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 児童健全育成のための観察の手法 (2015年9月12日)
   □観察に基づく活動の展開 

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児童健全育成の活動と観察

 児童健全育成士 田中 純一

      1 はじめに

 児童健全育成のための活動と観察の関係を明らかにしたいと考えたのは、ナイチンゲールの看護覚え書に出会ったことによる。ナイチンゲールはこの著書の中で、看護の手法を取得することは必要であるが、それ以前にしっかりした観察を出来ることが看護の最低条件であると述べている。考えてみると看護と児童の健全育成は似ているところがある。観察がとても大事だという点でまったく同じであると私は感じた。児童健全のための活動はいろいろある。運動療法・遊戯療法・自然とのふれあい・どうぶつふれあい療法・行動療法・家族療法・音楽療法・躾をしっかりする・受容共感する・深層心理にせまるなど多様である。それぞれが自分のやり方が正しいと主張するが、やはり相手や状況によって活動はいろいろであろう。この点を考えないで特定の主張が通されると問題が生じるように思う。そこで、児童健全育成の場においても、看護同様に手法や手技の前に観察の方法をしっかりとしておくことが大切と思われる。
 看護の場合に看護の手法手技の選択の間違いは死につながったり、重篤な事態を引き起こすことがある。健全育成の場所ではそこまで至らないので、比較的に観念の世界で活動等のやり方の正しさの主張のしあいがあるように思う。
※1 手法や手技として氷で冷やすとか温めるとか安静にしておくなどの手法を知っていたとしても、患者が熱なのか寒がっているのか疲れているのかでは、冷やす・温める・安静のどの手法を使うかは違うものになる。同様に子どもの心が苛立っているのか、悲しんでいるのか喜んでいるのかで褒めるのか・叱るのか・無視するのかは違ってくる。何でも受容共感が良いとの手法を提案したり、子どもの話をきちんと聞くなどの手法のみは上手くいかないことが多い。まだうまくしゃべれない子どもの場合はどのように話しを聞くというのであろうか?
※2 状況は変化するのでしっかりとした観察がなければ、誤った手法となる。体温が高いので冷やしてあげていたら、寒がったので冷やすのをやめることも必要である。同様に危険なことをしたので叱ったら、やめたので褒めてあげることも必要となる。

  2 観察の手法について

      観察の手法について 1 乳幼児の真摯な学び
 乳幼児の眼で観察をしようと私はあかちゃんから学んでいる。あかちゃんはしゃべれないし、養育者や支援員を選択することが出来ない。そのために微笑で周囲のものを魅了する力を持っている。同時に全身全霊をかけて行動を注視している。この人は自分を庇護してくれるのかそうでないのか?今は危険なのか危険でないのか?社会的参照能力を使って、アタッチメントの対象の表情観察で判断をしている。私たちは大人になるにしたがって、見たくないものにも出会わなくてはならない。そこで適当に見ることも学んできた。乳幼児はそうした段階でないから、何でもしっかりと観察しようとしている。この観察力に学ぶ必要性が私は子どもの健全育成に携わるものは持つことが必要だと思う。
※3 新生児微笑は生理的微笑ともいい、乳児が寝ているときでもニコッと微笑むことをいう。生後2ヶ月くらいから次第に新生児微笑は消えて、おかあさんなど相手に合わせて微笑むようになる。これを社会的微笑という。
※4 社会的参照能力とは乳幼児は自分の能力で危険か安全かを判断することがまだ出来ないので、アクリル板などで視覚的断崖を作っておいて、あかちゃんをハイハイさせると、アタッチメント(愛着行動)の相手であるお母さんなどがにこにこしていると渡ってくるが、難しい顔をしたら渡らないなど、特定の人の顔色などで自分の判断をする能力をいう。

