ち直していました。梅も伸びたので、目に当たらないように剪定もやりました。ロープスイングをしばって高くする悪い子どももいるので、ロープ直しもしました。地域の遊び場を地域の住民が中心となって、地域の子どもたちを日常的に目配り・手配りをすることで安全に遊べる環境が出来てくるように思います。  同時にいくら安全な環境を作っても完璧な安全などはないことも現実です。子どもたち一人一人が自己責任の原則でルールを守って遊ぶことが必要です。大人は危険な行為をしていたら地域の子どもをしっかり叱る必要があります。もちろん乳幼児が危なくないように保護者がきちんと管理することも大切です。  自己責任の原則を守らないで、事故をを起こして、他人の性にする大人や子どもが多すぎるように思います。公園を整備することはしないで、文句ばっかり言っている親を見ていて、同様に自己中心な子どもが育っているように思います。 法律的に言っても事故がおきれば、被害者本人の過失責任がかなりあることになります。子どもとはそんなに天使ではなくて、悪いことをやる存在です。 子どもが事故るとあまりにも子どもを擁護しすぎるマスコミの姿勢も問われると感じています。  子どもの遊び場環境作りを地域全体で取り組み、子どもも自分たちの遊び場を整備し、自己責任の原則でルールを守って遊ぶ世の中を作ることが必要と思います。こんなことを草取りの後に話していたら、自治会の予算で公園に「自己責任の原則で遊ぶ・乳幼児は保護者がきちんと見る・他人を怪我をさせるような危険なことをしない・ゴミを持ち帰る」などの看板を公園に設置しようということになりました。  頭で考えるだけでなく、出来ることから出来ることをやることが必要と思っています。 -------------------------------------------------------------------------------- 遊具の事故について - ともやん (男性) -2004-04-06 02:48:12 削除  今日子どもたち100人くらいに昼食を食べるときに話をしました。回転遊具の事故で一番問題になるのはなんであろうかと。子どもはマスコミに影響されていて「管理をきちんとしていなかった」という子どももいました。私は一番悪いのは「たぶん小学生高学年以上であろう故意にボルトをはずした子どもである。」と言いました。「次に穴が開いていて危険を感じても誰も通報しなかった使用者の責任もある」「そしてもちろん管理者の責任もある」と言いました。  子どもたちに「遊具をルールを守って使うこと。もし壊れていたら連絡をすること」と話をしました。 私は公園や職場の安全点検を毎日やるようにはしています。また月に一度は定期点検を実施しています。しかし故意に遊具を壊したり、ルールを守らないことによる危険性はいつも存在します。子どもとその保護者及び大人が常に声かけをし、自分の子どもだけでなく、地域全体の子どもをしっかり叱ることが必要と思います。子どもはけっして天使の存在ではありません。危険なことを平気でやる要素をたくさん持つ存在です。  自己責任の原則で遊ぶ・ルールを守って危険な行為をしない・遊具を故意に壊さない・ゴミを持ち帰る・他人を傷つける行為をしないなどの基本的なことをしっかり教える活動を自治会・児童館・保育園・幼稚園・学校・行政・塾等々子どもをめぐる関係者と地域が行う必要性を感じます。
2004年04月06日 02時37分27秒

久しぶりの日記
 ジオシティーの書き込みは久しぶり。tomoyanの『遊びを考える』PARTUの編集が忙しくてあまりこちらの書き込みをしなかった。  その間に子どもをunderstandすることの必要性がわかり、だいぶ私の子ども論も進歩したように思う。これからもいろいろな子どもの遊びの手法と遊ばせ方を考えていきたいと思う。  過ぎたるは及ばざるが如し  児童クラブの子どもが怪我をした。賠償責任事故ではないのだが、ちょっと多めにお見舞いを出した。ギャクにとられてしまった。過ぎたるは及ばざるが如しであった。
2004年03月28日 18時27分11秒


新しいホームページ作り
 11月に入り、ケーブルネットが60メガのホームページの容量を用意してくれたので、そちらにもホームページを作りました。 hhtp://member.ecatv.home.ne.jp/tomoyant/ というものです。平島公園や自然遊びのこと及び日ごろの子どもの遊びなどを紹介するつもりです。  ジオシティーのホームページもあまり活用していなかったのですが、これからおいおい書き込んでいきたいと思っています。  教え子がパソコン塾をやめてパソコンが余りました。そこで自宅に40ギガのノートパソコンをワイアレスで飛ばして二階で遊べるようにしました。職場も40ギガのデスクトップで液晶で仕事をしています。小さなノートパソコンも子どもたちがバックギャモンをやるのに活用しています。私はどうも自前でないと仕事がやりにくいタイプです。デジカメも自分のもので始めました。  壊しても良いとおもってやらないとうまくやれないのです。
2003年11月05日 16時25分26秒


夏休みが終わり
 夏休みは雨続きで、草取りが大変な夏だった。けれど多くの行事をこなして有意義な夏休みだった。

 子どもの遊びはケンカである。ルールあるケンカが遊びである。

 子どもをunderstandしよう。

 個別援助の必要な子どもはしっかり観察しよう

 などなどである。おいおいまた書き込もうと思っている。
 
2003年09月05日 09時22分18秒


2003年7月8日 公園愛護会
 新潟市公園愛護協会の総会がありました。石田会長が理事をしており、私も公園愛護協会の表彰を受けました。
 私は表象されることはあまりないので、嬉しく思いました。何よりも公園をきれいにしたことと子どもたちがたくさん集まり、仲良く遊ぶ公園になってきたことが表彰の対象であったことが嬉しかった。7月5日にはテレビで平島公園の活動が紹介され、7月8日が表彰と続いた。これをうまくステップアップをして子どもの遊び場環境作りの大切さをみんなにアピールしていきたいと思う。
2003年07月09日 05時53分09秒


連休のこと
黄色にシロの文字で下ののを打ったら何も読めなくなっていました。ファイルマネージャーで直そうとしましたが、うまくいきません。もう一度書き直します・。

 連休の3日は山遊びに行きました。4日は平島公園の草取り・5日はのんびりとしていました。明日からまた仕事ですね。
2003年05月05日 17時17分37秒


連休も終わりに近づき
 3連休もも5月5日で終わり、明日からはまた仕事が始まる。
 3日は仲間と山菜採り・4日は平島公園の草取り・5日はのんびりと過ごしていた。山菜採りの様子をホームページにアップデートした。今後、ちょっとした指圧・戦略的思考と戦術的思考について文殊のことを考えながら書いてみたいと思っている。1週間に一つづつは記録を兼ね、ホームページを拡大していきたいと思っている。ジュオシティーは日記帳かわりに使っていこうと思っている。
2003年05月05日 10時10分02秒


専門学校の授業が始まって
 4月16日より専門学校の児童厚生員2級資格取得のための講義を受け持つことになった。
 現場の状況を若い人たちに伝え、これからの子どものために少しでも役立てばと考えて始めた。今の授業は一方的に伝えることのみが多くて、学生自らが作り上げることが少ない。今回の学生ももっと自分を出せるようにしなくてはいけない。そのための手法を発掘していきたいと考えている。
 
 一つの手法として授業の終わりの10分で授業記録を書かせることにした。それが出席表かわりであり、試験でもある。10分は短いようだったのでこれから15分にしようと思う。

 1時から1時半までは折紙をしながら遊びの手法研修・2時から2時10分までがレジュメや教科書を使いながらの勉強・15分の小テストし・衒屬靴任△襦

 問題なのは1時半からの約40分の理論編である。これをもう少し実技や遊びや運動をかねながら考えさせるようにする工夫が必要である。
2003年04月16日 17時00分19秒


イラクとアメリカの戦争
 イラクとアメリカの戦争が始まった。アメリカが一方的に仕掛けた侵略戦争という人がいる。イラクが悪いという人もいる。戦争はどうであれ、全てダメだという人もいる。
 みんなが自分が正しいと主張する。わからないと素直に言う人がいても良いと私は思う。今回のことは私はわからない。ただはっきりしていることは石油の利権と関連していることだけは確実です。
 であるなら日本は石油依存体質脱却を考え、自立した日本を作るべきだと私は思うのです。
 みんながいろいろ主張するから私も私見を書いてみました。

 tomoyanの『遊びを考える』ホームページでは『春の草取りを考える』コーナーをアップデートしました。今日は春分の日なのに名残雪が降り、朝は雪で白一色でした。でも午後からは春の陽気になりました。
2003年03月21日 19時11分30秒


非対称翼折り紙飛行機について
 非対称翼折り紙飛行機についてネットで検索していたら、非対称性についていくつかのことが出てきた。

 一つは戦争における非対称性である。正規軍(アメリカとかイギリスとか)に対し、テロでの戦争があり、それがどうも非対称のようなのだ。テロが悪いとか、戦争が悪いとかの問題ではなく、それが同時並行で行われることが非対称のようなのだ。

 
もう一つ非対称でどうも飛行機は揚力を挙げるために微妙に左右の翼は非対称のようだ。しかしそれは目にはよくわからない。同様にネットによるとヘリコプターも微妙に非対称の回転軸を持っているようだ。

もう一つのホームページに非対称の折り紙飛行機をアップデートした。遊びに来てもらえたら幸いです。
2003年03月05日 18時56分25秒

あっという間の3月
 あっという間に3月です。2月は28日しかないので、まだ2月と思っていても3月になっちゃって、事務処理や次年度計画に忙しい忙しい。

 学校完全週休二日制の実施により、土曜日の午前中に事務仕事をこなすことができなくなった。月曜日は少し午前中に仕事ができるが、火曜日は10時15分に出勤し、10時半からは親子で遊びましょうが始まる。水曜日は公休日、木曜日は10時15分に出勤し、保育園指導等があったり、やんちゃの会議があったりする。金曜日はおやつの買出し日。残っていたのはだい1・第3の土曜日の午前中が事務仕事のできる日だったのに。

 学校週休二日制は早くもとに戻して隔週休みにしたほうが良い。学校の現場でも子どもが毎週連休明けとの状況に不登校になりやすい状況を生んでいるように思う。私の過去の経験から言えば夏休み明けには登校を渋る状況がなくなると思っていた子どもが2学期まで登校を渋る子どもが出てきた。これの一つの原因は毎週の連休明けとの状況である。

 もっと子どもの姿を素直にみて、子どもの本当のニーズを感じ取ることが大事だと思う。子どもの姿を素直に見るというと子どものいうことを言葉どおり受け取ることではない。子どもは大体反対のことをいう。子どもの言動・行動から子どもの本当のニーズに気づき、その方向性をアドバイスすることである。教育はリードするのではなく、Education(抽出する)である所以である。安易に子どもに妥協しないで子どもの持っているものをエドュケートできるようにすることが教員や児童厚生員の使命と思う。

 エドュケートの前提として安全管理・環境整備は大事である。むしろ子どもにも遊びや教育の基本としてこのことを教える必要がある。だとすると私は安全管理・環境整備が児童厚生員・保育士・教員の一番大事な仕事であると思う。これをして子どもの遊ぶ場学び場環境を作り、その環境の中で子どものニーズをうまく感じ取ることが大事だと思うのである。
2003年03月05日 07時33分57秒


tomoyanの遊びを考える
 もう一つのホームページをリニュアールしました。tomoyanの遊びを考えるに変わりました。写真館を充実し、写真でできるだけ遊びを伝えるようにしてみました。
 上越のウッドリーム小林さんと知り合いになり、間伐材を使った集成板を手に入れることができました。この板とムサシから買ってきた踏み台二ヶをくっつけてベンチを作りました。ユニバーサルベンチ・・通称ユニベンチ・・となずけました。使い道がベンチ・机・平均台・遊具と多目的に使えて便利です。
2003年01月25日 20時23分35秒


北越が高校サッカーでがんばった
 正月になり、高校サッカーの季節となった。北越高校が境高校を1対0で破って勝った。ゴールキーパーは斉藤太球哉君だった。小さいときは親子で遊びましょうにお母さんと来ていた。お兄ちゃんは児童センターのサッカークラブで骨折した。東青山小学校でFCに入り、小針中学校で活躍し、中学校の全国大会でキーパーとして優秀選手となった。北越高校に進み、ゴールキーパーでがんばり、鉄壁の守備で全国大会に出場した。
 境高校のエースのシュートを身体をはって防ぎ、1点を守りきった。平島公園でサッカーをやっている河上君たちの仲間である。夏休みに東青山小学校でお父さん達のチームと高校生が練習試合をした。その後お父さん達は疲れ、高校生同士で小学生を交えて戦った。河上君のゴールキーパーのチームと斉藤君のゴールキーパーのチームとである。ボールをとめないでダイレクトでパスをつなぐか、ドリブルをするにしてもワンタッチでドリブル方向にボールをコントロールする。それを相手にすばやい反応で対応していた。
 サッカーはとめてから考える時代は終わり、常に動かしながらの時代となった。
 日本社会も考えてばかりいないでできることをやり、失敗したらまた次の方法を考えるといったやり方に変更しなくてはいけないと私は思う。そのためにはもっと実際に動く人に権限が委譲されるべきである。実際に動かない人が机上の空論を繰り返したり、決めるまでに時間を食っている間にチャンスが消えていくのである。
 セレンディピティー的発想を進め、そのためにはいくつかの実験がなされなくてはと思う。平成14年度はドングリの木を研究し、ドリル・紐・ヒートン・電動ドリルなどをいろいろ買って実験できた。平成15年度もがんばるぞ。
2003年01月02日 17時41分15秒


2003年が始まって
 2003年が始まった。今年が子どものために良い年になるようにと思う。
 利己的な豊かさではなく、みんなでうまく豊かになる方法を探りたいものだ。以下はもう一つのホームページに書き込んだものをコピーした。
新しい年2003年がスタートしました。新年おめでとうございます。
 今年は子どもの遊び場環境作り・安全管理を徹底して子どもだけでなく地域のみんなが仲良く楽しく過ごせる仲間作りを目標にと考えて活動していきたいと考えています。草取り・ゴミ捨て・清掃・トイレ掃除・落ち葉拾いなどなど基本的なことが大人がまずしっかりやることが必要と思います。
 第2にユニバーサルデザインの考えを広めて、みんながうまく使えて遊べる物や遊びのノウハウを見つけていきたいと思っています。
 第3にワークショップの考えの導入です。児童健全育成や地域作りなどは理念として必要なことはみんなわかっていると思います。でもそれを実現するための手法がいかにあるかが問われている時代なのだと思います。一人の力ではなくみんなの考えやノウハウ力を提供しあう手法を広げていくことが大事のように思います。
 みんなの力を出し合うことのできる仲間作りを考えていきたいと思っています。
http://www.na.rim.or.jp/~tomoyan
2003年01月01日 00時14分12秒


ごみの分別
 新潟市では燃えるゴミ・プラスチック・ビン缶・大型ゴミ・不燃物ゴミ・新聞紙などのリサイクルとゴミの分別が行われている。
 私の自治会でも分別の連絡をしているが、なかなかできない人がいる。班長より連絡があり、ゴミ袋が回収されないで残されているとのこと。とりあえず公園に運び、分別した。
 大きな4っつの袋に中には、コンビにの弁当の残し物とビンと缶と紙をジャガイモを切ったあととみんなごちゃ混ぜである。冬でもそのにおいは強烈である。やっと分別を終えたときは鼻が痛くなった。
 ゴミ捨て・草取り・清掃・後片付けができない人が増えている。児童館・児童クラブ・学校・保育園でこそこれらのことを基礎としてしっかり教える必要がある。
 遊び・学び・保育の前提にゴミ捨て・清掃・後片付け・トイレ清掃が基本条件としてあるという考えが私は大事と思う。これらのことができなくて、子どもに遊びを教えるのが仕事・勉強を教えるのが仕事・保育するのが仕事といっている人は実は清掃等ができないか、プライドが許さなかったりするのであるようだ。そんなプライドはすてなければ良い仕事はできないと私は思う。
 サッカーの選手・野球の選手はいなくてもゴミを片付ける人がいないと生活は麻痺する。お正月を前にゴミ処理の大切さを感じる。
2002年12月30日 09時10分06秒


ベンチについて
 ジオシティーに書き込むが、期限切れとかでプレビューしてもそれで消えてしまう。どうしてかな。以下はリムネットのほうのコピーである。
ユニバーサルデザインという考えかたがあるという。バリアフリーとか子どものためにとかいうのではなく、最初からみんなが使えるように利用できるように企画したり物を作っておくという考えである。私は乳幼児から保育園児・小学生・中高校生・ボランティア・大人と一緒に活動している。このため、多くの人が共通で遊べる遊びや遊具が大事と考え、無意識的にユニバーサルデザインで活動していたように思う。
 歩き歩き手つなぎ鬼などはその一つである。保育園児からい大人までが一緒に手つなぎ鬼をすると、走り回るので危険である。一方向しか見れない小学校低学年までの子どもの衝突による事故を生む。そこで走ってはいけない、止まってはいけない。歩き続ける手つなぎ鬼が歩き歩き手つなぎ鬼である。歩くことに限定することで、異年齢が一緒に遊べるようになった。
 間伐材の集成板を使ってベンチを作ってみた。7本の間伐材の棒で180センチX45センチ厚さ4.5センチの板を見つけた。これにムサシから踏み台を買ってきて左右にネジをうってとめた。ベンチができた。上で大人が飛び跳ねてもびくともしない。乳幼児には平均台・お母さんにはこしかけ・小学生には映写会のベンチになる。有明児童センターの子どもは遊び上手である。このユニバーサルベンチで「王様ジャンケン」「ジャンケン陣取り」を始めた。ベンチを2ヶつないでベッドを作り、マッサージ台を作り、お客様集めも始めだした。用途がいろいろ・丈夫というのは大事なことと思った。ちなみに材料費は1つ5000円ほどだった。
http://www.na.rim.or.jp/~tomoyan
2002年12月29日 15時18分36秒


八甲田山を見る
 テレビで八甲田山の映画を見ました。
 印象的だったのは中隊長が第5連隊200人の指揮権を持っていたのですが、付き添いの大隊長が指揮権を奪って勝手にやることでした。三国連太郎演じる大隊長は中隊長が用意した地元の案内人を「金をせびる輩などいらない。軍隊にはコンパスと地図がある」と大見得をきって、雇わないところです。素直に現場の意見を聞かないで上司風を吹かせて、やるところは今も昔も一緒かな。同時に出発した第31連隊20名ほどは地元の案内人のおかげで無事に通過できました。
 もうひとつ感じたのは明治の日本陸軍が洋風にこだわっていたことでした。マタギ風の地元の案内人がスゲとワラでできた蓑で防寒をしているのに対し、洋風の外套を着ているのです。マイナス10度の雪嵐の中で、洋風の外套は雪がついて、機能していかなくなります。蓑のほうが雪に対して大丈夫なのです。明治があまりに洋風に偏りすぎたように思いました。
 第3に猛烈な吹雪の中で次々と凍死していくにもかかわらす、重い銃や生きるために不必要な荷物を放棄しないことです。一番に命よりも名誉としての生きる生き方が大事という考えがわからないわけではないけれど、今の時代に生きる私には不思議だと思いました。
 八甲田山を見て感じたことは、現場の知識をやはり大事にすることが必要と言うことでした。
2002年12月23日 11時03分38秒


冬休みになりました
 朝日新聞の新潟支社からの昔の子どもや雷親父などの取材がきています。あまりに子どもがおかしいんで何かを考え始めた時代なのかもしれません
 でもそんなに人間なんか変われないのですと思います。100万年以上の人の」遺伝子のなせることもあったりして。
 少なくとも男の子と女の子では女の子が大人です。それは間違いのない事実です。それを一緒にひっくるめてもしょうないのでは。
 今日職場でくじをしました。男の子40人が最初にしました。アイスくじ・お菓子くじ・おもちゃくじをしました 。戦乱状態でした。そのあと女の子でした。静かなことと静かなる火柱がとんだりして。
 ということで男の子と女の子は別物です。
2002年12月20日 20時49分20秒


ケーブルネットにしました
 地域の情報を仕入れるのにチューリップネットが良いとのことでケーブルネットにしました。今日は工事でした。
 画面はやはりきれいです。屋根の上のアンテナはとりはずしました。
2002年12月04日 18時32分28秒


