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        (2014年10月2日)

折り紙





 

折紙指導を通しての指導のやり方の研究(2014年9月25日)

児童健全育成指導士 田中 純一

1、折り紙を折ることと折り方を教えることの違い

 折り目正しく折ることを教える
 指導者講習会などで簡単な折り紙を紹介する。すると、この程度なら受講する必要はないとの顔に出会うことがある。たしかに折り紙を本人が折ることは得意であるし、難しい折り紙もこなしておられるようだ。しかしながら、子どもたちに折り紙を教えているかというとそうでもないようだ。保育園や児童館・放課後児童クラブなどに素晴らしい折り紙を展示しているだけで自己満足をしていることもある。逆に折り紙等を指導員があまり好きでなくて、折り紙なんかはしないとの人もいる。

 折り紙は海外でも「origami」である。1枚の紙で創造力を高めるのにとても良い教育的な効果があるように私は思う。ある折り紙作家の話で『折り紙を折り目正しく折れることは折り目正しい人生にも通じる』とのことを聴いたことがあります。たんに折り紙を折れるだけではなくて、折り目正しい生活につながればなあと私は思っています。
 講習会などで簡単な折り紙を提供するのは、指導員が折れるようにするためではなくて、子どもたちが折れるようにするためにはどのような指導方法が必要で、中心となってやる人以外の職員がどのようなサポートを必要とされているかを考えるためだと私は思っています。
 自分が出来るとのことと他人に教えるのは異質です。多くの人に教える場合は、指導者は大きな紙を使って、空中折りをしてみせることが必要です。指導者はたんに折れるだけではなくて折り方をみんなに見せる必要があるからです。また子どもと指導者は鏡の関係になっていますから、左右を逆にすることも必要となります。折り方も段階的に子どもに伝えていくことも必要です。
 また折り紙を得意な子どもだけではなくて、折り紙が苦手な子どもも相手にする必要性があります。得意な子どもに教えるのは簡単ですが、苦手な子どもに教えるのは難しいものです。
 折り鶴の場合で考えてみます。折り鶴を折るには一般的に△に折り、また△に折り、次に△に折り、正方形にして折り鶴の基本折りにすることが多いようです。しかし低学年の子どもはまだ器用でなかったり、手の圧力がないので、二重・三重に折ることは難しいものです。結果的にきちんと折れなくて、折れ線が正しくないので上手く出来ないことが多いものです。そこでまずは裏面が出るように半分に△に折ります。また開いて△に折ります。表面から見ると×の谷折りとなります。
   
  □折りはしっかりと    □折りから裏返しにして△折りをしているところ

 こうすれば保育園年長組でもしっかり折ることが出来ます。続いてひっくり返して表面が出るように長方形に半分にします。また開いて反対方向に長方形に半分にします。表面から見ると×方向に谷折り、+方向に山折りとなります。これを表に向けて上から押してあげれば折れ線に従って鶴の基本折りとなります。私も急いで作ったりするときやたくさん作るときは簡単な方法で折りますが、子どもに教えるときは開いて折る、開いて折るを繰り返させます。自分が折れることと、子どもに教えることは異質だからです。

 △折りと長方形折り(□折り)は折り紙の基本であるのでしっかりと教えましょう。指導員の仕事は折り鶴を子どもが折れるようになることが目的ではありません。子どもが折り紙の折り方をマスターして、自分でいろいろなものを作れるようにすることが目的となります。放課後児童クラブなどでお迎えが来て、折り紙が完成出来なくても「今日は△折りまでがしっかり出来たね。また次にやってみよう」と声をかけてあげれば納得することもあるものです。
     
 □折り△折りで鶴の基本折りとなる  △折りを表、□折りを裏にすれば風船の基本折り

 △折りの次にマスターさせたいのは、△合わせ折りです。中心線に向かって左右から△に合わせて折るものです。これは飛行機などを作るときもよく使います。トッピューンS飛行機などで折り方をマスターさせるように私はしています。
   
 折り鶴では正方形になった折り鶴の基本折りの切れている方を左右△合わせ折りにします。裏面を同じく折れ線を左右△合わせ折りでつけ、上の部分を△に折り、折れ線をつけます。折れ線に従って開いてあげると鶴の形になっていきます。ここまでをきちんと折れれば、折り鶴はほぼ間違いなくしっかり出来ることになるでしょう。
  

