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■異年齢・異世代を巻き込んだグループワーク
  詳細トップ (2014年9月8日)
 □くすだまユニットでのグループワーク(異年齢グループワーク)
               児童健全育成士田中純一






 


  
異年齢を巻き込んでのグループワーク1(2014・2・5) 始めに

 グループワークは一般的にある程度年齢が同じくらいの児童を対象にワーカーが中心になってやる場合が多い。同学年の場合もあれば、小学校1年〜3年生の低学年対象の場合や1歳児から3歳児とその親子などを対象にする場合が多い。

 昨今、学校・児童館・放課後児童クラブ・ふれあいスクール・公民館などで年齢差のある集団での活動が必要とされる場合が多くなってきている。たとえば、放課後児童クラブは小学3年生までが対象であったが、平成27年度からは、小学6年生までが対象児童となる。すると低学年だけではなくて、高学年までを一緒にグループワークを実施することになる。

6歳から12歳までは大人の年齢差と違って、体力的・思考的・社会的な大きな差がある。こうした異年齢異世代を上手く巻き込んでグループワークをすることが必要となる。

 グループワークの基本的な原則を守りながら、上手くグループワークの手法を活用していけるように考えてみたいと思っている。

 異年齢を巻き込んだグループワークを考えるときに必要なことは、小学校低学年の心の発達と中学年・高学年の心の発達には違いがあることに留意することが必要と私は考えます。社会性の発達において、小学生の児童期は自分の内面への気づきと 他者の内面への気づきが始まると言われています。7・8歳まではまだ、おとなの権威への追従と他律的道徳の段階にあり、9・10歳は親の指示の相対化や自立の道徳(共同と尊敬による) などの段階へと移行していきと言われています。(放送大学院発達心理学特論より)

 このように発達段階を考えると、小学校低学年においては、ある程度ワーカーが必要な方向性を示す必要性があります。これをしないで、子どもたちの自主性のみに依拠しようとすると、上級生のわがままや力の強い方向に引きずられてしまう結果になることが多々あります。小学校中学年(3・4年)からはワーカーの意図することと子どもたちの意思とが上手く良い方向性になるように働きかけることが必要となります。

 低学年と中学年ときに高学年を一緒に活動させるためには、子どもの心の発達段階や社会性の成長を考慮して、年長の者の自由だけにはならないようにする配慮が必要となります。

  異年齢を巻き込んでのグループワークの手法2 グループワークの原則

@受容の原則

 グループワーカーは、先ず一人ひとりを一個の人格を持った人として尊重することが基本原則である。小さな子どもといえども尊重するという基本的態度を身につければならない。ワーカーの好みや、個人的な好き嫌いもあろうが、グループの中の一人ひとりを理解していくことが受容につながる。

A個人差の尊重の原則

 グループワーカーは、自分と接する子ども一人ひとりが独自の存在であることを頭で判っていても、すべてのメンバーについて、つい平均的な姿を求めがちである。子どもの長所・短所、言葉使いや行動、そして発達段階(エリクソンのいう)に応じての知識だけで子ども理解をするのでなく、発達の差や、性格、考え方にも個人の違いがあることを十分に知り、個性を持つことを忘れてはならない。

B援助目的の明確化の原則

 グループワーカーは、子どもをなぜグループに参加させるのか、それはどんな内容のグループなのか、グループはその子どもの成長にどんな意味をもつのかを明らかにすれば、メンバーを容易に受け入れることができよう。

C自己決定尊重の原則

 グループワーカーは、メンバーの自主的な人間としての成長を促す役目をするものであるから、グループの中で一人ひとりが自分の「責任」を果たすということを自覚させ、自立心を強めさせることが必要となる。

 また他のメンバーに対する尊重の気持ちを自覚させよう。そのため、ワーカーが自分の好きなプログラムを実施しようとしたり、自分の希望でグループを指導することは危険である。あくまでも子どもたちのメンバーが自分で選択し、自分で決定する雰囲気作りをしなければならない。自分たちで決定できることが、自主的なグループを育て、人間を育てていくことになるのであるから。

D成就の経験と喜びの原則

 自分たちの決めたことを達成した喜びは、他人が決めたことの達成より幾倍も大きいことは誰でも経験していよう。グループで協力し合うことは、達成までに多少時間がかかっても、社会的能力を高めていくことになり、その経験を積み重ねることで、個人もグループも成長していく。