         観察の手法2 理解するはunderstand
 理解するはunderstandである。つまり下側に立つとの意味である。物事を理解しようと思ったら、しっかりと下側に立っての観察を怠るべきではない。ある特定の理論や考えにこだわって素直に下側からみれないならば、本当の理解は難しいと思われる。ファーブル昆虫記を書いたファーブルは虫の目線になっていろいろな観察をした。結果として多くの発見をしたのである。
 子どもも同じで大人の目線で見ていたら、見えなくなってしまう。子どもの目線のさらに下になって観察することが必要と私は思う。掃除・草取りはその点で有効なことである。草やゴミは下にあるので、姿勢が常に低くなるからです。この姿勢が観察には必要と思います。
 教育学部を卒業して、私は小学校の教員をしていたことがあります。私のクラスは2階の正面玄関の上にありました。窓からは外がよく見えました。校長先生がランニングシャツいっちょうで雑草抜きをしていました。学校への訪問者があると校長先生に『君・君。教務室はどこか?』などと偉そうに聞いている人がいました。校長先生は『あちらでございます』と答えているようでした。しばらくして『校長先生・校長先生。教務室にお客様です。』などと放送がかかりました。後で校長先生にわけを訊いてみました。すると『草取りをしている人にどんな態度をとるかでその人の人格がわかってくるものだ。それに校長の仕事は万が一の時に備えておくことも必要。何もない時は草取りが一番』と話していました。
 仲間のテレビカメラマンに子どもの写真を撮ってもらったことがあります。彼は寝転がって子どもの下からカメラを構えます。あとで理由を聞きました。すると『子どもの生き生きした表情は視線の下側でしか撮影できない。』と教えてくれました。この話をブログに書いたらブログ仲間から返信が来ました。『考えて見ると理解するは英語でunderstand=下側に立つですね。』とのことである。
 子ども理解のための観察はunderstandが大事としっかりと私も理解しました。
※5 understandの英語としての語源は下側に立つです。特定の人の指示を理解して従うとの意味であるとのことである。

    観察の手法3  職員の観察場所の移動
 眺めているだけで子どものことをしっかりと観察していない職員も多いものだ。職員が2〜3人かたまって、おしゃべりをしながら、seeしているだけ=見てるふりをしているだけの人もいるものだ。ナイチンゲールはしっかりした観察が出来ない職員はいないほうが良いとも言っている。
 一つの場所にいて、だべりながら時間をたんに過ごしても観察したことにはならない。とくに子どもが相手の場合は、目まぐるしく動く子どもたちを相手にしているのだから、右から左から、前から後ろから、下から上から、近くから遠くからなど観察場所を変える必要性がある。また時にはモニターによる観察も必要であろう。観察場所を移動しながら。いろいろな方面から子どもの状態を見ることが子どもの本当の心や問題点への気づきへとつながるであろう。
 子どもも一人の時と集団の時では全く違う様相を見せる場合もある。一人の時は聞き分けのよい良い子どもだが、集団の中でエスカレートするととめどなく騒ぎまくり、他人に迷惑をかける子どももいる。反対に集団の中ではおとなしくしているが、一人では超わがままな子どももいる。集団の中の子どもと一人の時の子どもの両方を観察しなければ全体像はつかめてこないであろう。
※6 移動する場合は壁を背にして移動することが基本であると私は思っています。児童館や放課後児童クラブ・保育園や幼稚園・学校などでは多数の子どもたちを管理しながら、同時に問題行動等を抱える子どもの観察をしなければならないことが日常的である。一人の子どもを観察するために、他の子どもの危険な行為などを見逃すことがないようにしなければならない。したがって、全体把握をしながら、個々に目配りをするために、死角を少なくするために、子どものいない壁側を背にすることが必要となる。  

     観察の手法4 活動場所の移動(環境変化)
 いつも同じ場所で同じ時間に同じ仲間の中で観察することだけでなく、違う場所や違う仲間と活動することは子どもたちの変化を観察するためにとても必要なことである。
 自閉症傾向の子どもたちの中には、同じ場所にいることが不安で、いつも動き回っている子どももいる。海水浴に連れて行くと、海につかって、波が打ち寄せるのを30分以上無言で楽しんでいることがある。また、カーテンの裏に隠れていると安定する子どももいる。子どもにとってどのような環境が子どもを安定させるのかを、活動場所を変えて観察することが必要である。
 ナイチンゲールは窓を閉め切って、カーテンしっぱなし、動かない一定の環境では病人は悪化すると言っている。子どもたちも外が見えて、換気され、野鳥の声が聞こえたり、セミの声が聞こえる環境が良いだろう。また、花を活けるだけでも気持ちが活性化すると言っている。また自然の中で転地療養も必要と言っている。
 仮にビルの谷間の児童館や放課後児童クラブでも、元気な子どもたちを相手であるから、ちょっと公園に散歩に行くだけでも子どもたちの様子は違ったものとなる。これを観察することで子どもの健全育成のために何が必要かがわかってくるものだ。
※7 およそ児童健全育成の仕事の基本の一つは子どもたちに安全安心できれいな環境を提供することにあると私は思う。トイレの神様の話でもあるが、きれいなトイレを維持することをしっかりやることが出来ることがとても大切である。また、草取り・清掃・ゴミ拾いなどの環境整備は基本中の基本であると思う。汚い環境ではなくきれいな環境での子どもたちは自然と生き生きとしてくる。