 鶴の基本折りから、鶴を作って、少し、尾とくちばし部分を斜め下にスライド折りにします。スライド折りはけっこう難しいものです。たんに引き出すのではなくて、斜めにスライドさせるものです。これは出来ない子ども(大人もかな)多いので手伝ってあげることも必要です。すると折り鶴が羽ばたくようになります。

 動く・簡単・面白いものから
 折り紙を指導しようとする人は、折り紙が好きな人が多いと思います。どちらかというと得意な人たちでしょう。このため、なんで子どもがわからないのかを理解出来ないことがあります。私は大学生になるまで折り紙は苦手でしたので、折れない子どもの気持ちがよくわかります。折り紙というとすぐに折り鶴をイメージするのが問題ではないかとも思います。
 動く・簡単・面白い折り紙からやるようにするのが良いと思います。
 トッピューン飛行機や改良型倒立折り紙など保育園幼稚園の年長組でも作れるものから始めて、折り紙を楽しむ心を培うことが大切と思います。

 

http://www.na.rim.or.jp/~tomoyan/origami/topyu-nns.html

http://www.na.rim.or.jp/~tomoyan/origami/kairyoutouritu.html

羽ばたくトリや色替え3枚ユニットコマみたいなものが次の段階のように思います。

  

http://www.na.rim.or.jp/~tomoyan/origami/habataku.html

http://www.na.rim.or.jp/~tomoyan/origami/3maiirogae.html

好きになれば、どんどん難しいものでも自分から挑戦していくものです。この挑戦する心を上手く引き出すのも大事ですね。

学ぶことから遊ぶことにメリハリをつける 
 鶴の基本折りを教えるまでは学ぶ(=まねぶ)ですから、静かにきちんと見て、しっかりとまねるようにさせます。ここでは子どもの自主性とかを主張するのは間違いです。他の人の邪魔にならないように静かに真剣に真摯にさせることが必要です。発達段階的に出来ない子どもがいるとすれば、その子どもには代わるべき「一人静か遊び」を提供することが必要です。自閉症傾向の子どもであって、折り紙活動の初期の場面で参加できないで、カーテンの後ろにいたり、隅にいて静かに一人で時間を過ごせていれば問題はないのです。
 羽ばたく鶴が出来上がった時は学ぶから遊ぶへの転換期です。遊ぶは心を自由にして心を解放して楽しむことです。いろいろな羽ばたき方が出てきます。それぞれに『素敵だね』『面白い動きだね』『超すごい』などと褒めて回れば良いことになります。よく褒めて育てると言いますが、危険なことやルール違反・学ぶ時に勝手な行為は許してはいけません。でも自由に遊ぶ時間には思い切って褒めることが大切となります。多くの方々が、私が子どもを大きな声で叱る割に子どもがついて来ると疑問に感じているようです。怒るのは褒めるためであり、たぶん他の人の3倍以上、私は褒めています。褒めるのは万が一の時にしっかり叱ることが出来るためです。

ユニット折り紙とユニバーサルデザインそして量が質を生むこと

 △合わせ折りの次は斜め△合わせ折りです。長方形で作るヤリ飛行機や戻ってくる飛行機を作るときは長□折りをし、△合わせ折りさらに斜め△合わせ折りをします。
 次に座布団折りをやってみます。△折り・開いて△折り・長□折り・開いて長□折りをし、中心線に向かって座布団のように半分にします。3枚コマユニットや奴さんユニット・カメラなどが奴さんユニットの基本折りをたくさん使いますので上手くやる必要があります。奴さんユニット折り紙は奴さんユニットをたくさん必要とします。
   
 座布団折りも□折り・△折りをしてからやるとやりやすい

 千羽鶴もそうですが、同じことをたくさんやることは実は量をこなすことで質的な転換へとつながるものです。これは弁証法の考えです。一見同じことを繰り返して、量をこなさなければ質的転換は起こらないものです。また
ips細胞のようにシンプルなものが複雑なものを生み出すものです。ユニット折り紙における1次ユニットやカプラの木片のようにシンプルなものが複雑なものを生み出すことができます。ユニバーサルデザインの考え方にも通じますね。
 ユニット折り紙は第1次ユニットの基本形をたくさん作ることで次第に作ることへの質的な転換を図り、ユニバーサル的なものへと発展していきます。
 くすだまユニットは角の△折りから225度の折り返し折りを入れます。この1次ユニットを組み合わせることでいろいろなものを作ることが出来ます。一次ユニットから2枚ゲジゲジ2次ユニットや3枚ゲジゲジ2次ユニットを作ることで、より複雑なものへと発展させることが出来ます。このプロセスは子どもたちの創造性を限りなく伸ばしていくものです。
      