折り紙遊び
 その時々のよって、いろいろ凝るほうである。5年前はみそラーメンジャンケンをやっていた。4年前に長崎で見つけた風車を発展させて、オリジナル風車をやっていたこともある。3年前は60度飛行機やドリーム飛行機だった。2年前はドングリに挑み始めた。1年前はドングリネックレスであった。今年はパソコンとドングリあれこれと同時並行で折り紙遊びにはまっている。
 折り紙は子どもの頃は嫌いであった。理由は下手だったからである。そのくせ「てもくじゃらで」近くにあるものは何でもちぎってしまう。職場のB君も私の小さいときに似ていて着ている服の首のところを無意識で噛んで、いくら良いものを買っても一日でぼろぼろにしてしまいます。私も一緒だから共感しているが、別の方向にそのエネルギーをと思っている。その一つが折り紙かな。
 大学の5年生(実は8年いたので)のときに高校時代の友達に「てもくじゃら」するかわりに「羽ばたく鶴」の折り紙を教えてんもらった。それがきっかけで折り紙が好きになった。
 教員時代の20分休みやお昼休みには雨が降るといつも教室で小学校3年生の子どもたちと一緒に折り紙教室を楽しんでいた。でも私の小さいときと同じく不器用な男の子にはなかなか折り紙を折り始めるレディネスとモチベーションを持たせることは難しかった。
 それから22年たった。教え子が小学校の教員となり遊びに来てくれた。彼女いわく「折り紙はあまり覚えていないけれど先生に教えてもらった鶴の小物入れは折れます」といってくれた。とても嬉しかった。鶴の小物入れはとても難しい私流にいう3女以上対象だった。でもそれだけ覚えていてくれるなら、男の子にも普及させたいと考えた。
 鶴の小物入れを分解し、折れ線の山折り・谷折りの線を確認し、きちんと折れ線を開いては折り、また開いては折り、今度は斜めに折れ線を付け、また開いては逆方向に開いて折れ線をつけるようにした。こうして折れ線をきちんとつけてから折るようにすると、1年の男の子でもきちんと折れるようになるのである。これは発見であった。
 折る過程も折るごとに気合で倒したり、ジャンプして飛び越したりして身体を動かしながら体性感覚をうまく使うようにした。これで楽しく誰でもが折り紙を折ることができるようになった。
 これからもいろいろな折り紙を子ども達に普及していきたい。今日は午後から県立女子短期大学の学生さんに鶴の小物入れと羽ばたく鶴を教えに行く。折り紙の文化を普及させたいと思うこのごろである。
2002年11月29日 07時32分16秒

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安全管理・遊び場環境作りと児童厚生員
 金曜日に不審者による傷害事件があった。そのため児童の集団下校や親による送り迎えということが続いている。この事態で最優先される課題が児童の安全管理ということがはっきりしてくる。学習や遊びよりも安全管理が大事である。 体罰ということも同じと考えることができないだろうか。教育の手段として体罰は禁止されるべきである。しかし特定の子どもが他の子どもに危害を加えたり、子どもが傷つけられるというようなことがあれば防ぐために実力行使はあたりまえである。こうしたことまで何でもかんでも話せばわかるというような議論は暴力をふるう子どもをお調子にのせることになるような気がする。 子どもの生命に危害を加えられる危険性が出てくると同時にもう一点がはっきりする。児童厚生員・教諭・保育士・親のすべきことが子どもの安全管理が第一義的であることである。であるならば児童館の仕事は子どもの遊び環境を守ることであり、教諭の仕事は学び環境を守ることである。そして大きな意味から考えると安全管理から発展して子どもの遊び場環境作り・学び環境作りということになるのではなかろうか。 児童厚生員は子どもの遊びの指導・教諭は学習指導というのでは駄目である。それ以前に遊び場環境作り・学び場環境作りが存在する。その中にはトイレ清掃・草取り・ごみ捨て・後片付け・木の剪定・建物の瑕疵修繕・ソフト面での遊びにルールや学びのルールを教えることが入ってくる。幸い日本人はごみ捨てや清掃ということが身分の低い人がやるべきとの変な考えを持っていない。館長でも校長でも課長でも部長でも後片付け・清掃・ごみ捨て・お茶だしが出せるという文化がある。この文化を誇りとして持って普及させていきたいと思う。 子どもの安全管理ということから、遊び場環境作りということに話が発展してきた。しかし早く通り魔的な事件がおさまり、安心できるようになって欲しいと思う。
2002年11月18日 18時57分38秒

インターネットのこと
  インターネットの良さ
 「ハインリッヒの法則」「セレンディピティー」「ユニバーサルデザイン」など最近耳にした言葉である。すぐにネットで検索し詳しい意味がわかった。インターネットはこういう点優れていると思う。そこで今日はユニバーサルデザインについてである。
 私自身はバリアフリーというのは費用がかかりすぎるし、障害者だからといって特別なことを主張するのは少しおかしいとの考えがあった。私の勤務していた養護学校は確かにすばらしい施設であった。ゆうに車イスがすれ違うことのできる広い廊下・大きなエレベーター・鏡付きのゆっくりとしたスロープの階段・こんな施設を企業が作ろうにもできるわけがない。学校を出てしまえば生活するのはそんなすばらしい空間はないのである。学校だけ良くしてもダメである。もう一つ感じたことがある。今から15年前の大雪のことである。朝起きて道路の雪を除け7時までに勤務先へ。勤務先で雪を除けて車を乗り入れる。保育園に行っていた長男を保育園前に知人に預けにいく。職場に戻るとせっかく除雪したところに他の人が車を停めていて、また除雪をする。それから職場の周りの雪かきだ。
 大雪だったのでその年は私だけではなく雪を見ながらみんな疲れ果てうんざりしていた。そんな時新聞に投書が載った。車イスが外に遊びに出れるように歩道を除雪せよというものだった。正直なところエゴがすぎるという感じがした。そんなことでバリアフリーはちょっと違うぞの思いがあった。
 私自身はバリアフリーよりも乳幼児が安心して遊べる環境作りが小学生のためにもなり、中学生・高校生・大人のためにもなると考えて今まで活動してきた。平島公園の遊具や遊び場の配置・安全管理上の配慮などは基本的に乳幼児から小学生・中学生・大人・お年寄りの共存空間を目指していた。その概念をユニバーサルデザインは簡単に言い表している。

   ユニバーサルデザインの7つの原則
1、公平な利用
2、利用における柔軟性
3、単純で直感的な利用
4、認知できる情報
5、失敗に対する寛大さ
6、少ない身体的な努力
7、接近や利用のための大きな空間
この七つの原則がある。ユニバーサルデザインを実際に実施するためには地域や場所・利用対象等の意見の積み重ねの中で個性的なものでもあるとのことであった。

 私が有明児童センターに22年前に勤務したときにあった遊具はマルチトレーナー・ジャンプステップトレーナー・バランストレーナー・サイクリングマップ・トランポリンなどであった。いづれも今は壊れてしまったいる。いづれも目新しさを売り物にしたものである。最初はみんな物珍しくて手をだすが次第に飽きてくる。精密な機械なのですぐに壊れる。修繕費が特殊なものなので高い。上の七つの原則の反対をいっている感じであった。
 今使われている遊具はウレタンのジャンボ積み木風マット・幼児でも遊べる各種ボール・トランポリンツイスター・登り綱・卓球・バトミントン・自転車・一輪車・バトミントン・ドミノ・ウレタン積み木などである。
 ウレタンのジャンボ積み木風マットはサッカークラブが体育遊戯室でやるときは7本つないで遊戯室のしきりになる。残りの7本は家になって子ども達が組み合わせて遊ぶ。遊戯室でボールを使って雪合戦をするときは防御陣地になる。端に積んでおくと、ドッジボールでぶつかった子どもの休み場所になる。上級生の跳び箱やバク転の練習にも使える。午前中の幼児の集いでは2メートルほどの山が作られる。マットの山の登り、飛び降りるのが子どもは大好きである。ウレタンジャンボ積み木風マットは特別注文で作ってもらったものである。1ヶ45センチX45センチX190センチで4万円である。高いけれど使い道がたくさんある。ユニバーサルデザインの1・2・3・4・5・6の原則に合致したものである。
 ユニバーサルデザインの考え方をこれから普及し、実際の遊具や建物・公園がどのように設計されるかを情報交換していきたいと考えている。
2002年11月13日 10時40分22秒


冬が近いかな
 今年の冬は早そうです。大分の友達からももう山に雪が降ったとの便りが来ました。
 私も今年はドングリ拾いに熱中して、山にきのこ採りに行かない間にもうきのこは終わりとなってしまいました。20日くらい寒さが早いとのことです。
 ドングリはたくさん種類を見つけました。マテバシイ・ミズナラ・シラカシ・コナラ・アカカシ・ナラがシワ・ウバメガシ・クヌギ・スダジイなどです。ドングリストラップ・ネックレス・ドングリ笛・ドングリ人形・やじろべえ・ドングリこまなどを作りました。電子レンジでチンしたり、油性ニスでまぶすなどの保存方法もだいぶわかってきました。ドングリを交換する仲間作りを始めています。ブックちゃんからはスダジイが届き、こちらからはマテバシイを送りました。
 新潟県の研修会ではハインリッヒの法則とセレンディピティーについて話しました。割り箸の法則も。実技ではおこんばんわとドリーム飛行機をしました。結構好評でした。
 11月3日には佐々木洋さんと飲みました。日本人の良さを取り戻そう。とくにえらくなっても草取り・ごみ拾い・清掃・お茶だしができるようになるのが大事と話し合いました。
2002年11月07日 07時59分48秒


平成15年度の有明児童センターの事業計画案
 平成15年度の有明児童センターの事業計画を遊び場環境作りと安全管理そして地域作りにしてみました。遊び場環境作りと安全管理をすればそして地域の仲間作りをすれば、子どもが遊びだすというものです。児童厚生員の仕事は子どもの遊び相手というのが第1義的なものと考えられがちです。
 子どもの遊び場環境作りと安全管理が第1義的という点で私は画期的なものと思うのですが、みなさんいかがでしょうか。

平成15年度 有明児童センター事業 案

1、 基本方針

 有明児童センターは、地域の児童に遊びの場を提供し、集団的・個別的な遊びの育成援助活動を通し、のびのびと明るく元気でたくましい児童の育成に努める。
 また放課後児童(地域における昼間保護者のいない小学校低学年児童等)にたいしても育成援助活動を通し、のびのびと明るく元気でたくましい児童の育成に努める。


2、 重点事項

 本年度の重点事項を次の3点とする。

◎子どもの遊び場環境作り
・ 職員・ボランティア・保護者・子どもが協力して、安心して子どもが遊べる環境作りに努める。また、館内外の清掃・草取り・ごみ拾い・後片付け等の活動を通じ、環境美化の習慣が身につくように働きかける。
・ 地域の団体と協力して遊び場環境作りのボランティア活動の推進を援助する。

  ◎安全管理の徹底とクラブ等への登録化
・ 事故等を防ぐため建物及び遊具の点検に努め、また、遊び方のマナー等の指導を通し、安全管理の徹底を図ると共に、安全管理上の観点(緊急時の連絡等)から、利用者の登録化を図る。また、危険防止のため保護者等にも児童センターの仲間に入ってもらい、一人でも多くの大人の目が届くようにする。

◎ 地域との連携と仲間作り
・地域の様々なグループや団体と協力して児童健全育成の仲間作りを図る。

3、事業活動

(1) 児童健全育成のための集団的・個別的育成援助活動
クラブ活動(月曜ローラー・水曜ローラー・サッカークラブ・サッカークラブF・)の育成援助活動及び自由来館児童の育成援助活動
(2) 放課後児童のための青山児童クラブの育成援助活動
(3) サポーター養成のためのジュニアクラブの育成援助活動
(4) 年長児童と小学生のふれあいを目指した中高校生クラブの育成援助活動
(5) 土曜日や学校休業期間中ための土曜日クラブ・元気クラブ(仮称)の育成援助活動
(6) 地域とのふれあいを目指した諸行事や自然体験活動の実施
(7) メールを使った子育て相談事業の実施及び学校不適応児及び保護者への相談援助活動
(8) 0歳からの群れ遊びを奨励するための親子で遊びましょうやドラえもんグループの育成援助活動及び年長児童と赤ちゃんとのふれあい事業の実施
(9) 地域のボランティアと協力しておもちゃライブラリー・ママの折り紙教室・工作ランド・手作りおやつ等の実施
(10) 児童健全育成活動のための地域組織活動(有明母親クラブ・有明父親クラブ)などの支援活動
(11) 平島公園クラブと協力して児童館外活動の実施
(12) 職員及びボランティア等の資質向上を図るための研修会の実施
2002年10月21日 04時37分26秒


きのこ採りにいきたいな
 2002年度は少しボランティアと研修会の講師へ呼ばれたことが多かった。大好きなスギヒラタケ採りがまだ二回しかいけていない。
 小学校の文化祭・平島公園の草取り・公園の新聞社の取材・新潟県の研修会・友達の小学校の折り紙講習会などである。そうだ工事もあった。
 山に行ってよい空気を吸い、のんびり温泉に使っているとストレスが減るのにね。研修会やボランティアは嫌いじゃないけど、ストレスの発散にはならない。
 山や緑や自然はストレスが消えていくね。なぜだろう。
2002年10月21日 04時30分38秒


ドングリのこと
 今年はドングリ遊びに熱中しています。マテバシイ・トチノミ・ナラガシワ・クヌギ・スダジイなどを見つけました。ドングリストラップ・ドングリ笛・ドングリやじろべえ・ドングリネックレス・トチノミコロコロなどを作りました。
 ドングリから木の実に興味が出てきて、道を走っていても樹木に目が行きます。子ども達が自然と親しむのに樹木のこともいろいろ勉強したいと思っています。
 木の実が欲しいのでお寺さんと知り合いになれたことも良かったことの一つです。お寺さんには昔からの巨木を大事にしていて植えてあります。ドングリを拾うのにお願いに行くとみんな気持ちよく「どうぞ」といってくださいます。「昔は保育園や幼稚園が良く拾いに来たのにこのごろ拾いに来なくて、寂しかった。」とお話されることが多くあります。
 これからまた少しづつ自然を大事にする世の中になればと思います。でもドングリが遊べるとなるとドングリ争奪戦になったりしてね。そこがちょっと心配なこのごろです。でも自然を考えるようになるということは良いことかな。
2002年10月17日 07時33分57秒


秋の七草
  
      秋の七草

秋の野に咲きたる花を指折りて かき数ふれば七種の花

萩の花 尾花葛花なでしこの花 女郎花また藤袴朝がほの花

 今年の夏は雨が降ってその後に暑さが続くという日々が続きました。暑い夏はサツマイモが美味しくなるのだそうです。ツル科の植物が元気なら、アケビも元気と思います。現に自宅のアケビはとても元気で去年より大きな実を7ヶつけました。
 きっと山でもたくさんとれると思いました。22日にコットンさんと出かけて来ました。ところがアケビのなっているところはアケビより強い葛でいっぱいでした。
 アケビは乾いた日当たりがす好き。葛は日当たりと水が必要とのこと。そこで葛が勝ったようです。アケビが乾いた土地がすきというのはそうだと思います。けれどそれは水分があると葛などの植物に巻けるのではないかと思います。水分があっても他の植物に負けなければアケビも元気ではないかと思います。
 実験をしてみたいと思っています。
 秋の七草から葛のことを考えてみました。
2002年09月27日 07時12分58秒


秋になり
 残暑が厳しいと思っていたら、いつの間にか秋になりました。今日はもう秋分の日です。これからどんどん日が短くなっていって、夜が長くなりますね。
 秋になり研修会や原稿を書く機会が増えています。
 9月18日水曜日は新潟市の早朝等の増援職員のための講習会でした。鶴の小物入れと神飛行機作りをやりながら、保育園の仕事で一番大事なことは安全管理と話してきました。そのためにはハインリッヒの法則が大事との話をしました。ハインリッヒの法則についてはhttp://www.na.rim.or.jp/~tomoyan/
のホームページで詳しく書いておきました。また「みそラーメンじゃんけん」と「なべなべ底抜け変化バーSジョン」をやりました。チラシを使ったヨーヨー遊びもしました。
 今日は双子グループのえだまめクラブの原稿と新潟市保育界会のひなどりの原稿を書きました。『子どもの時間は大人の3倍の密度があること』です。
 10月に入ると10月2日が京ヶ瀬での折り紙の講習会・20日東青山小学校の折り紙の講習会・29日には新潟県の児童厚生員の研修会あります。
 今年はハインリッヒの法則とセレンディピティーと折り紙の楽しい降り方を中心に考えています。昨年塙先生に段階をおきながら折り紙遊びをする折り紙体育表現遊びを教えてもらいました。今年はそれを発展させて、折れ線を最初にきちんと折ることで、誰にでも優しく簡単にできる折り紙遊びを確立させたいと考えています。これは1月25日に赤ちゃんと小学生のふれあい事業の研修会に塙先生をお呼びしているので、そのときにじっくり二人でまた考えたいと思っています。乳幼児と小学生とのふれあい事業は平成15年度のつながる事業と考えています。そのためのノウハウを少しづつ平成14年度中に確立したいと思っています。
 ドングリによる工作もだいぶいろいろできるようになりました。夏休み中に来てくれた土田さんがドングリ笛を教えてくれました。子ども達はとても喜んでやっていました。田口さんは木を斜めに切り、その気の上にドングリをのせて小さなこけしを作りました。今までのトトロストラップ・ドングリのネックレスと並んで10月12日のやんちゃフェスティバルには人気になりそうです。
 私はトチノミのネックレスを考案中です。トチノミはマテバシイと違い、水分を多く含んでいます。そのためにすぐに縮んでしまいます。今回は昨日拾ってきたトチノミをすぐにヒートンをボンドをつけてねじ込みました。一日置いて水性ニスを塗りました。このことで、水分の蒸発が防ぐことができ、1年くらいネックレスとして使えたらと思っています。
 遊びの手法では静かなる集中を伸ばし、リーダーズシアターまでは行かなくても詩の朗読や言葉遊びを伸ばしたいと考えています。去年と今年と多忙であったので、言葉遊びに少し手を抜いたかなあと反省しています。
2002年09月23日 14時20分38秒

横田めぐみさんのこと
 北朝鮮がやっと拉致を認めたと思ったら、なんと横田めぐみさんは殺されていた。ご両親の気持ちを思うといたたまれない。国家とは国民を守るためにあるのに、その国民を守れない国家そして北朝鮮のうそを黙って聞いてくる国家の首相はいったいどうなのであろうか。小泉さんにたいする期待があっただけに残念だ。一度席を蹴ってきてほしかったと思う。
 横田めぐみさんの事件は私が大学の4年生ときだった。当時は新潟大学教育学部は寄居町にあった。拉致された場所は目と鼻の先だった。電信柱に捜索のポスターが貼られていたことを強く覚えている。しかしそのときはすでに北朝鮮に連れ去られていたのだ。
 許されることと許されないことがある。拉致の責任者そして支持したのは誰の目にも明らかである。その人が「私は知らなかった」との言葉をいう破廉恥さを疑う。
 どう書いていいかわからないけれど、本当に悲しいことだと思う。
2002年09月18日 08時02分22秒


残暑厳しく 草取り 折り紙のこと
   残暑厳しいですね
 暑さが続き、残暑が厳しいですね。忙しかった夏休みも昨日で終わりました。明日からは通常の10時から7時までの勤務となります。

   暑さと草の伸び
 今年の夏は雨が降り、暑さが続き、草取りの大変な夏でした。雑草は日照時間ではなく、季節と直接関係するのではなく、雨と温度に連携すると実感しました。夏休み中も3回も草取りをする必要がありました。草が伸びてくるとやぶ蚊も出てきて、子どもも野原で遊びません。草払い機や芝刈り機をかけてとたんにムクドリと子どもがやってきて遊び始めるように思います。

   折り紙の折り方
 今年の夏の最後に折り紙の折り方の発見をしました。それは折り紙を分解して折れ線を確認することです。山折り・谷折りをよく確認し、開いた状態で最初に折っておくことです。風船ならまず白いほうが出るように長方形に半分に折ります。ついで一回正方形に開いてから反対に長方形に折ると十字の谷折りができます。また開いて斜めに折り開いて斜めに折るとX と山折りになります。また正方形に開いて座布団折りに折ります。ここまで折れ線を作っておいて風船の基本折りに持っていきます。
 紙の厚さがないうちに最初に折れ線をつけておくので低学年の子どもや保育園の年長児でもきちんと折ることができます。皆さんもやってみませんか。
 鶴の小物入れは十字・Xと山折りにし、斜め方向に直角三角形になるように4ヶ所山折りにしておくと簡単に鶴の小物入れが作ることができます。
 遊びやゲーム・工作などをやるときにゲームのルールに固執しないで、低学年の子どもでもできるように工夫することが大事だと感じています。子どもができないのではなく、教えることのできない自分の未熟さを常に自覚して、どうやったら子どもに伝わるかを常に研究することが大事と私は思いますよ。
 
