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折り紙を折ることと折り方を教えることの違い(2010.8.29) 詳細トップ
■折り紙の教え方を教えること(2011.3.27)
□折り紙五七五七七(平成28年11月3日追加)

折り紙





 

 折り紙は 動く簡単 面白く 裏目紙目と 折り目正しく

 折り紙を作る時の私のポイントを五七五七七にしてみました。
 動くものを子どもは好きです。折り紙を動くものにして子どもたちが楽しめる折り紙を私は作っています。moveですね。
 簡単でないと子どもが作らないだけでなく、お母さんがチャレンジしません。折り鶴よりもずっと簡単なものを私は作っています。easyであることが必要です。...
 面白くないと子どもは喜んでくれません。予想外の出来事になるのが楽しいですね。Fantasticであることが必要です。
 色が変わるのが子どもは好きです。両面折り紙の裏表を出すことを私は心がけています。front and backをうまく出すことが面白さを誘います。
 紙目とは紙の繊維の方向性です。洋紙は紙の繊維の方向が決まっています。繊維の方向と同じ方向に折ると逆方向の3分の2くらいの力で折ることが出来ます。紙飛行機は紙目を考えて折らないとうまく飛びません。紙目とはThe way of the paper fiber のことです。
 最後に折り紙は折り目正しく折るときれいに折ることが出来ます。それが折り目正しい生活にもつながると私は考えています。

 折り紙活動は子どもの健全育成の活動になります。準備や後片付けは働き、折り方を学び、自由に遊ぶという一連の活動と考えてやっています。
 2歳児でも遊べる折り紙をたくさん作って、折り紙文化を伝承したいと頑張ります。
                           (平成28年11月3日追加)

 今年の夏休みは自分なりに成果があった夏休みと感じている。北尾まどかさんと藤田麻衣子さんのどうぶつしょうぎの研修会も有意義であった。その中で北尾さんたちが「子どもに将棋の勝ち方を教えるのではなくて、駒の動かし方などの基本を教えることが大切。駒の間違った動かし方をしたら注意するが、負けるかも知れないうち方をしても、その負けから子どもが理解していくことが必要である」との趣旨の話をしていた。

 夏休み中には私は毎年折り紙を教えることにしていた。夏休みは長い。学習タイム・おやつタイム・DSなどの遊びタイム・映写会などをやったり、概ね一週間くらいのパターンでプール遊び・工作週間・ダンス練習・料理教室・ソーメン流しなどなどをしていても自由時間が多すぎてしまう。そこで日本文化である折り紙を毎年やっていた。

 この折り紙をやる時に、学生さんや職員もサポートしてくれるのですが、今まで正直にいって邪魔になることが多かった。そこで今年は一切、手助けをしないでくれと申しいれた。学生や職員がサポートに入ると子ども達が依存的になってしまうのが問題だった。それに、子どもが学生や職員と話を始めて集中をしなくなるので、結果的に指示が徹底しなくなるのである。

 120人の子どもにあやこの正方形箱を教えたのですが、助けが無い方が楽でした。これは何かなと考えてみました。私は折り紙を教えるときに折り紙の折り方を教えているのですが、普通のサポートする人は箱そのものを教えようとしているように思います。結果的に子ども達は箱を作ろうとして折り紙の折り方をおろそかにしてしまいます。私は山折り・谷折り・△折り・□折り・中割り折りなどの基本の折り方を1ミリも狂わないように教えています。そのためには折れ線をきちんと付けるように一回折ってはまた開き、またしっかり折らせるようにしています。折り鶴の基本折りを教えるならば、まず、反対にして△折りをします。また開いて反対の斜めに三角折りにします。そして、裏返しにして□折りにします。(長方形に折ること)そしてまた開いて□折りにします。これを1ミリも狂わないように折らせると上から見ると、縦方向に山折り・斜め方向に谷折りとなります。こうやってしまえばきちんとした鶴の基本折りになるのです

 

   

   