Eメンバーの相互作用の効果の原則

 グループワーカーは、メンバー同士の働きによる影響が深まるように援助することが大切である。協力し、互いに自分の足りないところを補ったり、援助したりすることで相互作用が深まり、「わたし」から「わたしたち」感情が深まって自発的活動を促し、まとまりあるグループに発展していく。

F融通性のある運営と活動の原則

 グループワークの過程で、メンバーのニーズや変化に応じて融通性のあるグループであることが望ましい。グループワーカーはプログラム活動についても、メンバーの能力や発達に応じた変更や修正を行っての活動や運営ができるようにする。(社会福祉援助技術総論より)

  異年齢を巻き込んでのグループワークの手法3 小グループについて

 グループワークの基本原則は小グループをいくつか作り、そのグループ内及びグループ間のよりよい関係性を高めることにあると考えられる。そして、人格的協同志向型の小集団は、明らかに人格的発達志向型集団として位置づけることができる。まずグループワーク小集団の原則についてドイッチ(M.Deuysch)は、このような小集団の特徴を次のようにあげている。

@  集団の仕事をしようという意欲が高く、メンバーが互いに責任を感じあうことが多い。

A  成員間の分掌と協力の度が大きい。

B  成員間のコミュニケーションがより効果的で、より多くの意見が出され、理解の度も受容の度も高い。

C  友情があつく、他人に対する尊敬も高い。

そしてその小集団は@対面的(face to face)な関係にあることA成員の間に相互作用(interraction)が行われていることB成員間の間に個人的な(as a individual person)印象や知覚を有すること

  異年齢を巻き込んでのグループワークの手法4 @受容の原則

グループワークの原則である受容の原則について考えてみたい。体力差や思考力の違い・社会的経験の差が大きい場合に、ただ一般的に受容するとの考えがなかなか難しくなる。受容とは基本的にあるがままをとりあえず受け入れることである。相手が一定の年齢や同じような社会的経験であるならば、それに合わせてある程度ワークショップをやることは比較的に容易である。しかし、差が大きいとこっちを立てればあっちが立たずとなってしまう。

小学校低学年までの子どもはそれなりに難しい点もあるが、高学年の子どもになるとまた異質の難しさが出てくる。

私自身の経験です。小学校5年生になった子どものことです。途中で転向した先で小動物を殺してしまうようでした。

「先生。おれ、猫なんかを殺してしまいたいのですが」

「殺すのはやめた方が良いよ」

「なんでですか?」

「輪廻の考えがあって、人間であったものもいずれまわりまわって猫になることもあるらしいから」

「本当ですか?」

「私はまだ死んだことがないからわからないけれど、有りうるかもしれないよ」

「わからないじゃないですか?」

「じゃあちょっと死んでみてきてくれるか?」

「けっこうです。」

みたいな会話をすることもありました。ちょっと友達に苛められたといった泣きわめく子どもと小動物を殺してしまいたい思う子どもの差は大きなものがあります。一概に受容の一言で判断できないことが多いと思います。

受容と言っても異質な思考があることを前提に相手をすることが必要となります。逆に異質なものが一緒にいるので、高学年の子どもは低学年の子どもの幼さを感じて、自分自身のことをある意味では受容しなおすこともあります。低学年は高学年の強さにあこがれて我慢をすることもあります。ワーカー対子どもたちとの関係での受容から、子どもたち同士の受容関係へと発展させていくことが必要となるでしょう。

 異年齢を巻き込んでのグループワークの手法5 A個人差の原則

年齢差が出てくると個人差はとても顕著になります。同年齢だと『もう3年生なのだから、少しくらい転んでも泣かないのよ』みたいな声かけになることがあります。でも6年生にぶつかれば痛いし、我慢できないこともあります。高学年がいるから、泣いてもいいこともあります。個人差が大きいことは同学年で争わなくても良いだけ楽だと考えることもできます。

よく相撲をやらせたのですが、同学年同士だと負けて悔しくなって我慢ができないこともあります。同学年の球を捕れない子どもを馬鹿にすることもあります。でも明らかな個人差があれば、『大きさの違いがあるから負けても仕方がないか』と諦めることもできます。諦めがあると、負けるとわかっていてもチャレンジすることが出来るようになることもあります。

