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■多様なものの考え方  詳細トップ (2012年1月13日)

  
 
多様なものの考え方 1

児童健全育成指導士 田中 純

 単一ですっきりしていると物事がやりやすいので、多様性よりも単一でピュアな方が良いように思われる。私も将来は平島公園をみんなシバにしようと思っていた。2年前の猛暑でビッグスワンのシバは枯れてしまった。でも平島公園の雑草集団(シロツメクサ・ノシバ・シバ・スズメノカタビラ・オオバコ・チドメグサなど)は全体としては枯れることなく生き残った。シバ管理をしている会社の仲間の話では、『散水・肥料などをしないで、これだけ緑を保っているのはすごいことだ』とのお褒めのお言葉をいただいた。
 中学生の頃に大規模なプランテーションみたいな農業がすごいみたいなことを学んだ覚えがある。でも日本人のように一種類の作物ではなくて、いろいろな作物を作るお百姓さんの仕事もすごいと思う。
 盲導犬の指導を人間にも当てはめるとの考え方のテレビがあった。『グッドボーイ。グッドボーイ』と褒めてあげて、優しくしてあげると立派な盲導犬に育つということを人間にも適用しようというものだ。でも10匹の候補の子犬のうち、6割ほどが訓練できる対象になるようです。私流の考えからすれば、候補にもならない犬もいるし、候補になっても4割は失格です。候補にならない犬、候補になっても失格した犬も生きていくのです。ですから、同じ単一の指導法が一番とは限らないと思うのです。
 犬や人間などでは実験できないけれど、草花ではいろいろなチャレンジが出来ます。いろいろな草で試してみたらシロツメクサ・ノシバ・シバ・スズメノカタビラ・オオバコ・チドメグサなどの雑草集団が良いことに気づきました。
 単一ですっきりしていることも必要ですが、世の中はほとんどいろいろな個性があるから楽しいということも一つの真実ですね。

 写真はチドメグサ・シロツメクサ・オオバコ・スズメノカタビラで緑を維持しいている平島公園の雑草集団です。眼の前に個性豊かな子どもたちの顔が浮かんできます。

 

  多様なものの考え方 2 こたろう君のこと

 平島公園には、子どもやお年寄りや犬やネコなどたくさんの方々が散歩や遊びにやってきます。
 こたろうくんは犬なのですが、3歳の妹よりお兄さんの4歳です。本人は自分を犬と思っていないで、妹のお兄さんと感じています。犬は哺乳類ネコ目イヌ科ですが、どうもこたろう君は哺乳類霊長目ヒト科の仲間だと思っています。公園に来てもまったく吠えないし、日陰で、砂場遊びをしている妹が危険でないかじっと見守っています。お母さんは仲間とガールズトークをしているので、こたろう君のようにしっかりずっと見守っていることはありません。(お母さんももちろんちゃんと見ていますが)こたろう君に、私が近寄って行くと、『少しお散歩をさせてください。僕、飽きちゃってるんです』と話しかけてきます。散歩をさせると全力で走り回って、私が疲れるくらいです。でも、妹と一緒のときはゆっくりとしか歩きません。妹に怪我をさせてはいけないと考えているからです。
 犬もいろいろな犬がいます。毎日公園に遊びに来て、いつも顔を合わせるのに、毎回、吠えてないと気がすまない犬。リードを長くしてもらって、思い切って走り回る子犬。大型犬なのですが、まだ1歳になっていないので、子どもで私を見ると飛びついてくる犬。内気で広い公園に来て、おどおどしている犬。超でかくて威嚇的に歩き回る犬などいろいろな犬がいます。
 犬にもいろいろな犬がいるように、人間の子どももいろいろです。ブランコを独占してけんかをする子。おっかなびっくり雲梯(うんてい)につかまる子ども。高さ2メートル以上のクライミング遊具に一人で上って行く2歳の子ども。などなど本当にいろいろな子どもがいます。多様な犬と多様な子どもがいると私は思っています。

