ケープホナー(ダーマ・目黒氏)と再会

30日午後、急に目黒氏から電話が有り、今年2月に「ボヘミアン」が南太平洋で、「ダーマ」と会う為に、ミクロネシア迄行ったが
ミーティングが出来なかったので、(予定変更で、今もニュージーランド滞在中)三河ヨットへ行くから会おうと、連絡が有り刈谷へ。
2005年6月12日 銚子マリーナから出国、世界一周の航海へ。ハワイ名古屋で2回、トリニダード・トバコで会って以来
5回目の再会です。「ダーマ」目黒氏は今年5月7日に、ニュージーランド到着後、5月8日 Riverside Drive Marina に到着。
これで実質的に、単独世界一周の夢を完結した事になります、後は来年春頃に、日本に帰って来るだけです。
三河ヨット研究所の事務所にて、再会の記念撮影。帽子は私がトリニダード・トバコへ目黒氏の激励に行った時に貰った、
ケープホーンの記念の帽子。2人で持っているのは、チリ海軍発行のケープホーンへ来たと云うスペイン語の証明書。

目と目でインスピレーション、口と口でコミニケーション、酒と酒で呑ミニケーション!?何ちゃって言いながら、
全員タバコ吸いと云う最近では珍しい不健康なメンバー3人、「鮨の平八」0566-27-0955で、まずは乾杯!から始まります。
目黒氏の談話要旨。
現在ニュージランドのワンガレイに船を置いた状態で一時的に航海を中止して帰国しています。
7月の中旬まで、航海を続ける予定で出航準備を進めていました。物理的な準備を総て完了しましたが、
既に失効した船舶検査を、どの様するかの問題が残りました。解決方法は大きく分けて以下の2つの選択肢がありました。
1)日本の法令(船舶法及び小型船舶条例)に従い船舶検査(3年に一度の中間検査)を受ける。
2)船籍を海外に移し、航海を継続する。
出来れば日本の法令に従って運行するつもりでしたが、そのためには、日本から現地への検査員派遣要請と
それに先立ち一度帰国し関係所管との打ち合わせが必要でした。南半球では晩秋に入っており、
出航を大幅に遅らせる事を余儀なくされた次第で、結局は米国の船籍を取得し解決を図り、その結果7月20日に帰国しました。
今年の11月中旬にはニュージランドに戻り、最終レグの出港準備をします。
その後の航海が順調に進めば、来春(2009年)には帰国出来そうです。

2人共ボヘミアンで寝て、起きたら翌日昼の14時半!目黒氏を奥様の実家へお送りしましたが、私の自宅から歩いて数分の所でした。
**追伸、急だった為、関係者?の皆様をお誘いする事が出来ませんでした、悪しからず!!

2次会は慰安会に転じ、鮨屋から歩いて2〜3分のバー「ボン」0566-21-1433へ行き、ウイスキー・焼酎&カラオケ三昧

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昼過ぎ迄寝て、検知器でアルコール血中濃度OKですが、年齢で回復力が弱いかもと、自宅到着後に夕方迄寝てから、
女房が旅行中と云う事も有り、友人と超美人♀を2人誘い、去年国の文化財建造物に選ばれた覚王山の料亭「松楓閣」へ行き、
美味い肴と酒に&二日酔いの下地も手伝い泥酔!!自宅前でタクシーを降りた途端、表玄関の2段の階段で又、こけました。
顎、頬、両手の指。罰が当たって、不便しています。 敬老手帳のせいか?還暦前には無かった事、歳を考えなくては!情け無い!
これからは、22時就寝を心がけ、深酒は厳禁!皆さんっ!私は、酒を呑むと意志が極端に弱くなる性格です。22時前に自宅へ
帰れる様
に、ご協力の程宜しくお願い致します!こんな事の繰り返しでは、近い内に酩酊後転倒で天国へ?行きそうです。!