相撲をとるときに5年生と1年生がやるときは1年生5人に5年生1人にするとか、2年生は3人で5年生にかかっていくとかの工夫が必要となります。

ドッジボールの場合は4年以上の男子は左投げにするとかのルールが必要でしょう。ジェンダーフリーの人にはどう思われるかわかりませんが、私の経験からは女子は利き手で投げても大丈夫のようです。でも時たま、上級生も利き手を使って良い場合もありにして、低学年でもやりたい人はやらせるとか、低学年だけとか、転がしドッジボールにするとかの工夫が必要となると思います。

トランプなどでもツーパワー・スリーパワーの手法を使えば、高学年と低学年が2人〜5人の小グループを作り、グループ同士の戦いにするようにします。七並べをするときでも訳のわからない1年生はトランプカードを持ったり、出したりする役をやり、上級生がどこに出すかを判断する方法もあります。

 異年齢を巻き込んでのグループワークの手法6 B援助目的の明確化の原則

グループワークはたんに集団を作って活動すれば、グループワークになるわけではない。グループを作るのは悪いことをやる時にみんなでやれば怖くないとの感じでグループを作ることもあり、良いことだけではないからだ。グループワークは人格的発展志向型集団を目指しており、相互補完的で民主的な関係性の集団を目指している。そこには明らかな目的が存在する。目的は一般的に一つで明確な方が良い。たとえばじゃんけん遊びを通して、アイスブレークをし、助け合う仲間つくりを図るなどである。

対象の年齢差が大きくなると、目的が一つに絞りにくくなる。そこで新1年生にはアイスブレークの要素であるが、新4年生には低学年の子どもの援助を通して高学年の自覚をもってもらう。などのように同じ仲間つくりなのですが、ちょっと違った目的も加味することが必要となります。

放課後児童クラブや児童館の活動は、複数の職員が同時に一つのワークショップを実施することが多くあります。一つのワークショップをやるのですが、年齢差に応じた目的が考えられるので、何人かの職員が役割分担をして、低学年・高学年のそれぞれの目的を達成するように働きかけることが可能となります。また最近では学校教育にもいてもティームティーチングや地域の人材活用が言われ始めています。単純に一人の指導にみんなが従うとの関係性ではなくて、それぞれの職員の個性を生かして全体としてワークショップがやれるようにする手法が大切と思います。

私は一つの活動の中に働き・学び・遊びが包含されていると考えています。遊びを中心としたワークショップだけではなくて、働きを中心としたワークショップの手法も大切です。

みんなで庭の草取りのワークショップを考えてみましょう。

1年生は石拾いをします。2年生は手で草取りをします。3年生は採った草や石を土嚢袋で集めます。4年以上は鎌や熊手・箕を使います。働くは人のために動くですから、一生懸命やって、草をたくさん採ったり、ゴミをいっぱい集めても勝ちや負けではないので、子どもたちはケンカをしないで頑張ります。終わったらみんなでアイスを食べてにっこりとなります。作業終了後、手つなぎ鬼をして遊びます。こんなワークショップをすれば、学年に応じた目的をそれぞれに明確化することが可能となります。

 異年齢を巻き込んでのグループワークの手法7 C自己決定尊重の原則

自己決定尊重の原則とういわれると子どもたちの自主性を大切にするとなりそうです。子どもたちに『今日は自由に遊ぼう。何がいい』などと聞くと、『DS・マンガ・テレビ・寝てる』なんで答えが出てきます。私たちの活動はグループワークを通して民主的に助け合い、人格的にも高い良い人間関係を作ることにあります。個人的に活動するもののみではさみしいと思います。

まず自由について考える必要があります。自由は一般的にはFreeと思われています。Freeの自由は拘束されないとの意味合いが強くあります。自由にはもう一つあります。自由主義経済の自由です。自由主義経済は英語でLiberal economyです。Liberalとは寛大とか誰にでも明らかなとの意味です。自由主義経済はみんなが勝手にやって良い経済との意味ではなく、みんなに明らかになっているルールの中でルールを守って経済活動をやるとの意味です。織田信長の楽市楽座の考えです。織田信長は商業や手工業を特権階級(座とか市を一部の人が仕切る)のみが独占することを禁止して、楽市楽座を宣言しました。同時にインチキをする商人たちには厳しい刑を科せていたと言われています。