     くすだま1次ユニット         2枚ゲジゲジ2次ユニット

働くことの意味
 日本語の成り立ちと漢字への当てはめを考えてみたいと思います。まず基本的な和語があり、その後に漢字が入ってきて、適切な感じが和語に当てはめられて訓読みができたようです。また適切な漢字がない時は日本人が漢字を作りました。これを国字と言います。働くとの漢字も中国にはないもので国字です。はたらくの和語は傍を楽にするからきているようです。これを漢字で考えた時に、人のために動くで、働くとの漢字を日本人が作ったとのことです。
 折り紙をやる時も準備過程や終了過程には働くを必ず入れるようにしたいものです。始める前に美しくで、折り紙が出来るような環境を整える。みんなのためにチラシを正方形に裁断したり、折り紙を配ってやる。最後に、後片付けをきちんとすることが大切です。指導員ばかりが準備と後片付けをするのなら、折り紙はたんなるお遊びになり、子どもたちの有用な活動ではなくなってしまうように私は思います。働くは人のために動くですから、自分のためではなくて利他的な活動となります。遊ぶや学ぶはどちらかといえば、利己的な活動となります。利他的活動と利己的活動はバランスが必要です。子どもたちに折り紙を教える過程も利他的と利己的な活動のメリハリをつけたいものだと私は思っています。

   多重知能理論と折り紙活動
 折り紙活動と言えば工作的な活動と思ってしまいます。人間の能力は多重であるとガードナーは主張しています。ガードナーの多重知能理論によれば人間の知能は言語的知能・論理数学的知能・身体運動的知能・空間的知能・対人的知能・個人内知能・音楽的知能・博物的知能の8つに考えるとことが出来て、それぞれのモジュールが独立して関連し合いながら機能していると言われています。折り紙をたんに芸術的なものだけにしないで、多くの知能を使うように考えることが必要であると私は思っています。
 アクション折紙は、折り紙を折りながら、気合いで倒したり、走ったりして作りながら身体運動的知能を高め、友達との助け合いを通して対人的知能を培い、歌を唄いながら遊びことで音楽的知能を刺激し、紙飛行機などを飛ばすことで論理数学的知能を高めるようにと考えてやっています。折り紙をやる時に、ガードナーの多重知能理論を上手く使えばいろいろな参加方法があることがわかります。折り紙を折るときにはカーテンの裏で休んでいたけれど、飛行機を飛ばすときに出てきて、対人的知能と運動的知能と空間的知能を高めることは出来るのです。

ヴィゴツキーの最近接領域のこと
 子どもたちの能力が上がり、子どもたち同士の教え合いなどが活発になると指導員はそれでは何をしたらよいかとの話になります。ロシアの教育学者ヴィゴツキーは最近接領域との考え方を提唱しています。子どもたちだけでは次の明日への一歩を見つけることが出来ないので、子どもの明日の一歩を提案してあげることが大切だとの考えです。
 鶴の小物入れの作り方があります。つぶし折りでつぶしながら上手く開いていくものです。これはなかなか大人でも出来ません。ただたんに折り紙を与えただけでは新しい折り方が出来るというものではないのです。そこで指導員が次の折り方を教えます。子どもにとっては学び(まねる)ですから、真摯に学ぶことになります。つぶし折りが出来るようになると折り紙の作り方の手法はとても広がって、鶴の基本折りからアヤメなどを作ることもできます。
http://www.na.rim.or.jp/~tomoyan/origami/turukomono.html
   
     
        つぶし折りの様子     鶴の小物入れ完成図

 子どもたちに折り紙を教えるときに私たちはこの子どもが明日出来ることは何を考えておく必要性があります。指導員はそれこそ指し示す必要性があります。たんなる介助や援助とは少し違うと私は思っています。同時に指導するということは常に子どもの発達段階を観察する必要性があります。私は理解するはunderstand=下側に立つであると考えています。いつも子どもの下側に立って、子どもから学ぶ姿勢を持ち続けることが必要であると思っています。 

