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    ■活動の手法(EP3H3K3M3RTUW)              詳細トップ






 

は 活動の手法EP3H3K3M3RTUW(令和6年10月入院中に考える) 

                              田中 純一    

E エマジンシ

P ポジティブ心理学

H 犯罪 働き 発達

K 継往開来 交換作業 簡単

  3M マルチ知能理論 学びの4段階 ミッションコマンド 

R 量子論 理解する(understand) 臨床の知

T テクニカルスキル

 U ユニバーサルデザイン

 W わかりやすい日本語の可能性

 

E エマジンシ(emergence
 子ども達の問題行動を悪いものと考えるよりも情念(=emotion)が現出する(=emergent)とすることだまずは考える。そしてemergenceとなるような手法を開発していくことが大切だと私は思っています。
 創発性は英語でエマジンシ(emergence)である。思いやエネルギーや情念や情動が現出するのがエマジント(emergent)である。これが悪い方になると、エマジンシ―(emergency)となり、緊急事態となる。エマジントとが危険になるとエマジンシ―で自分や他人や自然に良いものになるとエマジンシとなり、創発性となる。人間は物によって作られているが同時に物を創ることによって自己実現をしようとしている。情念を他者に対して働きかけ、相手にから働きかけられている存在である。それをエマジンシつまり創発性発揮になるように活動を持って行くことが他人にも自分にも必要なことであ私は思っています。。それが活動の目的でもある。
 Emergencyの状態は外に対して暴力的に発揮される場合もあるし、その人に内面の中でうつ状態になり緊急事態をなることもある。また強い圧力で情念を押さえつけていることが緊急事態を生んでいることもある。強い圧力を少し緩和すると一時的に状況がもっと悪くなることもある。圧力や重石の取り除き方のさじ加減を考えることも大切である。

  P ポジティブ心理学
 Pはポジティブ心理学である。一般的に心理学は問題行動をいかに解決するかを考える。その為に不適応行動の原因を追究する。ポジティブ心理学では不適応行動をみられる現象それ自身をポジティブなものと考える。
 私は放課後児童クラブ等で暴言・暴行などで他人を傷つけたり自分自身を傷付けてクラブが崩壊状況に陥っている場合のお手伝いにいくことがある。「くそおやじ・ハゲおやじ」等の洗礼をまず受けることが多い。しかしその言動自体を肢体不自由児支援学校の教員経験のある私としてはポジティブなものと感じる。そのエネルギーを創発性の方向に向かうように考えるのが良いやり方だと私は思う。
 ポジティブ心理学にPERMAとの考え方があります。P (Positive Emotion)E (Engagement)R (Relationships)M (Meaning)A Accomplishments/Achievements)のことです。まずはポジティブエモーション(positive emotion)との考え方です。現出した事象を不適応であれ適応的であれポジティブなエモーションと考えます。積極的な感情・情動・情念と捉えます。次にエンゲージメント(Engagement)です。エンゲージメントとはエンゲージリング(結婚指輪)のように情念(=emotion)を一つの方向に傾斜集中していくことです。情念であるエモーションをその人や他人や自然に有意義な方向性に集中傾斜するように働きかけます。すぐに蹴ってしまう子どもならサッカー遊びに、大声を出す子どもなら音楽や楽器に、内にこもる子どもなら読書やお絵描きにと集中する活動や遊びやゲームを探すことです。その次がリレーションシップ(Relationships)です。一人の個人の能力には限界があります。子どもや自分や仲間の情念を上手く発揮できるようになるために、いろいろな社会資源と連携をとることです。ある人にはサッカー教室、空手、パソコン塾・公文・音楽教室・ドラム・ボランティア活動・支援学校・放課後児童等ディサービス・大学生ボランティア等々いろいろな社会資源と連携する。こうして情念がある程度良い方向性になった時にはじめてその意味を考えることになります。それがミーニング(Meaning)となります。私たちはいろいろな困難な状況に出くわしたときにいろいろな直観的な試みにチャレンジします。そして上手くいきそうな時にその意味を考えるものです。科学的に冷静に分析して意味ある活動をやっているケースはあまりないものです。最後がアカンプリシュメントAccomplishments/Achievements)で達成感となります。「やったね」との達成感が次へのチャレンジの力へとつながるように思います。PERMAを繰り返すことで次への段階へと継続発展していくことになります。

