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        ◇世に従はん者は先ず機嫌を知るべし           詳細トップ






 

 と 徒然草 世に従はん人は先ず機嫌を知るべし(無常迅速ということ)

 春夏秋冬 生老病死 そして朝昼晩夜
 徒然草に学ぶことが多かった。徒然草は世の中は常に流転していて、何が起こるかわからない。無常であるとの認識が大切との考え方であると私は感じた。無常とはネガティブなことと捉えるのではなくて、無常であるとの自覚の上でしっかりと生きることが大切だとの考え方だと思います。

 春夏秋冬
 徒然草で「春暮れて後に夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気もよほし、夏よりすでに秋は通ひ、秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず。下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。」とあります。秋に木の葉が落ちるのはすでに春の芽が下から準備されていると観察しています。
 今見えるものに動かされるのではなくて、一手先二手先を感じていきたいと私も思いました。冬の小雪では「今年の夏は水不足にはなりはしないか?」と考えるものです。またいろいろな活動をする時に、今をどうするかに追われるだけではなくて、次がどうなるか?次の次は何をするかを考えたいものです。
 「智者は未だ萌さざるに見る」と言いますが、日ごろから兆しを感じるセンスを身につけたいものです。

 生老病死
 同じく「世に従はん人は、まづ機嫌をしるべし。ついで悪しきことは、人の耳にも逆ひ、心にも違ひて、そのことならず。さやうの折節を心得べきなり。ただし、病をうけ、子産み、死ぬることのみ、機嫌をはからず、ついで悪しとて止むことなし。正・住・異・滅の移り変はる、まことの大事は、猛き河のみなぎり流るるがごとし。
 しばしも滞らず、ただちに行ひゆくものなり。されば、真俗につけて、かならず果たし遂げんと思はんことは、機嫌を言ふべからず。とかくのもよひなく、足を踏みとどむまじきなり。」とあります。春夏秋冬は次々とめぐってきますが、生まれることや死ぬこと病は突然にやってきます。老を衰えると考えれば病気や怪我などによって突然に来ることもあります。人間は生きているのですが、やはり突然の生老病死の無常世界にあります。何かを為すためには明日に始めるのではなくて、今日すぐにやれること、やらなければならないことをしっかりと見極めて無常迅速にやることが大切と思います。

 朝昼晩夜
 私は子ども達と活動していて子ども達の一日は大人の三倍はあるかなと感じています。小学校6年間ってとても長く思い出されます。そこで一日を朝・昼・晩の三つに区切るのが良いと思います。朝飯を食べて一仕事(仕事の中に遊ぶ・学ぶ・働くことが含まれます)昼班食べてもう一がんばり・夕飯食べて一仕事一休みとの感じです。一日の中にやるべきことを三つ用意します。それぞれに有意義な生活をして、夜にゆっくりと寝て体験を無意識世界に蓄積するとの考え方です。
 このやり方は子どもだけでなくて、大人にも一日を充実させて過ごすために有効ではないかと思います。定年退職してなんとなく一日をのんびり過ごすのではなくて、朝昼晩夜を充実して過ごしたいものです。 

 世に従わん人は先ず機嫌をしるべしとの考え方を実践していきたいものです。

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