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学び方改革を(令和2年3月21日)

児童健全育成指導士 田中 純一

学校の一斉休業で家庭も放課後児童クラブも大変です。こういう時こそ学校教育ではない学び方改革をと私は思います。

・1 学ぶの語源はまねぶ

・2 時間の使い方

・3 好きなものを見つける

・4 得意の感覚を使う

・5 多重知能理論を考える

・6 口に出して繰り返し読んでみよう

・7 学びと遊びと働きの有機的関連を図る

・8 学び方改革と教え方改革

・9 遊び方の改革も

・10 ポリバレントな学び方とハイブリッドな活動

学び方改革1 学ぶの語源はまねぶ

学ぶは家の下に子どもがいる漢字で出来ています。和語である学ぶが学の概念と似ていたので使っただけで、本来的な和語である学ぶは真似ぶが語源だとことです。学ぶとは真似をすることが基本であるならば、自主的に学ぶとは実は自分自身が真似をする対象を見つけて学ぶことであると思います。真似をすることが基本的なこととした場合に、学ぶ対象から真摯に真似をすることから出発をすることが必要であると思います。ただしどの真似をするかはいろいろな手法があると思います。ピアノをやるにも辻伸行さんのように耳で聴いて学ぶ人もいるであろうし、ピアノの先生が弾くのを観て聴いて楽譜を見ながらやる人もいるでしょう。学ぶはまねぶからきていることを考えて、適切な学ぶ対象をしっかりと見つけることが必要と思います。

同時に学び方改革は教え方改革であるともいえる。学ぶ相手が違えば教え方も違ってくることになる。小学校低学年の子どもに折り紙を教えるときに私はアクション折り紙と言って折り紙を折りながら、走ったり、飛んだり跳ねたりしながら教えている。同じことはシルバー人材での研修会では出来ないので、出来上がった作品を明示して、楽しみながら作るようにしている。教え方改革も必要である。

学び方改革2 時間の使い方

学校のように時間が45分とかの制限がないので、上手い具合いに時間を自分でコントロールすることが必要だと私は思います。まずは苦手で面白くない科目は15分ごとに姿勢を変えて学ぶのが良いと思います。机で15分、背伸びをして座椅子で15分・寝転がって15分といった感じです。苦手科目は15分が私には我慢の出来る範囲と感じています。嫌なことは短く区切ってやるのが良いと思います。反対に好きなものを90分くらいでも集中できるものです。パソコンで文章を書いたりしているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。そうならないように45分くらいで息抜きをして、姿勢もよくし、換気をすることも大切かなと思います。

学生さんたちが楽しくのっているときは45分連続で授業をやる時もあります。どうしても教科書を読まなければならないときは15分くらいで少し目先を変えてやることが必要となります。保育園児でもカプラ活動を90分集中してやることもあります。

学び方改革3 好きなものを見つける

時間がある今は、ある意味では好きなことをやれるとも捉えることが出来ます。まず自分は何が好きなのかを見つめることが必要と私は思います。困るのは何をしたら良いかがわからないことです。一人で遊べるものがあることを見つけることが大切と思います。絵の好きな人・写し絵が良い人・料理・詰将棋・コンピューターオセロ・暗記・詩の朗読・映画・自然観察・ピアノ弾きなどなどいろいろなことがたくさんあります。自分が何を好きなのかを見つけてそれを伸ばしていくチャンスであると思います。

国語・算数・理科・社会・音楽・体育・図画工作・道徳・英語と教科があります。それが、学び方教えられ方次第で、酷語・惨数・無理科・捨会・音が苦・体い苦・図画工さ苦・不道徳・厭語になってしまうこともあります。各教科の学び方改革を通して本来のものになってほしいと私は思います。

私の考えからだと国語は詩の朗読などで言葉遊びが好きになる・算数は復習を通して現実の社会と結びつきのある数の学習をする・理科はやはり実験などをやってみる・体育は身体を動かすことが楽しいことを実感する・音楽は本来的に音を楽しむ・図画工作は出来ることを身体を動かしながらやってみる・道徳はスポーツをやりながら意味ある学びをする・英語はフレーズとしての学びをするのが良いなどと思います。これ以外にいろいろなことがあるので好きな教科になるような手法を見つけていきたいものです。