 H 犯罪をしないさせない巻き込まれない
 活動を楽しく有意義なものにする為には安全で安心な環境を作ることがとても大切です。いじめとか体罰とかの抽象的な話ではなくて、暴行・傷害・器物損壊・名誉棄損・侮辱・猥褻・恐喝・詐欺等々具体的に刑法に反する犯罪行為をしないさせない巻き込まれないようにすることが大切である。また事故を起こさない起こさせない巻き込まれないことと災害等に備えての学びと身心のレジリエンスの強化をしておくことが大切であると私は思う。

 H 働きと学びと遊びを活動の中に取り入れる
 人間は情念とかエモーションとかエネルギーとかを他人との関係で働きかけたり、働きかけられたりの相互関係によっていきているようです。活動を苦痛だけの作業・いやいやながらの学習・享楽的な遊びにするのではないことが大切です。働きとは人の為に動くであり、傍を楽にするとの意味だそうです。この時に相手に感謝されると、働きかけた方も嬉しくなる。また学びとは何らかの意味で他者から真似をすることです。学びによって活動はスパイラル的に向上していく。また遊びは心がワクワクすることで、その語源は「荒ぶ(すさぶ)」である。遊び心があるので学びも働きもレベルアップしていく。活動は働き・学び・遊びが意図的あるいは無意識的に包含されたものと考えることが必要である。

 H 発達段階を考える
 遊びと学びと働きは人間の発達段階を考慮していくことが大切である。エリクソンの乳児期の信頼の不信(獲得課題は希望)・幼児期前期の自律と恥(意思)・幼児期後期の積極性と罪悪感(目的)・小学生期の勤勉性と劣等感(自己効力感)・中学生から大学生期の自己同一感と拡散(忠誠心や帰属性)・青年期の親密性と孤独(幸福感や愛)・成年期の世代性と停滞(世話)・高齢期の統一性と絶望(智恵)との獲得課題を考えることは大切であると思う。
 小学生期の獲得課題が勤勉性であることは大切である。小学生期には学校で学びを中心とした働きと遊びも包含して活動をし、家庭や放課後児童クラブでは働きを軸として遊びと学びを包含した活動をすることが大切である。
 小学校高学年からは自己同一感が必要となる。小学生高学年及び中学高校生・大学生は仲間作りが大切であろう。なお自己同一感(アイデンティティー)確立に時における仲間作りには大人はあまり直接的に関与できないであろう。しかし創られるグループや仲間が社会と良い関係性を持ちながら維持されることを応援する必要性は大切である。音楽仲間が音楽仲間だけでやるのではなくて、社会貢献としていろいろな場所でボランティア的な活動をする。中学や高校の吹奏楽部が地域の祭りで演奏会をするなどである。

 K 継往開来について
 生命体としての人間は遺伝子に刻み込まれた資質に大きく影響される。同時に社会的・文化的・歴史的環境にも影響されて成長する。過去及び現在の良い点を吸収し、悪い面は修正して未来を切り開いていくことが必要であると思います。過去や現在に不平不満を言って嘆いているでは上手くいきません。継往開来とは過ぎ去った過去と過ぎ去りつつある現在の中に未知の宝物を積極的に見つけて明日を切り開いていくことだと私は思います。

 K 交換作業
 人間は社会的・文化的・歴史的存在でもありますから、たくさんのことを学ぶ必要性があります。小学校の教育課程だけでも国語・算数・理科・社会・英語・音楽・体育・図工・道徳とあります。一日中算数やっていたり、漢字練習だったり、体操だけでは飽きるでしょう。松本清張さんはいろいろなジャンルの小説を書いています。松本清張さんはインタビューの中で交換作業との考え方を話されていました。ある小説を書いていて飽きたら、別のジャンルのことに交換して作業をするというものです。私たちも概ね45分か〜90分で別の作業をするのが良いと思います。また会社人間だけになるのではなくて、スポーツ・読書・ボランティア・家庭人・趣味等々いろいろなジャンルの人たちと仲間になっておくことが大切かと思います。いつも5〜6の交換作業できるものを用意しておきたいものです。

 K 簡単・面白い
 活動をする時は簡単で面白いものが良いと私は思います。簡単で面白い事からチャレンジして次第に複雑で難しいものへと変容していくのが良いと思います。