2、子どもの理解の仕方

子どもの発達段階の理解の手法
 子どもの発達段階を理解することの必要性を私は強く思っている。子どもを受容し、共感すれば全て上手くいくと考えている人たちが多い。褒めてあげることが必要と強く主張する。3歳未満児までは受容共感の手法も有意義であるだろう。しかし、三つを超えたら子どもの発達段階から考えて一つの手法だけでは上手くいかないことが多い。   私は放送大学院で発達心理学特論や乳幼児発達心理学・生涯発達特論などを学ぶことを通して、いろいろな発達に対する考え方を学んだ。ビネー・ピアジェ・フロイド・エリクソンなどの人間の発達を理論的にとらえることの必要性を感じた。同時にそれらを私流にまとめてみると、江戸時代の『三つ心・六つ躾・九つ言葉・十二文・十五理』との考え方が日本人に一番適応しているように感じた。
 日本人は世界の国々の中で子どもを一番大切にする国民である。落語の初天神でないけれど、とても子どもを大切にしてきた。今でも若いお父さんに生命を助ける順序を質問すると『1に子ども2にお母さん3に自分』と答える人が多い。日本人以外では『1に自分、2に妻・3に子ども』との順序になることもあるという。子どもを大切にする日本人の民族性が子ども理解を深めていったのではないかと私は思う。

   三つ心の意味
 三つとは数え年の考え方である。お母さんのお腹の中が1年だから、生まれたら一つとなる。お正月が来たら二つになる。おおよそであるが満年齢と1歳違いと考えるのが良いだろう。ですから三つとは3歳未満児のことであり、3歳児は四つとなる。
 三つ心とは三歳未満までは愛情深く子どもを育てることが大切との考えである。三つまでの子どもはある意味では自分と他人の区別がそれほど明確ではなくて、全能感もあるようだ。大人を自分の思い通りに使って楽しむ傾向がある。(男の子は言語的知能や社会的参照能力に劣るので四つくらいまでかな。女の子は三つまで)その分だけ愛らしくて可愛がられるようなしぐさを無意識に身につけている。
 三つまでの子どもに折り紙を渡してやると、二つくらいまではすぐに壊して遊ぶ。三つくらいだとけっこう楽しんでくれる。倒立折紙や羽ばたく鳥などを喜ぶ。このように考えると三つまでの子どもには概ね、お母さんや上の子どもが折り紙を作ってあげて、楽しむようにする経験が必要ということになる。三つまでに折り紙に親しんだ子どもは次第に折り紙を自分自身で作ろうとするものである。お母さんたちや保護者等に折り紙を教える所以もそこにあると私は考えている。

   六つ躾の段階
 三つを超えると子どもたちは自分と親の区別や自分と友達が違った存在であることが明確となってきます。3歳児から保育園を卒業するまでに基本的な躾が必要となります。躾の中には基本的な排便や衣服の着脱・清潔の習慣などもあります。同時に他人と上手く共存するための仲間のルールなどを守ることの必要性も大切になるでしょう。砂場で遊んでいて、他人の遊具を黙って使うのが未満児だとしたら、それは許されないことを理解して『貸してね』等の声かけをして了解を得るなどの躾も必要です。
 折り紙を配るときに『赤色の折り紙をください。ありがとうございます』などの躾もしたいものです。もちろん物の使い方も理解できる年齢ですから、未満児のようにすぐに折り紙をぐちゃぐちゃにしたり、他人の作った作品をひったくったりすることはきちんとダメと言う必要性があります。
  同時に三つから六つはまねっこが好きな段階です。学ぶはまねぶ=まねるが語源ですので、質の高いものをこの時期にどんどん提供してやれば、どんどん吸収していく時期でもあります。基本的な躾と並行して有意義な活動を提供してあげたい時期であると私は思います。
 また、基本的なものの使い方を躾けることも大切でしょう。ハサミを使うときの使い方や返すときはしっかりと閉じて刃の方を持って相手に渡す等のことが出来るようにしつける必要性があります。
 自分の生命を自分で守り、他人の生命を傷つけることがあってはならないこともしっかりと知る必要性があります。三つの時は危ないものを周りに置かないことが必要です。三つを超えたら危ないものを理解して、危ないことをしないくらいの理解力が出てきます。滑り台で後ろから他人を押すようなことがあってはいけないと思います。
 折り紙のことで考えてみると、三つまでの子どもが多い中で先の尖っている紙飛行機も危険かもしれません。年少から年中になってきたら、紙飛行機が飛んできたら、目をつむるとか逃げるなどの動作が反射的に出来るようになる段階であると思います。そうした危機管理能力を身につけていく段階でもあります。基本的な躾をやっておくのが六つまでです。なお保育園の年長児は途中で満6歳になっているわけですから、保育園の年長というのは次の段階が始まっていると考えることが必要であると思います。