    観察の手法5 活動時間を変えての観察
 保育園や児童館・放課後児童クラブなどでお泊り会を行うことがある。昼の時間だけでなくて、夕方や夜の時間帯に子どもがどのように変わっていくかも観察することが必要である。昼と夕方と夜では子どもの様子は違うものである。昼間元気で小憎らしいことばかり言っている子どもでも、実は甘えん坊であることもよくある。
 放課後児童クラブで学校の長期休業期間となり、長い時は8時〜19時までとのように、11時間以上となることもある。学校放課後の短い時間と長期の長い時間での子どもの様子は違ったものとなる。より本音が出てくると言えよう。こうした長時間の活動の中で強制や無理矢理のパターンばかりやっていると、子どもは爆発してくるが、爆発の原因は支援員が作っているとも考えられるであろう。放課後児童クラブの活動はたしかに大変である。同時に長時間になることで見えて来るものがあることもまた確かです。
※8 子どもは活動的なものである。その子どもを狭い部屋に閉じ込めて、学習とお昼寝とおやつの縛りなどで締め付ければ問題行動を起こすのは必然であるとも言える。男の子はとくにおやつの時間規制が嫌なものである。おやつの時間は女の子にはおしゃべりの楽しみの時間でも男の子には3分の栄養補給時間でも長すぎることもある。
※9 子どもと大人では時間の感じ方が違う。胎内では地球の40億年の生命の歴史をほんの10ヶ月で再生産しているだろう。乳児の発達の1年は10年にも相当し、小学生の1年は大人の3年分くらいには値するように思う。小学生の1日は大人の3日に相当するから、朝・夕方・夜で3日分に相当するように思う。小学生の時間は密度が高く、変容も激しいと思う。

    観察の手法6 アクションリサーチ
 臨床医療の現場ではアクションリサーチとの考え方があるという。これはぜひ、児童健全育成の現場でも学んでおきたい観察の手法である。
 子どもの熱が出た時に、すぐに医院に連れて行き、血液検査とCTをとるようなことはしないであろう。まずはおでこに手を当ててみて、熱いか熱くないかを見る。次に体温計を使って体温を測る。体温が仮に37.2度ならば、頭を冷やしてあげる。また状態によっては適度の水分補給をするなどのアクションを起こすであろう。気持ちがよくなり、安定した状態になれば、一応熱が出た旨を保護者に連絡して、対応してもらうことになる。頭を冷やしたり、適度の水分補給をしても具合が悪く、体温も上昇を続けるならば、保護者との連絡し、通院することになる。病院では、喉の状態をみたり、症状から必要な検査をし、熱さましの薬や座薬の処方箋を出すかもしれない。座薬や薬でも熱が下がらず、まだ具合が悪いのであれば、次のアクションとして、肺炎の疑いがないか胸部レントゲンを撮るかもしれないし、インフルエンザが流行時期であるならば、検査をするであろう。このように緩やかなアクションを起こし、その反応を見て次の段階に進むというのがアクションリサーチの考えである。
 児童の健全育成の場でもアクションリサーチの考え方を応用することは必要である。よく子どもの話を聴くことが大切などと言われるが、子どもたちは充分にまだ自分の気持ちを言葉に表現できないことが多い。ぷんぷんと機嫌悪そうに学校から放課後児童クラブや児童館に帰ってきたとする。『今日はどうしたの?話してごらんなさい。』などと言われても困ったしまうことがあるのが男子低学年です。また、高学年の女の子になればうまい具合に嘘もつくものです。黙って頭を撫でてあげるとか、美味しいおやつを提供するとか、汚れた服をきれいにしてあげるとか、冷たいものを提供してあげるなどのアクションを起こして、その反応を見て、対処を考えるのが利口ではないでしょうか?
※10 男の子は女の子に比べて言語能力は1歳から2歳劣るものである。言葉では勝てないのですぐに手や足が出てしまう。これを言葉でいろいろ説諭するよりは『○○ちゃんを好きなら好きと言ったら』みたいな話をすると収まることもある。
11 ガードナーによれば人間の能力は単一ではなくて、多重であると言う。多重知能理論では言語的知能・論理数学的知能・身体運動的知能・空間的知能・対人的知能・個人内知能・音楽的知能・博物的知能の概ね八つの知能が組み合わさっており、それぞれの知能は独立して関連を持ちながら機能しているという。MI(マルチインテリジェン 