 でもこたろう君は本当にしっかりしたお兄ちゃんです。写真は妹を見守るこたろう君です。

 寺田 恵美子 
 こたろう君かわいいですね〜自分を犬と思ってない犬ってホントにいますよね。前に新潟までお供してくれた我が家のシーズーも・・あの体の大きい次女を!!!「妹」として娘が5歳から22歳まで見守ってくれました。「ぜーんぶわかってるよ」っていう顔していました。

 寺田さんへ こたろう君を遊んでいると、人間が偉くて、動物はその下にいるみたいな考えが吹っ飛びます。動物も植物もみんな生きていますね。そして誰が偉いとか偉くないとかは関係ないと思いますね。人間同士もそうだと思います。自分は偉いと思うようになったら終わりですね。

寺田 恵美子
 
みんないろんな個性と命をもってそれぞれ頑張って生きてるんですよね〜みんな気持ちよく生きられるようになれば・・いいな。
 ウチのジニーは話したことがわかったみたいで次女が小さいときについつい「もう!!ジニーだってこんな悪いことしないでしょ!!」って叱ると娘が「ジニーと比べられたぁ」と言ってる横で「ヨシヨシ」みたいに次女をなぐさめてたなぁ。

Chikako Murase
 わかります!昨年の7月に天国にいってしまいましたが、私がもらったカレンダーがゴールデンレトリバーの写真でそれを見た子供達がどうしてもこの犬種が欲しいと今までのお年玉を全部出してもいいからと1年半待ってきたのがbettyです!トマト農家で生まれトマト大きな袋一杯と一緒に我が家に来ました。上の息子は恋人、下の息子は弟でした。下の息子が先に歩くと追いかけて自分の後ろを歩くように合図、2人が戯れてたり、ゲームをしていたりするといつも2人の間に入って寝ていました。私の友達はbettyの友達、犬が大嫌いどんな小さな犬もダメでした。(笑)工事現場のお兄ちゃんもダメ、多分ヘルメットがダメだったのでしょうね。とにかく甘えん坊で、私と息子の親指を哺乳瓶を吸うようにくわえて吸ってました。赤ちゃんと一緒ですよね、吸い疲れてウトウトしたり。本当にみんなのいない時にどっかにファスナーが付いててじーーーとかあいて人間が出て来るんじゃない?みたいな子でした。こたろうくんと同じです。bettyはしっかりしたお姉ちゃんではありませんでしたがみんなに本当に愛され、癒してくれました。bettyもパンが欲しい時、自分が甘えたい時しか吠えませんでした。大型犬には珍しく15歳と半年生きました、がやっぱりまだ同じ犬種が見れません。

斉藤 暁麗
 ウチにもこたろう君に似た色合いの「カコ」という犬がいます。娘のお姉ちゃんになってくれるんでしょうか?と、思いました。

斉藤さんへ もうおねえちゃんと思っていると思いますよ。

 chikakoさんへ わんちゃんはネコよりも人間に近いですよね。bettyちゃんも可愛い犬だったんでしょうね。

Chikako Murase
 それはもう私の宝物でした。人間の言葉が話せないだけで2本の足では歩けないだけで、私が産んだ娘のように愛しい子でした。顔がなくなるくらい泣きました。

. chikakoさんへ 最近、『人間の言葉が話せないだけで』ってことがよく感じられます。人間の言葉を話す人は嘘もつくので、本当のことかお世辞か騙しの言葉かを考えなくてはいけません、『人間の言葉が話せないだけで』の乳児やワンちゃんなどの方か気持ちがよくわかるように思います。草取りやっていたら、最近では草達の声も聞こえることがあります。『水ちょうだい』とか『周りの雑草を取り除いて』とか背の高いイネ科の雑草が『俺らは強いぞ。早く取らないとぐれてやる』みたいな声が聞こえます。