2002年09月01日 10時20分28秒


暑い夏ですね
 今年の夏は暑いですね。 プール・海水浴・ディキャンプと続き、ハードな夏休みでした。一回50人くらいの参加でのべ450人ほどの参加者でした。これ以外にも工作や映写会などもありました。やはり内容が慈雨実しないと児童館・児童クラブの活動は伸びないと思います。 また海水浴などをやるためには子ども自身が「自分の生命を自分で守る」という自覚が一番大事です。このことを4月から言い続けてきたのですが、子どもたちのの中にも保護者の方々にも定着したことがよかったと思います。 「自分の生命を自分で守る」を前提に同時に児童の安全管理を実現するためには職員だけではできません。プール・海水浴には5人から6人の保護者のボランティアが参加してくれました。共働きで忙しい中、夏期休暇や年休をとってお手伝いしてくれました。実習生と学生のボランティアも2から3人毎日来てくれました。安全管理は多くの暖かい大人の目のあることが大事といまさらながら感じました。 今年の夏休みの特徴はもうひとつありました。パートタイムのお母さんたちが勤務のないときに有明児童センターに朝から弁当を持参して子どもと一緒にすごしてくれたことです。「家よりも児童センターのほうがクーラーが効いているからすごしやすいよ。」と声かけてきてもらったものです。お昼や自由時間・おやつなどのときに自分の子ども以外の子どもと遊んでいる光景がよく見られました。子どももお母さんがセンターにいるという安心感からいろいろなところにいろいろな友達といつもよりも積極的に遊びにいくようになりました。そのため残されたお母さんは自分以外の子どもと遊ぶことになりました。とても両方の子どもにとってそしてお母さんにとって有意義であったと思います。 児童クラブもパート勤務の人が増加しています。週に3〜4日勤務という人が多くなっています。パートのない日を児童館・児童クラブで親も一緒に過ごすというのは児童の健全育成と安全管理に有意義であると感じました。とくに子どもにとっていろいろな大人と話ができるのがよい。また親にとっても自分以外の子どもとくに自分の子どもと異性の子どもと接することは価値があるようです。皆さんの児童館・児童クラブでもぜひ保護者を児童健全育成の仲間になってもらいませんか。
2002年08月10日 08時22分15秒


学校は4週6休がよい
 学校完全週休二日制となって1学期が過ぎた。子ども・保護者・教員の友達から意見や現状を聞くがデメリットのほうが大きい。月に2回の土曜日の休み4週6休に戻すべきだと私は思う。

  学校週休二日制デメリット1
月曜から金曜のウィークディーの授業時間が長くなり、子どもも教員も疲れている。午後4時くらいまでの授業となり、上級生ともなるとそれからサッカー・野球・ミニバス・合唱などをやるので、学校を出る時間が午後6時を過ぎることが多い。秋になって暗くなってからも心配。子どもも疲れてぐったりして帰って来る。
 教員も一緒で午後4時〜職員会議等もあり、テストの採点もままならず、自宅に持ち帰るやら、土曜日に出勤してやるやらとか。忙しさに追われて子どもを怒鳴ることが増えてきたという人もいる。

   デメリット2
 土曜日に子どもが行く場所のないところも多いようだ。児童館・児童センターでも学校週休二日制を「子どものための学校五日制」とか言って、家庭に帰せといい、児童館・児童センター・児童クラブでも子どもを家庭に帰す考えが出てきた。小学生くらいの子どもは昼間は子ども同士で群れるのが大事。その群れる場所が少なくなる。小学生が昼間から親子でスキンシップしているほうがおかしい。
 親子分離が上手くいかず、毎回の連休明けとなり、不登校の子どもも増加している。5月の連休が終わり、6月もなかばになれば普通は元気に登校する程度の子どもの不登校がでてきた。毎回が連休明けのデメリットである。

   デメリット3
 閉じこもるオタクの子どもの増加を感じる。西洋では土曜日に遊び、日曜日は教会に行くので週休二日制なのだ。ところが日本はクリスチャンが少ない。といって日曜日に親子でお寺に行くわけでもない。不況で遊びに出るお金もない。家に閉じこもることになってしまう。そして親子でイライラしている。

   デメリット4
 土曜日が全部休みになったことにより、夏休みに教員が自由に自宅研修や旅行が出来なくなった。出勤したり、自宅研修の内容を報告したり、所在を明らかにしたり、公的研修が増加した。4週6休なら月に2回土曜日が勤務。その分他の公務員より休みが少ない。それを夏休みにまとめたほうが良かったのだ。しかも教員は超勤手当てがない。マジメな教員はただ働きが多くなり、こどもなどどうでも良いと思っている教員は高い給与で学級が崩壊しようがゆうゆうと過ごしている。余裕があるから自宅研修や研修報告だけは上手く書いて出世したりしてね。

 以上のデメリットから学校週休二日制は速やかに廃止し、元の4週6休に戻すべきだと私は考えています。
 みなさんのご意見はいかがでしょうか。
2002年07月30日 06時27分46秒


もうすぐ夏休み
 夏休みといえば野外活動と夏休み工作。今その準備で忙しい。
 プール・海水浴・ディキャンプにむけてのボランティアの手配をお願いしている。幸い公務員や教員の人たちが夏期休暇をうまくとってくれて協力してくださる。自営や看護婦さんのような不定期の休みの人も忙しい中を都合をつけてくださる。みんなの協力で安全にできるので、子どもにも感謝するように声かけをしている。子どもは家族だけで野外活動をするよりも、子ども同士の仲間がいるほうが良いようだ。児童館・児童クラブでの野外活動にお母さん・お父さんも仲間になって、一緒に子どもの活動に参加してみるのが良いと思う。
 夏休みのもう一つは工作である。日本の文化の代表として折り紙・・主にユニット折紙・・やカレンダー作り・オリジナル風車・ホットビーズ・ハートの小物入れ・発砲スチロールのトレー作り・星つくり・木の魚作り・スライムなどを用意し、その中で子どもが自由に選んでやれる企画を昨年より始めた。好評である。子ども同士で伝え合うことと基本をきちんとすればいかようにも変化が可能にしていることが良いようだ.留守家庭児童でない児童も巻き込んで、ついでに家庭児童の保護者も仲間に入れることができれば、ボランティアも増えると思う。このボランティアの確保も 課題である。
 夏休みは子どもにとっていろいろな経験ができるのが良い。これは同様に大人にとっても必要である。児童館の職員は私に合っていると思っている。けれど教員時代に比べ夏休みがなくなったのが痛い。教員時代は夏休みに四国に旅行をしたり、大型免許や二種免許をとったり、北海道旅行をしたりした。それがずいぶん今役立っている。
 学校週休二日制で教員の夏休みにも厳しいチェックが入るだろう。4週6休のほうが子どもにも教員にも良かったと思う。4週6休なら月に2回の土曜日の分を夏休みに集中させれば、堂々と夏休みを休めたのにね。
 教員もボランティア休暇をとり、児童館や児童クラブや近くの公園・公民館などで夏休みにボランティアをやるのもよいかなと思う。
 暑い夏をのりきらなくちゃ。
2002年07月20日 06時57分29秒


文字化けは解決し
 やっと文字化けは解決しました。自宅のパソコンが安定していないので、かってにパソコンが日本語の児童選択をしないで違う選択をすることによるようでした。カタカナで「ヒホサホタオ」みたいなのになってしますのです。ヘルプで調べたけれど直りませんでした。職場のパソコンを売っている人に聞いてわかりました. 台風と梅雨で公園の草も職場の草も伸び、暑いのに草取りをやらなければと思っています。
 7月27日はフリーマーケットを平島公園でやります。もう一週間しかありません。みんな出店してください。車乗り入れできます。出店料なしです。
 午後3時半から準備が始まります。
 夜は花火大会です。
2002年07月19日 00時38分47秒


文字化けはなぜ
 文字化けが続きます。一回また書き込んだら直ったのでこっちもやってみます。
2002年07月10日 09時44分39秒


文字化けするよ
 家で書き込んでみたら、文字化けをしています。ジオシティーのほうに問題があるのか、私の方に問題があるのか。
 もう一度書き込んでみます。直ったりした利してね。


NO2に写真掲載
 「子どもの遊びを考えるNO2」に元気に遊ぶ子どもの様子を写真で掲載しました。ボケているのですが、腕が悪いので、著作権を考えると、ボケている程度が良いと思ったりして。
 雨が続くと公園のクローバーやオオバコ・チドメ草など葉っぱの広い草が元気を出してきます。ほおっておくと、背の低いシバやスズメノカタビラなどが負けそうです。そこでまた芝刈り機の出動となります。今年は降ったり暖かかったりなので毎月2回草刈りをしました。
 草刈り仲間も増えて、6月には60人もの人が参加してくれました。毎月の1回の草とりは危険のないように機会の出動は7時から。子どもや草集めの人は7時半からと時間差にすることで安全確保をすることになりました。嬉しい悲鳴です。
 7月21日が定例の草取りです。
 7月27日には平島公園で恒例のフリーマーケットと駄菓子屋・花火大会をします。新潟市西地区の人は遊びに来てください。
 今日も朝から台風の影響もあり、雨が降りつづけています。草もまた伸びるでしょうね。
2002年07月10日 05時48分27秒


夏休みの野外活動について
 『子どもの遊びを考えるNo2」にブックチャンより夏休み中の弥彦公園・弥彦神社で野外遊びをするけれどアドバイスをという掲示板書き込みがありました。 小学生は事理弁識能力があると法的にみなされます。事理弁識能力とは自分の生命を自分で守る能力です。保育園児と違って、保護育成ではなくなります。それに小学生になると逃げても指導員も追いつけませんものね。 小学生は『自分の命は自分で守る』『他人の命を傷つけたり、後遺症の残るような行為・言動はしない』ということを徹底することが大事と思います。また保護者にも小学生には保育はない。児童健全育成が大事ということと、子ども自身が自分の生命を自分で守ることが大事と学習するために声かけをしなくてはならないと伝える必要性を感じる。 野外活動を行うときは、事故の起きることを想定しておくことが大事である。携帯電話に医療機関や必要な連絡先をインプットしておくとか、保護者に携帯電話の電話番号をあらかじめ現地連絡先として周知しておくなどである。 この他私の今までの実践の中で考えられることをいくつか書いておきました。集合拠点をはっきりすること・昼食時間を自由にすること・幼児連れのボランティアの活用などです。 夏休みにむけ、野外活動を増やして、子どもを生き生きと過させたいですね。 ちなみに私はプールと海水浴と公園への散歩などが日程にばっちり入っています。
2002年07月09日 10時30分44秒


学校週休二日制の波紋
 学校週休二日制は当然世の中の批判にあう。結果として夏休みは勤務せよの世論が沸きあがることを予想できなかったであろうか。私は学校週休二日制には反対であった。でもこどものための学校五日制と乗り切った。その結果が夏休みの自宅研修のチェックの厳しさといくのは世の流れ。でもそれは子どものためにあまりならないのです。よくわからないのですが本能的に。
 学校週休二日制の波紋はどんどん広がりそう。それはあまりにも建前に固執しすぎる結果ではなかろうか。
 仕事から帰ってきたら、家の前の広い公園をもう草刈りをしてくれた人がいた。昆虫達の戦略で互いに相互伝達でやれることをやれるときにやれる人がやれることをやりたいときにやるということが自然と出来てきて、嬉しいと思った。
2002年07月05日 23時38分34秒


学校週休二日制の波紋
 学校週休二日制は当然世の中の批判にあう。結果として夏休みは勤務せよの世論が沸きあがることを予想できなかったであろうか。私は学校週休二日制には反対であった。でもこどものための学校五日制と乗り切った。その結果が夏休みの自宅研修のチェックの厳しさといくのは世の流れ。でもそれは子どものためにあまりならないのです。よくわからないのですが本能的に。
 学校週休二日制の波紋はどんどん広がりそう。それはあまりにも建前に固執しすぎる結果ではなかろうか。
 仕事から帰ってきたら、家の前の広い公園をもう草刈りをしてくれた人がいた。昆虫達の戦略で互いに相互伝達でやれることをやれるときにやれる人がやれることをやりたいときにやるということが自然と出来てきて、嬉しいと思った。
2002年07月05日 23時37分32秒


児童厚生員の仕事?
 児童厚生員の仕事?という題で「子どもの遊びを考えるNo2」に書き込みをしました。児童館・児童センター・児童クラブの仕事の内容と児童厚生員の資格について書きました。 児童厚生員の仕事の基本として@遊び環境作りA安全管理B子どもの遊びの援助の三つが大事と思います。子どもの遊びの指導の前に、子どもが安心して遊べるための草取り・ごみ捨て・掃除・後片付けをすること。建物や遊具に瑕疵がないか点検し、修繕すること・子どもが粗暴なふるまいや危険な行為をしないか管理することが一番の児童厚生員の仕事と私は考えます。基本がまずそこにあり次に子どもの遊びの援助へと発展するように思うのです。 ところが清掃や草取りは業者や用務員の仕事・遊ばせたり遊びの準備をするのが児童厚生員の仕事と思っている人が多すぎるように私には感じられます。生きていくということはごみを出し、トイレに行くことが基本です。その基本からやることが大切と思います。
2002年07月05日 10時11分04秒


時に原文を調べて見ることも必要
 児童館や児童クラブだけでなく、とかく仕事をしていると、日常の仕事に流されてしまって本当の目的を忘れてしまうことがあるものだ。
 教育などはその典型である。子どもに学力をつけることだと思っていたり、あるいは最近ではゆとりが大切といってみたり、こんなときは教育基本法を見てみるのがよいと思う。
第1条(教育の目的) 教育は人格の完成を目指し、平和的国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなくてはならない。
となっている。やはりこの教育基本法の基本的な考えを思いおこして、実施されなくてはならないのではないかと思う。
 児童館・児童クラブにおいても、児童館・児童クラブの目的をきちんと法律から学習することも大事である。
 子どもの遊びを考えるNO2では、児童館の機能と役割についてその法的な側面から考えてみたいと思っている。きっかけは大阪の児童館で乳幼児サークルの人が遊具を児童館で使わないでくれと言われたとの財団の掲示板の書込みによるものである。児童館での仕事はいろいろである。ところがその中の児童クラブの仕事だけをしていると、それ以外の仕事を仕事と考えない人が出てきているように思われるからである。児童館がその地域の児童の健全育成の拠点であることを忘れていることが多いのである。つまり目の前の児童クラブ員をどうするかだけしか考えていないのである。この点を考えてみたいと思っている。6月30日の日曜日に書くつもりである。
2002年06月28日 06時53分46秒


言葉と行動の分離
 本などを読んでいて、すばらしい考えの持ち主だと思うことがあります。そこで講師に呼んだり、直接会った人の話を聞いたりしてみると、書いていること・言っていることと実際に行動していることのギャップの大きさにビックリさせられることが多々あります。某局の某アナウンサーなども番組の中ではお年寄りを大切にといっていますが、放送時間が終わるとすごく辛らつな言い方をされていて驚いたことがあります。
 人間はみんなちょっとえらくなると自分を勘違いしてしまう傾向があるようです。言葉の語源というホームページに「ゑ」と「え」は違うということが書いてありました。
 「ゑ」は方向をさしすめすゑらいのゑで、「え」はえなあにわかんないのえだそうです。最近はマスコミの普及によりえらい人が急増して、しかも即席ですから深みのないインスタントの味付けのえらい人が増えたように思います。
 地道かな活動に裏付けられてゑらい人を見つけて学んでいきたいと思うこのごろです。同時に常に自分自身が子どもから学び、子どもとともに歩いていけたらと思います。
 最近の研修会から感じたことを少し日記に残してみたいとおもいました。
 子どもの遊びを考えるNO2では不思議な心を育てることを通し、静かなる集中ができる手法を考えてみました。魔法とまほうのりょうさんとホームページ上で知り合えたことが書き始めるきっかけになりました。24年前に小学校の講師をしていたときにK先生に理科指導のやり方で不思議な心を持つということがいかに大切かを教えられたことも大きな教えでした。K先生ありがとうございました。
2002年06月23日 10時43分02秒


夢に思うこと
 私は寝るのが好きである。寝ていようと思うと10時間でも18時間でも寝ていられる。『世の中に寝るほど楽はなかりけり、浮世の馬鹿はおきて働く』という川柳を昔に聞いたことがある。寝たり起きたり夢を見たりするのは楽しい。その夢のことであるが、夢の中ではずいぶん時間空間を飛び越えるがそれが夢の中では不思議に思わないのが不思議である。昔はずいぶんおかしな夢を見たなあと思っていたが、最近おかしくない。そのまま受け入れようと考えている。東京まで空を飛んで自由に下を見てみると、野原が広がったり、谷があったり、川があったりする。ちょっと羽ばたくとまた空中高く飛ぶことが出来たりする。そのついでに実家に寄ってみるともう12年以上に新地にした家が残っていて、死んだはずの父が元気でお茶を出してくれる。途中で目がさめるが、このまま夢の続きを見たくて、静かにしているとまた続きが出てくる。そんな感じで一回目覚めてから、2時間くらい遊ぶことがある。仕事が詰まっていないときは、こんなふうにゆっくり過ごすのが好きである。
 子どもも話を聞いていると夢と現実がごっちゃになっていることがある。でも子どもにとってはどっちも現実の一つであるようだ。だからあえて否定をしないでそのまま受け止めてあげることが大事なように思う。どうも夢の中には本当のことがずいぶんつめられているようだ。そして大人の夢も同様にずいぶん本音があるようだ。夢をみる自分を否定しないで、肯定的に解釈して、自分を見つめなおすのも一つの生きる手法なのかとも思う。
2002年06月19日 14時09分19秒


日本対トルコ戦
 職場では子どものために液晶プロジェクターを出してきて、横2メートル高さ1.5メートルの画面に大きく映し出して応援をすることにしました。児童クラブ室では早く帰ってきた5女と5男がフェースペンテングをして、日本の勝利を応援しています。3時になり他の子ども達も帰ってきて、応援でもえそうです。 3時5分いよいよNHKの放送が始まり、集会室では音が聞こえ始めています。 午前中は双子グループを含め幼児の集いがあり、午後は日本戦という一日で終わりそうです。中学生の勉強教室が6時からあるけれど、5時くらいにはかれらもやってくるかな。 サッカークラブはサッカーをしないで日本戦を応援するのかそれとも外でサッカーをやるのかな。 6月半ばの児童センターの風景の実況中継でした。
2002年06月18日 15時32分32秒


初夏になり
 初夏になり、すっかり暑い季節になってきました。
 田んぼの稲がまだ小さかったのに、どんどんのびてきて、一週間の間にもう田んぼの土は見えなくて緑一色になりました。風が吹くと緑のじゅうたんが揺れてきれいです。タチアオイの花が背を高くし、緑のじゅうたんの中に赤く彩りを添えています。やはり四季の変化はすばらしいですね。そして稲の力強さには教えられます。
 減反政策と米の自由化についてですが、私は田んぼのもつ国土を守る機能をもう少し評価してみたらどうかと思っています。雨が降っても田んぼを水を受け入れ、ダムの役目をしています。しかもダムと違って、だんだん土砂で埋まることもありません。この機能はすばらしいと思います。ダムといえばブナ林もダムの機能があるといいます。落ち葉の下は水をたくさん含む自然のダムになっているようです。新潟県立自然科学館のブナ林のコーナーは見る価値があると思います。ぜひみなさん寄ってみてください。
 もう一つのホームページではリンクを増やしたり、子どもの写真や行事の活動の様子をたくさん載せ始めました。ホームページでいろいろな交流を出来たらと思っています。塩沢の金城わかば児童館もホームページができ、リンクをしておきました。レイナママとも相互リンクが出来ました。
2002年06月18日 06時58分04秒

