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  ヴェイラントの心的防衛について (2015年1月1日)

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□適応的な心的防衛について






   


ヴェイラントの心的防衛(無意識的防衛)と子どもたちのこと

ヴェイラントは11種の心的防衛があると指摘している。適応的なものが5種と不適応的なものが6種である。ヴェイラントは大人の場合のことを書いているが、子どもにも対応できると思うので、考えてみたいと思った。(ヴェイラントはハーバード大学等で成人の発達について長期にわたって縦断的な調査をした責任者)

不適応な心的防衛には、投影・幻想・行動化・消極的攻撃・解離・心気症である。適応的なものは、抑制・ユーモア・愛他主義・予期・昇華である。

 不適応的なものから子どもの場合にどんな感じになるかを私自身の経験から考えてみたい。

@  投影とは自分の欲求不満や葛藤を他人のせいにしたり、自分ではなくて他者がそう思っていると考えるとのことである。

子どもたちはよくケンカをして相手を叩いたりして注意されると『誰々ちゃんがだって私のことを意地悪といったんだもん』などと言うことがある。実際に意地悪を言われた場合もあるけれど、そうでない場合もある。

また、友達関係が上手くいかないときに、『私は一緒に遊ぼう』と言うけれど拒否されると言う。しかし現実はその子どもが自己中心的な振る舞いが多いために一緒に遊んでもみんなが楽しくないので、一緒に遊ばないことも多い。鬼ごっこをやれば、自分は絶対に鬼になりたくないタイプで、捕まりそうになると『タイム』を連発する。

A 幻想とは現実には実現していない自分の願望が実現したと思いこんでしまう。

  現実にはゲーム機等を持っていないのに『自分は最新のゲーム機を持っている』と話をする。本人自身は本当に持っていると思っていることもある。みんなに嘘つきだと言われてしまうことが多い。

B 行動化とは自分の欲求不満や、葛藤を解消するために、問題行動を起こす。

上手く仲間同士で遊べなかったり、ゲームに負けたりすると、トイレに閉じこもって、占拠したり、ゲーム版をひっくり返したりする。またトイレにトイレットペーパーを詰め込んで故意にオーバーフローさせたり、小便等を故意にまき散らしたりするなどの事例を私も経験した。

C 消極的攻撃とは暴力や、自己主張などで、明らかに相手を攻撃する訳ではないが、皮肉を言う、相手を困らせるなどをする。

  急にしくしくと泣きだし、みんながどうしたら良いかわからなくなり苦労をさせる子どもがいる。また、『どうせ自分は何も出来ないのだから』などと無意識的に嫌味を言ったりする。

D 解離とは受け入れがたい現実を見ないようにして、自分が受けた否定的感情を否定してしまう。

  解離的な状況になった子どもとの経験は私にはありません。

E 心気症とは自分の欲求不満や葛藤を、自分の病気(現実のもの、空想上のもの)に人の目を引きつけることで解消しようとする。

  実際には病気ではないのですが、学校等に行けない場合に、朝になると頭が痛くなったり、熱が出たり、お腹が痛くなったりする。仮病ではなくて、心的防衛の一つとして病気になることがある。

 

以下に、私自身の経験で、不適応な心的防衛に対して、どのような対処をしたかについて考えてみたい。

@    投影の場合に自分を客観視出来ていない場合が子どもには多いように思えた。ロールプレーの手法を使って、先生ごっこや立場をとっかえて劇遊び等をすることで、自分の姿を見直す等の活動が効果的であった。ある子どもは放課後児童クラブでいつも人のせいにして、喚くことが多かった。数クラブ合同の集いの指導を頼まれたことがあった。集いの中で、その子以上に他人のせいにして騒ぐ子どもをみて、自分のクラブの指導員に『先生。僕もあんなだったんですかね?』と自分を客観視したことがあった。

自分のクラブだけに閉じこもらないで、いろいろな世代やいろいろな場所で多くの経験をしたり、日常的なごっこ遊び等は有用であると私は感じる。

A    幻想の場合はやはり勤労経験(働く経験)がとても良いと思う。学ぶことや遊びことは個人的なことであることも多い。しかし働くは傍を楽にするとか、人のために動くが語源であるから、基本的には利他的行為である。(愛他主義)他人との関係性を抜きにすることが出来ない。働いた結果は自分だけではなくて、他者の利益を生むものである。実際に働いたものの成果が自分や他人の目の前に見えるようなものが良い。たとえば、草取りとかゴミ拾い・石拾いの活動をする。頑張ってやったとして、『僕だけがたくさん集めた』みたいな幻想はあまり持つことがないであろう。自分も頑張った。他の友達も頑張った。結果として、これだけの作業が出来て、環境がきれいになって良かったとの満足感は仲間意識と自分自身のアイデンティティー確立の一助になるのではないだろうか。何かを実現させるということは、地道な努力と汗を流すことである。勤労経験や働くこと・ボランティア活動は一攫千金のようなものと反対であるから、あまり幻想を抱くことがなくなるのではないかと私は平島公園の清掃活動や元職場の環境美化活動を子どもたちと一緒にやることで学んだ。