 こうした基本的な折り方を子どもに教えないと、小学生や保育園児は手の力がないので、きちんと折ることができないのです。ところがサポーターに入る大人はこのような折り方は面倒なので三角に折り、また三角に折ってそれをつぶして鶴の基本折りにしてしまいます。これで子どもは鶴を折ることができなくなってしまうのです。そしてあたかも子どもが作ったかのようにサポートするのは困ったサポートなのです。問題なのは子どもでもしっかり折れるようにするにはどうしたら良いかを考えることなのです。

 上記の鶴の基本折りを正反対にすると風船の基本折りとなります。裏返しにして□折り・開いてまた□折り・表を出して△折り・開いてまた△折りをすれば上から見ると斜め方向に山折り・縦方向に谷折りとなります。

     

こうした基本的な折り方を子ども達に1ミリも狂わないように教えることができれば、子ども達は自分自身の力で鶴や風船を折ることが出来るようになるのです。つまり折り紙を指導するとは鶴や風船を折らせることではなくて、必要な折り方の基本を教えることとなるのです。

このやり方にはもう一つのメリットがあります。児童館や児童クラブの活動は学校のように時間が自由に使えないことにあります。折り紙を教えている最中に親が通院等でお迎えにきてしまうことはよくあることです。子ども達は折り紙が完成しないからまだ帰らないと言い、親は予約時間に遅れるからと困ってしまいます。折り紙を教えるのではなくて、折り紙の折り方を教えるとの観点に立ってみると、「今日は△折りと□折りがしっかりできた。明日、また次をやろう」と言えば、納得するものなのです。

折り紙を教えることと折り紙の折り方を教えることには大きな違いがあるのです。

 これはちょうど山登りを教えるためには、リュックの詰め方。テントの立て方・歩き方・靴の紐の結び方・危険な場合は諦めることを教えるのですが、「頂上へ行こう・頂上へ行こう・頂上はすごい」と騒ぐサポーターが近くに居ると一緒です。山登りを教える邪魔になるのです。

 どうぶつしょうぎで駒の動かし方の基本を教えること・折り紙で紙の折り方の基本を教えることととらえてみました。すると他の活動でも同じことが言えるのではないかと思ってきました。児童館・児童クラブの現場においてはどうも基本が忘れられて、名称に流されて、基本を忘れていることが多すぎるように思います。例えば児童館・児童クラブにおいては遊びを中心とした健全育成を推し進めることになっています。そこで児童館・児童クラブ職員は子どもの遊び相手になることが大切と思われています。また事実遊び相手をして自己満足をしている職員も多いことも事実です。

 遊びを通した健全育成をすることと遊び相手をすることは一緒なのでしょうか。

 遊びを通した健全育成を図るためにはその基盤として遊び場環境をきちんと作ることが大切です。まず、清掃・草取り・木の剪定などきれいな環境を作ることを私は提案しています。館内はあかちゃんがなめても大丈夫なような環境を作れということです。ついで、遊びを成立させるためにはルール作りが大切です。今時の自己中心の子ども達に対して、基本的なルールや挨拶や決まりを守らせることが大切です。このように考えてみると、遊びを通した健全育成とは遊び相手をすることとはかなり違ったものであることがわかるでしょう。

 具体的なドッジボール遊びの場合で考えてみましょう。子ども達を集めて「ドッジボールをやろう」と提案して、子どもと一緒にドッジボールをしたら、それで健全育成ということになるでしょうか。ドッジボールという遊びを成立させるためにはボールをしっかり投げたり、とったりすることが出来ることが基本となります。ですから、30分のドッジボール遊びをするとするならば15分間は30人くらいの子どもにボールを15ヶ用意して、投げるとる・ワンバンドをして投げるとる・ドリブルをするなどのボールの扱い方を指導することが必要です。こうした活動なら低学年の子どももボール遊びができます。そして後半の15分もドッジボール遊びをしてみようかなと言う気持ちにさせます。ドッジボールが出来ないまでも、後半には上級生のドッジボールを見ていて学習することもあるのです。ところがこうした活動をしないで好きな子どもだけをあつめて職員がドッジボール遊びをしていたら、結果的に一部の子どもが遊戯室を占拠していることにしかならないことになります。そして地域の人たちは遊んでばかりいて、給与をもらえるのは楽なもんだと思ってしまうでしょう。