私たちがグループワークの中で使うべき自由はFreeではなくてLiberalの自由であると私は考えます。

自己決定尊重の原則もLiberalの自由として考えるのが大切と思います。グループワーカーは一般的に何をやっても自由だよ等の発言をするのではなく『今日は折り紙をやりますが、赤・橙・黄色・緑・青・藍色・紫の色のどの折り紙を使いますが、どの色を使うかは自由です。』というように、一定のルールの中でLiberalな選択が出来るようにと考えるのが良いと思います。(ちなみに虹の七色は上から赤橙黄色緑青藍紫あたいきみをあいしと覚えます。)

人間の存在は時間的時代的社会的歴史的空間的な制限の中にあります。そういた制限を無視して自由な自己決定尊重などと言うことはグループ崩壊を生むと私は考えます。とくに異年齢の差があるときは高学年の自己中心的な言動が問題となるので、最初からきちんと高学年には守るべきルールがあることをしっかりと伝えておくことが必要となります。守るべきルールとは弱い者いじめをしない・暴力をふるわない・人の嫌がる汚い言葉でののしらない・他人の物を黙って使わないなどが考えられるように思います。

 異年齢を巻き込んでのグループワークの手法8 D成就の経験と喜びの原則

グループの年齢差が大きいと、成就の経験や喜びはその子どもによって違ったものになることが多い。グループワーカーはそのことに留意してワークを実施することが必要となる。たとえば、集団でドッヂボールをやる場合で考えてみよう。私は個々人の活動であるドッヂボールが小集団の活動になるように意図的にドッジボールの中に小集団を作っている。

21人対21人でドッジボールをやる場合に、3人組の小グループをそれぞれ21人の中に7グループを作る。ドッジボールをやる場合に小グループの3人は自由に動くことが出来る。ただし、内野で3人の内の1人が当てられたら、3人とも外野に出なくてはいけなくなる。逆に外野で3人の内の1人が当てたら、3人とも内野に入ることが出来る。この手法を使うことで、小グループ3人の中にドッジボールの弱い子どもも当たっても内野に復帰できることができる、不思議なことに小グループ3人でやっていると、当たっても悲しみは3分の1となり、当てた場合の喜びは3倍となる。同時に高学年の子どもの自尊心が高まり、低学年の子どもは感謝の気持ちを培うことができる。

異年齢を使ってのグループワークでは各学年の成就や成功の喜びも少し異質なものととらえる必要がある場合も想定できる。

  異年齢を巻き込んでのグループワークの手法9 Eメンバーの相互作用の効果の原則

ジャンケン陣取りを私は異年齢を巻き込んが活動で使うことを提唱している。私の小さい頃は肉体陣取りといって、相手の陣地に身体を張って飛び込んで相手グループの宝物にタッチしたら勝ちにするゲームがあった。20年前まで元職場でやっていた。でもだんだん子どもたちがひ弱になっていて、肉体陣取りやSケンなども難しくなっていったので、ジャンケン陣取りを始めた。

21人対21人の時に3人組の小グル―プ7グループ対7グループで戦うことになる。身体を張って陣をとるのではなくて、ジャンケンゲームで陣取りをすることになる。

面白いもので、小グループの中には足の速い子どももいるし、足は遅いがジャンケンは強い子どももいる。高学年の子どもが速く走って距離をかせぎ、ジャンケンの場面では低学年の子どもがジャンケンをするような場面が出てくる。こうしたやり方をワーカーは良いやり方と上手く褒めることが必要である。逆に自分だけが走り、自分がジャンケンをする自己中心な子どももいる。ときにつかまえて、『自分の右手と左手がジャンケンをして右手が勝っても面白くないだろう。負けてくれる人がいるから、ゲームは楽しい。ジャンケン陣取りも仲間がいるから楽しいのだから、ちょっと工夫をしようとアドバイスをしている。

ガードナーの多重知能理論によれば、人間の知能は言語的知能・論理数学的知能・身体運動的知能・空間的知能・対人的知能・個人内知能・音楽的知能・博物的知能と八つもあるとのことである。ですから、特定の人が一方的に優れていて、他の人は優れた人に従うとの考えはもう古い考えだと私は思います。グループワーカーは子どもたちの持っている様々な能力を上手く引き出すようにするよう働きかけることが必要です。そうすればグループメンバーの相互作用は高まり、私意識から私たち意識へと考え方が向上していきます。

