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 子どもは3歳までは母親が基本的には育てるのが正しいという「3歳児神話」は現実的に存在し,多くの共働きのお母さんが悩んでいることが多い。
 私の母は助産婦をしていて,父は小学校の教員で共働き家庭に育った。だから共働きで子どもを保育園に通園させることは私自身違和感はなかった。私の家庭も当然共働きで,二人の子どもは産休終了後は保育園と知り合いの人にお願いしての二重保育でみてもらっていました。当時の保育園の仲間の人たちの間でも,産休後明けの朝8時前から夕方6時半頃まで子どもを保育園に預けておくのは預けすぎとの考えもあったように思う。しかし勤務を続けるにはそれしかなかった。こうしたことで私も少し「3歳児神話」の考えはあったように思う。
 「3歳児神話」の延長線上に「両親が休みの時には,保育園では原則的に預からない」「土曜日で両親いずれかが家にいるときは児童クラブ(放課後児童健全育成事業のクラブ)に来ないで親子のスキンシップをはかるのが良い」といった考えに引き継がれている。
 私自身は子どもの姿を素直に見ることにしている。すると見えてくることがある。保育園の年中・年長の子どもは親が家にいても保育園の友達と遊びたいと思うほうが健全である。また小学校の低学年の子ども達はとくに群れ遊びを好む時代だ。ですから,家で両親とスキンシップするよりは昼間は友達と遊びたがるのが通常の健全な姿である。子どもの立場から考えれば,完全週休二日制になった今では,土曜日は保育園・児童館・児童クラブで昼間は元気にすごしたほうが良いと私には思えるのである。
 しかし「3歳児神話」の延長線上にある「親が休みのときくらいは親が子どもをみなさい・親子のスキンシップをやりなさい」との考えはまだ強く残っているのである。
 こんなことを思っているとき,新潟県の児童厚生員の研修会で元厚生省児童家庭局専門官・淑徳大学教授柏女霊峰先生の研修会を受講することができた。この研修会で柏女先生はいわゆる「3歳児神話」について学会での現代の状況を説明してくださった。以下は柏女先生の著書『現代児童福祉論』(誠信書房発行)からの抜粋である。ちょっと長いのですが,ぜひ読んでみていただければと思います。



 第2講児童の発達と児童福祉 5発達と児童福祉をめぐる論点ー「3歳児神話と保育」を例として
 A いわゆる「3歳児神話」と(乳児)保育

 「3歳児神話」とは,「3歳までは児童のその後の発達にとってきわめて重要な時期であり,母親が家庭で育てるべきである」とする考え方である。
 精神医学の領域では古くから,児童とりわけ乳幼児の発達にとって母親の存在がきわめて重要であるとする見解が主流になっていた。特にボウルビーらによる世界保健機構への研究報告が乳幼児期における母親からの分離経験がその後の児童の発達を阻害する危険性を提唱して以来,主として精神分析学者からのマイナスの影響にかんする指摘が続けられていた。
 この発達の初期における母性的養育の剥奪によって児童の諸側面における発達の遅れ,歪みがもたされるという指摘は,わが国においても1970年代を中心に集団保育,養護の是非にかんする論争,いわゆるホスピタリズム論争をもたらすことになる。母性的養育の剥奪が児童の発達に与える影響については,科学的研究が現在でも続けられており,現在では,母性的養育の量よりも質的な欠如にその研究の主眼がおかれている。さら,単に母が子どもから物理的に離れることの影響を問うのではなく,親子の相互交流の発達や質,子ども自身の特性・ストレス耐性などの諸要因を絡めた研究の重要性が主張されている。その一方で,これらの研究は,前述のいわゆる3歳児神話を人びとの間に植えつけ,人びとの間に独自の発達観をを形成していくことになる。

 (中略)