   九つ言葉
 思いを言語化出来るというのは客観的に物事を見える段階になってきたことでもあります。自分がいて、他人がいて、第三者がいる関係性を明らかに認識できる段階でもあるでしょう。折り紙を折れない子どもを子ども同士で教えててあげたり、手伝ってあげることもできる段階だということです。利己的行動から利他的な行動も出来るという段階です。最近では六つ躾がきちんと出来ていない子どもが多く出てきています。この子どもたちはある意味では権利主張だけが強くて、利己主義的な段階を卒業出来ていないことが原因であるとも考えられます。基本的な躾をし直すとともに、発達段階的に他人のことを客観的に認識が出来る段階でもあるわけですから、利他的な活動をしたときにしっかりと褒めてあげ、利己主義的で他人に迷惑をかけるときはきちんとダメということが必要となると思います。
 自己中心的で自分勝手な行動が多くて、他人に迷惑をかける子どもに対して、受容共感的な態度で接することは私の経験ではプラスではありませんでした。自己中心的でわがままな行動が習慣化していることと、利他的行動は損だと感じているからです。このような場合には、折り紙等も参加しないで、一人静か遊びをさせるべきであると私は思います。六つまでのまねっこ時代は過ぎているので、指導員のまねっこでなんとか出来る段階ではないからです。最低限のルールを守って活動できないのなら、みんなと同じことをしなくてもよいから別のことをするように働きかけることが必要となります。
 同時に九つまでの子どもは群れて遊びたい時期でもあります。ルールを守らないならば一人静か遊びをさせておきますが、ルールを守るならば、過去のことはとやかく言わないですぐに仲間に入れてあげることが必要です。私は紙飛行機などを作るときに、50人の指導をするならば、5機くらいは作って持っていきます。最初に参加しない子ども、参加できない子ども用です。7〜8%は確率的に仲間に入れないない状態の子どもがいるからです。ほとんどの子どもが飛行機を折れるようになった時に参加できないもしくは参加させられなかった状態の子どもに、作っておいた飛行機で仲間にしてあげます。(折り紙を指導に行くと、参加しない子どもにしつこく参加を呼びかける職員がいるものです。私は90分の指導時間の中で最終的にみんなを参加させようと思っているので、『余計な声かけをやめてください』とお願いしています。)
 九つ言葉とはしっかりとお話が出来るとの意味ですから、『折り紙をやりたいので赤い折り紙をください』『ありがとうございました』などの言葉をしっかりと言えるようにすることも大切です。小学生期の子どもたちには『折り紙をやりますが、赤・青・黄色のどれがいいですか?』のように選択肢を与えることが必要となります。同時に折り紙を配る係を子どもにやらせて、配る係にきちんとお願いをし、お礼をいうことが出来るようになることが必要となります。係になることによって、他の人の言葉使いを学ぶことにもなります。
『紙』