平島公園の草取り
 朝7時から平島公園の草取りでした。平島公園クラブ・平島一丁目自治会・めしにすいうべえ企画・東青山FCなど60人位のボランティアで楽しくやりました。明るい青空・ケヤキの緑・タチアオイの赤・がっちゃんの笑顔ととてもステキな1時間でした。
 みんなでジュースとアイスを美味しく食べました。10年間続けて公園緑化・子どもが楽しく遊べる公園つくりは軌道に乗ってきました。これからは月1回の草取りを2回に定例化して、3分の1の労力でもっときれいにする方法を考えています。つまり今までの一回あたりの労働量が3分の1となり2回やっても1回より楽になるというものです。
 仲間作りが基本だと思っています。
2002年06月16日 20時18分25秒


塩沢の木造の児童館
 6月15日に湯沢でお父さん出番ですよの行事がありました。行事で講師に呼ばれたときはチャンスと考えています。公休日を利用し、近くの児童館・保育園・幼稚園などを視察してくることにしています。交通費をあいて持ちにしていただいて、見て来れるのはありがたいものです。
 塩沢は北越雪譜で有名な鈴木牧之記念館があります。2年前に湯沢に呼ばれたときに帰りに見学をしてきました。木造の2階建ての建物で木の香りと木の優しさがふんだんに感じられるものでした。
 金城わかば児童館は今年の4月にオープンしたものですが、立ち上げのときに有明児童センターの視察にいらっしゃいました。そこで有明の経験からいくつかの提案をさせていただきました。・・・相談室と静養室とボランティア室を実際は一部屋にできるようにする。乳児室と図書室をつなげるようにする。事務室から児童クラブ室が見えるように相談室をバイパスに出来るようにする。靴箱を3つくらいいっしょにする。内履きを使わない。ドアを押し戸から引き戸にするなどなど・・・その結果がどうなったかも見たかった。
 ついてみてビックリ。私の提案が上手く通じていて、すばらしい設計になっていた。それよりもすごいのは木がふんだんに使ったあり、廊下と各部屋のつながりが見事で夢と安心とゆとりを感じ、しかもかばん入れ等にも実際の現場がやりやすいように出来ていました。児童館のあり方の一番の見本となると思います。私はいろいろ児童館・児童クラブ・児童センターを見てきましたが、日本一の児童館と思いました。
 設計のなされた方と金城幼稚園の理事長さんの苦労と努力に頭が下がりました。そして私が言うのはヘンと思うのですが、こんな立派なステキな児童館が出来たことを日本の子どものために感謝したいと思います。
 みなさんぜひ見学に行ってみてください。鈴木牧之記念館へも。
 設計士の方は鈴木牧之記念館の設計士でもあるのでしょうか。違うとすれば二人も木造のステキな建物を設計できる設計士をもつ塩沢町ってすごいですね。
2002年06月14日 06時36分08秒


言葉でわかる『話を聞かない男、地図が読めない女』のすれ違い
 アラン・ビース&バーバラ・ビース著の本を買ってきた。言葉でわかる『話を聞かない男、地図の読めない女』のすれ違いである。

  女の子は男の子より早熟だ。
  17歳にもなると、
  女の子はほとんどおとなと変わらない。
  でも男の子はというと、
  パンツをお尻にくいこませたり、
  友だちに飛びげりを食らわしたり、
  おならに火をつけたりしている。
 
 その中の33ページに書いてある言葉である。女の子と男の子は違う。これを考えないで子どもの相手をしていると、上手くいかないことが多い。小学生の女の子・男の子の違いとあてをするための手法をもう一つのホームページに書きました。遊びに来て下さい。ジオシティーは重たくて、なかなか書き込みが難しいので案内板と考えています。
2002年06月11日 07時04分32秒


発想の転換を
 学校教育がいつの間にか固定化されたせいだろうか。余りにもマニュアル化が進んだせいだろうか。最近発想の転換が出来ない子どもや大人が増えているように思う。先週の火曜日にひまわりクラブの研修会があった。そこでおこんばんわをやった。リピートをしたりしてみたが、130人くらいの指導員がほとんど同じパターンから抜けることが少ないように感じた。ジャンプしようと右左にジャンプするとみんな右左に飛ぶ。有明の子どもはたいてい違う飛び方をする。・・・とぶは跳ぶなのですが、私の育ったところは飛ぶなのです。のんびりしていないで飛んで来いと言い方をします。ちょっといいでしょ・・・上に紙を投げ上げるのも同じやり方になる。違ったものにならない。同じようにしっかりやるという習慣は良いのだけど、そればかりやっていると、新しいものが生まれてこないようになる。与えられた条件の中で違ったやり方をすることを常に評価する習慣をつけたいと思う。そうすると指導員の考えていた以外のものが出てきて遊びが進化すると思うのである。
 じゃんけん遊びみそラーメンなどはその典型である。決められた条件の中で大きくしたり・小さくしたり・組み合わせたり・素材を変えたりして面白い物を作りたいものだ。そのためには豊かな発想ができるように、日ごろの活動の中で、工夫を勧め、失敗を恐れず、たまにの成功を大いに評価する指導をしたいと考えている。そうしているとパクパクでも開いてみると動物になるという『天才けんじょうのパクパク』奈℃が登場することのなる。
2002年06月10日 08時20分09秒


みんなの力を
 私は公園の近くに住んでいます。たぶんその資産価値は10億円くらいと思います。その公園は児童遊園です。市長の委嘱で児童厚生員をやっています。固定資産税を払わないで家の前に大きな庭をもてると思うと幸福に感じています。今日は近くにマンションが出来、そのマンションの会社から自治会に多額の寄贈があり、嬉しく思っています。公園に物置を作りました。ありがとうございました。
2002年06月08日 00時56分29秒


みんなの力を
 私は公園の近くに住んでいます。たぶんその資産価値は10億円くらいと思います。その公園は児童遊園です。市長の委嘱で児童厚生員をやっています。固定資産税を払わないで家の前に大きな庭をもてると思うと幸福に感じています。今日は近くにマンションが出来、そのマンションの会社から自治会に多額の寄贈があり、嬉しく思っています。公園に物置を作りました。ありがとうございました。
2002年06月08日 00時56分05秒


自己責任の原則
 昆虫達の戦略で昆虫達は本能的なボランティア精神で活動している・・そこには支持命令ではない相互伝達相互援助隣保相愛の関係で行動されているとのことをしった。たとえば日本ミツバチの巣にスズメバチがやってくると、日本ミツバチはみんなでスズメバチを囲んでおしくらまんじゅうをして、スズメバチの体温を上げ、スズメバチをやっつける。これは女王バチの命令や支持によるものではない。本能的なボランティア精神である。私は人間の活動においてもこのようなオートマチックな活動が必要と考えている。公園の草取り、児童センターの行事活動等においてオートマチックに動けばずいぶん無駄な会議を省くことができるのである。
 といつも私が主張していたら、私の行動をオートマチックに動くものと勝手に決め付けて予定に入れてくれる人がいた。およそ行動は自己責任によるものであり、自分の行動は自分の自由意志できめるのである。それも自分の自己責任の原則で。自己責任の原則を除いて他人の行動を予定に入れることはできない。ボランティア活動を組織しているとこういうことがときたまある。他人の自由意志に基づく行動をオートマチックに決め付けるのである。これはいけない。私が主張しているのはスズメバチと戦うミツバチは本能に基づくボランティア精神の自由意志で戦うのであり、場面によって何匹かのミツバチはスズメバチに殺されるのであるが、一番最初にスズメバチに挑むように後ろから命令しているミツバチはいないということである。後ろから命令するようなミツバチが存在するとすればそれ自体の組織が崩壊するのである。自己責任・自由意志が昆虫達の戦略の基本であると思う。
2002年06月07日 04時37分31秒


文字にする難しさ
 言葉というのは言霊から来ているという説があり、それ自体に精神が宿るという考えがあります。それも一理あります。同時に私のように言葉をうまく駆使できないものにとっては、誤解の誤解の対象でもあるようです。子どもの暴力は許さない・・実力阻止・・場合によっては体罰ありなんて書けば暴力児童厚生員と批判するほうが正義があるようにみえます。おおよそ正義なぞというものはケースバイケースでそんなにあてにならないものと私は実感しています。高校生から22歳まではアメリカのベトナム戦争に反対し、学生運動で青春時代を費やしました。そのこと自体は無意味とは考えていませんが、アメリカにも中国にもベトナムにも今考えると圧倒的正義があったわけでもないようです。おなじように正義が決定づけられないなら、とりあえず、今の時代の中で、言葉の遊びにとらわれないで、事実をきちんとみたいものです。
 そんなことからホームページの中で自分の意見を言い、他の人の意見を聞きたいと考えています。
 同時に言葉遊びに終わらないで、子どもとともにいくつかの実験をし、その報告をまとめ、下からの世論を造りたいと思っています。
 ジオシティーとリムネットを上手く活用し、いろいろ記録をし、でも言葉遊びにならないようにと思っています。
2002年06月04日 01時17分24秒

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6月は忙しい
 あっという間に6月になりました。昨日はオーケストラの集い・8日はセンターに泊まろう・15日はみんなで子育て公開セミナーと3回連続大きな行事が続き、忙しい月になりそうです。毎年この時期にはこれ以外にも研修会が続きます。児童クラブ・保育園の研修です。なんとか元気に乗り切りたいと思っています。
 オケラを見ていて感心することがあります。彼らは練習中にはすごい音を出すし、190人がぺちゃくちゃしていると本当にうるさい。けれど誰かが両手をパチパチと2〜3回たたくとすぐに静かになり、普通の話し声で190人全員に話を伝えることができます。この手法は児童クラブ・児童館でも取り入れることが大事と考えています。集中には静かな集中と興奮の集中があることを知り、使い分けることができるようになりたいと思います。オケラの皆さんにはずいぶん教えてもらうことがたくさんあります。子どもの遊びを考えるNO2には、テープの暗記法からCD的暗記法のことを身近なボランティア・・オケラから学ぶに書いておきました。そっちへも遊びに来てください。
 
2002年06月02日 06時27分52秒


子どもの遊びの輪を広げよう
 子どもの遊びの輪を広げることが地域の仲間作りの軸になるのではと私は思っています。元気な子どもの笑い声は活気を呼びます。車社会・遊び場の減少・社会不安定状況などの状態の中で子どもがもっと自由に遊びまわれる空間を仲間を時間を作っていくことが必要と感じます。
2002年05月29日 07時05分59秒


「みんなで子育て」公開セミナーにどうぞ
 有明児童センターでこども未来財団・児童健全育成推進財団との共催で6月15日に研修会が実施されます。期日 平成14年6月15日場所 有明児童センター時間 午後1時30分〜午後5時講師 木原孝久氏費用 無料備考 有明児童センターまで申し込んでください。アクセスは有明児童センターのホームページへお願いします。 話は変わりますが、ジオシティはなかなか混んでいて書き込みができません。職場の昼休みを利用してのテスト書き込みでした。
2002年05月28日 13時25分05秒


おひさ
2002年05月26日 20時34分56秒


子どもの発想・・子どもの仕草
 生まれたばかりの子どもがちょっと微笑んだといっては大騒ぎ、片言で『パパ』といったと大喜び。2〜3歳児が『おそらにわたあめ。おいしそう。たべたいな』などというと発想のすばらしさに大喜び。子どもが小学生になる前までは親はデジカメにビデオと大忙しです。乳幼児のホームページも大流行です。
 乳幼児が可愛く感じられるのは、遺伝子的にもう組み入れられていると聞いたことがあります。双子グループが10組やってきて、20人の幼児が走り回るとチョー可愛いと思います。遺伝子論は間違いないと思います。
 乳幼児の発想や仕草が可愛いと思うのはもうひとつ、大人が乳幼児の頃のことをほとんど忘れていることにもう一点理由があるように思います。乳幼児のときのことは忘れているがゆえになおさら新鮮で大人の心をとらえるのだと思います。

       保育園年長から小学生3年生くらいまで
 私は乳幼児も好きですが、群れ遊びを好む、小学校低学年期の子どもの発想や仕草に学ぶことが多くあります。一輪車や自転車に乗れるように何度も何度も何度も何度もチャレンジしたり、海へ出かかれば波打ち際で波といつまでも飽きないで遊び、キレイな貝殻を必死に見つけたりします。川遊びでは石も水切りに挑んだり、箱めがねで水の中を見て、宇宙を感じたりします。乳幼児よりは活動範囲が広く、発想も豊かです。大人と違って、既成概念もありません。小学校低学年期の子どもの発想と仕草に学ぶことが多いと思います。ところが大人は表面的に小学校低学年時代のことは自分の意識下あるものですから、新鮮に感じられないように思います。また乳幼児とは違い素直でなく、すぐに反発します。そんなことから、子どもの行動を素直に感動しないことが多いようです。かわりに小学生になっても自転車が乗れない、字が読めないということが気になってしまいます。子どもの発想のすばらしさ、行動パターンのすばらしさを見過ごしてしまうように思います。
 乳幼児の発想・仕草に感動するだけでなく、群れ遊びを好む小学校低学年時代のファンタージーを生きる子ども達の発想・行動・仕草をもう一度じっと観察してみると、ずいぶん教えられることが多いと思います。
 名前がなくても遊べる・透明人間が野球の塁をうずめる・折り紙をいかようにも変化させる・替え歌をいくらでも作る・手遊びが好き変化させる・ごっこ遊びが大好き・ままごと大好きなどなど観察しているといろいろなことをやっていますし、その裏にはすごい発想をしています。
 乳幼児だけでなく、群れ遊び時代の子どもにも素直に学ぼうと思うこのごろです。
2002年05月17日 07時21分39秒

子どもの困った行動どうする?すぐに泣く子
 子どもの出生率の減少により、大人が多くなり、子どもの周りに大人だけになってくると、子どもは泣けば大人が助けてくれる。子どもの自己中心でなんとかなるように思い始めます。いわゆる欲求不満の耐性が低くなります。低欲求不満耐性児童が増加することになります。このような時は泣けば勝つということを学習させないようにすることが、大切と思います。そのためには、やはり予測が大事です。お店に行く前に『今日はおもちゃは買わないからね.』と約束しておきます。店に行って泣き、喚かれ、『今日だけよ』と妥協するくらいなら、最初からあきらめて買ってやることです。絶対に泣こうが喚こうが買わないときめたら、買わないと通すことです。『だめ』と言っておいて途中で泣く喚くに負けて妥協して『ダメじゃない』となると泣けば勝つということが、強く学習されることになります。ダメはダメと通す。予測からみて通せないなら、すぐにあきらめるようにしたほうが良いと思います。これを繰り返すと子どもは泣いても勝てないことを学習します。
 『鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス』同様に『泣くならば黙るまで待とうすぐ泣く子』と思ったらどうでしょうか。泣く子と地頭には勝てないではなく、泣く子は泣き止むまで妥協しないで待つか、泣く前にさっさと妥協するかだと思います.中途半端はやめましょう。泣いても勝てないことを子どもに学習させましょう。子どもが泣くと親が妥協してしまうのは、周りの目が気になるからです。毅然としていればそんなに恥ずかしいことではありません。それよりも泣かれ喚かれ子どもの言うままになっているほうが本当は恥ずかしく思われると思ったほうが良いと思います。
 
2002年05月16日 21時27分01秒


子どもの困った行動どうする?すぐに泣く子
 子どもの数が減少し、親類が集合してみても、小さい子どもは一人か二人。後は大人ばかりということがあります。2年ほど前に知人のお母さんのお葬式がありました。知人は一人子で結婚したばかりで、子どもはいません。知人の奥さんは3人姉妹ですが、一人は結婚してなくて、もう一人は結婚したてで、子どもがいません。知人のお母さんは結局、孫がいなかったのです。お葬式はとても立派に行われたのですが、子どもが誰もいない状況でした。そこで当時中学生の私の娘が、孫代わりにおときにつきました。お葬式は粛々と行われたほうが良いと思いますが、時たま、乳幼児の泣き声も欲しいですね。
 本題にもどります。このように子どもの数が減少すると、ついつい親だけでなく回りの大人が子どもの要求をできるだけかなえるようにします。その結果欲求不満耐性が低い子どもが出てきます。低欲求不満耐性児童です。自分の思い通りにいかないと『泣く・喚く・蹴る・閉じこもる』子ども達です。大人が多いところでは、泣けば誰かが何とかしてくれます。声もかけてくれます。ところが、保育園の年少くらいから群れ遊びが必要な時代になってくると低欲求不満耐性児童がトラブルを起こします。不登園、粗暴・殴る・蹴る・遊びを拒否するというのはそういうことはないと思います。
2002年05月15日 18時20分02秒


困った子どもの親への対応
 このホームページは児童館・児童クラブの現場で仕事をしていて、気づいたことを記録している。困った子どもの相談には親からの相談と指導員からの相談の二つがある。親に言うときは親用の言葉があり、指導員に言うときは指導員用の言い方があり、その二つは矛盾しないのですが、言葉だけ取り出すと、反対のことを言っているように思われることもあるかもしれない。けれどこのホームページにアクセスしてくれる人は基本的に親であれ、指導員であれ、真剣に子どものことを考えてくれていると思うので、両方のことを書いてみたいと思います。

     困ったことをする子どもの親への対応
 噛みつく・泣く・喚く・いなくなる・蹴る・叩く・みんなと遊べない子どもがいると、どうしても教員・保育士・児童館児童クラブ職員は、子どもや親に原因を求めてしまう。とくにベテランの人は『今までの子どもには上手く出来たのに、この子にはダメだ。では家庭環境が悪いのでは?』と思ってしまう。急激に社会状況が変わり、一人っ子二人っ子で育った子どもが親になっている現状で昔のやり方が通用しなくなっている。このことをまず考えなくてはいけないと思います。困った行動を子どもがするとき、指導員の指導方法・援助方法に問題がないかを検討するべきです。授業や遊びや課題を子どもと一緒にするときに、はたして子どものレィデネス(準備性=子どもが課題等をやる力)にあっているか、モチベーション(動機付け)がうまくできているか。指導方法が体性感覚等を使って楽しくやれているかを検討するべきと思います。困った行動が指導員の指導中に起こるのなら、指導員の指導方法を工夫するべきと思います。
 児童クラブのおやつなどで、指導員の『自己満足』で配膳準備・一斉にいただきます・15分以上にわたるおやつ時間の子どもの拘束などもトラブルやけんかなどの元になっていることもあります。子どもの自主性に依拠しないでいつも固定的な班編成でトラブルを班の責任にしていると、班の中でいじめがでます。群れを好む小学校低学年時代に固定的な班編成は有意義とは思われません。
 指導員の指導に原因がないと思われるときは他に原因を考えましょう。そのためにはその子どもをよく観察することです。友達が『馬鹿』とかいうと切れる子どもがいます。『馬鹿』などの言葉を言わせないようにするとともに『馬鹿というような人は馬鹿だから相手にするな.噛み付くな』と声かけをしてやればよいと思います。アトピーとか知的能力のおくれのために、集中できない子どももいます。ならば長時間の集中はあきらめればよいと思います。途中で作業を抜け出しても安全であれば違うことをしてもよいと思います。非常に個性的で自分の世界に入ってしまう子どももいます。邪魔にならないのならほうっておけばよいと思います。
 家庭環境が原因で粗暴になる子どももいます。スキンシップが足りないなら、指導員がスキンシップをしてあげましょう。『ともやん。またキックしたね。愛が足りないのね。私が抱きしめてあげる。』とか言ってスキンシップをしてやると小学校3年生の男の子でも『嫌だ』といいながら嬉しそうにしているものです。家庭環境が原因の粗暴な子どもの親が来たときはその子のよい面を伝えてあげることが大切です。『ともやんはキックが強くて、サッカーで活躍しました。』とかね。次第に親も指導員への信頼がでてきて『下の弟をいじめて困るのですが』などの相談をしてくるものです。
 子どもが困った行動をしたらすぐに親を呼んで指導をするというのはあまり効果的でないというのが私の考えです。ただし、他の子どもを傷つけた等の場合はクラブや保育園に責任があるにしても、傷つけられた子どもと傷つけた子どもの親にはきちんと状況を伝えることが大事だと思います。
 子ども同士のけんかで怪我をしたときは、保育園児と小学生では対応が違います。保護育成下にある保育園児は保育園の責任です。健全育成下の小学生は、指導員に基本的な指導ミスが無いときは怪我をさせた子どもとその親の責任となります。保護者会等でそのことを保護者に伝えるとともに、子ども自身にも『自分の責任で遊ぶ』『自分の命は自分で守る』『他人を傷つけない』ということをロールプレーなどを取り入れて指導することが必要と思います。
 保育園児は追いかけると捕まえられるし、力で押さえることも出来ますが、小学生2年生にもなると、走って捕まえたり、力で押さえることは出来ません。その代わり自己責任の原則ということが出てくると思います。法律的には事理弁識能力・責任弁識能力の問題ということになりますが、このことについては、次回に書きます。
2002年05月15日 08時42分12秒