多様なものの考え方 3 ユニバーサルデザインとしてのカプラ

 誰にでも出来てでも奥が深い活動(ユニバーサルデザイン的な活動)が今どきの子どもにも大人にも求められていると私は感じています。保育園や学校でも年齢別に活動することが多くて、異年齢のふれあい活動が少なくなってきているからです。カプラは保育園の年少児くらいから小学生・中学生・大人・お年寄りまで遊ぶことが出来ます。私はカプラのワークショップをするので8000ピース持っています。でも10ヶでも理論上は億の上の兆の上の京の上の垓(=つまり1020)の数だけいろいろなものが作れます。
 保育園や小学校・公民館などでカプラのワークショップをしますと、本当にいろいろな個性豊かな作品が出来ます。一人として同じものにならないという多様性はとても大切であると思います。いろいろな作品、いろいろな人がいていいんだよとのメッセージを送ることが出来ます。
 カプラを投げたり、踏んづけたり、汚くすることは厳しく禁止します。危険だからです。その分作品を作っているときは『なかなか素晴らしい』『グッドだね』『やるじゃん』『面白いね』『壊れたけどいい音がしたね。』『工夫しているね』『高く積んでいるね』『バランスがいいね』『お花みたいにきれいだね』などと多様な声かけをするようにしています。もちろん熱中してやっている時はそんなに声かけの必要はありませんが、崩れたり、失敗したり、挫けそうになったり、飽きたりした時はポジティブな声かけをたくさん用意しておくと子どもは喜びます。
 カプラが良い点は最後に壊して、壊れる音を楽しみ、後片付けをみんなでやって『一生懸命遊び、学び、働いてよかったね』で終わることが出来ることにあると思っています。

  

  多様なものの考え方 4 多値的な考えと学校の成績

 カプラなどの活動をしていると、どれが一番でどれが二番などと評価をする必要性がない。『あら素敵』『こっちもいいね』『すごく高く積んですんばらしい』などと多様な声かけをするようにすればいいだけです。それぞれの子どもも喜んでくれます。
 では学校の成績はどうでしょうか?みんな平等だから成績も平等につけると言い張っている人もいますが、はたしてそうでしょうか?私は小学校教員時代も、現在の専門学校の非常勤職員としても成績はきちんとつけることにしています。今は試験を文書で書いてもらうものなので95点から60点まで5点刻みでつけています。
 価値は多様であることと、成績を数字的につけることの関係性を私は以下のように考えています。物事をある一面から見ると数字的に80点であるとか、○×テストで85点とか、択一問題での成績が60点であったとかのだけであると思うのです。算数のテストで60点だからといって、その人の価値が60点であるというわけではないのです。算数のテストは60点だが、自己中心的で人格的には問題があるとの人も多いわけです。
 数字的に成績をつけなければならないこともあります。でもそれはほんの一面で全面ではないと考えることが必要だと思います。学校の成績は人生の中で10%〜30%位のものだと考えてみるのが良いと思うのです。
 そんなことを前提にして、世の中には必ずしも優劣をつけたり、点数化しなくてもよいことが多いと考えることが必要です。それが多値的な考え方だと私は思います。
 平島公園の草とり活動に乳幼児連れの親子をお誘いします。
「この子が小さいから、私なんか来ても役に立たないでしょう」とおっしゃる方々がいます。私は
「とんでもない。こんな可愛い子どもとお母さんが来てくれれば、私を含めて、男どもが張り切って働きます。こんなに役立つことはないのです。お茶出しを手伝ってください」と話をしています。学校を離れてみると、世の中はけっこうアバウトで点数化しない、出来ない多値的なものだと思います。

