国内営業課へ異動に
 役に立った大学時代に覚えたタイプライター技術
平成20年2月23日


◆国内営業課に異動

本社、京都、大阪と会計課での修行もどうやら終ってやっと本社に戻って少しは楽をさせてもらえるかと期待したら早々に国内営業課に異動となった。この頃販売会社は各地に支店を設立 、本社におられた先輩達が殆ど支店長として栄転されて残された先輩と私の様に他部門からの移動者で種々雑多な連絡業務を行わねばならず、てんてこ舞いであった。訪問販売の代わりに今度は終日デスクワーク専門となった次第。やれやれです。


一番閉口したのは北海道から沖縄まで北から南から色々と販売関係の資料が郵送され、その整理や統計資料を作成してそれを今度はまとめて全国の支店に発送しなければならない。いまならパソコンで瞬時に情報伝達が出来るが当時はその様な手段は無く全て手作りの資料をガリ版で原稿作成して、謄写版印刷で必要枚数を印刷するのが極一般的なやり方だった。

ガリ版印刷の説明をするとヤスリ板をはめこんだ板に蝋引きの原紙を置き 鉄筆でその蝋引き原紙の上をガリガリと音を立てて文字を一字ずつ書いていく出来上がったらその原紙を 印刷用の木枠に張り、わら半紙の上に敷いて その上をインクを付けたローラーを押し付けるようにして一枚一枚印刷、 この印刷した紙をすぐどけて インクで汚れないようにするのに どうしても助手がいるので 大抵は新人か半人前が呼ばれて手伝わされた。簡単な通達文書でも 原紙作成から印刷完了まで 最低でも半日仕事だった。出来上がった文書を手で丁寧に折り畳んで 封筒に入れ、宛名を又手書きで 一つ一つ書いて やっと投函・・・いまどき そんな事をやっていたら とっくの昔にぶっ飛ばされているだろうが 当時は 文句も言わず 新人と半人前のする仕事とされていた。

 進駐軍酒保(PX)への納品

当時、名古屋の一等地のど真ん中に 占領軍の家族が住んでいた通称「アメリカ村」があった。どんなルートで注文が来たのか不明だが あるとき突然そのアメリカ村のPX(昔の言葉で 酒保・・余計にわからない?・・・日用雑貨販売店とでも思ってください)から二世の担当官が来て 製品の納入についての商談が始まった。

勿論その様な商談は経験豊かな先輩が当たったが、突然呼び出しが来た。早速に行ってみると テーブルの上は横文字の書類ばかり。値段仕様はすでに担当官と先輩との間で完了していたが 残されたのは 納品の都度 注文請け書と梱包リストをタイピングして製品に添えて提出しなければならない。H君、君は英語出来るだろう。この書類作成は君がやってくれ。」なんのこっちゃ、雑用だけが私の所に廻ってきたんだ。

英文タイプライターなんて販売会社にあるわけはない、輸出を始めたばかりの製造会社に 古いレミントンだったかアンダーウッドがあり それを専門のタイピストが居て輸出書類をタイプしていた。そんな所に販売会社から のこのこやってきた半人前がタイプライター貸してくださいと やったものだから 皆なが一斉に振り向いて注目!英文タイプなんてものは専門のタイピストが使うもので誰も触ろうともしなかったのを貸して下さいと言うのだから皆なあっけにとられたのも当然。その半人前が至極簡単といわんばかりに左右10本の指でキーを叩いて印字していくのだからまるで狐か狸がタイプしているんじゃないか、そんな顔して見つめていた。

  ここで「思い出話2」で書いた記事を見ていただきたい。経済学部4年生の時に貧乏で原書が買えず経済学部にあった古いタイプライターの使い方を習ってこの原書をタイプしていた経験があったのだ。その時につかった古いタイプライターと全く同じ型が幸いにもあったので操作方法は百も承知。貧乏時代に覚えた「芸?」がこんな所で役に立つ事になったわけだ。後日談だがPX販売に必要な書類をタイプして作成提出する仕事で販売会社でもタイプ出来る変人がいるとかなり評判になっていたらしい。

さて、肝心のPXより指定された製品はなんと一台200ドル!当時の換算レートは360円であったから日本円で72000円私の給料が 二万円無かった!なんで200ドルだったかその経緯は霧の中、 儲かったか損したか それも 朧月夜の物語。とにかく 普通では手の出ない価格の製品が PXで売れていると聞いて今更ながら経済力の差を感じさせられた。

 ◆ ちゃんと通じた英語

この二世の担当官には色々と教えていただいたがその中で嬉しかったのは神戸三中の進藤先生飯田高校のウラサに習った英会話がちゃんと通じた事だった。そのお蔭で担当官より教科書英語ではなく実際に使える英語を覚える事が出来た。この時に覚えた英会話の基本が20年後、営業部長として海外出張した時に多いに役立った。その当時はこんな雑用とか面倒くさい仕事ばかりと思っていても何十年後にそれが役立つ時が来るものだ。

後日談になるがこの販売会社に配属されて多くの先輩方々と顔見知りになったが、その先輩方が昇進されて各地の支店長として活躍されている時にちょうど私が本社の事業部の営業部長として国内各支店を訪問。殆どの支店で 「おお H君じゃないか なつかしいね」で違和感無く胸襟を開いて話し合う事が出来た。ちなみに同期のY君は東北の支店長、 T君は中部地区の責任者で私の事業部の製品の販売拡大に多いに協力してくれた。本当にどこでどう誰に助けて頂くか全くわからぬ世の中でこんなにも 諸先輩から援助協力して頂けた事は幸運以外に天のお助けがあったものと感謝しております。



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