去る10月29日、三河(刈谷)訪問時には、深夜遅くまでお付き合い戴き有難う御座いました。
その夜は碧南のボヘミアン船内で一泊、翌日には名古屋の女房の実家まで送り届けてもらい、
何時もの事ながら一方的にお世話になり感謝しております。
 
11月2日から11月9日まで、予定通りハワイに行ってきました。11月4日ホノルルのセイントアンドリュース教会で行われた愛娘の結婚式に
参列するためです。3年以上航海を続けており、その間冠婚葬祭とは全く縁が無く、今回は久々の冠婚。それも一生に一度しかない、
一人娘のため言うことで、感慨深いものが有りました。二人でバージンロードを歩いたときは流石にホロリときました。
ともあれ人生のマイルストーンの一つを無事通過する事が出来ました。来週にはニュージランドに戻り最後の航海の準備にはいります。
 
現地で確かめたところセントアンドリュース教会は、英国のカンタベリー寺院を総本山とする英国国教会に属するそうです。
1538年、時の国王ヘンリー8世が愛人のアン・ブーリンと結婚するため国王至上法を発令し、
旧教では認められなかった離婚を強行した時に制定されたものです。ヘンリー8世はその後アンの妹と再婚しています。
英国王室の愛人問題は、このときからの伝統となっているのでしょうか?女房とそんな会話をしながら式を見守っていました。
因みに英国国教会の教義はプロテスタント、儀式はカソリックを踏襲しているそうです。
 
偶々女房が体調を崩しており、出発前直前まで点滴を受けていました。このため、ハワイでは静養を余儀なくされ、
毎日テレビで大統領選を見ていました。オバマ新大統領はハワイ生まれ(1961年生まれ)。父親はハワイで始めて受け入れた
黒人学生(ケニア出身)。18歳で身ごもった母親のアン・ダンハムは退学。2年後に両親は離婚。
アンはインドネシア人のロロ・セオトロと再婚し一家はインドネシアに移住。オバマ10歳の時、アンは離婚。
ホノルルに戻りプナフスクールに入学。以後多くの辛酸を重ね、苦学しながらコロンビア大学を卒業。
その後シカゴの教会やコミュニティの仕事をしながらハーバード大学に入学し27歳で卒業。
以後の多くの活躍は既に報道済みなので割愛します。オバマの父も母も極めて先進的な人間だったようだが、
現実にオバマ氏を支えてくれたのがアンの母親(祖母)のマドリン・ダンハム。その祖母が、11月3日大統領選挙の前夜86歳で
世を去っている。その日テレビ中継で祖母の訃報を涙ながらに語っていたが、これがオバマ氏が大衆の前で見せた初めての
涙だったと言われている。
 
2008年11月4日は娘の結婚式とアメリカの大統領選が重なり、忘れえぬ一日となりました。それにしても、
将来黒人の大統領が現れる可能性を示唆したケネディ元大統領は1964年に暗殺され、その数年後には黒人開放運動の指導者
マルコムXや公民権運動の指導者キング牧師も暗殺されている。これまでも多くのアメリカンドリームの体現者が現れては消えていった。
オバマ新大統領は、アメリカ史上最高のアメリカンドリームの体現者といって良いだろう。当選後CNNの討論会の中で出席者から
「マケイン・ポーリンは決して負けたわけではない。オバマが勝ったのだ。」「オバマの勝利を阻む事は出来ない。彼はブラックモーセだ。」
といったコメントがあったのを思い出している。
 
大西洋航海中、大帆船時代のことに思いを馳せるときが多かった。この航路は「産業革命を契機に近年の欧米が発展してきたが、
その繁栄は、大帆船時代の主役であった奴隷貿易によりもたらされた。」という事実を再認識する旅でもあった。
今般金融危機に象徴される混迷は「生きるために物を必要とした時代(ハード優先)から生きるために何が必要か(ソフト優先)」へと
時代が大きく変わろうとしている変換期を象徴しているようにも思われる。
 
以上漠然と考えていた事を取り止めと無く書きました。次回はニュージランドに戻ってから従来通り、
気象海洋(社)経由で航海の模様を伝えるようにします。三河ヨットの堀江社長、刈谷セーリングクラブの皆さんに宜しくお伝え下さい。
 
                                             2008年11月11日 千葉県我孫子市の自宅にて
 
                                                        ダーマ号船長 目黒たみを

目黒氏よりの投稿