     観察の手法7 立場を変えてみる
  受容共感してあげるとか良く言われますが、言葉だけの受容共感の人が多いような気がします。また言葉だけの受容共感を子どもたちはすぐに見破るものです。受容共感することはとても難しいことで、容易なことではありません。相手の気持ちになってみるなどと言うよりは、立場を変えて考えたらとやってみるのが良いと私は思います。
 放課後児童支援員や児童館児童厚生員・保育士・教員の場合、基本的に四つの立場があると思います。一つは職員の立場です。もう一つは子どもの立場です。そして子どもの保護者の立場に、第三者の立場があると思います。
 放課後児童クラブにおけるおやつで考えてみると、支援員としてはあまりおやつに手間をかけたくないとか逆に力を入れたいとかあると思います。子どもの立場で見ると美味しいおやつが食べたいとのニーズがあります。保護者の立場ではおやつは食べさせたくない保護者もいれば、出来るだけ手作りで果物や野菜や身体に良いものにして欲しいとの考えもあります。役所や第三者としては、食中毒を起こさないように賞味期限のチェックと手作りはやめて欲しいとのニーズがあるかもしれない。支援員としての立場だけではなく、自分が子どもでおやつを食べるとしたらとか、保護者だったらどのおやつが良いかとか、担当部署の公務員だったらどう思うかなど立場を変えて考えてみることも必要であろう。
 宿題や学習時間の設定も同じように考えることが出来る。単純に学習時間は1時間などと設定する職員がいる。はたしてその職員は1時間きちんと学習したことがあるのかと疑われることもある。小学生に1時間は無理であろう。保護者の立場としては宿題くらいクラブでやってきてほしいとのニーズがある場合も多い。また役所としては保護者のニーズに答えてあげたいとか、放課後児童クラブは遊びと生活の場所だから宿題は家庭でやらせるべきとの考えもある。
 案外効果があるのは、先生ごっこである。先生が子どもの役をして、子どもが先生の役をする。先生役の子どもが子ども役の職員に辛辣なことを言ったりすることもある。実は自分がいつも言っていることを言われているだけなのだが。相手の気持ちになることはなかなか難しいけれどロールプレイ的に立場を変えてやってみることも観察する場合に必要な一つの手法であると思う。

     観察の手法8 自己観察
 人を観察することは実は相手に自分もみられている。また、自分自身をきちんと観察することも必要である。上手くいかない原因を相手に求めるのではなくて、自分自身のやり方に問題がないかと自分自身を客観視することが必要である。精神分析家やカウンセラーになるためには自分自身の教育分析を受ける必要性があるが、子ども相手の仕事をする場合には教育分析ほどではなくても、自分自身の性格や行動の長短の自覚をするために自己観察が出来ることも必要である。また他人を観察していることは同時に相手に自分を観察されていることを自覚することが必要である。子どもは観察の手法について1の乳幼児の真摯な学びに書いたように大人よりずっとしっかり観察している。生きるための智慧であるからだ。自分がどのように子どもに見られているかを考えることは自己観察の必要な所以でもある。


   観察の手法追加 ダブルチェックについて
 観察の手法で書き忘れがあった。それは自分の観察だけでは充分でないことをしっかりと自覚することである。仲間を作って、一人ではなくて、他人の眼からの観察と照らし合わせることが大切である。ダブルチェック・トリプルチェックをすると、ミスが少なくなり、ある程度間違いを正すことができるようになる。一人の意見ではなくて、2人3人のきちんと観察できる人の意見も取り入れてチェックをすることが大事である。ただ、きちんと観察できる人とのチェックが大切なのであって、たんに多数派の意見であるから正しいとは限らないことを自覚しておくことも必要であると私は思う。(2015年10月18日追加)

 


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