保育園や学校に呼び出されるとき
 子どものことで保育園や学校の先生から呼び出しをうけることがあります。今日は母親の立場から少しそのことを考えてみたいと思います。
 不登校とか不登園だけではなく、他の子どもに噛み付くなどの行為で困るということなどもあります。ひとつ基本的なことで、教員とか保育士のいうことを『はいはい』と聞いておくことがよいと思います。これは子どもが『おかあさん。ともやんが意地悪するよ.』などといってきたときも一緒です.『ハイハイ』と返事をするのです。『ハイハイ』とふたつ『ハイ』というのにはわけがあります。一回の『はい』はあなたの意見に賛成しました。指示に従いますという意味ですが、2回の『ハイハイ』はあなたの気持ちがわかりましたという意味なのです。意見に賛成とか指示に従うという意味ではありません。いやみに聞こえるようなら一回の『ハイ』でも良いのですが。日本語の『ハイ』にはたんにわかったという意味と賛成する、指示に従うという意味の二つの意味があるのです。先生の意見に賛同しない違うと思ってもとりあえず、先生の気持ちがわかったという意味で『ハイハイ』と答えるのがよいと思います。その上で、『それで先生、どのようにしたらよいのでしょうか。子どもは何を感じているのでしょうか』などと切り替えしてみると良いと思います。『おかあさんのスキンシップや愛情が足りないのでは』「はいはい」『具体的にはどのようなことを』といった感じで先生の考えを聞いてみるのがよいと思います。
2002年05月15日 05時30分25秒


子どもの困った行動・・遊べない子ども・・
 最近増えてきた子どもの中にみんなと仲良く遊べない子どもがいます。保育園の年中〜小学校の低学年までは群れ遊びを好む時代と私はとらえています。基本的にみんなと遊びたいというニーズを持っています。みんなと遊べない子どもはじつはこのニーズが強すぎて遊べないことが多いものです。
 みんなと仲良く遊びたい→上手く遊びたい→失敗したくない→失敗したくないから僕はできるけれど遊ばない→遊べないという悪循環に陥ってしまいます。そしてますます上手くみんなと遊びたいというニーズが強くなり、ますます遊べなくなっていきます。私は大学時代にピアノをやっていたのですが、いつもつっかえるところに来ると緊張し、同じ間違いを繰り返しました。そんなもののようです。ここで大事なことは失敗しても良い、負けても良いという価値観を作っておくことと思います。ツーパワー・スリーパワーの遊びや名前のいらない遊びを増やすとともに勝ち負けにこだわらない仲間つくりを作ることが大切と思います。そのためには、けんだま検定表・縄跳び検定表・一輪車検定表・竹馬検定表等々の検定表で子どものやる気をあおる方法は児童館・児童クラブでは止めるべきだと私は考えています。けっこういじめの種になっています.検定表などを止め、勝ち負けにこだわらないという価値観を作ると遊べない子どもも一緒に遊べるようになってきます。
 グループ遊びが出来ない子どもがいると、親も指導員もすぐにグループ遊びに誘導しようとします。小さい子どもの場合・・小学生ではなく保育園児位の場合・・これで失敗することがあります。遊びにも発達段階があります。グループ遊びが出来ないからといってすぐにグループ遊びをさせるのは、ハイハイの出来ない子どもにランニングをさせるようなものです。遊びの発達段階には@援助遊びA一人遊びB並行遊びCグループ遊びとあるようです。最初はお母さんの積み上げた積み木を崩して喜んでいる。次に自分で積み上げて挫折する。またお母さんに積み上げるように強要する。自分で積み上げて遊ぶ。3〜4人の子どもで積み木を遊ぶが。互いに影響しあいながら遊んでいるが、一緒に遊ぶわけではない。時たま積み木の取り合いでトラブル。次第にみんなで協力して共同でグループ遊びをする。こんなように発展していくようです。この場合援助遊びも一人遊びも並行遊びもグループ遊びもそれぞれとても価値があるのでどれが大事というわけではありません。またいろいろ組み合わさって遊びは展開されます。ただ十分な援助遊びができると一人遊びができるようになり、十分な一人遊びができると並行遊び・グループ遊びへと発展するようです。
 遊べない子どもにすぐにグループ遊びを強要するのではなく、援助遊び・一人遊び・並行遊びをうまく取り入れていくことが大切と思うのです。
 遊べない子どもの中には自己中心でトラブルために遊べない子どももいます。『何々ちゃんは自分勝手をするから』と批判される子どもです。私は『ちょきんさ』の原則でやっています。大根抜きをやるときに、最初簡単にルールを説明します。始めておいて『ちょっとストップ。今足でキックした人がいるけれどそれはダメ。さあはじめよう』『ちょっとストップ。手首足首は引っ張っていいけれど、手の抜ける子の手は引っ張らない。さあ始めよう』というようにちょっとすっとっぷきちんとアドバイスさっと再開の上の3文字を取り『ちょきんさ』と言っています。遊びの体験を子どもとともに貯金していくという意味です。行動の自由とは統制・・コントロール・・デ広がります。遊びをうまくコントロールしていくことを通し、子どもが多くの遊びの選択肢を持つようにできることが大事なことと思います。『私は子どもの自由に遊ばせています.』なんてことばかりでは、自己中心の子どもがはびこって結果的に不自由なことになってしまうように思います。
2002年05月14日 05時43分28秒


子どもの困った行動どうする?いなくなってしまう子ども
 いなくなってしまう子どもを捜索するときのポイント。まずその子の服装・服の色・ズボンスカートの色・帽子・持ち物・身長・年齢・性別などを冷静に確認することが必要です。携帯電話を上手く使って、捜索する人が相互に連絡できるようにすること・携帯が無いときは拠点を決め、そこに30分後とに定期連絡を入れることなどを確認する。
 誘拐されたとかを除けば、子どもも大人もまったく知らない場所へ行くことはない。それまでに家族や友達や保育園で行ったことのある場所等を当たることガ基本と思う。子どもの行動範囲というのは親の思っている以上に広い。いくらなんでもあそこへはいくはずが絶対にないというような思い込みをやめ、捜索範囲は広げるべきである。保育園児でも3〜4km離れたところへ出かける可能性は充分にある。
 子どもは思わぬところへ隠れるのも得意である。押し入れ、ダンボール置き場の隙間・物置の中などに叱られた後にもぐりこみ、寝てしまうこともある。子どもの視線で隠れそうな所を探すことも大事である。
 狼少年ではないけれど、すぐにいなくなる子どもだと思っていなくなってもほうっておいたら、事故に巻き込まれていた、誘拐されていたということもある。暗くなる前に最悪の場合も視野に入れて行動することも必要と思われる。
いろいろな場合をイメージトレーニングしておくことは大事で、その意味でちょっとしたことでもみんなで捜索するようにすることが大事と思う。みんなで大いに騒いで、結果何もなくぶじにみつかればそれでよいとおもう。
2002年05月14日 04時59分25秒


子どもの困った行動どうする?
          いなくなってしまう子ども  保育園や児童クラブだけでなく、ちょっと目を離した隙にどこかに行ってします子どももいます。昨今日本に治安も悪くなり、誘拐ということもあるので心配です。 基本的には最悪のことを考え、捜索をすることだと思います。思い切って騒いで、見つかったら、しからないのがよいと思います。大騒ぎをすれば、それだけで、こどもはわかるものです。追い討ちをかけてしかる必要はありません。しかられると思ったのに『誘拐されたと思って心配した。見つかってよかった。本当によかった。』と声かけをすれば、子どもは心の中で反省するものです。
2002年05月13日 10時47分53秒


0歳〜3歳児の遊びを考える
 0歳から3歳児の遊びというと、とても簡単なものしか出来ないように思ってしまいます。けれど0歳1歳くらいの子どもは、母親や保護者がやることを見て遊び時期です。親子で遊びましょうの集いや乳幼児の自主グループなどでまずお母さんが楽しんでジャンケンをしたり、ダンスをしたり,歌を歌ったりすることが子どもに良い影響を与えるように思います。
 ジャンケン遊びの中で『グーチョキパーでなにしょう』という遊びを書いておきましたが、お母さんが楽しんでやると,乳幼児でも反応して楽しんでいます。楽しい心は子どもにも転移していきます。1メートルほどのひもをお母さんと乳幼児が持ち、お母さんが横にひもを振ると乳幼児も横に振ります。縦にすると縦に振ります。行動も転移していきます。ですから、乳幼児の遊びを考えるよりはお母さんが楽しんで遊べる遊びを見つけると良いと思います。
 『なべなべ底抜け,そこが抜けたらかえりましょ』という遊びがあります。乳幼児は背中合わせになることは難しい。そこで『なべなべ底抜け,底が抜けたら足ふみ,足ふみ』と足ふみを何回もするというのは研修会で大学の先生に教えたもらったものです。『なべなべ底抜け,底が抜けたら』の後に座りましょ・抱っこしましょ・子どもチェンジ・4人組・回りましょ・手をたたこ・おんぶしよ・馬乗り・あくしゅしよなどと次々と変化させていくこともとても楽しめます。
 早期教育のために乳幼児に何をさせるかではなくて、乳幼児に時期は母と子が一緒にスキンシップをしながら楽しむ。その楽しみを親子だけでなく、一緒に活動する数家族一緒のものに広げていくことが大切と思います。
 チラシで折り紙をたくさん作っておき、子どももチラシをちぎって遊ぶ・・乳幼児は作っているつもり・・お母さんは紙鉄砲・紙飛行機・おすもうさん・羽ばたく鶴・おこんばんわなど作って遊べる物をおぼえ・・体性感覚を使っておぼえる・・出来上がったもので一緒に遊ぶのもとても楽しいと思います。このときに乳幼児にもチラシ折り紙を与えておくことが大事です。まねっこをさせることが大事です。
2002年05月13日 07時46分35秒


子どもの困った行動その2
 と書いていたら、公園で遊んでいた子どもがいなくなり、町内の仲間で探しました。行方不明より2時間捜索より1時間半で見つかりました。保育園の年長くらいになると親の予想以上のところへ行きます。子どもの足で小1時間の所へ行っていました。このことについてはまた書くことにします。
 
 粗暴な子どもととらえ、キックをしたりすると
『キックをしたら、痛いでしょ。あなたがやられたらどうする。人の嫌がることはやめなさい』
という指導になります。アグレッシブととらえると
『ともやん。今のキックはすごいね。サッカーにそのキック力は使おう。園庭でやろう。でも人のことをキックしてはいけないよ.』
という言い方になります。マイナス面を抑えて,プラス面を伸ばすということになります。ちょっとした言い方の違いでずいぶん子どもはいい方向になるものです。物を投げることも一緒です。
『ずいぶん強く投げれるね。よしボール投げをしよう。投げるのも大事だけれど、捕る事も大事だよ。それからボールは投げてよいが、食器はだめだぞ。』
ということになります。もうひとつアグレッシブな子どもの援助方法で大事なのはロールプレーです。ダンボールを人に見立てて,キックをしたり、たたいたりして、痛みを間接的に感じることも大切と思います。・・・実際にやってみせる。迫力をもって・・・
 殴る・かむ・蹴るなどのアグレッシブな子どもの中には注目をあびたいためにやる子どももいます。危険なことをやってから叱るより、危険なことをやる前に注目しておいて、笑顔で近づいて、きちんとキックした足や手をしっかり強く痛いほど握り締め『あなたは良い子だけれどこの手と足はいけない.』としっかり叱ることも大事です。この時あなたは良い子というのは大事です。年中から小学生低学年の子どもの手と足と心は分離しています。心を叱らないようにと心がけると良いと思います。
 ボス的で支配的な子どももいます。こうした子どもは異年齢集団で上級生の・・もちろん基本的な躾が出来た・・中に入れてやると、自分中心では世の中がまわらないことがわかります。ある意味では昔と違ってそうした仲間がいなくなったために子どもがおかしくなってきているともいえます。大人は自分の子どもの躾にやきもきするよりも、豊かな人間関係を育てることのできる子どもの仲間作りを考えることも必要と思います。
 保育園の子どもがいなくなったとき、小学校の4年生5年生のサッカーの子ども10人、地域の大人10人がすぐに捜索に入りました。地域つくりをこれからもやりたいと思います。
 次回は子どもの困った行動。いなくなってしまう子どもにしましょう。
 
2002年05月12日 17時11分49秒

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子どもの困った行動その2
2002年05月12日 16時36分41秒


子どもの困った行動どうする?
     子どもの困った行動どうする?

 昨年の保育園の講演会で園長先生の提案による演題です。具体的に親が困りそうな事例をあげて,話したら、良いのではないかとのことで90分くらい実技を交えながら話をしました。
 粗暴な子ども・遊べない子ども・内気な子ども・多動な子ども・嘘をつく子ども・物をとる子ども・泣き喚く子ども・元気のない子どもなど具体的な話をしました。文章でまとめておこうと思ったのですが、しゃべるのは気楽で多少好きなことがいえますが、文章にするのは充分に出来ないことがあります。

       粗暴な子ども
 ちょっとしたことで、なぐる・キックする・かむ・物を投げるなど粗暴な子どもがいます。粗暴といってしまうとマイナス面だけになってしまいます。そこでアグレッシブな子どもととらえてみるとどうでしょうか。アグレッシブな子どもという言い方は大正大学の吉澤英子先生の講習会で教えてもらいました。アグレッシブというのはプラス面もマイナス面も含めて活動的との意味があるようです。
 アグレッシブな子どもととらえて子どもに対応するのと,粗暴な子どもとして扱うのでは扱い方が違ってきます。粗暴な子どもととらえると
途中ですが保育園児がいなくなったのでこれで一時中止です。
2002年05月12日 15時17分34秒


政治的意図を感じる・・未来より今の金かな・・
 財団の掲示板に児童クラブ入会のほやほやの人からの書き込みがありました。ハットリーナさんとともやんとがっちゃんまで出て、答えました。がっちゃんは本当にいるのですが。
 ところがとんでもハップン。彼女のねらいは学童保育連絡協議会のいわゆる生活は学童保育。児童館は遊びだけの主張のようでした。卑劣な批判はやめたら。これ自分のホームページだからかけること。
 練馬区の指針・・基本が間違っています・・小学生には保育は無いのです。小学生期の子どもには健全育成だよ。・・
2002年05月10日 20時09分46秒


ときのスピード・・・流れ・・・の感じ方NO1
 時間は平等にみんなにあると思っていました。けれどそれは違うようです。年をとったからの1年はあっという間にたってしまいます。充実したときを過ごさねば思います。それに比べ小学生時代はとても長く感じます。50年生きてきましたが、小学生時代の6年は3倍近く長く感じられ、後半の20年と長さはかわらないように思います。
      子どもの1年は大人の3年
 子どもの1年は大人の3年と友達が研修で聞いてきました。これは使えます。大人が「ゲームキューブは来年買ってやるから、我慢しなさい。」ということは「ダイヤモンドは3年後に買ったやる」という大人同士の話であてにならない話です。不登校気味の子どもに「明日は学校へいけるかな」と聞くのは大人の出社拒否の人に「3日後に出社できるか」と聞くのと一緒になります。
 保育園時代から小学生はファンタジーを生きています。昼は昼で存在し、夕方,夜と別に存在するようです。夕方に明日の話をしてもあまり意味ないことが多いようです。とくに『明日は学校へ行こうね。お約束しましょ。』などの約束は悪影響ですーー私の今までの相談事業の経験からーー夕方に『絶対に学校に行かない』といわれても『そうだね。そうだね。』と受容しておいて、夕方・夜をプレッシャーなく過ごした子どもは朝になって何もなかったように学校へ行くことができることもあります。
 子どもがよくコロコロコロリン変わると大人には思えます。さっき『おやつ食べない』『折り紙作らない』『野球やらない』と言っていた子どもがものの10分もたたないうちに『やりたい』と言い出すと,『あなたはいつもそうでしょ。何で最初からやらないの』と叱る指導員がいます。私の目から見れば専門性にかけるように思えます。子どもにとって見ると10分の間に他の友達が始め、しかも面白そうだ。ほとんどの子どもが始めた。僕も仲間に入りたい。と心が変化していくのに10分はとても長い時間なのです。そのように変化すると見越して、計画を立てておくのです。
 『今日は折紙やります。やりたい子おいで。』『お願い仲間になって。頼むよ』『人数が多くなってきたね。これは面白い。チョー面白い。ちょっとやってみない.』『出来上がったけれどあげるよ。もういっちょ作ろう.』こんな呼びかけをしていると、30人位の子どもなら30分以内に全員参加させることが可能です。30人全員集めて一斉にやるより、時間も労力も使わなくてすみます。
 ときのスピードが子どもと大人とは違うということを知っていると,ずいぶん指導が楽になります。
 ときのスピードが大人と子どもで違うのは昼・夕方・夜が別に存在することと、子どもにはいつも新鮮に物を感じる力があるからと思います。年々短くなっていく1年を充実させるために,子ども心を忘れないようにしたいと考えています。
 
2002年05月09日 07時49分54秒


児童クラブと児童館の共存について
     いわゆる児童クラブは生活の場・児童館は遊ぶだけの主張について
 児童館・児童クラブの共存を私はめざしている。けれど児童館は遊びの場・児童クラブは生活の場と区別したがる人たちがいる。
 児童館は遊びの場としてしか考えない児童館一般担当職員は遊びを子どもの生活の一部としてとらえることができない。遊びとは子どもの生活そのものである。生活が苦しい地域の児童館に勤めている職員ならわかると思う。児童クラブ費を納入できないために児童クラブに入会できない。児童館行事で昼食会などをやると『ご飯ってあったかいのね』と喜ぶ子どももいるのです。児童館はまさに子どもの生活の場です。児童館の一般担当職員も強く意識すべきです。
 児童館の児童クラブ職員は児童クラブは生活の場ーー子どもは児童クラブに来るルールがある。親と子どもと職員のお約束ーーということに安住すべきではありません。子どもの立場になって,子どもが基本的に喜ぶ・楽しい・児童クラブに居たいと思う運営に努力すべきと思います。まず児童クラブに居るというルールが先にありきじゃダメですね。
 私は『児童クラブに子どもが入りたいか,入りたくないかが最優先事項です。子どもが自らの意志で入りたいと思うことが一番大事で、親が働いているから児童クラブへというのは安易です。』と保護者に主張している。保護者は子どものために年休をとって、児童センターの餅つき会、センターに泊まろう会にボランティアに来てくれる。親が安心して働けるというのは結果で、児童クラブの目的ではないと思います。

 児童館一般担当職員・児童館児童クラブ職員は相互に歩み寄り、共通理解を図り、放課後児童の健全育成と児童館事業の共存を図る道をと考えています。そのためには学校週休二日制となったので、学校から自由来館児童もカバンを持って直接児童館に遊びに来れるようにする。一般来館児童のカバン置き場を作る。安全対策のために自由来館児童のクラブへの組織化を図る。自由来館児童へもおやつを配慮する。土曜日の活動の充実を図るなどが必要と思います。
 それじゃあ児童クラブと一般とどう違いがありかとの話になります。基本的に子どもは一緒です。ただ対象が留守家庭児童かそうでないかという違いと思います。児童クラブに事情によって厳密には留守家庭児童でない子が入会し、(ちゃんと事情によって良いことに厚生労働省の通知でなっています)留守家庭児童の子が児童館の児童クラブでないクラブに入会しても問題ないと思うのです。
 今子どものために何が必要かを探しましょう。
2002年05月05日 05時53分14秒