  多様なものの考え方 5 用具もいろいろ・・小鎌から乗用式芝刈り機まで・・

 平島公園の草取りをするために、小鎌・普通の鎌・手鍬・鍬・草払い機・自走芝刈り機・乗用式芝刈り機などいろいろな道具を意図的に購入して、使っています。お手伝いに来てくれる人も幼児・小学生・中高校生・大学生・大人・高齢者などいろいろな人がいます。そうすると用具もいろいろなものがあったほうが良いからです。また、平島公園は雑草集団です。中央部分は概ね4500uはあるので、乗用式芝刈り機で刈るのが楽です。ケヤキや木の周りは手鍬や鍬・自走式芝刈り機や草払い機がよいです。フェンスの周りでは手で根こそぎ抜くか、鎌を使って草取りが必要となります。
 いろいろな用具がそれぞれ補い合って公園をきれいにしています。
 同じ用具で同じ使用方法ならば、覚えるのが簡単です。いろいろな道具があると、使用方法がいろいろなので大変です。でもこうした大変さをそれぞれの特技を生かして使っていくのが良いと私は感じています。
 写真は乗用式芝刈り機です。これで草を刈り払うと、他の人が箕で集めて、一輪車で運んでくれます。子ども達がケヤキの下に広げて置いてくれます。
 草刈りは、草が伸びる頃に週に1回くらいやると、きれいな緑を維持することができます。公園で遊んでいる子ども達にも協力してもらって、みんなでやると楽しい活動になります。終わったら、補助金等を活用して、ジュースとかお菓子のご褒美を出しています。

  多様なものの考え方 6 多様なリーダーシップについて

 リーダーシップが必要と言われると、強いリーダーがいて、それにみんなが従うみたいに考えられてしまう。織田信長とか小泉純一郎さんみたいな存在が必要といわれそうです。でもリーダーシップにもいろいろなパターンのリーダーシップがあるとのことです。
 教授的リーダーシップ・変革的リーダーシップ・分散的リーダーシップとがあると、『教育行政と学校経営』との授業で学びました。教授的リーダーシップとはトップに立つ人が直接教え方などをリードしてやるとの考え方です。いわゆるトップダウンとなります。変革的リーダーシップとは環境を整えることで変革していくことのようです。分散的リーダーシップとはそれぞれの人の得意を尊重して、上手く権力を分散して行動することのようです。
 本来的に教授的・変革的・分散的リーダーシップは実際の場面と活動内容によって、適時使い分けれらることが大切と私は思います。でも最近はリーダーシップの強化といった感じでトップの権力を強化されることに使われてしまうことが多いように思います。反対に民主的とかいって、権力を分散させることが良いとの主張になったりもします。ケースバイケースで臨機応変に使い分けることが必要と思います。
 私は自治会運営にたずさわっています。大きな方向性として、会議費・交渉費・役員研修費などの削減については会長兼代表として強く主張し、代わりに地域住民の祭りや公園環境美化などを推し進めることを提案しています。でも、実際の活動では、それぞれの人が出来るだけ自由に活動できるようにと運営を考えています。家の前や学校の前に花植えをしてくださる方がいれば、花やプランタや土の手配をその人のニーズに任せて行います。公園の砂場を毎日きれいにしてくださる方、トイレ清掃をしっかりやってくれる方、木の剪定や花の手入れ・ゴミ拾い・落ち葉拾いをしてくださる方・ゴミステーションの清掃をしてくれる人・歩道の草取りをしてくれる人などたくさんの方々がお手伝いをしてくれます。その方々のニーズと要望が上手く発揮できるようにすることは、トップダウンではなくて、分散的なリーダーシップがないと出来ないと思います。

 リーダーシップも多様であると考えて、適材適所・臨機応変が良いかなあと思います。

 
 

