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■割り箸の法則とハインリッヒの法則とセレンデピティー詳細トップ 






   

セレンディピティーとハインリッヒの法則の関連性と割り箸の法則について


#セレンディピティーを児童健全育成に活用   #ハインリッヒの法則

 セレンディピティーというのは科学者の中で言われている偶然の発見ということだそうです。詳しくは以下を読んでください。
 ハインリッヒの法則は産業界の確率論で大きな一つの事故の下に29に小さな事故。300の障害を伴わない事故があるというものです。それを児童健全育成と結びつけて考えたかったのですが、うまく伝わらなかったようなので冒頭にその点について書き加えてみました。以下の文章はそのままです。


 セレンディピティーもハインリッヒの法則もその下には何千何万何百万の要素があるということになります。遊びの現場でもいろいろなことが同時並行で起きています。それを旺盛な好奇心や深い認知力と洞察力などを持ってみていると・・しかも決め付けないで素直に見ていると・・見えてくるものがあります。見えてきたものが不安全行動・不安定状態であるならば、ハインリッヒの法則から重篤な事故にならないように処置をこうじる必要があります。逆に子どもの新しい遊びにつながるものであるならばそれはうまくやるとセレンディピティー的な発見につながるかもしれないということです。同時にハインリッヒ的の法則を使って安全管理につとめることは、子どもの安全な遊びの発見につながるかも知れないという意味でセレンディピティー的要素もあり、ハインリッヒとセレンディピティーは同じことを右と左からみたようなものと私には感じられます。意欲的な発見のためにも安全管理のためにも小さな発見の積み重ね、そして好奇心や深い認知力と洞察力を持っていくことが必要と感じています。


 私も子どもや親を素直に見ていると発見したことがあります。それは割り箸の法則です。


 100人の子どもが弁当を持ってくると箸を忘れてくる子どもが1人はいるという確率です。自然科学館などに子どもを弁当持ちで80人ほど連れて行くと3回に2回くらい箸のない子どもがいるのです。児童センターではいつも割り箸は置いてあるから良いのですが、自然科学館では困ることがあります。そこで私の割り箸を半分に折ってやたっりします。そうすると弁当の食べにくいこと。つい『箸を忘れる親なんて何を考えている』などと思ったりします。割り箸の法則で100人に1人は箸を忘れていくと知っていると館外活動の時には割り箸を事前に用意しておきます。子どもがパニクって『箸がない』などと慌てても落ち着いて『君の箸は私がマジックで消したおいた。森ちゃんのバックの中から出て来い』などとやると子どもも喜ぶものです。セレンディピティー的になるのです。ハインリッヒの法則より確率が高いのでよくつかうことができます。夏休みにオニム大会をやったら、弁当持ちの小学生が250人ほど集まりました。予測どおり3人の子どもの箸がありませんでした。


 割り箸はそれ以外にもいろいろ使えます。出かけるときは用意しておくにこしたことはありません。


 法則の一つに荒ざましのできない法則が30人に1人くらいあります。弁当を慌てて作るので熱いままにご飯をつめてふたをしてしまうお母さんが30人に1人くらいいます。それで弁当が真空状態になり開けられないのです。スプーンの柄のところでひねって開けてやると子どもは尊敬してくれます。みなさんも子どもから法則を見つけて情報交換しませんか。

セレンディピティーについて (以下は引用です・ともやん)