『何紙?』
『折り紙』
これで折り紙を渡してしまうようでは、困ったものです。

   十二文
 十二文とは十から十二までの間にきちんとした論理的な分を書けるようになることを目指すことです。数え年ですから概ね満9歳から11歳までにです。これは小学校3年生の後半から小学校6年生までとのことです。つまり小学校高学年(4年生から6年生)と考えることが出来ます。
 小学校低学年(1年生から3年生)と高学年では異質な存在であるととらえることが大切です。1年生の平均体重が21・3kgに対して4年生は30・5kgです。(2012年文部科学省学校保健統計調査より)体格的にもこれだけの違いがあるし、心の発達との考え方からも十二文のように自分や相手や第三者を客観視し、それを文章化出来る年代です。
 六つまでのようにまねっこが好きでもありません。しかし、九つまでのようにみんなと同じことをやりたいとの思いから、自分なりのことをやりたいと思いだす時期でもあります。
 折り紙をやる場合でも、『折り紙をやりますが、赤・青・黄色何がいい?』などとの誘導にもついてこないことが多いものです。私は高学年の子どもには折り紙をやる場合でも、あらかじめ協力要請をしています。『君が中心になって頑張ってくれないと、困るのだよ。ちょっと手伝って欲しいんだ』との声かけをしています。女の子はこのやり方でたいていのってきてくれるものです。男の子の場合は女の子とちょっと違うようです。言語的知能と対人的知能について男の子は女の子に2歳くらい劣ります。その代り、身体運動的知能や空間的知能や論理数学的知能には優れている面があります。それぞれの特徴をいかして、男の子には流体学的要素や空間的な要素の強いドリーム飛行機やペガサス・ユニットコマなどの動く要素の折り紙をやろうというと一般的についてくるものです。女の子には鶴の小物入れとかアヤメの小物入れ・くすだまユニットなどが喜ばれます。(男の子の10人の内9人くらいは男性性的要素が強く、1人くらいは女性性的傾向があります。女の子は9人が女性性的で1人が男性性的です。ジェンダーの考えも第1期が形式的不平等の是正・2期が実質的不平等の是正・3期がいわゆるジャンだ―フリーと言われているもので、性が社会的に作られたものだとの考えです。今は第4期でジェンダーシンシビィティの時代であると言われています。男性性的タイプ・女性性的タイプが生理的社会的歴史的に形成されたものであれ、存在する性的な違いにシンシビィティ(敏感)であれとの考えです。)

   十五理
 江戸期は十五になれば仕事についたり、元服となる年でもあります。(数えで12歳から16歳で元服式があったという)数え13・14・15は今では中学生です。今でもどのような高校に進学するかである程度人生の方向性は決まる傾向があります。自分がどのような人生を歩むかをある程度意識する時代です。中学生や高校生の職場体験やボランティア活動や勤労奉仕などの働く経験が必要となる所以でしょう。
 中高校生が小学生までの間に折り紙などをきちんとマスターしておけば、千羽鶴を折ったり、楽しい折り紙を作ってあかちゃんなどの訪問を老人ホームなどの訪問でも交流事業をすることが可能です。

    青年期からのこと
 青年期から成年期、中年期などは職業や一つのことに集中する時期でしょう。でもまた老年期に入って子ども時代に折り紙を覚えたことは役立つと思います。成年期等でも海外等に出かけた時に日本の文化を紹介するのには役に立つように思います。自国の文化をしっかりとマスターしていることが他国の文化を尊重することになると思います。折り紙の文化を広めていくことは国際化時代に有意義であると思います。

3、折り紙を教えるときの指導員同士の関係

 児童館や放課後児童クラブの活動は基本的にグループワークの考え方が中心になっていると思います。グループワークの場合に、45人ぐらいの集団を5人〜6人の小グループに分けてフェースとフェースの関係性を作れる集団の切磋琢磨を通して、子どもたちのよりよい成長を図ることが目的になるでしょう。45人程度の集団の中に7グループから8グループの小グループが存在することになります。

  障害児加配職員の問題
 45人の子どもがいると2〜3人はADHD傾向の子どももいます。放課後児童クラブならば加配職員がついているものです。 障害児加配とは私は障害児を抱えるクラブへの加配であって、障害児への加配ではないと思っています。障害児がみんなと仲良く一緒に活動できるように手助けするために加配職員は存在しています。保育園や放課後児童クラブに行くと、加配職員が障害児の手とり足とりやっていることがあります。私は害のあるほうが大きいように感じています。クラブ全体を見ながら、動ける職員であってほしいと思います。具体的には障害児が一人静か遊びしているなら、全体の指導の手助けをして、障害児をグループワークの中に最終的には入れるような手助けを考える行動をとることです。最終的に仲間になることが大切であって、まだその子のレディネス的に無理なのに障害児に『やろうね』等の声かけも邪魔になることが多いものです。

   中心になる職員とサポートする職員の関係

 私の最初の赴任した学校は肢体不自由児の支援学校でした。私が授業をして、大先輩である上司がサポートをしてくれました。てんかん発作やおもらしをしたときも上司が子どもの世話をしてくださいました。授業後は指導方法の指導をしてもらっていました。この時の経験は私にはとても貴重でした。
  正規職員や臨時職員・時間パート職員など最近では身分的にもいろいろな状況があります。しかし子どもを教えるとの立場においては一緒ですから、誰かが中心となったら、それ以外の職員が上手くサポートする関係になるのが良いことだと思います。
 折り紙を折る場合でも折り順や折り方はいろいろあります。子どもへの声かけも多様です。上手く全体が回るサポートが出来るようにと思います。
 当番制にして、当番の人はやるけれど、当番以外は口出しをしてはいけないというのも変です。お互いに切磋琢磨の観点からは活動終了後に上手い話し合いをしていきたいものです。

