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いつものことですが、最初に新しいことをやるのはとても大変なことです。みんながやったことのないことで、共通理解がないからです。
共通理解を図るためには、話し合いが大切と言われます。でも私は違うと思っています。いくら話し合ってもそれまでの体験がなければ、話し合いにならないからです。今回のように、有明児童センターからも人が来る予定。総合生協のクッキングカーの手配。新潟かみしばいクラブ・中学生のダンス・アドバンスのクッキー販売・学生ボランティアの手配・トン汁やおやつの手配・けん玉名人へのお願い・雨の場合の対応などなどいろいろなことが同時並行にやる必要がありました。
こういうときはみんなで相談するよりも、やるべきことをどんどんやった方が良いのです。
もちろんプロジェクトを一緒に組む相手にもよります。一般的に保守的で公的な活動においては、失敗を恐れて既存路線を保守しようとする傾向が強い。新しいとは改たしい=改めるの形容詞形が語源だそうです。今までの路線を改めることは難しいことです。ですから、出る杭は打たれるので、強引にやるしかないことが多いのです。 |
上の写真は中学生のダンスグループです。一週間ほど前に平島公園で草取りをしていた私に話しかけてきました。
「平島公園でダンスの練習をしたいのですが、いいですか。」
「せっかくだから、今週の土曜日に春祭りがあるよ。そのときにも踊ってくれないか。そしたら、トン汁サービスがあるし、おにぎり持参だけれど、踊る人はもってこなくていいよ。サービスする。」
「本当ですか?じゃあ躍らせてください」
こののりでないと新しい仲間は広げることは出来ません。みんなと相談していたら、中学生は逃げていくのです。そこで、おにぎり代の数百円はある程度の権限がなくてはなりません。1万円以内なら、責任者に権限を持たせるべきと私は思います。でもこのことはなかなか許されないことが多いものです。また、この後に平島一丁目の自治会の役員でもあるお母さんに許可をとりました。未成年の場合は子どもの許可だけではなくて、保護者の了解を得ることも大切です。
けん玉名人塚口真帆人さんです。大きなけん玉でみんなを魅了させてくれました。塚口さんは新潟大学病院の薬剤師をされています。東日本大震災で多忙なのに駆けつけてくれました。
ボランティアでやってくださる方々にみんな感謝の気持ちが大切です。 |
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感謝の気持ちのある人と感謝の気持ちのない人はどのような違いがあるのでしょうか。
私的な判断から言えば、自分の存在が仲間によって支えられていることを自覚できるかどうかにあるように思います。
私自身が大きなことを言えるわけではありません。でも、少なくとも、私自身が出来ないことを他人に要求できません。自分が出来ないことを他人がやってくれる場合は素直な感謝の気持ちが必要でしょう。
私の元職場は「児童の健全育成を通して、地域の福祉の向上に寄与する」が目的です。しかしながらついつい自分の職場の『利益』に固執してしまうのが本音です。でも、身近な自分の職場の利益だけではなくて、それを乗り越えて、もう一つ上の地域全体の利益や仲間の利益を考えていくことが必要ですね。
同様に、自治会でも自分の自治会だけではなくて、地域全体のことを考えることが必要でしょう。平島一丁目自治会だけのことを考えていると、見えなくなってしまうことがあります。
東松島市へ炊き出しボランティアに出かけたときも感じました。困ったときこそみんなで助けあう必要性があると思います。 |
難しいなあと思うのは、『成功にはお父さんがいるけれど、失敗は孤児になる』ことです。
ですからそれを恐れて成功するまではみんな集まってきません。上手くいくと「『自分がやった』といい始める人が多いものです。
実験的に試みて、成功した人は、ある意味で評価されず、失敗すると責任を負わされることが多いのです。成功したときの成果が持ち去られ、実際にやっていなかった人が評価されるのはある程度仕方ないことです。
しかしながら、もう一回、同じ事業をやる時に、実際にはやっていない人が責任者になるという愚かなことが繰り返されることになります。それは問題です。実際には何もプロデュースできない人が、責任者になると、お金を勝手に使うことはあっても、気持ちよくみんなが動こうと思う気持ちが育たなくなってしまうのです。結果的に活動はどんどん衰退していきます。活動をみんなが気持ちよくやるようになるためには、みんなの力こそが必要なのだと訴える必要があります。