 しかしながら,低年齢児の社会的保育が児童の発達上問題があり,家庭保育の方が望ましいという見方については必ずしも科学的実証的研究において合意をみているわけではない。事実,この後もホスピタリズムにみられる乳幼児の発達遅滞や障害は母性的養育の剥奪の結果によるものか,あるいは施設の養育環境自体の問題であるのかその検討が不十分であるとの批判を生み,種々の研究がなされている。また,一方では,「母親と児(特に乳児)の間にみられる行動的・感覚的ならびに心理学的相互作用」である母子相互作用にかんする研究も進められてきているが,これとて,筆者の理解する限り,親と子のそれぞれの種々シグナルおよびそれに対するレスポンス行動の積み重ねがいわゆる親と子の絆を形成することを明らかにしているのであって前述した3歳児神話を直接証明しているわけではない。
 しかし,一般にはいわゆる「3歳児神話」として定着し,これが一方では保育所に乳幼児を預けて働く母親の罪障感を生み,また,女性を家庭に留め置きたい男性側の,あるいは,女性のパート労働と同様,専業主婦の雇用調整のためのレトリックとしてしばしば用いられ,いわゆゆイデオロギー的性格をもつ結果となっている。後述するわが国における女性就労のいわゆるM字カーブの存在もこの考え方が男性のみならず女性も含めて社会一般に受け入れられている,あるいは,受け入れざるを得ない状況に置かれている結果としてみることができる。

 B 3歳児神話への反証

 しかしながら,近年,わが国においても,出生率の継続的低下,女性就労の拡大という事実や労働力の不足を懸念する事業側の論理,さらに男女共同参画型社会構築という大義名分の顕在化にともない,乳児保育や延長保育のあり方が正面から取り上げられてくることとなった。これにともない,改めて乳幼児保育と児童の発達にかんする研究が注目されてきているが,従来の3歳児神話に疑問を投げかけるいくつかの研究結果も提示されている。
 
 たとえば,網野は内外における乳児保育にかんする研究で,早期からの保育が発達にマイナスであるとする研究,マイナス面が指摘されない研究双方について詳細にレビューを行い,「(外国と同様)わが国の研究をみても同様にその結論や議論は両方向に,またどちらとも言えないという見解に分かれている」と述べている。さらに,早期からの集団保育が発達に及ぼす影響については,「集団的保育そのものを単一の因子として決して適切な結果をもたらすとは言えない」と述べ,むしろ保育環境(保育者と保育を受ける乳幼児との数比,保育者の質,提供される保育の内容)と家庭環境(家庭環境と安定性,保育経験前からの母子環境の状況,保育以外の日常生活経験)および乳幼児の特性等との相互的な関わりのあり方のなかで決定されると考えることが必要である,と示唆している。さらに,ラターの言葉を引用し,「保育を家庭養育よりも効果がないことだと結論づけることは誤りであろうし,たとえ過去において(マイナスの効果が)過大に誇張されていたとはいえ,保育が何の危険をもたらさないと確信することも誤りであろう。今必要なことは,保育と家庭養育との比較を超えた研究を行われなければならないことである」と結んでいる。

 また網野らは過去6年間にわたり,四つの保育園の縦断的調査,検査を実施し,特に0歳から同一の保育所で保育を受けた児童とそれ以外の児童について精神発達,性格傾向上のの比較研究を行っている。これによると,保育所入所児童について,入所期間ごとに発達検査を比較すると,全体として入所期間が長いほど発達段階が若干良好であることが示されている。すなわち0歳児から同一の保育園で保育を受けることは,在園期間が長くなるにしたがい,発達上のマイナスの効果が加わる傾向はみられず,むしろプラスに評価される側面がみられるという結果を掲示している。
 さらに,服部・原田は大阪府下南部のA市に存在する昭和55年1月〜12月までに出生した全児童2,000人について,生後4カ月から小学校1年生までの計6回,一斉健診及びアンケート健診を行い,児童の発達と家庭環境との関連について縦断的に調査・分析した結果,「母親の就労は子どもの発達に悪影響を与えない」と結論づけ,「子どもの発達と母親の就労との関係については,今回,すべての健診結果について詳しく検討した。しかし,結果としては,母親の就労と子どもの発達との関係については,はっきりとした相関は認められなかった。すなわち,乳幼児期までに表面化する発達にかんしては,という限定つきではあるが,母親の就労は子どもの発達にはっきりとした影響をおよぼしていない。この結果働く女性にとっては大きな安心材料であろうと思う」と述べている。さらに,わが国における母性的養育剥奪の問題として,親の育児に対する心配や不安から来るものと親の体罰の厳格さや虐待傾向を有するものの二点を掲示している。この底流には育児の孤立があり,わが国においては,むしろ家庭養育の閉鎖性,孤立性こそが母性的養育の剥奪を生み出す可能性があることが論じられるようになってきている。

