酒の肴

くるみ 




 あたりを見回すこと3度。大丈夫。知っている人影はいない。それでももう一度念のためにぐるりと周囲を確認し、アリスはやっと書棚に手を伸ばした。本屋に来て、こないに緊張するっちゅーのはどういうことやねん!
 閑散とした午後2時。難波の大型書店に来ている。まず無難そうな可愛らしいタイトルのものを手にとってみた。『君にフォーリンラブ』、これにしよ。だがアリスは開けてびっくり、呆然と目を見開いた。最初のカラーイラストから超過激なのだ。シャツを辛うじてまとったふたりが「えぇ!?」と思うようなポーズで絡みあっている。ばっと閉じた。やめやめ。次の本にチャレンジ。
 おろおろと目を泳がした。平積みになっているからには、人気作家の新作なのだろう。えいやっとばかりに選んで、恐る恐る中を見てみる。イラストはまぁまぁ大人しめで漫画チック。裏をひっくり返して粗筋を見る。引っ繰り返りそうになった。「Sの美貌の上司、田村貢に身も心も捧げた篤志。調教されていく自分に不安を感じながらもぐいぐい…」
 おおおおおおおおっ!
 いいのか? これって女子供向けの小説やんか。こんなマニアックな、えええええっ!?
 ふと、視線を感じた。ばっと振り向くと女子高生がふたり、こちらを見ている。意味深な目つきとひそひそ声の内緒話。絶対あれは俺を肴にしている。モノホン? そういう単語が漏れ聞こえた。
 ぎゃーーーーっ!! やばいやばい!!
 アリスは慌てて3冊ほど掴み、それでも掴んだだけ偉いと思った。これでそのまま逃げ帰っては恥をかいただけの大損だ。レジへ持っていくが、やはり好奇の視線を感じるような気がしてならない。本来ならば領収書をもらうのだけれど、いくらなんでも恥ずかしかった。それにしてもレジってなぜ女のコばかりなのだろう。こういう恥ずかしい本を買うときだけでも男の子がいてほしい。だってほら、AV借りるときだって店員は男なんだから。






***






「ねぇ、有栖川さん。最近はこういうのが流行ってるんですって」
 そう言って片桐が取り出したのは、新書版の本である。かわいい女のコ向けのイラストが目を惹き、一瞬アリスはそれを漫画かと思った。
「なんです、それ?」
「これはね、ボーイズラブっていうそうなんですよ」
「ボーイズラブ?」
 男の子の愛。直訳するとそうなる。なんだそりゃ?
「男同士のラブストーリーですよ」
「はぁ?」
 アリスは内心胸がばくばくいっている。片桐は何の目的でそんなことを自分に言うのだろう。まさかとは思うが、まさかな。
「これを女の子が読むんです」
「女の子が、…その、ホモの恋愛本を?」
 ちょっと想像しがたい。
「そうなんですよねぇ」
 片桐も首を傾げている。
「でも流行ってるのは事実なんですよ。有栖川さんも読んでみますか?」
「い、いや」
「差し上げますよ、よろしかったら」
「ほんまに、あの」
 片桐の担当作家のひとりの副業がそれなのだと言う。もちろんペンネームは違うらしいが。
 勘ぐってしまうではないか。これを自分にも書けと? それならいい。これを読んで参考にして下さいなどと、さらっと言われた日にゃ泣くぞ。
「一度読んでみると面白いのに」
 残念そうに言う片桐の顔がちょっと笑っていたのが怖かった。