  異年齢を巻き込んでのグループワークの手法10 F融通性のある運営と活動の原則

PDCAとの考えがあります。プランを立てドゥで実行し、チェックをして、またアクションを起こすとのやり方です。PDCAの考えはグループワークにおいても他の活動でも大切のようです。でもややもすると最初のプランに固執してしまうこともあるように思います。とくに年齢差が大きい集団では思わぬことが起きてくるものです。私は概ねの大きな基本原則は決定しておきますが、細かいことは臨機応変と考えています。大きなPDCAがあるのですが、実際に実施するときはSPDCAが良いと思っています。スモールプランを立て、ドゥをし、チェックしてアクションを起こすのですが、それをスパイラル=螺旋的に発展するように計画の変更や修正をするようにすることが必要と思います。

私もカプラ・折り紙・じゃんけん遊び・言葉遊び・トランプ遊び・ゲーム運動などのワークショップをやっています。計画はある程度立てていきます。たいてい90分のワークショップで5つくらいの活動内容を準備していきます。でも実際にワークショップを始めてみると、折り紙にはまってしまって、折り紙二つで終わることもあります。逆にどんどん吸収してくれて、すべてこなすこともあります。

ワークショップはワーカーのニーズでやるわけではありません。参加者のニーズが大切です。参加者自体が動くのですから、どんなものが結果的にできるかはワーカーの思い通りにはならないと自覚しておくことが必要であると思います。

融通性があり、臨機応変に活動できるようにするためには、失敗から学ぶことが大切と私は考えています。私自身とてもたくさんの失敗をしてきました。ただその失敗を糊塗するのではなくて、失敗を認めて失敗の原因を探ることではないかと思っています。20年ほど前ですが、オリジナル風車を作って新潟市のひまわりクラブの合同行事で飾ろうとたくさん作ってもらいました。当日持っていってみると風車が絡まって上手くいきませんでした。その節は本当に申し訳けございませんでした。

  異年齢を巻き込んでのグループワークの手法11 現実のグループとグループワークのグループそして異年齢差のあるグループワークのグループ

グループワークの理論等を学んで、勤務している児童館児童クラブ等で理論を活用してやってみようとするが、上手くいかないことが多いものです。理由を考えてみると、すでにグループワークの前に自然発生的もしくは今まで作ってきたグループが存在しているので、グループワークの理論をそのまま通用することが出来ないことがあると思われます。

新しくグループを作ろうとワーカーが働きかけても『〇〇ちゃんと僕は一緒にならなければ嫌だ』とか『△△は俺のチームに入れない』などの発言も出てくるものです。そこで既存のグループをグループワークにおける民主的人格共同体としてのグループへ発展させるための手法を考えてみたい。

一つの手法としては、一つの児童館や児童クラブが自己完結型にならないようにすることでないかと思います。地域や地域外の人材を招いて、研修会やグループワーク活動を実施することが有意義だと思います。私は前職場で子どもたち向けの多数の研修会を実施しました。どうぶつしょうぎで北尾まどか棋士に来ていただいたり、カプラの富安さんの指導を受けました。ローラースケートやバドミントン・アルビレックスサッカーなどの研修会もやりました。ことば遊び研修会・劇遊び研修会・表現遊び研修会・吉村温子さんの音楽研修会・ブラザーベアを描いたディズニーのアレックスさんにも絵の描き方を習ってこともあります。外部講師に来ていただいて、新しい場面設定をして、既存のグループから離れたグループ関係を作り、子どもたちのよりよい人間関係をやグループ関係に学ぶことが大切と思います。

グループDILの玉川まや子さんと小野眞理子さんのサルのスカーフ売りのワークショップの時です。六年間笑ってことのない男の子があまりの楽しさに笑い始めたことがあります。新しい関係性とはとても大切です。

学校でも児童館でも児童クラブでも保育園でも幼稚園でも排他的にならないで、常に新しい血を入れるように努力することが必要であると私は思います。

外部講師を招いた場合は、出来るだけ多くの職員が自分も子どもの立場になってワークショップに参加してみることが良いと思います。(もちろん最低限の安全管理上の職員配当やケースによって職員としての仕事をしなくてはならないが)自分の日ごろの姿を学びなおすことが可能となります。

二つ目の手法としては、既存のグループも日ごろから固定的にしないことが必要であると思います。年度当初に班編成をして班で動くのが基本との考えは少し問題があると思います。年齢差のあるグループの場合は、時には年齢差を一緒にして、ドッジボールをやることもあるし、学年別でやることもあるでしょう。または男女別のこともあります。