 遊びを指導することと遊び相手をすることとは本来的に異質なものであることを理解することが必要でしょう。そして日ごろの遊びのルールの徹底や遊びのための基本的な能力を高めておけば、子ども同士の自主的な遊びが成立していくことになるのです。

 

 名称にこだわるという意味でもう一つ考えてみましょう。児童館や児童クラブなどでも最近ではセット物の工作などが多く使われています。また職員がセットで予め作ってあるものを組み合わせるなどの活動も多々あります。この時に名称に拘って目的が忘れてしまうことがあるのです。

 グニャグニャ凧作りで考えてみましょう。小学校低学年が多い児童館や児童クラブでグニャグニャ凧を作る場合にカッターナイフや鋏などを使用することが危険となるので、凧の型を作っておき、竹ひごも予め必要な長さに切ってあり、タコ糸もセットされていることが多いものです。ここまでやってあればこれはグニャグニャ凧作りではなくて、グニャグニャ凧の彩色遊びなのです。ですから、どのように色を塗るかということと、セロテープで竹ひごの留め方を覚えることが目的となるのです。これを名称に拘って「グニャグニャ凧作り」が目的と思ってしまうのが問題なのです。

 色を塗ることが目的であるならば、色の薄いマジックから使うとか床にマジックを塗らないとか点々で色を塗ると面白いとか写し絵をやってもよいとかそうした手法を子ども達に指導することが必要となるのです。そしてきちんと色を塗れたら「よく塗れたね」とか「もう少し工夫しよう」とかの声かけをすることが必要となります。へのへのもへじと書いて、「先生。飛ばしてきます」と言われ、「おう君なりのグニャグニャ凧か。いいなあ」と言っているようでは何もやっていないことに等しいのです。つまりグニャグニャ凧の色塗りをやっていないからです。グニャグニャ凧作りはほぼもう終わっているのですから。

 

 全ての児童館・児童クラブの活動において、何が目的かをきちんと考えることが大切だと私は思います。


 2011年3月27日追加
 折り紙の折ることと折り方を教えることの違いから、折り方を教える教え方への発展へ

 折り紙を自分が折ること折り方を教えることは違うとの提案をしてきた。私も3月になり、あと少しで定年退職となる。私が有明児童センターを退職した後も折り紙の文化を有明に残して欲しいと思っていたが、なかなか子どもも職員も充分にそのことを理解してくれない。そこで考えたのは私がどのようにして、折り方を教えているかの教え方のノウハウを子どもや職員に教えることであった。
 折り方を教えるために私がどのようなどのような工夫をしているかを、子どもにも職員にも教えることであった。具体的には△折りや□折りをする時に、空中で折るか壁に当てて折って、みんなにわかるように見せていることを教えることであった。そして具体的に壁当て折りや空中折りをさせてみることである。次に教えながらも、50人くらいの子どもの顔を観察して、まだ出来ていない子どもがいないか、ケンカをしている子どもがいないか、作り終わって暇をしている子どもがいないかなどを常に観察して、その観察に基づいて適切な作業を提供する目配りが必要であることも教えることであった。作業が終了している子どもには□合わせ折りの後に気合いで倒すとか、今までの作り方のイメージを復習するとか、隣の出来ない子どもに教えてやるようにさせるとかの指示が必要であることを伝えることである。
 また、一回折り終えても定着がなされない。そこで、大きな紙・小さな紙などに変化をさせて練習させることが必要であること。そしてそれらの活動は常に私が意図的にやっていることを子ども達や職員に教えた。また、途中でやってくる子どものために予め、数枚を準備しておいて、途中からでも仲間になれるようにしておくことが指導者には必要であることも伝えた。また最近の子どもは少子時代で自己中心であるから、後で来て、「先生。何をするのですか?」と聞く子どもがいるが、その子どもには「周りをみて同じことをしなさい」と伝えることが必要であるとのことを教えた。
 教え方を教えるプロセスで、子どもも職員も指導する立場の人がどのような配慮が必要であるかをわかって来た。そこでたんに折り紙を折ることから折り紙の教え方を教わるとの立場になってことで、質的な展開がなされることになった。これは弁証法上の質的な飛躍であった。

 





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