「ノーベル賞への道
白川英樹さん 高山から世界へ」
セレンディピティー
目的外の偶然見逃さず



 「セレンディピティー」という言葉を、初めて知った。白川さんが今春まで在籍した筑波大物質工学系の同僚で、同じ高山市出身の住斉教授(57)に教えていただいた。「目的以外のことで偶然得られた大発見」「思わぬものを偶然発見する能力」といった意味で近年、研究員の間でよく使われるようになった言葉という。
 住教授が、白川さん自身がこの「セレンディピティー」について解説している小文のコピーを送ってくれた。1996(平成8)年4月、筑波大第三学群長だった白川さんが、新入生に向けて書いた小文だった。
 それは、「セイロン(スリランカ)の3人の王子」というおとぎ話にちなんで主人公たちのもつ能力から作った言葉とされる。おとぎ話の王子たちは、探し求めていたのではないが偶然と賢明さに助けられて発見を重ねていく。太陽系の運動について考えを巡らせていたニュートンは、リンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を思い付いた。リンゴは単なるきっかけに過ぎないが、ニュートンにとってはセレンディピティー的な着想だった−。
 白川さんはこんな前置きをした上で、こう記す。
 「偶然とは文字通り、予期できないような時と仕方で予知できない物事が起こることです。いつ起こるかわかりませんし、いつでもありそうです。しかし、その偶然を認識し、思索を深めて発明や発見につなげるためには、その偶然に出会った人が旺(おう)盛な好奇心や深い認知力と洞察力などに富んでいることが不可欠です」
 住教授は「白川さんは一言も触れてはいないが、ここに御自身のことを書いている」と直感したそうだ。
 白川さんに、セレンディピティーについて聞いた。
 1967(昭和42)年の「9月ごろ」と、白川さんは振り返る。ポリアセチレンを合成する実験に挑んだ外国人研究生が「失敗しました」と報告に来た。見ると、溶液表面にぼろぞうきんのような膜が張っていた。よく調べると膜状になったポリアセチレンそのもので、金属光沢もあった。
 原因は研究生がメモを間違え1000倍濃い触媒で反応させたためらしいが、白川さんはそのぼろぞうきんを見て、「しめた。電気が通るかもしれない」と思った。
 「僕があの当時やってたのは、触媒を使ってポリアセチレンができる反応のメカニズムを調べる研究だった。たまたまその途中、ある間違いでフィルムができた。普通だったら間違いとして捨ててしまうのだけれど、僕はそのフィルムに興味を持った。そこでいろんなフィルムを作って物性を測定して、もともとの目的は達成されたけれど、それに付随して、電気が通るかもしれないという研究も始まって、それが花開いた。つまり、目的とすることではないことで大発明、大発見をする、そのことをセレンディピティーと言うんです」「偶然に出会った人が旺盛な好奇心や深い認知力と洞察力などに富んでいる」場合のセレンディピティーの実例が、そこにあった。
 ちなみに、有機導電体を研究していたマクダイアミッド教授が白川さんと出会った幸運は目的上の偶然で、これにはあてはまらない。
(編集委員 永井豪)

 上記の文章はインターネットで検索したらセレンディピティーについて書いてあったものをコピーしたものである。セレンディピティーについてはNHKのアルツハイマー病の治療方法の研究について地道な科学者の努力の積み重ねの報道で聞いたものである。アルツハイマー病の研究の中で意図したわけではなく偶然アルツハイマー病の遺伝子を持ったマウスが誕生し、そのマウスを使ってアルツハイマー病の研究が飛躍的に伸びてきたという話であった。科学者の研究は目的外の偶然によってもたらされることがある。しかしそれはやはり常日頃の旺盛な好奇心と深い認知力と洞察力が必要であるとのことだった。 


セレンディピティーを児童健全育成に活用

 児童館や児童クラブ及び保育・教育の現場はあまりにも硬直化しているのではなかろうか。たとえば学校週休二日制などがそうである。実施してみてこの半年明らかにマイナス面が多すぎる・・教員の多忙化・子どものウィークディーの忙しさ・不登校の増加など・・にもかかわらず4週6休に戻る主張が表面に出てこない。

 また児童館活動においても異年齢交流等が叫ばれて久しいのになかなか画期的な試み・・どこの児童館でもやれる試み・・が出てこない。いろいろな原因があると思うが、一つには演繹法的な発想しか取れないところに限界があるのではないかと私は思う。自分のホームページなので自由に書かせてもらうが、私は児童健全育成推進財団の児童健全育成指導士の資格を取得したが、平成元年から取り組み、10年がかかった。年数がかかったことが問題なのではないが、この10年間の過程で子どもの状況が変化し、「児童館におけるケースワークとグループワークの併用について」との論文に最終的にはなったけれど苦労したのは演繹的に文章を書くことであった。