 また丸山・山田も,米国の心理学者ケイガン他の研究を引用し,「ケイガンは,母親が家庭で子どもを育てた場合と,一日の半分を保育所で育てた場合との比較した諸研究を展望して,母親の接触量の明らかな違いにもかかわらず,社会的行動,知的能力,母への愛着にほとんど差異がみられなかったと報告している」と述べている。さらに大日向も,最近の母親の疲労と児童の発達にかんする過去の研究・文献をレビューした結果,「母親の疲労と子どもの発達にかんする内外の知見は,総じて母親が働くことを直ちに子どもの発達段階に結びつけて捉える視点は是正しなければならないことを指摘していることで共通していると言える」と結論づけている。

 以上が引用である。ルビや英語読みの()書きもあるが,省略させてもらった。


  以上の柏女霊峰先生の著書『現代児童福祉論』からも明らかのようにいわゆる3歳までは母親が育てるべきとの「3歳児神話」は明らかに崩壊したのである。しかしながら保育・幼児教育・小学校教育の現場ではその残像が幅をきかせているのである。
 『むしろ家庭養育の閉鎖性,孤立性こそが母性的養育の剥奪を生み出す可能性があることが論じられるようになってきている。』と『現代児童福祉論』でもいわれているように日本での子育の問題は少子化時代の子どもが父親・母親になるという平成15年の今の中で一番問題とされることなのだと私(田中純一)は考えている。それは柏女霊峰先生が『現代児童福祉論』を記述された8年前よりも切実になってきているのである。しかしながら3歳児神話の残像は実は学校・保育園・児童館・児童クラブ職員のレトリックとして利用されている。学校の週休完全二日制などはその典型であると私は思っている。教職公務員の週休二日制の実現を子どものための学校五日制などと偽るのはレトリックそのものであり,学校週休二日制がプラス要因として働いたとの話を聞くことは少ない。

 
 少子化時代の子どもが子どもを生む第2期少子化時代(私がそう名づけているのですが)においては、子どもをいかに集中させ、子ども同士の切磋琢磨により成長させるべきかを考える時代であると私は思う。0歳からの乳幼児も母親もしくはそれにかわるべき保護者がいて、同時に互いを磨くあう仲間が必要である。同様に3歳を超えた子どもはなおさら互いに切磋琢磨する子ども仲間が必要である。保育園の年中児童から、小学生の3年生までの群れ遊びを好む時代の子ども達にはなおさら仲間が必要なのである。この仲間が必要な時期に少子化第2期時代の現代では子育てがますます孤立化を深めているのである。極端な子育て孤立化の時代に子どもの問題が複雑であるがゆえにこそ、その解決を探るのではなく、責任回避のレトリックとして、いわゆる3歳児神話の残像がどことからでもなく出てきているのではないかと私は考えるのである。
 平成15年における子育ての問題は「3歳児神話」の残像を乗り越えて、0歳からの子どもたちが群れて遊ぶことのできる環境作りのソフト・ハード面の充実を図るべきであり、しかも急務であると私は考えている。

 第2期少子化時代について
 なぜ私が第2期少子化時代と名づけたかについて。今30代前後のお母さん・お父さんは少子化時代に生まれてきたことにより、お母さん・お父さんに兄弟姉妹が少なくい。そのため4人の祖父母に1人の孫しかいない状況にあることになる。当然いとこは少なくなり、親族が集まっても周りは大人だらけという状況を生んでいる。この状況は3から4人の兄弟姉妹がそれぞれ1人から2人しか子どもを生まなくなったという最初の少子化時代の始まりとは違ったものになってきていると考えられると私は思うのである。そこで第2期少子化時代と私は名づけている。
 第2期少子化時代の特徴は両親が兄弟姉妹数が少ないので、子どもは物質的に豊かである・おじさん・おばさんがいない・祖父母の過期待がある・親自身が大人になれていない・子どももワガママ我慢ができないなどの特徴があるように思う。
 




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