※男女別というとジェンダーフリーの問題が出てきそうです。ジェンダーに関していえば、第一ステージが形式な男女平等・第2ステージが男女分化への気づきやジェンダーバイアスへの気づき・第3ステージがジェンダーの観点からの教育改革やジェンダーセンシティブの気づきへと発展させることが必要とのことです。(放送大学院現代教育改革論第11章ジャンダーと教育より)たんに男女に区別をつけることが男女差を生むとの考えから、男女差の原因等についてセンシティブ(≒敏感みたいな意味)になっておくことが必要だとのことです。

いろいろなパターンのグループつくりが日ごろからなされていることが必要であるでしょう。学校と違って、児童館や児童クラブは必ずしも固定的なグループでないこともあります。その点を上手く利用して、様々なグループ体験を経験するように考えておくことが必要と思います。学校も固定的ではなくて学年混合などのグループつくりがなされているのですから。

三つめの手法として、指導する側の職員体制の問題があります。みんなで基本的なグループワーク的の考え方が一緒なのは大切です。各人は多様な価値観や手法や能力がありますので、それを上手く出し合って、助け合って仕事をすることが必要となります。これは口で言うのは簡単ですが、一番難しいことだと思います。

児童館や放課後児童クラブなどは小学校のように一人学級担任制ではありません。複数の職員で多数の子どもたちを観ることが原則です。これは一人担任制よりも難しい点も多々あります。しかし社会に出れば、いろいろな人と協力して仕事をしなくてはならないことの方が一般的ですから、子どもたちのためにも小学校のように一人担任制ではないほうのメリットがあるとも言えます。(私自身の経験から言えば、小学校でクラスの人数が多すぎて担任の目が届かないとの保護者からの相談を受けたことはありません。逆に嫌な担任になってしまって困っているとの相談はとても多いのです。子どもたちや保護者は複数担任や複数職員で担当することを歓迎しています。)

複数の職員体制は職員側の問題がある場合の方が多いものです。基本的には一人で観るよりは複数の眼で観る方がベターであるとの考えが必要だと思います。また能力も一人よりも複数の方が一般的にあると考えられます。1+1が2より大きくなり、小さくならないような手法を日ごろから探して活動しておくことは、グループワークにおいても有用であると考えられます。

第1にロールプレーを実践することだと思います。複数の場合にはそれぞれ役割を分担するものです。でも時にその役割をお互いに代えてかえてやることでも必要と思います。子どもに話をする係、子どものサポートをする係、掃除をする係などがありますが、それを職員が交代してみることも必要です。これは子ども同士や子どもと職員の関係においても通用します。ロールプレイ(役割分担劇)の手法は有用と思います。

第2に職員間の合意として、日ごろの活動の中にワークショップ的手法や目的などを意識的に取り入れるように確認しておくことがグループワークの面からのクラブの日常的な運営のためにもなるのではないかと思います。

第3に運営の集団的合意を図るために年間の大まかな計画を立てておく。しかし、現場は環境状況依存的なので、SPDCA(スモールプラン・ドゥ・チェック・アクション)的に活動をチェック変容させていくことも必要であると思います。

 

普通のグループ

グループワークのグループ

異年齢差のあるグループ

受容の原則

いつもの関係の中で受容非受容の場合もある。

基本的に受容することが原則となる。

多様な関係性の中で受容しておくこともある

個人差の原則

個人差が暗黙の了解としてあることが多い。

グループワークのケースによりいろいろである。

個人差がとても大きい

援助目的の明確化

いつものように活動することが多い。

グループワークの目的が示されている。

複数の目的を持っておくことが必要となる。

自己決定の原則

暗黙的に決定がなされることもある。

グループによるグループの決定が尊重される。

年齢差があるので、全メンバーの合意が難しい

成就の経験と喜び

強い人の利益が優先されることもある。

少数者も尊重されながら経験することも大切

経験と喜びの質が年齢差で違うこともある。

メンバーの相互作用

日常的な関係性がそのまま受け継がれる。

意図的な相互作用が計画される。

より複雑な相互作用となる。

融通性のある運営

固定的な役割分担と運営になることもある。

意図的に融通性が大切とされる。

予期せぬことがあるので融通性が大切となる。

  異年齢を巻き込んでのグループワークの手法12 ワーカーの位置

グループワークを行うときのワーカーと活動の関係と立ち位置を考えてみたいと思う。保護者などに子どもと一緒に遊ぶ指導員がもてはやされることがあるので、子どもと一緒に遊ぶのが正しいと考えている学生や若い人たちも多く問題となることもあるからです。