 M 学びの四段階
 学びには四段階あるとユーチューブで物理の塾の講師の方が話していられました。
 一段階は頭で一応理解する段階です。「」付き頭が良いと自分で思っている人たちはこれでわかったと錯覚しています。次に実際にやってみることです。たいていの人はこれで学び終えたと間違った認識をします。しかし頭でわかったつもりでも身体が理解していないので学びの段階としてはまだまだです。第三段階がたくさん速くやってみることです。このことで頭ではなくて身体とくに体性感覚に理解させることが出来ます。
 私たちは社会的文化的歴史的に他の人々から教えてもらって成長します。と言うことは学んだら次の人に伝える必要性があります。しかし相手は自分とは違った存在です。自分のやり方とは別の手法で学ぶことがあります。学びの四段階は他人に教えることが出来るようになることだそうです。 学びに四段階あることを自覚して取組むことが必要です。また簡単なことから始めて数をこなしているとその間に弁証法的質的展開が始まることもあります。

 M マルチ知能理論
 人間には得手不得手があり、知能指数で単純に測れるようなものではないと思います。音楽が好きで絶対音感を持っている人でも割り算が苦手な人もいます。運動能力は優れている人や重機を動かすのが上手い人、英語や言語的能力が優れている人・虫のことならなんでも知っている子どもなどもいます。
 ガードナーによると人間の能力は概ね論理数学的知能・言語的知能・身体運動的知能・音楽的知能・対人的知能・個人内知能・空間把握的知能・博物的知能などの八つの知能が独立して有機的関連を持ちながら存在しているとのことです。これらの知能は人間の脳のいろいろな部位に関連しながら影響しあっているように私も思います。

 人間の知能が多重であると考慮すると、どの知能がその人が得意かを考えながら教えたり学んだりすることが有意義であると思います。折り紙をやる場合でも一対一で手取り足取りするが良い人・折り図だけでその人なりにじっくり考えるのが良い人・ユーチューブなどの動画で学習する人・仲間同士の教え合いが良いと思う人などいろいろです。学びの四段階で他人に教えることが出来るようになるということは自分の得手な分野だけではなくて、教える相手が何を得手としているかを考えて教える手法を開発することが必要となる。そこで教える人の学びの段階はさらにバージョンアップすることになります。ティーチング イズ ラーニングと言われる所以となります。

 M ミッションコマンド
  ある課題を解決するのに部隊を作り、部隊内のそれぞれ各人の創発性を発揮できるようにする。その為に上意下達の組織ではなくて、権限と資金と情報がそれぞれの部隊に適切に委譲されている状態がミッションコマンドの考え方であると思います。5人〜10人の部隊の中にいろいろなマルチ知能を持った人たちがいて、それが互いに高められて面白いものを創作していくことになります。またこうした部隊がやはり5〜10部隊で大きな組織となり、相乗効果を上げていくことになります。創発性が損なわれる上意下達のトップダウンだけの組織はどこかにひずみが出てくるのではないかと思います。
 社会に出ると活動はミッションコマンド的で仲間の中で課題解決をして行くことになります。しかし教育の現場は先生と子ども達・生徒・学生という一方的な関係性が支配していることに私は危惧感を感じています。教育体制も速やかにミッションコマンドの体制に変革していくことが必要と思います。クラスの少人数化を図るのではなく、ティームティーチングの体制にと思います。

 R 量子論
 突然に量子論を出してきました。今までの科学的な考え方では+か−かとの二分法が主流でした。今のコンピューターは二進法です。しかし量子の世界では+・−・+?・−?のように揺れているようです。量子論を研究している人たちもよくわからないようです。ただわからないけれど計算的にそうなるので、量子コンピューターは今までのコンピューターよりも速く計算できることになるようです。また電子を研究していると電子自体がエネルギーで回転しているようなので、観察している観察者と観察されている電子などに相互作用が起こすようです。このように電子レベルでも大宇宙と一緒の小宇宙があり、わからないことだらけだとのことです。世の中は普遍的で客観的で論理的に解決できることばかりではありません。カオス状態にある大宇宙や小宇宙は人間存在そのものを考え直すことも必要かと思います。