***





 それきりボーイズラブなるものはすっかり忘れていたのに、書店で見かけてつい足を止めてしまった。一度はそれでも通り過ぎた。だが気になりだすとたまらない。わざわざ戻ってその書店に入った。辛くも目的を達し、家に帰りすぐに本を開いてみたのだが。
 1冊目。高校が舞台の生徒会もの。
 2冊目。サラリーマンの上司と部下。
 この2冊まではなんとか読めた。さらりとしていて割とおもしろかった。男同士って言っても、男女の小説とかわりなく、かつて一度読んでみたハーレクインロマンスに近いなという感想を持った。
 だが、3冊目は――。
 設定からして赤面ものだったのだ。親友の男ふたり、同じ大学出身。片方は医者になり、もう片方はフリーのライター。しかもライターの男の一人称小説! 相手の男は“先生”と呼ばれる職業である。どうしても投影してしまうではないか。内容はそのふたりが一線を越え、愛を誓う(!)までのストーリーである。
 とにかく気恥ずかしい。七転八倒しそうな、いや実際ぐるぐると転がって身悶えた。アリスはどうにもそのライターに感情移入してしまう。主人公は相手の男の言動に一喜一憂し、些細なことで喧嘩する。アホちゃうか、と思いながらも、あぁこういうこと俺らにもあったやん、などと回想する自分がいる。気付いてまたソファの上で転がりまわる。いかん。いかん。その繰り返し。最後にあるエッチシーンなど、もう読めなかった。エロいのだ。それも半端じゃなく。第三者として読む分にはまだいいのだが、どうも自分に置き換えてしまう。なんだかミョウな気分になってきて、アリスは斜め読みに徹したのである。
 そうして読み終えたときには、もう疲れ果てていて片桐を恨んでしまった。知らなかったらこんな気苦労をせんですんだのに。
 女のコの間でこんなのが流行ってるなんて、時代も変わったなぁ。アリスは風呂に入りながら足をバタバタさせた。これからは火村と会うときでも、少しまわりを見とかな。あいつは何の気なしにきしょいことするねんから。平気で髪の毛をさわったり、耳もとで意味深にささやいたり。あんなこと絶対に金輪際やめさせなあかん。
 風呂に半ば沈み込みながらアリスは決心したのだった。





***





「ほら、あんたもっと飲みなさいよ」
 隣に座る朝井小夜子に、アリスにグラスを勧められた。反対の隣には火村がいる。
 朝井女史からのたっての要請により、火村とふたりで呼び出しに応じたところだった。彼女の馴染みのバーでたわいない会話を肴に楽しく飲んでいる。
「いや、朝井さん。もうこいつはだいぶ飲んでるみたいだから」
 薄暗い照明であまりわからないが、アリスの頬は上気し瞳も潤んでいた。勘弁してやってくれ、と火村が頼む。だがそれを聞いてアリスはムッとした。
「なんや、火村。俺、まだいけるんやから」
 お節介。アリスは火村をにらんだ。そういう保護者みたいな態度は他人の前ですんな。
「ってアリスは言うてんで?」
 朝井が面白そうに火村を見る。
「でも送っていって迷惑するのは俺なんですよ」
「そないなことにはならん。ちゃんと自分で帰れる」
「おまえは酔うと無防備だから」
「アホ! なんやねん、無防備って!」
「そんな酔っ払い、ひとりで帰せるわけないだろ」
「ほっといてくれ」
「いいや、駄目だ」
 火村が憮然とした面持ちで、アリスの頬をつついた。その仕草はひどく甘く映る。親密度150%ってとこやな、と朝井は思った。どう見ても痴話喧嘩だ。
「あかん! そんなんするなって言うとるやろ!」
 アリスは大声をあげる。どうした? と周囲の目がアリスに向いた。すでにその声自体が酔っ払いの証拠なのだが、本人だけが気付かない。朝井がふふ、と笑った。
「あ、朝井さん。何が可笑しいんですか?」
「んん?」
 だが朝井は素知らぬふりでグラスに手を伸ばす。
「ねぇ、何がそんなに可笑しいんですか」
 既に酔っ払いのカラミ酒。
 ねぇねぇ、とうるさいアリスに朝井は、「ほんとに聞きたい?」と意味深に尋ねた。アリスは大きく肯く。隣で火村が渋い顔をしている。やめときゃいいのに、アリスは酒が入ると無闇にこだわる。
「アリス、あんたさぁ、4日前、難波の書店で買い物しとったやろ」
 4日前。
 難波の書店。
 回転ののろい頭で考えて、かっきり5秒後、「うっ」と詰まった。