 多様なものの考え方 7 蓼食う虫も好き好き

 辛くて苦い蓼(たで)を好んで食べる虫がいるように、人の好みは多様性に富んでいるということ。他人の悪趣味について言うことが多いが、人の好みは様々なのだから、自分の趣味から推し計って一概に言うことはできないだろう(故事ことわざ辞典より)  小さい頃に私はチーズが嫌いであった。『石鹸みたいなものをどうして食べるのだろうか?』と思っていた。大人が『ビールが美味しい』と言って飲むから、そんなに美味しいなら、牛乳ご飯のようにしてみたらどうかと思って、小学校の時にやってみた。苦くてまったくまずい。当時はコメを捨てたら眼がつぶれると言われていたので、何度も水洗いをして食べようとしたが、どうにも食べられるものではなく、困っていたら母がやってきて、『それは捨てても良い』と言われて安心したこともあった。その頃は今は大好物のフキノトウや木の芽などが美味しいとは思わなかった。食べ物でもやはりいろいろだ。ある人が好きでもある人は嫌いとのことはよくあるものだ。
 よく『感情的になるな』などと言われるが、人間である以上、感情的であることは大切なことだ。脳の障害などにより、泣いたり、笑ったりはするのだが、嬉しいとか悲しいとかの感情が芽生えなくなることがあるという。嬉しい・悲しい・びっくりするなどの反応は脳の根幹みたいな所からオートマチックに出てくるのだという。そして筋肉の硬直とか弛緩などの反応が脳の前頭葉へ伝わり、今までの経験などから嬉しい・悲しい・楽しい・怒りなどの感情が芽生えてくるのが脳の構造だという。前頭葉での反応が出来なくて、感情判断が出来ないと、買い物なども出来なくなるという。シャツを買うにも『白いシャツは汚れるからやめよう。黒は蜂に襲われる危険性がある。赤やピンクは私には似合わない。カーキ色にしようか。青にしようか』みたいな感情によって、決めるようだ。
 感情と行動動機をこのように考えると、感情的に叱ることも必要となる。感情がこもらない声かけなど伝わることはないのではなかろうか。ですから感情を込めて叱ったり、褒めたりしよう。でも感情に流されないで感情をコントロールすることが必要となるだけだ。そんな風に私は思う。そして、『好き好き』とは感情の問題ですから、何か物事や活動をやる時に、せっかくなら、ポジティブに考え、好きになるにはどうしたら良いかと考えを巡らす。それを言葉で上手く表現するのが修辞学とのことになるようだ。

 写真はタデです。
 タデを食べるホタルハムシです。なおタデの葉をすりつぶして酢で伸ばしたものをタデ酢と言い、鮎の塩焼きに添えるとのことです。

  

  多様なものの考え方 8 多重知能理論について

 放送大学院の『才能と教育』の中でガードナーの多重知能理論が紹介されている。多重知能とは言語的知能・論理数学的知能・身体運動的知能・空間的知能・音楽的知能・博物的知能・対人的知能・個人内知能のことである。
 言語的知能はおしゃべりや国語などの知能です。論理数学的知能とは0,5÷0.1=5とすっきりわかる能力です。身体運動的知能とは運動神経が優れていることです。空間的知能とは運転が上手かったり、ラジコンを動かすのが上手い能力です。ここまでが知能指数でよく測る能力です。音楽的知能とは絶対音感などがある能力、博物的知能とは全体として物事を理解できる能力、対人的知能とは仲間と上手く付き合える能力、個人内知能とは作家のように自分の心の中を客観視できるような能力みたいです。
 これらの八つの能力はそれぞれ独立して存在していて、機能的にも脳の違った場所を使用しているので、おしゃべりをしながら、音楽を聴き、運転をすることは基本的に可能となります。しかし、5+8を考えながら、0,5÷0.1=5を一緒にやることは難しくなるというものです。
 人間の知能をこのように八つの独立した知能と考えると、それぞれの得意部門があるので、本当に人間存在は多様なものとなります。言語は優れて、個人内知能も優れていれば作家になれるかもしれませんし、身体運動能力と空間的知能が優れていれば体操選手かもしれません。有名にならなくても、子どもの存在、人間の存在はいろいろであってよいことになります。私は字がとても汚くてそれがコンプレックスでした。その代わりにはやくから(25年前から)ワープロからパソコンを使用するようになったので、自分の考えを記録するのはとても速くできます。音楽的には音痴で、ラジコンを動かすのは苦手です。お互いに持っている能力を出し合って助け合うようにしたら良いのではないかと考えています。

 多重知能理論の考えを使うともう一工夫が出来ます。