B    行動化して他人に迷惑をかける行為や言動についてはきちんと抑制する必要があると思います。見えないところで、人の迷惑をかけるようなことをするならば、一人か二人指導員をつけてみることも必要です。犯罪が行われるための条件は、イ死角があるために犯罪が行われる、ロ不当な暴力を使用する方の力が強い、ハ知識が悪いことをやるほうが持っている場合のことである。一般的に子ども相手の場合にイの死角があるパターンのことが多い。死角をなくすために、職員を常時付けておくことは必要な場合もある。小便等をやられてみんなに迷惑をかけられ、その始末に追われるよりも先手必勝で職員を付けた方がベターと考えられる。なお犯罪を起こさなければ問題がないのだから、問題を起こさなければ褒めてあげて、みんなのためになる活動をしていくようにしていくことが大切であると私は思います。

トイレに入るとトイレットペーパーを詰まらせる場合にトイレの見張りを強くした。その上でやった子どもを特定し、行為を抑制し、やらないようにするとともに、その子どもの得意を見つけてやり、得意を伸ばすように働きかけた。

C    消極的攻撃で、集団活動には参加しない子どもがいた。とくに反発するわけではないが、いつも無表情で、他の子どもが熱中しても、別の雰囲気で、冷ややかに見ていた。参加型の児童劇で「サルのハンカチーフ売り」の活動があった。サルがハンカチーフをとってしまってお調子にのる場面になったが、数人の子どもを中心に収拾がつかない状況になってきた。その時に玉川まや子さんと小野眞理子さんはサル語を使って上手く誘導してみんなを導いてくれた。無意識的な行動には言葉の説得ではなくて、サル語や原始的なものが子どもの心に迫るのだと学習した。ついつい『なんでそんなことをするの?』と聞いてしまうのを慎むことがどれだけ必要なのかと思った。

D    解離にはあまりあったことはない。ただ、自閉傾向の強い子どもや興奮すると自分ではわかっていても騒いだり、涙が出たり、走り回ったり、手足が震えてしまう子どもたちにはたくさん出会った。ある意味では現実世界でないあっちの世界に行ってしまっているので、無駄な声かけをしてもプラスにならないことが多かった。それならば危険のないようにだけして、こっちの世界に戻って来るまでじっくり待つのが良いとわかった。こっちの世界に戻ってきてから『どうだった?』と尋ねると、『自分でもわかっているのだけれど、身体に勝手にスイッチが入ってしまう』との話であった。そういうこともあるのだと思う。

E    心気症で登校拒否の子どもたちにはたくさんの出会いがあって、いろいろと教えてもらった。実際に頭がいたくなり、腹がしくしくして、脈拍も速くなったりするという。無理をして学校に連れていっても−になることもある。時という薬が一番の時もある。この薬が効いてきたタイミングを見極めるのはとても難しいけれど、タイミングは探さなくてはいけない。時の薬が必要な間は出来るだけ夜昼の逆転を防ぐことが大切のようだと思った。学校には行けないけれど、朝起きたら、学校以外の施設に行くか、外に出ることは有意義である。学校に行っていないのだから、その時間帯は学習をさせるのが良いとの考えになりそうだが、私はあまり賛成ではない。私は職場で働かなければならない。学校に行けない子どもの学習を見ていたら、働くことが出来ない。そこで、草取り・おやつ買い・公園清掃・ローラースケート場清掃などなどの仕事をしてもらうことにした。これは二つの効果があった。他の子どもが帰って来てから、『○○ちゃんだけずるい』みたいにいうときに『あなたも私と一緒に仕事をするなら、学校に行かなくても良いように先生とお母さんに頼んであげる』と切り返すことが出来るからである。もう一つは、昼間学習が出来ないので、午後や夕方に学習をすることになるので、時間の有効活用となり、夜にはしっかり寝ることになる。このことで夜昼の逆転を防ぐことが出来た。心気症傾向の子どもには遊びの大切さとかいわれるけれど、勤労体験や働く意義を見つけることの方が、効果があると私は思う。

平成27年最初に、子どもの不適応な心的防衛について考えてみました。


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