 ツーパワー・スリーパワーの手法なども子どもたちの状況がこれこれであり、そこでツーパワー・スリーパワーの手法を用いたら仲良くなれることが期待された。そこで実験的に試みたところこのような効果があった。というように書かなくてはいけないのである。


 ツーパワー・スリーパワーの手法は実は障害をもつ子どもとフットベースをしていて、その子がうまく蹴れないので代わりに私が蹴って一緒に走った。これなら障害児にもできる。ついでに新1年生が入ったとき上級生を補助につけてみた。するとうまくやれる。それではドッジボールでもやってみるかとやってみた。30人対20人でドッジボールをやるときに3人組み10グループと対2人組み10グループで試合をやれば人数の差が試合の勝ち負けに影響が少なくなる。その過程でわかったことはドッジボールが嫌いな子どもは実はドッジボールが嫌いではないということだった。ドッジボールが下手なために、やってもすぐにあたって外野にでてしまい、あとは楽しくないので嫌いになったということだった。スリーパワーにして3人グループにし、1人があたってもあたられても一緒に内野外野を出入りすれば、ドッジボールを『嫌い』な子どもも楽しくやるようになるということだ。この発見は意図したものでなく、下手な子どものサポート方法の拡大から偶然見つけたものである。文系の論文上では偶然的な書き方は好ましく思われない。いろいろな文献を漁り、その本をうまくちりばめないとなかなかクリアーされないのである。しかし現実の子どもは時代とともに日々変容しているから、必ずしも、えらい学者の文献がうまく使えるとは限らないのである。


 セレンディピティー的な発想を児童健全育成の場面でももっと積極的に取り入れることが必要ではないかと私は考える。自分なりに子どもとの対応や遊びの手法を考え、実験し(もちろん危険がなく、人権を損ねない範囲で)その実験の中での偶然の発見を何回かの他の子ども達への活用を通し、効果を確かめる。効果があるようならそれを発表するというような手法です。そのためにはもちろん失敗がたくさんあると思います。できたらその失敗もきちんと報告できるようなものが良いと思うのです。多くの報告をみていると「大成功」の大本営発表のようなものが多く、のちに繰り返してみるとマイナス的な面が強くて苦労することもあります。・・・たとえば中高校生の受け入れの問題ですと、性的な問題が必ず生じます。それはあまりでてきません。しかし異性間の問題をどうするかが一番大変だと思います。そこで中高校生は登録制をとり、親の許可を取ることが必要となるように思います。でも論文にはなかなか書いてないことが多いようです。


 セレンディピティーのことを考えているとちょっとした発見があることがあります。最近『遊べない子ども』が増加していますが、じっくり見てみるとその子どもの遊べない理由はうまく遊びたいと欲求が強すぎてみんなと遊べないということがよくあります。不登校の子どもを見ていたときのことです。中学生の彼はいつも『自分はサッカーもできるし、卓球も得意』というのです。『じゃあやろうか』というと『今日はちょっと不調だから今度』と逃げるのです。そのうちに『自分はパソコンもできるし、ピアノもできる』などと始まり、友達にはうそつきといわれ始めて不登校となっていったようです。しかし実は彼は本当はサッカーも卓球もやりたいのです。やりたいのだけれど他の人よりうまくやりたいというニーズが強すぎるのです。ではなぜそのようなニーズが強すぎるのかを考えてみました。やはり競争原理が働きすぎているように思いました。学校でも児童館でも検定表を作ってなわとび1級から9級まで9級の次は段があるとか。こうした検定表がネックにあるように思いました。