「あ、あああああさいさん!」
 もしかして。あの本を。
「知らなかったわ、アリス。あんたにそんな趣味があるなんて」
 買ったところを。
「見てたんですかぁぁ!!!」
 ナニゴト? と火村がきょとんとしている。説明しろよ、と肘で腹をつつかれるが、アリスは動転していて全く気付かない。
「ち、違うんです。誤解です。別にあんなん好きで読んでるのとちゃう――」
「今度書くわけ?」
「まさか! あんなんよう書きませんわ」
「そうやなぁ、あんた恋愛モン苦手やもんねぇ」
 アリスは大きく肯いた。疑惑は晴らさなければ。
「じゃあ、参考書として使うてんの?」
 ぼっと顔が赤くなった。酔った頭にあのめくるめくエッチシーンが忠実にリプレイされる。しかもアリスと火村の顔に変換されて。
「そそそそそそそ!」
「何?」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!! 変な想像やめて下さいっ!」
 アリスは頭を抱えて突っ伏した。
「想像してんのはあんただけやん」
「参考書参考書、ってなんですか!」
「うーん、そりゃあんたと火村センセの――」
「うひゃぁぁぁぁ! もぉいいですいいです、朝井さんもういい」
 朝井が煙草に火をつける。そして美味そうにひとくち吸いこんだ。そのさまがミョウに満足そうである。

「すみません。どうもカヤの外に置かれてるようで嫌なんですがね」
 火村が不意に割り込んできた。そう言うわりにはどこか楽しそうで。
「一体何の話なんでしょうか?」
 どうやら話のアウトラインはわかったらしいのに、あえてそう聞くのである。腹立たしいことといったら! 黙ってろってな気分である。
「ほら、火村センセが知りたいってさ。アリス」
 対する朝井もとても楽しそうだ。
「なんでもあれへん。大したことじゃないから気にすんな」
 素っ気なくアリスが流そうとすると、火村がにやりと笑った。口唇を片方、器用につりあげて。
「そう言われてもな。アリスがそうなら仕方ない。ねぇ朝井さん、教えてくださいませんか」
「そうやなぁ、どうしようかなぁ」
「是非お願いします」
「うーん、実はな…」
「あぁ、なるほど」
「でな、……して」
「ほぉ」
 アリスの頭上でふたりは仲良く会話している。冗談じゃない。そんな本を読んでいたと火村に知れたら、この先どう馬鹿にされるかわかったもんじゃない。いやそれだけならまだしも、火村のことだ。あの本に書いてあったようなあんなことやこんなことをされたら…。
 アリスはムクと起き上がり、ふたりを恨めしげに見上げた。

「もうイヤや!」
 片桐さんのアホウ。
 あそこで片桐があんなものを見せなければ。
 あの本屋であんなものを見かけなければ。
 何より朝井に現場を押さえられなければ。
 くそぉぉぉぉ。
 アリスは何度目かの恨み言を胸の中で繰り返す。
 そして、今夜の行く末を覚悟した。
 


 可哀想な子羊アリスに、合掌――。


End/2001.06.06



くるみさん、ありがとうございますっ!!!
もう腹を抱えて、大爆笑させて頂きました。特にアリスがお風呂の中でバタバタしてるシーンなんて、あまりの可愛さに頬が緩みっぱなしですv(*^-^*)v
だけど、片桐さん---。大物ですね。それとも編集者の鏡か!?(爆)
そして、副業でボーイズラブを書いてる作家さん。もしかして朝井さん---じゃないよね(笑)
私の単純な思いつきが、こんな面白いお話になるなんて…。感激することしきりです。嬉しいっ、嬉しい、嬉しいよぉ(≧▽≦)
きっとこれが、ファンの醍醐味ってモノなのねぇ。うっとリン…(*^m^*)
でもここで終わるのは、蛇の生殺し状態。なので、裏付き---ですよね!?

目と心が釘付けになるくるみさんの素晴らしいヒムアリは、こちらで読めます





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