結論的に言えば、子どもの安全安心の環境を作っておくことが基本なので、遊びや活動の中にワーカーがのめりこむことは基本的に間違いだということです。

現実的には活動の種類によって、ワーカー自体も一緒にやった方が良いものもあるし、ダメなものもあるように思います。そこで分類を自分の経験から考えてみたいと思います。

絶対にのめりこんではいけないものプール遊ぶ・海水浴・ドッジボール・サッカーなど 

これらの活動は生命に関わることがあるので、ワーカー自体がのめりこむのは危険です。しかも小学生1年生と高学年と大人では体力差があるので、怪我をさせてしまう危険性もあるのです。

のめりこんでも良いもの 折り紙・カプラなど

カプラや折り紙はワーカーがのめりこんでも静的な活動なので、危険性はあまりありません。ワーカーや大人が必死になってやると、子どもも真似をするものです。

微妙なもの トランプ・どうぶつしょうぎなど

トランプやどうぶつしょうぎなどは子どもの方の腕が上の時もあります。大人も必死に戦ってやると喜ぶ時もあります。明らかに大人やワーカーが強い時に教えてやる態度をとると上手くいかないときもあります。

微妙なもの2 野球や卓球

野球などはサッカーに比べれば静的です。たまには大人がコンニャクボールを打ってあげることもマイナスではなくプラスになることもあります。

いくつかのグループワークの活動をワーカー自体がやって良いことと悪いことに分類してみることが必要と感じています。もちろん時と場合で違いますが。私も50代まではプールに子どもが上がっている間に新潟大学の水泳部のボランティアの水泳監視人と2人で50メートル競走をしたことがあります。10メートルのハンディをもらって接戦していました。

  異年齢を巻き込んでのグループワークの手法13 最後に

児童のグループワークでは、遊びを用いられることが多い。しかし、遊びだけではなくて、学びや働きもグループワークの活動に取り入れることも大切であると私は考えています。児童館・児童クラブの庭をきれいにして花壇を作る・特別老人ホームへの友愛訪問用にユニット折り紙を折る・おやつ作りや昼食つくり・みんなで大掃除大作戦のような勤労的体験=働きもグループワークの活動になる。庭の草木の名前を調べる・身近な虫の名前を調べるみたいな学びの活動もグループワークの活動になる。子どもだからと遊びに限定する必要はない。

活動が主として遊びであったとしても、グループワークを遊びだけにすることにはならない。全ての活動の中には働き・学び・遊びが包含されている。欧米ではワークとラーンとプレイを別のものとしてとらえる場合が多いが、日本の文化では、働きの中にも遊びと学びがあり、学びの中にも働きと遊びがあり、遊びの中にも働きと学びがあると考えていると私は思う。しかも欧米的な文化よりも働き・学び・遊びが活動の中に包含されていると考える日本の文化の方が健全であると私は思う。この見地から、グループワークをやる場合に、たとえ遊びを主として活動であっても、働きと学びを上手く取り入れ、メリハリをつけることが必要だと私は考えている。

遊びを主として活動のグループワークの展開は、活動の準備=働きに始まる。次に活動の説明がありこれは学びの段階である。そして実際に遊びを主として段階になる。途中で説明が必要となり学びがあり、すぐに遊びとなる。そして最後に後片付けの働きの段階で終わりとなる。

働き→学び→遊び→学び→遊び→働き のサイクルになると私は思う。このことで子どもたちもメリハリがつくので、グループワークの時間が90分程度でも楽しく活動が出来ることになる。

ところで「終わり良ければ総て良し」との諺がある。このことから「来た時よりも美しく」との提案がなされている。私はむしろ「始める前に美しく」との提案をしたい。一つの理由は「始める前に美しく」にすれば、グループワークの始めが働きで始まるので、良いと思うからである。また美しくしたところは汚さないものである。始める前に美しく整理整頓しておけば、活動も楽だし、怪我などをすることも少なくなる。帰るとき、活動を終わるときも後片付けが楽になる。こんな理由から「始める前に美しく」を提案したいと思う。




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