草取りを考える
 5月の連休二日目は山の『別荘地』の草払いを計画していました。T会長と私と連れ添いと3人ででかけました。70坪の土地は昨年見事にススキと雑草で2メートル以上となり、鬱蒼たるミニ森に見えました。今までは不動産屋の社長さんにお任せでしたが、社長さんがご他界し、自己管理をすることになりました。-つつしんでご冥福をお祈りします。−−ほんのちょっとほうっておいたつもりなのですが、植物の力はすごいですね。
 今年は反省をして、春に一回、秋に1回刈り払おうと計画したのです。雑草学のHPを見ていたら、年に3回払うとうまくいくというのです。新潟は冬の雪に1回任せて、年2回でなんとかならないかと考えています。(甘いね)
 朝7時に出かけ、8時15分頃つきました。草を払う間にT会長と私の連れ添いはワラビ採りに出かけました。それから1時間15分一人で70坪アンド隣の土地30坪刈り払いました。二人は欲かきにはいり,帰ってきません。一人でがんばりました。(と言ってみたいだけ。T会長がいなきゃね。そのあと草集めてくれて感謝感謝)
 秋に1回刈っておいたので、昨年の秋の半分の労力ですみました。最低年2回出来たら3回のやり方は使えます。昨年秋ススキを刈り払っておいたので、植生が変わり、低いイネ科の植物とバラ科の野イチゴが元気にしていました。刈り払ってきたので、秋にはどうなるのか楽しみです。
 帰りにT会長と話したのですが、高速道路,新幹線,バイパス等公共施設の空き地を住民の管理に任せて、花を植えたりすれば、ゴミとススキと雑草と犬のふんの空き地にならないのにね。やぶ蚊対策で除草剤をまかないですむし。
 私も児童遊園の児童厚生員と自治会の役員と国庫補助による地域組織活動の三つの肩書きをうまく使って近くの児童遊園を管理していますが、『勝手に公共物に花を植えるな、草とるな』の正論派がいて,苦労しています。本当はみんなの知恵をいかせればよいのにね。
2002年05月04日 15時18分29秒


マスコミのことーー学校週休二日制ーー
        新潟日報の取材が来て
 学校週休二日制が始まり,一ヶ月ということで毎日新聞の取材に続き,新潟日報の取材が2週間くらい前にあった。それが5月4日の朝刊22面に掲載された。『どうなる土曜日ー学校週休二日制1ヶ月』というものである。
 屋上のローラースケート場で子どもがローラースケートをしている写真と私と主任のコメントが掲載された。
『今の子どもたちは遊びといえばゲームか漫画だが、特に小学生は群れて遊ぶのが基本。せっかくの土曜日、学校や年齢の子どもたちが接しあう機会にしたい、』私のコメント
『土曜日クラブを通して、子どもたちにいろいろな体験をしてほしい。』主任コメント
 職場のことを掲載してもらい、子どもの遊びの様子を写真に掲載され,土曜日クラブの普及と児童センターの主張がいえてよかった。
 私の主張した学校五日制ではない。学校週休二日制だということはのらなかった。完全週休二日制はやめて、第2・4土曜日のみの4週6休で良い。学力の低下、月曜から金曜までの過密スケジュールは全体として子どもにとってデメリットである。マスコミはもっと本質的なことを取り上げ、議論することが大切ではないだろうか。
 でも今回の石原記者さんはマスコミの状況の中でやれるだけのことはやってくださり、とても感謝しています。
2002年05月04日 06時46分59秒


排他的でないグループ運営・クラブ運営
        群れ遊び時代には排他的にならないことが重要
 児童クラブと児童館の運営で問題になることは、児童クラブの方がクラブとして凝集力があるので、自由来館児童が仲間になりにくくなることがあります。またおやつや専用の部屋があるので、けんかをしてクラブ室に逃げ込んで、『お前はクラブじゃないから入るな』などと部屋の外と廊下でいい争いが始まります。
 クラブを作ればそれだけで他に対して,排他的になります。排他性の排除は児童クラブ担当職員が極力注意しなければいけないことです。
 児童クラブ室の出入りは基本的に自由来館児童もできる雰囲気を作っておきます。もちろんおやつや児童クラブだけの活動の時もあります。けれど『ちょっと今児童クラブだけの用事だから、出ていてね。』というのは職員もしくは大人のボランティアです。子どもが『クラブでない人は出ていって。』というのは禁句=タブーです。それを言った子どもは児童クラブから追放されることになります。乳幼児が間違って入っているときはあきらめて児童クラブと一緒に活動させておきます。乳幼児におやつをみせて,食べるのを我慢させるのは酷だからです。児童クラブの排他性をなくするためにはおやつの3〜5人前は安いものと思います。
 排他性の排除のためには名前のいらない遊びを増やしています。不登校気味の子どもがやってきたときに児童クラブの子どもに『誰かこの子も仲間に入れて』と言います。このとき『俺は嫌だ。』と言うのは禁句=タブーです。ものすごく徹底的に『だれがお前に頼んだ。嫌だということができる子どもは家に帰れ。』とどやされます。ですから仲間に入れたくなくても何も言いません。そのうちに『一緒に遊ぼう』といくつかの遊びグループが声かけをしてくれます。ツーパワー・スリーパワーで遊んでいるので仲間に入れても損はないからです。
 児童クラブ・ジュニクラブの子どもは遊びが豊富です。野球・サッカー・缶けり・ドッジボール・ままごと・お姫様ごっこ・草花遊び・綱乗り・ドミノ遊び・積み木遊び・大型ブロック遊び・マンガ読み・テレビゲーム・折り紙・バックギャモン・オニム・将棋・オセロ・ローラースケートなどの遊びが同時並行で行われています。どれかひとつは初めて来た子どもでも遊べるものがあるようです。
 排他性をなくすことで,仲間の輪と和が広がると思います。職員は意識的にクラブやグループが排他的にならないように努力することが必要です。隣保相愛・相互扶助の気持ちが大切と思います。ボランティアなどと難しく考えるより,お隣同士仲良く,助け合おうっていいと思うのです。
2002年05月03日 10時24分10秒


児童館と児童クラブの運営について
        財団のけいじばんをみていたら
 児童健全育成財団の掲示板をみていいたら、『とよ』さんが児童館併設の児童クラブに入れたけれど、一般来館児童と児童クラブが同じみたいで運営に疑問を感じた。というような主旨のことが書き込みされていた。さっそく返事を書き込んだが、すぐに1000字を超えてしまった。書き直すのに30分もかかった。自分の専用のホームページを作ったのはこういうときのためである。自由にいくらでも書き込めるから。もしとよさんもこのページをみてくださったらゲストブックに書き込んでください。

        児童クラブと児童館の共存
 私は児童館と児童クラブは共存できるし、共存すべきと考えている。児童館は児童クラブを軸に活動し、児童クラブ単独の施設は、児童館に昇格し、放課後児童健全育成事業だけでなく,地域の子ども全体の健全育成へとその力を発揮させるのがよいと思っている。全国4000の児童館と9000以上の児童クラブが協力すれば13000の施設となる。全国には30000くらいの小学校があるらしい。それにまけないぞ。
 
 児童館と児童クラブが共に一緒に歩むためには、児童館・児童クラブ職員がまず仲良くなり、助けあわねば。児童クラブ専任の職員は必要である。でも児童クラブしかやらない職員はいらない。午前中は乳幼児の集いも見なくてはいけない。子どもの仕事をする人が、乳幼児の仕事をしないというのは、勉強する気のないのと一緒です。乳幼児のゲーム・工作・ダンスはそのまま児童クラブに使える。乳幼児を理解することはファンタジーを生きる小学生低学年理解に通じる。また児童館の季節行事には児童クラブだけでなく、児童クラブの保護者をボランティアに組織し、一緒に活動する。児童クラブも放課後児童の健全育成を通し,地域の福祉の向上に寄与するのが目的だからです。

 児童クラブの職員の誤解のひとつは児童クラブの目的が安心して親が働けるための施設と勘違いしていることです。結果として親が安心して働けるということと、目的は違います。目的は子どもの健全育成です。子どもが楽しく,元気に遊び、児童クラブで充実する。親も安心できるというのが大事と思います。
 とよさんの児童館のような場合私の推測ですが、児童クラブは何もしないで、子どもを物理的に管理しているだけ。あとは自由に児童館で遊んでいる。専任の職員がいたとしても児童クラブ運営の目的性とそのための手法を考えていないことが多いように思います。

 児童クラブの基本的な目的とそれを実施するための手法を含めた年間計画・月計画・毎日の計画が必要です。
 毎日の活動の中にはおやつ以外に児童クラブ独自の活動を一日30分は必要と思います。私はそれをボール遊び、運動遊びでやっています。猿の子と人間の子は一日最低30分思い切って身体を動かして遊ぶことが必要ということからです。昨日は保育園のグランドで5時15分〜5時45分まで手つなぎ鬼を70人でやりました。迎えにきたお父さんお母さんは終わるまで待っていました。子どもの健全育成の場ですからね。
 土曜日は朝から子どもが来ます。8時には玄関に待っています。9時から10時までは全館学習タイムです。60人以上の子どもが体育遊戯室で自力学習しています。教員のお父さんお母さんがお手伝いをしてくれます。第1と第3土曜日は午前中は映画を見たり、自由遊びです。午後からは子ども喫茶・工作などが入り、おやつが終わってからはバックギャモン・ドミノ・オニムなどのゲームや雨が降ればテレビゲームが3台始まります。時に液晶プロジェクターで50人以上が一緒にゲームキューブをします。もちろん自由来館児童も一緒です。屋上ではローラースケートが始まります。第2土曜日は主に児童センターの季節行事にクラブ全体で親も巻き込んで参加です。テンプラ会・オーケストラの集い・暑気払い(家族で夜の飲み会)・オニム大会・タウン祭・ヤンチャフェスティバル・忘年会(家族で夜の飲み会)・餅つき会・豆まき会と地域の人を巻きこんで200人以上の行事があります。第4土曜日は児童クラブ独自で自然科学館に行ったり、散歩に出かけたりです。
 年間の中では春のセンターに泊まろう・夏のプール・海水浴で子ども達はたくましくなっていきます。

 とすごくかっこよく書きましたが、基本的なことをB4の紙に年間計画で書くだけで、後は臨機応変コロコロコロリンスットントン。保護者・ボランティア・子どものニーズとお手伝いでいかようにも変容しています。スイカを100ヶもらってきゅうきょ全館一斉スイカパーティー。アイスが溶けそうになりアイス食べましょう会。思いついて綿菓子作りをはじめ、地域みんなに配ったり、ポップコーンのタネをいっぱい貰ってポップコーンサービス。何でもありですね。
 こんなことを財団の掲示板にも書きたかったのですが。
 児童クラブは午後6時までです。そのあと小学生の学習タイムが30分あり、6時半に終わりとなります。学校週休二日制に伴って児童館・児童クラブも地域のニーズにあわせてかわっていかなくてはなりませんね。
2002年05月03日 06時03分27秒


家族そろっていただきます
         おやつの食べ方の実践ーー家族そろってーー

『一斉いただきます』『各自いただきます』『グループでいただきます』のみっつのやり方のうち『グループでいただきます』を早速やってみました。20の皿に5人分づつおやつも盛り付けておいて、クラブ室の前の廊下でファイブパワーを作り、グループ毎に「いただきます。ご馳走様」をやること。ゴミはグループ毎に片付けること。と話しました。即興のグループ作りが得意な児童クラブ・ジュニアの子達は2〜3人を除き、うまくグループつくりをしました。出来なかった子どももボランティアのサポートで仲間に入れました。
 5人組で次々にいただきますをし、5分もすると3・4年の男の子は食べ終わって、野球に出て行きました。もちろん途中で『ご馳走様』が出来ないグループもあり、私にどやされたりしていました。五女や二女は20分くらいだべって食べていました。
 おおむね成功でした。子どもと話をしてこの方法を『家族そろっていただきます』と言うことにしました。『各自いただきます』『一斉いただきます』『家族でいただきます』の三つの手法ができました。これを子ども流に言うと『一斉ですか、各自ですか、家族ですか?』ということになります。
 児童クラブでの試みをぜひゲストブックやメールでお知らせいただければ幸いです。
 
2002年05月02日 19時39分19秒

おやつの食べ方ーー三つの手法ーー
 児童クラブにおいてはおやつを食べることも大きな活動のひとつである。私も児童クラブの担当をしている。1年生から3年生まで80余名ジュニアの子達も入れるとおやつは毎日100人以上が食べている。

   『一斉にいただきます。ご馳走様でした』
 おやつの食べ方というと一般的に学校給食同様に、『みんなでいただきます。ご馳走様』というところが多いようである。それがけっこう子どもにとっては苦痛になっているようだ。学校週休二日制により、それでなくても自由遊び時間が減少している。みんなで一緒ということになると、どうしてもおやつに15分や20分とられてしまう。野球・フットベースなどで遊びたい男の子は食べ終わるのを待つのがつらい。面倒なので「おやついらない」とのことになり、あとで「ほしい」というと「あなたはいつもそうなのだから」と叱られる。
 『一斉にいただきます。ご馳走様』の理由はたいてい躾ということになる。躾とは社会に出てから役に立つことだろう。しかし,社会に出て,『一斉にいただきます。ご馳走様でした。』などということがあるであろうか。結婚式の乾杯のときくらいではなかろうか。毎日結婚式なわけないし、『一斉のいただきます。ご馳走様』の基本的な理由は教員と児童クラブ職員の子どもがみんな職員の指示どおりに動くという自己満足ではないかなと思うのです。
 仮にみんな一緒にパターンが必要としても、月に2〜3回くらいでも良いのではないかと思います。土曜日くらいに誕生会でもして、ジュースで「ともやんさん 誕生日おめでとう かんぱい」なんてのは楽しいですね。

    『各自いただきます。ご馳走様でした』
 各自でやるのが、一番ポピュラーなパターンだと思います。私自身は職場でお昼を食べるときも、外で夕飯を食べるときもそうです。外食のときはラーメンが好きなので,のびると嫌だから『お先にいただきます。』といって先に食べます。世間の基本は各自での『いただきます。ご馳走様』ですから、それを最初に躾たらと思うのです。学校で『一斉にいただきます。ご馳走様』をほぼ無意識でやっている子ども達は一斉に言うことはできても,各自きちんと言うことが出来ません。指導としては各自のほうがよほど声かけの量が多くなります。極端にいえば80人の『いただきます。ご馳走様』を確認しなくてはいけないのですから。
 代わりにメリットもあります。まず男の子が喜びます。さっさと食べてさっさと遊びに出ます。『待っていなさい』との小言を言わなくてすみます。女の子はのんびりとおやつを食べながらだべることが出来ます。

    『グループごとのいただきます。ご馳走様でした。』
 山菜採りに向かう車中のでのコットンさんと私の話の続きです。『二回のありがとうございました。すみませんでした。』が必要との話のあとにおやつの話が出ました。
 「家庭で朝飯を食べるときは各自『いただきます。ご馳走様でした。』だけれど、夕飯のときは、私が『いただきます』と言ってみんなが言うパターンもあるよ。」とのコットンさんの話。「それいいね。最近、家族の会話やふれあいも少ない。夕飯の時にはみんなで『いただきます。ご馳走様でした』のパターンをつくるのはいいでね。」
 いいことは児童クラブで練習してみよう。それで考えているのは、フォーパワー・ファイブパワーで自由にグループを作り、グループごとに『いただきます。ご馳走様でした』をするということです。今までもやっていたことですが、それを家族ごっこという意図的な考えで取り入れるのです。グループは固定的ではなくーーー児童クラブで班編成をすることは私はしていない。あまり良い効果がないと思っている。その点についてはまた次回ーーー流動的で、おやつの食べる時間の短い子は短い子同士、長い子は長い子同士で作るということで。どんなファミリーができるかな。そうだ。おやつも一人一人ではなく、皿に盛り付けて,グループごとに自由に食べるというのはどうだろうか。

 自由とは選択肢がたくさんあるということだ。おやつの食べ方でもいろいろなパターンを取り入れて,豊かな経験を子どもができるのが良いのではないかと思う。児童クラブの運営は学校からくらべれば自由にやれる。その自由をいかさない手はないと思う。
 
 
2002年05月02日 07時56分07秒


二回のありがとう
 新潟の今年の春は早く、雪を追いかけるのが大変です。私の車は8人乗りのワゴンで崖崩れの道を走ることが出来ません。けれど雪は消え、山菜は山奥へと移動していきます。機動性ののあるコットンさんの車で山を攻めたのですが、山菜を採るまで車で2時間・徒歩1時間半かかりました。
 本論はこれからです。その車中での話です。呑みにいって、おごってもらったとき、その場で『ありがとう』を言える人はいるのですが、翌日『ごちそうさまでした。』をいえない人が増えましたね。とのことでした。私も常々そう思っていたので、二度『ご馳走様』をいう必要があるかとの話になりました。
 結論から言うと、二度いうのが必要ということです。一度目はのんでよっぱらった時の『ご馳走様です。』二度目は酔っていないときのつまり翌日の『昨日はご馳走様でした。』です。
 戦時と平時両方を使い分けるとするならば、本当のありがとうは戦時とも平時ともあるべきで、それで完結するのです。平時も戦時も区別できない人が、一回言えばいいだろうと居直るのです。大変なときと、そうでないと時の使い分けのない『ありがとう』『すみませんでしたた』はあてにならない言葉ではないかと思うのです。
 同様に二度の『すみませんでした』も必要です。一回目は状況に応じたもので、二回目は客観的にみた『すみませんでした』です。とりあえず謝っておいて、あとできちんと主張するのと、やはり失敗を認めるのとがあります。そのときの『すみませんでした』と落ち着いたからの『すみませんでした』とは意味が違うと思うのです。
 すばらしいことを考えたと思って自宅に帰ったら、息子が言うには、やってもらう前の『ありがとう』とやってもらってからの『ありがとう』の二回のありがとうではないかといっていました。どちらでも良いのですが、『ありがとう』『すみませんでした』は二度いうのがいいと思います。
 よくオアシスといいまうが、おはようと失礼しますは一度がいいかな。その意味で1212かな。
 山菜採りをしながら、二度の『ありがとうございました』『すみませんでした』をいえる子ども・大人を目指そうと思いました。
2002年05月01日 21時31分05秒


少し寒くなってきて
          4月の暑さは異常でしたね
 5月に入りました。4月の暑さがは少し異常だったように思います。朝、いつもの犬が吠えているのを聞くと暖かいので空気が軽い感じで、春というよりは秋のような感じに聞こえました。
 山はすっかり雪がとけてしまいました。5月の第2週のテンプラ会の材料は調達が難しい。おととしは4月はまだ雪の下で材料が調達で着ないので4月の第4土曜日から5月の第2土曜日にテンプラ会を移動したのにね。
 
 物事を計画的にやろうと主張する人がいます。一見正論で立ち向かう余地がないように思えます。私は自治会の役員をしています。公園の草取りがメーンの仕事です。あるとき他の役員に言われました。
『あなたはいつも突然,草取りを始めようと言い出す。個人で仕事をしているわけではないのだから、もっと計画的に予定を立てて、やらなければ。』
 月に1回町内定例の草取りが第3日曜日にあります。30人位のボランティアと町内の役員が出席してやります。この草取りでは足りないので状況に応じて、芝刈り機、草払い機を動かすのです。この時臨機応変に役員で助けあってやっているのです。『計画的』とおっしゃる役員はあまり手伝ってはくれないのですが、たしかに正論に聞こえるのです。しばらく考えて,私は言いました。
『あなたのおっしゃるとおりでした。これからは計画的,能率的にやりましょう。もちろん、私もきちんと計画をたてます。ところでお願いがあります。雨の降る日と晴れの日、寒さ,暑さを計画的にあなたがやってくださいね。せっかく私が計画をたてても、天気に左右されては困りますから』
 一見の正論は違った観点から見ると,暴論でしかないことがあるのです。そのときそのときで何が大切かを考える必要があるのです。
 体罰の禁止などということも一緒です。今自分の目の前で暴力をふるう子どもーーしかも他の子どもが怪我をさせられようとしているときーーを前にして、体罰禁止のお念仏を唱えても仕方ないのです。
 天気の話から飛びましたが、天気の力はすごいということと、それに合わせて臨機応変に人間対応しなくてはと思ったということです。
 
2002年05月01日 06時57分33秒


エクセルに挑んでいます
 平成13年度までは基本的にワープロで仕事をしていました。12年度末にパソコンが入り,メールをうつことが多くなりました。メールによる相談事業を始めたこともひとつの要因です。そしたら,パソコンの打ち込み方とワープロの打ち方の少し違うところがあるのでワードとエクセルに統一しなくてはならなくなりました。
 4月中旬よりワード・エクセルに変更し始めたのですが、なかなかなれるまで大変ですね。もうひとつはキーボードを見ないで打てるようになる必要性を感じ始め、やっています。私の左手の小指はちょっとよそ見をするとピアノの練習同様に別のキーに触ってしまうのでモニターの画面を見ながら打てるようにがんばらなくてはと思っています。
2002年04月30日 21時37分07秒