学び方改革4 得意の感覚を使う

人間の感覚は五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)ではなくて、大きく特殊感覚(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・平衡感覚)と内臓感覚(内臓がある感覚・内臓痛覚)と体性感覚があるという。体性感覚は一般敵に触覚と思われているが、その中身は痛覚・圧覚・冷覚・温覚・筋肉感覚・運動感覚であるという。今の教育は視覚・聴覚を中心に展開されていることが多い。しかしピアノを弾いたり、体操をしたり、パソコンを打ったりしていると、五感だけでは上手く説明が出来ないことが多い。そこで体性感覚を考慮してみると自分の得意な感覚がわかるのではないかと思うのである。眼が見えなくても学習できるし、耳が聴こえなくても学ぶことが出来る。味がないのは味気ないが生きてはいける。臭いや匂いが良くわからないと寂しいけれどやっぱり生きてはいける。学ぶことも出来る。学びは五感に依拠しているわけではない。視覚が優れている人は視覚的な学び、聴覚がいいなら(絶対音感があるとか)それを伸ばせばよい。体性感覚は特殊感覚・内臓感覚の全体を統制する役目もあるという。学びの中に筋肉感覚・運動感覚・冷覚・圧覚・痛覚・温覚などの体性感覚の中で、自分の得意なのは何かを上手く活かして学んでいくことが大切だと思う。詩を覚えるのも耳で聴いて歌のように感じる人もいる。自分自身が声に出してみてその運動感覚でわかる人もいる。とにかく書写してみるとわかる人もいる。仲間と踊りながら覚える人もいる。学び方は様々で、自分がどの学び方が良いかを見つけることが大切であると私は思います。

学び方改革5 多重知能理論を考える

体性感覚の考えと関連していると私は思っているのですが、人間の知能は多重であるとのガードナーの理論があります。人間は論理数学的知能・言語的知能・身体運動的知能・空間的知能・個人内知能・対人的知能・博物的知能の八つの知能が独立して相互有機的関連性を持ちながら存在しているという。自分がどの知能に強くてどれが弱いかを自覚しておくことが良いと私は思っている。私自身では論理数学的知能・対人的知能・博物的知能が好きである。苦手なのは空間的知能・音楽的知能・個人内知能だと思っています。言語的知能と身体運動的知能は中間くらいかなと思います。自分自身の知能の特性を認知しておいて、学び方を上手くやるのが良いと思っています。ピアノの演奏は普通の人の何百倍努力しても難しいと思う。英語学習も苦労している。

自分の苦手な知能があることを自覚しておいて、別の知能を上手く活用して切り開いていくのも良いかなあ。

学び方改革6 口に出して繰り返し読んでみよう

学び方はいろいろであったとしても言語をきちんとマスターしておくことが必要である。国語が全くダメなら算数の問題を読むことが出来なくなる。言語の習得は大切である。言語の習得のためには繰り返し言葉にして読むことが大切であると思う。いわゆる素読である。よくわからなくても一生懸命素読するという考えもある。私は楽しくてリズミカルで意味の深い詩などをしっかりと繰り返し読むのが良いと思う。阪田寛夫さんの「年めぐり」や谷川修太朗さんの「ののはな」工藤直子さんの「ふきのとう」などを私は好きです。好きなものをしっかりと口に出して暗記することは言語的知能・身体運動機能・音楽的知能・博物的知能を高めると思います。谷川修太朗さんの「かっぱ」などは口の中の運動感覚・筋肉感覚などへも良い影響があると思います。

改革7 学びと遊びと働きの有機的関連を図る

私は全ての活動の中に学びと遊びと働きが包括されていると考えている。学びだけが独立して存在していないし、働きも遊びも独立して個々に存在しているわけではない。学び方改革を考えるときに遊びと働きを包含されて中で上手く展開していくことが必要と思う。

例えば料理をする時で考えてみよう。包丁の使い方などはしっかりと真似をして学ぶことが必要である。上手くなるためには体性感覚を使って、何度も何度も繰り返してやることが必要である。上手く包丁が使えるようになったら、ニンジンをイチョウ切りにするとか、星の形にするとかの遊びの要素が取り入れられる。すべての活動は遊びの要素がないと楽しくない。次に自分がマスターしたら、弟とか妹とかに教えることになる。これが働き(人のために動く)ことである。人に教えることは自分の学びをもっと深めることになる。

事前の準備としての働き・次に基本的な学び・そして遊び・最後に後片付けなどの働きがあり、循環して活動は展開されると考えることが必要であると私は思っている。

学び方改革8 学び方改革と教え方改革

学び方改革は教え方改革でもあると私は思います。学び方がいろいろあるならばそれに合わせての教え方の工夫もあるべきです。日本の大学等の知識人は自分だけが偉いと思っているようなふしがあり、啓蒙してあげる意識が強すぎるように思います。私は啓蒙的な教え方ではなくて、学ぶ人たちとの格闘に似た切磋琢磨で教える人自身が向上していく教え方を創造していく必要性があると思います。大学の素晴らしいゼミはゼミ全体として新しい創造的なものを生んでいくと思います。そうしたゼミの教授こそが本来の先生ではないかと思います。大学に限らず、高校・中学・小学・幼保育園でも同様なことだと思います。

学び方の多様性に合わせて教え方も多様であるべきですが、一人の人間の能力はそれこそ多重知能理論でも明らかなように限界があります。私は少人数学級ではなくて多人数学級に複数の先生を配当していくことが大切と思います。一人の先生がすべてをやるような学級王国的な発想はもうそろそろ終わりにしたいものです。多数の人たちの多数の能力で多数の学び方に対応することが良いと私は思います。