 R 理解するはアンダースタンド
 英語で理解するはunder standです。下側に立つとの意味です。3歳までの記憶とはけっこう忘れるように出来ているらしい。3歳までの記憶を忘れることで次のステップへと発展するからのようです。私たちはけっこう子ども時代のことを覚えていないものです。その子ども達と格闘する仕事としての保育士・放課後指導員・教員・保護者は理解する対象である子ども達からしっかりとアンダースタンド(=理解する)することが必要となります。これは文字通り子どもの視線のさらに下になるということです。アンダースタンドしてみることでポジティブ心理学でのエモーションを見つけることが出来ると思います。エモーション=感情・情熱・情念・エネルギーがなんであるかを見極めて、それをエマジンシとなるような方向性を子ども達と見つけることが出来るように私は思います。
 またunder standすることで、未だ萌えざるを観ることが可能となるように思います。今の子ども達の状況から次へのステップを模索し、ヴィゴツキーの言う最近接領域(=自分の力では出来ないけれど誰かの手助けがあれば出来るようになるとの領域=今日は出来ないけれど明日出来るようになる領域)を見つけることが可能となると思います。
 また量子論の考えと同じように働きかける主体と働きかけられる主体はそれぞれ相互関係で動いています。上から目線での働きかけは速やかに見破られることが多いものです。やはり子ども達の下側に立っての働きかけがとても大切だと思います。

 R 臨床の知
 産業革命以来、普遍性・論理性・客観性の三つの考え方を基本とする科学の知は絶対的に正しいかのような錯覚を近代から現代社会にもたらしている。科学の知と言えば間違いがないかのように思われる。しかしながら、現実の世の中の動き・人間の動き・生物の営み・宇宙の仕組みは科学の知ばかりでは適応できない状況になってきているように思います。科学の知に対して臨床の知との考え方があります。宇宙性と多義性と主観性及び相互関係性です。教育や医療の現場からも臨床の知を取り入れていくことが必要となってきていると思います。
 量子論のことを書いたのは+とか−とのことですら、常に揺れ動いていて、普遍的な状況ではないことを最初に考えてみることが必要だと思ったからです。水素もある状態では酸素と結合して水になったり、電気ショックで水素と酸素の電気分解したりします。それはある仮定の状況で存在するのであり、高密度・高圧力の状況では太陽のように核融合をして最終的に恒星が爆発してその過程で鉄が作られることがあるようです。大宇宙も小宇宙も普遍的・恒常的ではなくて無常で変容しつつあるプロセスであるでしょう。
 子ども達や自分自身や他人の成長を見ていても普遍的であるよりも常に流動的であり、変容しています。留まることのない変容の中でより創発性が発揮出来るような方向性を見つけることが大切であり、道徳的教育で普遍的真理を見つけてより良い生き方を見つけることなどは不可能ではないかと私は思います。普遍的ではなくて変容の中で物事は成長していくのだとの自覚が必要と思います。また一定条件で変容は普遍的と捉えるよりは法則性があると考えることが良いと思います。
 科学の知のもう一つの信念的なものに論理性があります。論理性があれば間違いないと思ってしまいます。

 これも同様に絶対的なものではないでしょう。そもそも絶対的なことはあり得ないのものです。現実の物事や事象や宇宙の変容はいろいろな事象や要因が組み合わさって生じています。一つの事象の結果をその原因に求める単純化した論理は実験化された特殊環境では成立したとしても、実際はそんなに甘くないものです。例えば農業において、大規模農地で同じ作物を大量に植えて、機械化して大量生産すれば効率的であると科学的には考えられます。こうして作られたプランテーション農業が水質汚染・森林破壊・農薬問題などで環境破壊を起こしている現状があります。いろいろな植物が同居し、いろいろな生物(菌類・多様な植物・昆虫・爬虫類・鳥類・哺乳類等々)が共存する方が健全であるように思います。
 世の中は生物体系も含めて多義的であり、一つの論理で解決できるようなものではないと思います。
 最後の客観性も深く考えてみれば眉唾であると思います。そもそも人間は物によって作られているけれど、物を創ることによって自己実現を図ろうとする主観的な生物だろうと思います。相手に主観的な気持ちから関わり合いを持とうとします。その相手も主観的に対応するのですから、客観的なことなどは難しいものです。仮想上の科学実験のように働きかける主体だけがあり、働きかけられる方は主観を失くして客観的な存在であることなどありえないでしょう。
 今までの科学の知(普遍性・論理性・客観性)とは別に臨床の知(宇宙性・多義性・主観的相互交流性)も上手く活用していくことが必要だと私は思います。