ツーパワー・スリーパワーで遊ぼうPART1
          ツーパワー・スリーパワーの手法のすすめ
 児童館・児童クラブでの遊びの手法として、ツーパワー・スリーパワーで遊ぼうという手法を使っている。
 一例をあげて説明しよう。七並べを4人でしているとする。そこに5人目の子どもが『仲間に入れて』とやってきた。この時やっていた4人をA・B・C・Dとすると、あとでやってきた1人をAの仲間に組み込む。もちろんAは自分の番が回って来たときに1回しか出せない。しかし2人で相談してやることになる。同様に8人目がくれば、A・B・C・Dはそれぞれ2人組となる。これで全グループがツーパワーとなった。9人10人目が来るとAグループ・Bグループは3人組スリーパワーになる。Cグループ・Dグループはツーパワーで七並べが行われる。Aグループの中には七並べをまったく知らないけれど仲間になりたい,群れたいというニーズの子どももいるであろう。けれどそのことはAグループにハンディにならないのである。
 ツーパワー・スリーパワーの手法を使うことのメリットはいくつかある。遊びの途中で『仲間に入れて』とやってくる子どもをいつでも仲間に入れることができることにより、グループの排他性を取り除くことができることである。また児童館・児童クラブでは途中で塾の時間や保護者のお迎えなどで子どもの数が減ることもある。最初からスリーパワーで七並べと決めておけば、お迎えや塾で一人二人減ってもゲームが継続できる。極端な話、Aグループ3人がみんな塾でいなくなってしまえば、Bグループの一人がAにうつればよいのである。
 リレーなどもスリーパワー5グループ対スリーパワー5グループで行う。3人のうち1人が遅くなっても先頭の1人が次のグループにバトンタッチすれば,次のグループの3人は一緒にスタートできる。遅い子どもでも仲間に入れることができる。リレーの試合としては勝負が決まってしまっていても、群れ遊び時代の子ども達は同じグループ3人の中で誰が一番にバトンタッチするかということを競うのでリレーの楽しさが損なわれない。まるで別のリレーが同時並行で行われているかのようである。
 群れ遊びの時期の子ども達にツーパワー・スリーパワーの手法は取り入れて欲しいと思っている。
 
2002年04月30日 21時18分31秒


ツーパワー・スリーパワーで遊ぼうPART2
          遊びを伝え合う
 ツーパワー・スリーパワーでの遊びは遊びを知らない子どもに遊びを伝え合うのに便利である。
 ドッジボールの場合で考えてみよう。普通にドッジボールをすると,ルールの分からない子どもやボールをうまく投げれない子どもは、参加しても一回当たると外野に出て、最後までそれで終わりになっています。面白くないからその場からいなくなったり、他の遊びを始めたりしてしかられる。
 24人対24人のドッジボールの試合をスリーパワー8グループ対スリーパワー8グループで行う。スリーパワーの内の一人が当てられれば3人とも外野に出る。外野でスリーパワーの一人が当てれば3人とも内野に戻れる。ルールの分からない子どもも他の二人と一緒に出たり入ったりしていると自然とルールが分かってくる。
 バックギャモンなどのボードゲームをやる時も一緒である。バックギャモンのルールがわからなくてもサイコロを振ることはできる。年中児から小学校3年生は群れることを好む時代である。サイコロを振らせてもらえればそれで楽しいのである。サイコロを振っているうちに,コマの動かし方が見えてくる。そしてゲームのルールがだんだん分かるようになる。ツーパワー・スリーパワーの手法はゲームや遊びを伝え合うのに使える手法なのである。
 
2002年04月30日 20時51分31秒


ツーパワー・スリーパワーで遊ぼうPART3
        ゲームの中に小グループを作る
 ツーパワー・スリーパワーの手法は、たんに二人組・三人組にとどまらない。四人・五人組もできる。四人組はフォーパワー、五人組はファイブパワーとなる。
 フォーパワー・ファイブパワーになると、ゲームの中に小グループが編成されることになる。一例をあげてみよう。ジャンケン陣取りをする。普通は5人対5人で陣取りをし、ジャンケンをしながら進む。一人でやるものである。ここでこの5人の一人一人をファイブパワーにして、25人対25人のゲームにする。走るのは5人一組で走るが,ジャンケンは一人である。5人対5人と同じように25人対25人もゲームがスピーディにしかも子どもの運動量は変わらないで行うことができる。同時にジャンケン陣取りというゲームの中に5人組の小グループが10組作られることになる。子ども達はジャンケン陣取りを楽しみながら,同時に5人の小グループの中でフェイスtoフェイスの人間関係を結ぶことになる。ゲームをやりつつも小グループの中で学校のこと・おやつのこと・テレビゲームのことなどが話し合われる。よそ見していても,5人の内の誰か、もしくは他のグループの20人の中の誰かが見てくれているので、ゲームは中断しないでスムーズに行われる。
 フォーパワー・ファイブパワーを使った遊びは仲間つくりに有効である。5人の仲間の中には足の遅い子ども・ルールの分からない子ども・ジャンケンの弱い子どもがいても,グループとして不利にはならない。足の速い子どもが距離を稼ぎ、ジャンケンの強い子どもがジャンケンをし、訳のわからない子どもは訳のわからないまま群れてついて走って喜ぶ。異年齢・異世代交流を目指す児童館・児童クラブにはぜひ使ってほしいと思う。
 フォーパワー・ファイブパワーを使うと勝ち負けへのこだわりが少なくなる。赤信号みんなでわたれば怖くないというのと一緒で、ジャンケン陣取りみんなで負ければ仕方ない。という感じの気持ちになってくるのである。負けるのが嫌いで集団遊びに参加しない子どもも仲間になれる。
2002年04月30日 20時37分52秒


名前のいらない遊びを増やそう
 保育園年中児から始まって、小学校3年生くらいまでの群れ遊びを好む時代にはそれなりの手法が必要と思われる。大人と違い遊びを通して仲間作りをするというわけではなく、とにかくみんなと群れて遊びたい時期なのである。ですから大人や高校生・中学生のように自己紹介ゲームは必要ない。むしろ名前を名乗りあうことが遊びの弊害になってしまっていることもある。
 この時期には、名前を呼び合わなくても良い遊びを増やすことが必要と考える。

 何でもバスケットは名前がなくても良い遊びの代表である。『白い靴下を履いた人』『男の子』『女の子』『今日朝ご飯に味噌汁を飲んだ人』『お母さんが髪の短い人』といったことで名前がなくても遊べるのである。同様にだるまさんが転んだの遊びでも、動いたら『赤い服を来た子』『青い靴下の子』『背の高い女の子の隣の子』といった感じで、遊びは名前がなくても遊べるのである。ある意味では「ちゃんと名前をよんであげましょう」などという指導は益少なく,害になったりして。 
 群れ遊びを好む時期の子どもは誰と遊ぶかということより、一緒に遊べればよいのだから。
 不登校の子どもなどが来たときには、名前を呼び合うということが原則だと難しい。名前がなくても遊べる原則だと『その子一緒に遊ぼ』で遊びには入れるから楽です。乳幼児なども遊びの仲間に入れるときも『おいで』ですむのは感じが良いものです。なにせ呼ばれた乳児が自分の名前を言えないこともあるからです。
 名前のいらない遊びを増やすためには『ツーパワー・スリーパワー」の手法も有意義です。これについてはまた次回ということにしましょう。
2002年04月29日 21時00分46秒


群れ遊びを好む時代ーー年中児から小学校3年生
            一日30分の群れ遊びを
 
 一日30分群れて遊ぶのが猿や人間などの類人猿の仲間には必要である。との言葉は全国児童館連合会の勝俣さんの研修会での話の中でのひとつである。猿の子や人間の子どもはそうしないとストレスがたまるというのである。

 子どもの姿を素直に見ていると見えてくるものがある。0歳から2歳くらいまでは母親への依存であると同時に母親と自分を一体としているような時期である。2歳後半から4歳くらいまでは自立が始まり,反抗期にもなる。同時に行動が羊のように大人や友達と同じようにする時期である。保育士等は羊飼いの牧童と犬の役割をしていれば、この時期の子どもは同じように行動してくれる。扱いやすい。保育園の年中から年長もしくは小学校1年生位まで鬼ごっこをするとみんな同じ方向に走り、時に鬼を追い抜いて走る子どもがいる。行動に羊のような特徴を持っている。

 保育園の年長児から小学校3年生くらいまでは猿や犬のように群れて遊ぶことを好む。鬼ごっこをしていて、鬼を追い抜いて走ることはないが、みんなが鬼ごっこをしていれば、その遊びに仲間に入れてもらいたいと本能的に思う時期である。小学校4年生位からはバスケット・野球・卓球・ピアノ・バドミントンと遊びが自分の好きな方向に向いていく時期であり、職員の働きかけがあっても同じ遊びをすることはあまり好まない。

 保育園年中児から小学校3年生までの群れて遊びたいというニーズを上手く利用して、仲間遊びの輪を広げることが大切だと思う。
 この時期に一人遊びが好きな子どももいるが、時にみんなと遊びたいというニーズが強すぎて、一人遊びに逃避していることもあることを忘れてはいけないと思う。
2002年04月29日 18時30分19秒


自由についてPART2
       自由についてーー自由とは選択肢が多くあることーー

 自由には思う自由と行動の自由があります。思う自由は無条件で保証され、行動の自由は統御ーー管理ーーコントロールによって拡大します。
 行動の自由をよく考えてみますと、自由とは選択肢の多いことともいえます。休日になり、山遊び・川遊び・春スキー・ビデオ鑑賞・読書・サッカー・野球・テレビゲーム・友達と旅行などと選択肢がたくさんあるほど自由度が増すといえます。しかし友達がいなく、家にひきこもって、テレビゲームをすることしか楽しみがないとすればその人は不自由です。
 遊びの中でも一緒です。複数の友達とサッカーや野球やドッジボールができる。2〜3人でオセロやバックギャモンやオニムができる。一人で恋占いのトランプで遊べる。絵を書ける。縄跳び,一輪車ができる。大人数でダンスができるというように、遊びの選択肢が多いほど子どもの自由度も増します。
 「自分の好きなようにさせてくれ,自由にさせてくれ。」という子どもがいます。それはあたかも個性の尊重で正しいことかのように。しかし行動の自由が統御により拡大し、選択肢を多くすることであるなら、選択肢を狭くし、いわんや他人の行動を制限するような自分勝手な行動は自由ではなくたんなる「わがまま」であり、他人の選択肢を制限するという意味で反自由であると思います。
 
 やってよいこと悪いこと 言って良いこと悪いこと やってよい場所悪い場所の徹底

 子どもの遊びの選択肢を拡大するために『やって良いこと悪いこと』をハッキリさせています。足でのキック、物を投げる、他人を傷つける行為はやって悪いことなのです。
 『言ってよいこと悪いこと』人格を傷つけるような言動は許せません。
 『やってよい場所悪い場所』同じ行為行動でもやってよいところと悪いところがあります。お風呂で裸になっても道で裸になることはできません。
 三つの基本的な管理コントロールがあって、子どもの遊びの選択肢が拡大し、子どもの自由が拡大するのではと考えています。

 最初から遊びが豊富な子どもは今の社会では少ないようです。自己中心でテレビゲームがないと遊べない子どももいます。マンガしか好きでない子どももいます。児童館・児童クラブ等子どもの遊び場では、テレビゲームでもマンガでもパソコンでもクレヨンしんちゃんでも動員できるものは動員して子どもをひきつけ、そのあとに遊びの選択肢を増やすように心がけたいと考えています。保育園・幼稚園年長時代から小学校3年生までは、ズバリ群れ遊びを好む時代ですから,この時期を逃すのは残念です。このことについては,次回書きたいと思います。
2002年04月29日 16時05分30秒

0勝3敗でしたー山菜採りー
 連休で天気もよく、父親クラブの会長を含め3人で山菜採りに行きました。今年の雪は少なく、いつも雪で塞がれている道には雪はありません。かわりに崖崩れで通行禁止になっていました。4月なら確実に毎年採れるところはほうけていました。会長と一緒に尾根ーーおねーーまで攻めたのですが、まったく採れませんでした。下に降りてきて,違うところに車を走らせましたが、途中で他の車が引き返してきて、交通止めとのこと、清水さえ汲めませんでした。
 最初の車をとめたところにもう一人を乗せに戻ったのですが、どこかにいっていて、違う場所に移動もできません。完全に0勝3敗で、何も採れませんでした。
 でも3回いろいろ攻めてみたので、今年のように小雪の時はどのようにしたら良いかということが分かりました。3敗には3敗の意味があります。久々の3敗で、勉強になりました。最近は平均2勝1敗だったのにね。
 
 何で失敗を恐れるかと考えてみました。自分が残念とかいうことより、他の人の評価を恐れるからではないでしょうか。他人の評価を恐れないようにする。また子どもの活動を安易に評価しないことが大事だと思います。上手いは上手いなりに天狗にならないように,下手は下手でもやる気がなくならないように声かけをする必要性を感じます。
 児童館・児童クラブは評価をしなくてもよい施設ですから,失敗を失敗ではなく成功の素になるように声かけを考えています。

 チラシの折り紙は失敗しても失敗しても大丈夫です。最後にボールを作って遊べば成功の素になります。費用のかかる折り紙を使わないでチラシを使って豊かな遊びをしましょう。山菜採りも採ることだけが目標ではなく,良い空気を吸いに行けたと思えば、成功になります。−−でも悔しいね。−−
 
2002年04月29日 14時32分19秒


チラシで遊ぼうPART2
        チラシは意外と使えるものです

 チラシを使って、ゴミ入れを作っています。いろいろな種類の箱物のがありますが、私は30センチくらいの正方形ーーA3を正方形にした位のーーから作る箱が好きです。鶴の基本折からつくっていくものです。子ども達と一緒に良く作ります。落花生の殻入れ、枝豆の殻入れに使えます。作って折りたたんでしまって置けるので場所をとりません。使うときに広げて使い,使い終わったらチラシのゴミ入れごと捨てれば役に立ちます。親子でぜひ挑んでみませんか。

 環境教育とかエコロジーと言いますが、身近なところから始めるのが良いと思います。毎日無駄になるチラシをみていると、チラシが泣いているように感じます。チラシで紙鉄砲を作るのは乳幼児に集いで使えます。思い切って「パアーン」と鳴らすとすっきりします。そのあと子どもと一緒にビリビリに破りましょう。新聞紙と違って,手が汚くならないでよい。ちぎったらみんなで一ヶ所に集め、花吹雪にしましょう。最後にチラシでおにぎりを作ります。おにぎりを花紙で囲み、透明の袋に入れます。口をしっかり縛り、輪ゴムを2本つなげるとヨーヨーが出来上がります。輪ゴムを長くつなげるとまた面白くなります。

 選挙が終わりましたね。投票率低いと思ったら,高かったですね。与党に対する批判で与党を今の野党のあり方を支持したわけでもないように私は思います。
 
2002年04月29日 06時18分43秒


チラシを使って遊ぼう
         自由とは何て書いていまい

 自由とは何て仰々しく書いてしまい、かたぐるしいことになってしましました。でもゲストブックに書き込んでくれた人がいたように、のんびりした雰囲気の児童館になっています。それは基本的なことーー石を投げない・キックをしない・おしっこたれなどと馬鹿にしない・仲間外れをしないーーはきちんと管理するけれど自由なところは自由だということです。

         チラシで遊ぼう
 ボランティアのひとがセブンイレブンに勤めています。いらなくなったチラシをいつも500枚以上運んでくれます。A4サイズが多いのですが、違うボランティアの人が正方形に切ってくれます。15センチ巾の普通の折り紙より一回り大きいものが出来ます。
「先生折り紙使っていいですか。」
「どうぞいくらでもお使いください。使ったら,捨てるか持っていてね。」
「ありがとう」と言った会話がいつも行われています。チラシ折り紙はとても重宝しています。ゴミになるものを使っているのですから、失敗して破ってもOKです。
 私の小さい頃はチラシは貴重品でした。山奥の田舎でしたが、時に飛行機からデパートの宣伝チラシが降ってくることがあり、感激したものでした。今は毎日の新聞の間に新聞より量が多く入ってくるもんね。
 「折り紙を大切に使いましょう。一日一人3枚までです。」などと怒鳴る必要もなく、子どもの自由が拡大します。
 同じ模様のチラシでユニット折り紙を作ると折り紙では作れないクス玉・コマ・敷物などができます。チラシを丸めて棒を作っておくと割り箸でっぽうの代わりが出来ます。大きいチラシからは大きい鉄砲が出来ます。小さい鉄砲も出来ます。自由自在に楽しむことが出来ます。チラシは遊びのとても大切な材料です。
2002年04月29日 04時30分00秒


自由を考える
 体性感覚とか相互援助・相互伝達・自主的な活動等といっていると、基本的には自由にさせる考えでしょと思われがちである。しかし私は管理は徹底する考えである。そこには自由に対する考え方の違いがある。

         思う自由は無条件保証
 自由には思う自由と行動の自由があると広辞苑に書いてある。思う自由は無条件で保証されなければいけない。人を殺したいと思おうが、小泉首相反対と思うおうが、中国共産党、朝鮮労働党にシンパシーを持とうが、反対にイヤだと思おうがそれは自由である。もしそういうことが悪いことだというなら,殺人事件を扱う推理小説は禁止されなければいけないし、名探偵コナンは小学生は見てはいけないだけでなく,著作することもいけないだろう。つまり思う自由は自由なのである。
 子どもが悪いことをすると「何を考えているのこの子は」などと叱る人がいるが思うのは自由なのだから、思うことは批判しないほうがよいと私は考える。

      行動の自由
 思う自由とは反対に行動の自由はコントロールすることでもあるといわれる。高速道路には人は歩いていない。車が逆走してくることはないというコントロールがあるから、100キロメートルのスピードを出すことが可能である。
 子どもの遊び場である児童館においても、同様である。むやみに物を投げる人がいない。ナイフを突然振り回す人はいない。遊戯室で硬いサッカーボールを思い切ってキックする人はいないという基本的なことが守られないければならない。ボランティアが安心して活動できるためにも、みんな1年300円の保険料を期限までに納入するというコントロールがあって実現できるのである。

       みんなのためのコントロールが民主主義
 みんなの自由を拡大するために上手くコントロール、管理するのが民主主義。特定のひとが儲かったり、特定のひとが他の人を支配するために統御・管理するのが専制政治ではなかろうかと考える。管理すること統御することと自由は対立概念ではないのである。
 義務教育における出席停止処分も同じことで、授業を妨害したり、他人を傷つける人に対し、出席停止処分は学校教育法を改正するまでもなく当然のことと私は考える。授業妨害・暴力を振るわれる子どもの自由が損なわれることが一番問題なのである。暴力を振るう子ども・授業妨害をする子どもの教育を受ける自由は別の次元の問題としてとらえなくてはならないのである。
 今日の選挙は野党候補の開票率1%で早々の当選確実とのことであった。きちんとしてコントロールも自由の拡大であることを考えて今後もやりたいと思う。
 
        自由と義務
 自由と対意概念のように義務があり、「充分に義務を果たせない人には自由が制限される」といったような言い方も問題である。自由と義務は無関係の概念である。義務というのは人としてやってはいけないこと、やらなければならないことと広辞苑ーー広辞苑が正しいわけではないがーーが記載されている。つまり金銭的に責任がとれようがとられまいが人としてやらなければならないことはしてはいけないし、人としてやらなくてはいけないことはやらなくてはならない。そこを飛ばして大人とか子どもとかで区別するのはフェアーでないように思う。

 先生でも大人でも間違いをする。義務を果たさないこともある。間違ったと思ったら相手が子どもでも素直に謝ろう。この間、自然科学館へ行ったときのことである。行くときと帰るときの人数が違って一人増えていた。バスの中で人数を数えるのを省略したから、途中紛れ込んだ子どもを数え忘れたのだ。遊戯室の点呼のあと、かってに入った子どもも少し悪い。しかしこどもってそんなものだから、もう一回バスの中で数を数える義務をはたさなかった私の責任である。子どもに聞いたら、最初からこの子いたよとのこと。ミスはあるものです。子ども,同僚,ボランティアも含め,相互援助でやりたいものです。そういえば小学生は数えたのに同行した中学生を忘れてきたときもありました。
2002年04月28日 22時08分35秒

昆虫達の戦略
   昆虫達の戦略ーー相互援助・相互伝達の世界ーー
 アリやハチというと女王バチや女王アリがいて,上意下達のピラミッド系の組織と思いがちです。私もそう思っていました。NHKの昆虫達の世界という番組をみていたら、そうでないということがわかりました。

