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■泣けば勝つと騒ぐ子どうする 詳細トップ






  子どもの困った行動どうするNO1   暴力を振るう子どもどうする

 子どもにもいろいろいる。聞き分けの良い子どももいるし、いわゆるジャミル子どももいる。何か欲しいと泣いて喚いて大騒ぎである。『今日はジャスコへ行っても買わないという約束だったでしょ。ダメよ』なんていっても手を振り回し、足を蹴り上げ、大声で欲しい欲しいと喚きまわる。結局親が他人の目が気になって根負けし、買ってやることになる。子どもは泣けば喚けば勝てるということを強く学習する。


 泣いて喚いて大騒ぎをして自分の意志を通そうとする子どもが増えているが、大人になっても同じようで、精神年齢の低い自己中心でわがままで自己責任を果たせない人も多い。


 やはり考えなくてはならないのは、根負けしないことである。今日は絶対に買わないと決めたなら、どんなことがあっても買わないことを通すことが大事だと思う。根負けするかもしれないと思うならさっさとあきらめて買ってやればよい。さんざん泣いて喚いて大騒ぎして結局買ってやることが一番よくないように私は思うのである。昔は停電があった。台風がくると電線が切れて真っ暗になるのである。泣いても喚いても電気はついてくれない。そこであきらめることになる。あきらめてろうそくの火で我慢をしている。不思議と家族の連帯感が出てくる。そんな時電気がついたりすると『つくなよ』と思ったりするものであった。最近では停電がなくなり、冷蔵庫には食品が詰まっていて、テレビとゲームボーイでなんとか誰もいなくても過ごせそうな錯覚がある。そしてなんでも自分の思い通りになるかのような勘違いが生じている。私はこのことが自己中心で泣けば喚けば勝つと勘違いしている子どもが増えていると考えている。子どもも大人も泣いても喚いてもダメなこともあることをしり、、我慢して迂回することも必要なことを理解すべきだと私は考えている。


 考えると実践・実験してみないと気がすまないのが私の性格である。あきらめと我慢が子どもには必要と仮定し、その実践を試みた。対象は親子で遊びましょうに来る双子グループえだまめクラブの子どもたちである。一人の子どもと違い双子の場合は、お母さんは同時に二人を相手にすることができない。一人がが外に出ようといい、もう一人が遊戯室で遊ぼうというとき、双子のお母さんはどちらかを選択せざるをえない。しかし遊戯室を選べば、ランラン1号は喜ぶがランラン2号は泣く喚くことになる。逆に外を選べばランラン2号は喜ぶがランラン1号が泣き喚くのである。えだまめクラブは双子を持つ親の当事者グループなのである。子どもが一人の場合は親が外に出ようといっても子どもが室内を選択すれば、親は子どもの意思に従うことになるので、泣いて喚けば勝つことを学習することが多い。

 ところが双子はそういうわけにはいかないのである。親も泣く喚くを許すことが物理的に出来ないのである。この泣いている子ども・・双子のうちの一人・・を私は親から強奪し、無理やり児童センターの外を一周する。当然子どもは『お母さんがいい。お母さん。』と喚き、泣きじゃくる。それにも負けないで母親の見えなくなるところで『泣くとお母さんのとこに連れて行かないぞ。だまれ。』と脅すとぴったと泣き止むのである。『ほおうら泣かないでよいこだ。良い子は手を上げ。』と言うとしっかり手を上げるのである。子どももあきらめることが大事なのである。ある意味ではもう泣きやめたいのだけれど、どうしたらよいかわからない状況に陥っていることもあるのである。そこで私に脅されて、泣き止んで元気にお母さんの元に帰って行く。


 いつでもどこでも自分の思い通りになることなど世の中ではないのである。少子化の中で親の子どもに対する期待が大きく、期待実現のために余りにも子どもの要求を安易に認めることは逆に泣いて喚けば勝つという精神年齢の低い子どもを作ってしまうような気がする。


 人間の子どもも猿の子どもも悪いことをやって叱られ、大人になっていくのではないかと私は思う。子どものわがままやぶつかり合いを思い切ってやらせた上で、ダメなのはダメとあきらめさせることが大切と思う。しっかり叱るけれど、子どもってそんなものだから、この子はダメな子などとは思わないことも大事である。もちろんあまり泣いたり喚いたりしない、しっかりした子どももいないわけではない。けれど昔から泣いて喚いた子どもがけっこう世の中に貢献していることも多いのである。泣きましょうわめきましょうそんなもんでそんなもんでおとなになっていく。
 

子どもの困った行動どうするNO1  暴力を振るう子どもどうする

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