 T テクカルスキル
 人々が何らかの形で自己実現を図るためにはたんに思考が独立しているだけではなくて、活動する場合の技術=テクニカルスキルが必要となります。体験をするということはたんに受動的に経験することだけではなくて、心身の身の方にもしっかりと学ぶことが出来るようになることが必要です。こうしたテクニカルスキルを身心共に獲得した存在がミッションコマンドを作って課題解決をしていくことになります。そこには創発性=エマジンシが相互に発揮されることになります。
 相互のエマジンシを発揮できるようにするためには自分が出来るだけではなくて他人も出来るようになることや他人の能力を上手く活用できるスキルが必要となります。これがヒューマンスキルとなります。学校教育においてはもっとヒューマンスキルがアップする教職員同士の連携が必要となってきていると思います。その為には少人数学級の実現ではなくて、ティームティーチングの実現をすべきだと思います。
 幾つかのミッションコマンドがあり、それを全体として統一して新たなものを試行錯誤して産み出していく為にはコンセプチャルスキルが必要となります。自分には無いエマジンシを組み合わせ、それを大きく飛躍させて、新しいものを創っているのがコンセプチャルスキルかと思います。

 U ユニバーサルデザイン
 ユニバーサルデザインの七つの原則は以下のようである。
 公平な利用・柔軟性・簡単・認知できる情報・うっかりミスの許容・少ない身体的な努力・利用の空間確保です。
 小さな子どもから小学生・中学生・高校生・大学生・青年・成年・高齢者等々幅広い人たちが楽しんだり、遊んだり、利用できる、同時にその中身は深いものがあり、創発性を誘発される遊具や道具や物や活動がユニバーサル的なものではないかと私は考えています。
 いろいろな活動をする時にユニバーサルデザインの考え方を常に念頭においておくことが必要と思います。日本の折り紙もその一つだと思います。一枚の正方形の紙で小さな子どもも楽しむことが出来ます。同時に基本的な折り方をマスターしていくと大人でも簡単に出来ないものもあります。フランスのカプラもユニバーサルデザイン的です。6枚くらいでも、寝る・起きる・立つを利用してたくさんのパターンの簡単なものから難しいものが出来ます。また何千枚も使用してびっくりするものや喜ばれるものも創ることが出来ます。
 ユニバーサルデザインの考え方は人間の知能が多重であることとも関連して多様な活動が出来るように思います。
 ユニバースの意味の中には宇宙性とか統合性との考え方があります。科学の知の「普遍性・論理性・客観性」とは別に臨床の知の「宇宙性・多義性・主観性と相互交流性」があります。ユニバーサルデザインの考え方はこの臨床の知ととても関係が深いと思います。ユニバーサルデザイン化をしていくことは多くの異質の人たちにも理解が深まっていくことであるかと思います。

 W わかりやすい和語
 日本語はいろいろな言葉を使用している多様な限度であると言われています。私もそう思っています。立派そうな漢語・かっこ良さそうなカタカナ語・わかりやすい和語と言われることもあるようです。日本語は他国の言葉をそのまま受け入れたり、独自に和語の中に取り入れたり、違った漢字で表現したりといろいろです。ひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字・英語の使い分けをしています。とても多様な言語ですし、難しいけれど能を活性化するものだと思います。
 また文章を書いていく時に、打ち方はローマ字打ちであり、それがローマ字のままにもひらがなにもカタカナにも漢字にも変換されていきます。私は出来たら「midori」とローマ字で打ったら「みどり」「ミドリ」「緑」「碧」「翠」にもなるしついでに「green」にもなる変換機能があるのが良いなあと思っています。同時に「みどり」「ミドリ」「緑」「翠」「green」には微妙な違いのあること多様性・多義性があることを認識していくことがこれからの国際社会の相互理解の為にも必要ではないかと思う。
 わかりやすい和語と書いたのは、日本語は他国にはない表意文字と表音文字を含めて活用する面白さと可能性がとても高いと思ったからです。そして和語はそれらを含めてかなり多義的多様的な表現かなと感じます。「おかし」「かなし」「とる」などの和語も漢字や英語で表現するといろいろと出てきて面白いのが日本語であるかなと思います。こうした和語の多様性と多義性を活かしながら日本語を大切にしていくことが臨床の知やユニバーサルデザインの考え方や創発性を深めていくことになると私は感じています。

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