    四苦八苦の話
 仏陀は四苦八苦から人間は逃れられないと自覚することが悟りであると教えてくれています。四苦八苦とは生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦おんぞうえく・求不得苦ぐふとくく五蘊盛苦(ごうんじょうくのことです。放課後児童クラブや児童館も職場の仲間との関係性なしで働くことが出来ないことが多いものです。グループワークの場面だけではなくて、それ以外の時もいろいろです。もちろん折紙指導の場面でも同じです。そして愛別離苦もあれば怨憎会苦も当然あります。怨憎会苦とは嫌いな人と一緒にいなければならない苦しみのことです。
 怨憎会苦から逃れることは難しいものです。そんなもんだと思いながら程よい距離を保つことが必要だと私は思っています。
 人間関係を点数化して、愛情・関係性・バランス・間・言葉の5つに分け、それぞれ2・1・0(良い・普通・悪い)と点数化します。この5項目の合計点数が10ならばやりすぎ、9〜8なら大変良い、7〜6なら良い、5なら良くもなく悪くもなく、4〜3なら悪い、2以下なら関係性を持たない方が良いとします。愛情と関係性は基礎点とします。怨憎会苦の関係性にある人とはこの基礎点が0などですから、なかなか上手くいかないを前提にバランス・間・言葉を選んで関係性を結ぶことが必要となります。バランス・間・言葉をきちんと選んで発言しても上手くいかないのなら、一般常識のない人とのことになってしまうので、また再考が必要となるでしょう。現場は怨憎会苦の関係性に近い中で仕事をしなければならないこともあるので大変です。そのことを理解し合っておくことも必要なのかもしれません。
 折り紙活動をやる時も一緒で折り紙同好会のように気の知れた仲間とやるのと、放課後児童クラブや児童館の職員でやるのとは違ったものになります。考え方もやり方も、折り紙に対する好き嫌いもあると思います。それこそ四苦八苦の繰り返しのように思います。お互いに上手いサポートが出来る関係性にしたいものです。そのためには最初から上手くいくとは思わないで、出来るところからの助け合いが必要です。折り紙が下手でも、ゴミ拾いや後片付け、準備の手伝い、子どもの安全管理などやることはいろいろあるからです。そして時には折り紙のあまり上手くない人が教える役目になり、上手い人が上手くサポートすることも必要となります。折り紙名人な人は教え上手を育てることが必要と思います。

4、折り紙を教える目的

   折り目正しくを再び
 折り紙指導の目的は折り紙を折れることではなくて、折り紙の折る過程での折り方をしっかり教えることにあると私は考えています。ですから結果的に折り鶴がきれいに出来たかどうかが目的ではないと思うのです。しっかりと□折りや△折りが折り目正しく出来ればそれが評価対象になると思います。私は大学卒業後の勤務校が県立新潟養護学校した。折り鶴までは折れない子どもの方が多くいました。車いす生活で走ることが出来ない子どももいました。でも自分の出来る範囲で出来ることをしっかりと折り目正しくやれば良いのだと思います。
  教え合うことの楽しさを知る

  折り紙等の得意の子どももいれば苦手な子どももいます。職員も折り紙の好きな人もいれば嫌いな人もいます。他人より上手く出来たことで、優越感を持つというのが目的ではないと思います。もちろん人が出来ないことを出来ることは自慢したいとの気持ちがあることを否定しているわけではありません。しかし自慢と優越感が一番とは限らないと思います。仲間と助け合って何かを成し遂げるのも面白いものです。折り紙はどちらかというと難しいものを作って成就感を得るのが多い場合もあります。私は簡単でよいからみんなで作り上げる・教え合うことが楽しいことを目的にした折り紙を児童館や放課後児童クラブでやるのが良いのではないかと思っています。

    国際化時代の中で
  国際化時代の中で、英語を話すことが大切と言われているようですが、日本人として日本文化をきちんと知っていて、外国にも伝えていくことが必要と思います。きちんとした日本語を話すことができ、日本文化を紹介できることが国際化時代には大切と思います。折り紙の目的はきちんとした日本文化を伝え合うことにあると思っています。

 

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クリスマスプレゼント入れ            サイコロユニットを2枚ゲジゲジ2次ユニットを使って

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