『成功にはたくさんのお母さんが必要』と私は思います。一つの成功は実は多くの要素がたくさんあるのです。多くの要素があることを自覚して、それを上手く組織していくことが大切なのだと思います。 |
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民主党の最大の失敗は村田 蓮舫さんを中心とした仕分けにあるとおもいます。つまり、無駄のない仕事などないのです。すべての生産的な行為は無駄と失敗の繰り返しでしかないのです。
中学生にダンスをお願いした場合でも、結果的にたいしたことではない結果になったかもしれません。でもやってみなければわからないのです。今回はとても上手くいったので、夏祭りにも出演依頼となりました。でも上手くいかないこともあるのです。「無駄をなくす」のではなくて、「極端な無駄をなくす」程度の主張でないと困るのです。
右の写真で90センチの風船を膨らまして、何回も私は爆発させていました。でも実験過程のミスと思っていました。自分で金を払って何度も実験をしました。その結果、一回膨らまして、20パーセント位空気を抜くと壊れないくなりました。
自分のお金を投下して実験してみないと、世の中の本質は理解できないのです。なぜなら理解するとは英語でunder standだからです。上目線では永遠に理解できないことを考えてみるべきです。
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トン汁の作り方なども一緒です。無駄な何回かの失敗が必要なのです。しかしながら、その失敗から学べない人は上手く次のステップを歩むことが出来ません。いくかの失敗に学ぶことが必要なのです。
今回の春祭りの反省はいくつかあります。成功したところもたくさんあります。
成功したところで言えば、私が職場を退職したことです。私自身がまったくボランティアになったので、同じ仲間になれたことです。他人に要求しているのではなくて、自らがまったくの奉仕活動であることを表明できたことは嬉しいかぎりです。
地位によって人を動かすのか、心で人を動かすのかの違いです。 |
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今回お願いした国際子ども福祉カレッジ学生さん・地元自治会・新潟かみしばいクラブの皆さん方・踊ってくれた中学生・けん玉協会のみなさん・参加してくれたお母さんやお父さんそしてあかちゃんに幼児・おじいちゃんおばあちゃん=みんなのお陰で楽しい会でした。
みんなで協力してやればこんなに簡単に出来ることが、一部の自己中心的な欧米風な考え方に毒されて、上手くいかないことに私は危機感を感じています。
同時に私自身がそのドグマから解放されたことから、多くの地域の仲間と連帯していけることに強い希望を感じています。
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正直に言って、日本人を理解していない欧米かぶれの人の多さにあきれています。
今日のテレビで寺子屋をやっていました。かけがえのない人を大切にとのことでした。この場合のかけがいのない人とは家庭において子どもとの設定でした。このときに聴講していた人たちはこれを当然のことと感じていました。日本人ならそれが当然です。しかしながら、欧米は1に自分・2に連れ合い・3に子どもの文化なのです。日本人は1に子どもの文化なのです。1に子どもの文化の日本人に「子どもをもっと大切に」との、日本の子どもの権利を主張する団体はある意味では日本をダメにするグループの仲間になるのではないかとの危惧を私は抱いています。なぜならば、子ども中心でない文化の考え方の手法を子ども中心の文化の中で取り入れてしまうと、ますます子どもは自己中心になってしまって、自分の居場所を見失ってしまうからです。
今の日本の子ども達には、集団の中のルールを守って、集団の一員として当然果たさなければならないある程度のお手伝いやお仕事をさせることが必要であると私は思っています。
今回の春祭りでも当然のこととして、子ども達にもトン汁配りやお茶配り、後片付けなどをさせました。子どもにはきれいな遊び場環境を用意してやれば、子どもは自ら遊び始めます。あまり子どもに阿すぎる(おもねすぎる=子どもに媚びる)文化になりすぎているのではないかと私は感じます。
これも堂々と定年退職できたから書けるのかとも思ったりもします。 |
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