 『遊べない子ども』は実は遊びニーズが強すぎる。その裏には検定表等の問題があり、検定表を使って指導者の指導力を争うことが一つの原因と発見したように思いました。検定表をなくすると思わぬ効果が出てきました。それは一輪車を始めて乗れるようになった感動がみんなが共有できることです。検定表があると、『やっと乗れたの。俺なんか後ろ乗りができて8級だぞ。乗れたぐらいでダサい。』などの言葉が出てくることが多いものです。ないと乗れた感動がうまくみんなに伝わります。


 不登校の子どもの対応に始まり、遊びニーズの強すぎる問題・検定表のことなど多くの発見があったように思います。


ハインリッヒの法則

 産業災害研究の世界には、"ハインリッヒの法則"なるものがあり、これは「同じ人間の起こした同じ種類の330件の災害のうち、300件は無傷で、29件は軽い障害を伴い、1件は重い障害を伴っている」というものだそうです。さらに、「障害を伴うにせよ伴わないにせよ、すべての災害の下には、おそらく数千に達すると思われるだけの不安全行動と不安全状態が存在する。」

 ハインリッヒの法則で300の無傷の事故と29の軽い障害を伴う事故のときに事故の潜在危険を認知できないと1件の重い障害を伴い事故を起こしてしまうともいえます。子どもの現場も産業界の現場も似たところがあると思います。人間がいて物があり、その中でいろいろな関係性を結ぶという意味で一緒なら、当然ハインリッヒの法則は子どもの遊びの現場にも適用されると考えられます。産業界と違い子どもの遊びの現場は日々変容していますから、ある意味では産業界以上に事故の確率は高くなるとも思われます。


 ハインリッヒの法則を子どもの遊びの現場に適用すると、子どもが遊ぶ以上事故の確率があるということになります。そこで重篤な事故に備えて賠償責任保険・傷害保険に加入しておく必要性が第1にあると思います。事故が起きると思って保険に入っておく慎重さが事故を少なくすると思われます。


 第2に万が一事故が起きたときに備えて、医療機関への通報体制や事故に応じた各種の対処の仕方をイメージトレーニングするとともに文書にしてわかりやすいところにおいておくことです。事故が起きることを前提とした対応が小さな事故を小さな事故に終わらせ、大きな事故にならないようにさせると考えられます。


  第3にハインリッヒのいう300の無傷の事故の間にその潜在危険をきちんと見つけ出し、潜在危険を排除し、29の軽い障害の事故や1の重篤な事故にならないようにすることだと思います。そのためには数千に達すると思われる不安全行動と不安全状態を察知する能力も必要です。


 ハインリッヒの法則とセレンディピティーがプラスとマイナスの表現の違いで共通項があると思われるのは、実はこの点にあります。数千の不安全行動や不安定状態を感じるためにはどうしても、常日頃の旺盛な好奇心と深い認知力と洞察力が必要とされる。私たちが子どもの遊びを考えるときは子どもが元気で楽しくのびのびと遊んでいれば下手なサポートはいらない。逆に不安全行動・不安定行動の状況にあるとき、それをどのように健全な方向に向けさせようかと考えるときが多い。そしていろいろなチャレンジや実験をする。そこで思わぬところから予期せぬ偶然の発見が出てくる。これはまさにセレンディピティーそのものではないか。このように考えると常に旺盛な好奇心と深い認知力と洞察力を身につけ、子どもの遊び場環境作りと心身両面からの安全管理にがんばっていると子どもを健全育成の方向が見つけられるのではないかと思うのである。


 ハインリッヒの法則とセレンディピティーが共通項があり、子どもの不安全行動・不安定状態の改善策から子どもの健全育成の方向を見つけようというのは私の仮説である。その仮説を立証するのに子ども遊び場環境作りとしての草取り・ごみ捨て・木の剪定・トイレ清掃・後片付け・遊び場点検・遊具の点検・新たな安全な遊びの開発などを多くの人たちと協力して実践していきたいと思う。その中でまた新たなる発見を目指したい。 


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