 日本ミツバチはスズメバチが来ると、みんなでよってスズメバチを囲み,おしくらまんじゅうをするのだそうです。するとスズメバチの体温があがり、その熱さでスズメバチが死ぬのだそうです。もちろんそのプロセスで何匹かのミツバチは殺されます。けれどスズメバチとの戦いは女王バチの命令ではなく、自主的なものだそうです。女王バチは子どもを生むのが仕事でそうした命令はしていないのだそうです。
 また蜜を見つけるとハチダンスを踊り、みんなに太陽からの方向と距離とを相互伝達しているのだそうです。アリも同じで互いにフェロモンを出して、えさまでの道をつけるということです。昆虫たちの行っているのは命令系統の動きではなく、相互伝達・相互援助・能力に応じた仕事の分担で運営されているようです。

 ハチやアリにできることがなんで高等動物である人間が出来ないかという思いがしました。
 基本的には指示命令ではなく、相互援助・相互伝達・能力による自主的な仕事をやるように活動してみるようにしました。すると今までよりも能率があがるのです。自分の意志と自分の考えで活動し,互いに相互援助・相互伝達でやると、楽しく面白くできるようです。

 公園での草取り活動もそうでしたが、テンプラ会などの行事をやるときも一緒です。30人から50人のボランティアが150人くらいの昼食を用意し、テンプラをあげますが、当日まで打ち合わせはありません。当日もボランティアに「これからテンプラ会を行います。よろしくお願いします。」というだけです。あとはボランティア相互の相互伝達・相互援助でテンプラを揚げる人、机を出す人,配膳する人,おにぎりを作る人とうまく仕事が分担されます。ボランティアが少なければ小学生の高学年の子どもが動きます。ボランティアする人,される人という概念があまりないのです。生成りのボランティアなのです。後片付けは早いこと,早いこと。あっという間に昼食会場は体育館に変身です。昆虫達の戦略は使えますよ。
2002年04月28日 19時47分20秒


今日は参議院補欠選挙でした
 全国注目の参議院補欠選挙でした。けれど投票率は低そうです。またマスコミが国民の政治離れといいそうです。いつも同じパターンの言い方にマスコミもその使命を忘れているのではないかと感じるこのごろです。
 私も政治に関心があるほうです。けれど今回の場合どこに投票してよいか分からないという感じです。自民党に投票すれば今までの公共投資の無駄遣いが続きそうだし、野党に投票しても口だけ自民党批判だけのようだし。だから選挙に行きたくても行かない人も増えたのではないかな。
 私自身は6時半まで考えて,免罪符のように、投票を済ませてきました。最後まで誰に投票するか誰に投票したら,日本ためになるかが分からない選挙でした。

 新しい日本のあり方を下から探っていくしかないかななどと思っています。

 朝に書いたのですが、自宅の前の小学校のグランドの半分位の公園が国土交通大臣の表彰を受けました。たしかに張り合いになることです。でも私にとっては子ども達が元気に遊んでくれることのほうが張り合いになります。またこの公園のボランティア活動が上意下達のピラミッド系の組織ではないことが,10年間に渡り,草取り,花植え活動を実施できた来た所以です。30人以上のボランティアが自分達の自由意志で自分の出来ることをやってきました。いちばん害になったのは、みんなを仕切ろうとすることでした。「自治会の支持命令で動こう。」「勝手に公園の草取り・花植えをするな」
「組織をきちんと作れ」などの意見を乗り越えていくことでした。

 政治の世界でも「政治家の私に何をやれというのでなく、あなた達が日本のために何をやりたいのか。それを保証する政治を作りたい。この地域のこの実践、あの地域のあの実践を日本のために広げたい。皆さんも協力して欲しい。」こんなことをいってくれる政治家は落ちるだろうが,将来の日本のためになると思うのですがね。
2002年04月28日 19時09分46秒


体性感覚を使って詩の朗読
                 あな
                     谷川 俊太郎
     
     はまべにあいたあなひとつ のぞいてみたら カニがいた
     みちでみつけたあなひとつ のぞいてみたら ひとがいた
     へいにあいてるあなひとつ のぞいてみたら おこられた
     からだにあったあなひとつ のぞいてみたら うんこさん
     そらにぽっかりあなひとつ のぞいてみたら まっくらだ

 詩の朗読をするときもたんに言葉を覚えることをやるよりも体性感覚を使うととても上手くできることが多い。
 「あな」と大きな声でいい、両手でおおきな穴を作る。同じく小さな穴を指で作り,小さな声で「あな」という。二人組で両手で作った穴をくぐったりする。穴のイメージを膨らます。
 
 「あな 谷川俊太郎」子どもリピート

 「はまべにあいたあなひとつ のぞいてみたらカニがいた」はまべのカニ穴をさがすどうさをする。穴をのぞき込み,突然可愛いカニに変身する。こどもは言葉を言いながらリピート。

 「みちでみつけたあなひとつ のぞいてみたらひとがいた」両手で大きな穴を作り、のぞく動作をする。突然人に変身する。子どもリピート

 「へいにあいてるあなひとつ のぞいてみたら おこられた」両手でヘいを作り、右手の親指人差し指で輪を作り,のぞき込む。そのあと右手で自分のほほを強くたたく。子どもりぴーと。

 「からだにあったあなひとつ のぞいてみたら うんこさん」自分のへそを指し、のぞきこむ。右手で鼻をつまみ臭そうな顔をする。子どもリピート。

 「そらにぽっかりあなひとつ のぞいてみたら まっくらだ」遠くの空を指差し,のぞく動作をする。そのあと両手で目をおおう。子どもリピート

 こんな感じでやる。そして大きな声,小さな声,大きな動作,小さな動作、速いリズム,遅いリズムなどで変化をつける。子どもがやる,大人がやる。女の子がやる,男の子がやるなどとやっていると楽しく詩を楽しむことができる。小学校新1年生の春休みにやっているが、1週間で4つくらいの詩を覚え、楽しく絵にすることができる。家でも親子で遊んだいるようだ。
2002年04月28日 14時02分40秒

2勝8敗主義
              10割打者

 仕事をする時に完璧主義を目指すタイプといろいろ取り組んで見るタイプがあるようだ。日本の学校社会ではテスト優先主義のようです。テストに上手く書いたほうが点数が良いことから完璧主義が巾を利かせているようである。1勝0敗の10割打者である。学生時代に体育の授業があったが、授業記録を大学ノートに記録し、それを教授に提出した。そこで優・良・可・不可の成績がついた。小学校の教頭をやっている友達がいる。彼は真面目にノートをつけていなかった。私は毎回真面目につけていたので、ノートを貸してあげたら、彼は優で私は良だった。確かにあとおいできれいに書いたほうがよくみれますから。(大学の先生には感謝している。汚い私の字をチェックし、間違い字,嘘字をみんな赤ペンで直してくれた。そして小学校の教員になるにはもう少し字をキレイにとのコメント付きでした。大学の体育の教授なのにね。感謝感謝)

           社会に出れば3割打者が必要
 学生時代が完璧主義1勝0敗主義でも、社会にでればそうではない。1勝0敗より、2勝8敗は2倍の利益を生んでいるし、3割打者になればトップ。4割ということは記録破りになる。ドンドンチャレンジして1勝9敗が2勝8敗になり,3割打者を目指すのが良いと思う。ところが学校が10割を求めたがり、親も子の失敗を恐れる。結果としてひ弱な子が出来たり,ちょっとしたことですぐ挫折してしまう子どもが増加している。遊びの世界も一緒で失敗したくないから遊ばないという子どもも多い。
 児童館・児童クラブは成績をつけなくて良いところである。失敗をどんどん恐れない子どもを作っていかなくては。そのためには職員が常にチャレンジし、失敗し、みんなに謝ることもやっていかなくてはと思う。

            失敗を恐れない
 昨日のことである。2年生の女の子がお菓子のある部屋に一人で入っていた。私は烈火のごとく「また勝手にこんなところに入って。」と怒鳴った。すると同僚に「ちょっとおもらししたから着替えに入れただけなのになに怒っているの。謝りなさい。」と叱られた。私は土下座をして謝った。
 間違い,失敗はよくあること。そのときはしっかり謝りましょう。そういう姿勢を大人も持つのがよいと思います。そうすると子どもも失敗を恐れないでチャレンジするようになります。
 1勝0敗主義、減点主義から2勝0敗主義へと転換を図らなくては。

 
2002年04月28日 13時38分05秒


ジャンケン遊びいろいろ
 児童館・児童クラブで親子のスキンシップ子ども同士のスキンシップに簡単なジャンケン遊びを

     めんぱっちん
  めんぱっちん めんぱっちん
といいながら二人で相手の左手のひらを右手でたたき,次に自分の手のひらをたたく。最後のちんでじゃんけんをする。勝ったら相手のほほをたたく。まけたほうは両手でほほをおおい,たたかれないように防ぐ。両手で防御されたらたたけない。スリル満点だよ。

 精神病院に勤める看護婦さんの話。男の患者さんがけっこうお年の方でのスキンシップを求めてくるのだそうです。「男ってそんなモンですかね」というから「私も一緒だね」といったら大笑い。日本人はスキンシップの機会が少ない。ダンスもそんなにしないしね。
 そこでジャンケンゲームのときに考えました。勝ち負けにこだわらないで、あいこも大事にするということです。あいこのときは握手というのはどうでしょうか。ジャンケンゲームが終わった後の「あいつはずるした」などというトラブルも減ります。何せ握手した仲だもん。

     おまえのかたなはさびがたな
 左手で握手をして,右手でコブシを作り、「お前の刀はさびがた」のところまで右手をふる。「な」でジャンケンをする。勝った人は相手の左手が逃げないように捕まえておいて右手で相手の手の甲をたたく。負けたほうはすばやく抜いて逃げる。あいこならお互いに両手で握手でもしましょうか。

     ジャンケンおんぶ
 足ジャンケンでジャンケンをし、勝ったらおんぶしてもらえる。負けたらおんぶしてやる。あいこなら若い人ならちょっとだきあうとか。セクハラといわれない程度にね。

     グーチョキパー
   グーチョキパーでグーチョキぱーで なにしよう なにしよう
  子どもがチョキでお母さんもチョキで コチョコチョ コチョコチョ
   グーチョキパーでグーチョキパーで なにしよう なにしよう
  子どもがグーでお母さんがぱーで ボクシング ボクシング
   グーチョキパーでグーチョキパーで なにしよう なにしよう
  子どもがパーで お母さんがパーで ツッパリー ツッパリー
   グーチョキパーでグーチョキパーで なにしよう なにしよう 
  子どもがパーでお母さんがチョキで きっちゃおう きっちゃおう

 こんな感じでやっています。ジャンケン遊びはいろいろやってみたいですね。
  
2002年04月28日 11時52分17秒


手法としての体性感覚ー折り鶴を折るー
   実際に体性感覚を使って折り鶴を折ってみよう

 従来の折り紙を指導する場合を考えてみよう。分習法で一折り一折り教えていく。早くできる子どもが「次はどうする。次はどうする。」と騒ぎ,下手な子どもは「教えて。教えて。」とまとわりつく。全習法で一気にやると途中で投げだす子どもが多くなる。やっと指導が終わると「先生。おわった。遊びにいていい。」と聞かれる。遊びの指導をしていたのに子どもには苦痛だったりしてね。

   体性感覚で折り鶴を折る
 「とりいだしたる1枚の紙」と私が言うと子どもは作業をやめてこの言葉を大きな声でリピートすると約束しておく。またすぐに作業をしないで私の作業を見て,頭の中でイメージして「始めて」といったら始めるというルールを作っておく。

 「とりいだしたる1枚の紙」まずこの紙を縦に半分にしっかり折ります。まだやるんじゃないよ。みて頭の中で作るだけ。床のところでしっかりアイロンをかけ、直角にして床に立てます。そして気合をいれて「タアー キャー ワアー」紙に触らないで倒しましょう。「始めて」

 「とりいだしたる1枚の紙」もう一回平に開きます。次に横に折り十字にします。しっかりアイロンをかけます。まだしないよ。そしたら頭の上にのせて遊戯室を回りましょう。「始めて」−−早い子どもが遊戯室を回っている間に遅い子どもの援助ーー

 「とりいだしたる1枚の紙」また平に開いて、今度は折れ線が反対につくように三角に折ります。また開いてXになるようにまた三角に折ります。そしたら直角三角形になるように立て、その上を300回ジャンプして飛び越します。−−ジャンプしてみせるーー「始めて」

 「とりいだしたる1枚の紙」今度は折ったときに鶴の基本折りになるほうの面に色を塗りましょう。10分以内だよ。「始めて」−−早く色を塗り終わった子どもには2枚目を作らせて時間調整。失敗した子どものために予備をいくつか作っておくーー

 「とりいだしたる1枚の紙」鶴の基本折りになるように正方形にたたみこみます。そして開いているほうを三角に折り、開いてひしがたにします。そしたら上に放り投げて空中でそっとキャッチしましょう。「始めて」

 「とりいだしたる1枚の紙」ひし形の切れているほうを内側に半分に折ります。そして内側に畳み込み上におりあげます。また反対に開き、羽を開きます。細いほうは首を作り、膨らました後に首の反対を斜め下に引っ張ります。祐ちゃんでてきて、ちょっと吹いてみて。ほうら祐ちゃんの元気をもらって鶴が生きて羽ばたきます。−−子どもは歓声をあげる。−−「始めて」
 
 こんな風にやりますと子どもはとても楽しくやります。終わった後も30人のうち5〜6人は引き続き折り鶴遊びをしてくれます。
 
 言葉で書くのは難しいですね。実際に見てやるととても簡単なのですが。とくに普通の鶴の羽ばたくようにするには微妙なコツがあります。まさに体性感覚に属することです。300回ジャンプとか10分間の色塗りとか言うとそのままやる人がいますが、どうでもよいことです。例えばの目安ですし,子どもの状態で臨機応変でやりましょう。
2002年04月28日 11時26分22秒

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体性感覚のすすめ
   五感が大事というけれど
 子どもの表現遊びや子どもの教育等において,五感を磨くことが大切と言われてきた。子どもの現状を見ているとちょっと眉唾と私は感じていた。というのは五感磨くというのが,下手をすると能力のない指導者の逃げ道になったり、子どもがダメだからというように使われることもあるからである。
 五感というのは視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚である。上手く出来ない子どもに「ほらいつもしっかりあなたは聞いていないでしょ。見ていないでしょ。」ということが指導者から言われることが多いのである。また表現遊ぶやスポーツをしていると五感といわれるものとは別に第6感というようなものも感じていた。こんなとき中村雄一著『臨床の知とは何か」という本に出逢った。
「すなわち,現代の生理学の分類では,人間のすべての感覚は@特殊感覚(視覚・聴覚・臭覚・味覚・平衡感覚)A体性感覚(触覚・圧覚・冷覚・運動感覚・筋肉感覚)B内臓感覚(臓器感覚・内臓痛覚)という三つに分けられている。そしてこの分類は@脳神経連絡の諸感覚A脊髄連絡の諸感覚B内臓連絡の諸感覚、という基準によっている。この知見からいえることは,昔から<触覚>といわれてきたものは,単に皮膚の接触感覚にとどまらない<体性感覚>に属するものであり、それは同じく体性感覚に属する筋肉感覚や運動感覚と密接に結びついて働くということである。いいかえれば,狭義の触覚も体性感覚ひとつとしてその基礎の上に筋肉感覚や運動感覚と結びついて具体的な触覚として働くのである。そして昔から共通感覚とは別に,よく触覚が五感を統合するといわれてきたが、それは狭い意味での触覚ではなく,触覚に代表される体性感覚のことだったのである。さらに諸感覚が共通感覚によって統合されるとき、実は体性感覚が統合のベースとなっていたのである。」
 長い引用になりました。視覚・聴覚・臭覚・味覚・平衡感覚を統合するベースとして触覚に代表される体性感覚があり、その中身は触覚・圧覚・冷覚・運動感覚・筋肉感覚であるというのである。実際に身体を動かし、感じることが一番ベースになるのである。だとするならば子ども達に充分に伝わらないのは子どもが『よく聞き,見、感じない』からだけではないことになる。伝える側に伝えるための努力と手法が使われていないことも大きな原因となる。
 体性感覚ということを考え、遊びの手法を実際に身体と動かしながら,運動し,筋肉の動きを感じ,痛さを感じて伝えていくとずいぶんやれることが増えてくる。
 五感の考えから体性感覚の考えに大きく飛び出そう。
2002年04月28日 10時53分51秒

体性感覚のすすめ
2002年04月28日 10時22分02秒


草取りをしようーーイネ科の戦略ー
 今日は4月28日です。昨日長岡で緑の会があり、皇太子様がきたとか。私の家の前の大きな公園も今回の式典で国土交通大臣の表彰を受けました。これからも公園をきれいにして、子どもの元気な遊び声のあふれる地域にしていきたいと考えています。
 さて公園を花と緑にするためにはいくつかの戦略が必要です。そのひとつとして,雑草の中心となるイネ科の仲間の戦略を考えてみたいと思います。
 イネ科の仲間には背の高くなるチカラシバ,ススキ,エノコログサ、メヒシバなどの雑草があります。彼らは多年草で12月ころから地中に根を張り、1月2月にはもう芽を出します。そして春には大きくなります。彼らがはびこると他の背の低い草は負けてでてこれません。ですから大寒のころが一番草をとるチャンスです。しかも霜等で土が割れているので,背の高い草も根を張るチャンスですが、抜くのも楽なのです。
 イネ科の背の高い草をやっつけますとシバやスズメノカタビラなどの背の低いイネ科の植物が出てきます。背の低いイネ科の植物は真冬でも光合成を行い、緑になっています。 
 春になりますと、イネ科以外のハコベ、ヒルガオ、イヌノフグリ,ペンペングサ、クローバー、オオバコなど葉っぱの広い草が生えてきます。そのままにしておくとシバなど低いイネ科の植物が負け、代わりに背の高いイネ科が出てきます。葉の広い草は摘んで食べたり、色水遊びをしたり、花を編んで遊んだりしましょう。そのあとさっと草払い機で低くはらっておけば大丈夫です。
 公園や児童館・児童クラブの庭を除草剤を撒かないで緑あふれるものにしたいですね。
2002年04月28日 10時02分17秒


子どもの表現遊びーみそラーメンー
 タイトルを打っていて、ちょっとクリックしちゃうと本文を書かないうちにタイトルだけ飛んでいくのです。それで編集しなおすと、ついでに他の所までいじって消去してだめになるのです。これからはタイトルとんでもかまわないで書きます。ごめんなさい。
 
 みそラーメンは今高校生になる子どもたちが小学校3年生くらいに自分達で作ったものです。子どもの表現遊びは子ども自身が自由に変化させることができるものがよいと思います。その中で面白くて、楽しいものをいくつか子ども文化として残していけたらと思っています。

    みそラーメン
せっせせーのみそラーメン
    (二人で手をつなぎ、腕を交差する)
お寺のおしょさんが かぼちゃのたねをまきました
    (手を交互にタッチ)
めがでてみがなって
    (芽が出るマネ、大きな実ができるマネ)
お寺の中から ゆれいさんがユーユー
    (手をタッチして幽霊の手のマネ)
ゆうれいさんのあとから どろぼうさんが金出せかね出せ
    (お金をとるマネ)
どろぼうさんのあとから おまわりさんが バッキュンバッキュン
    (ピストル撃つマネ)
おまわりさんのあとから コックさんがジュージュー
    (フライパンをゆするマネ)
コックさんのあとから おすもうさんがドスコイドスコイ
    (四股を踏むマネ)
おすもうさんのさんのあとから ももたろさんももたろさん
    (手をタッチし、一回ジャンケン)
おこしにつけた きびだんご
    (手をタッチし,2回目のジャンケン)
ひとつわたしに くださいな
    (手をタッチし3回目のジャンケン)

 3回目のジャンケンで勝ったひとがコチョコチョ負けた人はくすぐられる。あいこは握手といった感じでやります。やり方は『八十八夜」のやり方と同じです。ぜひやってみてね。
2002年04月28日 09時37分46秒


すみませんまたまたやり直します
      連休に入り,張り切りすぎて
 連休に入り張り切りすぎて、編集をいじっていたら余計なトコまで消去して13ページも書いたのにそれいじょうのかきこみができなくなりました。しかたないから、また最初からやり直します。でもこれからはどじをしないようにしますのでよろしく。
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