同時に教える側が多数であることは、必ずしも教師が多数でなくても良いと思います。多数の子どもがいれば、ある部門においてさっさとわかる子どももいるし、ゆっくりな子どももいます。早くマスターした子どもが遅い子どもの手助けをするシステムを作ることが面白いと思います。早くマスターした子どもが遅い子どもに教えるときの教え方にこちらが学ぶことが多々あるのです。

5+8=13になるとき方でもたくさんのやり方があります。それをみんなで見つけていくことが必要と思います。

学び方改革9 遊び方の改革も

私は活動の中に学び・遊び・働きが包含されていると考えている。学び方を改革するならば遊び方も改革していくことになる。遊びの発達段階として援助遊び・一人遊び・並行遊び・連合遊び・ルールある遊び(スポーツなど)があるが、必ずしも援助遊びや一人遊びが連合遊びなどの下位の遊び方であるわけではない。それぞれが固有の意味と価値を持っていると私は考えている。

集団で学ぶようなパターンがなかなか出来ないような状況下では、一人で本やパソコンや道具を使って一人で静かに遊ぶことが必要となる。それは一人静かあそびをすることでもある。仲間と遊べなくても一人で静かに遊ぶことが出来ればたいしたものである。みんなとも遊べない・一人でも遊べないで問題行動を起こすのが困るのである。ミニチャレンジカプラ・詰将棋・お絵描き・写し絵・素読・プラモデル制作・魔法陣・貼り絵などなど一人で静かに遊ぶ遊びはたくさんあります。一人遊びは同時に一人学びでもあります。それを蓄積して誰かに伝えていったらそれは働きにもなると思います。学び・遊び・働きは有機的関連をもちながらスパイラル的(螺旋的)に発展していくと私は感じています。

放課後児童クラブ等の指導に行って感じることは、トラブルを起こすいわゆる問題行動児童は一人静遊びが出来ない点にあると私は感じています。「みんなと仲良く遊ぶ」指導をするよりは一人静か遊びを獲得することで本人の自尊心(自己同一性=アイデンティティ)を高めることが大切と感じています。他人に暴力をやった場合に腕を掴んで事務室に問題行動児童を連れていきます。子どもは叱られると思っているのに、「ところであなたは何をするのが好き」と聴き、その子どもの好きな紙飛行機をプレゼントします。「紙飛行機の作り方を教えようか?」と提案して、子ども達に喜ばれることが多い。「ついでに二人で10機作ってみんなにあげようか?」との提案に乗ってくるようなら大丈夫な子どもです。飛行機遊びという一人静かあそびから紙飛行機を作るという学びになり、最後はみんなのために紙飛行機を作ってあげるとの働きになることが大切と私は思っています。みんなのために紙飛行機をたくさん作ることはその子どもの折り紙の習熟という学びにもなるのです。

学び方改革10 ポリバレントな学び方とハイブリッドな活動

学び・遊び・働きにおいて(活動において)複数の選択肢を用意しておくことが大切であると私は思っている。学び方でも一斉講義のように多数で学ぶ手法もある。ゼミのように10人くらいのこともある。一対一の場合もあるし、一人で学ぶ場合もある。テレビ視聴・ラジオ視聴・教科書学習・実験や工作などの学び方もある。多様な学び方を身に着けておくことが必要だと思う。

働き方も一緒で一つの仕事しか出来ないよりは万が一に備える意味でも夫婦で複数の収入先を確保しておくことも必要であろう。また職場の仕事でもデスクワーク・営業・生産ライン・研究職・教育福祉関係などと限定されないで、教師であるが、庭木の手入れも出来て、草取りも出来て、子どもの相手も出来るというようにハイブリッドであることが大切と私は考えています。遊び方もスポーツジムで身体を動かすことだけではなくて、太極拳や俳句創作・庭木いじり・山菜取り・語学や映画鑑賞などなどハイブリッドであることが状況環境が著しく変容する中で必要なことだと思います。ちょうど経済で、安いからと言って仕入れ先が限定されてしまっていると、回転しなくなってしまうことがあるのと同じです。

意図的に計画的に活動をポリバレント・ハイブリッドにしておくことが必要と思います。能率的経済的な側面だけで考えるのではなくて、非効率非経済的に一見見えても長い意味でためになることがたくさんあると思います。長い目でためになることをハイブリッドに最初から意図的に組み込んでおけば、今回のように状況環境が一変してしまったときに対処が出来るように思います。

平島公園で自家発電を使って電気を起こし、プロパンガスでご飯を炊き、テントを立てて日よけをし、5年保存水をうまく回転させて祭り等を実施しているのは、いざというときの活動継続のためでもあります。日常活動の中に多数の選択肢を用意しておくことが大切と思います。

 

 

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